戦場 二
敵兵が駐屯していた草原地帯とは異なり、地上には木々の茂りが窺える。草原に隣接した森林地帯だ。上手く木の枝をクッションにできれば、などと考えたけれど、まるで生きながらえる未来が見えてこない。
もっと他に能動的なアクションが必要だ。
「……あぁ、そうだ」
たしか手から水を出す魔法があった。
あれを全力でダバーっとやれば、どうだろう。というか、この期に及んでは迷っている暇もない。即座に魔法を行使である。本来であれば飲み水を出すような魔法だけれど、これを放水車さながらのイメージで撃ち放つ。もれなく無詠唱。
すると地上を数十メートル先に控えて、大量の水が吹き出した。
その先端が地上へ達すると同時に、落下の速度が著しく低減する。
内蔵が下から上に持っていかれる感覚。
まるでジェットコースターにでも乗り込んだかのような圧が全身に掛かる。一瞬、意識が飛びそうになった。これを堪えつつ、継続して地上に向かい水を吐き出し続ける。傍から眺めたら、きっとロケットの発射風景の逆再生さながらだろう。
数瞬の後、全身が水に包まれた。
空から地上に向けて放った流水に、自身の身体が追いついたようである。ざぶんと身体が水に浸かる。その直後に両足が地面を捉えた。どうやら木々は流水に押されて倒れてしまったようで、葉や枝に身体を引っ掻かれることはなかった。
ややあって、水が他へと流れていく。
自重が両足に掛かる感覚と共に、視界がひらけた。
「死ぬかと思った……」
どうやら無事に着地できたようである。
全身びしょ濡れだけれど、まあ、こればかりは仕方がない。命があっただけ良しとしよう。それなりに高いところを飛んでいたことが幸いした。そうでなければ、魔法を使う間もなく激突していたことだろう。
そうこうしていると、頭上から炸裂音が聞こてきた。
ズドンと腹に響くような音だ。
「…………」
空を見上げると、そこでは炎がぶわっと広がっていた。
まるで雲のように、赤い色の炎が空に広がる様子は圧巻だった。というか、そのまま熱いものが落ちてきて、自分は死ぬのではないかと危惧するほど。ただ、幸い炎は散り散りとなり消えて、地上を焼くまでには至らない。
我々を狙い撃った人物とピーちゃんの間で、突発的に争いが発生したのではなかろうか。しかも彼ほどの人物が、こちらに気を使う余裕さえなかった点から、かなり厄介な相手であると想像される。
どうしよう。
ピーちゃんを助けたいという想いは強いが、空に上がる手立てがない。
しかも下手に近づいたら、むしろ足を引っ張りかねない状況である。
そうして悩んでいると、不意に名前を呼ばれた。
「そこに見えるのは、まさかササキ殿か?」
「え……」
予期せぬ出来事を受けて、肩がビクリと震えた。熱いものにでも触れたように、とっさに声の聞こえてきた方に注目する。すると木々の合間から、こちらを見つめるミュラー子爵の姿があった。
一帯は自分が撃ち放った水を出す魔法の影響で、木々が倒れ流されてしまっている。周囲数メートルほどは見通しもいい。おかげで薄暗い夜であっても、こちらを補足することは容易だっただろう。
「ミュラー子爵。このような場所でお会いするとは奇遇ですね」
「どうして貴殿がここに……」
「少しばかり面倒なことに巻き込まれてしまいまして」
まさか素直に説明する訳にはいかない。
これまた大変なことになった。
そもそもミュラー子爵は亡くなったのではなかったのか。副店長さんがそのように言っていた。けれどこうして眺める彼は、そこかしこに血液が付着しており、満身創痍を絵に描いたような出で立ちではあるが、ちゃんと自らの足で立っていらっしゃる。
また彼の傍らには、十代中頃から後半と思しき青年の姿が。
「ミュラー子爵、そちらのお方は……」
身に付けている衣服が、子爵様よりもお高そうである。
ただし、こちらも彼に負けず劣らずボロボロで血塗れだ。身に付けた衣類もそこかしこが破れたり解れたりしている。取り分け酷いのが腹部で、脇腹の辺りが血液によってどす黒く汚れていた。
一人で歩くことも辛いのか、ミュラー子爵に肩を貸してもらい、辛うじて立っている、といった体である。おかげで表情も苦しそうなものだ。眉間にはシワが寄っており、顔色もかなり悪いものとして映る。
「ヘルツ王国の第二王子、マルクス様だ」
「なんと……」
まさか王族の方とは思わなかった。
どうりで子爵様が必死になって支えている訳である。
「ミュラー子爵、この者は?」
「私の領地で商売をしている異国の商人でございます」
「商人がどうしてこのような場所にいる? しかもこの有様はなんだ」
水浸しとなった一帯を眺めて、王子様が言う。
当然の反応だと思う。
王子様という役柄、きっと色々と想像していることだろう。ミュラー子爵のお家でさえも、世継を巡って暗殺騒動が起こるくらいだ。王家ともなれば、その比ではないのではなかろうか。想像するだけで気が滅入りそうである。
「……すみませんが殿下、それは私にも判りかねます」
「…………」
自分のことながら、怪しいにも程がある。森を抜けた先には、敵国の兵が枚挙しているのだから、間諜を疑われても仕方がない状況だ。こうして同所を訪れるだけでも、命がけの所業と思われる。
ただ、そんな怪しい中年野郎に対して、ミュラー子爵は言葉を続けた。
「ですが、決して敵ではありません」
「……本当か?」
「はい」
淀みのない態度で語ってみせる。
この土壇場でここまで信用してもらえるとは思わなかった。おかげでとても嬉しい気分である。そう多く言葉を交わした覚えはないのだけれど、彼のこちらを見つめる眼差しは、普段と何ら変わらないものであった。
だからだろうか、気づけば自然とこちらも会話を続けていた。
「ミュラー子爵、もしよろしければ、殿下の具合を診させて頂いてもよろしいでしょうか? これでも多少は魔法に覚えがございまして、場合によってはお力になれるやもしれません。いかがでしょうか?」
「まさか、ササキ殿は回復魔法を使えるのか?」
「そう大したものではありませんが、多少であれば」
「そういうことであれば、是非とも頼みたい!」
ミュラー子爵の承諾を受けて、中級の回復魔法を試みる。
初級であれば、つい先日、無詠唱で行使できるようになった。しかし、中級については詠唱を必要とする。両腕を王子様に向けて突き出しつつ、それなりに長い呪文をブツブツと唱えて見せる。
対象の足元に魔法陣が浮かび上がった。
そこから光が立ち上ると同時に、王子様の表情が一変した。
「っ……い、痛みが消えていく……」
魔法陣が浮かんでいたのは数十秒ほどである。
過去、野ネズミなどを相手に練習した経験から、これくらいで大丈夫だろうと、適当なタイミングで掲げた腕を下ろす。これを受けて地面に浮かんだ魔法陣は消えてなくなり、輝きも失われた。
「いかがでしょうか?」
「……素晴らしい腕前だ。あれほどの怪我があっという間ではないか」
「どこか痛む場所はありますか?」
「いや、完治したようだ。この調子であれば、まだまだ歩けそうだ」
身体の具合を確認しつつ、王子様は元気に返事をしてみせた。
ペラっと捲られたシャツの下からは、細マッチョな腹筋がお目見えである。顔立ちに優れている上に、肉体美にも恵まれていらっしゃるとは羨ましい。日常的に鍛えているだろうことが容易に窺える身体付きだった。
「まさか、これほどの回復魔法を行使してみせるとは……」
「お褒めに頂き恐縮でございます」
「ミュラー子爵も癒やしてやってくれないか? 怪我をしているのだ」
「承知しました」
王子様の言葉に従い、今度は子爵様をターゲットにして回復魔法を放つ。顔や指先など、目に見えている部分はすぐに癒えた。ただ、肉の下で骨など折れていては大変なので、今し方と同様に数十秒ほど、十分な時間を掛けて治療に当たる。
しばらくすると、ミュラー子爵から声が掛かった。
「その程度で大丈夫だ」
「そうですか? では」
自己申告に従い、回復魔法の行使を終える。
そうした一連のやり取りも手伝ってだろう。出会って当初の顰めっ面はどこへやら、王子様のこちらを見つめる表情は、幾分か穏やかなものに変わっていた。おかげで落ち着いて会話ができそうである。
「ササキと言ったか? この度は助かった。礼を言う」
「いえいえ、滅相もありません」
「戦場からほど近い森で我々と出会ったことも、追求を控えておこうと思う。その方にはその方の仕事があったのだろう。ただ、そこで代わりと言ってはなんだが、共にこの場を脱する為、我々に協力してはもらえないだろうか?」
ピーちゃんと別れたことで、自身もまた渦中の身の上となる。彼との合流が困難となった現状、王子様やミュラー子爵と協力して危地を脱するというのは、非常に魅力的な選択肢だ。大半が失われた敵国の兵も、どこかに残党が潜んでいるかも知れない。
「承知しました。是非お供させて下さい」
そんなこんなでイケメン二人とパーティーを組む運びとなった。
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