水戸黄門外伝―がっかり六兵衛奮戦記―

平中なごん

第一幕 六九兵衛、がっかりさせる

「――まったく! 六っ、ほんとおまえにはがっかりだよ!」


「そいつはひでえや、格さぁん」


 足早に目抜き通りを進む格之進は、時折、後を振り返り、泣きそうな顔でついてくる六兵衛に容赦なく文句を浴びせかける。


 その日、渥美格之進と〝がっかり〟六兵衛の二人は、天下に聞こえた草津温泉の賑わいには目もくれず、着いて早々、先を行く水戸光圀一行の後を急ぎ追っていた。


「なにがひどいものか! こんなことになったのも食い意地を張ったおまえのせいだろう! にしても、おもえもおまえなら、ご隠居もご隠居だ。少しぐらい待つ我慢ってものはないのか? これだから年寄りは……」


 苦々しげな面持ちで行き先を見つめる格之進は、さらに光圀に対しても憚ることなく悪態を吐く。


 そうして彼が苛立ちを覚え、焦っているのも無理はない……二人は今、光圀達とはぐれてしまっているのだ。


 ぢつは、うっかりにも前の宿しゅくに大切な例の印籠を忘れてきてしまい、格之進と六兵衛の二人だけでそれを取りに戻ったのであるが、無事、印籠を回収できたのはいいものの、その帰り道、途中の茶店でだんごを食いすぎた六兵衛が腹痛を起こし、丸一日、予想外にもその場に足を留めなければならなくなってしまったのだった。


 いや、それだけならばまだいい。


他方、光圀の方では付近の山中にあるという秘湯へ足を延ばすことを思い立ち、思い立つと我慢のできないあの頑固者の年寄りは、二人の到着を待たずにさっさと泊まっていた旅籠はたごを出立してしまったのである。


 そういうわけで今、宿屋でそのことを聞いた二人は慌てて光圀達の後を追いかけているという次第だ。


「……ん? どっちが秘湯へ行く道だ?」


 ところが、温泉街を抜けて人気のない山道を少し行ったところで、道は二手に分かれていてどちらへ向かえばよいのか皆目見当がつかない。


「クソっ! こんなことなら、もっとしっかり宿屋で道を聞いとくべきだった。俺としたことがなんたる不覚!」


 焦りが招いた自らの過ちに、分かれ道の真ん中に立つ格之進はギリギリと悔しげに奥歯を噛みしめる。


「なあに格さん。心配いらないよ。こういう時は神頼みって相場が決まってる。ちょっくらこいつで占ってみようじゃないか」


 だが、一足遅れて後から来た六兵衛は、自分の仕出かした失態もすっかり忘れ、悪びれもせずに暢気なことを口走ってくれる。


「占い? おい、天気でもないのにそんなもので正しい道が…」


「んじゃ、表が出たら右、裏が出たら左だ。そうらよっと!」


 そして、凛々しい眉をひそめて疑問を呈する格之進も無視し、六兵衛は思いっきり脚を振り上げると、結い紐をゆるめた右足の草鞋わらじを天に向かって勢いよく蹴り上げた。


 ………ところが。


「あぁっ! しまったぁ!」


 生来の不器用である六兵衛は勢い余り、明後日の方向へと飛んで行った草鞋は道端の藪を飛び越えると、その向こう側の茂みへ消えていってしまう。


「痛っ! ……おい! どこのどいつだ!?」


すると、これまた予想外のことに、草鞋の落ちた藪の向こうからはそんな男の粗野な怒鳴り声が聞こえてくる。


 さらに時を置かずして、人の背丈もある藪草を掻き分けながら、六名ほどの男達がわらわらと二人の前に姿を現した。


 歳は若衆から中年までまちまちだが、皆、〝温泉〟マークの屋号が入った揃いの印半纏しるしばんてんを羽織り、着流しの腰には長脇差を落とすように差している。その人相の悪さからしても、明らかにカタギの者達ではないであろう。


「これを投げつけたのはてめえか!?」


 その内の一人、月代さかやきに土の付いた血気盛んな若い男が、手にした草鞋を六兵衛に突きつけながら、血走った眼で怒鳴り上げた。


「いえ、おいらは投げたんじゃなく、蹴り上げたんで……」


「んなこと聞いてんじゃねえんだよ! やっぱりてめえの仕業か! 俺の頭に草鞋ぶつけるとはいい度胸してんじゃねえか。この落とし前、どうつけるつもりだコラ!」


 だが、六兵衛は天然にも空気を読まず、質問の意図からはだいぶ外れた細かい訂正を入れて火に油を注ぐ。


「まあまあそんな怒らずに。わざとじゃないんで勘弁してくださいよ。あ、それよりその草鞋、落ちた時どっちが上でしたかねえ。表ですかい? 裏ですかい?」


「チっ…ふざけた野郎だ。おい、かまわねえ、やっちまえ!」


 それでもまるでお感じになく、ますます癇に障るようなことを暢気にも尋ねてくれる六兵衛に、舌打ちした男の号令一下、そのヤクザ者らしき一団は手に手に長脇差を引き抜いて二人を取り囲んだ。


「ひいっ! こ、こういう時は格さんの出番ですよ。皆さん、落とし前の方はあっしの代わりにこっちの人がつけてくれますんで」


 ここに到り、ようやくヤバイ状況であることに気づいた六兵衛は、ガタイのいい格之進の背後へと慌てて逃げ隠れる。


「ハァ……ほんと、おまえにはがっかりだよ」


 そんな、自分で盛り上げるだけ盛り上げておいて、その尻拭いは全部丸投げする困った六兵衛に、格之進はいつものことながら、心の底よりがっかりな溜息を吐いた。


 今さら言うまでもないが、彼の〝がっかり六兵衛〟という通り名は、こうして周囲の者を常に「がっかり」させるところからきている。


「んなろう! かばうんならてめえも一緒だっ!」


 二人の寸劇によりいっそう怒りを増したヤクザ者達は、一斉に長脇差を振り上げて襲いかかった――。





「――く、クソう! 憶えてやがれ~っ!」


 だが、数瞬の後、顔中アザだらけのボコボコになっていたのはヤクザ者達の方だった。


 格之進の百戦錬磨の柔ら術で容赦なく叩きのめされた男達は、紋切り型の捨て台詞を吐いて、ほうほうのていで逃げ去ってゆく。


「ああ、そうだ。やつらに道聞けばよかったな。すっかり失念していた……」


 パンパンと手を払い、身の程知らずなゴロツキ達の背をいつもの如く見送った格之進は、忘れていたその問題を思い出して眉根をひそめる。


「そうですよ。まったく、格さんはうっかり者ですねえ」


「なんだとっ! おい、六! もとはといえば、あれもこれもすべておまえがなあ…」


 そんな格之進をヘラヘラと笑いながら眺め、自分のことは棚に上げて小馬鹿にするようなことを平気で口走っている六兵衛に、いい加減、堪忍袋の緒が切れた格之進が目を吊り上げて詰め寄ろうとしたその時……。


「いやあ、なんとお強い……」


「どなたかは存じませんが、危ないところをお助けいただき、どうもありがとうございました!」


 先程、ヤクザ者達の現れた藪の中から、今度はボロを着た老人と、それを支えるやはり薄汚れた恰好の若い娘が這い出てくる。二人とも手甲てっこう脚絆きゃはん、頭には頬かむりをし、何やらつい先刻まで穴掘りでもしていたかのような風体だ。


「助ける? いや、なんのことだかさっぱり……」


「あたしとおとっつぁん、鉱山を逃げ出して追われていたんです。でも、あわや捕まるというところで草鞋を投げつけていただき……その上、あっという間に追い払ってまで……」


 礼を言われる筋合いがわからず、怪訝な顔で首を傾げる格之進に、目をキラキラと輝かせた若い娘は熱い眼差しを向けて説明する。


「いや、あれは別にそなたらを助けたんじゃなく、この六兵衛のせいで絡まれたサンピンどもをちょっと懲らしめてやっただけで……」


 何やら予想外にも人助けをしてしまったらしく、妙に感謝されてしまう格之進達であったが、そんなつもりはさらさらなかったのでなんだかとても居心地が悪く、困った顔で言い訳めいた言葉を口にする。


「そうですよ。格さんが勝手にやったことなんで気にしないでください」


「おい! もとはといえば、おまえがなぁ……いや、それよりも今、鉱山から逃げて来たとかなんとか……」


 格之進の言葉を受け、六兵衛も手をひらひらと振って謝辞を拒むが、「お前が言うな」という面持ちで振り返った格之進は、ふと、娘の口にした気になる言葉に思い至る。


「へえ、あっしら村のもんはお代官さまに命じられ、硫黄の隠し鉱山で無理矢理働かされてるんでさあ」


 その問いには娘に代わって老人の方が答えた。


 いや、老人のようにくたびれてはいるものの、〝おとっつぁん〟ということはもっと若いのかもしれない……その実年齢より老けて見える容姿も、隠し鉱山とやらでの過酷な労役が原因なのだろうか?


「どうやら深い事情があるご様子……ここにいては、やつらが仲間を連れて戻って来るとも限らん。とりあえずはどこか身を隠せる場所へ移りましょう」


「へえ。ですが、追われるこの身では家に戻るわけにもいけませんし……」


 のっぴきならない親子の事情を察し、まずは場所の移動をと促す格之進であるが、頼る当てもない哀れな娘は眉根を「ハ」の字にして困惑する。


「おお、そうだ! 確かこの山の上に使っていない炭焼き小屋があったあったはず。あそこなら誰も来ません」


 すると、老人…否、父親の方が思い出したようにポンと手を叩き、背後にそびえる山の上を指さす。


「よし、ではそこへ参ろう。行くぞ、六!」


「へい!」


 その案には格之進と六九兵衛も即決で首を縦に振り、二人は助けた親子とともにその隠れ家へと向かった――。


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