第6話 菊
「おはよう」
家を出るなり、聞きなれた声が飛び込んでくる。
「おはよ」
眠かった俺は、遥に気だるそうに返事をする。
「ゆーちゃんは相変わらず眠そうだね。ちゃんと寝てないの?」
「お前が朝から元気すぎるんだよ。普通の人は大体朝はこんな感じだ」
実際どうなのかは知らないが、まあ早朝から毎日こんなに元気な奴もそうそういないだろう。
「私は朝が大好きだもの。ゆーちゃんに会えるし」
「お前ももう高校生なんだからそう言う事言うの少しは恥ずかしがったりしろよ・・・」
「どうして恥ずかしいの?一日の始まりに大好きな人に毎朝会えるんだもの。そりゃ元気になるわよ」
一般的な女子高生と言うのは、好きな男に好きだとか言う事に躊躇したりするものだろう。それにしても遥もさすがに高校生になったら少し話し方も大人びてきた。
ゆーちゃんとか呼んで来るのは相変わらず恥ずかしいけど。
「まあ、いいよ。ほらいくぞ」
そういうと遥はうれしそうに俺の後ろをついてきた。
「ねえゆーちゃん」
「なんだ?」
「私達も高校生だし、手をつないで歩いたりしてもいいんじゃない?」
「は?」
何を言っているんだこいつは。
「なんでただの幼馴染が手をつないで一緒に登校するんだよ」
「え!?私たちまだ付き合ってないの!?」
「は?いつからそうなったんだ」
「え、だって私達、あの中学のときのやりとりからまた三年も一緒にいるのよ。まだだめなの?」
付き合ってから、彼女にセックスをせがむ男子高校生みたいな勢いだな。
「いや、別に三年経っても大して俺ら何も変わってないじゃん」
「えええええええええええええええ。私はあれからもずっとゆーちゃんに好かれようと努力してるのに!」
まじかよ・・・。
「ほら、おっぱいとか結構大きくなったんだよ?」
「それは努力とか関係なくないか」
「あるよ!私大きくなるように夜ちゃんと寝てるの!」
「そういうものなのか」
確かに、いつからか夜中遅くまで一緒にゲームをしなくなったな。
「そういうものなの!ほら、触ってもいいよ?」
顔を赤らめながら遥が胸を寄せてこちらに近づけてくる。そして通勤途中のサラリーマンがそのやりとりをチラチラ見ている。
「やめろよ。外でこういうの恥ずかしいだろ」
「わかった。ゆーちゃんは家の中がいいんだね?」
「そういう事じゃない」
「もーなんなのよー」
遥はそう言いながら背後から急に突進してきた。
「おっぱいとかちょっと当ててみたりして」
後ろから抱きつかれて遥の胸が背中に当たる。
「おい!何やってんだ。やめろ」
「えへへー。ちょっとは私の事女として意識した?」
「んなわけねーだろ。馬鹿」
確かに背中に当たったものの感触は、見た目のイメージよりも大きかった。
「じゃあ、ゆーちゃんまた後でね」
学校に着くと遥は職員室に用があると言って先に走っていった。
「よう元気か?ポンコツ」
遥と別れるなり、狙ったかのように嫌な奴に出会う。担任の松山だ。松山は小学生の頃に俺たちの担任になってから、授業以外で俺に会うと何かにつけて絡んで来ては悪態をついてくる。最初は気にも留めていなかったのだが、あまりにもしつこいので、最近ではさすがにうっとうしい。
それにしても初めて見た時から、こいつの顔を見るたびに既視感を覚えるのはなぜなのだろうか。
「おはようございます。何か用ですか?」
「たまにはお前と少し話でもしようかと思ってな」
「はぁ?」
どう言う風の吹き回しだろうか。
「はぁ?ってなんだよ。担任が生徒と話をするって言ってるだけだ。何もおかしい事はないだろ」
「いや、まあそうですけど。いつも下らない悪態をついてくるだけなんで、珍しいな。と」
「はは。そんな事気にしてんのか。まだまだナイーブなんだな」
「教師にあんな態度を何年間も取られ続けていたら、気にしない生徒なんていないと思いますけどね」
「まあまあ。これでも俺はお前の事を実の息子のように愛しているつもりなんだぜ?」
どの口が言ってるんだか。
「それでなんですか?特に用がないならもう教室行きますけど」
「ここじゃなんだから、こっちで話そう」
松山はそう言うと会議室を指さす。会議室と言われているが、実際にここが使われているところを俺は見たことがなかったため、なぜか得体の知れない気味悪さを感じた。
しかし逆らうのも面倒なだけなので、俺は黙って松山に着いて行く。
会議室に入ると、松山は奥の喫煙所に行き、煙草に火をつけた。
「ふー」
松山は幸せそうに煙を吐く。
「煙草の煙あんまり好きじゃないんですけど」
「少しくらい我慢しろよ。ケツの穴の小せえ奴だな」
「そろそろホームルームも始まっちゃうし、早く教室に行きたいんですけど・・・」
「けどけどうるせえ奴だな。いいんだよ。そんなもんは俺とお前がいないくらいじゃ何の影響もない」
「何の影響もないって、あんた担任じゃん」
「担任にあんたとか言うんじゃねえよポンコツ」
「生徒にポンコツって言わないでもらえますか?」
それを聞くと松山はうつむいてくっくっくと静かに笑う。
「なかなか言うようになったじゃねえかポンコツ」
松山はニヤニヤしながらこっちを見る。
これ以上突っ込んでも松山を喜ばせるだけだと悟った俺は、黙って松山の話を待つ事にする。
「なんだ?もう何も言わないのか?」
「いやだから何がしたいんですか?先生が俺に話があるんでしょ?」
突っ込まないと決めたばかりなのに、思わず俺は苛立って突っ込んでしまう。
「お、ちゃんと先生って呼ぶんだな。ポンコツのくせに聞き分けいいじゃねえか」
「教室行きます。さようなら」
「わかったわかった。待てよ。悪かったから」
「え・・・」
松山の自分の非を認めるような発言があまりにも珍しくて、俺は思わず振り向く。
「まあ話をしようって言っても、単なる世間話でもしようかと思っただけなんだがな」
「へぇ・・・例えばどんな話ですか?」
「学校楽しいか?とかそんなのだよ」
松山にあまりにも似つかわしくない言葉を聞いて、俺は思わず吹き出す。
「急になんだよそれ」
「いいから答えて見ろよ」
「まあ、楽しいですよ。俺は先生の言う通りポンコツですが、友達には恵まれているので。あいつらがいればこれから先どうなっても、楽しい日々を過ごせるんじゃないかなって思います」
俺の返答を聞いた松山は深く煙草の煙を飲み込んでからゆっくりと煙を吐き出して、しばらく何かを考えていた。
「そうか。よかったないい友達に巡り会えて」
「ええ、まあ俺なんかがこの学校に呼ばれたのは正直何かの間違いだとずっと思ってましたけど、そのおかげであいつらに会えたわけですから。感謝してます」
「今時の普通の高校生はそんな返答しないから、やっぱりお前もそれなりには特別なんだろうよ」
「ええ・・・」
いつもの松山とあまりに違いすぎて反応に困る。
「なあ」
松山は煙草をくわえ、上を向く。
「なんですか?」
「本当に大切なものは失ってから気づくとか言うだろ?あれを聞くと俺はいつも違和感を感じるんだよな。どんなものだって、本当に大切なものかどうかよくわからなくても、失ってしまったらそれは誰でも愛おしく感じてしまうものだろう」
「え、ええ?本当にどうしたんですか急に」
「俺がいきなりこんな事言い出したらお前が混乱する気持ちはまあわかる。でもまあとりあえず聞けよ」
「はい」
煙草の灰を落としてからまたこっちを見て松山は言う。
「俺は逆に考えるんだ。人にとって大切なものってのは過去にしかないんじゃないかって。失ってからそれが大切だったと気づくんじゃなくて、本来、人にとって本当に大切なものは過去にしかないんじゃないかってな」
「まあ、その、本当に大切なものは失ってから気づくって言葉に対してだけ言えば、そう言う言い方もできる気もしますけど・・・。実際俺は今一緒にいる友達が一番大事だし、大切なものですよ。あいつらは今生きているし、別に過去にあるものでもないじゃないですか」
「はは。まあポンコツらしい答えだな」
「さっきから持ち上げたり落としたりなんなんですか」
「お前にとって、あいつらを大切に思うってのは、今のあいつらなのか?それとも今までのお前と接してきたあいつらとの思い出なのか?今お前の中に形成されているあいつらの人格ってのは、少なくとも過去にお前が接してきた事からできているものだよな。じゃあ、現時点でお前にとって大切なあいつらってのは、過去にいるあいつらじゃないのか?」
急にまじめに話をしだす松山に動揺しながらも、なんとか考えながら返事をする。
「もちろん、今の俺の中にいるあいつらは過去の思い出から作られたあいつらなのかもしれませんけど、俺は今もこれから先の、俺が知らないあいつらの事も同じように大切に思っていますよ」
「あいつらが例えお前が思うようなあいつらじゃなくなったとしてもか?」
「はい。あいつらがどうなったとしても、俺は絶対にその気持ちは変わらないと思います。そしてそうありたいと思う」
「ポンコツの癖にかっこいい事言うじゃねえか。まあそんな風に夢見てられるのもガキの特権だな」
「結局否定するならなんでこんな事聞いたんですか?」
「否定しているわけじゃない。難しい事だってだけだ」
「俺はあいつらに比べて何もないから、そう言う気持ちだけは大事にしたいってだけです」
「そうかそうか。そいつは結構」
松山は小さくなった煙草を灰皿に押し付けて潰し、満足そうにニヤニヤとこっちを見ながらそう言った。
「もう教室に戻っていいぞ」
既にホームルームの時間は終わり、一限目が始まろうとしていた。
「わざわざ呼び出して、こんな話がしたかったんですか?」
「こんな話って言うなよ。実はこんな下らない話が、後から思えば大事な話だったりするんだよ」
「そういうものなんですかね」
俺は釈然としないが、時間がないので納得したそぶりを見せ、会議室から出ようとする。
「そういうもんだ」
ドアに手をかける俺を見て松山は言う。
「そうですか。じゃあ失礼しました」
振り返ると松山はいつものようにニヤニヤしていたが、なぜか今日はそれが少し優しく見えた気がした。
「おっす」
教室に入り、自分の席に着くと、隣の席の大祐が声をかけてきた。
「おはよ」
「ホームルームサボって何してたんだ?遥が心配してたぞ」
遥のほうを見ると、確かに心配そうにこっちをじっと見つめていた。
「松山に呼ばれて少し話してた」
「え?松山はさっきまでそこに立ってホームルームしてたぞ」
「はは、何言ってんだよ。松山はさっきまで俺と一緒に会議室にいたはずだし、俺のほうが先に会議室から出てきたぞ」
「なんだそりゃ。祐介寝ぼけてんじゃねえのか?」
そう言って大祐は笑う。
「いや確かに俺は・・・」
「おいいつまでしゃべってんだポンコツ。授業始めるぞ」
いつの間にか松山が教室に入ってきていて、俺を注意する。
「あ、いやすみません」
「ポンコツなんだから授業くらいまじめに受けろよ」
松山はいつも通りの嫌味のこもった、ニヤニヤとした笑いを浮かべていた。
「ゆーちゃん朝どうしたの?」
昼休みになると遥がこっちに来て話しかけてきた。
「いや、松山と少し話をしていただけだけど・・・」
「だから松山は教室にいたって」
大祐はまた笑いながら言う。
「うん。確かに先生はホームルームの時教室にいたけど・・・」
遥も不思議そうに俺を見る。
どういう事だ?
「おはよう!お三人さん!」
「うわっ!」
突然の声に驚いた俺は思わず声をあげる。
困惑する俺を背に、挨拶にしてはでかすぎる声で元気に声をかけてきたのは、俺達のクラスメイトであり、大祐の彼女である朱里だ。
「お前は声がでかすぎるんだよ。朝からなんでそんなにテンション高いんだよ」
大祐はうんざりした顔で朱里を見る。
「何よ~あんたたちいつも暗いから朝一番で元気出してあげてんのよ」
「余計なお世話だっつの」
そんな事言いながら大祐は内心うれしそうにしてるのがわかる。
「仲がいい事で」
言いながら、俺と遥も朝同じようなやり取りをしていた事を思い出す。大祐と朱里のやり取りを見てて、いつも仲のいいカップルだと思ってたが、思い返すと俺と遥も似たような感じだな・・・。やっぱり俺が意識してなさ過ぎただけなのか・・・。
「お前と遥ちゃんには負けるよ」
大祐が突然俺の心を読んだかのような発言をしてドキっとする。
・・・こいつはエスパーかよ。
「あ、そうだ!」
突然朱里が声をあげる。
「今度の日曜日四人でダブルデートしようよ!」
「ダブルデートって・・・だから俺と遥はそういう関係じゃ・・・」
「細かい事うるさいな~祐介は。そんな事を思ってるのは世界であんた一人だから。良いから黙って来なさいよ」
相変わらず無茶苦茶な女だなこいつは。
「いい!最高!行こう!ゆーちゃん!」
遥はノリノリだ。
「まあ、いんじゃねーの。行こうぜ祐介」
「いいけど・・・。どこ行くんだよ」
「え、特に考えてないけど、映画見て、ランチ食べて、ショッピングでもしたらいいんじゃない?」
「適当だな。オイ」
「いいじゃないなんでも。こういうのは集まる事自体に意味があるのよ。何をしたかなんて後から四人で集まった事を思い出すためのきっかけでしかないわよ」
うーん・・・?そうなのか?そんな気もするが、それならきっかけになる出来事自体もそれなりに重要な事じゃないのか?と少し考えたが、よくわからなくなってしまったので諦めて相槌をうつ事にした。
「わかったよ。朱里に任せるよ」
「何よ任せるって。あんた達男でしょ。あんた達が何するか考えるのよ!」
「はぁ?じゃあさっき朱里が言った通り、映画見て、昼飯食って、ショッピングでいいじゃん」
「何よそれ。つまんない男ね~あんたは」
「めんどくせぇ・・・」
「ゆーちゃんはつまんない男じゃないわよ!」
遥が朱里に食いつく。
「わかってるわよ。あんたも意味不明なところだけ乗っからなくてよし」
「こいつの相手疲れるだろ」
大祐が横でゲラゲラ笑いながら言う。
「お前も楽しんでないで俺を助けろよ・・・」
「うーん、じゃあそうだな。みんなで映画でも見て、昼飯食って、ショッピングでもするか」
「いいわねそれ!最高!」
朱里が本当にとてもいい事を聞いたみたいな顔をしながらそう言った。
「グッドアイディア!」
そのままでかい声で朱里は続けた。
「うるせーよ」
「うるさいってゆーちゃんひどい!」
「お前はなんなんだよ」
「遥に向かってなんなんだよって何よ!」
朱里が絡むと遥もなぜかめんどくさくなる。
「お前らマジでろくな死に方しねえぞ」
「いやん。怖い」
朱里がそう言って、俺達は四人で仲良く笑った。
俺は松山がホームルームにいたと言う大祐との話はすっかり忘れ、やっぱり俺には今この瞬間のこいつらといる時間が一番大切だなんて思って、その幸せを噛み締めていた。この一瞬がずっと続けばいい。そう思っていた。
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