高輪ヘヴンズゲートウェイ

ロッキン神経痛

高輪ヘヴンズゲートウェイ 上

 ――平成33年8月某日。


 平成最後と呼ばれていた春から、既に2年と3ヶ月が経つ。私は新幹線から降りたばかりの慌ただしさもそのままに、重たいスーツケースを引きずりながら東京駅構内を歩いていた。


 駅員に何度も現在地と方向を確認し、やっとの思いでたどり着いた目的地。私は鈴をかたどったオブジェの前に人の良さそうな初老の女性を見つけた。薄いピンク色のブラウスを着た彼女は、胸の前に四角いプラカードを抱えている。


『高輪ヘヴンズゲートウェイ駅 行』


 手書きの丁寧なフォントで書かれたその文字は、嫌でも人目を引いた。何事にも無関心そうに見える東京の人たちも、流石にこの名前を無視する訳にはいかないのだろう。好奇心、羨望、そして嫌悪を剥き出しにした表情が、彼女に向けられていた。私は少し呼吸を整えてから意を決して彼女の元に歩み寄る。すると声をかける前、彼女の方がこちらに気付いた。


ひがしさま、ですね?」


「ええ、よろしくお願いします」


 事前に送っておいた申請書に貼られた緊張気味の顔写真と私の顔を見比べてから、再び初老の女性はニコリと微笑んだ。


「初めまして、コンダクターの流崎りゅうざきと申します」


 白く上品な手袋をした流崎さんと握手をする。私が、心配そうに周囲を見ているものだから、彼女はまたゆっくりとした話し方で付け足した。


「他の二人は、まだです。貴方が最初に来られたんですよ」


 そして、お互い同時に腕時計を見た。

 時刻は待ち合わせ時間の30分前。私も大概せっかちなようだが、こんな特別な日にゆっくりしていられずはずもなかった。

 焦る思いを誤魔化すように、意味もなくスマホを触っては電池を消費させてしまう。それからほんの数分後、深々とお辞儀をして現れたのは、見たところ80代半ばの老人だった。


「どうも、本日はよろしくお願いいたします」


 真っ白に枯れた頭髪の上から、ハンチング帽を被っている。上等なビロードのスーツを身に纏い、少し足を開き気味にして杖を両手で握りしめていた。足が悪いのかもしれない。

 その隣には、若い女性が一人。髪の先端を赤色に染め、全体的に黒いヴィジュアル系のようなファッションをしている。


「高屋敷さま、ですね。ええと……そちらの方は?」


 ここまで笑顔を絶やさなかった流崎さんの顔が少し曇った。すると高屋敷と呼ばれた老人が慌てた様子で口を開く。


「心配要らんですよ、この子は品川までの付き添いですから」


「そうですか、なら良いんですが」


「お爺ちゃんを、よろしくお願いします」


 そう言ってぺこりと頭を下げる見た目よりも可愛らしい声をした彼女は、聞けば高屋敷さんのお孫さんなのだという。物静かな子で、一言二言挨拶を交わした後は静かに腕を組んで黙ってしまった。

 私は構内の喧騒に、妙に苛立ちながら自分の腕時計とニコニコ微笑む流崎さんの横顔を交互に見る。どうしようもない不安感が、波のように体の中をいったりきたりしているのが分かった。


 待ち合わせ時間の5分前、最後の一人が現れた。


「あちゃー、こんなギリギリになっちゃったか」


 「どーもすみません」そう言って、チークとアイシャドウの濃い女性がバツが悪そうに謝ってくる。えんじ色のミニドレスにシャネルのショルダーバッグ。すぐに水商売だと分かる甘い香水の匂いが鼻についた。


「あれ? 人数はこれだけですか」


 きょとんとした顔で我々を見ている彼女に、流崎さんはまた穏やかな声で答えた。


「ええ、今日はこれで全員です。秋山さんで間違いないですね?」


 それじゃあ行きましょうか。と、挨拶もそこそこに流崎さんが歩き出す。秋山さんのハイヒールの音が最初に続いた。

 服装も年齢も統一感のない5人に向けられた視線を避ける様に、私達は自然と足早になった。5番ホームから乗り込んだ電車で12分。全員で品川駅のプラットホームに降りる。


「ねえお爺ちゃん。私も、お母さんも待ってるからね」


 ほとんど泣き顔に近い顔で、高屋敷さんにそのお孫さんがしがみついている。


「爺ちゃんは大丈夫だ、心配なんかないよ」


「さ、そろそろですよ」


 相変わらずニコニコとした笑顔を保ったまま、流崎さんは線路の奥に向かって小手を掲げる。緑と白色の見慣れた電車を二度見送ってしばらく。ずいぶんゆったりとした速度で一両編成の薄いクリーム色の車両が入ってくる。気付けば乗り場には私達以外の乗客の姿はなかった。

 クリーム色の車両の中には、駅員の他に誰も乗っておらず、その車両に乗ろうとする者も私達の他に当然居なかった。

 流崎さんが会釈と共に駅員に許可証を見せ、各自の持ち物検査を行う。これは形式的なもののようで、一応といった風にこなしている様子だ。


「最後に注意事項の復唱だけお願いします」


 そう言って駅員が、ずらりと文字の書かれた紙を人数分差し出してきた。ラミネート加工された紙に赤文字で数行、ここに来るまでに何度も確認した内容が記されていた。


「わかりました、皆さんよろしいですか」


 流崎さんに促され、小さく息を合わせて3人の声が重なる。


「ひとつ。 私は、本車両内で起きた出来事について、決して他言しない」

「ふたつ。 私は、いかなる事情があっても乗車が一度きりであり、一度でも下車した際は、生涯乗車資格を失うことを承諾する」

「みっつ。 私は、本車両内及び高輪ヘヴンズゲートウェイ駅内では、日本国の憲法と法律の適用がされないことを確認し、承諾する」


 高輪ヘヴンズゲートウェイ駅に行く際の注意事項の中でも、3番目の誓約は世間でも有名だったが、こうして口にしてみるとその言葉の迫力に、思わず声が震えてしまう。これより先、品川駅と田町駅の間はこの世でありながらこの世ではない場所。この世界でどれほど権力を持った人間であっても逆らうことの出来ない理が支配する場所なのだ。


「ふぅー、なんとか言えたー!」


 秋山さんはフサフサに盛ったまつ毛を何度も瞬かせ、つっかえながら少し遅れて復唱を終えた。ラミネートされた紙を駅員に返すと、年配の駅員は一歩車両から離れて片手を広げ、乗車を促す。

 流崎さんの方を見ると、小さくこくりと頷いていた。

 私は、胸の中でミキサーにかけられた感情に突き動かされるように、最初に無人の車両に乗り込んだ。


 ゆっくりと動き始めた車内。無人の運転席越しに、既に2分後に到着する場所が見えていた。すなわち天高く、雲を突き抜けるようにそそり立つ、高輪ヘヴンズゲートウェイ駅の駅舎が。


 それは平成が終わる日に現れた、人類史に残る奇跡だった。

 皆が厳かな気持ちで待ち受けたこの日の早朝、関東の内陸部で大地震が発生した。何年後、何十年後になるかは誰にも分からないが、いつか必ず来ると噂されていたそれが、ついにこの国の首都を襲ったのだ。


 激しく突き上げるような縦揺れは、道路を走る車すら跳ね上げ、あらゆる高層ビルを寝不足の子供のように、つまり立っているのもやっとという程に、ぐにゃぐにゃと揺らした。


 あの時、震源地付近に居た誰もが死を覚悟したと言う。

 どれだけ備えていようが、分かったつもりでいようが、人は自然に敵うすべはないのだと思いだし、皆が絶望した。

 平成の終わり。人類史においてこれほど発達した文明はない時代にあっても、何の工夫もない地面の揺れに対処する術を持たない人々は、最後に神仏に祈り、ただ運命を良い方向に委ねることしか出来なかった。

 その祈りが通じのか、もしくは単なる気まぐれなのかは誰も知らないが、奇跡はほんの数秒後に起きた。

 立ってもいられない程に激しかった地震が、瞬きをする間に不自然な程にぴたりと止んだのだ。


 フェードアウトの余韻も残さず、地震の電源を強制終了させたようなその唐突さに、中継レポーターは困惑し、報道ヘリは寝ぼけているかのように唖然としている都民を上空から写した。


 あの圧倒的なマグニチュードの規模に見合わない地震のエネルギーはどこにいったのか。その答えらしきものを最初に見つけたのは、存在意義を無くした報道ヘリの一台だった。


 山手線、品川駅と田町駅の中間。


 完成も間近だった新駅舎が跡形もなく吹き飛び、そこに天高くそそり立つ巨大建造物が出来上がっていたのだ。


 スカイツリーをはるか下に見下ろすその建造物は、雲を下から突き刺し、徐々に透明に透き通っていく。その先端は宇宙に、いや、およそ人類の計り知れない領域まで達していることは明らかだった。


 後に、この建造物はこう呼ばれるようになる。


『高輪ヘヴンズゲート』


 流線型の涙形のそれは、地震と共に唐突に現れ、そして人類が目にしたあらゆる超常現象の例に反して、その後も決して消えることはなかった。

 何日経とうが。

 世界中から膨大な数の人々がそれを見にこようが。

 圧倒的にそこにあり続けた。


 それは人間を含むどんな生き物も、近づくことの出来ない超常的な建造物だった。否、建造物というからにはそれを作った主体があるはずだが、これは存在の全てが疑わしい、奇跡の概念の具現化に等しい何かだ。

 とにかくそれは全てが中に入ることを拒んだ。


 ――唯一、品川と田町から伸びる線路を除いては。

  

 あの奇跡の一日がなければ。

 これは何らかの天啓であると、元号の改正が先送りにされなければ。

 きっと50年ぶりに新設された山手線の新駅は、その珍奇な名前で一時話題になる程度だったろう。


 品川と田町を繋ぐ迂回路が新たに作られた後も、その幻の駅へと繋がる線路は残され、いつしか奇跡の建造物は、高輪ヘヴンズゲートウェイ駅と呼ばれるようになった。元の名前は、もはや誰も知らなかった。


 そして平成最後の日から2年と3ヶ月後、私は人知を超えた何かがもたらした奇跡の一端にすがりつくため、ここに立っていた。

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