第一話 『始まりは雨』


 この世界はなんて退屈なのだろう。そう毎日のように思っていた。




 朝、重い瞼を開け、目を覚ます。顔を洗って、歯を磨く。食パンをトースターで焼いている間、目玉焼きを作り、制服に着替え、テレビをつけ、朝の情報番組を見ていると、「チーンッ!」とパンが焼きあがる。パンを食べてから、ヨーグルトとバナナを食べる。


 このように、朝は特につまらない。いつも同じ時間に起き、いつも同じ行動をし、きっかりいつもと同じ時刻に家を出る。違うことと言えば、目玉焼きにするかスクランブルエッグにするか、それくらいだ。






 誰に「行ってきます」と言うわけでもなく、施錠をして家を出ると、途端に雨が降ってきた。




(さっき雨降るなんて言ってたかぁ?)




 天気予報で今日は晴れだと言っていた気がするが、特にそんなことは気にせず、今閉めたばかりの鍵をもう一度開け、玄関に置いてある傘を手に取った。




 家を出てから高校までの道のりの丁度半分ほどの辺りを歩いていると、急に雨が激しくなった。




(家出る前からこんなに降ってりゃ学校なんて行かなかったのによぉ)




 心の内でそんな愚痴を吐いていると、俺の横を傘をささずに制服姿の二人組が走っていった。




「何だ?台風かこれ。今日は快晴って言ってたじゃんかよぉ」




「だよなぁ、俺もうずぶ濡れだぜ」




 やはり聞き間違いではなかったらしい。




(こうも天気予報が外れるなんて珍しいな)




 あまりに豪雨だったので、通りかかった神社で雨宿りをすることにした。




 ここは、藤崎ふじがさき神社。「勝負の神」が祀られているらしい。いつもこの神社の前を通っているが、あまり多くは知らない。知っていることは、名前と祭神と、あとは幽霊が出るという噂だけだ。そして、今日初めて鳥居をくぐった。拝殿に腰掛け、濡れた上着を脱いだ。




 見たところ、どうやら神主がいない神社らしく、しかし、ある程度は手入れが行き届いているようだった。




(地域の人が掃除でもしているんだろうか。それにしても......この雨......)




「おかしい」




 柄にもなく独り言を言ってしまった。




(まあこんな神社誰もいねえか)




 すると、




「何がだ?」




 突然、後ろから声が聞こえた。






「うわぁああッッ!」




「ウッヒッヒッヒッヒィ〜」






 後ろを振り返ると、そこには古臭い格好をした、見るからに変な人が気味悪く笑っていた。




(うわぁ、独り言聞かれてたのかぁ。それよりこの人、全く気配がしなかった。何でだ?それになんだか......気持ち悪ぃ)




「誰......ですか?」




 その男は、現代の日本では見たことのないような不気味な服装だった。


 ボロボロの布切れを上半身に巻いていて、頭には大きな帽子をかぶっていた。ズボンはひざ下まで丈があり、足には何故か包帯が巻き付けられている。そして、ポーチのようなものを腰にいくつか付けている他に、手には小さな袋のついた棒を持っていた。




 前髪は鼻下まで伸びており、表情は読み取りづらかったが、ちらりと見えたその目には、俺にはない強い意志のようなものが宿っている気がした。






「そんなにおかしいかぁ〜?有り得ねえかなぁ?ウヒヒ」




(ダメだ。俺の話を聞いてねえ。そして、なんというか、こいつと関わるのはやばい気がする。ーー早く雨止まねえかなあ)




 すぐに危険人物だと察したが、気付くと俺はその男に話しかけていた。






「あなたも雨宿りですか?」




「有り得ねえかって聞いてんだよぉ!人の話はよく聞きな!」




(ええェェ〜〜!!嘘だろこいつ......おめぇもさっきシカトしたじゃんかよぉ。ていうか今の、質問してたのかよ......)




 あまり関わりたくなかったが、気まずくなるのも嫌なので、俺は仕方なく返事をした。




「え、ええ......まあ、天気予報で今日は快晴って言ってましてねえ。今時こんなにも外れるものかなぁ、と」




「ああぁあぁダメだダメだ。そいつぁただの予想だろ?雲の動きや何やらで予測してんのか知らねえけどよぉ。そりゃ飽くまで予想だぜぇ。案外現代の科学ってのも当てになんねえなあ。簡単にそんなもの信用しちゃあいけないよっ?ケッケッケ」




(なんだこいつ、何がそんなに面白いんだ)




 この男のあからさまに科学を馬鹿にする態度に、何故かは分からないが少々腹が立った。




「そうですか?俺はそうは思いませんねえ。こんなのは稀です。降水確率だけでなく、普段なら最高気温や最低気温だってピタリと当たります。現代の科学は凄いですよぉ?医学や物理学だって近年では目紛しく発展しています。一昔前では考えられないくらいに」




(なんで俺は、こんな会ったばっかのやつにムカついてんだぁ?)




 何かこの男には、無性に馬が合わない気がした。


 男は、俺の横に腰掛けると、また話し出した。




「現に今おめぇさんは、その科学様に一杯食わされてんだぜぇ?もっと気象学が立派だったら、今おめぇさんはずぶ濡れにならず、変な人に声をかけられることもなかった。違うか?」




(自覚はあったのか......ーーそれにしても、さっきからなんでこうも科学を否定したがるんだ)




「ていうか、一体何なんですか?あなたは。ここの神主のようにも見えませんし」




「あぁそうそう、言うの忘れてたけどそれ、やめてくれねえか?」




「?」




「敬語だよ。その『です』とか『ます』とかさあ。俺、敬語使われるのなんか嫌なんだよねえ。親近感ねえっつーか、近寄りづれえっつーか、とにかく話しにくいんだよなぁ」




(親近感を持たれたくもないし、近寄りたくもないんだが。まあいいか。そもそもこんなやつに敬語ってのもよく考えたら変だ)




「分かりま......分かったよ」




「いやでも初対面の人に敬語使わねえのも変かぁ。ウェッヘッヘ」




(なんだよこいつ、おめぇはさっきからタメ口じゃねえか。ーーていうか今さらっと話題変えたよなぁ)




 そうこうしているうちに、雨はますます強くなり、雷が鳴り始めた。




「しかしやっぱり、これから一緒なんだから敬語はなしだな。うん」




(ん?なんかこいつ今途轍もなく怖いこと言わなかった?雷でよく聞こえなかったけど、今確かに......)






 雨はさらに強くなり風も横殴りに吹いてきた。その嵐は、俺が初めて体験するほどに大きかった。




(うわっ、なんだこれ!)




 聞いたこともないほど大きな音を立てて風が吹きすさぶ。




(おいおい、大丈夫かぁ?これ)




 男は、ボソッとつぶやいた。




「あぁあぁ、ハジメのやつ、こんな嵐にしろって言ってねえぞぉ」




 すると、また雷が鳴った。まるで、男の言葉を遮ろうとするように。




「え?なんだって?」




「あぁっ!いや!なんでもねえ。ただの独り言だ。独り言、言うことあるだろう?おめぇさんもさっき言ってたな。アハ。気にすんな、こっちの話だよ〜ん!」




 男は、とても慌てた素振りで、話を誤魔化した。その独り言はあまり聞こえなかったが、彼の焦り方は尋常ではなかった。よほど聞かれてはまずいことなのだろう。




(これ以上は聞かないでおくか。特に興味もねえし)




「何もそんなに慌てることねえだろう。安心しろよ。全然聞こえなかったから」




「そう?なら良かった」




 そして男は、それまでとは打って変わって、真剣な口調で話し出した。




「ところでおめぇさん、この世に未練はねえか?」




「は?」




 それは、唐突な問いかけだったので、言葉の意味を理解するまで少し時間がかかった。




(この男、話にまるで脈略がねえ。それとよくこんな状況でそんな呑気に話ができるもんだ)




「未練?なんでそんなこといきなり聞くんだよ。ねえもクソも、俺まだ十七だぜ?別に余命宣告されてるわけでもねえしよぉ」




「いやぁ、そうじゃなくて、この世界によ。なんかやり残したことっつーかよぉ。ありません?」




 男が話し終える前に、今度はこれまでで一番大きな雷が鳴った。




「あぁあぁ!わ〜かったよぉう!もうやるから、ごめんなさい」




(なんだ?この男、さっきから何を言ってるんだ?)




 突然、男が俺の右手首を掴んできた。




「!?」




(何すんだよ!)






 すると、有り得ないことが起こった。






「......雨が......止んだ......?」






 それは、「止んだ」というより、「消えた」と表現した方が良いのかもしれない。先ほどまで、信じられないほどの嵐だったのに、雨の音も、風の音も、雷の音も、一切しなくなった。薄暗い曇り空が一瞬にして、雲一つない青空へと変わった。俺は何が起こったのか分からず、呆然としていた。




「アッハッハッハ!!ウッヒッヒッヒィ!!」




 男は爆笑し始めた。




「あー、腹痛えぇー。まあびっくりするだろうなぁ」




 男のテンションとは裏腹に、相変わらず俺は思考停止したままだった。




「......何......した?お前がしたのか?」




「ほれっ。あっち見てみな」




 男は、ある方向を指差した。男が指差した先にはーー






「......嘘だろ」






 広大な草原や花畑が広がっており、見たこともないような生き物が大地を駆けていた。空には、羽の生えた人間が飛んでおり、それはこちらを見て笑顔で手を振った。






 俺は理解が追いつかなくなり、意識を失った。

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