失恋とそれにまつわるエトセトラ

旅人

第1話 訣別とそれにまつわるノスタルジー

 君津清顕が大学院に進学したのは、2018年の4月のことだった。それから半年が経った今、清顕は本郷の自宅アパートで布団にくるまって無気力にスマホを弄っている。2階にある彼の部屋の外では、しつこい雨が世界を濡らし、部屋の中までそのねっとりした空気を忍び込ませていた。湿っぽい部屋の中は散らかっていて、質素な机の上には食べ終わったカップ麺の容器が2つ、雑に置いてある。写真立てや花瓶の類は一切なく、レーザープリンタと数冊の洋書、それに紙パックのお茶がカップ麺の容器の周りに短い影を落としていた。ベッド脇にはスリッパが1足置いてあるが、片方ひっくり返ったままだ。ゴミでほぼ一杯になっているゴミ箱には、なぜか真新しいスリッパが1足、乱暴に突っ込んである。


 清顕は以上のようなアパートの片隅に横になって、Twitterをスクロールしながら窓の外を忌々しげに睨んだ。別段、外に出かける用事も気力もないのだが。壁の時計が音もなく数分を刻んで、ふと、無精髭を手の甲で擦りながら液晶画面を睨んでいた清顕の手が止まった。画面には、向日葵の花をプロフィール写真にしたアカウントが表示されている。かすみちゃん、と書かれたそのアカウントには、投稿が数百件しかなかったが、鍵付きではなかった。震える手でスクロールすると、他愛もない大学での出来事に混じって、こんな投稿があった。


「今日は悲しい別れがあった。でも、『精神的に向上心のないものは馬鹿』だそうなので、私と別れてあの人はせいせいしているだろう。私もひとりに成れてよかった」


 2018年10月9日の日付があるその投稿は、見る間に涙で霞んで見えなくなった。清顕はスマホを布団に投げ出すと、声を上げて泣いた。


 しばらくしてベッドから起き上がった清顕は、その辺りにあったタオルで涙を拭き、鼻をかんで手を洗うと、クローゼットを開けて大事そうに女物の薄いセーターを取り出した。それに顔を埋め、ゆっくりと息を吸い込む。甘い香りが、かすかに鼻腔を刺激する。そうやって霞の、1週間前に出て行った彼女の忘れ物を抱きしめて、その温もりを、その暖かな吐息を、そのゆるやかにカーヴした長い黒髪を、その胸の柔らかなふくらみを、その全てを今一度脳裏に思い起こして、彼はそのセーターを、震える手で躊躇いなくゴミ箱に捨てた。


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