願いは戦火の先に

空桜歌

契約

 太陽の光が届かない部屋を燭台の光がゆらゆらと揺らめきながら照らしている。

 薄暗いこの部屋の棚には部屋の主である彼女――レイアが集めた呪術道具が整然と並べられていた。

 何かの生物の剥製。揺らめく光に照らされ輝く銀の粉が入った瓶。魔法に疎い俺ですらわかる妙な魔力を放つ物……そういった類の様々な物が並べられたこの部屋は、正直言って不気味だ。



「……準備できたわよ」


「わりーな、わざわざ」


「あなたじゃできないでしょう」


「そりゃそうだ」



 眉間に軽く皺を寄せて不機嫌を露わにする彼女に軽く笑って返し、俺は一呼吸して部屋の奥へと視線を向ける。

 部屋の奥にある少し広い空間。そこには霊山の雫と呼ばれる果実や、火山に眠る魔物の牙など、色々な物を燃やしてさらに俺の魔力を込めた灰で描かれた魔法陣が描かれていた。

 それを構築するのは神と悪魔が戦いを繰り広げたという時代の文字が中心らしいが……俺にはさっぱりわからない。

 にしても、俺が頼んだ物だけど、よくこんな細かい物を描けるよなぁ。俺がやったら確実に間違えてる。



「んじゃ、さっそく」


「……確認するけど、本当にする気なのね?」



 一歩踏み出した俺に、レイアは真剣な表情で引き止める。

 言いたい事はわかってる。

 自分がしようとしている事の重大さも。



「覚悟はできてるさ」



 例え誰に何を言われようと俺の意志は変わらない。

 これぐらいしか、俺ができる事は無いんだから。



「そう……ならもう止めはしないわ。やり方はわかるわよね」


「おう」



 レイアが頷いたのを見てからまた一歩踏み出す。

 彼女は部屋の中にいてくれるのか、少し後ろで立ち止まる気配を感じた。


 魔法陣に近付くと灰に込めた俺の魔力と共鳴しているのか、魔法陣が青白く輝き出す。

 それと同時に辺りに漂い始めた魔力の濃さに息を飲んだ。

 まるで焼け落ちる家の中に取り残されたあの時のようだ。

 重くまとわり付くようなその魔力に、指一本動かせなくなる。



「深呼吸をしなさい。魔力を整えて、意思を強く」



 身体が思うように動かせず、内心焦っていると後ろから落ち着いた声が聞こえた。

 それに従いゆっくりと息を吐き、事前に教えてもらっていた通りに魔力を整える。

 魔力を整えるとさっきの身体の重さが随分ましになったようだ。

 また魔力に捕らわれないように意識しながら、魔法陣に近づいて行く。



 思い出せ、自分が何のために力を求めるのかを。

 俺には力が必要なんだ。



 魔法陣の前に立ち、腰に提げていた鞘から剣を少し抜き、自分の手のひらを軽く切る。

 血が溢れてきたのを確認してから剣を直し、魔法陣に血を垂らした。

 一滴、二滴と血を吸った魔法陣はその光を赤黒く染め、漂う魔力もさらに濃くなっていく。


 ここまで来て詠唱を間違えるわけにはいかない。

 ここが正念場だ。



「―――─深淵が姿を見せる時、魔に堕ちた聖女は笑う。

 神により灼熱の鎖に繋がれ、永遠(とわ)の炎を奪いし者は神の如き力を得た。


 悪しき心に染まりし守護者よ。

 全てを嘲笑う黒炎よ――


 ―─我、力求めし者!

 我が魂を糧に汝の力を求めん─―――!」



 詠唱を唱え終えると同時に魔法陣が強烈な光を放つ。

 そして魔法陣の中心から黒い炎が燃え上がり、黒炎は俺の前で徐々に人の形を成していく。



『妾を呼んだのは貴様か』



 黒炎からゆったりとした女の声が聞こえる。

 その声はどこか愉しげな声で、まるで笑っているように思えた。


 黒炎が完全な人の形を成すと、紅い瞳が開きこちらを見た。



『現世はいつ以来か……よく妾を呼び出せたな人の子よ。誉めてやろう』


「……俺と契約してほしい」


『そう焦らずともよい、妾はこうして召喚に応じたのだからな』



 黒炎はゆるりと笑い、声と同じようにゆったりとした動きで腕をこちらに伸ばしてきた。

 炎に焼かれる熱さは無いが、放たれる強い魔力に冷や汗が背中を伝う。



『さて……力を求める人の子よ。貴様はなぜ力を求める?

 なに、力を与えるのは妾だ。自分の力の使い道を知りたくなるのは仕方なかろう?

 さぁ人の子よ、気負わず話してみよ』



 気負わず、と言っているが溢れ出る威圧感に直感する。

 ここで下手なことを言えばどうなるかわからない。


 ──それでも、俺に言えるのは真実だけだ。



「俺は……革命軍に参加している。

 この国の国王や貴族たちの大半が腐りきっている。

 このままじゃこの国は終わりだ。その前になんとかしなきゃならない。


 負けることは許されない戦いだ。

 国民や国のために剣を掲げてくれた殿下のためにも、何としても勝たなきゃならない。

 革命を成功させるために、正しき王を得るために……この戦いに勝つために──あんたの、悪魔の力を借りたい」



 俺の言葉を聞き、悪魔は笑みを深めた。



『……人は相変わらず争う……まぁよい。

 しかしわかっておるのだろうな?悪魔である妾との契約の意味を』


「……契約が果たされれば、俺の魂はあんたの物となる、だろ?」


『その通り。貴様の魂は妾の物となり、未来永劫解放されることは無い。

 妾の下僕としてやっても良いし、妾の炎でじわじわと死よりも苦しく焼いても良いのぅ……。

 どのみち貴様は永遠の苦しみに囚われるのだ。それでも構わないと? か弱き人の子が?』



 悪魔は心底おかしそうに笑った。

 だが、その紅い瞳は俺を通して俺ではない何かを見ているように空虚だ。




 悪魔との契約。

 それは魔物と交わすような普通の契約魔法とは異なる。

 悪魔と契約すれば凄まじい力を得るが、その変わりに大きな代償を払う事となる。


 過去に悪魔の力を得た者によって国が滅びた事もあると言われている程の力。

 そのため禁忌とされ、悪魔との契約が書かれた書物は多くが処分され、残っていてもどこにあるのかはほとんど知られていない。


 代償は悪魔によって変わるらしいが、この悪魔は契約者の魂。

 契約が果たされれば契約者の魂は契約した悪魔の物となり、悪魔の好きなようにされるだろうと記されていた。

 人一人の命で済むなんてまだマシな方なのだとレイアは言っていた。



 悪魔と契約する者なんて全くいない。

 いたとしても人々は悪魔を忌み嫌うため、契約した事が誰かに知られればどうなる事か。



 それでも。



「構わない。俺にあんたの力を貸してくれ」


『……いいだろう、貴様が求めればいつでも力を貸してやろう。

 妾の持つ黒炎を貸してやろう。

 契約は……貴様の戦いが終わりを迎えたその時に果たされる。

 その時、貴様の魂は妾の物となるだろう。


 ──さぁ、名を捧げよ』



 悪魔がそう言うと、俺を中心にレイアが描いてくれた物とは若干違う、赤黒い魔法陣が現れた。

 おそらくこれが契約の魔法陣というやつだろう。



 もう後戻りはできない。

 ならば、揺らぐことの無い俺の決意を込めて、この名を捧げよう。


 深く息を吸い、悪魔を真っ直ぐ見据えて口を開く。



「俺の名はセオルド──セオルド・ノーティス!」



 直後、魔方陣から黒炎が吹き出し、次々と俺に襲い掛かってきた。

 思わず腕で庇うが熱さも痛みも無く、何かが当たる衝撃と共に俺の身体の中へと吸い込まれるように消えて行った。


 どういう状態かわからず困惑する俺に、目の前の悪魔は恐ろしいほど綺麗な微笑みを浮かべる。

 そして悪魔は俺の周りをぐるっと一周してから、形の無い黒炎となり俺の身体を包み込んだ。



【我が名はアヴァルディオ・ティフィジア・カレン。

 我が名を明かすは貴様のみ】



 あの悪魔の声が響く。

 さっきまでとは違い、俺の中からあの悪魔の声が響く。



【我が名を誰かに明かしてみよ。

 契約に反したとして、すぐさま貴様の魂を奪ってやろう】



 愉し気な声が俺の中で響く。



【妾の力を必要とするときは妾を呼べ。

 妾は貴様の魂の中に宿っておる】



 名を呼ぶなって言われているのに呼べって無理がある。

 黒炎に包まれたままだというのに、俺は案外落ち着いているらしい。

 悪魔は一瞬黙ってしまったが、すぐに笑いだした。



【では好きなように呼ぶがいい】



 俺の中にいるからか、俺の考えていることがわかるらしい。

 反対に俺にはわからない。ずるくね?

 なぜ笑うのかはわからないが、悪魔と呼ぶのもなんだか嫌だな。

 勝手に呼び名を決めてやろう。



「……なら、アディって呼ぶぞ」


【あいわかった、我が主】



 きっとさっきと同じ、恐ろしいほど綺麗な笑みでも浮かべているんだろう。

 悪魔もとい、アディはわざとらしくそう笑う。

 そんなアディとのやり取りが終わると、俺を包んでいた黒炎が俺の左胸の辺りに集まり出した。



【契約の刻印を刻むゆえ、少々痛むぞ】


「つっ!?」



 左胸に集まっていた黒炎が少し離れたかと思えば、勢いよく俺の左胸にぶつかってきた。

 黒炎がぶつかった場所が異常に熱い。

 左胸を中心に身体中を焼かれている感覚だ。



「がぁぁっ……!!?」


【すぐに済む、耐えろ】



 少々じゃない、少々じゃないぞこれ。

 なんとか耐えようと最も痛む左胸を左手で掴み、歯を食いしばり痛みを必死に耐える。


 耐えろ、とにかく耐えろ、俺頑張れ。


 耐えろ耐えろと自分に言い聞かせ続け、ようやく痛みが治まった頃には、俺は地面に倒れ、息も絶え絶えな状態だった。

 実際に数秒の事だったろうが、俺には何十秒もの事に思える。少々じゃねぇよ、これで少々なわけない。



【さて、契約は正式に結ばれたぞ】


「……そう、か……」



 なんとか息を整えようとしながら周りを見ると、契約の魔法陣は消えていて、レイアに描いてもらった魔法陣も消えていた。

 そういえばレイアはどうしたのか。

 彼女がいた場所に目を向けると、彼女は床に座り込んでいた。


 心配になり慌ててレイアの所へ行こうと立ち上がると、左胸に痛みが走る。

 貫くような痛みに思わず息を詰め、再び地面に倒れるが、それでも先ほどの痛みに比べればマシな痛みだ。



「大丈夫か!?」



 傷む左胸を抑えつつ体勢を立て直し、レイアに駆け寄って顔を覗き込む。

 深い紫色の髪から見える顔色は酷く青白い。



「……溢れた魔力に当てられただけよ……あなたこそ大丈夫なの?」


「なんとかな……ちょっとふらつくけど」


「そう……」



 どうやら契約の際、とても強い魔力が魔法陣から溢れだしたらしい。

 咄嗟に結界を張ってくれたため、契約の事は誰にも気づかれず済んだはずとの事。


 仲間に知られると不味いので助かったが、レイアは結界の中にいたため魔力に当てられたようだ。

 床に座らせたままなのもあれなので、レイアを抱きかかえ、近くの椅子にゆっくり降ろす。



「……契約はできたようね」


「あぁ、レイアのおかげでな。本当にありがとう」


【主よ、この娘は何だ?】



 レイアを椅子に座らせるとほぼ同時、不思議そうなアディの声が俺の中で響いた。

 契約の事を知っている様子に疑問でも抱いたのだろう。

 話しても良い物か悩んでいると、アディは危害を加えたりしないと告げた。


 とりあえずレイアに聞けば「構わない」とのことだった。

 むしろ悪魔と話してみたいと言われた。

 そうだよな、お前ならそう言うよな。うん。



「ならばこれでよいかな」



 アディにレイアを紹介しようと思った瞬間、唐突に俺の中からではなく背後から声が聞こえた。

 振り向くとそこには人の形をした黒炎のアディではなく、紅い瞳の女がいて、咄嗟に剣に手をかけた。


 女は白く長い髪に、黒を基調とし金の刺繍が施されているローブをまとい、俺とレイアを見比べている。

 先ほど聞こえた声はアディだった。

 この部屋には俺とレイア、そしてアディしかいないはずだ。



「もしかして、アディ……か?」


「妾ほどの悪魔であれば、契約さえされていれば実体化など簡単にできるぞ」


「これが……!」



 背に庇ったレイアの声にそちらをちらりと見れば、僅かに興奮しているのか黒い瞳を輝かせてアディを見つめている。

 あー喜んでるとこ悪いが動くなよーお前魔力に当てられて座り込んでたばっかだろー。

 そしてアディ、勝手に実体化するな。俺が驚くから。



 俺の考えがわかったのか、アディは手で口元を隠し、嘲笑うように笑みを浮かべた。



 これ、色々と決め事しねぇと後で大変な事になる。

 俺はすぐにそう悟った。




 軽くレイアの事を紹介した後、俺もレイアも酷く疲れていたので詳しい話はまた後日となった。

 アディにはしばらく許可なく行動を起こさないよう頼み、俺の中に戻ってもらう。


 アディの事はレイアにも相談したほうがいいだろうなぁ。

 俺だけじゃ見落とすことも多いだろうし。



「あぁそうだ、レイアになんか礼をしねぇとな。なにがいい?」


「……必ず勝ちなさい」


「そりゃ勿論」


「ならそれで十分よ」



 机に置かれていた悪魔の契約が書かれた本を手に取ったレイアは、少しうつむいてその表紙をそっと撫でている。

 レイアの表情はその紫の髪で俺からは窺え無いが、恐らく暗い表情をしているだろう。



 彼女から聞いたそれを手にここへ来た経緯を思い出す。

 聞いた限り、それを彼女に託した人は、彼女に悪魔を召喚させるために託したわけではないのだから。


 ──俺は戦う事でしか彼女達にこの恩を返せないだろうなと改めて思った。



「……協力してくれてありがとな」


「……別に、自分のためよ」



 俺の礼に対し顔を上げたレイアは、いつものように無表情でそう言った。

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