第3話 トイレの中の戦争 モニタの中の戦争
メールを返信した矢先に、ファーファが異常を伝えてきた。恐らく意識体としてミミとリンクしているのだろう。
いきなりのことで、洋式トイレに腰掛けたまま呆然とする。と同時に、志戸からもメールが届いた。
『敵が現れました、救難信号が来ています、助けてもらえますか』
ファーファが無味乾燥に読み上げる。なんかもったいない……いや、攻撃だと!?
『きんきゅうじょうきょうです』
ファーファがポケットからひざの上に飛び降りる。
「どうすればいい?」
『まず、じょうきょうをチェックしてください。スズミがたたかっていますので、てつだってほしいのです』
「どうやって」
『せつぞくシステムをつくります。ここでよいですか?』
一瞬ためらうが、何がなんだかわからない。とにかく誰にも覗かれないここなら何かあっても……。
「なんかよくわかんないけど、やってくれ! 緊急なんだろ?」
『しょうちしました。せつぞくシステムをセットアップします』
床のマットの上に飛び降りたファーファは、トイレのドアに小さな手を触れた。
途端に、ファーファがタッチした部分からドアの表面に虹色の光筋が走った。そのラインは無数に分岐して、次々とトイレの個室の中を走っていく。
……俺はマズイことを言ったかもしれない。
まず、正面ドア表面の一部が上下にスライドした。そこにはモニタとおぼしきものが現れる。
次に左の壁面が後方に大きく開いていき、パネル群が出てきた。そして何かを表しているような光と記号が前方から背後へ次々と点っていく。
と、同時に右のトイレットペーパーホルダーがクルンと90度回転してから中に収納され、代わりに操縦桿のようなものがせり出してきた。
すぐさま、予備のペーパーを置いていた棚が反転。ペーパーがボタボタと床に落ち、棚はキーボード状に変形しながら、目の前にスライドされてくる。
俺は呆けていた。
トイレが。
何かの司令室になってしまった。
『ちきゅうでみたじょうほうをもとに、アヤトがつかいやすそうなものにしました』
心なしかファーファが自慢げだ。確かに見覚えあるインターフェイスが揃っている。
いや、そんなことより。
「おまえ、コレ、どうすんだよ!」
目の前に張り出したゴーグルスコープを手で払いのけて、思わず大声を出してしまった。
『ちゃんと、もとにもどります』
ああ、それなら安心……って、おい!
『アヤトくん!?』
トイレに志戸の声が流れる。
『アヤトくんもシステムセットできたんですね! これで一緒に戦えますね!!』
いや、かなり置いてけぼりになっているんだけど。
「よくわからないけど、コックピットというか、司令室みたいなものができちまった」
『すごいですよね! これが遥か先の宇宙とつながってるんですって。わたしは天体観測用の部屋に造ってもらったんです! アヤトくんは?』
お前んち、そんな部屋あるのかよ。
「俺は、その……個室に……」
まあ、これも個室の一つだよな。細かく説明する必要もないしな。
志戸は興奮している。その証拠に声が今までの中で一番出ている。
確かにこれを一人ぼっちでやっていたのかと思うと仲間ができて嬉しいのだろう。
目の前のモニタにはどことも分からないが、星がきらめく宇宙空間が広がっている。星が多くて明るい。
その中に塊が5個、浮かんでいた。緑っぽく奇妙に点滅する立体だ。表面はなんだかツルッとしている。何かの周期だろうか、鼓動のように球や立方体など幾何学図形に変形する。
一目でわかった。これが相手だ。
ファーファのカプセルとも違う。地球の何かとも違う。なんというか生理的に受け付けられない塊。
これが敵なのか。
不思議と戦うことに対しての恐怖や焦りはなかった。モニタ越しの画像に現実味がないのだ。
「状況は?」
『相手は5体です。逃げていた集団が追いつかれたようです』 志戸が答える。
モニタの中、手前側にミーファのカプセルに似た虹色の物体が相当な数浮かんでいる。
左のパネルを見るとレーダーのようなものがあったので確認すると、ざっと見て100体以上か。5対100だと!?
「どうやって戦っているんだ? 相手はどんな攻撃をする?」
どうやったら壊れる? 止まる? 消えるのか? 頭の中が疑問符だらけになる。
その時だ。ぶよぶよと動く幾何学図形の塊から触手のようなものが何本か伸びた。一直線に一つのカプセルに向かい、突き刺さる。
『!』
志戸の息を呑む声が聞こえた。
突き刺したカプセルに数本の触手を巻き付けてから、さらにその触手で貫き、表面の虹色の光が消えると放り捨てる。
まるでなにかを吸出して捨てる吸血生物のように見えた。
ミーファのカプセルと似たものが次々と破壊されていく。
初めて見る光景だが、不快だった。
避けようとしたカプセルに触手が突き刺さったかと思うと、動きが鈍ったところに続々と殺到し、無数の穴を穿っていった。
『せいぞんすう、102です』
ファーファが感情の見えない声で報告する。
全くどこの世界の話か、どんな最果ての場景なのかわからない。
ただ、一生懸命お互いにコミュニケーションをとったファーファのカプセルと同じものが、モニタの中で壊されていく。
逃げることしかしない相手に対しての一方的な蹂躙だ。
あのカプセルの中にファーファの仲間がいるのだ。
足元のファーファの姿を見下ろす。
モニタの中でただ壊されていく様をじっと見ていた。
なんとかならないか……。
『もうすぐ転送した武器が届きます』 と少し涙ぐんでいるような志戸の声。
すると、モニタの中で何かが視界を遮った。
緑の幾何学立体の塊より少し大きいくらいの、茶色と白のナニカが横切ったのだ。
※※※
モニタの中に現れた茶色のモノを見て、俺は呆然とした。この日何度目のことだろう。
この茶色の物体。どこかで見た。
あぁ、帰りのバスで見た志戸のスマホカバーだ。
水兵服を着たこぐま。
そのぬいぐるみが宇宙空間に浮かんでいる。
なんだ、これは。
かわいらしいこぐまのぬいぐるみはトコトコと宇宙空間を”走る”と、同じくらいの大きさである敵をポカっっと殴った。
フラフラとした敵をギュッと捕まえると、そのまま抱きつく。敵の発していた緑の光が赤色に点滅し、すぐに消えた。
「ベアハッグだ……」
『スズミにみせてもらったビデオでべんきょうしました』
ファーファが答える。
いや、たしかにクマっぽい攻撃方法だけれども。
モニタには宇宙空間をこぐまのぬいぐるみが走り、ポカポカ殴っているというシュールでメルヘンチックな光景が映し出されている。
『スズミがあらかじめおくりだした、ぶきです。うごきかたと、たたかいかたを、おしえてもらいました』
ファーファが解説する。
ああ、ぬいぐるみだから二本足で走っているんだなあ、と漫然と理解した。
『あの……わたし、武器とかあまりわからなくて……』
いつもの小さな声になっている志戸。
「いや、立派に戦っているよ」
他になんと言えばいいのか……。
始めは敵の不意を打った形で順調に倒していたこぐまのぬいぐるみだったが、なんだか風向きが変わったようだ。
何度か触手で傷つけられてはいたが、腕や足は健在。動きは問題ないが、こちらの戦い方を掴んだかのように敵の残り2体が距離を取ったのだ。
学習能力の高い敵だ。
近づこうとしたぬいぐるみに触手が伸び、その肩を貫く。
『っ!』 志戸の声の無い悲鳴が聞こえた気がした。
『追い付けないよ……どうしよう……また……』 泣きそうな声が漏れてくる。
「どうすれば操作できる?」
『あのクマさんは、おくりだすときにうめこんだイメージをもとに、じぶんでうごいています』
ファーファが淡々と答える。
『いしきをリンクさせているミミなら、ちょくせつしじできます』
なるほど、ミーファが持っていたイメージから自律して動いているわけだ。そこに監督のように作戦を指示するのか。
元々はぬいぐるみだ。ミーファにも素早い動きをするモノというイメージが無かったのは、今までを見ればわかる。急に素早く動けと指示しても無理だろう。特有のかわいらしい動きでは限界がある。
残りは2体。警戒するように並んで固まっている。この動きでは間合いに入る前に正面から一斉に触手攻撃を受けてボロボロにされるだろう。
『アヤトくん、どうしよう……』 志戸の小さな声が届く。
飛び道具は?
いや、志戸が送ったクマのぬいぐるみだぞ。送り出した時にそんなイメージがミーファに伝えられているとは思えない。
ぬいぐるみができそうな基本的な動きで……。
あと少し。目の前の3体は倒せたのに。
3体……あ。
試してみるか。
「ミミ! 今から言うとおりにしてくれ」
『しょうちしました』
「そばに浮いている倒した敵を2個掴め!」
『しょうちしました』 ミミの冷静な声が届く。
「それを敵に向けたまま、全速力で敵に突撃!」
こぐまのぬいぐるみが2個の塊を前に持ちトコトコと走り出した。
敵が反応する。2体のうち1体が触手を伸ばそうと表面を歪ませ始めた。
「ミミ! 1個を敵に向けて投げつけろ!」
ぬいぐるみの動きだ、狙いどおりぶつけられるとは思っていない。当たれば幸い。
案の定、敵の斜め上に飛んでいく。
『ごめんなさい! あたらない!』 志戸の悲鳴。
触手がそれを狙って一斉に斜め上へ伸び、投げつけた元仲間の塊に次々と刺さり絡めとる。
「これが囮戦法!」
その隙にこぐまのぬいぐるみが残りの1体にたどり着いた。ブヨブヨと動く敵。
「そいつはまだ殴るな!」
『しょうちしました』
ワンテンポ遅れたそいつから一斉に触手が突き出る。音は無いが、ガガガという衝撃が聞こえてくるかのように、目の前に構えている元仲間の塊を次々と穿ち、絡め取ろうとする。
「手を離せ! で、今のうちに最初の敵を攻撃! その次に今のヤツを攻撃しろ!」
水兵服のこぐまのぬいぐるみは、触手で絡め取られつつあった塊を放り出すと囮にした塊に集中していた敵を黙らせ、最後に残った敵をベアハッグで動けなくした。
※※※
『アヤトくん、すごい! すごいよっ!!』 志戸の手放しの賛辞が照れくさい。
『『かつてみたことがありません、すばらしいことです』』
ミミとファーファが丁寧にハモる。心なしか興奮しているようだ。
思いきり息を吐いた。ずっと息を止めていたようだ。
「今のは囮と盾。上手くいってよかった」
『ありがとう! アヤトくんにお願いしてよかったよっ!』
アニメで見たことがある戦い方だった。とっさに思い付いたが、上手くいってよかった。
モニタの中のカプセルの数はそれほど減っていない。全滅は逃れたわけだ。
映るカプセル群の表面がキラキラし始めた。虹色が鮮やかになったように見える。感情を見える形で表現できない彼らにとっての何らかのメッセージなのだろう。
『これで、ひとまずは大丈夫だと思うよ。夜遅くになっちゃってごめんなさい』
あぁ、そういえば、夜もだいぶと遅いのか、すっかり忘れていた。
「そうだな、明日にでもこれからの作戦をたてなきゃな」
『ほんとにありがとう! 学校で作戦会議だね!』
嬉しそうな志戸の声を聞いて、助けになったとホッとする。こんなこと一人で半年やっていたのか。
「それじゃ、ファーファ。ここを元に戻してくれ」
『しょうちしました』
壁面のパネルの光が消え、元の壁がスライドされてくる。
正面ドアのモニタが閉じ、操縦捍が折り畳まれて壁面の中に入らず……止まった。
え。
見れば、ファーファが床にへたりこんでいる。
「おい! どうした! 大丈夫か!!」
慌ててファーファを助けあげる。
クタっと力のないファーファを支えながら……どうすればいいんだ!
『たぶん』
ミミの冷静な声。
『ちからをつかいきってしまって』
死んだとか!?
『ねていますね』
よくみると、ファーファの胸のあたりが上下している。しかも表情がない寝顔が気持ち良さそうに見える。
『わたしのいしきを2つにわけたところです。ちからがよわいのです』
驚かせるなよ、まったく。
『ほんと今日は大変でしたもんね、ファーファにもありがとうって伝えてください。それじゃ、おやすみなさい』
志戸の声がトイレに流れた。
まあ、バタバタと目まぐるしかったからな、俺もクタクタな位だしこいつも疲れきったんだろう。
異星の中で新しい異星人に会って、4時間もケンケンガクガクしたあげくにシステムセットだ戦闘だ。こんな小さい身体だ、そりゃ疲れもするだろう。
ファーファをゆっくり胸ポケットに入れてやる。
「あにきー! あにきーーっ!! だいじょうぶーーっ?」
心配そうなそらの声がドアの向こうから聞こえる。
忘れていた、ここはトイレだった。
「ああ、だいじょうぶ」
「! ……い、いったいなにしてるのかと思ったら! 何十分も出てこないしっ!」
急に刺々しい声に変わる。心配してるのか腹をたてているのかどっちなんだ、お前は。
「だ、だいじょうぶならいいんだけど……薬、キッチンのところに置いておくから……その、変なもの食べさせちゃってごめん」
あぁ、あの超ハイブリッド丼のことだな。確かに食い合わせもなにもあったもんじゃなかったからなあ。
「気にするな、大丈夫だから」
「……明日、トーンの散歩、私が行くから」
悪い気はしたが、ここはこのまま誤解させておいた方がよいな。
さてと、色々あったが風呂に入って、寝るか。
あ。
床に転がっているトイレットペーパーを踏みつけた。
あーーーーッッ!!
中途半端に収まったトイレットホルダー。半分開いた正面ドアモニタ。
「ファーファ! 起きろ!! とにかく、これを何とかしてから寝ろっ!!」
今日、我が家に1つだけのトイレが秘密基地になった。
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