昼ビール 二

 それは居酒屋でトイレに立った際の出来事である。


 通路を歩いていると、後ろから名を呼ばれた。


「佐々木、ちょっと話があるわ」


「なんでしょうか?」


 星崎さんがこちらを追いかけるように、駆け足でやってきた。


 二人静氏と個室で二人きりは、やはり抵抗があっただろうか。その気持ちは分からないでもない。自分もなるべく彼女とは距離を設けたいもの。ピーちゃんが不在のタイミングなど、否応なしに気張ってしまう。


「昨日はドタバタしていて、お礼を言えていなかったから……」


「お礼?」


「私は二人静のエナジードレインを受けて、途中で意識を失ってしまったわ。けれど、貴方は最後まで現場に残って、私とターゲットを回収してくれたでしょう。そのお礼をしていなかったから」


 思い起こせばボウリング場での一件も、仕事終わりにお礼をしたいとのことで、食事に誘われた覚えがある。


 こう見えて星崎さんは、意外と律儀な性格の持ち主なのかもしれない。


「いえ、二人一組で臨んでいたのですから、当然の仕事ですよ」


「そうだとしても助かったわ。あの状況で二人静に協力を要請の上、魔法少女を撃退するなんて思わなかったもの。航空機の墜落も対象を止められなかった私の責任よ。佐々木が上手く取りなしてくれたおかげで、私はこうして仕事を続けていられるわ」


「課長から何か言われましたか?」


「佐々木に感謝するといい、と言われたわ」


「そうですか」


 あれは星崎さんの為というより、自分の為であった。ただ、それで救われた人が他にいるというのであれば、素直に喜んでおくとしよう。相手が仕事でチームを組んでいる相棒ともなれば尚のこと。


「ただ、あれは偶然の産物ですから、そう改まる必要はないかと」


「そうなの?」


「ええ、そうなんです」


「けれど、仮に偶然であったとしても、私が助かったのは事実だわ」


 お礼は嬉しいけれど、これ以上は話しているとボロが出そうで怖い。


 一方的に申し訳ないけれど、この場は話題を替えさせてもらおう。


「ところで私も星崎さんに伺いたいことが」


「なにかしら?」


「星崎さんの能力は液体の操作と窺っていますが、その対象として、生きた人間の体内に存在する体液は含まれないのでしょうか? たとえば相手の肌に触れて血液を操ることができれば、二人静さんの能力に匹敵するのではないかと思いまして」


「血液を体内から取り出した上で触れれば、操ることは可能だわ」


「やっぱり肌の下にあると無理なのでしょうか?」


 もしも可能なら、二人静氏に対しても十分な牽制になる。


 彼女も相手の身体に触れなければ力を発揮できない都合上、最悪でも相打ちに持っていける。まさかそこまでして星崎さんをどうこうするとは思えないので、少なくとも彼女の安全は保証される、などと考えたのだけれど。


「佐々木が語ってみせたようなことは、過去に何度か挑戦しているけれど、上手くいった試しはないわね。同じようなケースで、地面に染みてしまったり、蒸発してしまっていたりすると、やっぱり操ることができないわ」


「なるほど」


 以前から気になっていたのだけれど、やっぱり無理らしい。


 できたらできたで怖いけれど。


「ただ、いつかは操れるようになりたいものね」


「なれるんですか?」


「さぁ? けれど、能力は使っているうちに伸びることがあるわ」


「そう言えば局の研修で、そんなことを学んだ覚えがあります」


 異能力者は新しい能力に目覚めることがない一方で、既存の能力を開発することができるそうだ。ただし、その為には類稀なる努力が必要だとか、自身の能力に対する深い理解を要するだとか、色々と面倒臭そうな説明を受けた。


 戦闘狂の星崎さんのことだ、きっと日頃から鍛錬していることだろう。


「ところですみません、トイレに向かわせて頂いても……」


「え? あ、あぁ、呼び止めてしまってごめんなさい」


「いえ、それでは失礼しまして」


 適当なところで話を切り上げて、嘘つき野郎はトイレに駆け込んだ。




◇ ◆ ◇




 その日、昼飲みを終えた我々は星崎さんと別れてホテルに戻った。


 二人静氏が押さえてくれた一室だ。


 星崎さんは我々の状況を確認したことで、居酒屋ランチを終えると局に戻っていった。ホテルではピーちゃんが一緒なので、こちらとしては幸いだ。彼女の面前、彼に文鳥のふりを強いるのは、飼い主として心苦しい行いである。


 残すところ問題は異世界へのショートステイ。


 課長との面談はほぼ想定通りに終えられたので、自身もピーちゃんと合流して、自宅に直帰としたい。これで二人静氏も局の看板を背負えるだろうし、元同僚に襲われる可能性も低下することだろう。


「さて、それでは我々はこれで失礼しますね」


 ピーちゃんの収まったケージを片手に伝える。


 すると返ってきたのは待ったの声だ。


「もう帰ってしまうのかぇ?」


「嘱託とはいえ採用は採用です。大手を振って古巣に移籍を訴えて下さい」


「個人的には局の人間と恋仲だとか、より濃密な噂を流したいのぅ」


 それだと我々まで被害が及んでしまうじゃないの。


 まさか許容などできない。


 しかし今後、異世界の金銀財宝を売り捌いてもらうことを考えると、彼女の信用を得る上で何かしら、能動的な手助けは必要だろう。こちらの都合ばかりを押し付けても、良好な関係は決して築けない。


 我々と長期的に付き合うことが、利益になることを示さなければ。


 そして、この手の駆け引きに関しては、相手に圧倒的な分がある。亀の甲より年の功というやつだ。下手に策を巡らせるよりも、この辺りは真摯に向き合うべきだろう。物欲しそうに笑みを浮かべる女児の姿を眺めて、そんなふうに思った。


「魔法少女のマジカルフィールドはご存知ですか?」


「うむ、あのどこへとも移動できる不思議な魔法じゃろう?」


「何かあったらすぐに、こちらのホテルまで駆けつけましょう」


「本当かぇ?」


「ええ、お約束いたします」


 ピーちゃんに視線を向けると、彼は小さくコクリと頷いてみせた。


 緊急時、瞬間移動の魔法をお願いするのに当たり、これで事前の承諾は得られたと考えてよさそうだ。彼も彼で目の前にぶら下げられた世界間貿易のゴールに、シャトーブリアンの幻影を見ているのだろう。


 居酒屋からの帰り道、お土産に買って帰った肉の塊が効いている。計二キログラムの希少部位は、経費でなければ絶対に手が出せない。昨年納めたの住民税と所得税を、まとめて取り返した感がある。


 自分の決裁権で好き勝手に飲み食いできるって最高。


 しかも財源は税金。


 世の中から汚職がなくならない理由を実感した。


「お主は局の人間にしては、存外のこと面倒見がいいのぅ」


「他に局員に知り合いが?」


「それは秘密じゃ」


「そうですか? まあ、そういう訳で我々は失礼しますね」


「うむ、今後ともよろしく頼むぞぇ」


 ニコリと微笑む彼女に会釈を返して、我々はホテルを後にした。

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