夏風越しの(なつかざこしの)

@SyakujiiOusin

第1話第1章から12章まで

  夏風越の(なつかざこしの)

百神井 応身神


信州飯田の背面に、風越山と呼ばれる山が

ある。越すというのは、なにを意味する言葉

なのであろうか。近頃は、「ふうえつざん」

と読むことも多い。


春爛漫である。揺れ動く風に乗せて校庭脇

の枝垂れ桜が、花びらを夥しい便りのように

して、新入生たちの頭上に天もがこの日を祝

っているかの如く降りそそいでいた。

 よく晴れて暖かな校庭での入学式典が終わ

り、それぞれの決められた教室に引き上げる

列の両側には、部活動への勧誘のための上級

生たちが並び、これと目をつけた新入生を取

り巻いて、盛んに入部を誘うというよりは半

ば強制的に迫っていた。

 そんな中に、長身白皙、静かな雰囲気の生

徒がいて、剣道具を身に着けた堂々たる体躯

の四~五人に囲まれていた。

「お前、剣道部に入れ。」「・・・」「わが

部は、インターハイで度々優勝を果たしてい

る伝統ある部だ。お前は見所がある」有無を

言わせぬに近い勧誘であった。何をもって見

所と言っているのかの説明はない。

 その傍らを、琵琶の木刀を肩に担いだこれ

も新入生が通り抜けながら嘯いた。

「腕を見てから返事をしたほうがよいぞ」あ

からさまな挑発であった。

 これを聞いた部員たちが色めきたった。

「なにっ!生意気な。ちょっとこっちに来

い」

「ふん、これしきで気色ばむようじゃ、腕の

ほどは知れたものだ。初段くらいはもらえた

か?」

 言い放つと同時に、肩に担いでいた木刀で

無造作に空を縦に薙いだ。木刀とも思えぬ、

空気を切り裂く凄まじい刃音であった。

 先輩たちとの間に音を立てて落ちてきたも

のがあった。先程らい空高く弧を描いていた

鳶であった。

 気勢を殺がれたというばかりでなく、格段

の腕の差を見せつけられた思いで先輩たちは

青ざめた。

 入部を迫られていた数馬は、どこかで以前

に確か見たような光景であると思ったのであ

った。風に溶けたかのように遠く霞んだ記憶

であった。同時に、自分の名が数代を繰り返

して午年に生まれたからついた名なのかと、

なぜかふとそんな思いが頭に浮かんだのでも

あった。

 後に、彼が数馬に語った。「校門の前の石

垣を組んでいる石屋が、でっかい石をハンマ

ーの一振りで真っ二つに割っているのを見た

ことがあるだろう?」「うん」「あれと同じ

さ。石屋は石の目を読んでそこにハンマーを

当てるし、俺は風の目を読んで、そこに木刀

の刃先を入れるだけのことさ」

 青嵐に山々が揺れ動くのは、まだまだ数ヶ

月は先のことである。


 信州飯田、堀大和守一万七千石の城下町は

朧月に濡れてボウと滲み、辺りは総てひっそ

りと眠っているかに見えた。十代親寚(ちか

しげ)が外様ながら幕府の要職につき、若年

寄としての功によって加増を受け二万七千石

となったのも束の間、老中格として水野忠邦

の「天保の改革」を助けたという失政の責め

により減封され、現石高となったのである。

 十一代親義の元治元年、遠く北の地で、三

月末に争乱が勃発した時節柄でもあり、余人

にはそれと知れずとも、微かに異様な気配が

運ばれ映っているかの如き妖しい光を月に感

じとって、隼人は眉を顰めた。

「うむ、六回か。随分手加減したな。それで

もそなたが居れば何が来ようと心配あるまい

よ」白髪白髭、藜(あかざ)の杖を片手に仙

人然、傍らに並んで静かに佇んでいた庄兵衛

が呟いた。目の先、肩の高さほどに撓った竹

の葉先から、夜露がキラッと光って地面に落

ちるまでの間に刃を切り返してその露の粒を

斬リとばした回数を言ってみせたのである。

刀が鞘を離れたわけではない。気合だけのこ

とではあった。

 背後に暗く迫る風越(権現)の山の端が翳

んでいた。

 余談ではあるが、仙人の杖というのがある。

ご存知の通り、杖頭が瘤になっているもので

あるが、藜という1年草から作られる。

 藜は、新芽のころにはお浸しなどにして食

用にもできる雑草で、夏には背丈以上に伸び

て葉を繁らす。秋になって育った草を根ごと

掘り上げ、髭根を切り枝を払って幹を磨き、

長さを整えて瘤状の根を上にして杖とする。

軽くて丈夫である。


 何事も無く一夜が明けると、天竜の川から

は朝霧が立ち上り、辺りを蒙と包みこんだ。

この川には「かわらんべ(河童)」が棲むと

いう。これにシリコダマを抜かれると命がな

くなるというが、憑かれると大きな鼾をかく

ようになり、人の言うことを聞かなくなるの

だと言われる。取り憑かれた者は、見る人が

見れば、すぐにそれと知れるのだともいわれ

ていた。身体が青黒くなるのである。


 程なくしてお日様の強い光に霧が突き払わ

れると、座光寺の里は春霞む天竜川の段丘上

に、昨日と変わらず茫と浮かんでいた。天に

桜の紅、地に菜の花の黄色、揺らめく景色を

分けて吹き抜ける微風は、香りを乗せて肌に

心地よかった。

 そこここに色鮮やかな草花が、眩いばかり

に光を跳ね返している。名はあるのであろう

が、派手な主張をしない花は、いかに美しく

とも一括りに雑草扱いされる。

 そこから坂道を四半里ほど下れば、古刹元

善光寺がある。推古天皇十年、麻績の里(座

光寺)の住人本多善光が、難波の堀から一光

三尊の仏像を拾い上げ、これを本尊としてこ

の地に迎えて臼の上に安置した。その後、皇

極天皇の時代に長野に遷座したが、霊験あら

たかであり、長野と座光寺の双方の善光寺に

お参りしないと片参りであるとされる由縁が

このあたりにある。

 近隣に限らず、参拝する善男善女からの篤

い信仰は、根付いて永い。

 緑なす草々のそこここに、今を盛りと群れ

咲く蒲公英の帯を裂いて、三州街道が黒田の

里をよぎり飯田の城下へと白く続いている。

 三州街道(上街道)は、中山道の脇街道と

して中馬で荷駄を運ぶ通商の道であり、別名

伊那街道とも呼ばれ、信州と三河を結び栄え

た。

 中馬とは賃場の転訛であるが、宿場で馬を

乗り継ぐ伝馬と異なり、街道を通じて馬を乗

り変えない方式であった。

 隼人は、一本杉のもとに祀られた山の神の

祠前から、座光寺富士とその地で呼び慣らわ

されている一二七〇米の山を背に、大門原を

下り、その三州街道を飯田長姫城下に向かっ

て平安城相模守を無造作に佩き、着流しの裾

を僅かに閃かせながらゆっくり歩を進めた。

 途中、何人かの旅人に追い越され行き違い

したが、一見なんでもなく見えて、腰の据わ

り足運び目配りに、隠しても隠しおおせぬ雰

囲気をまとった旅人たち出あった。


 その昔、白羽の矢が立ったという厚い藁葺

き屋根を持つ家が建つ上黒田の付近に差し掛

かったとき、突然ヒョウと空気を切り裂く音

がして、隼人めがけ一筋の矢が飛来した。

 隼人に矢を射たてるのは至難の技である。

弓弦の音の方が先に届くというばかりのこと

でなく、視野が桁外れに広い上、毛先ほどの

気配があれば、仮に暗闇で目を閉じていてで

あっても、身を躱すことは苦も無くできる。

わずかに肩を捻り、およそ緩慢としか見えな

い動作で懐手を抜くや、飛び来たった矢柄を

掴むと、矢の飛び来た方向を見やるでもなく

その矢に目をやって、隼人はかすかに頬を緩

めた。何を意図しての射かけなのかは、わか

らぬ。ご丁寧にもこの地に因んだのか、それ

は白羽の矢であり、何故かその白い矢羽根の

一部分が切り取られていたのである。


 白羽の矢に始まる岩見重太郎の狒々退治伝

説に語り継がれたあらましは、こうである。

 風雲急を告げる戦国時代の末のころ、暮れ

なんとする刻限に中山道の脇街道である三州

街道を、上方目指しているらしき旅の武士が

あった。この上黒田の辺りに差し掛かると人

だかりがあって、中に憔悴しきった老夫婦と

若い娘が肩を寄せあって泣いていた。

「おお、なんといたわしや。真面目一方でき

たわしらが、どんな悪いことをしたというん

じゃ。神も仏もないものなのか」娘を掻き抱

いて身も世もなげに嘆いていた。

「お父、お母わしゃ行きとうない。そいだけ

ど、わしが行かなきゃ代わりがあるわけじゃ

なし。わしの身が役に立つんならしかたない

ずら。でも、おっかないし・・・」

 今年は、この家の屋根に白羽の矢が立った

のだという。矢を射たてられた家は、その家

の娘を人身御供として差し出さねばならない

仕来りであり、さもなくば全村に災いが及ぶ

というのである。それがいかなる災いなのか

知る者はないのだが、それぞれに想像を逞し

くするから際限というものがなくなってしま

い、恐れられていた。

 その人身御供として神社に上がらねばなら

ないのが、今宵なのだという。

 人は上っ面で綺麗ごとを言っていても、そ

の実は嫉妬と損得で動く。自分と比べてない

ものを持っている人に陰湿な感情を抱く者が

多い。努力してそれを手に入れることをする

前に、つるんで他人の足を引っぱる。周りに

まで配慮ができる人は少ない。無いものを得

られないとなると、次は自分がいかに損をし

ないで済むかを考える。目先のことだけだか

ら、将来にわたって自他ともに良いというこ

とに意識は行かない。

 周りに居ながら、自分のところに害が及ば

ないとなった人の無神経さと、配慮もしない

で発する白々しい慰めの言葉の残酷さは、お

ためごかしにすらならず、気の毒がっている

ように振る舞っているようでも、言葉に出せ

ば出すだけ、その者らの品性を落とし、白々

しくて空虚であった。

 泣く泣くその仕来りには従わざるを得ない

のだと、その場にて聞き及んだ旅の武士は、

「よいよい、拙者がその災い取り除いてくれ

よう。安心してまかせるがよいぞ」と声をか

けた。穏やかながら強く響のある声音であっ

たという。

 我が身を捨てても村の衆の為になれば、と

いう娘の健気な心映えが呼んだ天佑だったか

も知れない。


 日暮れて、慣わし通りの白木の箱に入り、

身代わりとなった武士の上には内掛けが被せ

られ、箱には蓋がされた。

 白木の箱を担いだ村人の行列は、野底川沿

いの山道を、権現山から連なる虚空蔵山の麓

にある姫宮神社に向かい無言のまま進んだ。

 娘と武士が入れ替わっているとはつゆ知ら

ぬ担ぎ役の村人たちは、わが身の難を背負っ

て身代わりとなってくれた娘への感謝や労わ

りの言葉を箱に向かってかけるでもなく、恐

ろしさが先にたって無言の道中を続けた。早

く帰りたいというのが本音であった。

 物音が一つでもしようものなら、いつ箱を

放り出して逃げ帰ってしまっても不思議でな

い行列でもあった。


 境内に辿りつき静かに箱を地面に降ろすや

いなや、運んで来た村人たちは、後も見ず蜘

蛛の子を散らすが如くワっとそれぞれに逃げ

るように走り去ってしまった。

 やがて、静寂に包まれた闇の中に青く燃え

る目が浮かび、あたりに生臭い風が吹いた。

 神社の横手より、用心深い足取りでひたひ

たと白く仄浮かんだ影が進み、その手に箱の

蓋が乱暴に取り払われた。

 そして一気に被せられていた内掛けが捲く

りあげられるのに合わせ、下からその物の怪

に向かって柄をも徹れとばかりに刀が突きあ

げられた。

「ぎゃー」と叫んで倒れ伏した六尺余りのそ

れは、夜が白んで確かめてみると、年を経て

全身が白毛に覆われた狒々であったという。

 これがこのあたりに残る岩見重太郎の狒々

退治の伝説である。

 何故狒々が若い娘を毎年所望したのかは伝

わっていないが、中国にいう猿の妖怪である

「獲猿」が、攫媛となって伝わり、媛を攫う

に通ずるとして娘なのだとの説がある。


 ここから八里ほど北、駒ヶ根の光前寺にも

「伊那の早太郎」伝説というのがあって、

この寺で育てられた犬が、乞われて遠州磐田

まで出向き、そこの妖怪と壮絶な戦いをして

これを倒したのだが、満身創痍となってしま

った。息も絶え絶えとなりながらそれでも、

育ててくれた恩ある故郷の寺まで辿り着き、

そこで力つきた、という話の妖怪も狒々であ

ったということであるから、訝しいといえば

訝しいことではある。


 助けられた娘のその後も、助けた武士のそ

の後も、揺として知れぬ伝説なのである。


 話しは変わるが、このあたり一帯には古墳

が多く点在し、中でも前方後円墳である高丘

の森の石室に深夜丑三つ刻入ると、石壁の一

部が移動して洞穴が現れ、この穴を辿ると、

遠く権現山まで通じているとの言い伝えが残

っている。

 その高丘の森から河岸段丘となっている一

山を越える途中に、瑞垣が神寂びて佇む麻績

神社がある。この神社には神官がいないが、

里人の尊崇は厚く、いつも掃き清められて厳

かである。麻績(おみ)の名がどうしてつい

ているのか知る者はないが、麻というのが神

様ごとに深く関わって、依り代であったり幣

であったりするのは広く知られる。

 しかし、音に出したときの微細な振動につ

いて触れる人のないのも、不思議といえば不

思議なのである。

「麻績(お~み)」「オーム」「アーメン」

「南無ナーム」「阿―吽」などの持つ振動が

誘うであろう世界があるようなのである。

 そこに繋がる正確な音や波動は、なんとな

るのだろうか。

 神社から更に山を掻き分けて登ると、戦国

の昔に山城であった南本城跡がある。

 廓張りであった土塁の今は、狐の巣穴が多

数掘られている。そしてこの山裾を巻いてい

る坂道を稲荷坂と呼ぶ。

 狸は己が他のものに化けるだけだが、狐は

人を化かすのだとか。

 夜にこの坂道を通ると、時に化かされて、

自分の意図しないあらぬ方向へ無理矢理歩か

されるとか、土産品として携えていた折り詰

めなどを奪られた者があるとかも言われ、遠

く聞こえるケンケーンという狐の鳴き声は不

気味であった。


 隼人は、姓を薄田と名乗る。近郷に此の姓

を名乗る家は他にない。

 一説に、狒々の人身御供となって果てたか

も知れぬ一命を、危ういところで助けられた

娘が、感謝の念が嵩じた恋心で何日か旅の武

士の世話をする間に身篭って為した子の裔で

あるとも言われ、その武士の姓であるとのこ

とどもも言われるが、定かならざることでは

ある。


 なぜか隼人に行きかう領内の誰もが「若様

お早うございます」「今日は、いい塩梅でご

ざいます」などと小腰をかがめて挨拶したり

と、おろそかにしていないのは確かなことで

あった。


 受け止めた矢を片手に、隼人はゆらゆらと

歩いていた。矢を捨てなかったのにはわけが

あった。矢羽の一部が切り取られたそれは、

直線ではなく明らかに軌道を曲げて遠距離を

飛来したのであった。「福島殿にも見せてみ

よう」と思いつつも、隼人にしてみれば、射

方によってその矢がどのくらい曲がるものか

試してみることに興味を持ったと言える。

 隼人が、矢の飛び来たった方向を見向きも

しなかったのは、その所為でもあった。見や

ったところで、人影がある筈もないくらいの

曲線を引いて飛来したと覚えたのである。



     ご前試合


 城下の桜町に差し掛かるとそこ立札があっ

て、人だかりがしていた。

 此度、殿様の思し召しこれあり、御前試合

を催すもの也。

 刀槍弓馬は申すに及ばず、武芸百般に覚え

ある者あらば名乗り出て御前に披露すべし。

 身分委細お構いなしとのご沙汰なれば、百

姓町人の参加も差し許されるもの也。

 拠って試合の儀は、五月朔日、今宮神社境

内にて取り行われる可し。


「これはこれは、若様もお出になられるんで

ありますかな」「若様がお出になるんじゃも

う、首座は決まったようなもんでありまする

なう」「さようでありまするとも」

 集っていた者たちが口々に声をあげた。百

姓町人といえど、殆どの者が文字を読めてい

るということである。この地の学問水準の高

さを窺がわせた。

「身共は、こたびの試合に出る心算は毛頭ご

ざらぬ」とのすげないとも言える応えに、残

念そうな嘆声がそこここに漏れた。信仰に近

い技前が隼人にあるということである。

 なぜにこの時期、絶えて久しくなかった武

芸試合なのかとなれば、先夜の妖しの気配に

関わりあることとして、隼人の進言により催

されるものだったのである。


 試合というにはそぐわぬ技前の披露の形式

で、張り巡らされた幔幕の中では呼ばわれた

順に正面の床几に座る堀公に一礼して、次々

に演武が進められた。


 「井伊左門、剣にござる」

 痩身中背、およそ剣には程遠く見える武士

が境内中央に進み出ると、鯉口を切って静か

に大刀を抜き放ち、無言で空を縦に薙ぎ払っ

た。

 何事やと見る間に、そのまま御前を下がっ

てしまい、何がなされたのか解らなかった。

 しばらくすると、空たかく舞っていた鳶が

音を立てて地上に落ちてきたのであった。

 なにが披露されたのかと声もなく立ってい

た観衆がどよめいた。鎌鼬のごとく切り裂い

た風の先にあったのは、まぎれもなく今まで

空遠く離れて飛んでいた鳶だったのである。


 「福島与五郎にござる。弓矢を少々」

 柔和な面差しの割には強弓と見える重藤の

弓を携えて、次なる者が境内に進み出た。

 三十間ほど先に的が設えられ、中間に幅三

間高さ二間ほどの板塀が据えられた。射座か

ら直接に的は見えず、板塀の眞中に直径二寸

ほどの穴があって、かろうじてその穴を通し

て的が臨めた。携え出でた矢が四筋、無造作

に連射された。

 一本目は板塀の穴を通して、二本目は塀の

上を越えて、三本目四本目はそれぞれ塀の左

と右から弧を描いて、悉く的の中央に吸い込

まれるように集中した。


 「河尻又兵衛、槍にござる」

 脇に掻い込んだ槍は、先に5寸釘が付いて

いるかのように穂先が細長かった。長身であ

る。介添えの二人が左右から引っ張る綱から

一尺幅位の間隔で肩の高さ程に糸に吊るされ

た寛永通宝が並んで揺れていた。

 やおら槍を下段に構えると、滑るように体

が蟹の横ばいさながらに移動し、その間に穂

先が五度きらめいた。風に揺れていた寛永通

宝の穴は、すべて槍先に貫き取られていた。


「棚田真吾と申します。写しの技にございま

す」

 その場の緊張感と馴染まぬ位に柔和な笑顔

で、小柄な男が場内に立った。

「書状書付、その他目に付く品物を百個ほど

を、この場にお並べ下され」

 暫くしてその場に広げられた物を一瞥する

と、「もうお取り下げ下されて宜しゅうござ

います」言い終わると、すぐに筆を取り出し

て半紙にすらすらと文字を走らせた。

 書状は一言一句の間違いもなく、出されて

いた品々の品名は、一つの落ちもなく書きと

められていた。


「火打石式種子島でござる。大門次郎衛門と

申します」

 担った銃には二連の筒がついていて、火縄

らしきものは見られない。

「手前工夫の、雨天にても打てる二連発なれ

ば、威力の程ご覧願わしゅう」

 十間ほど先の台に据えられた二つの兜に狙

いを定め発射すると、轟音とともに見事二つ

の兜の前立ての間には、大きな穴が貫通して

いた。


 「大筒花火の工夫にございます」

 凡そ花火師には見えぬ学者風の男は、山吹

村在住の寺田佐門と名乗った。

 境内から離れることおよそ三十間ほどの所

に、予め並べ立てられていた案山子に筒先を

向け口火に火を点けると、煙を引いて飛び出

した玉が弾けて、間隔のあいた十に余る案山

子が全て粉々になって飛び散った。


 棒、飛礫、鎌などもひとわたり披露された

が、矢来の外に集まった見物人に見せるため

の催しであったかのごとき雰囲気で終わりと

なった。


 天竜川に茜を流して、ほどなく夜の帳がお

りた。

 夕暮れての飯田城内大広間。百目蝋燭が並

べられて、明るい。

「隼人、そなたの進言あったがゆえの本日じ

ゃが、秘蔵の家臣達も表に出してしまった。

このような按配でどんなものであったろう

の」酒肴の膳を挟んで大和守が尋ねた。

「程よきところかと思料仕ります。四~五人

は見物人に紛れこんで見ていたようにござり

ます」

「ところで若様、本日の御前試合での業前披

露は、何故あってのことでござりましょう

や。殊更に見せ付け、軽々に手の内を見せる

は、異なことに存じますが?」戦国時代に甲

州信州あたりで名を馳せた武の名門、河尻一

族の裔とされる河尻又兵衛が、口を切った。

 同座していた出場者全員が、一様に隼人に

顔を向けた。

「殿様からのご下問もこれあり、この先に危

惧される争いを避け、長く続いたこの谷あい

の平和と、生きとし生けるものを守らんがた

めの示威なのでござる。殿様のご苦衷も知ら

ず、口さがない者がなにかと騒ぐかも知れま

せぬが、穏やかが一番でござる」

「さればまた、何事か起るのということなの

でござるか」今度は福島与五郎が尋ねた。

「本日のご貴殿の弓の業、流石のものにて実

に見事にござった。先日それがしに矢を射た

てんとした者の上を行く術でござれば、かの

者もきっと肝を冷やしたことでござろう。ご

貴殿を始め数々の技前を垣間見せたことは、

山深き谷あいの小城ひとつ、なにごとやあら

んと軽んぜられるを防ぐ手立ての一つにても

ござった。かけひきそれだけで済めば何より

かと存ずるが、ほかにちと気がかりな気配も

ござる。お聞き及びでござろうが、筑波山に

天狗が舞い降り騒乱を起こして一月余。言う

に恐れ多きことながら、弱体化したご公儀が

これを鎮撫するは、極めて難しかろうと推量

致します。いずれ通るでござろう街道沿いの

八ヶ岳の権現山も、八つという字にからみ恐

ろしゅうござるが、ここはまだ目覚める様子

は見せておりませぬから、さしたることなく

通り抜けて來ましょう。されどことは天狗な

れば、この飯田の権現山・虚空蔵山に向かう

は地の利の必定。いずれ伊那を下って京へ上

る道をとるであろう様子が目に浮かぶのでご

ざる。有り様を申せば、水戸の天狗党勢だけ

なれば、目的は当藩との戦ではなく、京に上

り将軍家に会うことにてござれば、やり過ご

せばよきこと。いまひとつは、ご公儀への対

策にてもござる。無傷で天狗党勢を通過させ

たとなれば、どんな咎め立てをされるや知れ

申さぬ。さればこそ、これが厳しい処分を躊

躇わす強さを示すことにもなりましょう。そ

れよりも厄介なのが、天竜のカワランベと虚

空蔵山の天狗が、時空を越えて動き出さんと

する気配の方なのでござる。まさに脅威はど

ちらかといえばこちら。避け難いことになる

にしても、神国のことを考えれば、今このと

きは妖しとの戦いへの備えが焦眉の急となっ

ているのでござる」

 天狗は翼があって空中を飛翔し、俗に人を

魔道に導く魔物ともされている。天狗が全く

妖怪化したことによる霊威怪異の伝承もあっ

て、神隠しなどもその一つの例とされる。

 なんにしても、人の言うことを聞かぬのが

天狗。後には修験道による山岳信仰と相俟っ

て、神として信仰の対象になるほどの大天狗

も出るのだが、まだまだ恐ろしい存在ではあ

った。

 信州は神州に通ずるとの意識が、この地に

はあって、超常の現象を知る者は多い。

「今ではなく、百年後にこそ飯田の民の力が

必要になるとの声が、しきりに身共の耳奥に

聞こえてくるのでござる」

 隼人の超常的な力を知る一同は、瞬きすら

忘れて聞き入った。

 外には昴(スバル)が、いつにも増して輝

いている。


「すると、二方面とせず、主眼は魔との戦い

ということになるのでござらうか」

「さようにあいなるかと」

「しからば、霊魂・魂魄の世界に近いものに

てござるか?」

「間違えば、国の滅び。鎮まって去って貰う

ほかないかと。荒ぶるものも、中にはあろう

かと存ずるが、それは身共が一身に代えて引

き受け申す所存にござる」

 武道の修行を積む中で、悟りに近い境地に

ある面々は、悟り直前近くに現れる魔のこと

は言わずもがな知っていた。心身の鍛錬・修

行が進むと、何事にも自由で、美しく開けた

境地に達する。ただ、ここが到達点というこ

とではなくて、悟りはまだ先にあるというこ

とである。

「先ほど八という数について気がかりとおお

せでござったが、八は末広がりで吉なのでは

ないのでござるか?」

「左様でござる。方々もお気づきとは存ずる

が、北辰を指し示す北斗の柄杓の八星が、七

星しか見えなくなってござる。見えていたも

のが見えなくなるのは危険でござる」

 七星には、輔星アルコルがあって、ときに

これは死兆星とも呼ばれる。

 星は、図にかくと普通☆となり、五芒星で

ある。伊勢神宮の周りに見られる六芒星は、

正三角形を二つ組み合わせて描かれ籠目模様

ともいうが、籠目に閉じ込める結界のような

ものであるかも知れませぬ。かごめかごめ

かごのなかのとりは いついつでやる とい

う童歌は、言いえて妙。竹籠に閉じ込めるの

は、龍。しかし三角形は3次元までのこと。

八芒星は、四角形を二つ組み合わせてでき申

す。八は、そもそも再生・甦りの数でござれ

ば、その前に破壊があることは必定。何が壊

されるかということでござる。八岐大蛇に限

らず、八に因むものは数多くござるが、八芒

星の矢は、本来太陽の光芒を表すものにて、

米はその恵みによるもの。古代における我が

国の言葉は、88音あったのだとも聞き及び

申す。数の意味するものは深そうに存ずる。

「して、この先いかようにすれば宜しゅうご

ざりましょう」井伊左門が膝を進めた。

「さればでござる。人たるの天狗党勢との戦

をせずに済む策として、この先、見慣れぬ風

体ながら、一廉の修行を積んだと思しき間者

の往来が増えようかと存ずる。なまじ飯田領

内でことを構えると、無傷では済まぬと思わ

せるようにお振る舞い下されたい。くれぐれ

もご配慮願いたいのは、一筋縄ではいかぬと

恐れさせるまでのことにて、無傷で間者密偵

の類は逃げ帰らせて頂きたいということでご

ざる。妖しの者との戦いは、精神力の戦いに

ござれば、この場におられる方々しか対抗で

きぬことかと存ずる」

「そして真吾殿。ご貴殿にはこの後のことを

後世に残す手だてをお願い致したい。われら

のこの後がいかようになるや知れ申さぬ。霊

体になって残り、何代かして現世に甦るにあ

たり忘却の川を渡らねばならぬことなれば、

生まれ代わりの回数がまだまだの我等が記憶

を留めていられるかどうかは測りかねるので

ござる。記憶を繋ぐ縁(よすが)となるなれ

ば、宜しくお書き残し願いたい」

「全てを眼前にすることは、出来かねるかと

存じますが」

「その儀なれば、大丈夫かと。思念がご貴殿

の脳中に伝わろうかと存ずる。感じたままを

見たままのように書いても障りなきかと」


 座敷には、行灯と蝋燭の灯りしかないにも

拘わらず、隼人の頭上は金色と紫色に輝き、

他の面々も、赤、青、緑、黄色の霧に覆われ

ているかのように仄浮かんでいた。光背のよ

うなものであったろう。

 容易ならざることにあると、一同は無言の

まま、覚悟の程を見せつつ揃って首肯した。


 それからは、うってかわり皆がまだ若くて

血気盛んな頃の思い出話が弾んだ。

「そうそう、そんなことが有り申した」

 5人は、元服前から仲が良かった。修行の

合間を縫い、連れ立って遊びに出かけること

が度々であった。

 城下桜町の少し先にある柏原の堤に釣りに

出かけたことがあった。風に吹かれる水面に

は小波が立ち、折からの強い陽射しが反射し

て眩かった。

 竿を伸ばして一刻を過ぎるも、誰の浮きも

動く気配をみせず、時おり池から釣り人を嘲

笑うかのように、大きな鯉が飛び跳ねては、

「どうだ釣り上げてみよ」と挑発していたの

であった。

 帰りの刻限が迫って来たころ、「一尾だけ

でもようござるか?」と、河尻又兵衛が口を

きった。

 長く撓る竿を槍のように構えると、飛び上

がった鯉に向かって突き出した。二尺はあろ

うかという鯉は、目のあたりを鮮やかに貫か

れ、手元に手繰り寄せられた。

「そう、あの鯉は美味かった」

「その後でござったか。城に某藩の剣術指南

役が来ていて、腕自慢に殿の小姓に持たせた

扇子に飯粒を付け、大上段から飯粒だけを切

って見せたのは」

「いやいや、その話はご勘弁下され。若気の

至りでござった」井伊が眼前で手を振って遮

った。

 そのときの井伊は、同じ小姓の拳に飯粒を

つけ、拳を自由に動かさせながら、飯粒だけ

を両断して見せたのである。拳に毛筋ほどの

傷もつかなかった。

「いやいや、その後がまた見ものでござっ

た。弓の名手だと思っていたに、剣の冴えも

見せたのだから」

河尻が、今度は福島に目を向けた。

今度は、福島が面映そうに「それも、ご勘

弁下され。あの頃は若うござったゆえ」

侍女に縫い針を4~5本持ってこさせ、そ

れを畳の縁に並べて刺し立てた。

 片膝立ちになると刀の柄に手をやり、じり

じりと横に移動した。居合い抜きを数回繰り

返したのであるが、目にも留まらぬ早業のあ

とには、縫い針の全てが畳に打ち込まれてい

たのである。弓の的を射る修行の中で、針先

が卵大に見えるまでになっていた福島にとっ

て、それはもはや容易なことであった。

「他藩に軽んぜられてはならじ、我が殿大事

のあまり大人気ないことでござった。花を持

たせて帰して聊かの不都合もなかったと、今

にして思いまする。争いごと競いごとではな

く済ませられることが肝要とわかってござ

る」


「これ小雪、隼人に酌をしてつかわせ」

 傍らに控えていたうら若きにょしょうが、

恥ずかしげに瓶子を傾け隼人に酒を注いだ。

 二百五十年の時を超えて、絶えてなかった

白羽の矢が、此度は座光寺の小雪の家の屋根

に立ったのを、隼人が大和守に庇護を願い出

て少し前に城中に伴って預かってもらってい

る娘であった。色の白いは、七難隠すといわ

れるが、小雪の名が示す通り肌が抜けるよう

に白い。小雪は、その容姿におよそそぐわな

い薙刀の名手でもあった。



「隼人、起きなされ。今日より父上から申

し付かっている修行が始まります」6歳にな

った早暁のことであった。

 いつも優しかった母の常とは異なって厳し

い声が、まだ明けやらぬ屋敷内に響いた。

「隼人、母は今日そなたに申しておかなけれ

ばならないことがあります。そなたが生まれ

てよりこのかた、及ぶ限りそなたを慈しんで

参った。今とて、懐から出しとうはない。な

れど、母一人の子とするわけには参らぬ星回

りに生まれついたのじゃ、としか思いようが

ありませぬ。そなたを身籠ったと思われると

きのことです。大きな眩い光に包まれて、何

処からともなく声が聞こえたのです。

『大きゅう大きゅう育てよ』

 そして、そなたが生まれた日は、時ならぬ

雷鳴が何度となく轟いて、稲妻も次々と闇を

裂いて青い光を落しました。そのときにも声

が耳に響いたのです。

『この世にあるもの全ての元は、唯一つのも

のからなることを体得せしめよ。一代でなら

ずば代を繋いでなさしめよ』

 母は、言葉を覚えているのみで、何をどの

ようにすればよいのか判りませぬ。ただ、そ

れをそなたに伝え、そなたを信じて見守るし

か為す術はありませぬが、きっとそなたには

何か使命があってのことでしょう。そのよう

にするのには、如何なる事にも負けぬ強さが

あってこそのこと。生半可なことでは済まぬ

心身の鍛錬が、それも並外れて必要となるこ

とは母の想像には余ります。幼きそなたに負

わすには偲びないことですが、天命と思い決

めて下さるよう頼み参らせまする。

 そなたは武士の子ですから、殺生の場に立

たねばならぬことがあるやも知れませぬが、

つとめて、慈愛の心なしに動くようなことは

決してありませぬよう覚悟して修行に励みな

されませ」

 想いが溢れるように、息と言葉を継いだ。

「そなたは母の子であって母一人の子ではな

いのかも知れません。天に委ねることになり

ますが、それでもなお、この胸に抱いて愛し

く育てたことを終生忘れることはできませ

ぬ。戻りたくなったら戻って参られても、決

して叱りは致しませぬ」

 負わせるに忍びないこととの、尽きせぬ思

いのたけであった。

「きっと立ち戻ることは無いかと存じます

が、いついかなるときでも、母上の子でござ

います」六歳の子にして、これであった。


 日課としての鍛錬が始まった。

 膝丈ほどの高さの柵を助走なしに飛び越え

るのを30回。背丈ほどの高さから、藁屑を

撒いた地面に飛び降りること30回。木刀の

素振り100回。前後左右斜めへの摺り足で

の素早い移動100回。糸に吊るした小さな

錘を揺らして、その揺り返しを瞬きなしに見

つめること100回。

 長ずるに従って増えたのは、重さ、高さ、

回数、速度であって、来る日も来る日もひた

すら繰り返された。山林の中を木々の幹に触

れることなく、体を捩じることなく、足で蹴

ることもせず、身を翻してジグザグに数丁駈

け抜けるのも日課となった。

 母は、いつも物陰から、幼いわが子を抱き

しめてやりたい思いに耐えて見つめ続けた。

 肉体の鍛錬が終わると、素読と端座しての

瞑想であった。知識は、昔に空海が授かった

といわれる虚空蔵の知恵に似て、何処からと

もなく流れ込んでくるようであった。

 というより瞑想によって意識の深いところ

に沈むということは、無尽蔵に汲み取ること

のできる知識の海とも言える別世界に通じる

ことであって、そこは汲みつくせぬ程の知恵

の宝庫であった。物質的な知識もさることな

がら、加えて霊性の向上が常に求められた。

深山幽谷、霊場と尊ばれる地に身を置くと、

天の気ともいうべき波動が身内に流れ込んで

きて蓄えられる。人は、天にも魔にもいとも

簡単に意識をむけて同調できる。

 いずこに意識を向けるかが、霊性のために

は重要な意味を持つ。蓄えられ高まった善な

る波動は、自ずと周りを救う。

 天の龍脈に沿って歩き、時に場所を得て坐

を組むことも多かった。

 瞑想が深まると、ときに我が身を別のとこ

ろから見ている自分があった。霊とか魂とか

のほか、肉体ばかりではなく何層もの自分が

あるように覚える隼人であった。

 隼人の進歩は、すべてに神速と言えるもの

であった。


 座光寺庄兵衛について体系だった武術と学

問を学び始めたのもその頃からであるが、天

凛とは隼人のためにある言葉といえるものを

その幼い頃から垣間見せたのは、生まれる前

からの蓄積があってこそのことと解するより

他ない秘められた能力といえた。

 十五歳を越すころには、竹刀を持って取り

囲んだ十人が一斉に打ち込んで一太刀たりと

も隼人に触れることが叶わなかったし、自ら

が編み出し「雁行」と名づけた抜きつけの技

は、左腰から発する刃が右から走る軌跡とな

って、影ですら誰も捉えることができなかっ

た。

 仏師が仏像を彫りあげるに、外から木材を

刻んでその姿を顕すのではなく、中にある物

が自ずから現出するのだと言うのと同じく、

全ては隼人の内にそもそも在るものが磨き出

されてくるようなものと言えた。

 この頃からの技前は、速さそのものを必要

としなくなっていた。見えていても相手がど

うしても防ぎきれず、逆に攻撃されるときに

は隼人にとって極めて緩慢な動きとして、ま

るで止まっているように感じられるようにな

っていた。


 飯田の城下も、近頃は月夜といえど闇が深

くなった。何がどうということではなくも、

日が落ちれば今までになく暗く、人通りは殆

んど絶えた。


 異様である。おりしもその月影を縫って、

大小を落とし差しにした武士が歩を運んでい

るのだが、歩くというよりはゆらゆらする影

が滑るように次の位置に移っているかのよう

なのである。目にしている筈の誰もが、その

姿に気づいている様子がない。結界のなかに

あるに等しかった。


 京への抜け道で、数多の旅人があるとはい

へ、他国者に目敏い里人の目に留まらないで

通り過ぎるというには難しい土地柄である。

余程の修練を積んだ者であろうことは、その

足運びに覗えた。

 近頃、ぶらりと市中見回りに出かける隼人

の姿であった。何事かをなさんとするときは

なにはともあれ動いてみるというのが隼人の

流儀。なさねばならぬことは、そんな動きに

つれて意識に浮かんでくるのであった。


「待たれよ。その方、何処より来て何処に参

る?」紋服袴の武士が突然月明かりの中に踏

み出て、旅拵えの男に声をかけた。

 月に浮かんだ武士は、御前試合で冴えた剣

技を見せた井伊左門であった。

 家重代の脇差、安倍弥次郎泰経を手挟んだ

腰の据わりは見事であった。

「この時刻に何用あって軒下に潜む?」

「いえ何ね。そこの飲み屋で一杯やったあと

の酔い覚ましでさあね。月も綺麗なことです

しね」道中差を腰にした旅人風であるが、風

体・言葉からして土地の者ではない。

 城下の居酒屋で、見慣れぬ者数人が、酔っ

て女中に狼藉を働いているとの知らせを受け

て、支配違いながら、異変前の陽動もあるか

と、根が人の世話好きなこともあって出向く

途中の井伊が見咎めたのであった。

「相尋ねるが、これよりいずれの旅籠泊ま

りじゃ」油断無く間合いが詰まる。

「これから夜旅をかけて諏訪まででさあ」

後ろ跳びに間合いを広げると素早く踵を返し

て、脱兎の如く走り去ろうとしたが、その目

の前に着流しの武士が立ち塞がった。

 影とは光のこと。月影に浮かんだのは隼人

であった。抜く手も見せず鞘走った旅人の脇

差が切ったのは空であり、脇差の峰にはふわ

りと隼人が乗っていた。その空間からの隼人

の太刀が切り裂いたのは旅人の懐、手傷ひと

つ負わせていなかった。零れ落ちる物を拾い

も合えず走り去った後に残ったのは、城下の

縄張りを書き写した絵図であった。

 国内諸藩が尊王か佐幕か、攘夷か開国かで

沸騰している中、光圀の昔から尊王を唱える

水戸藩は、攘夷までもが藩論の中心となって

いたが、藤田東湖や藩主斉昭が相次いで死去

した後は、佐幕派が主導権を握っていた。

 藩論を二分する争いに敗れた尊王攘夷派天

狗党の藤田小四郎は、筑波山で挙兵、武田耕

雲斎とは那珂湊で結集して、脱藩者と浪人連

合軍の形となった。

 幕府軍は、これを一応は打ち破って面目を

保ったとはいえ、壊滅することはできず、逃

散した彼ら天狗党を暴徒として追討するよう

諸藩に命じたのであった。

 飯田藩でも郡代官名で回文を出した。


 常州筑波山に集まり暴行致し候浪士共、追

討候人数御差し向け相成り候処、浪徒共散走

致し候由に相聞き候。去り乍ら、兼ねて相触

れ候趣も之有り逃げ延び難き儀に候得共、自

然姿を替え落ち行き候者之有る可く候間、聊

かにても怪しき体に見掛け候はば、容赦なく

召し捕り申し候。尤も手向かい等致し候はば

切捨て候様致す可く候万一右党類共隠し置き

候者之有り、外より相顕れるに於いては、当

人は勿論の所役人共迄、厳科に処せらる可く

候条、その段きっと申し渡し置き候。

右の通り、公儀より御触れの趣相達し候間、

小前末々迄洩らさず申し聞かせ、尤も格席の

者へも申し通す可く候  以上。

      九月二十九日出

              中山安太郎


 信州の山々は、常にも増してモミジで赤々

と燃えんばかりに染め上がった。モミジの下

には鬼が現れると古来よりいう。美しさの中

に潜むものは見定めがたい。


 松本藩に、幕府よりの天狗党勢追討令が届

いたのは、天狗党勢がここを越えれば信州領

である内山峠に至らんとする十一月十五日で

あった。

 武田耕雲斎・藤田小四郎ら天狗党勢は、京

に上り在京中の将軍徳川慶喜に決起の趣旨を

訴えんものと、中仙道を罷り通りつつ、二十

日には和田峠下の戸沢口で諏訪高島藩と松本

藩の連合軍二〇〇〇と戦ってこれを破った。

勢いに乗じて翌二十一日には、尊王攘夷派浪

士八百余人は、木曽路を選ばず武装をより強

固にして伊那街道を破竹の勢いで進軍した。

 追討の幕府軍は距離をおいて及び腰で追随

するも、一向に距離を詰め戦いを挑む体勢を

とれないでいた。

 血刀を引っさげ、砲煙に煤けて黒い顔を連

ねて進む隊列を見た街道筋の年寄りは、後に

「おっかなかったよう」と、子供達に語り継

いだ。

 高遠藩も、これは敵わじと見て、平出宿あ

たりに敷いていた陣を早々に払い、軍勢を引

かざるを得なかった。

 刻々伝わってくる天狗党進軍の状況に応じ

て、飯田藩はこれを迎え撃つべく、座光寺の

大門原で戦わんとして、その前哨線として牛

牧と座光寺の境である弓矢沢に土塁を築き、

そこに大筒を十数門並べたのである。


 天狗党は、本隊の先に探索、斥候を放って

いる。物見のための遠眼鏡を覗き大筒を確認

するや嘲笑い、本隊に帰って報告した。

「虚仮脅しにござる。大筒に見せかけて並べ

たるは、竹の箍を巻いた花火筒でござれば、

押し破って通るに聊かの不都合もないかと存

ずる」

「左様か。ならば明日にでも罷り通るべし」

「いやいや待たれよ。その花火筒、侮っては

危うい。この五月、飯田藩の御前試合を探索

した折、佐門なるものが披露した花火の威力

たるや凄まじく、十門も並んでいては当方に

甚大な被害が及びかねなく存じます。ここは

調略あって然るべしと存ずる」

 これにより、幸いにも花火筒は使われるこ

となく済んだ。この後これらの筒は、飯田近

在の神社床下に長きにわたって放置されるこ

とになるが、後の里人は、これが何であるか

分からず、絶えてこれに目を向けることもな

くなったのである。


 飯田近在、伊那あたりには、北原稲雄・今

村豊三郎兄弟をはじめとする平田派門人が多

かった。同じ志を掲げる水戸浪士達が無事飯

田を通過して京に上ることができることを願

って、飯田藩と天狗党勢の間を斡旋すること

に心を砕いていた。

 戦火を交えるということになれば、飯田城

下を焼き払ってということになるのが目にみ

えている。民百姓の嘆きもさることながら、

双方にあたら討ち死にする者が多数でること

も忍びない。

 天狗党は、武装して街道を罷り通っている

とはいえ、街道の人たちに極力迷惑をかけな

いようにしていた。飯を食ったらちゃんと金

を払っていく。

 おおっぴらにはできないが、肩入れしたい

と思っている里人が多かった。

 北原は、我が身の平安を捨てることになろ

うとも、この里の将来と村人の命の優先を真

剣に願ったのである。

「ここは若様に相談するよりない」と思い決

め、人目を避けて深夜に隼人の屋敷を訪ねた

のである。

「若様、この鄙の里に絶えて久しい戦が起ろ

うとしております。志が違えば、なかなかに

説得は難しいことでございますから、双方が

折り合える道が何かあればよいと思うのです

が・・・」

「時代が変わるときというのは、得てして無

用に血が流れやすいもの。しかし、役立つ命

は山川草木等しく尊ばねばならぬ。かような

こともあろうかと、親義公にお願いして先般

飯田藩の武辺を広く知らしめたのだが。なか

なかに面子という厄介なものがあるから、上

手く持ちかけねば双方が引くに引けまい。考

えが無くもないが、命がけになることである

し、下出に出て我慢もせずばなるまい。そこ

もとできるか?天狗党勢に会って談合するに

は、なまじ武士より、そこもとのような村役

に越したことはないのだが」

 思想や宗教に裏打ちされた考えは、説得が

効き難いのである。折り合いがつくかは判ら

ぬ。

「もとより、命を惜しむものではございませ

ん。お聞かせ下さい。如何ようにしたらよろ

しゅうございましょう」

「明日にでも、天狗党勢宛に文を書こう。こ

の五月以降の隠密戦で、身共のことは先方に

知れておろう。無理に力押しすれば、双方甚

大な被害を覚悟せねばならぬだろうし、穏や

かに取り組めばそのように対処する懐がある

との見極めはしていようから、そなたらが会

っての折衝次第じゃ。幸い、平田派という学

門上の接点もあること。志が近い者同士、無

下にはできまい」

 困難というものは、一つだけでやってくる

ことは少ない。あれもこれも乗り越えねばな

らないことになるが、諦めずに手立てを尽く

せば開けてくることが多い。


 伊那部あたりからは、街道筋の住民の天狗

党勢に対する様子が変わった。

 伊那谷には平田篤胤の国学を学んだ者が多

く、数えて二七九人にも及ぶ。北原稲雄が紹

介した門人衆だけでも五十人を越していた。

 尊王攘夷を目的とする天狗党勢に少なから

ぬ共感を抱いており、彼らへの恐れを越えて

親しみさえ覚えていた。


 飯島宿にて止まっていた天狗党勢に面会を

申し込んで、北原の意を伝えんとする弟、今

村豊三郎が幹部に会えたのは、この縁からで

あるといわれる。

「天狗党勢の勢いが壮んで、戦闘能力が飯田

藩に勝っていることは、誰の目にも明白かと

存じます」

この切り出しは、緊張をほぐした。

「されど、戦えばこちら様も無傷というわけ

には参りますまいし、我等一同、皆様方が恙

無くこの地を抜けて京にお上り遊ばし、本懐

を遂げられますよう祈っております。本音を

申し上げますと、いざ合戦ともなれば、厳し

い冬を控え、我ら民百姓も難儀致します。ご

温情をもって間道をご通過下さる策をお取り

上げ下されば、我らがご案内仕ります」


 後に、『昔ながらに詠われし、平和の村こ

そ楽しけれ。』と村歌となって歌われる程に、

南北朝時代でさえ、天竜川を挟んで争いがな

かったのが不思議とされる伊那の谷あいであ

る。

 飯田藩では、最悪の場合城下を焼き払って

篭城するという手段が練られてあり、町家の

者にとってはたまらないことであった。

 一方、京に上がるのが目的の天狗党勢とし

ては、無用な戦いはしたくないのが本音。

 小野斌雄(藤田小四郎)名で、間道があっ

たら是非にも案内を頼むとの打診がされてい

たのである。

飯田藩としては、幕府への慮りもあり、迂

闊にこれを可とするわけにはいかなかった。

藩の預かり知らぬところで動いてくれるの

であれば、渡りに舟といえた。

 どちらにとっても、面目の立つ斡旋案とし

て、双方の間隙を満たすに頃合の手立てを隼

人が絵に描いたといえる。

 最悪でも、重臣一人の腹で済ますことがで

きれば、との飯田藩の思惑も、言外にあるら

しく診てとれることも、気持ちを動かした。

君君たらずといえども臣もって臣たらずん

ば得ず、などという大時代な心情ではなく、

武士は死に場所を探しているものであるとの

信念を持つ者がまだ残っていて、腹一つで治

められるならそうするという表れであること

と、忖度できた。

 物見の報告と、薄田隼人からの密書を得た

耕雲斎は、喜んでこれを了承した。


 了承を得てからの動きは急である。

 北原兄弟が独断で間道を案内するというわ

けにはいかぬから、形式上でも藩の内諾を得

ねばならない。

 隼人の知略は、嘆願書として藩にこの案を

差し出せば黙認されると読んで、兄弟に教え

た策が採用されるであろうことにあった。命

を重んじるにも、建前上の方便が必要であっ

たのである。


 二十四日、北原稲雄は天狗党勢の饗導掛と

して、三州街道を飯田城下直前で右に反れ、

領内をかすめ上黒田山道から野底橋を渡り、

桜町の大木戸が閉じられていることもあって

作場道を辿り、今宮に出た。

 今宮は、飯田長姫城から指呼の距離。御前

試合が催された場所であるから、飯田藩が知

らなかったでは通らぬことになりかねない場

所である。申し開きの抗弁としては苦しきこ

とながら、多くの命をあたらここで散らすの

を忍びないとする隼人の進言を入れた以上、

最悪の場合には何人かの「腹」が必要となる

かも知れぬ覚悟が、藩にはあった。

 武士にとって、裏取引や卑怯未練な行いほ

ど忌まわしいものはない。義とは道理に従い

決断して猶予せざる心。死すべき時に死に、

討つべき時に討つ。その心を放ち、求むるも

のを知ろうとしないのは、狭きに過ぎよう、

との言を入れるには、勇を鼓さねばならぬこ

とであった。

 ここ今宮で昼食を摂ると、上飯田村羽場、

桜瀬で松川を渡って大瀬木までを案内した。

 ここから駒場までは一本道である。

 別れを告げるに際し、稲雄は隼人から言わ

れていたことを挨拶の言葉の合間に小声で耕

雲斎に告げた。「奥方さまと二人のお子様を

ここでお帰し遊ばしては如何。わが村には、

奇しくも耕雲斎様と同じ名の耕雲寺という古

刹もございますし、武田の末孫といわれる家

も多うございます。何かのご縁なのかもしれ

ません。神隠しにあったように繕って、人知

れずお匿い申し上げることができるかと思い

ますが」

 この先の北陸への道は、雪空の下の暗く険

しい道であり、行く末を暗示しているかのよ

うである。

 隼人には、家族も同座で責めを負わされる

彼らの最後の様子が見えていたのである。

 しかし、奨めは肯んじられることなく、彼

らは覚悟の同行を続けていったのである。

 後に敢え無い最後を遂げることになるのを

その時点で彼らには知る由もなかった。


 難所である雪の峠越えを奇跡的に果たし、

敦賀の新保というところに漸くたどり着いた

とき、そこは天狗党にとって絶望の地となっ

た。

 諸藩の兵1万数千に囲まれ、しかもその追

討軍の指揮を取っていたのが、頼りにしてい

た徳川慶喜その人であったとは・・・

 水戸藩所縁の将軍として判断するには、時

代が許さなかった。

 ここで加賀藩に降伏することを余儀なくさ

れたのである。

 遇するに、武人に対する礼がとられたとは

言い難い。

 処分は苛烈であった。死罪352人、島流

し137人、水戸藩渡し130人。同行して

いた女子供も例外とはならなかった。

 あの、世にも名高い安政の大獄でさえ、死

罪は僅か8人であったことを思うと、なにゆ

えここまでのことになったのか。

 水戸藩は徳川親藩でありながら、光圀以来

尊王の傾向が強かった。幕末の混乱期、天皇

が求めたのは攘夷であり、これを目指さんと

したのが天狗党であり、幕府に忠誠であらん

としたのが諸生党であった。両党は藩論を二

分して争ったこともあって、天狗党に関連し

た者への処分は限度を越える程厳しかった。

 これが、明治維新後に朝敵という名の下に

諸生党が天狗党から同様の報復を受ける結果

に結びついた。程度を越えるとそうなるとい

う愚かさというほかない。

 自分の主張を通さんが為に互いが余りに急

で、他を慮る余裕が無くなっていることがな

せる業か・・・・

 滅びに向かうときというのは、双方ともこ

のような道をたどるのかも知れない。

 武士の一分とは、いかなるものなのか。

 時代の境目にあっては、それぞれの価値判

断によるほかないにしても、肉体の鎧を脱い

だあとの霊魂のことを思えば、生きて精神の

磨きをかけることを選ぶべきと思う隼人であ

った。生まれ変わりがあることに思いをいた

せば、疎かにできぬことが多いのである。


 梨子野峠を越えると飯田藩が守る清内路関

所がある。番頭斎藤長右衛門以下三十人ほど

が詰めていた。

「お通り召されよ。」

 臆して、卑怯未練な振る舞いに出たのでは

ない。

 黙って天狗党勢を通したことを咎められ、

後に切腹ということになったが、もとより覚

悟の上のことであった。

 意地を通してこの関所で合戦におよべば、

関所役人は全滅、天狗党勢にも少なからぬ死

人がでることは明らかである。我が身一つの

命をもってそれに換えることができるなら、

何条もってこの命惜しまんや。武士道とは、

死ぬことと見つけたりという心得は、もとよ

りあったことであり、怖気をふるって黙過し

たということでは断じてなかった。


 天狗党勢は、去っていった。虚空蔵山を覆

う天狗の気と、天龍の腹中より這い出さんと

する河童の気の間を通過するも、ここで合流

して変質し、列島の中央に大過を齎すことが

なかったのは、ひとまず幸いなことであった

と言える。

 ここが東西に破られたとしたら、迫り来る

夷敵が増えようとしているとき、雪崩込む災

いは甚大になったであろう。



 国の背骨をなすこの地の地軸の鳴動は相変

わらず続いていた。山深くには雷鳴が重々し

く轟き、山崩れが起き、川は堰とまり、容易

ならざる異変を見せていた。浄化は、破壊を

伴う。

 羨む恨む嫉む、不平不満を抱くなどなど、

人の心の歪みや隙間には、いとも簡単に魔が

取り憑く。集まるとそのエネルギーは、想像

外の甚大な災厄をもたらすのだが、個々人が

それに気づいて立ち返ることは滅多になく、

他人のせいにするのが常である。

 この星の生きものの不幸は、他の動植物あ

るいは鉱物の命を取り入れることなくしては

生き続けられないということである。いかに

受け継いだ命を有難くわが身内に輝かせるか

ということに思いを致さずして精神の進化は

望めない。道は、限りなく遠いのであった。


「いろいろ夫々に存念は多々あろうが、まず

は大過なく過ぎてよかった。皆の者大儀であ

った。後のことは後に致し、一息入れるがよ

いぞ」

 堀大和守が労いの言葉をかけたが、隼人ら

の心が休まるには程遠かった。

 去っていったとはいえ、脱落したものが皆

無であったとは言い難い。どんな組織にも、

そのような不届き者は内在する。

 困難に立ち向かうとき、強固な意志で肉体

や精神を目指すところに向かって維持し続け

ることは、何人もができることではない。

 きっかけがあれば、そこに魔がさす。それ

でなくとも天狗が騒いでいるときである。

 道をそれるにも、とりあえず尤もらしい理

由はある。もとより大した理由ではないから

すぐに言い分は忘れるし、変節もする。

 天狗党における隊規は厳しかった。犯せば

即ち死を意味した。さして悪意はなくとも反

してしまった者たちは、逐電するほかなかっ

た。逃げる先とすれば山中しかない。

 分け入った山の麓の神社に、天狗の面が奉

納されてあった。赤天狗青天狗烏天狗、それ

ぞれがそれを被って面を隠した。最初のうち

面は着脱自在であり、面をつけると制約から

逃れられた自由を覚えた。

 しかし、生き延びるためとはいえ、それが

僅かばかりのこととはいえ、隠れ住むには不

埒な行いもせずばならなかった。悪事は悪事

を呼び、段々人としての範を越えていった。

悪事を働くにつれ、面は血肉と同化してしま

ったように顔面に貼りつき、取り外すことが

叶わなくなっていった。

 一旦踏み違えると、それは際限もなく真善

美とは逆方向に進み歯止めがきかなくなる。

 顔を向ける先がいずこなのか、そして最初

の小さな一歩がどこに向かっているかが先を

分ける。

 何人かの脱落者が辿ったのもそのようにな

った。女がらみになるのが端緒でもある。

 一難が去ったのも束の間、飯田城下に異変

が続いた。

 最初は食べ物や家畜が消えた。続いて若い

女が神隠しにあったように突然姿を消すので

ある。

 とはいえ、常の神隠しと違って、程なく体

だけは戻ってくる。ただ、目をそむけんばか

りに変わり果てた見るも無残な姿となってで

ある。腹を割かれたり、体中を切り刻まれた

りして虚しく投げ捨てられているのは、悪鬼

の所業といえた。

 異変の前後に、異様な顔をした異様な風体

の一団を見たという者がいる、と聞かれるよ

うになった。

 夜ともなると、千の矢が射られたように、

漆黒の天空をよぎる妖しの光の筋が、隼人ら

五人には見えたのである。

 そのことは、妖魔との決着に未だに目途が

つかず、大いなる意思を持った知識体からの

安心は、まだ得られていないということであ

った。

 縄文の昔から一万年余、培われてきたこの

地の和の系統が、蛮夷荻戎によって破られよ

うとしていた。間違えば、一気にこの世の終

わりとなりかねない。猶予を得るための証が

少しなりとも必要であった。他への慮りと、

解り合えるための和の心。損得や自我から脱

却できるかどうかが見られていた。


 飯田から少し離れるが、平安貴族の憧れの

地であった園原近くに、律令の時代に幹線道

路であった東山道最大の難所といわれた神坂

峠がある。

 ちはやふる 神の御坂に幣まつり 斎(い

ほ)ふ命は父母のため

と、遠く九州の地に狩り出された防人が通過

するときに歌ったという。この神坂峠近くに

上下が逆に生え、遠くからは有るように見え

て、近づくと掻き消えてしまうといわれる帚

木(ははきぎ)がある。

 この、昼神の地にある帚木が、このところ

ざわめくのだという。異変の範囲が広がって

いる。

 昼神の由来は、日本武尊が、この地で口に

噛んでいた蒜(ひる)即ちニンニクを投げつ

けて山の神を退治したということから変じた

名だという。ニンニクは、西洋でもバンパイ

ア除けに使われるのだとか。

 いずれにしろ、人心の乱れをついて顕れる

魔は、そもそもこの世の成り立ちはたった一

つのものからなのだということが解り、総て

の人が互いに睦みあう和やかさなくして防ぎ

ようがない。

 天の意思は現世を見限り、エネルギーは、

元の一つに回帰せんとしているのかも知れぬ

のである。一気の浄化を避けるには、魔とい

う憑物を最小限でも排除せずばすまぬ。

いよいよ急は差し迫ってきているようであっ

た。


 月明かりと見紛うばかりに、星影が障子を

青く染めて部屋うちに射し込み、小雪の肌を

仄白く浮かび上がらせていた。

 両手で顔を覆って恥ずかしさに耐えながら

緊張で固くなった身体を隼人に任せて、とぎ

れとぎれになりそうな息をやっとの思いでつ

なぎながら小雪が言葉を紡いだ。

「隼人様、私は幼きころから、ときどきに垣

間見るお姿や、いつにても我が事の前に周り

を大事にされているご様子を見聞き致しまし

て、ずっとお慕い申し上げておりました。

我儘は申しませぬが、今宵で今生のお別れに

なるのでございますか?」隼人の腕の中で、

溶けんばかりの幸福感に浸りながら、小雪が

そっと尋ねた。全ての覚悟はできていた。

 襟元から差し込まれた隼人の手が、優しく

胸乳をなでる。そっと、そしてゆっくり豊か

で満たされた静かな時が流れる。

「愛しく思い、末永く睦みたいと想うは山々

なれど、今宵が最後となるやも知れぬ。相済

まぬ」隼人は優しく小雪を抱き寄せた。

 やがて二人の影は溶け合うように重なり、

ひとつのものとなった。

 性器の少し上、脊柱と交叉する辺りに座が

ある。互いの精神性が高まり、親近感が密の

状態では、湧き上がるエネルギーが、全身に

かけあがって至福のときを共有するという。

 白むまでには、名残を惜しむ充分な時間が

あって、飽くことがないかのようであった。


「明日、夜が明けたら大島山の滝に参るがよ

い。そこに我が母が待っていようほどに、共

に滝の後ろに身共が作った結界に入り、両三

日は穿たれた岩穴にて過ごされよ。その後は

母と仲よう暮らし、子が生まれたら母と共に

育ててくれるよう頼む。委細は、母が承知い

たしているゆえ、身共のときと同じじゃと話

すがよい。達者で暮らせ」

「後のことはおまかせ下さいませ。いかよう

にでも致して生きてまいります」

 知り合って短い間柄が、これで永の別れと

なるかのごとき言葉のやりとりではあった

が、互いに取り乱すことのない深い縁(えに

し)となったものであった。

 人の範となるべく生まれついた者は、顔を

向ける方向が自ずから定まる。そして行いに

おいても優先するものが何であるかによって

は、我が身をばかりを顧みることができない

ことが多々ある。


 五人の振る舞いが、この後の如何を決める

ものとして、偉大なる意思から資質を問われ

ているのかもしれないのであった。

 隼人たちの一行は、暗く霞んだ霧のなかの

ような茫漠たる空間を権現山に向かって何か

に導かれてでもいるかのように進んでいく。

行き着く先がなへんにて終りとなるのか、又

そこに何事が待ち構えているのか定かならず

といえど、迷うことなく逍遥と、しかし確か

なる足取りで進んでいた。一身に代えてもな

さねばならぬ星の下に生まれ、それがわかっ

てこの場に集ったのかもしれなかった。能あ

るものが果たさねばならぬ責めともいえた。

 およそ人は、その立場に立たねば他からは

理解されず、何をなしたのか外からは解から

ないまま埋もれてしまうことが多い。そうい

うときの他というのは、極めて表層的な事柄

を捉え、無責任な評価をまるで自らは万能の

神になったかの如くに口にするが、責めを負

う立場にあると自覚した者は、いたずらに抗

弁することがない。


 一行と別れた河尻は、その何者かに導かれ

るままに、高丘の森に向かって進んだ。

誘われて近づいた丑三つ刻の高丘古墳の石

室は、不気味である。

空には三日月がかかり、肩にした槍の穂先

と重なって鎌槍のように青白く光っている。

その場で河尻が目にしたのは、怪しく光を

放って開こうとしている穴であった。

 隼人との別れ際、「くれぐれも命に関わる

ようなことは避けて下され。貴殿には、看取

らねばならぬ病身の母上も居ることゆえ」と

言われてはいたが、開かんとする異界の穴を

急いで塞がねば、広がった穴がいかなる惨事

を噴出すか計り知れないと思われた。

 猶予はなかった。河尻又兵衛は、我が身を

もってその穴を塞ぐほかに手立てがないと覚

悟したのである。守らねばならぬものが沢山

あった。

 躊躇いもなくその穴に身をこじ入れると、

動かぬように我が身を我が槍で繋ぎとめて、

穴を塞ぎ、生きながらその生涯を閉じたので

ある。

 落命の瞬間、まばゆい光を放って、天空に

走り去るものがあった。

「母上、先立つことお許しくだされ。来世に

ては必ず・・・」

 同時刻、河尻の自己犠牲の覚悟の程を多と

し、臥せっていた母のところにも金色の雲が

舞い降り、その体は敬意をもって包み込まれ

て、その霊は天界に移されたのである。


 井伊左門は、権現山に足を踏み入れるやい

なや、雄叫びを挙げおどろおどろしい面体を

した者に三方から襲われた。面が外れなくな

ってしまった者たちである。

 抜き合わせると、水も堪らず瞬きの間もお

かず三方に切って落とした。

 倒れ伏す三人の面はその瞬間に割れ落ち、

顕れた顔には、自らでは外せなくなってしま

った軛からようやく解放された深い安堵と感

謝の面持ちが覗えた。

 その後は、乱戦となった。3人が山に逃れ

てより悪事を重ねた短時日の間に、図らずも

魔界から呼び出してしまった有象無象は夥し

い数にのぼっていた。斬っても斬っても際限

がなかった。


 福島与五郎は、妻より先には死なぬと常々

口癖にしていたが、五人張りとも言われる重

藤の強弓に大鏑矢を番え、群雲の中に向け満

月のように引き絞った弦を鳴らして矢を高々

と射放った。そこに何者かが潜んでいること

に、疑いは挟まなかった。

 名をば雲井にあぐるかななどという意識は

微塵もない。

この春の御前試合がなければ、この十年余、

弓に触ることとてなかったから、名人と呼ば

れたのも遠い昔のこと。

 武は極めるにつれ、その武器には拠らず内

面にできあがってくる。使わずにすむ手だて

のことに変わっていっていたからである。

 何事によらず、楽しいことになるような生

き方が好きで、争わずに済ませられることが

武の鍛錬の励みであった福島である。

 矢羽に香を焚き染めた破魔の矢は、虚空を

切り裂いてどこまでもどこまでも駆け上がり

見えなくなった。源頼光の鵺退治なれば、こ

こで手応えがあろうものを、どのようなもの

が射返されてくるのかわからなかったが、そ

うするしかなかった。

 地面に並べられた矢筒から次々に抜き取ら

れ放たれる矢は気を込められて、まるで一本

の糸で繋がれたように同じ軌跡を描いて見え

ぬ相手に向かって射込められていった。

 ほどなく、放った矢は悉く戻って、福島の

身体を針鼠のごとき様に変えたように見てと

れた。

 しかしよく見ると、福島の身体から毫と離

れぬ場所に隙間なくびっしりと突き立ってい

たのである。

 福島がその修行時代に求めたのは、狙いを

寸毫もはずさぬということであった。

「そうじゃ、力にてでは収まらぬ。なれど其

の方が愛しく思い守らんとした気概は受け取

った」降り注ぐ矢音に交じり、その声は茫然

として薄れ行く意識の耳にに届いた。

 「慈愛深きことも同様にぶれてはならぬと、

世に知らしめよ」生きて果すべき使命が残っ

たといえた。


 隼人は、山中に一人凝然と立っていた。

 「その方らが今戦っている魔は、その方ら

が作ったものじゃ。一つ一つは薄く小さくと

も、集まれば手に負えぬ。このまま気づかず

に居るなら、見限らねばならぬ。自らが作っ

たもので滅びるが良いという警告じゃ」

 隼人の佇む横の山肌が、雷鳴と共に次々崩

れ落ちた。

「もとより、その方の咎ではない。わが身に

は預かり知らぬことと目を背けるならそれも

よし。そうするのであればこの世を長くはも

たさぬ」

 意識をつないで真意を汲み取り、仁愛の心

がまだ世にあることを伝えるよりない。

 神の美しい宮代は、誰もの身の内に備わっ

ている。同じように魔の巣窟もそうである。

 意識の向け方の僅かな違いが、結果を大き

く変えてしまう。

 深く深く瞑想して次元の壁を越えようとす

るる隼人の身体が溶けて、微細な霧が立ち上

り、広く限りなく地を覆っていくのにつれ、

隼人の姿はかき消され見えなくなった。

 こうして彼らの行いは、歴史に埋もれ去っ

た。

 やがて白まんとする空に、明けの明星が瞬

いていた。


 正義と言うものを為すのは難しい。

 所を変えれば正が邪に変りうるからである。

非理法権天(ひりほうけんてん)という観念

が示すように、非すなわち無理は、理即ち道

理に劣位し、道理は法に劣位し、法は権威に

劣位し、権威は天道に劣位する。争いがある

とき、理屈も何もないのでは、理由のある主

張には敵わない。

 しかし双方にその立場による理屈があるの

は当然だから、その場合は法に基づいて決め

るということになるのだが、その法があった

としても、それを上回る権力の下では、力に

よって決まってしまう。

 正義と言うものがなされるのに、現世にお

いては正邪善悪ではなく力によってが決めら

れてしまうということだって往々にしてあり

得る。それでは救われないことだってあるか

ら、天(神)が決める場が必要になる。それ

であれば、永遠に生き続ける霊魂の世界があ

って、そこで正しく判断されることが必要と

なるということかというと、そうとばかりは

言いきれない。長い生き死にのなかで醸成さ

れていく法というものはある。残留する思念

というか遺伝子化によって、正義というもの

は出来上がって行く。

 隼人たちは消え去って、取り敢えず静かな

世が続くようにも見えた。


 春ともなると、群咲く桜の花のもと、この

地の神社の祭りがとりおこなわれる。

 下伊那地方の神社の祭りには、獅子を舞う

地域が多いが、獅子曳きを伴った獅子も随所

に見受けられる。

 座光寺の獅子の行列は、高丘の森の古墳か

ら出発して、麻績神社に納められる。この獅

子は盲目で、しかも大変な暴れものというこ

とになっている。

 右から左から真後ろからと襲い掛かる獅子

を、獅子曳きの稚児、梅王丸、松王丸、桜丸

の三兄弟が手綱で叱り叩きなだめ、獅子がお

となしくなったところで神社の方角を指し示

し、「あの神社に行くのであるぞ」と諭す。

 この獅子と獅子曳きを護るのが、甲冑に身

を固めた天狗である。前に赤天狗、後ろに青

天狗が居て、ときに集まった見物人に怪我人

が出るほどの手荒い警護をする。

 天狗が身を挺して守るのは、獅子と獅子曳

きなのであるが、中でも獅子の尻尾に見立て

られる「獅子花」と呼ばれる和紙を紅白に染

めて作られた縁起物の牡丹に似た花を取られ

ぬようにすることが要となる。獅子花をとる

と縁起がよいということになっているから、

隙あらばと、見物人が獅子にむらがる。

 これらの仕来り通りの仕種をするのは数々

の人知れず埋もれてしまった先人のお陰であ

るとの意識が、知らず知らずに形を変えて整

い、人々の記憶に止まっているからなのかも

知れない。神様のお使い役ということになっ

ているのだが、この祭りにも天狗がいて重要

な役割を果たすことは興味深い。

 祭りが行われるのは、入学式の季節でもあ

る。

    第1部完

  (第2部に続く)


 隼人外伝

 修行がある段階に達した後は、文武に限ら

ず、新たに加えなければならないものがある

ということではなく、内なるものを削り出し

ていくというのが相応しく思えるものになっ

た。全ては内に存在していた。

 それに気づくまでに一定の経過は必要だと

しても、何回もの生まれ変わりの中で蓄積さ

れたものは、膨大であるが確かに存在した。

全ては内なる神ともいえる形となって、そこ

に在った。

 初めは、剣の速さを求めた。しかし、それ

ばかりではない。剣先が届かねばならぬし、

緩慢に見えても避けられない刃筋というもの

もある。相手の間合いの外にいれば、いかな

る攻撃であって躱しきれるが、躱していれば

過ぎ去るというわけではなく、相手を凌駕す

る能力がなくては済まぬ。

 力というものには、能力というものと腕力

というに相応しい暴力的なものがある。

 力のない正義というのは、ときに争いを助

長する。抑止力として働かないのである。

 心の在り方は、更に重要であることに気づ

くに至る。

 人が志を高く掲げ、その達成のために弛ま

ぬ努力と強い意思を保ち続けることは大事な

ことではあるが、念に凝り固まるのはよくな

い。心身は、軽やかで融通無碍である方が、

人格の形成のためには良い。

「直心是れ道場」直心とは、純一無雑で素直

な心のことであり、直心なれば、喧騒の街頭

もまた静寂そのもの道場なのである。

 一人の樵が斧で木を伐ろうと、山深く入っ

たところ、「さとり」という珍しい動物が姿

を現わした。樵がこれを生け捕りにしようと

思うと、さとりは直ちにその心を読み取り、

「俺を生け捕りにしょうというのか?」とい

う。樵が吃驚すると、「俺に心を読まれて、

びっくりするとはお粗末な話だ」とまたもし

たり顔でいう。ますます驚いた樵が、「ええ

い、小癪な奴。こうなれば斧で一撃のもとに

殺してやろう」と考えた。するとさとりは、

「こんどは俺を殺そうというのか。いやー、

怖い怖い」と、更にからかうようにいう。

「こりゃー敵わぬ。こんな不気味な奴を相手

にしておったんでは、めしの食いあげだ。こ

んなものにかかわらないで、本来の仕事を続

けよう」と、樵は考えた。するとさとりは、

「とうとう俺のことをあきらめたのか。かわ

いそうに!」と嘲笑った。

 樵はこの不気味な「さとり」を諦らめて、

再び木を伐ることに没頭した。本来の仕事を

続けていると、額からは玉のような汗が流れ

始め、それにつれて雑念はなくなり全く無心

になった。

 すると、偶然、全く偶然に、斧の頭が柄か

ら抜けて飛び、さとりにあたった。お陰でさ

とりを生け捕りにすることができたという。

 樵の心を読み取り、樵をからかったサトリ

も、無心状態になった心までは読み取ること

ができなかった。

 大乗仏教の経典である維摩経に出てくる説

話である。

 仏教も儒教も学問ではあったが、識字力を

武士に限らず町民村民に高めたことに意義が

ある。人は、言語を介して論理的思考を組み

上げる。文字は、言葉にできないことまでも

書かれることで、その紙背に言外の意味を伝

えることができる。

 自然界の万物に、八百万の神を感じ取り、

畏まり受け入れ感謝する能力を培ってきた広

い心が、我がことのみを願うのではない優し

さを、時代が変えつつある。

 勤王だ佐幕だの主張も、偏れば主義主張ば

かりを通そうとして、争いばかりになりかね

ない。

 活人剣、活人論でなくてはならぬ。隼人は

そう思うのであった。

 今こそ、パワーではなくてフォースが必要

とされる時なのだと、天からの警告と思しき

地鳴りを聞くたびに、心するのであった。


 寺というのは、情報源でもあった。他国の

旅人が寺に泊まることが多く、宿泊時の四方

山話が、閉ざされた地方には得難い話を持ち

込むのであった。

 大名家ばかりでなく、旗本などの所領地が

入り組む三州街道沿いには、古刹も多い。

 天台宗 大嶋山 瑠璃寺。開基900年の歴史

に生きるこの寺も、その一つである。

薬師瑠璃光如来三尊佛を本尊とし、日本で

唯一の薬師猫神様も祀られている。

 その寺近くの街道脇に、旅姿にきりりと身

を固めた若い娘と供の小者がいて、周りを数

人の男に取り囲まれていた。

「懐の書付を出せ」と迫るのに対し「ご無体

な!書付とは何のことでございましょう。私

には与り知らぬこと。見当違いにござりまし

ょう!」

「いいや、そなただ。見間違いはない。早く

出せ」

 小雪は、先代殿様の寵愛をうけていた叔母

のもとに江戸屋敷奉公をしていたが、叔母が

みまかったのを機に、故郷の黒田に帰る道す

がら、嗜んでいる和歌を思い浮かぶまま書き

留めていた。先ほども、道路脇の地蔵堂で一

休みした際、懐紙に矢立の筆を走らせていた

が、そういえば後から来た数人が堂の外でな

にやらひそひそ話をしていた。

 堂内にいた小雪たちに気づくと、そそくさ

と立ち去った者たちらしい。

「ええい面倒だ。どのみち話を聞かれたのな

ら生かしておくわけにいかぬ。切り捨て

よ!」

 己たちの言い分のみを通そうとして乱暴狼

藉に及ぼうとしていたのである。

「待たれよ!白昼も憚らず、婦女子を相手に

如何なる所存か?」たまたま通りかかった隼

人が瞬きの間も与えず、囲みの中にすっと割

って入ると、背中に小雪主従を庇い「早くこ

こを離れるがよい」と、小声で促した。

「無用の邪魔立てをするな。その方に関わり

ないことぞ」と喚きたてるのに向かって、

「最前より見るに、おぬし等の勘違いのよう

じゃ。こちらの主従に思い当たる節がなさそ

うなのは明白じゃ。刀を引いて、早々に立ち

去れ!」

 オッ取り囲んだ面々は、問答無用とばかり

に、呼吸を合わせ、四方から隼人めがけて切

りかかった。白刃が交差するなか、隼人の躰

はひらりひらりと舞うように動き、ときに白

刃の背に次々乗って廻っているかに見えた。

「天狗舞い」隼人は息一つ乱れていなかった

が、切りかかった者たちはすでに息も絶え絶

え、へとへとになっていた。

 圧倒的技量差に男たちは戦意を失い、ほう

ほうの体で這うようにして姿を消した。

「危ういところを忝のうございました」衣紋

を正し腰をかがめて挨拶する小雪に、

「いやなに、双方に怪我もなくよかった」汗

一つないさわやかな顔であった。

「某は薄田隼人と申す者であるが、見覚えの

あるお顔立ちと存じ割って入り申した。そこ

もとの身のこなしを見るに、無用の助成であ

ったかも知れぬ。飯田城下まで戻るところで

あるが、そなたらはいずれまで参られる?差

し支えなくば、途中までお送り申そう」

 黒田まで行くという小雪主従を、念のため

警護しようというのであった。

「忝のうございます。座光寺小雪と申します

る。貴方様のことは、良く存じ上げておりま

す。幼き頃に育った地で度々お見掛け致して

おりました」

 黒田にある生家に帰る小雪にしてみれば、

願ってもなく心強いことであった。

 黒田といえば、本編にあるように、狒狒退

治で有名な姫宮神社があるところ。「姫宮」

というなれば、隣接の八王子神社に対するも

のとなる。さすれば姫宮様というのは鹿屋野

比売命が祀られていることになろうか。

 野底山に相応しい山の神、野の神、草の神

というわけで、このあたりに風越山に通じる

道があることや、土器や石器がよく出てくる

場所であることからも、古くからの山岳信仰

があったのかも知れない。

 さして険しくもないし高い山であるという

わけでもない。しかるに狒狒などという異形

のものが居たということであれば、異界の裂

け目があるのかも知れない。

 権現山の鳴動は続いているのである。

 かかるときに現れた小雪も、また時を繋ぐ

役割を担わされているのであろうか。和歌を

嗜むというのも、古の道に繋がっているよう

に思える。

 個人は、少なくとも言語を使うにおいて、

決して他者から切り離しては考えられない。

それを介する以上、他者とのかかわりが予定

されており、好まないと言ったところで社会

性がついてまわることになる。しかもこれを

文字にすることで、人を喜ばせることもある

が傷つけることも更にある。高度に発達した

精神活動を、あやまたずに表現することは至

難というより不可能に近い。であるから、あ

りったけでものを言うとき、可能なかぎり美

しい言葉で素直に表現することで、理解して

もらうこともできるし、また逆には、性、善

なるものと他を汲み取ることもできる。

 日本語の成り立ちの中に、伝承形式として

確立した音声としての日本語が既にあって、

そこに文字も備えた中国語が入ってきたと考

えられる。取り入れざるを得なかった他文化

は、その言語を理解することなしに、仏教で

あれ律令であれ触れることが適わなかった。

しかし神話や万葉に知ることのできる美し

い日本語は現にあり、それを失わせることな

く内容を読み解こうとすることは、想像する

だに苦難の連続であったとするに難くない。

模索模索して、ついには訓を使うという二重

の読み方を発明することで、双方の文化を統

合するを得るに至ったのだと思う。しかも日

本語を表す文字は、音のみならず『意味』ま

でを兼ね備える。和歌はそれをつなぐ。

 そうしたあらゆる努力をしたに違いない先

人を思う時、仇や疎かに言辞を弄してはなら

ないと思うのである。

 言葉は、己をわかってもらいたいがため発

せられるとしたら、その土俵にあがるときに

必要な普遍的ルールであるというのが私見で

ある。

 人間は、唯一学習を許された動物であり、

よい事を積み上げ伝統として昇華させること

ができるのであれば、及ばぬまでも歴史をつ

なぐ役割を少しなりとも担わなくては、とも

思うのである。

 中国の周辺諸国に、言葉遊びができるほど

に文字を発達させたところが他にあるとは、

寡聞にして知らぬ。

 わが国には、平安の昔から掛詞をはじめと

するシャレた言葉の文化がある。何事も排除

せず受け入れ、畏まって人としての感性を磨

き、韻を踏む豊かな言語とによって精神活動

が高められてのことである。

 さは言えど、隼人が道中に何か話を交わし

たというわけではない。

 門前まで何事もなく小雪を送り届け、丁寧

に礼を述べ「茶など一服点てますほどに」

と招き入れられるのを固辞して、隼人は踵を

返した。道々に僅かばかり交わした言葉の中

に、小雪の細やかな心映えを見て、心地よか

った。この先に縁が深まる予感があった。

 何日かして、使いに出た家人が、屋敷の周

りを窺う不審な者の姿を目にした。武家屋敷

であるから濫りに討ち入る愚は犯すまいにし

ても、隼人が去り際に言い残した言葉

「先ほどの者たちがつけてきているかも知れ

申さぬ。気配りはして参ったが、彼らをまく

ほどにして来たわけではござらぬゆえ、しば

らくは用心めされよ。もし不穏な気配がある

ようなれば遠慮は無用、お知らせ下されよ」

に頼ることにした。

 迷惑な依頼であるとは承知しながら、隼人

なれば大きな騒ぎにせずに納めてくれそうに

思ったということもあるが、もう一度お会い

したいと思う心の方が思慮に勝った。

 付け狙われるような悪巧みを耳にしたとい

うわけではないが、聞かれたかも知れぬと疑

う側の存念は計り知ることは叶わぬ。見境い

をなくす可能性はあり得るから、手段を選ば

ぬ行動に出ることへの備えはするに越した方

が良いと思いつつも、隼人に知らせるについ

ては面映ゆさもあった。薙刀をとれば、おめ

おめ遅れをとるとも思えぬ。僅かばかりの縁

に縋って人様に迷惑をかけるより、敵わぬま

でも戦って、いざとなれば潔く死ねばよいの

だという覚悟もあるからであった。

 隼人が自ら眼前に姿を現したのを見た時、

小雪はそれこそこれで死んでも良いと思った

のであった。心の底から嬉しかったのであっ

た。

 人は、我がことのみを思うのでなく、他人

への思いやりがなくてはかなわぬ。善き人た

ちとの縁も広げなくてはならぬ。一人ではな

いのであるとする隼人にしてみれば、当然の

ことであった。

 隼人が屋敷内に入るのを何処かから窺って

いたのか、その後数日たつも際立った変化

は起こらなかったのであるが、そろそろ大丈

夫かと隼人が思い始めた早朝、白羽の矢が飛

来し軒先に深々と突き立ったのであった。

 白羽の矢が突き立つのは、この地の伝説で

あるが、この300年絶えてなかったこと。

 狒狒は、いうなれば異界からの魔物。姫宮

神社近くに鎮めの石が据えられていたのであ

るが、何時の間にか少しずれていた。そこか

らの瘴気が漏れ出して、心ゆがんだ人に憑依

してしまっているかも知れぬ。それは災いを

広げる。

 気づいた時点で、隼人はそこに籠目の結界

を張った。籠目とは、かごめかごめ籠の中の

鳥は、と童歌に唄われる六芒星。

 ときを置かずして、城下の八か所に正八角

形の照魔の結界も張り終えてはいるが、用心

に越したことはない。

「小雪殿、早速なれどお支度めされよ。これ

より城中にご案内申す」隼人がこのところ懸

念していることと関わりがあるように思えた

からであった。

 こうして、小雪は隼人からの預かり人とし

て、掘大和の守の庇護の下に置かれること

になったのである。権現山の鳴動は、相変わ

らず続いていた。


 井伊左門外伝

 井伊は、生来自分が表立って何かをするこ

とを好まない。目立たないところで、仮令誰

が気づくことがないとしても、人の世話をす

るのが性にあっているのだと思っている。

 自分というものを余り出さないから、時に

軽く見られることがあるが、彼の縁の下の力

持ち的な働きがあって物事が治まっているこ

とを、知る人は知っている。

 武士の表芸である剣の腕も、端倪すべかざ

る技量を備えているが、それを知る者も又、

僅かしかいない。それは、道場などで修行し

たのではないことにもよる。

 天賦の才があったというしかないが、どこ

からか湧いてくるものに素直に従っているだ

けのことと思っているから、修行に励む人へ

の遠慮もあった。

捉われることが少なく伸びやかにしているか

ら、ときどきの自然の美しさにも目が行く。

折から山桜が咲いているのを、手折ると枝が

裂けて見苦しいからと、小柄を抜いて一枝切

落としたのを携え家路をたどる道で隼人とす

れ違った。

「よいお日柄でござる。ご貴殿が切り取られ

た枝でござるか」と隼人が声をかけた。

「さようにござるが、何故にての問でござろ

う」

「余りに切り口が鮮やかに見え申したので、

卒爾ながらお尋ね申した」

 これが、隼人と井伊が最初に出会った時の

会話であった。会うべくして会ったのだと言

えよう。井伊も時を繋ぐ者の一人であった。

井伊は、自然の中にいるのが好きであった。

鳥が翼を翻して飛ぶのや、猫が獲物を捕らえ

る身の熟しを見るともなく見ている内に、そ

れらの動きが何時の間にやら身に備わった。

そよ風の中に身を浸しているうちに、風の裂

け目ともいえるものが見えるようになった。

自然に逆らわず、それに身を任せれば、体が

自然に動くのだということが体感したことな

のであった。我意を働かせることよりもずっ

と自在でいられることを知ったのであった。

自らの役割を果たさねばならない時が来ると

すれば、それは自ずと解ることであり、その

時が至るなれば、その時は力の限り立ち働け

ばよい。任せていれば良いことだと思ってい

た。

 武士に生れついたからには、いずれ一命を

惜しまず尽くさねばならぬ事態が起こり得る

との覚悟はある。それが何に対してであるの

かは、未だ知れなかった。

 井伊の家の前の庭先は、子供たちの遊び場

に解放している。武士も町民も百姓もない。

仲良く遊ぶことを約束事にさせている。それ

を身分柄を弁えずと眉を顰める向きがないわ

けではないが、表立って苦情を言ってくる者

がないのも、井伊の人柄であった。

 子供たちの揉め事は、井伊が現れるだけで

自然に治まる。今日も、立ち帰ると子供たち

が周りに群れてきた。

「おじちゃ~ん」というのに「おじちゃんじ

ゃなくてお兄ちゃんじゃ」と言いつつ「どう

した?」と尋ねた。

「またいつもの意地悪鳥が、小鳥を苛めてい

るんだよ」子供たちが小石を投げても届かな

い位の距離にいるから追い払えない。

「おじちゃん、いつものやつやってよ」とい

うのに「そうかそうか」と答えながら、右手

で手刀を作り軽く構えた。鳥に向かって無言

の気合いと共に手を振ると、その意地悪鳥は

バタバタしながら地上に落下した後、慌てて

飛び去った。命を取るほどのことをしないの

は、いつものことであった。

 人は大自然の中にいて、自分に都合の良い

ことばかりを大して感謝することなく取り入

れる。自然の猛威というのはいつでもついて

回っているのだが、見ないふりをしていて、

いざその災害にあうと不条理なものとして嘆

く。

 陰も陽も一体のものだとは考えず、不都合

なものは避けて通る。誰もが自分でできるか

ぎりのことを担えばよいのだが、それはしな

い。人が避けることを負担するのは、結局そ

れができる人が人知れずそっとしていること

になる。

 それは、天に対し畏まることができるかど

うかによる。井伊とは、そんな男であった。

 井伊は、自分が組織の中に馴染まない性格

であることを知っている。自分の信じること

を曲げてまで出世のために折り合いをつける

ことができない。そんなことをするよりも周

りが良くなることに人知れず動くことの方を

選ぶ。凄まじいばかりの剣の腕をもっている

ことをひけらかしたりしたことはないから、

他人はそれを知らないし、目端の利いた働き

をすることがないこともあって時に軽んぜら

れるが、そんなことは一向に意に介さない。

一人で酒を飲んで目立たないでいる方が、面

倒がなくて良いと思っている。

 酒を飲むにも拘りがある。料理やつまみな

しで、傍らに水を置いて、酒と水を交互に飲

む。

 酒量が多くなっても酔いつぶれるようなこ

とはない。体に似合わず酒豪なのである。

 隼人とは、家が近いこともあって、幼いと

きから仲良く遊んだ。本編の御前試合に出た

のも、隼人から是非にと頼まれたからであっ

て、何故にそうするかの理由は理解したけれ

ど、さして気乗りがしたわけではない。御前

に披露したのも、かなりぶっきらぼうなもの

であった。判る人がわかれば良いと、隼人が

いうことに従ったまでである。

 いずれ抜き差しならぬことになるやも知れ

ぬとの思いはあったが、そうなっても不足に

は思わないというのが、隼人との信頼関係で

あった。


 河尻又兵衛

 武家の表芸である刀・弓・馬・槍を総称し

て「武芸四門」という。

 中でも槍は、薙刀と並んで、突く切る薙ぐ

払う叩く等の何れにも適していて、最強の武

具といえる。対抗しうるのは、小刀・懐剣と

いうことになる。間合いに入られると、具合

が悪いが、その間合いに入ることがなかなか

に難しい。河尻は、その槍を使う巧者であっ

た。

 物ごころが付いたとき、いつの間にか槍に

触れて育っていた。馴染んでいたのだといえ

よう。

 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて槍が

生まれ、それが次第に武将も使うようにもな

り、武芸としての槍術が発達していった。

 武将が使うようになるにつれ、槍自体も使

い手の好みによって改良が重ねられて、普通

の素槍一種類から、穂が長い大身槍、穂の根

元が分岐している鎌槍や十文字槍、柄に可動

性の管を装着して突き出し易くした管槍、柄

が短い手突槍など、さまざまな種類が生まれ

た。

 流派も多岐にわたるが、他流試合というも

のは無かったようである。

 河尻又兵衛は、母方の伯父である尾張藩の

家臣であった河尻又三郎が嗜む貫流を垣間見

て、槍を使うことになった。

 貫流は、尾張藩の御留流であるから、表立

っての手ほどきを受けることは叶わなかった

し、伯父が若くして身罷ったから、貫流が身

についたわけではない。

 貫流は、長さ二間の長槍に管を通して用い

る。管を通すことを有効に使い、敵の刹那の

崩れをつき、螺旋を描いて槍を素早く繰り出

し繰引くことによる速さに破壊力を生む。

 この流儀は、槍・剣の二芸は「車の両輪・

鳥の双翼の如し」「槍法を知らずして刀術を

語ること勿れ。刀法を知らずして槍術を語る

こと勿れ」ということになっている。

 河尻は、管槍ではなく長柄大身の素槍を使

う。幼少期から膂力衆に秀で、屋敷の庭が広

かったから、槍を振り回すのに何の不都合も

なかった。

 自分で巻き藁を何本も作り、墨で的を黒く

塗って、突く薙ぐ叩く払うを飽きずに繰り返

した。あるとき、蝿が異常に発生した。飛び

廻るこれらを目がけ、突く切る払うをして過

たず全てを地面に落とすことができるように

なっているのに気付いた。

 そんな時である。隼人が偶々通りかかって

生け垣超こしにそれを目にして声をかけた。

「ご修行中に卒爾ながら。凄まじき業前にご

ざる。拙者は薄田隼人と申す者にござるが、

是非とも間近にて見学のお許しを頂きたく存

ずる」

「薄田殿のご高名は、かねてより存じ上げ申

す。できますれば当方こそ、ご貴殿の刀法を

ご教示賜りたく存ずる」

 一流を極めた者は、腰の据わり呼吸ひとつ

で解りあえたということか。双方十五歳前の

夏のことであった。

 前置き抜きで、真槍と真剣をとって向き合

い、呼吸を計って対峙するも両者とも微動だ

にせず四半刻がすぎた。一合も交わすことな

く槍と剣を引き合い、深々と礼をし合うと、

「恐れ入ってござる」「恐れ入ってござる」

と同時に口に出していた。

 打ち合いこそしなかったが、数十合のやり

とりがあったということである。

 縁先に並んで腰をおろし、緑が濃くなった

風越山の上に広がる蒼い空を眺めた。

 そこに又兵衛の母親が茶を点てて運んでく

ると、そっと静かに置いて言葉を発すること

なく退っていった。豪放磊落な息子に対し、

何事も解って物静かでいられる母であった。


「虚空蔵山あたりの雲行きが、近頃怪しゅう

感じられてなり申さぬ。」隼人が問われもせ

ぬのにポツリと口をきった。技を極めた者は、

超常現象にも敏感である。河尻もまた、肌に

感じていることであった。


 この伊那谷に入るには、いずれの道を選ぶ

にしても、鬼の栖といわれる峠を越えねばな

らぬが、その鬼が連れだってくることだって

ありうる。

 河尻は、何時の事になるか知れぬが、命が

けとなるそのときが来た時に心残りとならな

いよう、母親への孝養を尽くしておかねばな

らぬと、漠然とではあるが心に決めていたの

である。

 肺腑を衝く。槍の修練が進むにつれ、急所

を突くということは、肉体のみのことではな

く、言葉や行いが人を動かすことを知るよう

になった。誠を尽くすということである。至

誠は、天に通ずるということであれば、心の

出し入れが武技に勝るのだと、河尻は信じる

に至っていた。


 福島与五郎

 武家は「弓馬の家」とも呼ばれ、武士は

「弓矢持つ身」と称した。戦場にあって武功

をあげることを「弓馬の誉」とする如く、弓

術と馬術は武士の能力そのものともされた。

 弓は、古くは桑・梓・檀(まゆみ)などを

削って作られたが、木の外側に竹を当てるこ

とで強度と性能を増し、弓の幹の割れを防ぐ

為に麻糸や藤を巻き漆を塗るなど工夫が凝ら

されると共に、美的外観も備えるようになっ

た。矢も、弓と共に進歩した。矢竹は、矢箆

竹(やのちく)を使い、矢羽は鷲・鷹など猛

禽類の羽を使うのを最良とするが、高価であ

ることから、白鳥や鳶も使われた。

 弓矢は、武器というより神器の色合いが濃

い。弓矢の威光をもって魔障を払う。鳴弦

(めいげん)は、弓に矢を番えないで弦だけ

を鳴らして悪魔や妖気を打ち払うことである

し、引目は、鏑矢を引き放つときの高い音で

同様の効果が得られるとされていた。

 弓の稽古は、作法が殊の外重要視されるの

も、そんなあたりにあるのかも知れない。

 元善光寺の矢場にて奉納される金的を射る

催しも、的に命中させることのみを争うもの

ではない。全射命中すれば、確かに名誉なこ

とではあったが・・・

 福島は、およそ神仏に恃むということをし

ない。何時の頃からか、頼んで甲斐があるも

のとは思えなくなっていた。

 外に求めなくとも、内にそもそも備わって

いるのではないのか?内にないものは、気づ

くこともできねば得ることもできない。あく

せく欲をかくから、それを削り出すことがで

きない。大らかに素直にしていれば、機に応

じて顕れるものだと思っている。

 生きてあるうちは、自らが楽しくあらねば

ならない。そう思うにつけ、歯を食いしばっ

て修行するというようなことをしないで済む

工夫をする。合理的なのである。

 よりどころを外に求めるのは身勝手に過ぎ

るとして、己ができることに全てを尽くそう

としてはいるが、それであって尚、己が身内

から引き出せるものは、求めれば無尽蔵なの

だとも感じている。もしもそれができないと

したら、まだ理解できない力の働きが他にあ

るということであるとして、それが現れるの

を待つのみだと思っているのである。

 理解できないものは無いとするのはあたら

ない。縦横斜め意外に働く力というのは確か

にある。それが精神の働きということになれ

ば、尚更のことである。願いを叶えるための

ものであれば、それは意識だけでは如何とも

為しがたいから、気楽でいるのが良いとして

いる福島である。気乗りのしないことは避け

る気があるから、一見自分勝手に見えるが、

悪気があるわけではない。性格の持つ特性と

いえる。

 薄い壁を通して、何事をも可能にしてしま

う空間があるのであり、そこに繋がる手立て

が如何にしたら得られるのかは詳らかでない

にしても、それはあるのであって、不意にそ

こに至ることがあるのだということについて

の感覚が、隼人と共通する認識であり、解り

あえていた。

 福島は、武道といえど興がのるような楽し

みを伴うものを好む。弓の他の剣も、曲芸と

も思えるような技もそんなところから自然に

身についた。本編にある、縫い針を畳に並べ

立て居合抜きに次々打ち込む技も、遠い的を

射ぬく弓矢のための目をもってすれば、苦も

ないことであった。

 風の中にあっても瞬きしない目力は、人が

見落とす僅かな動きの変化も見逃さないから

誤魔化しが効かない相手であるはずが、一見

遊び人に見えるから、他から用心されはしな

い。然して、楽しくなくては生きる甲斐がな

いとする、武家勤めに似合わない男ではあっ

た。



 第2部


     邂逅


 数馬が生まれた時、雷鳴が轟き落雷が地を

裂き風雨が吹き荒んだ。

 風神は悪を追い払い、雷神は善を勧め水雨

を整えるのだという。風雷いずれも自然現象

なるに、天地剖判(ぼうはん=二つに分かれ

ること)以来、元が一つであったものが分か

れて成れるものは、上下・左右・正邪・美醜

などなど限りなくある。神の如何なる意識が

あって何故分離したかは解らぬが、分かれれ

ばそこに隙間は生じる。

 雷は巨大なエネルギーを地上に降り注ぐけ

れど、天にも同じ分量を放出する。それは光

の粒となり、風を起こして宇宙に充満し天地

をつなぐ。

 そもそも一なるものは、分かれたことの意

味は理解できずとも、分かれた部分に働きが

それぞれにあり、それを任されたことである

と感じ取ることはできよう。その持ち分に上

下はないのであると知れば、そこに不満は生

じまい。分かれたものには中心があり、そこ

がバランスの場所なのであろう。


 人だかりがあった。放課後の部活の時間帯

である。

 美少女であるとつとに知られた部長が茶を

点てているのを、隙間から覗き見ようという

のである。

 当校茶道部では、創部以来猿蔵の泉から汲

んできた水を使うことになっていた。

 猿蔵の泉とは、江戸時代の頃、茶道家の不

蔵庵龍渓宗匠が、茶に適した水を求め、京を

発って諸国を遍歴していたとき、天竜川下流

の水のうまさに心をひかれ、その源を探り尋

ね支流を遡ること40キロメートル、風越山

のふもと松川渓谷で発見したと言われる泉。

奇しくも、これまた風越山に因むのである。

 近年になって一応男女共学校ということに

なったが、元々は男子の進学校という歴史が

あることから、女生徒の割合が極めて少なく

て、その上美女ということであれば人気はい

や増して、人知れず青春の胸を焦がす若者が

多かった。

 日々の学業は、知識を増やすものではあっ

ても、知識の増大が即ち分別を生むものでは

ない。知るということは、わからないことに

対しては極めて無力である。知りえぬ状況を

どのように判断するかは、また別の智恵であ

るのだが、恋心という目には見えないもので

あっても、認識されればそれは形あるものと

変わらず確かに存在するものといえるから、

対処の方法を探ることになる。そして往々に

して間違う。

 而して、超常現象も認識されることにおい

ては存在を否定できず、変なマジナイに頼る

者も出て不思議がなかった。

 近頃は、自らに内在する神性を意識する人

は少なく、一方的我意をコントロールする事

ができず相手や周りに害を及ぼしてしまう者

が多い。我意は、即ち害であった。

 数馬には見えるというか解るというかの能

力が幼くして備わっていたから、いずれ好む

と好まざるに拘わらず、その働きをしなくて

はならない場に立つ予感があった。

 見渡せば、段丘の春はうららに霞んで、暴

れ天竜川は水嵩を減らしていたが、権現山が

時を越えてまたぞろ鳴動し始めていた。

 天竜川と権現山の間には高速道路が龍蛇の

ごとくうねり走り、夜ともなれば赤カガチの

目さながらに光るヘッドライトの流線が行き

かい、その吐く息は、むかし手が届くほどの

距離に見えた輝く星々を曇らせていたのであ

る。

 カガチとは酸漿(ホウズキ)の古名、八岐

大蛇にもその記述がある。

 変じて蛇のことをカガチといい、蝮の数百

倍の毒をもつというアカカガシというのが山

野を這い回っている。不気味である。


 雨の境目というのを見た人は少ないだろう

が、少年のころにそれを見たことがある。

 真夏の昼下がり、乾ききった地面を夕立が

叩いた。線を引いたように左側は土煙を上げ

て雨に打たれ、見る間に乾いて赤茶けた土を

黒く染めたが、右側は相変わらずの土埃を雨

風が舞いあげさせ草の葉の上に積もらせてい

た。

 数馬には時として、同じ空間なのに別次元

の世界らしきものが平行して動いているのが

見えることがある。1歩踏み越えれば、そち

らの世界に入り込めるかと思える程のもので

あった。境目や範を越えて、そちらのものが

越境してきても、不思議ではないと思うので

あった。世情の乱れや人心の荒廃は、そんな

ところにも遠因があるのかも知れない。

 憑かれるということも聞くことがある。古

くは狐などの動物霊であったり悪霊と呼ばれ

るものであったり、新たには自分が呼び寄せ

てしまった超常エネルギーであったりする。

良い結果を生むものであれば望外の幸せとい

うことになろうが、自らが引け目に思う行い

が良い結果を齎すエネルギーを呼び寄せるこ

とはなさそうである。

 本来は性が善であるはずのものを、自らが

貶めるような言動を度重ねていることで、波

動が荒くなってしまっての結果であるとすれ

ば、折角魂の磨きの場を今生に得られたとい

うのに悔やみきれないこととなりかねない。

 自分が意図しないものであるにも拘らず、

他人に雷同して引きずられていることによる

のであれば、踏みとどまる勇気をもたない限

りいずれ自分でツケを払うことになるのは、

それが因果だということに思いを致す必要が

あろう。


 思い込みの激しい男が、茶道部の部長であ

る桜町真央に暗い想いを寄せた。いわゆる懸

想したということである。自己本位そのもの

ともいえる暗い想念を抱いた。

「数くん、私このごろ気味が悪いことが多い

のよ。いつも誰かに見られているようだった

り、時々後ろからつけられているような気が

したり、怖い夢もみるの」

 真央が、幼馴染である数馬に学校帰りの道

すがら話しかけた。

「真央ネーは、誰にでも好かれるタイプだか

ら、気をつけないとね」

「そんなことはないわよ。気が強いし茶道を

やっているにしてはお転婆だし、好き嫌いは

ハッキリしてるし。数くんの知ってるとおり

よ」

「それでも、綺麗な女の子は気をつけない

と」

「あら、高校生ともなると数くんでもお世辞

をいえるの。今まで私のこと女扱いしなかっ

たくせに」

 入学して数日しか経っていなくとも、真央

にファンが多いことを知らされていた。素直

に接すればよいものを、内に篭らせて遠巻き

にしている者が多いということもである。

 数馬には、感ずるというか見えるというか

してしまうものがある。

 生霊というか、生きている者の凝らしたエ

ネルギーというものが異常に強くなることが

あるのがわかってはいても、どう処するかは

教えようもないのであった。

 それに較べれば、死霊は対処さえ誤らねば

さしたることなく済ませられるのかもしれな

い。そんなことを言うと、宗教家にクレーム

を付けられるかもしれないが・・・。


 有名な話がある。

 深い恨みを持って仇と付け狙っていた男が

逆に捕らえられ、その敵と狙う武士の面前に

高手小手に縄をかけられ引き据えられた。怨

みの形相物凄く歯噛みして「死んでもこの怨

み晴らさずにはおかぬ」と吠えるのに対し、

捕らえた方の武士が、「ほう、死んでもな。

そうできるかどうか証を見せてみよ」と言っ

たという。

「しからば、首を刎ねられたらそこにある石

灯籠に噛み付いてみせよう」

 首斬り役人が、水もたまらず一刀両断に首

を斬り落とすと、胴を離れたその首は空を飛

んで狙い過たずその石灯籠に喰らいついたの

だという。

 その場に居合わせた家臣たちは、あまりの

凄まじさに顔面蒼白、言葉を失った。

 それから月日が流れたが、一向に障りと思

えるようなる現象はいつかな起こる気配をみ

せなかった。

 家臣の一人が恐る恐る「あの怨みに満ちた

男の霊は、どうなったのでございましょう」

と尋ねると、「ああ、あれか。怨みの一念凝

り固まって石灯籠に向かってしまってそれで

終わりよ」その先はないのだ、と言うのであ

った。逸らしてしまったということである。

 それとは別に、思い方というのもある。く

よくよ悩んでいると、それらの悩みの種を増

幅して益々引き寄せてしまう。


 風越山の背面の空を茜色に染めて、夜の帳

がおりた。異様に赤い。

 日が暮れると、街中の路地のあちらこちら

に赤い灯青い灯が点って、時がたつにつれ足

取りの定かならぬ者たちの数が増し、恐怖が

そこに迫っているのを気づきもしないで、あ

たりはさんざめくにまかされ、常と変わりな

かった。

 黒曜石のように黒く透き通った大きく不気

味な目が、中天からそれらを見ていた。

黒曜石は、別名を矢の根石と呼ばれ、鏃の形

に整えられて使われた。このあたりではその

名残の遺物を畑のあちらこちらから珍しくも

なく見つけることができた。信州の和田峠あ

たりで採れる原石が、太古の昔いかなる流通

経路を辿って、日本国中に広まったものなの

だろうか。信州の山深いところからであるこ

とを思うと、不思議といわざるを得ない。

 鏃が沢山あったほかに、大きな石斧も見つ

けて持っていたのであるが、明らかに打製石

器の様相を呈していたので、小学生時代先生

に見せたところ、「日本は磨製石器の時代か

らの歴史しかない」と、その先生は頑として

譲らなかった。

 それから何十年かして、隣村の牛牧から出

土した石器が打製石器であるということにな

って歴史は塗り変わった。その先生、素直に

物事を見ることができていたら、歴史に名を

残せたかもしれないのに、残念なことではあ

る。

 その牛牧から山道を登ると、大島山の滝が

ある。巨大な1枚岩を削って丈余の滝が水し

ぶきをあげている。

 数馬はここで瞑想するのが常であったが、

ある日何かに急かされて、滝の上から滝つぼ

に飛びこんだことがある。まかり間違えば命

の危険さえあるところであるにも拘らずであ

った。

 渦巻く滝つぼの中には、抉られたような空

洞があり、いずくかに繋がっているらしき洞

穴が黒々と続いていた。しかし不思議なこと

に、光が差し込むことが無いにも拘らず、洞

の先が仄明るいのである。

 今このときではないが、いずれこの先に進

み入るであろう予感があった。

 通じるための道というのは、地中にあるの

だろうか?天空に開けるのだろうか?我が身

内にあるのだろうか?わかりそうでわからな

いもどかしさがあった。


 川田勝夫は、同じクラスの真央に思いを寄

せていたが、声を交わすこともできず悶々と

した毎日を過ごした。悩みの時間は陰陽を越

える丑三つ時になると最悪の決心をするに到

った。

 いかなるものごとであれ、この時間帯に考

えて出る結論にはろくなことがないことが多

い。襲って拉致することにしたのである。人

目を避けるのは容易なことではないから、準

備が必用であることは意識にあるが、短絡的

に見境がなくなってしまっていた。憑かれた

のである。

 類は類を呼ぶ。本来は善である者も意識が

沈んで良からぬことを考えることが度重なる

と、悪い波動は悪い波動を持ったものが同期

しやすくなり、自分が思いもしなかった大事

に至ることが多い。因がなければ縁に触れる

こともないし果もないということになる。

 道は、踏み外した最初が小さなものであっ

ても、自ら踏みとどまることができねば、際

限もなく深みに嵌る。他人ではなく自分のこ

となのである。

 川田勝夫は、普段の気弱さからは考えられ

ない行動に走ることになった。町外れの神社

の暗がりに潜み、日が落ちて暗くなった道を

大抵は一人で帰る真央を襲うことにしたので

ある。

 神社というのは、午後の2時くらいまでの

明るいうちに詣でるのはよいが、遅い時刻に

なると参拝者の落としてゆく澱みが払われき

れずに残存していることが多い。善男善女ば

かりが参拝するとは限らないから、得てして

悪想念からの黒い欲望を吐き散らして憚らな

い者だって参拝者の中には多くいるから、そ

れらが滞る。それらの中に入れば染まること

だってあり得る。

 悪念は凝り固まれば、たとえその望みを果

たしても、我が身を滅ぼす。空気が清々しい

うちに参拝すべきなのである。

 部活を終え部室の片付けが済むと、部員達

は口々に部長である真央に丁寧に挨拶してそ

れぞれ退出した。戸締りをして外に出たとき

には中天に朧月がかかって、あたりをやわら

かく包んでいた。真央の帰路は、街中を抜け

ると両脇に果樹園が続く三州街道を4キロメ

ートルほど歩くことになる。日が暮れると、

果樹園の手入れに朝から忙しい付近の住人は

明日の為に眠りにつくから人通りは絶える。

 しかし、和やかな伊那谷のこのあたりの治

安は、女子供が仮令一人で歩いても、何の不

安も覚えぬほど安定していた。遠く山間から

ときに狐の鳴き声が聞こえるのが寂しいとい

えば寂しいと言えるくらいのものである。

 狐火というのがある。遠く高くに聳える尖

った山並みの上を、点々と仄の白い灯りが渡

ってゆく。古人は、これを狐火と呼んで人魂

と同じく恐れた。なんらかのエネルギーの移

動あるいは攪拌があるのではなかろうか。

 真央は、幼少時代の数馬の修行に幼馴染と

いうこともあって遊びのように付き合ったか

ら、本人が気づかぬまま、その身体能力は尋

常一様なものではなくなっていた。

 部活を一所懸命にやった充足感からか、真

央は機嫌がよかった。歌を口ずさみながら、

街はずれの神社の鳥居近くにある道祖神を刻

んだ石像前を通り過ぎようとした。その時、

背後から襲われた。

 黒い布で面を包んだ男に、口を押さえられ

て後ろに引き倒されようとしたのである。

 そこからの真央の反応は早かった。右足踵

で相手の右足甲を強く踏みつけ、痛さに怯ん

だ処に向き返ると、右手の裏拳が眉間に間髪

を入れず打ち込まれていた。ギャッっと声を

あげて男は後ずさり、そのまま一目散に逃げ

去った。

 真央は息も乱さず、何事もなかったように

家路に再びついた。豪胆である。嫋やかに見

える外見からは、誰も想像できないことであ

った。

 翌朝、勝夫は病気を理由に学校を休んだ。

その実は、打たれた顔面の腫れが引かなかっ

たからである。休んだついでに次の手立てを

考えることにした。親の金を使えば、自分で

やるより容易にできる。エスカレートするの

が、悪事の常である。

 子供時代から、悪戯の泥を他人にかぶせ、

自分が何食わぬ顔で通してくることができた

のは、手駒であると川田が自分勝手に思い込

んでいる男がいたからである。自分の力では

なく、親の威を借る勘違い者は、どこにでも

いる。

 現在は、暴力事件がらみの関係者であると

決め付けられて停学中であるから、目立たな

くて好都合な松田芳樹を呼び出した。

 計画は乱暴である。拉致して自家の古くな

って使わなくなった山小屋に監禁しようとい

うのである。その後に起こるであろう事態へ

の収拾策もなにもあったものではなく、頭に

血がのぼって破滅への道をまっしぐら。何か

に憑かれた恐ろしさというほかない。山のむ

こうから、いったい何が来たのやら・・・。

 松田芳樹は、親がかりのいきがかりもあっ

て、川田勝夫に無理やりその役回りを押し付

けられることがあったりはしたが、もとより

気は進まなかったことの方が多い。乱暴であ

るとして咎められることは多かったが、その

乱暴には常に言い分があった。人として越え

てはならぬものを侵してまでのことをすると

いうことは、今までなかったのである。

 今回の川田の申し出には落としどころを考

えねばならなかった。更には、破綻を招く前

に、川田の立ち直りのキッカケをも図るには

どうすればよいかと思うにつけ、今までの彼

の性格の歪みを知っているだけに、暗澹たる

思いにかられるのであった。

 松田は、一見ワルのイメージで通っている

が、自分のことだけに捉われてものごとを為

す質ではない。そういう意味で、数馬とも今

までに接点がある。入学式の後の部員勧誘の

おり、天空から鳶を切り落とした男である。

その後、真央が数馬にとって身内に等しいと

いうことも知るに至っている。

 どうにか、表沙汰やおおごとにならないよ

うに収めねばならぬ。それも頭に血がのぼっ

たままでいる川田にそれと知られずにという

ことである。

「内々に話してみるしかないか」ということ

に思いは行き着く。かといって、川田の恥を

さらけることになるのは、相談ともならぬ相

談を持ちかけられている手前、いささか気が

とがめなくもない。されど人としては踏みと

どまるべき行いを助長するわけにもいかぬ。

気が弱いだけで、根からの悪党であるとは思

えない川田を、大きく間違わせるわけにはい

かぬし、片棒を担ぐというのは真っ平だとい

うのも、正義漢ぶるわけではないが本音。不

思議な記憶力を持つ川田を、憎からずとも思

い、どこか遠い記憶が、思い出せないずっと

昔からのかかわりがあったように思えてなら

ないのであった。

 どうやって川田の意を翻させるか。という

のも、気の弱さが激情に走る気のある川田で

あることを知っているだけに、放り出して思

いつめれば何をするかわからない恐れもあっ

て、自分が彼を抑えないとならぬと思うので

あった。

 夜ともなると、山裾に鬼火が燃えるのが見

られるようになっていた。鬼火と書いてホウ

ズキとも読む。ホウズキの古名は、カガチ。

カガチはすなわち蛇。

 血、地、乳、智、オロチなど、「ち」のつ

くものは、何か神霊世界に通じるものが多い

ように思える。

 川田の目は、近頃ホウズキのように赤く光

るようになってきている。


 河尻明は、先祖が槍の名手であったと聞い

てはいる。時々同じ夢を繰り返して見る。同

じ状況に至れば、自分もそうするであろうと

いつも思う。我とわが身をもって異界への入

り口を塞ぐという夢を見ると、何処からとも

ない声を聞いた。「それで良い。全ては、別

のものではなくて一つのもの。分かれて見え

るのは、人の五感が、そうしているのに過ぎ

ぬ。意識を解き放ってこの先へ進むがよい」

 高丘の古墳の石室が開くと続いていると言

い伝えられていた道が、ほの明るく先へと誘

っている。権現山に至ると言われていた道は

踏み出してみると銀河が輝く星々の中の如く

である。

 道というより空間といえ、意識が限りなく

広がり、恐れから程遠いものとなる。

 暗い随道を進んでいる筈なのに、壁などま

るでないかのように全てが見渡せる。誰かが

怪しの者と斬り結んでいる姿も、別の誰か矢

を切って放す様子も、隼人が凝然と佇んで何

かと対峙している雰囲気も、傍らに居るがご

とく見えるというより分かるのであった。

 滑るように進んで行く先の中空に、何故か

とても懐かしいものなのだが、それが何であ

るのかが解らない長い柄の先に尖った鋼がつ

いた物に気づいて手にとった。槍であった。

槍の名人である河尻にして、それが何である

のかを忘れていた。手に取るとそれは体と一

体になり、身内に取り込まれてしまう。この

先使うことはあるまいが、意識すれば必要に

応じて取り出すことができるのだと思えた。

「そうだ。生まれ変わってもそれを使うこと

はあるまいが、その働きが必要となることが

あるかも知れぬということのみ覚えていれば

よい」どこからともない声が脳裏に届いた。

そこで河尻の意識体ともいえる固体は、霧の

ように宇宙に溶け込むのだった。


 松田が時々見る夢は、際限もなく次から次

へと現れる魔と斬り結んでいて、やがてそれ

に倦む。そのことのみに意味があるようには

思えなくなってくるのである。源を断たねば

如何とも為しがたいのだと。

 そう思うと、個の体ではなく意識体でなく

ては適わぬと思った途端、夢は霧消する。

 人は何故、個を区別し争わねばならぬのだ

ろうか。各々の持分の働きがあって一つのも

ののはずなのに、同次元で競わねばならぬと

はどうしたことなのであろうか。

 松田は、川田の捉われが一体何なのかと思

いを巡らせている内に、恋慕の情による肉欲

というより単に認められたい親しくなりたい

ということなのではないのかと思えてきた。

 顕れ出でねばならぬ何事かの予兆としての

揺らぎかも知れない。

 自分に剣の才能があるのも、時に心が騒い

でわかりそうでわからないことや、見えそう

で見えないものがあるもどかしさも、生まれ

ついてのそれらのものが、合せて明らかにな

ってくる時期なのではないかとも覚えるので

あった。

 片棒を担ぐのもご免だが、彼が道を踏み外

して深みに嵌っていく前に「一回じっくり話

してみるか」と思ったのである。最初の一歩

がその後をわけるとしたら、踏み止まること

に要するエネルギーは、止まらずに走ったこ

とによる結果を覆すのに比べれば、いつでも

さしたることではないのである。

 なぜか、生まれる前から川田を知っている

ように思えてならないのであった。

「川田、本当にそうしていいのか?俺にはと

ても賛成できない。今まで大抵のことは、手

助けしてきたが、今度ばかりはお前の本当の

気持ちがわからない。取り返しができない企

みだからということでもあるが、より嫌われ

ることが確かだし、その後をどうするのかも

聞かなくっちゃならない。何をどうしたいの

かが全く見えないんだ」

「俺にもわからないが、何かに引き込まれて

いるようなんだ。星をも砕く力っていう言葉

が頭にこびりついて離れないんだ」

「何、それは本当か。その言葉は、俺の頭の

中にもいつも響いている。ずっと昔に、何か

恐ろしいことを乗り越えようとした記憶が俺

にはあるが、お前にはないか?俺とお前は、

どっかで繋がっていたんじゃないだろうか」

「ぼんやりだが、それはあるんだ。何かに憑

りつかれているような気がしている」

「真央さんについても、何かひっかかりがあ

るようなことか?」

「いや、真央さんを護っていた仲間がいたよ

うな気がするんだが、それが何だったのかわ

からない」

 時を越えて魔が再び蠢動を始めたのかもし

れなかった。命を代償にした隼人たち五人の

働きが、その後の人々の意識を変えきれてい

なかったと言えるかも知れぬ。人の本性の浄

化や進化は難しい。どうしても目先に囚われ

るからである。


 麻績神社の裏手の山に、絶えて久しかった

狐の鳴き声が度々聞かれるようになり、天竜

川の波が高くなっていた。

 神社のほど近くに佇む元善光寺の境内下に

ある矢場に、矢音も高く弓を引く青年が、一

人黙々と矢を射ていた。60メートルほど離

れた土塁に設えられた金的には、射られた矢

が重なるように突き立っていた。

 的を侯串(こうぐし)で刺し立て、矢を受

け止める為の土盛りで、安土が設えられてい

た。安土には主に川砂または土が使用され、

川砂や山砂、おがくず)を適度に混ぜ合わせ

50度前後の傾斜をつけて盛る。


 学校帰りの数馬が傍らに来た時、福島の射

は図星からは少し外れたところに突き立った

ところであった。数馬と福島は的に向かって

深々と頭を下げた。

「今、『それ』が降りたね」「うむ、やはり

君には解かるんだね」が、最初の挨拶であっ

た。

 福島が師についたとき、師から言われたこ

とは、何故ですかと聞くことなく同じように

やれ、ということであった。

「力を入れるな、当てようと思うな、射るこ

とを意識するな、呼吸のみを考えよ」が教え

であり、後のことは自分が修行の中で身につ

けていくより他なかった。

 一体誰が弓を引き、誰が矢を放つのかとい

うことについては、師は「いずれ解かるであ

ろうが『それ』が降りてきてするのだ」との

み言っただけである。自らが気づけなければ

教えようがないもののようであった。

「福島、相変わらず精がでるね」

「うん、このところしきりに心が騒ぐんだ。

落ち着かない所為か、なかなか思ったほどに

は引けぬ」

「落ち着かなくてもそれか。落ち着いて射た

ら、矢が裂けよう。確かにこのところ俺も心

が泡立つような気がしてならないんだ」


 ほどなく、朧月があたりを包んだ。月に浮

かれた狸ではなく、狐が鳴く物悲しい声が稲

荷坂あたりから聞こえてきた。


 翌日、川田は絆創膏を貼った顔で登校し、

意を決して真央の前に進み出ると、深々と頭

を下げた。

「真央さん、あの、実は先日の・・・」と言

いかけるのを真央が遮った。

「わかっているわ。何も言わなくってもいい

のよ。貴方にも星をも砕く力という声が聞こ

えるんでしょ。私には、解放すれば星をも砕

く力って聞こえてくるわ。数馬君が前々から

言うのよ。破壊しつくして創り直さなければ

ならないと考えているとしか思えないパワー

が、動き始めているらしいって。でも、その

前に魔との戦いがあるだろうって。魔って何

だか解らないけれど、人の意識の中に巣くっ

ているものが形に現われてくるから、それを

消すことなんだって。貴方もきっとそのとき

のお仲間になるのよ。この先宜しくね」

 川田の顔は、吹き払われたようにみるみる

明るくなっていった。

 現れれば消えるものに捉われて、どんどん

引き込まれるから、深みにはまって身動きが

とれなくなるが、踏みとどまる勇気をもてば

道は開ける。乗り越えられないものはないの

である。


 飯田から駒ヶ根に向かい25キロ程の飯島

町七久保に、今は桜の名所として知られる千

人塚というのがある。

 1582年(天正10)に、この地にあっ

た城は、織田信長の軍勢により落城した。戦

いで死んだ敵味方の将兵の遺体や武具などを

集めて埋葬し、塚とした。

 その後、悪疫が流行したため、そこに千九

人童子の碑を建てて供養した。そこにあった

城の空堀は、昭和の初期に水を引き入れて灌

漑用の池となり、城ケ池と呼ばれ、かなりの

大きさで水を湛えている。

 高校生達が気のあった仲間と連れ立って、

自転車などでピクニックに訪れる。ここに至

るまでの道筋にある畑には、苔むした墓石が

諸方に散見される。畑の持ち主の先祖の墓と

いうわけではない無縁の墓が殆どだが、彼岸

や盆などには花が手向けられていることが多

い。

 真央、数馬、松田、河尻、福島、川田は、

自転車に食料を大量に積んでピクニックに出

かけた。

 花が終わるとわからなくなるが、こんなに

桜が多く植えられているのかと思うほどに、

途中の桜花も見事であった。切る風が薫り、

頬に心地よかった。

千人塚の桜の下に六人がビニールシートを

敷き、持参したおにぎりやサンドウィッチ・

果物を並べて食べているときに、異変は起こ

った。

「わあ、どうしたんだ!」と叫び声が上り、

見る間に人だかりができた。輪の真ん中にい

た少女が、頬の辺りから多量の血を滴らせて

いた。

「これは、鎌鼬(かまいたち)にやられたん

だ!」人垣の中に居た老人が叫んだ。

 鎌鼬は、甲信地方に多く伝えられる、妖怪

が起こす変異とされる。旋風に乗って姿も見

せず現れ、人に鋭い傷を負わせるが、痛みと

いうのはないのだという。

 鼬も魔物の一種と見做されていて、群れる

と不吉であり、夜中に火柱を起こし、そこに

火災が起こるとされている。

 鼬は後ろ足で立ち上がり、人の顔を凝視し

て、狐と同じく眉毛の本数を数えて人をたぶ

らかす。信州では、カマイタチ現象は悪神の

仕業であると言われていて、暦を足蹴にする

と、この災いに会うという俗信もある。

 この現象は、真空状態のところに触れると

起こると言われるが、科学的に証明されて確

たるものとなってはいない。そもそもは、

「構え太刀」が訛ったものだという人もい

るが、現象の説明はない。


 川田が、ポツリと言った。

「そういえばこのところ山付けの農家で、

巣箱に飼っている兎が、鼬らしきものに鼻先

を抉られてやられるという話をよく聞く」

巣箱の奥にいればそんな被害にあわなくて済

むのに、わざわざ網のそばまで行ってヤラレ

ルとは、なんて兎は愚かなんだと、飼い主が

悔しがるのだとか。本当に鼬の仕業なのだろ

うか。

 日が傾き始めたのを機に帰り支度をして、

市街地に皆が戻ってきたのは、朧月が昇り始

めた頃合であった。

 交差点を無灯火で、携帯電話をしながら走

る若者が、危うく横断歩道を渡りかけた老婦

人と接触しそうになったのを、連れの男性が

「君、あぶないじゃないかっ!」と咎めてい

るのに遭遇した。若者は、非を認めて謝罪し

ないはおろか、居直って「何、このクソジジ

イ!文句あるのか」と罵った。

 六人が分けて入ろうとするより早く、その

若者は携帯電話を持った手から突然血を噴出

してその場で自転車ごと横転した。間に何の

姿も見えなかった。鎌鼬である。

 六人は、思わず顔を見合わせた。急が迫っ

ているように思えたのである。

 散会する前に、喉の渇きを潤そうというこ

とで立ち寄った喫茶店で、松田が口火を切っ

た。

「おい、どうする。何か異様な展開になりそ

うだぜ」

「うん。なにかに憑りつかれてしまっている

ようなのが、うようよ見える」

数馬が応えた。

「自分勝手な人たちへの天罰というか、警告

ということだけじゃないみたいね」真央が眉

を顰めた。

そこに集まった面々は、以前どこかで一緒

に立ち向かったものが有ったのだと、言わず

語らずのうちに理解していた。記憶の川を渡

り返して生まれ変わってくるとき、残留する

思念を一部引き継いできたらしい。

 真央がいう。「万能の創造の神様だって、

何かの手助けが必要だったり、人々の気づき

をきっと願っているんだわ」


     始まり


 人間は、自分では良いと思ってしているこ

とでも、時に過ちを侵す。気づいたとき素直

に謝ることと、許しを与え合うことが、精神

の進化をもたらすように思える。

 信念であったり宗教であったり主義に捉わ

れると、正義は自分のサイドにのみ有って、

悪いのは全て相手であるということになり、

相手にも言い分や立場があるということに思

いが至る余裕を失う。

 そもそもが一なるものであるとしたら、こ

のような分れはどこから始まったのであろう

か。判断基準となるものは、善悪・美醜・快

不快・損得・正負その他様々あるが、そのど

こに分け目を見出したらよいものかが確かに

は判らぬ。命というものが永遠に続くとした

ら、どこからが生であり、どこからが死だと

言って区別するかということも判らないこと

になる。生かされてあるということに粗末な

世になっているのかも知れぬ。

 目先の小さな損得が重大であり、それに従

って他を慮らない行動をとることが普通にな

った。この世的にいえば、悪事を働いている

人が逆に栄えていることも多い。もっとも、

何が悪なのかはわからぬことではあるが。


 街中に、刺刺しい雰囲気を纏ってそれを撒

き散らして歩く人が増えた。些細なことが口

論や争いに進展するのである。人々は眉を顰

め避けて通ることはあっても、それを治めよ

うとは誰もしない。他人事なのである。それ

がいつ我が身に及ぶことになるのかわからな

いにも関わらずである。それでも、それは自

分ではなく誰か他の人がやることとして見過

ごすのに平気であった。

 子は、生まれ変わるときに忘れてしまって

いるが、その都度、何らかの意味があって、

自らがその両親を選んで生まれてくるのであ

る。そのことに気づかないと、親子ともに精

神の進化は望めない。

 子は、親を選べないなどという論が罷り通

るようになってより、親が子に人として必要

な躾ができなくなった。子が可愛くない親は

滅多にいないが、育てる責任はある。近頃は

責任というより本能のみで育てていると言い

換えてもよい。

 猫可愛がりという言葉があるが、動物界の

親は、子に一定期間は目一杯の愛情を注ぐ。

それがないと子は自立できない。

 わが子の将来のためによかれと思ってやる

ことでも、時に子のそのときの意にそぐわな

いことは当然ありうる。子の顔色を見て怯ん

でしまい、教えねばならないことから遠ざか

っているのが愛であるかのように勘違いして

いないだろうか。子の将来を思ったら、すべ

きことはある。

 むしろ、親が子を選べないのだと言えるの

かも知れないのである。自分以外のものをと

やかく言うことはあっても、自分の内面を見

つめることが少なくなった。

 実は、そこに全てが凝縮されているらしい

のだが、他との差別を争うの余り、外にばか

り目を向けてしまっているから、いつまでも

気づけないで苦しむ。

 全ては我がことに他ならないということを

誰もが遠い記憶の中では知っている筈なのに

である。残された時間は、限りなく少なそう

なのである。創造主であっても、いつまで我

慢するか判らない。歪が来てしまったものを

治すより、破壊して新たに創りかえる方がよ

っぽど楽に違いない。

 人は、肉体というものを纏わないと叶わぬ

修行というものがあるらしく、魂の磨きの場

を得ようとして、長くは400年もの順番待

ちをして転生を待つのだとか。よく、前世が

お姫様だったとか身分の高い武士だったとか

のお告げを受けて喜んでいる人がいるが、聞

く方も聞く方、告げる方も告げる方である。

魂の磨きのために繰り返される転生の度に、

殿様であったり乞食であったりお姫様であっ

たり女郎であったりしても、それは必要あっ

て積まされた経験にすぎぬ。今生で何を学ぶ

かということに、思いを致さねばなるまい。


「真央おねえちゃん!恐いおじちゃん達がき

て、お母さんをどっかに連れてっちゃった

の」

 隣の家に住み、幼稚園の行き帰りに真央ね

えちゃん真央ねえちゃんと慕って纏わりつい

てくる琴音が、目に涙を溢れさせて縋り付い

た。

 母子二人でいつも仲良く寄り添って一所懸

命暮らしているのを、真央は琴音ちゃん琴音

ちゃんと妹のように可愛がっていた。

 いつもの愛くるしい笑顔が消え、ちっちゃ

な心一杯で大好きな母のことを心配する琴音

を、屈み込んで胸に抱きしめ

「大丈夫よ」と、今は励ますしかなかった。

「今夜は、お姉ちゃんと一緒に寝ようね」

事情がわからないことには、動きようがな

い。幼い琴音に尋ねるには忍びないことに思

えた。数馬たちに相談するよりない。優しく

弱いところに現れた変異のように感じたので

ある。

 浦安琴音。浦は裏に通じ、すなわち心のこ

と。心を安んじる琴の音、という名前を選ん

で生まれてきた子である。観世音も、音を観

ずるということだから、精妙な音は大切であ

る。耳を聾さんばかりの大音量や雑音に慣れ

てしまうと、いかなるメッセージも受け取れ

なくなる。

 人は、見たいものしか見えないし、聞きた

いことしか聞こえない。人間の器官である五

感は、真実が現にそこにあっても、素直でな

ければ気づくことはできないもののようなの

である。

 小さな胸を痛めながらも、真央に心配をか

けまいと健気に眠る振りをする琴音を抱きし

めて、まんじりともしなかった夜が明けた。

「おはよう。起きられそう?今日は数馬お兄

ちゃんとお話してみようね」

「うん。琴音は平気だよ」努めてにっこり笑

顔を作りながら琴音は真央の顔を見上げた。

数馬が来ると、琴音は自分から話し始めた。

「あのね、お兄ちゃん。昨日コワイおじちゃ

んたちが来て、お母さんを連れて行っちゃっ

たの。お母さんは琴音のために、お父さんは

死んじゃったと言っているけど、それはウソ

で、きっとお父さんの所為なの」洞察力とい

うわけではない。

 優しく素直にしていれば、幼くても愛して

くれている人のことは見えているということ

なのである。

「真央ねえ、僕に知らせたということは、何

か見えるの?」

「ええ、大きな湖が見えるの。その場所に居

る間はきっと守られていて大丈夫だと思うけ

れど、急がないと危ないわ。きっと諏訪のど

こかの建物よ。」残留している思念を拾って、

真央が答えた。

 諏訪は、八ヶ岳の広大な裾野の中に位置す

る。信州は神州に通ずる。信濃の国の中ほど

にある諏訪は、諏訪大社により鎮守されてい

る。

 諏訪神社の祭神は、建御名方尊(たけみな

かたのみこと)ということになっていて、古

事記にいう国譲り神話によれば、出雲の国か

らここまで逃れてきたとされる。


 国を譲り受けるために出雲に派遣された建

御雷尊(たけみかずちのみこと)が、「事代

主尊(ことしろぬしのみこと)は国を譲ると

言ったが、他に意見をいう子はいるか」と大

国主に訊ねると、大国主はもう一人の息子で

ある建御名方にも訊くように言った。

 建御名方がやってきて、「ここでひそひそ

話をしているのは誰だ。それでは力競べをし

て決めようではないか」と言って建御雷の手

を掴んだ。すると建御雷は手を氷柱に変化さ

せ、更に剣に変化させた。

 逆に、建御雷が建御名方の手を掴むと、葦

の若葉を摘むように握りつぶして投げつけた

ので、建御名方は、敵わじと逃げ出した。

建御雷は建御名方を追いかけて、科野国

(信濃の国)の州羽の海(諏訪湖)まで追

い詰めた。

 建御名方は、もう逃げ切れないと思い、

「この地から出ないようにするし、大国主

や事代主が言った通りにする。葦原の国は神

子に奉るから殺さないでくれ」と言って諏訪

の湖に鎮んだ。

 出雲と信濃、いずれがどう違うかは知れぬ

が、太古の神に近い場所であったであろうこ

とは想像に難くない。海からか山からか、と

いうことである。


 数馬は、意識を開放し一点に思念を凝らす

と、導かれるままに一つなる世界に入り込ん

だ。空間を曲げると、二点間は隣同士という

より同一点となる。もともと一つであった世

界であるから、すぐに思念は目的地である山

荘らしき所に着いた。松田の仲間たちのバイ

クに送られて、突然目の前に現れた数馬に、

柄の悪い男達が喚いた。

「何だてめえは!どこから来たんだ」

「大島山の滝からね。お母さんを帰していた

だこうと思いまして」

「なんだと!何でここがわかった?折角来た

が無駄だったな。帰れ帰れ。警察に言っても

いいが、これは夫婦の問題だ。相手にされな

いぞ。法は家庭に入らずってヤツだ」無法に

慣れた物言いである。

「親分に聞かなくってもいいんですか?電話

してみたら?勝手なことをすると後が怖いで

しょ?」

 先がどう動くのか判っているように落ち着

き払った数馬に、男達は不安を覚えた。

 兄貴分らしき者の携帯電話が鳴った。

「ハイ親分、私です」

「一体何処に居る。すぐ帰って来い」

「いえ、ヤツの女房(バシタ)を押さえたの

ですが」

「お前は馬鹿か。そんな程度の智恵しか廻ら

ぬ無能なら、お前は使い物にならない。そん

なのは放っておいてすぐ帰って来い」

 男達は母親を解放すると、あっという間に

立ち去った。

この親分というのが、この後の展開に関係

してくることになるが、姿がまだ見えない。


 力というものは、圧倒的な暴力の差であっ

たり財力による横暴であったり、衆を恃んだ

数によるものであるときは危うい。

 何が悪で何が正義なのか、本当のところは

なかなか見えてこないのであるけれど、人が

口にするときの根拠というのは、一面に過ぎ

ぬことが多い。

 一見平和に見える風景の裏側には、倦怠感

や閉塞感や苛立ちが埋没している。気づかず

に過ごしているように見えても、我が身に及

ぶキッカケがあれば、鬱積したものが一気に

吐きだされる。それが、個々ではなく集まっ

た暴走のエネルギーということになれば、し

かもそれが数の力で正義だとリードされると

なれば、簡単に見境いなく破壊の衝動となっ

て膨れ上がり、付和雷同しての行為は責任の

所在が何処にあるのかもわからなくなるから

危険この上ない。

 自分で判断することができる能力を養って

いなければ、誰が陥っても不思議ではない、

という人間に潜在している闇を誰もが抱えて

いるからである。


   展 開

 麻績神社の境内は、神社に神主が居ないこ

ともあって、普段人影はない。鬱蒼とした常

緑樹の下に佇む社殿は、古さを際立たせ神錆

びた雰囲気を漂わせている。

 その高床式の社殿の下を覗き込んで、何か

を探しているかの様子を見せる男がいた。人

並みはずれた記憶力を有し、およそ自分が触

れた史料は残さず保存していることで夙に知

られる塩崎建国であった。膨大な知識をその

頭脳に蓄えてなお、自らを蛙井と名乗りつつ

も、「されど天(そら)の深さを知ると言う

こともある」というのが口癖である。彼によ

れば、外に知識を求めても自らの内を掘り進

めれば得られる無尽蔵なる世界の方が大きい

のだという。

 彼方なる記憶が、昔集った者たちの記録が

この場所に閉ざされてあるのだとしきりに告

げていることに導かれて、一人訪ねてきたの

であった。であれば八人ということになる。

八というのは恐ろしい。

 風雲急を告げていると急かされていた。

 かび臭い縁の下の土の中から見つけ出した

木箱の中からは、油紙に包まれた和綴じの文

書が現れた。表紙には、「一(いつ)なる

物」と書かれてあった。その昔、棚田真吾が

納めたものであった。

 書き起こし部分に、「異界の穴を塞ぎ得た

のは物質ではなく、母を思い妻を思い友を思

い無辜の民を慮ることから発する光の糸であ

った」との記述があった。

 人は、目に見えるもののみ信じる傾向があ

るが、現に存在しているものであっても見え

ない、或いは見ないでいる物が多すぎはしな

いだろうか。見えないから無いとはいえぬ。

 知識は物質に関わるものが多く、畢竟それ

は損得に結びつき易い。心といえるものに繋

がる物は、不急のものとされがちであるが、

それでいいとは言えまい。

 物質と物質を結びつけるのは、そんな思念

に関わるものであろうし、物質の綻びから漏

れ出てくる魔ともいえる現象が増えてきてい

るように塩崎には思えてならなかった。

 もし鎌鼬なるものがそれであるとしたら、

それは走りであって、後に如何なる重大事が

続くか測りようもない。

 塩崎はまだ知らぬが、琴音の母親を置き去

りにして去っていった男達のいずれもが、帰

の途中で手足から血を噴いていたのである。

 噂というものは早い。どこでどう嗅ぎ付け

たのか、琴音の母親が浚われたのを知った記

者らしき者たちが寄って集って幼い琴音を取

り囲み、無遠慮な質問を浴びせかけるのを背

に庇って、真央は「いい加減にして下さい。

いたいけな子供に事情なんかわかる筈ないで

しょう」と窘めたが、正義と報道の自由を主

張しての臆面のなさは、母親が帰って来たと

きの有様がおもいやられた。ひっそりと暮ら

している母子のことを、興味本位に洗い浚い

にされることは、母子が求める幸せに結びつ

くには、前途多難であろうことが思われ、悲

しかった。

 宇宙には四つの力が働いているというが、

このうち重力だけが他と比べとても弱いのだ

という。重力のエネルギーが異次元に漏れ出

しているのかも知れない。エネルギー保存

(不滅)の法則から言えば、それはどこかに

戻って来る筈のものといえる。

 思念は実体化するのだとするなれば、悪想

念は暗黒の世界から戻ってくるのかもしれな

いし、その行き着く先は波動が合致するとこ

ろともいえ、荒い波動や心の隙間に悪意ある

ものが憑依という形をとるのかも知れぬので

ある。

 この世の生物は、他の命を食らわなければ

生きられないのであるから、創造主は人間の

理性に何を求めてのことなのであろうか。人

類の意識体のエネルギー進化が創造主の願い

であり、もって神の創らんとするものの現出

に手助けを求めているのかも知れないが、謎

が多すぎる。気づきと感謝ともいうべきもの

が、その入り口となるようにも思えてならな

い。

 琴音が数馬に、大島山の滝の巨大な一枚岩

の一隅を指差して「お兄ちゃん、あそこから

何か黒いものが這い出そうとしているよ」

と言った。

 つるつるの岩肌のどこにも、穴はおろか裂

け目もないのである。しかし言われた数馬に

も、それが確かに見えるのであった。

 意識のエネルギーを光にして飛ばし、穴を

塞ぐことが安全に思えた。一瞬で、それは元

通りの岩肌に戻り、そこから常のごとく滝の

飛沫が跳ね返るようになった。

 人は誰しも、時に自分の内なる神性を垣間

見たり、それに触れたりすることがあるが、

かすかな気づきであるそれを大きく育てあげ

るということをすることは滅多になくて、損

得や自我の方を優先させてしまうのが殆どで

ある。

 そもそも備わっている筈の力に気づくこと

を疎かにしてしまう仕組みが、また併せてあ

るのかもしれない。精妙なものは、育てるの

が難しいが、できないことでは無いはずなの

に・・・


 琴音の母、綾音は、数馬と一緒に戻って来

るなり飛びついてきた琴音を、黙ってぎゅっ

と抱きしめた。良い子というのは、如何に可

愛がられたかにより育つ。物質的に恵まれる

かどうかとか、或いは親が愛と思い違いする

自己満足の行いの結果で与えられるものでは

ないことは確かである。

 子が次代を繋ぎ、完成された世界を宇宙に

示すことが目的かも知れないが、何故にそん

な時間が必要とされるのか、定かにそれとは

わからない。

 もうひとつ解らないことがある。子は、親

を選んで生まれてくるらしいのである。いつ

の頃からか、子が親に対して「産んでくれと

頼んだ覚えはない!」などと平気で言うよう

になり、親もそれに対する言葉を失って久し

いが、とんでもないことと、心ある親子が現

に知る例が出てきているようなのである。


 諏訪の湖(うみ)に、武田菱の紋所を打っ

た石棺が沈んでいるという。その中には、武

田の碁石金や竹流し金を大量に軍資金として

隠した場所が印された暗号が封印されている

と伝わる。

 金峰山と諏訪湖と赤石山脈のどこかで作る

大三角形。昔から山に入る者たちが秘かにい

う。

 登山を趣味としていた琴音の父、真造がそ

の沈んでいる石棺の示す場所を知っているの

ではないかとの噂が流れたことがあり、それ

以来、真造の行方が不明となった。

 金は、自ら現れるのを待たず探そうとする

のは禍事とされる。所在を知るかどうか噂に

過ぎなくとも、何者か見えぬ影に追われる身

となった。これはこれで、別の話とする。


 親が子を、子が親を思う気持ちは尊い。教

えられてできるというのではなく、自然に発

生する。人は、喜びを共にすることはできて

も、他人の悲しみを悲しむことはできない。

思いやることができるにとどまる。言葉にな

らない想いには、無言の想いで応えることで

解りあえる。

 帰る場所の灯とはそういうものであって、

それがあれば人は巣立てる。

 どこにあっても、空間を越えて通じ合える

エネルギーを強固にするのは思いやる心。

 そうした気持ちが物質にとって替わられよ

うとしているところに、禍はおこりやすい。

数馬たちの働きの糸口が奈辺にあるのか、

なかなかに覚束ない。起こってくる現象に一

つ一つ対応してゆくよりないから、人の目覚

めは遥か彼方のことになる。

 自分さえよければという目先の損得で、力

にまかせて物事を押し通すようになると、想

いというもので満たされなくなった体の中の

隙間に、憑き物の波動が同調しやすくなり、

魔物に憑依されやすくなる。それはそれで邪

悪とはいえ強力なエネルギーをもっているか

ら、弱い人間ならばたちどころに障りがでる

し、肉体的に強ければ新たな力が加わってよ

り邪悪になる。その力を得た者は、それらを

まわりに撒き散らすから、始末に負えない。

いずれ身を滅ぼすことに突き進んでいるとい

う自覚はないから、歯止めが効かないし被害

を受ける人が出る。

 放置すれば、それらが集まって、世界の滅

びにつながることになることは想像に難くな

いが、気づいて何とかしなくてはと行動する

人は少ないし、気づいていても見ぬふりをし

て見過ごす人の方が圧倒的に多い。我が身に

及んだときには大騒ぎして、全部他人のせい

にするのが常であり、因果に思いがいたるこ

とはない。

 太古の昔から、長い年月をかけて少しずつ

育んできた智恵は、人との関わりを、それも

縦のつながりを避ける時代を重ねるにつれ、

影が薄くなった。

 お天道様が見ているなどという言葉は死語

になり、なすべき義務は何処かに消えた。

パワーかフォースかということになる。

心から出るものでなければ、幸せとは言え

まい。


 赤石山は巍巍(ぎぎ=高いの意味)として

と、この地の高校の校歌に歌われる山脈に、

血をなせりとも歌われる天竜川を挟んだ対岸

に位置する権現山が、赤く染まって揺れてい

る。権現とは、本地垂迹による通り仮の姿。

権力も、仮の力ということであるから、権利

というのも仮の利益。本来の力というのに気

づくには、意識を高めねばならない。あるべ

き姿に意識をむけなければ、そこには至らな

い。

 六合とは、東西南北に天地を加えたもの。

天地正大の気が無限の空間に溢れている大宇

宙に遍満するエネルギー体の正体とは何なの

であろうか。人は、その器官である五感に頼

り、証明できないものは「無いものだ」と言

い勝ちだが、逆なのではなかろうか。即ち無

いと証明されない限り、それは有るのだと考

える。

 人類の長い歴史の中には人心が荒廃し乱れ

に乱れた時代も多々あったが、そこに正気が

燦然と光を放ち、あるべき姿に立ち戻る智恵

を顕してきたのである。

 道遠しと言えども、一旦端緒を得て流行を

起こせば、雪崩をうった如く全て改まる。そ

の端緒となるパワーが求められている。有る

と判れば、信じるのもまた人なのである。

粋然として、神州に集まるパワーが芽を出

そうとしていた。


 夕暮れが過ぎて、街中には赤い灯青い灯が

目立つようになった。日が落ちてまだ間もな

いというのに、はや酔客が肩を組んで道をふ

さぎ、路地をよろめき歩いていた。

 仕事帰りの綾音が、それを避けて側を通り

抜けようとしたとき、その先で道端に足を

投げ出して屯していた派手な身形をしてい

る男に肩が触れ、それも避けようとして倒れ

た。

 倒れた拍子に地面に突いた手に滲む血を拭

きもあえず、「すいません」と謝る綾音に、

その男は自分のせいであるにもかかわらず大

仰に肩を押さえて痛がってみせた。

「いたたたた・・・」

 傍らのツレが、「おお、こりゃ大変だ。骨

折したかも知れないぞ」と、そんなわけが少

しもないのに騒ぎたて「おい、おばさん。治

療費を置いて行きな」と凄んだ。

 そばに居たかなりの数の通行人は、ちょっ

と触れた位で、どちらかといえば女性の方が

怪我をしているのにと思いつつも、誰も間に

立とうとはしなかった。

「そんな、ちょっと肩がさわったくらいで骨

折なんて・・・」と立ちすくむ綾音に、頑丈

な体躯のその男は「ぼく、体が弱いの。働け

ないから生活保護を貰っているの。骨も弱い

の」と言ってのけた。

 「生活保護は、断るんだね。それでよくブ

ランドもので飾り立てて、宵の口から飲み屋

街に出入りできるもんだ。さっきから見てた

けど、あなたの方が悪いんじゃないの?」

 松田芳樹を訪ねて思わぬ時を過ごし、帰宅

途中の塩崎建国が声をあげた。

「なに、セイガク、横から口を差し挟むんじ

ゃねえぞ。俺を誰だと思ってるんだ」と大声

をあげて凄んだ。

「知りませんねえ。どちらのどなたさんなん

ですか?」

「舐めた口ききやがって、「俺は」といいか

けるのをツレが必死で止めた。

「馬鹿、組の名前なんか出すんじゃねえ」

引っ込みのつかなくなった男が、今まさに

塩崎に殴りかかろうとしたとき、「どうした

んだ、何事なんだシオ」と、松田がその中間

にたちふさがった。渡し忘れたものがあって

塩崎の後を追いかけてきたのである。

 松田を見ると、殴りかかろうとしていた男

は急に卑屈になり、「松田さん、こちら様は

ご友人なんで?」はるか年下に対するとは思

えないほど、小腰を屈めて丁寧に尋ねた。

「ああ、やめとけやめとけ。コイツは強い

ぞ。」

「そんなにお強いんで」「とても人間業とは

思えないくらいね。触る前に一瞬で吹っ飛ば

されるさ。やってみるか?」「いえいえ結構

で」

 そそくさと立ち去る男達の背後から声が飛

んだ。「骨折は、どうした!」立ち去らずに

経緯を見守っていた通行人からのものであっ

た。

「いやあ、痛みも治まって大丈夫そうです」

振り返って男が、バツの悪そうな表情で答え

た。見かけによらず愛嬌者らしい。

 これまでであれば、触らぬ神に祟りなしと

ばかりに素知らぬ顔で通り過ぎていた人たち

の中に、踏みとどまり声まであげる人が出て

きたということであった。

 しかしながら、このように直接的行動で表

にあらわれるものを匡して行く事の他に、一

見紳士風でいて力に頼って弱者をくいものに

する巨悪が潜んでいるのを如何にするか。

 押しなべて人たるの品性に立ち戻らせるの

には、根本のところが問われてもいるのであ

った。

 地獄界というのは確かにある。八大地獄と

八寒地獄、更に二百有余に分かれる。自らの

内心が知る細かな悪の積み重ねを自らが気づ

き正さねば、いずれ確実にそこに行き着く。

数馬は、天罰というに等しい形で物質を破

壊することも、意識体で三界を地蔵のように

渡ることができることも何時のころからか知

ったが、その力を振るったことはない。

 破るるは新たなりと、意識や目覚めを与え

ることができねば、それはまだ権の力である

との自覚があるからである。

 虐げられた人たちの鬱屈したエネルギーが

凝り固まり、集まって放出されるような事態

に立ち到れば、それは阿鼻叫喚の世界になる

だろうし、それ以前に大いなる力からの浄化

が始まれば、よんどころないことにもなりか

ねないことを危惧していた。

 人の、気づきと自覚が急務であった。


  第二部 完

 (第三部に続く)


 第三部


 序 章

 宇宙は、何によって成り立っているのであ

ろう。物質とエネルギーであると言い切って

いいのであろうか。

目に見える物質としての3割と、正体があ

きらかでない7割のエネルギーが等価である

として、もしその双方が行き来するのだとし

たら、そこに働く意思のようなものがあるの

だろうか。物質とエネルギーを織り成すのは

いかなる力なのであろうか。 

何物をも通り抜けてしまうものがある。そ

れが篩にかけられたように形となって止まる

のか、或いは何らかの焦点があってそこに物

が形成されるのかわからないが、そこに物質

やエネルギーとして顕現させる何か大いなる

ものの意思があるように思えてならない。

 それがあるのだとしたら、全てを消滅させ

る意思が働くことがあるかもしれない可能性

だって否定できないことになる。

 ましてやそこに命の糸が絡むとしたら、こ

とは重大である。

 生命が誕生して40億年、人類はまだそこ

に意識が向いてはいないようなのである。

 見えないから無い、証明できないからそれ

も無視するということはできまい。大抵のも

のは有るとした方があたっている。

 世の中に起こることの殆どは、それが何故

なのか説明できないが、それが有るというこ

とは感じ取れるし、なんらかの意味を持って

いるのであろうということもわかる。

 現実の世界と想像の世界の境目というのは

どこなのだろうか。思考は現実化するとした

ら、心のありようというのは重大な意味を持

つ。人の想念の総意のエネルギーが、現実の

物質世界を形づくる可能性は高い。

 隼人たちが背負ったのは、実はその部分で

あったのかも知れない。

 人は魂の磨きをするのに、肉体という衣が

必要らしいのである。だから、生まれ代わり

死に代わって、その生あるうちを努めること

になるのだろうけれど、誘惑に負けやすいと

いうこともあって、なかなか修養は難しい。

 上に在りて驕らざれば、高くして危からず。

節を制し度を謹めば、満ちて溢れず。高くし

て 危からざるは、長く貴を守る所以なり、

満ちて溢れざるは長く富を守る所以なり。富

貴、其身を離れず、然して後能く其社稷(し

ゃしょく)を保ち、而して其民人を和す。

魂の器は、その志が高ければ、いかように

も大きくなるものなのに・・・


 秩序が定まらない混沌とした時代において

は、圧倒的暴力が他を統べる。暴力と暴力の

鬩ぎ合いの中で、他にも言い分があるのだと

知れてくるにつれ、他が納得して従う理屈と

いうものが醸成され、やがてそれは基準とし

て守るべき法としてできあがっていく。

 しかしながら、権力を得た者は、法を超え

た力を振るいがちなのも、厳然とした事実で

ある。一なるものが別れてその持ち分を負担

しあうのだとしたら、その個々が受け持つ役

割の公平さを、いかにして保つのか。

 努力した者が報われるというのであれば解

らなくもないが、この世的には必ずしもそう

とはいえぬ。さしたる努力をすることなく、

人を出し抜くことで利を得る者が居ないとい

うことではないからである。

 自己実現を図るに、自分以外を手段である

として憚らない考えを持つ者が富を得て、栄

華を極めるのを目にして、そういうやりかた

に倣う者が溢れる可能性だってあり得る。

 しかしながら、そうしたいわゆる上手いこ

とをやったに見える結果を得たとしても、自

分が他から何も影響を受けていないとは思え

ないであろうから、持ちえた幸せに平安でい

られるとは思えない。

「お互い様」「お陰様」ということで、生ま

れ変わり死に代わって調和のとれた世を現出

するため、この世的に徳を積むのが現世での

修行かも知れぬ。代を繋いで貯金のように貯

めこまれた現世の修行の結果が記憶の底に残

って、気づけば、引き出せる力が身奥に備わ

ってあると解っている人もでてきている。


 お陰様でという言葉は、折に触れよく使わ

れる。自分以外の何かの力の助けがあってこ

とが為せたと感じたとき、外に向かって自然

に口に出る。神様だって、人から感謝された

らきっと嬉しいに違いない。

 次から次へと、「ああしてくれこうしてく

れ、あれが欲しいこれが欲しい」と言われ続

けていたら、いいかげんうんざりする。

「大概にしなさい!この世的に自分ができる

ことを、先ずやって見せなさい」ということ

になる。要求の多い人に限って、自らの行い

の前に、それを他に求める。

 それにひきかえ、僅かばかり聞き届けられ

た「ご利益」に、「お陰様で」と感謝の言葉

を申し上げたら、神様は「なんだ、こんな位

のことでそんなに喜ぶのか。ならばもっとよ

くしてやればもっと喜ぶに違いない」こう思

うのが人の心と同じように、神心というもの

である。

 人間世界においてでも、感謝の気持ちを表

すことで人心は動かされ、物事はうまく進展

する。文句ばかり言っている人が嫌われるの

は、周りにいくらでもいるから、それは解り

やすいことでもある。

 好かれなければ、何事もうまくいかないの

であるから、「好かれるにはどうするか」と

いうこと。自分に何か叶えたい望みがあるな

ら、少なくとも他から嫌われてはならないの

である。

 日本では、太古の昔から万物に霊性を感じ

取り、それを神様がいるのだとして、それら

を八百万(やおよろず)の神と敬ってきた。

周りのすべてに感謝できた、ということにな

る。

 神様が一神だけであるとすれば、それ以外

の神様を信じることは許されないし、突き詰

めれば他を認めることもできないということ

になるから、沢山の神様がいるとしていると

いう日本の考え方はひろびろしている。

 全てを総べるのは、一つなる力かも知れぬ

が、自分より優れたものからの助けがあった

と感じたとき、生あるものであれ超常のもの

であれ、その全てを神と敬ってきたというこ

とである。

 森羅万象全てを神として、祈りとともに生

をつないできたこれらの行きつく先は、和。

和をもって尊しとしてきたのだと、思い当

たることが多い。だから、日頃、ことあるご

とに「お陰様で」と、誰もが心から口にでき

ていたのだと思う。

「おかげさま」は、自分以外から望外に日々

受ける利益や恩恵を意味する「お陰」に更に

「様」をつけて、なお丁寧に感謝の心を表し

た言葉である。

「陰」は神仏などの超常的に偉大な物の陰。

陰は即ち光のことであって、影とは違う。

 偉大なるものの光があたったことが庇護を

得たことと受けとめ、「お蔭」と言ったのだ

と思う。

 お陰様という存在は、見えないけれどもき

っとあって、時々誰のところにも訪問して来

てくれているのだけれど、それに気づいて

「お陰様」と言えるかどうかが、幸せへの入

口に立てるかどうかを分けているに違いない

のである。


 数馬には、使おうとすればそうできる力が

身奥にあると気づいてから久しいが、恣にし

て良い力としてはならないとの自戒がある。

 何は許されて、何はそうすべきなのかの判

断は、数馬にはまだついていない。いずれ自

然に解ってくるとの思いがある。

 例えば、手術して取り除かなければ命に関

わる患部があったとする。しかし手術すれば

患者は痛がるし正常であった部分には傷跡が

残る。可哀そうだから手術は止めた方が良い

か?

 船が転覆する事故があったとする。救助艇

は投げ出された全員を収容するキャパシティ

ーはない。取り敢えず収容できる範囲の人だ

け救助してその場を離脱し、少人数だけでも

助けるか、それともそれは不公平として、全

員艇に乗せ、重みに耐えきれず諸共に沈む

か?

 V2号ロケットが首都を攻撃することが分か

っていたが、市民を避難させると暗号が解読

できていることが漏れてしまうとして、多数

の命を見殺しにしたのは許容されるか?

 極端な例だが、極限の状態に於いてする判

断というものを如何に考えるか。

 人類の誰に対してもも良いというものは、

今のところどこにもないし、どこをどのよう

にすれば神の意思に添えるのか?話し合いで

それは解決するのか?人道とは一体なんなの

か?解らぬ。しかしながら、身近な共同体が

よいとして守ろうとしているものは取り敢え

ずある。

 まずは身近の些細なことから始めれば、い

ずれ大きな方向性は定まっていく。「お天道

様は見ている」位の自制がきくようには、人

なるが故、誰もがならねばならぬ。

 その自覚はあっても、誰かから注意される

までは改めずに過ごし、周りの反応をみてい

るという小狡い輩は、匡されればすぐに正気

に戻れる。

 まだ確信的悪というわけではないが、放置

すれば取り返しがつかぬほど、それに染まる

のが常なのだから、芽は早い目に摘むに越し

たことはない。力の伴わない正義というのは

現段階では難しいから、そこに持てる力は使

えるか?

 いずれにしても、残された時間は少なそう

なのである。


「あ~、お兄ちゃんたち、道にゴミを捨てち

ゃいけないんだよ」通りかかった幼稚園児た

ちに窘められた数人の高校生がいた。

「ああ、ご免ご免。いけないことだよね。次

からしないように気をつけるね」素直に認め

たのもいたが、「道路を清掃する人が片付け

るからいいんだよ」と、変な小理屈をつけた

り、「生意気なチビたちだな。文句いうのは

10年早いんだ」と居直るのもいた。

 たまたま通りかかった真央が「君たち、そ

の校章を付けているところを見ると、うちの

高校よね。恥ずかしいでしょ」

と声をかけた。

 真央だとわかると、突然態度が変わった。

しかも真央の傍らに松田がいることに気づく

と、先ほどの居丈だけさとは打って変わって

卑屈なくらい身を縮めた。

 憧れの人や怖い存在の者には逆らわない。

過ちを改むるに憚ることなかれ、ということ

に素直であることは難しい。しかし、幼い子

供たちの意識が上がってきているのに気付い

た真央は嬉しかった。些細なことから始まり

それが集まって大きな調和を生むに違いない

と思えた。

 他者は手段ではない。自分の都合で利用す

るというのは、国の成り立ち以来馴染まない

考え方の筈だった。

 大いなる意思とは一体なんなのであろうか。


 神と崇められるのは、日本やギリシャのよ

うに、いわゆる八百万の神々というほどに多

神もあれば、キリスト教やイスラム教のよう

に一神教というのもあるから、一概には比べ

られないが、一神教の神は、絶対神であり、

創造主という面が強調される。

 この世の全ては、神が作ったものであり、

人間に自由意志などはなくて、神の言う事に

は逆らえないということになる。

 もっとも、誰かが口にしたかということに

は疑義が生じる。天動説の時代に地球が回っ

ていると唱えるなどは命がけであった。


 八百万の神々などには、この世の創造者と

いう面も一部あるが、どちらかと言えば人知

を超えた力を持っっていることの方が強調さ

れる。

 人を寄せ付けない険しい山や、何百年も生

きた古木がご神木とされるのも、共通認識と

して極めて自然に受け入れられる。

 このような神々は、敬い感謝することで持

てる力を貸し与え、人間を幸福にすると信じ

られてきた。


 一方、仏は、この世には気づけないでいる

が確たる法則があり、それを自覚できた(い

わゆる悟りを得た)人が「この世の四苦八苦

はその法則から生じるのだから、それを実感

できれば、それらを超越し成仏できる」とす

る。死ねば仏というわけではない。

 全宇宙は、自らの内にすべてあるのだと、

思索と修行の中で悟るということである。

 一つのものが別れて、それぞれがその持ち

分としての役割を果たすということであるな

ら、万物は等しく救済されねばならない。

 法則に外れれば、それは破壊に向かわざる

を得ないということでもある。

 人間は一般的に脳の3~5パーセントしか

使っていなくて、残りの95~97パーセン

トは潜在能力として眠っているといわれる。

その潜在的能力は、使うことができれば、全

て成功や幸せの為のものなのであると(誰も

まだそんなことは言いませんが)思われる。

即ち、眠っている能力を引き出すことがで

きれば、「全ての人は、この世に幸せになる

ために生まれてくるのだ」という大命題を果

たすことができるのだとすることを説く。

 では、どうすればよいのか?先ず、感謝で

も喜びでもいいから、日々現れる身の回りの

それらに満たされることが良いのだと思う。

 大宇宙は150億光年の広がりの中に遍満

するといわれるが、奇しくも、ある程度解明

できているのは、その4パーセント程。残り

はダークマターとダークエネルギーと呼ばれ

るものであって、未だ解明できてはいない。

 石火光中にこの身を置いていることを省み

もせず、蝸牛角上に争うことは、余りに卑小

であり、生命体を持って生まれた意味がどこ

にあるのかと、時には意識せずばなるまい。

 地上に生命体といわれるものが出現したの

が38億年前だといい、人類が生まれて15

万年。

 命を紡ぎ、人類が進化を目指したであろう

その基になる染色体の組み合わせは、180

万通りにも及ぶといわれるが、もとを辿れば

たった一人の母親に行きつくのだという。

 ここにも、一つから始まったという歴史が

ある。染色体の働きもまた5パーセントしか

活動していないといわれながら、一つの細胞

が60兆個にも分裂して人体を構成し、おの

おのがその役割を果たすというのは、一体何

を目指してのことなのだろう。

 人類が58億人として、その中で袖触れ合

う縁を結ぶ確率、時と環境を同一にして男女

が互いを好もしく思い、次代に子孫を残して

いくというのも、不思議といえば不思議なの

である。


 人通りの中、 幼女を連れていながら、歩

き携帯に夢中で、一所懸命話しかける我が子

に返事はおろか目をやることもしない母親が

いた。

 小石にでも躓いたのか、歩道から車の往来

が激しい車道に転げ落ちそうになったその子

を、咄嗟に庇おうとした真央を更に庇おうと

して、「馬鹿野郎」の罵声を浴びせながら停

車して安否を確認することもなく猛スピード

で走り去った車のミラーで、数馬は強かに脇

腹を打ったのであった。

 脇腹を押さえる数馬に「ごめんなさい。私

がちゃんとできなかったから」と真央が言い

かけるのに「いや、僕の方こそ武道不覚悟で

面目ない」と応えながらも、数馬は眉を顰め

た。

 傷を確かめようと、心配いらないという数

馬を説き伏せて、物陰でシャツを捲らせてみ

ると、血が滴っていた。それを見て何故か、

真央は頬を赤らめた。幼い頃は、一緒に遊ん

でいて小さな傷を負うと、互いにそれを舐め

あうのが常であった。それはもうできないと

思いながら、どきどきしたのである。今まで

にない感情のときめきであった。

 少し冗談めかして、「唾をつけてあげる

ね」と言うのが精いっぱいであった。

「よせや~い、かすり傷だから大丈夫だよ。

真央ネーは怪我しなかった?それにしても真

央ネーは、相変わらず可愛いね」

「も~う、こんなときに冗談言って。歩いて

帰れそう?肩貸してあげようか?」と手を引

っ張った。

 先ほどの幼女がつぶらな瞳で待っていて、

「お姉ちゃんお兄ちゃん有難う」と言ってお

辞儀した。

「痛いとこない?気を付けて帰るのよ」と真

央が答えているのに、母親は素知らぬ顔であ

った。


 ほんとに久しぶりに、二人は手をつないで

帰り道を歩いた。幼き春の日の野辺で、二人

して遊んだ懐かしき日々を思い起こさせた。

真央は温かい数馬の手をぎゅっと握り「ねえ

数くん。さっき気づいたんだけど、わたし数

くんのこと好きみたい」

「なあんだ、そんなこと?僕だって真央ねえ

のこと大好きだよ」

「そういう意味じゃなくって・・・」

「だから、そういう意味でさ」

真央はとても嬉しく、とても幸せであった。

 麦の秋。二人して歩く道の両脇は、夕陽を

斜めに浴びて、黄金色に色づいた穂が、風に

揺れて煌めいている。風の通り道は、何かが

渡っているように見える。

 麦の獲りいれが済めばすぐに、稲が植えら

れる。麦も米も科本科の植物。禾(のぎ)の

ある植物の実を口にするから和という字はで

きた。同じ釜の飯を食うとよく言うが、同じ

ものを食べれば同じ血ができる。同じ血が流

れていれば、仲良くできる。人と仲良くしよ

うと思ったら、一緒に食事をするのがよい。

域内の和は、共にするものが多いから育って

いるのかも知れない。


「それにしてもどうして乱暴な人たちが後を

絶たないのかしら?世の中が乱れているから

じゃないよね?他人の所為にすることじゃな

いもの」

「うん。他人の所為にしている人たちは、自

分が悪いと知っているから、まだ救いようは

あるんだろうけどね」


 精神病質(サイコパシー)は、反社会的人

格の一種を意味する心理学用語であり、主に

異常心理学や生物学的精神医学などの分野で

使われている。その精神病質者をサイコパス

と呼ぶ。

 良心が異常に欠如している。他者に冷淡で

共感しない。慢性的に平然と嘘をつく。

 行動に対する責任が全く取れない。罪悪感

が皆無。自尊心が過大で自己中心的。口が達

者であり表面は魅力的。などが主な特徴とさ

れる。

 他人に対する思いやりに全く欠け、罪悪感

も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の

期待を裏切り、自分の勝手に欲しいものを取

り、好きなように振る舞う。

 その大部分は、身近にひそむ異常人格者で

ある。先天的な原因があるとされ、殆どが男

性である。脳の共感性を司る部分の働きが弱

い場合が多いという。

 サイコパスは、異常ではあるが病気(精神

病)ではなく、ほとんどの人々が通常の社会

生活を営んでいる。本人も含め、まわりから

も見分けはつきにくいが、かなりの人数がい

るという。

 何か大きな犯罪などに関わると、それと知

れるにとどまる。


 家への分かれ道を入り近くまでくると、空

き地に、どこか見覚えのある車が止められて

いた。先ほど数馬たちに接触したが停車する

ことなく走り去った車であった。

 路地から琴音が走り寄ってきて、真央の胸

に飛びついた。思い余ったような真剣な表情

である。

「どうしたの?」「お母さんが、真央ねえち

ゃんのところに行ってなさいって言うの。こ

の前の怖い小父さんがまた来たの」

 琴音を真央に頼み、数馬は急いで綾音の家

に向かった。

「奥さんよお、旦那から預かっているものが

あるだろう?」

「そんなものはありません」

「そんなはずはねえだろう。だったら何か聞

いてることがあるだろう?」

「突然居なくなったんです。何を聞く暇もな

かったんです」

「大人しく聞いているうちに喋りなよ。手荒

なことはしたくないんだ」

 押し問答の最中に、数馬が玄関を開けた。

「どうやら一人で来ているらしいから、今回

も親分には内緒ってことですか。何をそんな

に聞きたいんですか?」

「またお前か。邪魔するんじゃねえ」言いも

終えずいきなり殴りかかった男は、部屋から

開けたままであった玄関を越え、外に抛りだ

されていた。一瞬のことであり、男は何が起

こったのか解らず呆然としていた。気勢は完

全に削がれていた。

 機転を効かした真央が通報したのか、パト

カーのサイレンが聞こえてくるのに慌てて、

停めてあった車に駆け戻り、急発進して立ち

去った。

 翌日、数馬の携帯電話が鳴った。

「権藤と申します。薄田数馬さんでいらっし

ゃいますね。昨日は私が目を離したすきに、

うちの若いものがご迷惑をおかけしました。

卒爾ながらお目にかかりたいので、一人で待

っています、今宮神社の境内までご足労頂き

たい」大仰な言い回しながら、その申し出が

断られないという響きを含んでいた。

 誰にも言わず、数馬は今宮神社に向かった。

神社には、紋付羽織姿の60年配の男が、長

いものを包んだ風呂敷包みを携え、佇んでい

た。

「今宮神社の境内までご足労頂くご面倒をお

かけして恐縮です。権藤です。理不尽は委細

承知。腕前のほど見せて頂こう」多くを語ら

ず風呂敷包みを解くと、二振りの日本刀を取

り出し、一振りを数馬に手渡すと、もう一振

りの方を自らの腰に手挟んだ。

 数馬も一言も発することなく、腰のバンド

に鞘の中間ほどの位置で刀を差し込んだ。柄

頭は高い。刀は抜くともいうが、鞘走らせる

ともいう。抜く手も見せず抜くというのは、

鞘を後ろに引き抜くことでもある。

 権藤は、すらりと刀を抜き放つと、静かに

下段につけ、するすると間合いを詰めた。数

馬は柄に手をやってはいるが、抜いてはいな

い。少し目を細めて、見るともなくみている

だけであった。

 そのまま双方動かずにいたが、やがて権藤

は刀を引き

「いや、恐れ入った。技前といい胆力といい

とても敵うものではござらん。私もこの近在

の出身だから、薄田さんのお噂はかねがね承

っていたが、お若いのにこれほどまでとは。

ご無礼致しました。失礼ながら、心底のほど

私流に試させて頂いた。昨日ご迷惑をおかけ

したうちの若い者、荒木ほか何人かを束ね、

世間様から後ろ指を指される親分と呼ばれて

一家を構えております。若い時に思うところ

があって、半端ものは野放しにしておかず、

目の届くところでまとめて抑えておかねばな

らぬというのが役目と思っています。そうい

う者たちは、残念ながら少なからず居るので

す。広い空を竹の穴を通して見るように狭く

しか物を見られない者や、狭い囲いの中で一

切れの肉を争うようなことをやっている者達

はまだまし、何とかできると感じています。

薄田さんには、私とは違った役目があるのだ

と伝わってきました。ご存知あるまいと思い

ますが、今回の浦安さんがらみの問題は、彼

が登山中に膨大な量の武田家の隠し軍用金を

発見したのではないかとの噂に端を発しての

もの。欲に目が眩んで己を見失うのは為にな

らない。隠れているものは、現れるまで待っ

て対処しないと天の掟に背くのだと私は信ず

る者です。当方の存知よりは、お伝えしてお

いた方がよいと思い、ご無理な面会の場を勝

手ながら持たせて貰いました次第です」

言い終えると、静かに去って行った。


 翌朝、数馬が学校に行くために玄関を出る

と、荒木が門先にいて、小腰を屈め「おはよ

うございます」と丁寧に挨拶した。

「また懲りずに現れましたか」「いえ、そう

ではないんです。親分から、皆さんのお手伝

いをすることで修行してこいと言いつかりま

して」

「折角ですが、当方にそんな気はないので結

構です」

「解っております。こんな格好ですから、目

立つようなことは致しません。蔭ながらお手

助けできることを致します」

言葉遣いがすっかり改まっていた。

 言葉は大事である。言葉の響きは、現れ出

るものに影響を及ぼすエネルギーを持つ。美

しいものは美しい響きから生まれる。

「金塊の方はどうするんです?」

「それはもう言わないで下さい。親分からき

つく叱られました」

 荒くれどもが、どうやら心酔している親分

のようである。


 不思議な光景が見られるようになった。

「こら、セイガク。道にごみを捨てたらいか

んじゃないか!」

 今までタバコのポイ捨てなど平気でやって

いた強面の男に注意されて、学生は道に投げ

捨てたごみを慌てて拾い上げた。逆切れして

文句を言ったり居直ったりはできなかった。

 学問は、何のためにするのか。知識は、道

徳と人倫を兼ね持ってこそ信頼関係が築け、

教養として高められる。同心円上に同心協力

関係ができるのが互いの認識となれば、この

世の持ち分としての役割を果たすことに他と

比べる必要は生じない。

 比べれば差別は生じるし、損得勘定が判断

の基準ともなる。多くを持たなければ認めら

れないのであれば、庭にまかれた少しの餌を

奪い合う鶏のように、限られたものを奪い合

う。

 奪い合うというのは、足りないものがある

ということ。有り余っていれば、それはない

のかも知れない。エネルギーと食糧が無尽蔵

であれば、太陽の光や充満する空気に対する

ように、争わず感謝することで生きて行ける

のか?足りないと思っているのは何なのであ

ろう。

 人として生まれさせ、宇宙のバランスを担

わせようとした大いなる意思は、ひとり神の

みがなすのではなく、一つから別れたそれぞ

れ一人一人が神を現出せよ、とのことかも知

れないのだとしたら、内なる神性に気づくか

どうかという事は重大である。自我を主張し

争っている場合ではない。

 四知。誰よりも自分が知っている。自らを

律することが人たるの所以。

 善をなせば善果が、その逆に悪を為せば悪

が凝り固まって、社会は崩壊に進む。善をな

せば誰も穏やかになれるし、棘棘しさは影を

潜め、澄んでくるものが増える。小さなこと

からであっても、それは思いもかけなかった

ところから始まってきているように見えた。

 このところ、虚空蔵山の地鳴りは静まりつ

つあった。しかしながら、異常気象は続く。

果たして間に合うか?


 暗く不気味な一夜が明け、いつもと変わら

ぬ朝日の中に、小鳥の囀りが辺りを埋め尽く

していた。

「数くん、一緒に学校に行こう!」門口で真

央が声をかけたが返事がない。いつもの気安

さで玄関を入り、さらに声をかけたが返答は

なかった。胸騒ぎがして、真央は数馬の部屋

を開けたが、異常な熱気に押し戻されそうに

なった。

 数馬は、布団の上で殆ど呼吸をしていない

状態で倒れ伏していた。忘れたころに僅かに

胸が動くことで、生きていることが知れるく

らいで、意識は完全に失われていた。

「数くん、どうしたの。しっかりして」と揺

り動かそうと触れた真央の掌に、火傷しそう

な高熱が伝わってきた。

 突然、久しく聞いていなかったどこからと

もない声が、真央の耳奥に響いた。

「生き延びられるかどうか、試にかかってい

る。役目が果たせるかどうかは、本人が帰っ

て来られるかどうかだ。帰ってこられなけれ

ば、死ぬということだ」

 躊躇いもなく真央は「代わりに私の命を召

して下さい」と叫んでいた。

「それはならぬ。そなたにはそなたの役目が

あるからだ。命ではなく、そなたの美貌を差

しだせと言ったら、それはできるか?但しそ

の後が辛いことになるかも知れぬぞ」

「数くんが助かるのなら、構いません」

即答であった。途端に真央は、顔が灼ける

ような熱さに見舞われていた。

 数馬の意識は広がり続け、無限に続く宇宙

を、星々の煌めく中を抜けて、どこまでもど

こまでも進んでいた。砕け散る星々をいくつ

も見ながら38億年を駆けて、なお続く彼方

を見やっているうちに、それが外の世界なの

か自らの内にあるのか解らなくなった。意識

を内に向けると、急速にその世界は縮まり、

我に返っていった。幾日もの昏睡だったのか

僅かの時間だったのか、自分では判らぬが、

数日は過ぎているようであった。腹が空いて

いた。

 気づくと、布団の傍らにつきっきりで看病

してくれていたらしい真央が、手鏡を握りし

め、疲れ果てたのか突っ伏して眠っていた。

花のようだった顔貌は変わり果てていたが、

それが真央であることに数馬は疑いはもたな

かった。

 数馬は、とても真央が愛おしく思え、優し

く抱き起した。

「真央ねえ、見て来たけれど、本当に星は砕

け散るよ。どうしてなのかは解らないけれど

ね。精神的に進化しないと滅びに向かうのか

も知れない。2次元までのものは、簡単に曲

げ伸ばしできるが、3次元のものをそうしよ

うとしても我々にそれはできない。が、多分

4次元の住人なら、そうできるに違いない。

彼らの世界では、想像したことが瞬時に物質

として創造できるとしたら、意識が高まって

いなくては危険この上ないから、我々がそこ

まで進化できないなら、最初から作り直そう

という意思が働いたっておかしくない。精神

的なものが高められなければならないと知ら

されたように思うんだ」

 でも、地上で見た満月の裏側が、宇宙で見

た時は真黒であったのを見て感じたように、

一つの物にどうして表裏があるのだろう?同

じく、もとが一つであったのにどうして、わ

ざわざそこに正負や美醜や貧富や正邪の差異

があるのだろう?合わせて理解できるように

なれということなのか?進化が進み、互いの

意識が隠しようもなく相手の知るところとな

れば、別れているようでも一つのものと変わ

りないことになるというところまで行けとい

うことなのだろうか?

 末法の世に救世主として現れるといわれる

弥勒(マイトレーヤ)は、釈迦牟尼仏の次に

弥勒(マイトレーヤ)は、釈迦牟尼仏の次に

仏陀となることが約束された菩薩(修行者)

であり、釈迦の入滅後56億7千万年後の未来

に現れて、生ある者全てを救済するとされて

いる。出現するまでは、兜率天で修行してい

るとされる。

 兜率天とは、須弥山の超常、12油旬(ユ

シュンは、長さの単位)の処にある天部で、

七宝の宮殿があり、無量の諸天が住まいして

いるのだという。弥勒はここに在して修行と

説法をしながら、閻浮提(えんぶだい)に下

生成仏する時が至るのを待っている。閻浮提

とか須弥山とかは、仏教の世界観であるが、

釈迦はこの壮大な構成を思索だけで創りあげ

たのだろうか?

救世主の出現は、果たしてあるのだろうか?

それまでこの星は持ち堪えられるのだろう

か?

 一人現れればそれが為せるのか。それとも

多くの者の意識が進んでいて、共に働くとい

うのだろうか?

 そんなことを、記憶を呼び覚ましながら、

真央に伝える数馬であった。


 琴音は、真央が数馬に優しくされるのを見

るのが嬉しい。数馬が倒れ伏してから、真央

が付きりで看病している傍らでずっと見てい

た。数馬の具合が悪いのは自分の所為なのだ

と思い込み、自分が幼くて何もできないこと

に小さな胸を痛めていた。

 真央が「琴音ちゃん、お兄ちゃんが眠って

いるのは、琴音ちゃんが思っているのとは全

然違うのよ。だから、今は心配しないでいて

ね。もう少し大きくなったら、あなたにもお

手伝いしてもらうことが一杯できるから、そ

の時にはお願いね」

 つぶらな瞳に涙を湛えて見つめている琴音

が愛おしかった。母親に対しても周りの誰に

対しても、どうしたら迷惑をかけないですむ

のかばかりが心にかかる。自分の悲しさを見

せないで明るく振る舞うことが皆を和ませる

のだと幼心にわかっていた。

 真央には琴音をじっと抱き締めてあげるこ

としか今はできなかった。

 幼いながら琴音にはよく判っている。母が

寝ている姿を見たことがない。自分を育てる

のに懸命に働いているからだと知っている。

だから、早く大きくなりたい。少しでも、周

りの役に立つことができるようになりたい。

一晩寝れば、朝になってどれほど大きくなれ

ているのか鏡を見ずにはいられない。鏡を見

ることで、それが何なのか判らないけれど、

映っているものがあることを感じていた。

 優しいものと怖いものがある。目を逸らさ

ないで見なくてはならないのだ、と思ってい

た。母や、真央や数馬もそうしているに違い

ないと知らず知らずに悟っていたからでもあ

る。仮令どうすることができないとしても、

自分のことだけ考えればよいのだとは思えな

いでいた。

 何となく見えているそれらが、いつかは抜

け出して、目の前に現れるのだろうか?自分

が周りから優しくされているのと同じように

おかえしができるだろうか?

 考えるには、まだ自分の持っている言葉の

数がたりなかった。

 誰も居ない時、掌に乗るくらいの、背中に

羽根がある小さな猫みたいなものが現れて、

じゃれつくようになった。幼い心には寂しく

て仕方ないときに、慰めに出てきてくれるよ

うに思えて、それを身近に見ると自然に笑顔

になれた。指先で撫でると、その猫みたいな

ものも嬉しそうにする。名前をつけてあげな

くてはならないと思う。「ツバサちゃん」と

呼ぶことにした。

 猫は部屋にいるとき、突然宙の一点を身じ

ろぎもしないで見つめていることがある。あ

たかもそこに浮遊している霊があり、それが

猫には見えているかのように思えて怖いとい

う人がいる。一説には、人間には聞き取れな

い鼠などが発する音波を聞き取ってのことだ

ともいうが、果たしてそれが何であるのかは

判らない。そんなことは他にも五万とある。

見えていても見えなくていても、解らないこ

との方が多いのである。

 優しくすれば、優しい波動が自分に返って

くるのだと思う。にこにこしていられれば、

周りにも笑顔が集まってくるのだとも思う。

そうしようと思えばそうなるのだとも思って

いた。

「琴音ちゃん、いつも一緒にいる手乗りの子

猫ちゃんみたいな子って、お饅頭食べるかし

ら?」

「真央ねえちゃんにもツバサちゃんが見える

の?何も食べないけれど、優しく撫でてあげ

ると喜ぶの」

つながりがあることが、琴音を元気づけた。

 琴音は、周りの人にとっては良いのか悪い

のか判らないが、およそ物を欲しがるという

ことがない。何かを欲しがったら、それをで

きない母が、悲しい思いをするのではないか

と思ってのことでもなさそうである。そんな

ことよりも、気持が伝わりあうことの方が胸

を満たす。

 ロシアの童話に『金の魚』というのがある

が、琴音はまだ誰かから聞いたこともなけれ

ば物語を読んだこともない。まだ幼くて、本

が読めないからでもある。

 昔むかし、あるところに貧しいお爺さんと

お婆さんが住んでいました。ある日、漁師で

あるお爺さんが漁に出かけると、網に小さな

金の魚がかかっていました。

珍しいので家に持って帰ろうとしたところ、

魚は「何でも願いを叶えてやるから逃がして

下さい」と頼んだ。

 無欲のお爺さんは、願い事を何一つするこ

となく、魚の頼みを聞きいれて海にその小さ

な金の肴を逃がしてやりました。

 家に帰ってそのことをお婆さんに話すと、

ただで魚を逃がしたお爺さんのことをひどく

怒り、魚のところに戻ってパンをくれるよう

に願いごとをしてこい、と申しつけました。

お爺さんは仕方なく海に行き、魚にパンを頼

んで帰ってきました。すると、なんと家には

本当にパンがあったのです。

 味をしめたお婆さんは、次には桶、綺麗な

着物、更には新しい御殿と次々に要求を募ら

せ、お爺さんを魚の所に行かせました。

 欲深いお婆さんは女王になりたいと言いだ

し、ついには「神になりたい」とまで言うよ

うになりました。それをお爺さんが頼みに行

くと、魚は黙りこくって暗い海の中に消えて

行きました。

 お爺さんが家に戻ってみると、御殿は消え

失せて元の粗末な家になり、お婆さんは元の

ボロを着て座っていました。金の魚は二度と

網にかかることはなかったのです。

 物質も、つまるところは波動である。我欲

ではなく望めば、器量にあったものが現実化

し、それが無限に充たされる可能性はある。

 しかし、拠るところが違えば害悪をもたら

すことはあるから、いずれかの意思が働くの

か、無制限に何でも提供されるということに

はならない。

「自分の欲望を際限なく満たしたい」という

思いと、それを基にした行動を合わせて「貪

る」と言う。もっと欲しい、もっとしたいな

どの「もっと」がいつまでも際限なく続く状

態というのは、どんなに手に入れても満足す

ることがないのだから止まるということを知

らない。

 得てして他者との比較になり、少しでも周

りの権力者より多くの金や名誉を手にして自

分の力の強大さを誇示しようとするから争い

の基にもなる。いついかなる時も心が休まる

ことはない。

 心とは即ち意識のこと。生きていれば「嫌

だな」とか「辛いな」などと思うことが少な

からずある。「苦しみ」の気持ちは、特に

「思い通りにならない」時に、感じることが

多い。

「諦める=明らかに物事を見る」ことが必要

になってくるのだが、何を明らかにするのか

が解ってこなければ、苦しみと恨みが残るだ

けのことに終わる。

 原因が「自分の欲」なのであれば、自分自

身でどうにかすることができる。人間の「~

したい」や「~になりたい」などの欲求その

ものは、生きる原動力として大切なものであ

り得るが、それが必要以上の限りない欲望に

なれば、常に満足できない状態となる。何を

やってもよいということにはならない。報い

というのは、制御装置なのかも知れない。

全ての人が無限の欲望を持って「むさぼる」

ことをしたら、結果的に誰もが穏やかな気持

ちでいられなくなる。「自分だけが大事」と

いう考え方は、逆説的には自分を苦しめるこ

とにもなっている。自分が自分を大事だと思

うことは、周りの全ての人たちも等しくそう

思っている。こんな単純なことにもなかなか

意識が向かないのだから、争いの種は尽きな

いことになる。

 どのような力が働けば、誰もがそれらに気

づけるのであろうか。


 さほど遠くない場所に、一部の人々から健

康に良い「気」を発生させるゼロ磁場地域で

あると言われる分杭峠というのがある。長野

県伊那市と下伊那郡大鹿村との境界に位置す

る標高1,424mの峠である。

 高遠藩が他領との境界に杭を建てて目印と

したことに、分杭峠という名が由来するとい

われ、峠には、「従是北高遠領」の石碑があ

る。

 静岡県浜松市の秋葉神社へ向かう街道とし

て古くから利用された秋葉海道の峠の一つで

ある。秋葉街道は西日本の地質を内帯と外帯

に二分する中央構造線の断層谷を利用した街

道であり、分杭峠は中央構造線の谷中分水界

にあたる。

 日本最大、最長の巨大断層地帯である中央

構造線の真上にあり、2つの地層がぶつかり

合っている、という理由から「エネルギーが

凝縮しているゼロ磁場であり、世界でも有数

のパワースポットである」とされていて、こ

の構造線の延長線上には、日本の名だたる神

社仏閣が存在する。諏訪大社も、その一つと

いわれる。

 何らかのエネルギーが集まる場所を、古人

は感じ取る力を備えていたに違いない。

 金峰山と諏訪湖を頂点とする大三角形の一

つとして考えると、このあたりに武田氏の埋

蔵金が隠されてあっても不思議ではない。自

然に現れるのを待つか、探すかということに

なる。

 三州街道の麻績の里に、今はそれが何であ

るかを定かに知る人がいなくなっているが、

古くから秋葉様と呼びならわされた場所があ

る。苔むした大きな石碑が何基か残っている

のみである。


 およそ人というのは、一体何を守ろうとす

るであろうか?それは多分自分が心底大事だ

と思っているものであるに違いない。親子兄

弟親族であったり、地域社会であったり、国

であったり、富であったり、権力であったり

する。

 そのいずれもが、自己のみに捉われての行

動に出るのでなければ、悪いとは一概に言え

ない。されど、価値観に違いがあれば判断の

しようもない。


「琴音ちゃん、今度お休みの時にお母さんに

運転を頼んで、お兄ちゃんと一緒に諏訪湖を

見に行こうか?琴音ちゃんのお母さんはお忙

しいから、お弁当は私が作るわ。何が好き?

車は、私の父のを借りるから」」

いつも一人でいる琴音を見かけて、真央は

優しい声をかけた。

「わあ、嬉しい。一度行ってみたかったの。

お母さんにお話ししてもいい?」

弾んだ声が返ってきた。

「勿論いいわよ。私からもお母さんにお許し

が頂けるようにお誘いしてみるわ。」


 休日は、朝から快晴であった。お弁当を詰

めた大きなバスケットを車に積み込み、真央

は数馬と一緒に琴音の家を訪ねた。

「今日は、琴音ちゃんをお借りしての休日に

なりますます。宜しくお願いします」

「こちらこそ、お世話になります。私がなか

なかできないのに、何から何までお気遣い頂

いて感謝します」

 松川インターから高速に乗って、諏訪湖に

はすぐ着く。近いからと言って、誰もがいつ

も行く場所というのでもない。

 長野県には海がない。だから古い昔の笑い

話がある。

 初めて諏訪湖を見た弟が「兄ちゃん、海と

いうのはこの5倍位広いのか?」

「馬鹿言え、海っていうのはこの10倍は広

いんだ」

 奈良にうまいものなしというのに対し、

「いや、鹿煎餅というのがあるではないか」

という類と同じ冗談である。


「おねえちゃん、諏訪湖って広いんだね。向

こう岸が見えないね」

「そうよ。この湖をぐるっと回って、間欠泉

のあるところでお弁当にしましょ。間欠泉っ

ていうのはね、温泉が地下から空中に凄い勢

いで時々吹き出すのよ」

諏訪湖のほとりの一角に、間欠泉が噴出し

ている。間欠泉に面しては平成2年に諏訪湖

間欠泉センターという施設が建設され、間欠

泉について解説プレートなどを用いて解説し

ているほか、一般客が間欠泉の噴出を見物す

ることができるようになっている。

同センターに隣接した公園内には温泉を利用

した足湯の設備が無料で開放されており、間

欠泉見物の時間待ちや散策の足休めとして利

用する人が多い。

そこでお昼の休憩をしようというのである。

お腹が空くころになるし、見晴らしも開けて

いて、次の噴出を待つのに丁度よい。

 今は、温暖化のせいか全面に厚い氷が張る

冬が少なくなったが、昭和十年代までは諏訪

湖はほぼ全面が氷結した。

「琴音ちゃん、この湖がね、冬になると氷で

覆われてしまうのよ。ても東のほうの7ヵ所

だけは、湖の底に源泉があって、そこは氷ら

ないから7ヵ所の穴が開いているように見え

るの。だからそこのことをここでは七ツ釜と

呼んでいるのよ」

「諏訪湖が全面凍って氷が厚くなると、昼と

夜の気温の差で大きな音がして氷の亀裂が走

ることがあるの。これを昔の人たちは諏訪の

神様が渡ったのだといって、御神渡り(おみ

わたり)と呼んだのよ。後で諏訪大社にも行

ってみようね」


 諏訪大社は信濃国の一宮であり、末社含め

全国25,000社に及ぶ諏訪神社の総本社である。

長野県中央部の諏訪湖を挟んで、南に「上社

本宮」「上社前宮」北に「下社秋宮」「下社

春宮」の2社4宮からなる壮大な面積を持つ

神社である。

本州を東西に分断する大断層、糸魚川・静岡

構造線(フォッサマグナ)の中央部にあり、

大地のエネルギーが凝縮された磁場の上にあ

る。

 背後にある守屋山はそのものがご神体で、

そこは本殿を持たない原初的な神社形態でも

ある。諏訪大社本宮の神体山とされている守

屋山(標高1650m)であるが、この山は

信州の霊峰の中心に位置し、諏訪湖を見下ろ

す場所に在る。

 地図では分からないが、守屋山西岳に立っ

て見渡すと、北アルプス、御岳山、中央アル

プス、南アルプス、八ヶ岳、蓼科山、浅間山

が円を描いているように囲む中心の場所にな

っていて、あらゆる霊峰のパワーを一身に集

めることができるポイントでもある。


 「琴音ちゃんは因幡の白兎のお話し知って

る?」「うん、ワニに皮を剥がれちゃって泣

いていた兎さんを、大黒様が助けてあげた

の」

「そうよ、大国主命は出雲の神様だったの。

国譲りの神話というのがあるんだけど、大き

くなったら古事記というのを読んでみるとい

いわ」

 真央が琴音にいろいろ話している傍らで、

数馬は周りに押し寄せてくる異様な気配を先

ほどらいずっと感じていて、自然にふるまっ

ているように見えても緊張を解くことがなか

った。

 莫大な武田の隠し金の噂にからみ、未だに

張り巡らされている監視の網ということなの

であろうか?

 神社を巡りながら、春宮と秋宮があるのに

何故に夏宮と冬宮がないのだろうとの想いが

ふと浮かんだのであった。


 阿堵物(あとぶつ)という言葉がある。金

銭を蔑んで呼ぶ言葉でもある。

 王夷甫(おういほ)は、金銭を卑しいもの

として「銭」という言葉を使ったことがなか

った。

 そこで、金銭に貧欲な彼の妻は、王に銭と

言わせようと試み、彼が寝ているとき寝床の

周りに銭を一面に撒いて王が歩けないように

しておいた。王は起きだしてその有様を見る

と、すぐに下女を呼び「阿堵物(この物)を

すっかり片付けよ」と命じた。

 即ちどうやっても、汚らわしいものとして

「銭」という言葉は口にしなかったというこ

とである。爾来、阿堵物(あとぶつ)という

のは、銭の異名となった。

(註:阿堵=晋・宋時代の俗語で「これ」

「この」などの意味を持つ。)

 しかし、彼のように金銭を卑しいものと決

めつけるのは偏りすぎであろう。金銭の用い

方が間違っている者が周りに多かったからに

過ぎなかっただけではないのか。

 要は、その使い方役立て方である。


「地中にある金(gold)は自然に現れるのを

待て」といわれる。金は、お金としても使わ

れる財物でもあるが、無理やり掘り出しては

ならぬという戒めである。

 お金というのは、そもそもそれ自体が悪い

のではなく、使われ方がどうかということで

あろう。あやまたずに使うことは難しい。自

らの欲望を満たすだけのものであったり、他

を支配するためであったりして、必要以上に

貯め込み滞らせると弊害が出る。

 しかしながら、善であれ何であれ何事かを

為すのには、良くも悪くも資金がなくては叶

わぬ。

 その使われ方が広く世のため人のためであ

れば、限りなく幸せな効果は波及する。そう

いう使い方ができる高い志をもち続けられる

かどうかということである。


 古事記における出雲の国「国譲り神話」

は、天津神系のタケミカズチノミコトと国津

神系のタケミナカタノミコトの戦いをもって

締め括くられる。敗れたタケミナカタは、科

野の国の諏訪まで逃れた。

 タケミカズチは、鹿島神宮の主祭神、タケ

ミナカタは、諏訪大社の主祭神として祀られ

ている。

 日本では、神宮と呼ばれるのは伊勢神宮と

鹿島神宮と香取神宮。「神宮」とだけで呼ば

れるのは、伊勢神宮のみである。

 海外の他民族同士の戦いでは、敗者を皆殺

しにしたり奴隷にしたりするが、古代の日本

では、服従しさえすれば、命まではとられな

くて、後に神として祀られた。

 わが国における世界に類を見ない最高の徳

目は「和」であり、それは儒教にいう仁・

義・礼・智・忠・信・考・悌や、西洋にいう

愛を超えたものであって、日本人が有史以来

積み上げてきた共栄の為の知恵。その共通概

念なくしてなりたたないものでもある。曲折

はあったにしても弱肉強食を良いとしなかっ

たのである。

 神の霊魂は、優しく穏やかな「和魂(にぎ

みたま)」と、荒ぶり猛々しい「荒魂(あらみ

たま)」という二つの側面を持つ。きちんと祀

れば、神は和魂の働きをするし、そうでなけ

れば荒魂の働きをする。願い事をするのに粗

略であってはならないということである。

 近頃人々の意識の中から遠ざかった感が否

めないが、それは等しく、永きにわたって人

間関係においてもそうであった。


 余談ではあるが、神様は一体二体ではなく

一柱二柱というように「柱」で数える。古来

より神は自然物に宿ると考えられた。中でも

大木には神が住まうとされたから、ご神木と

崇められるものが多い。同様に、地面から天

に向かって垂直にのびる柱は、神が降りてく

るための通り道と考えられた。

 仏像などで見られる光背というのは、いう

なればオーラ。身近に神を感じていたころの

人たちは、体から発するエネルギーであるオ

ーラを見てとることができた。当然のことな

がらご神体として位置付けた自然物にもそれ

を見たから崇めたに違いないのである。


 穏やかな日々が過ぎているように見えて、

数馬は心がせかされる。

 星をも砕く力とは、一体なんなのだろう?

天空にある星のことなのか?それとも地球と

言う星のことなのだろうか?

 何らかの危機が迫っていて、何事をかなさ

ねばならぬ使命を負っているということなの

だろうか?

 諏訪近辺には、鏃に加工された石器である

矢ノ根石が産出された。硬くて鋭い断面を作

り出せるその石は、鏃だけということではな

くナイフ様の刃物としての加工もなされ、も

のを切ったり削いだりするのに使われた。

 矢ノ根石すなわち黒曜石は、黒色ないし暗

色の火山ガラスであり、化学組成は通常、流

紋岩質で、破断面は貝殻状を呈する。

 そもそも日本列島は、環太平洋火山帯の一

部であることから多くの火山が存在する。こ

の火山活動に伴って流紋岩質マグマが、高温

高圧の状態から地上に噴出したり、或いは地

表近くに貫入したときに急冷した場合に「黒

曜石」が生じると言われている。黒曜石は石

器時代、石器製作の材料として鉄器にかわる

重要な役割を果たした石材である。その黒曜

石というのは、どの火山でも産出するものと

いうわけのものではないから、この限られた

黒曜石原産地と、それらの範囲を越えた黒曜

石製石器類出土遺跡の分布から、当然のこと

ながら、黒曜石という石器原材の産地とその

使用地に、需給関係が両者間に存在したこと

は容易に推定できるが、道とて開けていない

原初の森に隔てられたそれら地域間を如何に

して搬送したのであろうか。この黒曜石の伝

播が、どのような形態で行われたかは推測の

域は出ないが、少なくとも何らかの「交易」

活動として存在したことは確かであろう。

 けれども、広大すぎる範囲に及んでいるの

である。利便性の高い物が広がるのはわかる

として、狩猟採取の用途のみに使われたのか

戦いの道具として使われたのか解らないこと

も数多い。


 赤石山脈の最北端に位置する守屋山。諏訪

ピクニックの数日後、数馬は何かに導かれる

ように杖突峠側からこの山に登った。

 守屋というと、物部守屋が頭に浮かぶが、

何か関連があるのだろうか?彼はこの地とは

遠く離れた河内国の渋川郡で厩殿皇子により

射落とされた筈。

 蘇我馬子は、泊瀬部皇子・竹田皇子・

厩戸皇子などの皇子や諸豪族の軍兵に攻めら

れたのが、歴史に丁末の乱と称されるもので

ある。

 守屋は一族を集めて稲城を築き、守りを固

めた。その軍は強盛で、守屋は朴の木の枝間

によじ登り、雨のように矢を射かけたので、

その威力に皇子らの軍兵は恐怖し、退却を余

儀なくされた。

 これを見た厩戸皇子は仏法の加護を得よう

と白膠の木を切って四天王の像をつくり、戦

勝を祈願、勝利することができたら仏塔をつ

くり、仏法の弘通に努めると誓った。

 そして願いとともに矢を放ち、大木に登っ

ている守屋を射落した。寄せ手は勢いを得て

攻めかかり、守屋の子らを殺し、守屋の軍は

敗北して逃げ散った。

 守屋の一族は葦原に逃げ込んで、ある者は

名を代え、ある者は行方知れずとなった。

そんなことを考えながら双耳峰の最初の頂

上に至った。頂上からの眺めは頗る良い。東

峰に小さな祠が祀られている。

 そこから歩みもとめず西峰に向かった数馬

に向かって、およそ山には似つかわしくない

薄衣をひらひら風になびかせながら降りてく

る女人に行き会った。

「そなた、隼人かえ?」と問いかけられた数

馬は、それが自分のことなのだということに

全く疑いをもたなかった。

「そうじゃ。今そなたの脳裏に浮かんだとお

り、そなたの母として現じ小雪としてもわら

わは顕れた。そなたは昔、自らが極めた剣技

により修得した能力により、守らんとして信

じたものを、その身を挺して守ったのであろ

う。そしてその後はどうなった?黄泉から蘇

って思うところはあるか?

 人は望むものを手に入れる為には力が必要

だと思っている。武力や暴力であったり、金

力であったり、権力であったりするが、それ

を手にした途端、その先に何をしようと思っ

ていたのかを忘れてしまう。その先があった

筈なのじゃ。何事をか為さんとすれば、何ら

かの力は必要じゃ。気づけばそれらは誰もが

持っている力ではあるが、他を虐げることな

くエネルギーを形にすることができるように

なるには段階がある。

 確かに、未開ゆえ誰かが統べて導かねばな

らぬ時代もあろうが、義として立てた理想で

あっても時代を継ぐ者ものがそれを自分に都

合よく変えてしまうことはよくあること。

自分勝手に振る舞うことのみが目的となって

いる者共には、まだそのような能力は与えら

れぬ。体の仕組みと同じでどこも大事ではあ

るが、それぞれに役目というものがある。全

部を慮ることができるかどうかじゃ。無尽蔵

にあるものは、誰も奪い合いはしないものじ

ゃ。それによって争いは起こらぬ。この世が

物質で成り立っている以上、何かを得ようと

すれば対価が必要となるが、豊かであろうと

するなら対価以上のものを与えねばならぬ。

余分に支払うもよし、相手が喜ぶような感謝

の気持ちでもよし、付け加えることはあって

も決して見合う価値から少しなりとも奪って

はならぬ。そうしてこそより豊かさが増すと

いうのが真理じゃ。

 奪えば奪われる。与えれば与えられる。教

えれば教えられる。本来、宇宙にはものを生

み出す元となるものは無尽蔵にあるから、か

まわず供給しても許されようが、当たり前に

手に入るのだと思う者がいるならば、それは

許されぬ。手にしたときに畏まることがあっ

てこそ湧き出ずるがごとく現出するようにな

るのじゃ。物質的にはほどほど発展しつつあ

れど、肝心の魂が追いついておらぬ。『星を

も砕く力』とは、見切りをつけられたら創り

変えることを辞さぬ大いなる意思があるとい

うことと知るがよい。さほどの猶予はないぞ

え。前世から200年も経ってはおらぬ。4

00年はかかる転生が、それほど急を告げて

いるということじゃ。此度も共に生きる仲間

ができているようなのは喜ばしい。今生は、

金力と肉体の快楽を学んでみるかえ?

「もそっと近う寄れ」

 手招きされ誘われたのは、柔らかく眩いば

かりの光に包まれた空間であった。光は溢れ

ているがまぶしくはなくて、限りなく心が穏

やかにいられる場所であった。

「まずそなたがわらわの中に入ってきやれ。

神話にいうところの『まぐわい』じゃ。しか

る後、わらわがそなたと一体となって国生み

をする。何が生まれいずるかはわからぬが、

この世に生を受けたら増やすことが努め。産

みの苦しみというが、それは嘘じゃ。途轍も

ない快感に見舞われよう」

 そういいつつ、ハラリと羽衣を足下に落と

した。現れた裸身はこの世のものとは思えぬ

美しさで、導かれて内に入った数馬は余りの

快感に震えた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


第4部


 誰の脳にも、見たり聞いたりなど普段日常

的に使っている「意識」とは別に、普段意識

的に使っていない「潜在意識」と呼ばれるも

のが存在し、それは大抵のことを可能にして

しまう能力があるのだという。内なる神とい

えよう。

 この潜在意識というものは、今までに聞い

たり、読んだり、見たり、言ったり経験した

ことの全てを記録する膨大な記憶装置でもあ

る。

 ここには、世界中の全ての図書館にあるも

のを合わせた情報量よりも遥かに多くの情報

を記憶できるということが証明されていると

もいう。

 潜在意識が何かを記憶するとき、その記憶

は所謂世の中で言われる「いい」か「悪い」

かに区別されない。しかもその上、潜在意識

は事実上の現実と、想像上の現実を区別しな

いのだともいわれているのである。

 そこでは現実と想像の区別がつかなくなっ

てしまい、思考と行動が潜在意識によって現

実に導かれてしまうこともあり得るというこ

とになる。

 潜在意識は一番強力であることから、いく

ら強い意志を持っていたとしても、潜在意識

には適わないのである。

 意識的に何事をかをしようと思っても、

「今日は特別だから明日から始めることにし

よう」等と考えてしまうのは、潜在意識のパ

ワーによるものである。潜在意識は変化を好

まない。

 しかし、もしもこの潜在意識を、自由自在

にコントロールすることができれば、自分の

意識や行動は、常に成功に向けて自動的に進

むことがプログラミングされるといわれてい

るから、望みを叶えるのには強力である。

 ただ、この領域につながるのはなかなか難

しい。気づきのキッカケは、小さなことから

なのだという。

 いずれにせよ、この世のものはすべて波動

によって成り立つ。人は何であれ、自分の目

で見えるものしか信じない。地球が回ってい

るのではなく、星が自分の周りを廻っている

のである。

 真理に近づきそれを悟ったり知ったりする

には、まだ幼いのかも知れない。

 内なる神がそのようなものであるなら、そ

れは一人個人のものということではなく、全

てに繋がる意思があってこそのことであろう

から、個に捉われていても仕方あるまい。自

分のことのみ考えれば足りるということにし

ているなら、その世界に通ずることはないで

あろうし、大いなる意思に沿うことにもなら

ないことになる。もっともっと大きな世界を

知らねばならぬ。

 目覚め気づいた人が少なかった混沌とした

時代には、その真理に気づいた人が他を導く

役割を負った筈なのである。導くためには、

何らかの力は必要で、そのおかれた環境に応

じ、腕力であったり金力であったり権力であ

ったり教えであったりした。

 多くの人がそれを我がこととして気づくの

に時間がかかりすぎた。手段としての力であ

った筈のものがいつの間にか目的そのものに

変節し、混沌は複雑に絡み合うものと成り果

てた。全ては一つなのだ、というたった一つ

の事が理解を越えてしまっているのかもしれ

ない。

 感謝と優しさは、厚い膜で覆われてしまっ

ていて、攻撃的なものがより表層に出てしま

った。


 近くの寺から勤行でもしているのか鈴(り

ん)の音が聞こえてくる。宇宙は波動で成り

立つというが、この星の周波数は7.83ヘ

ルツ。528ヘルツの音は、覚醒に影響があ

るらしい。

 衣食住の全てが何の不安もない程に充たさ

れた時、人はそれを感謝して、次の魂の磨き

の段階へ移れるのだろうか?それともさした

る努力もなく手にすることができたことを当

たり前なこととしてしまって、怠惰の道を進

むのだろうか?

 人は、大いなる意思をもった偉大なる存在

が別れてできたものであるから、気づきさえ

すれば、互いに争うことなく、思ったこと望

むことを、何事であれ実現する能力を芯の我

という領域に持っているのだという。

 その、内なる神とでもいうべき領域は、も

ともとが一つのものであったのだから、自分

も他人も区別しない。思ったことをそのまま

具現化できるといわれてはいるが、なかなか

その通りにはいかない。

 ブロックしている大きな障害があるからで

ある。。

 この領域に繋がるためには、過去世から今

に至る誤まてる想念を清浄化し消し去らねば

ならないのであり、そのために、気づくまで

人は何回でも生まれ変わる。

 この世の中のあらゆる苦悩は、それらを起

こした原因である誤まてる想念を気づかせる

為に、結果として現れているのであるから、

現れた以上消える筈のものなのだが、消し去

るための方法を修得できないから、改めて掴

みなおしてしまいかねない。

 それを消し去る事ができれば、何事をも可

能にする内なる神に通ずる道なのに、それが

解らない。

 最悪なのは、恨み言や復讐心を頑なにいつ

までも抱き続けることであるから、それが苦

悩として現れているのだと気づくことができ

たら「復讐は終わった」と宣言し、「許せな

いけれど許す」と小声で言って、それらを解

放してしまうのが良い。

 拘りを捨ててしまえば、苦悩の業は消えて

行く。

 どちらかというと、他人を許すのは簡単で

あるが、自分を許すのは難しい。

 人は、今更ながら取り返しようもないのだ

けれど、後悔することを沢山抱えていて、そ

れが自らを責め苛むことがらが多い。いつま

でも捉われ続けて自らの魂を傷つける。

 それらを、これは手前勝手なこととは違う

と思い決めて、こういうことは再び繰り返さ

ないと自らに宣言し「禊は終わった」と小声

で言って、それらを解放し、新たな自分とし

て出直すことである。

 自分を許し他人を許し、自分を愛し他人を

愛すことができるようになることが、今生に

生れ出た意味なのだと知ることから全ては始

まる。


 真央は、大学受験の合格発表が終わり入学

手続きを終えると、すぐに休学の手続きを済

ませ、誰にも知らせず一人で暫らく暮らす決

心をした。

 数馬にも「私は大丈夫だから、しばらくは

探さないでね」と告げたのみで、数馬が真央

のことだからと信頼して、その理由を尋ねる

こともなく了承してほどなく、行方が杳とし

て知れなくなった。


 真央は、受験勉強中に突如夢か現か定かな

らぬ状態になり、大いなる意思に抱かれて宇

宙の果てまで溶け広がりそうな目眩く快感を

得たのであった。そのことを忘れてしばらく

経った頃、体の異変を感じたのである。生理

がとまり、こころなしか腹部が膨らんできた

のである。心を許せる数馬とだって、手を握

り合ったことも抱き合ったこともないのにで

ある。

 しかし、数馬以外は考えられず、何かは解

らぬながら、この先がどうなるのかそれを自

分の努めとして一人で確かめようと覚悟した

のであった。


 この世のものは、自然より齎される潤沢な

恩恵に感謝するところから始まり、人の潜在

意識が共有するものの中から現出した。

 しかしながら、ものが現出することの意味

を忘れ、欲望に基づくものからでも物が現れ

出ることに味をしめ、それを自らの手にだけ

にすることも覚えた。

 欲望により手に入れたものは、それを失う

ことを恐れるのが自然の成り行きだから、そ

れを守るための手段を考えるに至る。利権が

生まれるということである。得た物は、自分

だけで囲い込もうとするようになるのが常と

なった。

 類は類を呼ぶ。朱に交われば赤くなるの喩

えのとおり、それに与している間に本来の意

味を見失ったのである。波動が合うものしか

身近に起こらなくなって行った。

 高次の精妙な波動に近づくには、目標が定

まったある一定のスピードが必要なのかも知

れない。高次元のものが見えれば、それはそ

のように現出される筈のものなのだと思えて

ならないが、大多数の人は、目先の損得の感

情に流されるから、そのことに気づくことが

なくなってしまっていったのである。利権利

得を囲い込むようになって長い。もっと慈愛

に満ちた世があることに目覚めねばならぬ。

宇宙に遍満するエネルギーは無限にあり、心

身ともに豊かになれる可能性はあるのだ。

目に見える形でないと信じないと言うなら、

手始めに噂に残る埋蔵金を探し出してみよう

かと思う数馬であった。


 「数馬にいちゃん、真央ねーちゃんは帰っ

てこないの?」可愛らしい笑顔で数馬を見上

げて瞬きをしない大きな目で尋ねた。

「昨日の晩、おねーちゃんの夢をみたの。お

兄ちゃんと仲良くしていてねって言っていた

の」

「うん、真央ねえは大事なお役目があって、

いま忙しいんだよ。でも琴音ちゃんのことは

忘れていないから大丈夫だよ」

なにかの徴候なのでもあろうか?

 久しぶりに、数馬・松田・河尻・福島・川

田が顔を合わせた。受験などを控え、それぞ

れに忙しいから一堂に会すのは珍しかった。

松田が口を開いた。「先日、荒木が声をか

けてきて『兄貴、最近見慣れない与太者風の

奴がうろうろするようになったんだけど、俺

の口から言うのもなんだが、浦安さんは大丈

夫かな~』って言うんだ」

「俺のことを兄貴というのは勘弁して欲しい

けれど、与太者なんて古臭い言い方だが、的

を射ているようにも思えるんだ」

 またぞろ武田の隠し金を狙って蠢きだした

ものが出てきたということか?

 噂の域を出ない話が出てくる時は危うい。

 欲のみで動く者が蔓延れば碌なことにはな

らない。いっそのこと日の目を見させたほう

が良いという時期を迎えているということな

のかも知れない。

しかしながら、事を成すには大義が要る。

そんな覚えはなくとも、自らの欲望のままに

動くと、関わった人たちにまで災厄を及ぼし

業火を背負わせる結果を招く。

いかなる大義を立て、どのように事をなし

ていくかということは重要な問題となる。


「この間、守屋山に登ったのだが、その時に

感じたことがあって、少し武田のことを調べ

てみたんだ。守屋山も金峰山も諏訪湖も気に

なるが、古文書や暗号地図があるとは聞かな

いから、誰もが知っている川中島や三方ケ原

のことを除いて、ざっと読んでみたんだ」

数馬が概略を説明した。


武田信玄は元亀4年(1573年)2月に野田城

の戦いで城を落としたが、その頃から持病が

悪化。軍を甲斐に引き返すために信濃へ入っ

て間もなく病死した。享年53歳。

 信玄ゆかりの移転前の長岳寺に移送して火

葬した後、兵は影武者をたて、喪を秘して甲

斐へ帰還したとされる。

が、根羽村横旗の信玄塚に葬ったとか、駒

場の山中で亡くなったとか、どれが真実かは

定かでない。

 武田軍の伝令部隊は、百足衆と呼ばれた。

工事部門を受け持つ金山衆も百足衆と呼ばれ

るが、なぜ金山衆が百足衆なのかというと、

鉱山(坑道)は百足のように主トンネルから

足を伸ばして分かれていく様が百足のような

ので、坑道のことを「百足」と呼ぶことから

だという。

 伝令部隊、金山衆のように工作をする部隊

を総称して「百足衆」なのだと考えられる。

 しかし、大河ドラマに出てくる百足衆は、

主に伝令部隊のことを指し示しているようで

ある。

 武田には直属の12名の伝令部隊「百足衆」

があったという。

 百足、と聞くと気持ち悪く思うかもしれな

いが、百足は戦の神とされる毘沙門天の使い

といわれており、更には百足は後ろには歩か

ないことから「後退しない(負けない)」と

のう信仰もあって、よく兜の前立てのデザイ

ンにも使われた勇ましい虫なのである。

 しかし、坑道などに潜み、刺されると大事

になるから、人は恐れて近づかない。

 ついでにいえば、蜻蛉も決して後ろに下が

らないことから、別名では勝虫とよばれたか

ら、武家の持ち物の意匠に多い。

 武田信玄といえば、「風林火山」の旗印が

有名である。この「風林火山」は「孫子」を

出典とする兵法の心得として、信玄の旗指物

となって使われた。

「風林火山」の原文は「孫子」の軍争編に記

された「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如

山(疾きこと風の如く 静かなること林の如

く 侵掠すること火の如く 動かざること山

の如し)」の一節であることを知る人は多い。

「兵は神速を尊ぶ」という言葉がある如く、

合戦においては進軍の速さが大事になってく

る。

 風のように速く、炎のように相手を蹂躙す

ることこそが合戦の要になる。そして、静か

に進軍の時機を待つことも合戦では重要なの

である。相手の挑発に乗ってしまったがため

に、大将が討ち取られて軍が総崩れになった

例は枚挙に暇がない。

 孫子を重要視したということは、諜報活動

も重視したということになる。武田の忍者は

透破と呼ばれた。

 透破は、「すっぱ」「とうは」「とっぱ」

などと読み「スッパ抜く」の語源となったの

は、忍者の名称・通称からであるといわれて

いる。武田信玄が使った透破は「三つ者」と

も呼ばれて、各地の情報収集や情報操作・人

心操作などの諜報・工作活動に従事したと言

われている。

「忍者」というと摩訶不思議な忍法で武士や

他国の忍者たちと戦うイメージがあるが、武

田信玄は「孫子」に基づいた工作活動などに

手堅く活用していたようである。


 塩尻峠は、長野県塩尻市と岡谷市の境にあ

り、諏訪盆地と松本盆地を隔てる峠である。

 ここで、塩尻峠の合戦というのがあった。

 塩尻市柿沢に首塚・胴塚がある。塚は天文

十七年(一五四八)七月十九日の塩尻峠の戦

いが終わり、武田軍が首実験を行ったのであ

るが、遺体を放置したまま陣を引き払ったの

で、村人が哀れに思い、この場所に埋葬した

と伝承されている。

 第2章で紹介した千人塚といい、この首塚

といい、人は悼み手を合わせたり花を手向け

ることはしても、そこを暴くことはしない。

しかしながら、これらとは違うが軍資金を

埋めたと言われるところには、そのような塚

の謂れが多いのも謎めいた話しではある。

軍歯根を運搬し、それを埋めた者たちの口

封じのためだとも伝わるから、恐ろしいこと

ではある。

 本当か嘘か定かならざるも、世に武田の埋

蔵金、豊臣秀吉の隠し金山、徳川の埋蔵金の

噂は底深く残っている。


 天文十七年七月十日、小笠原氏と通じた西

方衆と呼ばれていた諏訪湖西岸の武士や、諏

訪氏一族の矢島・花岡氏らが、武田氏の領す

る諏訪に乱入した。信玄は 翌日にこの知ら

せを聞き即日出馬したが、極めて慎重な行動

をとり、十八日になって漸く大井ケ森(山梨

県北杜市)から諏訪に入った。

 小笠原長時は信玄 の動きに対応して五千

余の軍勢を揃え、塩尻峠(現在国道20号線

が走る塩尻峠ではなく、南側の勝弦峠とされ

てる)に陣を張った。

 ところが、それまでゆっくり動いていた武

田軍は急に進度を速め、翌十九日の早朝六時

頃に塩尻峠の小笠原軍を急襲した。

 通常、戦は峠の上に陣を取った者の方が有

利なのが常道なのであるが、小笠原方では、

昨日までの武田軍の動きから推測するに、ま

さかこれほど迅速に攻撃を仕掛けてくるとは

夢にも思ってもいなかった。不意をつかれて

武具をしっかり纏った者が一人もおらず、大

半が寝ぼけ眼という状況であったという。

 不意を突かれた長時軍は、一方的な敗北を

喫し、将兵千余人が討ち取られてしまい、長

時自身もほうほうの体で逃げ帰らざるを得な

かった。

 武田信玄の有名な言葉に、「人は城 人は

石垣 人は堀. なさけは味方 あだは敵な

り」というのがある。

 この言は、『甲陽軍鑑』品第三十九に「あ

る人が信玄公の御歌として言う」として紹介

されているものであるが、本当に信玄の歌な

のかどうかは定かでない。

 しかしながら、これが信玄の軍事・政治哲

学を端的に表現しているものであることは確

かなようである。

 武田信玄は、大将として功名を得る資格の

第一として「人材を見分ける能力」をあげて

いると言える。

 そのための一つの手段として、「日ごろか

ら領内の様子や家臣の状態などをよく観察し

ていて心にとめ、それについて後日、素知ら

ぬ顔をして部下に訊ねる」ということをやっ

ていたという。

 それも通り一遍の返答では満足せず、くど

いほどに問い質すし、それに対する言葉のや

り取りを通じて、その部下の人柄や才能、あ

るいは意欲、物の考え方、心掛け・深慮遠謀

の程度などを見極めていたとされる。

 信玄の具体的な人物評価基準は次のような

ものであった。

 心掛けを持たないものは向上心がない。武

道に無案内(心得がない)の者は、根掘り葉

掘り尋ねてでも、細かいことまで知ろうとし

ない。

 そのように追及心のない者は、必ず不当な

発言をする。失言をする者は、必ず心おごり

やすく、或いは逆に消極的になる。おごった

り沈んだりするものは、首尾一貫しない。言

行の首尾が一貫しない者は、恥を弁えない。

恥知らずのものは、何につけてもすべて役に

立たぬものである。

 そうは言いながらも、彼は、一方で、その

ような評価基準に合わない者であっても、そ

の性質にそって生かして使うことを心掛けて

いた。

 これが『人は城、人は石垣、人は堀、情け

は味方、讎(あだ)は敵なり』の真意と解さ

れている。

 彼はそのことを「甘柿も渋柿も、ともに役

立てよ。」即ち人はその性質にそって使うこ

とが大事であるとしていた。

 決して人をつかうのではない。わざ(意

欲)を使うのである。その人の持ち味や能力

を殺すことがないように人をつかってこそ、

心地がよいとしていた。

信玄は、号を機山と称した。


憎しの(294)山は753、186は15

夜さん。この3桁3段の数字の配列は、縦

横斜めの合計数が15となることから、魔方

陣と呼ばれる。

181459(人は石垣)1846(人は

城)

中央アルプスのほぼ中央に位置する名峰で

あり、伊那谷の太田切川、木曽谷の伊奈川の

源となっている空木岳という山がある。

 山名の起こりは「卯木」からきている。春

に伊那谷からこの山を眺めると、中腹以下は

黒木の森なのに、山頂部は残雪模様が美しく

映え、それがあたかも満開のウツギの花のよ

うに見えるところから、その名がつけられた

ようである。


 こんなことが基礎知識になろうかというこ

とで、順番はともかく皆に話し終えた。


 その気になっていれば、必要な情報はどこ

からかか入ってくるものである。要は気づく

かどうかということである。

 不穏の気を放つ者が跋扈しだしたというこ

とは、乱れの始まりである。

 風越山・権現山からの鳴動が起こっている

ことも気になる。破壊されることは、避けね

ばならない。

 人は輪廻転生を繰り返しても、生老病死の

四苦の軛からは逃れられない。それから逃れ

るには、輪廻の輪から脱しなければならない

という。即ち解脱。

 宇宙の真理と我が一体であることを悟ると

いうことなのであろうが、一つなるものとは

それのことなのであろうか?

 それを覚ることが遅いからといって、砕か

れて作り直されるというのでは救われない。

行き違いはあるとはいえ、人間まだまだ捨て

たものではない。十分に育った姿だって見ら

れる筈。


 一方、真央は出産が近いことを感じ取って

いた。体形は周りからそれと覚られるような

変化はないが、なぜかそう感じていたのであ

る。通常の妊娠に至るようなことは身に全く

覚えがないから、一人で人知れず産もうと思

っていた。

 払暁、それは突然にきた。伝え聞くような

それに伴う痛みは全くなくて、むしろ快感で

あった。

 生まれ出たのは、両手の掌に乗るほどの光

の玉であった。

 愛おしく掌にそっと捧げていたが、しばら

くすると光の玉は窓を開け放つようにと言う

かのように真央を促した。

 名残りを惜しむように真央の周りを何回か

撫でるように周回すると、西空に向かって眩

い光の尾を引きながら飛び去って行った。

 朝日があがるとすぐに「光りの玉が生まれ

たわ」とだけ数馬に伝えた。

 数馬は「わかった」とだけ答えた。


 数馬は、考え込むことが多くなった。

 因果の法則というのがある。原因があるか

ら結果があるというのが真理なのだという。

 しかし、原因があれば必ず結果が現れると

いうわけではない。現れるのにはそこに縁、

即ち交差する何かがあってこそということに

なる。

 だとすると、万物は相互に依存し合ってい

るから認識されるということになる。

 原因が解らない結果に人は苦しむ。原因が

解っていれば受け入れやすいのだと思える。

さればこそ、先人が「罰があたるようなこと

はするな」といってきたことに、意味があり

そうである。

 楽しみを与え、苦しみや悲しみを取り除き

あうというのは、人間にのみできることであ

ろう。

 後味が悪い行いをするよりは、慈愛に満ち

た振る舞いを心がける方が気持ちが良い。後

生もよかろうものを、敢えてそれに反するこ

とを、何故に人はしがちなのだろうか?

 何が足りないとして殺伐とした世界を目指

すのか。滅びにつながらないのか。


 衣食足りて礼節を知るという。「管子」牧

民の「倉廩 (そうりん) 実 (み) ちて則ち礼

節を知り、衣食足りて則ち栄辱 (えいじょ

く) を知る」から出ている言葉であるが、人

は、物質的に不自由がなくなって、初めて礼

儀に心を向ける余裕ができてくる。

 多少の欲望は、進化を助ける。充たされな

いから際限もなく求めるというのが良いとは

思わないが、我慢しすぎるのも、良い結果を

生むとは思えない。

 ならば、まずエネルギーと食糧が満たされ

れば、人は違ってくるのだろうか。

 鎖国時代であっても、日本の文化程度は高

く保つことのできた民度が醸成されていた。

 既得権益からの反撃は予想されようが、メ

タンハイドレード、海水から無尽蔵に取れて

燃やすことができるマグネシウム、水素電池

などで、まずエネルギー問題を解決する。

食糧は、米作を復活すれば確保できよう。

肥満になるほど食べなくても玄米食の栄養価

値は高いとされているから、十分賄えよう。

貪ることをやめて、精神性を高めることに目

を向ければ、争い事はなくなる。

 我一人良ければ良いというのではない。皆

が望むような平和な状態を現出することがで

きれば、追随する者は表れよう。先ず隗より

始めよ、ということである。

 そのようなことに武田の軍資金を見つけて

使うというなら、大義と言えるだろうか?


 真央が帰って来た。誰が見てもそれと知れ

るほどに、全身から光を放っていた。

「いよいよ始める決心をしたのね?」と、数

馬にかけた第一声がそれであった。

「うん。口実というかキッカケにするのは宝

探しだが、必要なものは望めばいくらでも供

給されると思う。真央ネーに優しくすること

のできる時間がなくなるこも知れないが」

「そうね。私たちが持っている力は、そうい

うものだしね」

「うん。だからこそ、それをどう使うかには

熟慮がいる。なまじ変な組織を作れば乱れの

原因にもなりかねないから、信頼できる人た

ちを集めて考え方の芯を固めなければならな

いだろうし、そこは真央ねえに頼むしかない

と思っている」

 久し振りに会っての会話は、これで足りた。

 人は、生まれてから依存、自立、相互依存

という過程を経て精神的に成長する。この世

に一つなるものがわざわざ別れて現出すると

ころに、どのような大いなる意思の目的があ

るというのだろうか?そのあたりの確固たる

信頼関係と共通認識が二人にはある。

 正と負の間には空の世界があり、空は無と

は異なって、そこに膨大なエネルギーが潜ん

でいることは想定できる。

 自らの努力により進化することは当然とし

て、ほぼ完全に自分でできるという段階にな

ったとき、その空の領域に全てを委ねるとい

うことができる対象として歩めということな

のか?

 プラスとマイナスの中間にあるゼロの持つ

無限の意味に気づけということなのか?

 誰もが中道を歩める度量を持てるようにな

れば、世の中が変わるであろうことは間違い

なさそうなのである。


 何も無いのだとしてきた処に、実は無限の

エネルギーがあるのではないかと気づき、そ

れは状態が変化すれば何にでも形を変えて顕

れるのではないか?そのことに無知であった

と自分で分ると、考えるようになる。

 考えると、認識できるものがでてくる。物

質であったり概念であったりする。形となっ

たそれらを取得すれば、実在となる。それら

は望めば無尽蔵に現出するに違いないが、貪

欲に自分だけが囲い込むことがないようにす

るには、人の精神性がまだ育っていない。空

気のように誰もが等しく共有して余りある量

があるのに、最初は奪い合い、必要以上に個

人で貯めこむ。手段としてあるものが、目的

となってしまってきたのが、これまでであっ

た。貪欲は不幸を呼ぶ。


 何事かをするときは一気にやる。一気にや

って圧倒的な差がついているものに、人は争

う姿勢はみせない。争えば何とかなりそうな

ものは、奪い合う。

 宝探しは手段である。探さなくても見つけ

られる、というより、やれば見つかることが

確実だから、それは口実ということである。

必要な資金を得た後に何をやるか、というこ

とである。

 大いなる意思に見限られて作り直しの工程

に入るのを座視しているわけにはいかない。

その役目を負って生まれてきたた、との想い

が、いつからか醸成されてきていた。

 調和が取れればよいのではないかとのおぼ

ろげな推測はある。いかに美しくそれが実現

できるかということである。

    第4部 完



 第 5 部


 お手並み拝見とでもいうのか、門出を祝し

てとでもいうのか、時ならず花が咲いた。

 そもそも一つだったものが、別れて物質に

なったり、時間になったり、精神と呼ばれる

ものになったのは何故なのだろう。

 精神或いは霊と呼ばれるものを磨き上げる

ための手段として、大いなる意思は、同時に

様々な物質をも現出せしめたというのであれ

ば、今はその手段として現れたものを得るこ

とが目的と成り果てている段階ということに

なるのであろうか。

 幸せで調和のとれた世界というのは、一体

どんなものなのだろうか。

 精神の昇華を果たし、それで調和のとれた

新たな世界を次々に作りつないでいけという

のが、大いなる意思の目的なのだろうか。疑

問は尽きない。

 ただ、このままではならないということが

朧に意識されるにとどまっていることだけは

数馬たちには確かであった。

 先は長いが、残された時間が少ないという

急かされるような意識が日増しに強まる。


 信玄は甲斐の国に城は作らなかったが、川

中島周辺には強固な山城を多数作っている。

後に真田家の持ち城となった松代城の元々は

海津城であり、それは信玄が作った。

 貝津城とも茅津城(かやつじょう )とも

言われ、茅の生い茂った地であったと伝える

説もある。

 しかし、後世に信玄の城について語られる

ことは少ない。不思議なことではある。

不思議といえば、何故に信州の地を欲しが

ったのであろうか。甲州では米があまり獲れ

なかったということもあろうが、信州は神州

に通ずると思っていたのだろうか。諏訪大社

の意味するところは大きい。

 志半ばで潰えてしまった信玄は、大義とし

たものが神の意に沿わなかったのだろうか。

後に天下を取った徳川家康が目指した、戦の

ない世を作るということは、それに沿ったと

いうことなのだろうか。


 久々に、塩崎建国が顔を出した。記憶力抜

群の塩崎は、余りに膨大な量の情報が流れ込

んでくることで、PCにおけるヒートランの

ような原因不明の高熱を発し、長らく臥せっ

ていた。

 漸くの小康を得て、口を開いた。

 いろは48文字というのがある。一文字も

重なることなく文として成り立つものが二つ

ある。


 色は匂(にほ)へど 散りぬるを 我が世

たれぞ常ならむ 有為の奥山今日(けふ)越

えて 浅き夢見じ酔(ゑ)ひもせず


 鳥啼く声す夢覚ませ 見よ明け渡る東(ひ

んがし)を 空色栄えて沖つ辺に 帆船群れ

居ぬ 靄の中(うち)


 現在は五十音図で表される。即ち2音足り

ない。五十音を訓読みすれば、「ことだま」

と読める。

 古来より我が国で使われる言葉は響きの中

に魂、即ち神を感じ取る感性をもっていた。

であれば、諏訪を守るご神山である守屋山は

守矢とも書ける。事実、守矢神社というのが

この地にある。

 文字は言葉を表す記号であるということに

立ち返れば、漢字ではなく平仮名で読むこと

で解ることも出てくる。

 薄田数馬(漱ぐ多禍事魔) 桜町真央(咲

く良万智魔覆う) 松田芳樹(魔通堕与職)

河尻明(華和事理明 福島次郎(覆死魔治

老) 川田勝夫(禍破舵活男) 塩崎建国

(詩央左記長け邦) 浦安琴音(裏矢守異

根)

 言われてみれば、数馬は多くの禍いごとや

魔を漱ぐように動いてきたし、真央は、身内

に潜む多くの知恵を使い、周りを花の咲くよ

うに優しく包み込むことで魔を覆ってきた。

松田は、圧倒的な剣技で魔を堕し、有るべ

きところに通してしまう天職ともいえる力を

与えられているようである。

 河尻は、華のような和やかなことわりを明

らかにするためであれば、自らの命さえ差し

出すであろう覚悟を、前世からの記憶がそう

させるのか、時々それを垣間見せていた。

 福島は、常々言っているように、守るもの

があるうちは人より先には死なないで、魔を

覆し治めるまで老いるであろう。

 相変わらず思い込みの激しい川田は、禍を

打ち破る舵取りに活きる男になりきるるかも

知れぬ。

 塩崎は、本邦一の記憶を、長く詩のように

記憶に残していく役目。

 琴音は、何を為すのだろう。守矢というの

が気になる。


 数馬の仲間たちの後ろに影が貼りつくよう

になった。表立っての動きというのはまだ無

いが、一挙手一投足が窺い見られている気配

があることを、皆がひしひしと感じていた。


 来世であるとか永遠の命とかいわれるもの

は、現世の虐げられた弱者の魂の救いの為に

編み出された手段なのではないかという側面

が強い。

 そういう世界が存在するということを証明

できれば違ってくるのかも知れないが、それ

は不可能に近いから、現世で利得を受けてい

る人たちが既得権益を手放す筈もなく、それ

を侵そうとするものがいれば、阻もうとする

ことはあり得る。

 ときにそれは、人たるの則を越えることだ

ってなくはなかろう。現世利益を手にする強

者が、自らを律することができるには、余裕

というものが必要である。

 自らを高めようとしない者を、神は手助け

しない。手助けされて得たものに対し、怠惰

な者たちが抱くのは、それが自らに好もしい

物でなければ得られた結果に感謝するどころ

か不平を言い、責任をその与えた側に押し付

けて恥じない。自らの努力をなくして得られ

るものでなくては進化はない。他人のせいに

していて理想は生まれない。

 英国の植民地であった米国が、独立の為に

戦ったのは、たった4パーセントの人たちで

あったといわれている。残りの者たちはわれ

関せずであり、甚だしき者たちは酒を飲みな

がら傍観していた。

 しかしながら、数は少なくても自らの意思

で立ち上がれば、事態は変わるということで

ある。


 近頃、伊那の谷あいに咲く桜の名木を見に

来て、それを縁のようにして住みつく人が増

えた。

 その彼らに共通しているのは、柔らかにこ

の地を覆うように感じられる光のドームが見

えるということであった。

 その光のドームは、日に日に透明度と強度

を増していくようである。

 人は、道徳的にも知識的にも、価値観的に

も、全員が連帯できるほどに成熟しているわ

けではない。冷静に己を滅して見つめ直して

みたとき、自分が拘っているものがそんなに

大きなものではないと気づけないものだとは

思えない。その拘りを捨てれば、もっと自由

でのびのびした世界が開けてくるように思え

る。軛となっているものは、意外に小さい。

抜け出せないと思い込んでいるのは、自分自

身であって、他人のせいではない。


 日いずる東に位置し、古来から周りを海と

言う天然の要害で守られ、南北に延びる緑豊

かな島は、四季折々に美しく彩られ、黄金の

国と呼ばれる国であった。

 この地の西の大陸は、西に行くほど砂漠地

帯であり、その先の西に開けた文明はあるに

はあったが、古くからの人類憧れの地は、こ

の神に選ばれた東の国であった。

 偏西風の行きつく先、将来の末法の世に救

われるであろうとされる14万4千人が栄え

られる国と思いなして、古代に渡り住んだ裔

もあろう。

 この神域ともいえる国は、侵そうとすれば

神風に吹き払われ、護られているということ

を忘れ、逆にこの地から外に出ようとすると

禍は起こった。

 内なる豊かさに意識が向けば、そこに黄金

郷を築ける約束の地であることは、疑いよう

がない。

 何を理想として目指し、それを範として続

く世界を如何に現出して行くかということに

目覚めなければならないということである。

この地に生を受けた使命とは、そういうこと

なのである。

「かくすれば、かくなるものと知りながら、

やむにやまれぬ大和魂」と、昔歌った人がい

るが、個人の欲得から離れ、神がかり状態で

突き動かされるように一身を捧げる人が出る

時、歴史は動く。

 最初に起こした波動が、最初は小さくとも

うねりにまで育てば、それは広く伝播し、留

めようのないエネルギーとなる。人為の思惑

から掻き回す波であれば、それは荒く、如何

に強くとも、広がるには限度がある。それは

弊害を齎すことが多いから、付き従う人が限

られるからであろう。

 天意に沿えば、人の為せる業とは到底思え

ないことが起こることは、歴史上も枚挙に暇

がない。

 大事をなそうとすれば、そこに抵抗は必ず

起こってきたが、それと争うことがなく進む

ことができれば、それに如くはない。

 磨き上げられた鏡に映るが如く、善には善

が、悪には悪がそのまま返れば良い。

 悪意から出る攻撃が、そのままブーメラン

のように戻り、それが強ければ強いほど強烈

に発信源に帰るとなれば、侵す者はいずれい

なくなる。

 薙刀の技に木の葉返しというのがある。

 真央には、その先のものが身内にあるのを

感じられるのであった。あくまで防御に特定

されるときに出る力なのであろうが、単なる

技前のことではなく、意識の世界のことであ

り、それは星をも砕く力であることが想像で

きた。

 それは、数馬と松田にも備わっているに違

いないとも真央は思うのであった。

 隠れているものを無理に探し出そうとする

と禍が起こるものでも、天機が満ちて自ら現

れ出ようとしている気を覗わせていた。


 宝探しは、目的ではない。その先をどうす

るかということである。

 ロマンは、義と志を持つ人を集め易いが多

人数であることが要件ではない。何故なら、

一人立つだけでも国は掬われるからである。

 さりながら、賛同者は多いに越したことは

無い。エネルギーの総和は大きい方が良いに

決まっている。


 手続き上、埋蔵金を発見した場合は警察に

届け出る。警察は、埋蔵金が発見された日時

や場所、埋蔵金の特徴などを6ヶ月間公告す

る。そして、6ヶ月以内に埋蔵金の所有者が

判明した場合、埋蔵金を発見した人は、埋蔵

金の価格の5%~20%分を報労金としても

らうことができる(遺失物法28条)。

 これは落し物を拾った人が落とし主からも

らえる報労金と同じことになる。

 それでもかなりの額にはなり、ことを始め

る端緒としての資金には十分であろう。

 あとは、ワラシベ長者のように先を膨らま

すことはできる。

 経済的支柱は、何事をやるにも必要である

が、利益を求めるのが目的では狭ますぎる。

いずれそれは争いの種になりかねない。目指

すものを見失わなければ良い。

 全てを自分がやらねばならないということ

でもない。得意分野に力を出し合え、それを

互いにリスペクトしあう土壌を作ることで、

先に進むことはできる。

 必要以上の財物を独り占めするかのように

抱え込む者がいるのは確かである。起きて半

畳寝て一畳等とまで達観する必要はないにし

ても、貪ることを止めないのは何故なのだろ

う?得てしてそういう者たちが表面に出るこ

とはない。蔭からの支配を目論んでいるから

なのだろうか?

 それを阻害しかねない動きには敏感に反応

する彼らの側にだって、超常能力を備えてい

る者を抱えていても不思議はない。

 数馬たちの行動が、都合の悪いこととの判

断をすれば、人知れず妨害して潰してしまお

うとする可能性はある。

 数馬たちの背後に、いつの頃からか張りつ

くようになった影というのは、そういうあた

りから来ているのだとしたら、危険が伴う。

どのような手段をとるか予想し難いからであ

る。


 塩崎建国が口を開いた。「諏訪大社の主祭

神は、出雲系であり、出雲といえば国譲りを

したとして歴史で習う。普通に考えれば、戦

いに敗れて国を取られたとなるが、果たして

それだけなのだろうか?

 だとしたら、敗者を最大級の神社に神と祀

って後の世まで残すだろうか?同じことが他

にもいえる。戦いに敗れた武将を神と祀り、

後々も尊崇される民族というのは、一体なん

なのだろう。他国であれば、墓を暴いてでも

駆逐し尽くすというのに・・・

 元々が同根であると知っているからなので

はないのか。だとしたら、主流派争いという

ことであり、より正当性を持った者が支持さ

れたということになる。

 信玄という名も、文字を変えれば真言とも

箴言とも書ける。玄(くろ)を信ずるという

のは穿ち過ぎであろう。信玄は、喪を隠せと

箴言即ち戒めの言葉を残した。単なる戦略だ

ったのか?」

 更に言葉を繋いだ。「世に、武田の隠し軍

資金の話しは多い。夜叉人峠だとか瑞牆山だ

とか赤石山脈のどこかだとか諸説がある。一

般的にそれを運んで隠す仕事に携わった者は

口を封じられるし、後々の為に暗号化した地

図位は残すが、そんなものはない。さっきも

言ったように、同族間で後々後事を託せる者

が現れたときには、自然にわかるという信頼

関係があるとしか思えない。意外に簡単に見

つかるのではないだろうか?」


 前章のどこかに、八と言う字は恐ろしいと

書いた。八と言う字は末広がりで目出たいと

もいうが、八の別の読み方はヤーである。

 ヤーというのは、神様への呼びかけ。ヤオ

ヨロズの神というときのヤである。だから、

恐ろしいというよりは、畏ろしいというべき

かも知れない。

 古くは神様へのお供え物として生贄を捧げ

た。別の言い方をすると、犠牲。牛と羊を自

分の身代わりとして焼いた。それは可哀そう

なことであり、今後悪いことはしませんとい

う誓いであった。羊の下に我と書いて義とい

う字ができた。義とはそういうものである。

 生贄など捧げなくとも済むように、身を処

さなければならぬということである。

 人間が、まだ神と直接会話ができていた時

代、豊かに与えられるそれらを当たり前だと

して疎かにする者が現れて、安易に流れ、惰

弱の内にあっても事足れりとしていた者と、

他より少しでも利を得ようとする者が出るに

及んで、諍いの種は徐々に膨らんだ。

 それでも、優れたリーダーが長として集団

を束ねていられるうちは良かったが、その長

同士が争うようになり、集団が巨大化してい

くにつれて、本来の目的は見失われ、神との

道は途絶えていった。物と心を分けて考える

とそうなっていく。

 人間は、命を繋いでいくのに物が必要だと

いう原点があることが、そもそも問題なのか

も知れない。

 物を得るのは、心を育てるより簡単にでき

る手段がいくらでもあることもそれに拍車を

かけた。

 善因が善果を結び、悪因が悪果を齎すのが

因果応報の真理とはいえ、選ばれた者のみが

元の地に回帰できるというのは狭い。移り住

んだこの星を栄えさせるために、営々と増や

し続けてきた命を、輝かせることができない

筈はない。深奥に潜む神性が目覚めればでき

る。

 日の本は 岩戸神楽の始より 女ならでは

夜の明けぬ国と歌われるように、わが国は女

性の意思が底流で大きく働いている。

 世の中は、女の望むように変わるといわれ

るが、それだけに女性の自覚というのは重要

なのだと思う。良妻賢母という言葉がかつて

はあった。これを差別であると目を剥くむき

もあるが、疑いもなく優れた女性に対する尊

敬の言葉であった。

 表の部分では男が全身全霊をもって力を尽

くし、基盤の部分を女が支える。

 お互いがその持ち分を尊重しあえているう

ちは良かったが、いつの間にか働いて糧を得

る男が偉いのだと勘違いする者が増えた。そ

うなるにつれ、女も表にでなくてはならない

のだという意識が拡大したのは、歴史の趨勢

でもある。

 しかし、今度はその女の側にも勘違いは生

まれることにもなったように思える。収入を

得ることが、人としての価値ではない。

 楽に生活ができるのは、稼ぎの多寡による

のは事実だから、子にもちょっといい生活が

できるような生き方を望むようになり、それ

が目先の損得しか考えない大人にしか育たな

いことにもつながった。

 志高く、世の為人の為に働こうとする人材

を育成するよりも先に、権利を主張すること

のみに走る人も出てきたのは、仕方のないこ

とかも知れない。

 残念ながら、特性を生かし合うことは、い

つからか思案の範囲外になっていってしまっ

たように見える。

 結果として、さしたる努力をしなくても全

てが同権であると主張することに走る男女が

増えていった。

 同権であるのが悪いのではないが、目先に

追われて、特性を生かし合うということで生

み出されるものが、どこかに押しやられてし

まっていないかということが気になる。

 男に子は産めない。釈迦も弘法もひょいひ

ょい産むなどということはできない。

 男女共に、表面的に現れる損得が人生の重

大事と捉えられることになれば、それが過度

の競争心を生み出し、全ての人がとまではい

わないが、志を高く掲げて働こうとする気が

薄れていってしまう人が増えていくのは、や

むを得ないのかも知れない。努力する人を軽

んずるようにもなる。思いやる心と、感謝の

気持ちが薄れた世界は、殺伐としてくる。


 魏志倭人伝にある「倭国は乱れ、あい攻伐

して年を歴る。すなわち、ともに一女子をた

てて王となす。名づけて卑弥呼という。鬼道

につかえ、よく衆をまどわす」のように、乱

れたときに女性の力は大きい。

 鬼道とは恐らく霊力のことであり、それに

は言霊の詠唱に関する技があり、鬼道に拠る

即時攻撃を可能とする力があったというが、

威力を保持する事が難しかったというから、

国を侵す者を幻惑して退けることにのみ力を

振るい、集団を統べたということなのであろ

う。

 この先、真央と琴音の果たす役割が多から

んことが予想された。


 真央の名前にある「央」の字には「大」と

いう字が含まれる。大とは「おおきくたっぷ

りとゆとりがある」という意味が含まれる。

それは、全てを受け入れる包容力であり、器

の大きさということであり、中央に立つ人、

すなわちリーダーシップを発揮する人に必要

なものということになる。

 しかし真央には別の心配事がある。真央は

音の響きから魔王に通じるのではないかとの

恐れである。

 西洋には、ルシフェルと呼ばれる存在があ

る。明けの明星を指すラテン語からきている

のだというが、光をもたらす者という意味を

もつ悪魔・堕天使の名でもある。

 正当キリスト教において、堕天使の長であ

るサタンの別名であるが、そもそもは天上に

おける大天使であった。

 素戔嗚も天界から降ろされることにはなっ

たが、偉大な神である事を疑う人はいない。

 真央は生身の人間であるから、いかに志を

高く掲げたとしても、完全であるとは思って

いない。善悪の二面はあると思っている。と

きに抑えがたい女性としての感情も十分に持

ち合わせているとの自覚もある。

 時々、何故か自分の命はこの先長くはない

のではないかと思うことがある。

 大事なお役目の一つは果たせたのではない

かとの思いがある。

 真央はこのところ414という数字を目に

することが多い。この数字の持つ意味は、

「天は貴女が最高の真実と同調した思考がで

きるように助けてくれています。どんな心配

事や恐れも天に委ね、平和なプラス思考に取

り換えてもらって下さい」という事である。


「ねえ数くん、相変わらず魔の蠢動は続いて

いるの?私は何をしたらいいの?」

「それは相変わらずのようだよ。差し迫って

何をしたらいいのか解らないけど、みんなが

和やかでいられるにはどうしたら良いのかっ

ていつも考えている。あるかどうかも判らな

い隠し金探しの連中が揉め事を起こしている

のも困った状況を引き起こしかねないけど」


民法241条は、埋蔵物は、遺失物法の定める

ところに従って公告した後6か月以内にその

所有者が判明しないときは、発見者がその所

有権を取得すると規定している。

 即ち、発見後約6か月間、所有者が現れな

かった場合には、発見者がその所有権を取得

することができるということである。

 要件となるのは、発見者が遺失物の所有権

を取得するためには、遺失物法に従って埋蔵

物を発見した旨をきちんと届け出る必要があ

るということである。

 因みに、届出先は警察署という事になる。

 届出をせずに、単に隠し持っていたという

だけでは埋蔵物の所有権を取得することはで

きない。

 埋蔵物を発見したのが他人の土地である場

合には、発見者とその土地の所有者とが、埋

蔵物の所有権を均等に取得することになる。

(民法241条但書)。

 しかし、文化的な価値がある物を見つけた

場合は、自分の物にならないかもしれない。

 例えば徳川家の埋蔵金のように文化的な価

値が高い埋蔵物については、文化財保護法が

適用される可能性があり、その場合には、民

法241条の規定が排除されることになるから、

発見者が埋蔵物の所有権を取得することはで

きないことになる。

 そうはいえ、発見者は何ももらえないとい

うことにはならず、遺失物法の規定に従って

埋蔵金の価値の5パーセントから20パーセン

トに相当する報労金の支払いを受けられるこ

とにはなる。

「そんなものを探して争うより、地道に働く

喜びを見つけた方がいいのにね」数馬が言っ

た。


 人間ってなんなのだろう?動物は、衣は自

前の毛皮があるから食・住が確保できれば、

基本的に生きていけるし子孫も残せる。食も

必要以上に貪り蓄えるということはない。

 ところが、人間はそうはいかない。

 精神活動をする為には富が必要となるし、

持つものの多寡で力関係が生じ、沢山持つこ

とで他を支配できるから、富を蓄えることに

貪欲になりがちになる。

 人類は大まかに言って農耕民族と狩猟民族

というのに先祖は分れる。

 どちらも初期の頃は、その日の食物を得ら

れれば、それで良しとしていたに違いない。

 用心のために多少の蓄えをしたとしても、

たかが知れている。

 農耕といっても、採取時代から間もない頃

は、石器に頼るしかなかっただろうから、耕

作面積は知れていて、生産量が多かったとは

思えない。

 鉄器ができるようになってからは違う。耕

地面積を増やすことで圧倒的に生産量はあが

った筈だし、富の蓄積ということもできるよ

うになった。

 そうなると、農作業に従事する者ばかりで

はなく、分業化が始まり、思索に時間を使っ

たり、道具を工夫することから芸術に発展さ

せたり、武器を作ったり、精神的支柱として

の宗教も生まれてきて不思議はない。

 厄介なのは狩猟民族である。

 獲物が取れなければ、農耕民族を襲って蓄

えを奪うのが手っ取り早い。狩猟をすること

で、戦いには慣れていた。

 しかしここにも、奪うことを正当化する理

屈は必要となったと思われる。

 白色人種の神は、有色人種を人ではないと

決めつけることで、殺しても構わない奪って

も構わない虐げても構わないという理屈を構

築した。

 まさか神がそんなことをするわけがないか

ら、神の名を騙る権力者がそれを唱え、従う

のが都合の良い人たちがそれに従った。

 厳しい環境下で人々の安寧を願って、それ

を「宗」として纏めたいわゆる教祖が現れる

のは不思議ではない。しかし、それを「宗

教」という形にしていく段階で、人間の思惑

が加わった。

 大雑把にこう考えてみると、歴史というの

は解りやすい。

 植民地主義というものの遠因は、人は弱い

他人から簡単に物を奪えるというところにあ

りそうに思える。

 地の神と共に平和に暮らしていて武力とは

縁遠かった有色人種の国々は、格好の餌食で

あった。

 奪う側は、そこに住んでいるのは人ではな

いとする口実も用意されていたから、悪いこ

とだとも思わないですんだ。

 人倫というのは、そういう神には疑問をも

って糺す勇気が必要なのであろう。

「気づけ!気づけ!」と、想像した神々が警

告を発しているように思えるのだが、それに

気づく人数が少なすぎると、崩壊を免れるま

でに間に合わない。

 神州は鳴動を続けている。


「ねえ数くん、私休学中に一人で光の珠を産

んだわ。数くんと夢の中で結ばれたと信じた

し、とても嬉しかった。でも違ったみたい。

生まれたのは光の珠で、生まれてすぐに信州

の方に飛び去ってしまったの。このごろ空か

らあたりを見渡している自分を感じることが

あるの。この先この世に長くは生きられない

のではないかと思うの」

 数馬は黙って真央を抱きしめ

「多分同じころなのだと思う。僕も夢の中で

女神さまを抱いた。めくるめくような感動だ

った」

 今こそ愛を確かめ合う時なのだと数馬は悟

り、静かに真央を横たえさせた。迷いは微塵

もなかった。


 翌朝、松田芳樹がぶらりと現れた。

「なんか二人とも嬉しそうだな。やっとなる

ようになったか?」というのが第一声であっ

た。

「俺も数馬も、いつ人身御供のように命を落

とすかも知れないんだから、今生に思いを残

さないほうがいい。体を張っている他の連中

も喜んでくれるさ。真央姐さん宜しくお願い

します」と言って、ペコリと頭を下げた。

 河尻明と福島次郎に続いて川田昭夫もやっ

てきた。

「俺は他のみんなと違って腕力の方はからっ

きしだから見回り重視でやっているんだが、

このところ目が飛んじゃっているのが多いよ

うに思う。いうなれば何かに憑かれているよ

うなふわふわした挙動の連中なんだけど」と

川田がいうのに続き、

「それに加えて変な言語を使う強面の連中が

諍いを起こしてるんだよね。こないだも絡ま

れたから手心を加えながら撃退はしておいた

けどね。なんか焦って情報を収集しているみ

たいに感じた」と河尻が言った。

「俺はこないだ弓の修練の帰り道、暗くなっ

た一本杉の梢に、正体不明の、これが噂に聞

く鵺じゃないかと思えるのがこちらを窺って

いたので、矢を一本お見舞いしたんだけど、

あっさり躱された。恐るべき身のこなしだっ

たぜ」福島がつないだ。

 どうも容易ならない事態がおこりつつある

ようだ。

「騒ぎを起こしている見知らぬ連中は、多分

宝探しの輩だろう。探し出す糸口を得ようと

する無分別な行動だと思うが、そうゆう愚か

さに魔がとり憑いたに違いあるまい。欲にか

られた連中は危ない。何を始めるかわからな

い。我々で早いとこ隠し金を探し出してしま

って、公の用に供してしまった方が良いのか

もしれないと思うがどうだろう?」数馬がみ

んなの顔を見ながら図った。

「私はあまり賛成じゃないわ。あるかないか

も定かではないものでも、私たちが動き始め

れば予想外の摩擦は起こるし、事件だって起

こるかも知れないわ」真央はそう言いつつ、

これが私の身に迫っている危険なのではない

のかということを犇々と感じていた。ただ、

自分の身勝手から出ている言葉だとは信じた

くなかった。

「でも、もし危険が琴音ちゃんたちにまで迫

ってくるようなら、そうするわ」真央は意見

を付け加えた。多分、自分はそのどこかで死

ぬだろうという予感は拭えなかった。

 真央は、深い眠りについているとき意識が

体から離れ、自由に空間を移動しながら神州

を我が目で俯瞰している感覚を目覚めてから

思い出すことが多くなった。

 朝な夕なに眺める山脈の中にひときわ目立

つ赤石岳というのがある。桜の咲くころにな

っても頂は白く雪で覆われている。人里より

も山脈の上を飛ぶことが多いが、赤石山の上

に行くことが際立って多い。

 少し前に自分から飛び立った光の珠が大き

く育ったと思われるものにつつまれているの

も感じていた。数馬が、守屋山や諏訪湖や八

ヶ岳も気にはなるが、それは魔との戦いの上

のことであって、隠し金は信玄の退却経路上

ではなく赤石岳のように思えるのだと話した

ことが影響しているのかも知れない。自分に

は物質的な欲はないから、現れる時期がきて

いるものなら自然に気が付くことであると思

うので、目を凝らして何かを探しているとい

う感覚はない。

 夢物語のようなことを、まだ数馬に話して

もいないが、いずれは告げねばならないと思

っている。一笑に付されることなく真剣に捉

えてくれると信じている。

 動かなくてはならないときが迫っているの

だろうか。


 麓道を黒塗りのワゴンが土煙をあげて走っ

てきた。

 やんぬるかな、琴音の身に危険が迫った。

 手がかりを求めれば、その可能性を探って

浦安親子にたどり着く。

 近くには真央しか今いない。やむなく真央

は子供の頃に使っていた木刀を手にした。琴

音は、声をあげて騒ぐこともなく、素早く真

央の背にまわった。

 侵犯者は屈強な男3人。その目前で素振り

を入れた真央の木刀の刃音は凄まじく、怖気

を振わせるに十分であったが、女一人と見く

びったのか喚き叫んで掴みかかってきた。

 蝶のように軽く身を躱してからの真央の動

きは流れるように美しかったが、数馬が修行

時代に遊びのようにして付き合っていたこと

で身に付いた技は、苦も無く3人を叩き伏せ

るのに瞬きの間もなかった。

 手加減した上でのことである。まともに打

ち据えたら骨が砕けたであろう。

 琴音を一人で守るためだったとはいえ、こ

れが後に真央にとって取り返しがつかないこ

とにつながるのであった。

 数馬達が集まってきた。

「大丈夫だった?」と口々に尋ねるのに応え

て、「もうあまり余裕は無いみたい。この間

の話だけど、すぐにでも動いた方がよさそう

よ」と、琴音を抱きしめながら掻い摘んで事

情を説明した。

 琴音の父が赤石岳に登ってから以後に行方

不明ななったことだけははっきりしている。

赤石岳に向かって出発することに衆議は決し

た。

 山国育ちであるから、皆それぞれに登山用

品は備えているが、急いで浦安母子のものは

用意しなければならない。

「お母さん、お聞きのとおり危険が迫ってい

ます。しばらくは私たちと一緒の方が安全だ

と思います。決めて下さい。」

「いつもいつもご迷惑ばかりかけてすみませ

ん。ご厄介をかけますが、宜しくお願いしま

す」

 綾音が美しい顔に決心をこめ深々と頭を下

げた。

「あなたも山の子だから、山登りは早くから

経験しておいた方がいいわ。お姉ちゃんたち

と一緒に行くの。大きな山だけど、ゆっくり

登っていくようにするから大丈夫よ」

 山登りが苦手だという人は、大抵歩き方が

早すぎる。ゆっくり一歩一歩進んでいけば、

さほど苦労せず楽しく登れてしまう。

 塩崎建国の言うところにより探す見当をつ

ければ以下のようになる。

 中国の春秋時代末期に現れた「孫武」は、

一般的には孫子の名で知られ、「呉起」と並

ぶ偉大な兵法家であった。「兵は詭道なり」

「百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。

戦わずして人の兵を屈するは善の善なるもの

なり」などの言で有名である。

 信玄は孫子に、謙信は呉氏に、信長はマキ

ャベリに喩えられることが多い。毘沙門天の

化身であると称する謙信を信長は恐れ、洛中

洛外屏風図を贈って機嫌をとり、戦うことを

避けた。同様に、信長は信玄を恐れ可能な限

り戦いにならないようにしていた。

 信玄も謙信も天下取りを狙っていたわけで

ない事は他の戦国大名と同じであったが、こ

の両雄は強かった。

 されど信玄が上洛を目指したときは歳がも

う待ってくれなかった。当時の寿命としては

もう晩年に近かったが、軍資金の備えはして

いた。

 孫子の残した言葉に、窮年累世というのが

ある。「窮年」は人の一生涯。「累世」は

子々孫々の意。「年としを窮きわめ世を累か

さぬ」と訓読する。孫子を信奉する信玄がこ

れを知らない筈がない。

 人は石垣人は城を掲げた彼にしてみれば、

累は塁であり石垣のこと。石を積んだところ

があれば、そこが一つの目印となろう。無類

の強さを誇った騎馬軍団を擁した信玄である

から、馬というのも一つのキーワードとなる

に違いない。

 赤石岳の東側を流れる大井川の支流、赤石

沢の源流に赤色の岩石ラジオリヤチャート岩

盤が多く、この赤色チャート層が雨に濡れる

と美しく赤色に発色することから、赤石岳及

び赤石山脈の名前の由来になったとされる。

陽に映えると美しい。

 南アルプスには二万年前まであった氷河に

よって削られた地形、圏谷(けんこく)すな

わち広い椀状のカール地形が存在する南限と

される。赤石岳においては、東側斜面に北沢

カールがあり、そして北沢カール周辺は、5

月下旬から8月上旬にかけてハクサンイチゲ

やシナノキンバイなどの高山植物が咲き乱れ

お花畑が広がっている場所である。

 山頂の全容が近くに見えるようになる平た

い尾根に、百閒平の標識が立っている。

ここは昔、百聞洞とも呼ばれた。

 この先は馬の背と呼ばれる細尾根を過ぎれ

ば山頂に至る。この平らな場所に洞などは見

当たらないから、いぶかしい名前であるとい

える。

 このあたりのどこかだと真央は感じ取り、

数馬も間違いあるまいと思った。

 取り敢えずザックを降し、ここで休憩をと

ることにした。

 そこかしこに咲く花を摘んで嬉しそうにし

ていた琴音が、崖近くの岩にぴょんと飛び乗

った。

 古びてはいるが、人為的に形が整えられた

大き目な石であった。

「ああ、ここだわ」真央が悟って皆に声をか

けようとした瞬間、一行に向かって銃弾が集

中してきた。皆が岩陰に身を潜める中、真央

は琴音を庇おうと駆け寄った。

運命というのはこういうことなのか?

 琴音を抱きしめた真央の背中から夥しい血

が流れだした。

 「いやだー!姉ちゃん大丈夫?しっかりし

て」と泣き叫ぶ琴音に

「これから言うことは大事なことだから、し

っかり聞いてね。琴音ちゃんは、数馬兄ちゃ

んのこと好き?」

「うん大好き。」

「だったらよく聞いてね。大きくなったら、

数馬兄ちゃんのお嫁さんになって欲しいの。

他の人には頼めないことなの。ある力を持っ

た人でないと駄目なことなの」

「真央ねえちゃんいやよ、死んじゃうみたい

なこといわないで」

「死にたくはないわ。でももう無理みたい。

そばにあなたしかいないけど、一番大事なこ

とを頼める人でよかったわ」

 苦しい息を紡ぎながら言い終えると、真央

は目を瞑じた。

数馬が匍匐しながら近寄ってくる。

 真央のありさまを見て、数馬の怒りは怒髪

天を衝くほどになった。星をも砕く力は抑え

ようもなく発動してしまい、襲撃者の頭上に

は暗雲が垂れ込め風雨が荒れ狂い小石が降り

注いだ。同行の仲間たちの眠り閉ざされてい

た力も、これを機に同時に解放されてしまっ

たから、凄まじいものとなった。

「やめよ!数馬。怒りに任せて力をコントロ

ールできなくてこの先どうする!」

 驚くべきことに、その声は琴音の口を借り

てなされた。

 静けさを取り戻した百聞平には、呻き声を

あげて倒れ伏している襲撃者が散見された。

 こうして、この件は公的なものとして引き

継がれることになった。発掘された埋蔵物は

膨大なものであった。


 真央 外伝

 まだよちよち歩きの頃の真央の隣に、数馬

が生まれた。自分も幼いのに、生まれたばか

りの赤ん坊が可愛くて、しょっちゅう見に通

った。

 伊那の谷は、深い雪に閉ざされることが多

かったが、風が温み雪が融けそこかしこに湯

気をあげる黒い土が現れ草が萌出で、小さな

草花が咲き、桜が花開く頃になると、ぬかる

んだ道も乾いて、幼くても自分の足で歩いて

行けた。

 数馬が初めて「真央ねえ」と声にしたとき

は、飛び上がらんばかりに喜んだ。

 寝ている数馬に一日中つききりで顔をみて

過ごしたこともあるくらいで、親たちも「よ

く飽きもせず続くものだ。」と微笑ましく眺

め、薄田家の当主となることが定めとして生

まれた数馬ではあったが、家柄もつりあうこ

ともあり、二人が幸せに育つことを願い合っ

た。

 田んぼがレンゲの花で埋め尽くされ、草原

が緑に染まるころには、タンポポの黄色い花

が咲き、クローバーの白い花も溢れた。真央

はクローバーの花を摘んで花飾りを編むと、

それを頭に被り「大きくなったら数くんのお

嫁さんになってあげるね」と小首をかしげな

がらあどけなく笑う姿は可愛らしかった。

 夏ともなれば、昆虫網と虫かごを携えて、

蝶々や蜻蛉、カブトムシを追って一日中野山

を駈け廻り、真っ黒に日焼けした顔を互いに

見合わせて笑い合った。

 それも4~5歳までのことである。


 当主とは、一家の家督を継承して家族を統

括し、その祭祀を主宰する者を指す。家長と

同義の言葉とされている。

 古い制度としては、家長は夫権や親権を通

じた配偶者及び直系卑属に対する支配は勿論

のこと、それ以外の親族に対しても道徳的な

関係を有し、彼らに対する保護義務とともに

家長の意向に反したものに対する者を義絶

(勘当)する権限を有していた。また、その

家の家風・祭祀に関する権限を握る存在でも

あった。

 家門の役割というものも伝わり続け、商家

などではこの制度故に家訓を守ることで揺る

がずに長く代を重ねる例が多い。

 当主には、年長の外戚といえど異を唱える

ことは叶わず、それ故に教育も厳しかった。

 数馬の家は武門の流れではあったが、それ

は同様であった。


 六歳を俟たず、数馬の修行は始まったが、

一歳年上の真央はそれをわが身のことのよう

にとらえ、共に行動することは勿論のこと、

年長ということもあってか何くれとなく世話

をし、時に励ましながら育っていった。


「数くん、手が擦り剝けちゃったね。痛い?

お姉ちゃんが唾つけて治してあげるね」

「こんなくらい平気だよ。でも唾はつけてお

いて頂戴」真央は口をつけて傷口の泥汚れを

吸い出し、痛いの痛いの飛んでけ~」とおま

じないをしたりもした。こんなことが日常茶

飯続いた。


 魔界との戦いが運命づけられている家に生

まれついたことによる心身の鍛錬は過酷を究

めた。常人を越えねば叶わぬことであり、自

らの覚悟がなければとてものこと続けられる

ものではない。

 数馬の父は数馬が6歳のとき、極めようと

していた修行の途次で命を落とした。以後の

数馬の修行の手ほどきは、叔父が携わった。

「数くん、泣いてはいられないわよ」幼い

真央が更に幼い数馬を励ました。

幼心にみても、修行は厳しかったのである。

 日を経るにつれ、真央は近くで見守るだけ

になっていった。最早一緒についていける段

階を越えたといえる。それでも、真央の体術

の能力は、すでに常人の域を超えていたこと

は紛れもない。

 学校の勉強は年長ということもあって、見

てあげていられたが、それもつかの間のこと

であった。数馬の吸収力と理解力は、一度で

も目にしたり耳にしたものは網目のように身

内に取り込まれてしまうからであった。

 真央の胸が膨らみ始めたころ、いつでも一

緒にいることは遠慮しなければと感じるよう

になり、一定の距離をおくようになったが、

好きだという気持ちが変わることはなく、い

つも思い続けていられた。

 このころから、女の嗜みとして茶道を母よ

り仕込まれるようになった。それに打ち込み

一人で茶を点て静かに喫することは楽しかっ

た。

 年頃になるにつれ、真央は美しく育ち、高

校に入学する頃には言い寄ってくる男が増え

たが、彼らに興味を向けることはなかった。

一人数馬のために生きるのが自分の定めだと

思い決めていた。数馬は相変わらずことある

ごとに真央姉え真央姉えと呼んで自分を慕っ

てくれているが、それは姉に対するものとど

う違うのか判らない。女友達が数馬の噂話を

すると、自分が恋心を抱いているわけでもな

いのにと思いつつ、何故か心が騒ぐ。

 そんな時は茶を点てた。夕陽が差し込む障

子にふと目をやったとき、突然脳裏に「星を

も砕く力」という言葉が鳴り響いた。それが

否応もなく自分に与えられた力なのだと疑い

もなく信じたが、それを使うことがあるとま

では思わなかった。

 波乱の道はその先に控えていたのだが、解

りようもなく流れていった。


 (第5部 完)


 第六部


 大いなる意思は、一体如何なる世界が現出

されることを望んだのであろう。最初から完

全なものを造らなかったのは、未熟なものか

ら育っていく過程に意味を持たせたのだろう

か。

 そしてそれは、望んだ方向に向かっている

のだろうか。

 我が国の縄文時代は、約1万5,000年前(紀

元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世

紀頃)、地質年代では更新世末期から完新世に

かけて日本列島で発展したと言われ、その後

弥生時代に続いたとされるが、混在していた

のではないかともいわれる。

驚くべきことにその遺跡は日本全国の広範

囲に及ぶ。

 遺伝子DNAの研究が進み解明されてくる

に及び解かってきたことによれば、他のアジ

ア諸国とは違った因子をもっているらしい。

 その後かその前か、或いは重なっているの

か解らないが、神代になる。

 いずれのときにあっても、神につながる意

識を持っていたに違いなく、森羅万象の全て

に神性を感じ取り、敬い共存するに八百万と

言われる神々の意思を疑いもなく受け入れて

いたと思われる。

 その頃は、まだ神々との接点があったのだ

ろうか。

 記紀に表される神話を荒唐無稽なものとし

て退けるか、或いはそこに汲み取るべき秘密

があるのではないかとするのでは、意識構造

に差が生まれる。

 古事記には、国譲りの神話というのがある。

素戔嗚尊の子孫である大国主尊は、天孫降臨

の前に芦原中国(あしはらのなかくに)、即ち

日本を支配していた。その国を天照大神の子

孫に譲り渡したということである。

 天照大神、高木神の命を以て、問いに使わ

せり。「汝が宇志波祁流(うしはける)芦原

中国は、我が御子の知らさむ国と言依(こと

よ)さし賜いき。故、汝が心は奈何(いか

に)。」


 ウシハクのウシは主人。ハクは身に着ける

という意味であるから、主人が支配している

ということを言っている。

 対するに、シラスとは知らすということで

あり、知らされた人たちが共有協力して国を

治めていくということである。即ち昆明共同

の統治ということを指す。

 この原則は神代の昔から殆ど変わることの

ない意識に沈んでいる。

「しらす は、「知る」の語源ともいえる言

葉で、天皇はまず民の心、すなわち国民の喜

びや悲しみ、願い或いはは神々の心を知り、

それをそのまま鏡に映すように我が心に写し

取って、それと自己を同一化させ、自らを無

にして治めようとされるという意味であると

解される。

 対するに「うしはく」というのは、西洋で

は「支配する」という意味で使われている言

葉と同じであろう。

 つまり、日本では豪族が占領し私物化した

土地を、権力を持って支配するようなとき、

「うしはく」が使われている。

 大国主命は論破されたということになる。

 勿論、戦いもせず国を譲ったのでないこと

は、鹿島神宮の祭神として祀られる武甕槌命

(タケミカヅチノミコト)と諏訪大社の祭神

として鎮まる建御名方命(タケミナカタノミ

コト)との戦いがあったことは、記されたと

おりであろう。

 いずれにしても、大国主は出雲の大社に祀

られ、タケミナカタは、落ち延びた先が諏訪

の地であったとはいえ、そこに祀られたので

ある。

 列島の背骨をなす場所であり、八ヶ岳と守

屋山に繋がる地なのである。八と言えば、タ

ケミナカタの先祖である素戔嗚が退治したと

いう八岐大蛇がすぐに連想される。

 如何なる役目を負ったというのであろう。

現に、日光・諏訪・伊吹・京都・阿蘇は一直

線上にあり、鹿嶋と諏訪と白山を結ぶ直線上

は春分と秋分の日の出・日没の方向となる。

出雲と熊野を結ぶ線は、夏至と冬至のそれと

なる。


 そもそも一つなるものが分かれてこの世に

在るのだとしたら、罪の子として生まれてく

る筈はなかろう。

 完成形ではないのは確かだから時に悪の道

に足を踏み入れることはあろうが、一旦そう

なったら取り返しが効かないということにし

たら、生まれてきた甲斐はどうなってしまう

というのか。

 禊をして罪穢れを払い、新たな魂に立ち戻

り、本来の役目を果たせるような仕組みを編

み出したのは、一つの知恵だと思う。

 性善説をとらねば、そこに安定的な道徳性

は立ち行かなくなる。

 そうしてそこに和があり譲り合うというこ

とが共通されて当然の筈が、何故か自己のみ

を主張したがる。それぞれに役目があるのだ

との意識に目覚めることがないままに、この

先も過ぎていくのだろうか。

 八という字は恐ろしい。末広がりだといっ

て縁起が良いとされているが、一つの物が分

かれているのだとしたら、字の頂点はくっつ

いていなければなるまい。それが最初から左

右に分かれているのである。

 サイコパスと呼ばれる例外を除けば、人は

よほどの悪人ででもない限り、殆どの場合自

分のことばかりではなくて大事に思っている

人をもっている。その人の為に良かれと思っ

て心配りしたり行動したりしているが、善意

が思った通りに相手に伝わることは少ない。

場合によれば、悪くとられていることもある

から傷つくことも多々ある。

 どこかで相手に見返りを期待している部分

があるのかもしれない。小川に花を流すよう

な気持でお互いが居られれば、最後には理解

しあい感謝しあえるのであろうが、ちょっと

した行き違いで対立してしまうことが多い。

 見せることができないものを介在すればそ

うなる。ものごとを悪くとらえる癖がつくと

不幸である。しかし、騙されても良いではな

いかというほどには達観できないのが普通な

のである。

 真央を失ったことによる喪失感は、数馬を

打ちのめす。こんなに自分が隙間だらけだっ

たのだと、今更ながら愕然とする。満たされ

ていなければ、その隙に魔が憑りつくのは防

ぎようがない。

 志を高く持っていたつもりでも、ともすれ

ばめげそうになる数馬であった。

 このことから何を学び、何に気づけと大い

なる意思は言っているのだろうか。自分はそ

こから逃れられない宿命のもとにこの世にあ

るということなのだろうか。

 かほどに憔悴している姿を見せるわけには

いかないのだという思いが、かろうじて彼を

支えていた。

 地鳴りは収まるどころか強さを増している

のであった。


 現れれば消えてゆく。さしもの隠し金探し

の騒動も、熱が引くようにいつのまにか霧消

し、一見穏やかさを取り戻しているかに見え

るが、次なる問題が何なのか、姿は見えてこ

ない。見えないから無いと言えないものがあ

るのが恐ろしい。

 それでいて、真央への思いを断ち切り、今

一歩踏み出さねばならない時が近いのだと感

じる。

 多分、父が挑んだ道を辿ることになるので

あろうが、生きて立ち戻ることができるのか

は判からない。それができなかった時の先を

考えると、なまじの覚悟ではできないという

ことだけは解る。

 この世のものとは思えないものを相手にす

るということである。


 今は学問の神「天神様」として尊崇の対象

となっているが、菅原道真怨霊説というのが

ある。

 天満宮に祀られたことで、ひとまず鎮まっ

たとされるが、神社に祀られたことをもって

そうなったのだとばかりは言えまい。

 道真が恨み言を残して死んだとは聞かない

からである。人々が公正であるべきだと気づ

き、行いを改めるようになって、平安が取り

戻せたのではないのか?

 自らに恥じる行いをしていれば、災いの現

象は自らが現実化してその責めを負うという

極めて自然な因果だとも思える。

 日本人は、怨霊の軛からは逃れられないと

思っていた方が、自らを律することができ、

結果として和やかにいくことが多い。

 道真は、幼少期から聡明で、数々の難関試

験に合格したことにより、異例の早さで次々

朝廷の要職についていった。宇多天皇からの

信頼も厚く、トントン拍子で出世していった

ことが、逆に藤原氏たちから疎まれることに

なっていった。

 道真が右大臣に昇進した後、宇多上皇が出

家したことにより、その後ろ盾が無くなった

道真は非常に危うい立場になったということ

は、想像に難くない。

 藤原氏たちの陰謀による讒言により、無実

の罪を着せられて九州大宰府へ左遷させられ

た。

 東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主なし

とて春な忘れそ

 宇多上皇は処分の停止を醍醐天皇に訴えよ

うとするが、天皇に藤原菅根が取り次がず、

そのまま左遷の処分が下ることになった。

 もともと頑健では無かった道真は、大宰府

に流されて2年後、再び京都に戻ることなく

59年の生涯を閉じることになった。

 怨霊の祟りだと恐れられた奇怪な現象が起

こるのは、それからである。

 道真の死去した数年後のある夏の夜、道真

の霊魂が比叡山の座主・法性房尊意の前に現

れて、これから都に出没し、怨みを復讐する

ことで晴らす決意を述べ、邪魔をしないよう

にお願いに来たということが書かれた巻物が

あるという。


 まずは、菅原道真を追いやった首謀者の一

人である中納言・藤原定国が41歳の若さで急

死。(906年)

 続いて醍醐天皇に直訴するため裸足で駆け

つけた宇多上皇の行く手を阻んだ藤原菅根

(すがね)が雷に打たれて死亡。(908年)

 その頃になると、それらは菅原道真の祟り

だと恐れられ始め、左遷に追いやった張本人

である藤原時平は、39歳の若さで加持祈祷の

甲斐なく病気が悪化、菅原道真の祟りに怯え

ながら狂い死にしてしまったという。(909年)

時平の命を奪ったと噂された道真の霊は、

その後ますます猛威を増し、時平の子孫たち

を次々と死に追いやり、遂には醍醐天皇の皇

太子の命まで奪うに至る。

 源光(みなもとのひかる)が狩りの最中に

乗っていた馬ごと底なし沼にハマって行方不

明。(913年)

 醍醐天皇の皇子で皇太子でもあった保明親

王(やすあきらしんのう)が21歳の若さで急

死。(923年)

 保明親王の死後、醍醐天皇の皇太子となっ

た慶頼王(よしよりおう・保明親王の子)が

今度は5歳で死亡。(925年)。

 保明親王・慶頼王ともに藤原時平と繋がり

が深かったことから、両者の相次ぐ死は、菅

原道真の祟りによるものとの風評が吹き荒れ

た。

 これらにより、醍醐天皇は道真を右大臣に

戻し、正二位を追贈する詔を発すると共に、

道真追放の詔を破棄することにした。

 時すでに遅し。それでもなお台風・洪水・

疫病と災厄は収まらなかった。

 延長8年(930年)6月には、あるべきこと

か、なんと内裏の清涼殿に落雷が発生する事

件が起き、多数の死傷者が出ることになる。

(清涼殿落雷事件)

 その時に死亡した藤原清貫(きよつら)は、

かつて大宰府に左遷された菅原道真の動向監

視を命じられていたこともあり、これはもう

完全に菅原道真の祟りだとして、益々恐れら

れることになった。

 落雷の惨状も凄まじく、直撃を受けた清貫

は衣服を焼損し、胸を裂かれた状態で即死し

た。

 醍醐天皇はこれを見てショックに打たれた

のか病に臥し、3ヵ月後には寛明親王に譲位

するも、その7日後に崩御してしまった。

 こうして、菅原道真を左遷を企てた者やそ

れに加担した者は、天皇といえどもその祟り

から免れることはできないのだと噂されるに

至った。

 藤原氏一族で唯一人、藤原時平の弟である

藤原忠平だけが菅原道真に同情の念を寄せて

いて、励ましの手紙などを時に送っていたこ

ともあり、祟られてはいない。

 ライバル達が次々に全滅してしまって、藤

原忠平はこの後、摂政・関白となり藤原北家

を支えていくことになった。忠平は、寛大で

慈愛が深かったので、その死を惜しまぬもの

はなかったといわれる。(『栄花物語』)

 これだけ関係者が死亡してしまうというこ

とになると、因果関係がやはりあるのではな

いかと思ってしまいがちだが、菅原道真が実

際に呪いの言葉を残した事実はないという。

 これにより、理不尽な理由で人を死に追い

やれば、その怨霊はその罪を犯した人すべて

に報復を加えるのだという認識が当時の人々

の間にすっかり定着してしまったということ

になる。

 それはそれで後々のために良かったのかも

知れないが、喉元過ぎれば何とやら、人はす

ぐに忘れて同じ愚を繰り返す。

 災いの種は全て自らの内にあり、そこに魔

が憑りついて引き寄せるから、必ずそれは具

現化するのだと思ったほうがよい。

悪縁は悪果を齎す。

 逆もまた真なりで、善縁は善果を齎すと信

じ切るのが倫だとすれば良いのである。

 ただ、死霊も恐ろしいが、生霊の方がもっ

と恐ろしいことは知っておくべきである。


 悪霊(あくりょう)とは、ものの怪 (け)

とも言われるが、人間に憑依して病気などの

異常を起すものを指していうことが多いけれ

ど、時に人間の身体から抜け出た分離魂、す

なわち生霊や死霊が悪霊となることがあると

される。

 悪霊は神仏の威力により退散させうると考

えられ、加持祈祷、呪文などが行われたが、

それで全てが払われたともいえまい。

 原因を次から次へと作り出しているのでは

きりがない。

 いま悪霊ごときに取りつかれて右往左往し

ていては、「最も強烈で絶対的な存在」から

愛想をつかされ、原初の世界にまで立ち戻さ

れることになりかねない時なのである。

浄化できるのは、己の内にもともと在る神

なのだと全ての人が気づき、それに従えば、

怪しげな呪い師に惑わされることなく人たり

える。他人ではなく、あくまで自分なのであ

る。倫理観なくしては叶わぬ。


 大地震や大型台風が列島を数多く襲うよう

になった。

 被害が甚大になると、普段はよそよそしい

つきあいしかしない隣人であっても、見ず知

らずの人たちがごく当たり前のように助け合

う。

 我先に自分さえ良ければというような行動

は、誰に言われなくても慎み、献身的に弱者

の救済に夢中になれる。統率者がいなくても

自発的にそうなることは、他国に類例を見な

い。日本人のDNAは、他国にないものがあ

るともいわれる。

 普段眠っているそれらの能力を、無理やり

にでも引き出そうとしているかに見える大自

然現象は、「早く気づいて、地球のために日

本人が立て!」と言っているかのようにさえ

見える。

 地震より恐ろしい大変動が起こるかも知れ

ない地鳴りが、数馬達を急かす。

 数馬は、何時にても立ち出でる用意として

蔵に入り、胴田貫正国と伝承される刀を取り

出し、常に手許に置くことにした。

 平安城相模は、父が持ち出したままになっ

ている。

 払暁、瞑想に耽っていた数馬の面前に、そ

の扉が突然開き、招き入れるかのように瞬い

た。

 数馬が6歳の時、父もまた踏み込んだ世界

なのだろうと瞬時に悟り、躊躇することなく

そこに足を踏み入れた。後には何事もなかっ

たかのような佇まいだけが残った。

 数馬は仄暗いトンネルを恐れることなく、

奥へ奥へと突き進んで行った。

 進むにつれ、後ろの道が閉ざされていく。

先に広がりをもった世界が開かれているよう

に見えた。明るさは増してきていた。

 ある場所まで来ると、そこに結界が張られ

ているように数馬は感じ取った。

「臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前」を

唱えながら 、刀印(とういん)を結んで九

字を切ると、それは打ち開かれ、なお先に進

むことができた。普段どこででも見かけられ

る風景のように見えた。

 開かれたそこに出ると、待ち構えているも

のがいた。

 鱗に覆われた爬虫類を思わせる体をもった

ドラゴンであると覚えた。鋭い爪と牙を具え

しばしば口や鼻から炎や毒の息を吐く。典型

的なドラゴンは有翼で空を飛ぶことができる

と聞くが、眼前に現れたそれは、有翼ではな

さそうだが体高は3メートル余ありそうに見

えた。

 東洋における龍は、龍神として崇められる

対象であるが、西洋の竜は退治される対象で

ある。

 太古の昔の恐竜は人類の大敵であったから

か、今も爬虫類に嫌悪感を覚える人は多い。

蛇蝎のように忌み嫌うという表現はあながち

無視できない本能として残されている。

 しばらく対峙して睨みあったが、竜が口か

らまさに炎を吐き出さんとした瞬間、数馬は

3メートル余ほど飛び上がり、空中で腰を捻

って胴田貫を鞘走らせ、秘剣「雁行」左から

発し右から払う技をもって対応せんとした。

しかし竜の首の皮一枚の寸前で刀を止めた。

そのまま刃を走らせれば確実に首は飛んだに

違いない。何故か数馬はそれをやってはなら

ぬのだと刹那に思ったのであった。

 竜の姿は忽然と消えた。踏み後さえ残って

いなかった。

 なおも先に進むと、膨大な量のエネルギー

体に押し包まれた。

 目を凝らして見ると、時代を超えたいでた

ちの生霊と思しき数多のものたちの集合体で

あった。我先にと争って、数馬の隙に憑りつ

かんと必死の形相であった。

 しかし、いかにしても数馬に触れることは

できないと知ると歯噛みした。

 それらを打ち捨てて通り過ぎても構わない

と思いはしたが、生霊ということになれば、

改心させずにそのまま放置できない。そのま

ま解き放てば、いずれ他に仇をなすことは目

に見えている。

 それにしても夥しい数である。恨みを晴ら

さんとする情念は、やむを得ない物と思える

程に納得できるものばかりとは思えない。凝

り固まっていたとしても、取るに足らない理

由にとらわれて抜き差しならなくなっている

のではないのか。自らの思い方を変えるだけ

で救われて自由になれるのではないのか。

 生霊は、実態がなければ思いを叶えること

ができないから、生き物に憑依してそれを果

たそうとするのである。

「退って控えよ!」数馬が一喝すると、それ

らは少し下がって数馬を取り巻いた。

「そなたたちは、自分の住処である自分の体

に立ち返って、自ら清まらなくては、いつま

でたっても苦しみの軛から決して解放されな

い。さして難しいことではない。我慢できな

いでいると思い込んでいる恨み事を、たった

一言『許す』と宣言すればよいだけのこと。

無理だと思ってもそうすることによって捉わ

れから離れられる。嘘ではない。個人の想念

のことは他人が教えてはくれないから、自分

で気づいて抜け出るしかない。早々に立ち返

れ!」

 そうなのである。自分を苦しめているのは

突き詰めれば自分自身。そんなことは絶対で

きないと思っても、無理してでも小声であっ

たとしても、たった一言「許す」と宣言すれ

ば、その業は霧散してしまい、禍根を残すこ

となく自由になれる。


 次に現れたのは、ゾンビの大群であった。

かなり気味が悪い。

 ゾンビとは、死者が何らかの外因により蘇

り、死体のまま行動するようになった者たち

のことである。自らの死を認めず、それほど

までに生に執着するのは何故なのだろう。

死を悟れば、新たな場所に居場所を見つけ、

そこでの修行もできようものを。

 斬り伏せて改めて死を悟らせるのも情けか

も知れぬと思いつつ、それをするのはしのび

なかった。

「あなたたちは死んでいるのです。行くべき

ところに勇気をもって行って下さい」

心からの叫びであった。

 数馬のエネルギー体は圧倒的な光の珠でお

おわれていた。その光に触れると、ゾンビた

ちは融けるようにして居なくなった。

 更に先に進むと、一人の男が佇んでいた。

「よくぞここまで来た。隣に住んでいた真央

さんが成長した姿で先ごろ訪ねてきた。お前

が近々この世界にやってくるであろうから、

一緒に現世に立ち返ってはどうかと申してい

たが、父はまだこの場にまだ留まるつもりで

いる。やることがまだまだ沢山ある」

 父の顔は、数馬の記憶にある厳しさが跡形

もなく消え、限りなく穏やかに見えた。

「あっそうそう、数馬お前は背中の翼に気づ

いているか?真央さんはお前の翼となって終

生共に居ると言っていたが」

言われて数馬は、背に猛鷲のように逞しく、

それでいて真っ白に輝く翼が生えていること

に気づいた。重くもなく邪魔でもなく体の中

に畳み込もうと思えばそれも難なくできる。

自在に動きそうであった。


 父との名残惜しさを後に、さらに進むと、

ここは地獄とは思えないのに、見るからに今

までに絵画などで見たことのあるサタンと思

わしき黒い翼を背に畳んだ大きな躯体が、岩

の上に悠然と腰かけて、数馬の近づくのを待

っていた。

 サタン・デビルは、神や人間の敵対者とさ

れる。かつては神に仕える大天使でありなが

ら堕天使とされ、地獄の長となった悪魔の概

念である。

 罪を犯して堕落したといわれるが、何をも

ってして許されない罪とされたのであろう。

神に反逆して「敵対者」としての悪魔に変化

したとみなされているらしいが、側近くに仕

えていたのに何故なのだろう。神に匹敵する

ほどの能力を有すると言われながら地獄に落

とされて、反論することもなく地獄に甘んじ

ているのだろうか。

 それともそういう立場としての役割を納得

してそれを担ってでもいるのだろうか。

対するに、悪魔は仏教に由来する語であり、

仏道を妨げる悪神、人に災いを与える魔物を

指す。魔は梵語マーラ (魔羅)〉の略で、人

を殺したり人心を悩ませる悪霊、魔物であっ

て、江戸時代には多く天狗を指した。天狗は

人に害をなす反面,獲物のとれる方向を太鼓

で知らせたりするよい面を備えている。人に

とり憑いてその人を一時的に狂気にさせたり

するという狐狸妖怪・金毛九尾の狐など祁魔

性の動物も、他面、有益な予言や託宣を行う

こともあると信じられていた。

 稲荷神社の使いは狐である。恐れるばかり

でなく畏れ敬うことでその優れた能力を味方

にすることにできたものも多い。犬神や狛犬

などは、普通に受け入れている。

この点、西洋の悪魔の観念と異なっている。


「私が戦わねばならないのは、貴方様だった

のですか?」数馬が尋ねた。

「ふん、どう思う?その方が見えていると思

っている私の姿は、実態ではないかも知れぬ

ぞ」

「しかもサタンと言っても、概念上の都合で

作られた方便なのだとしたらどうする?」

「世の中、正邪・正負・現世と黄泉・天国と

地獄、揃ってなりたっている。二乗すればマ

イナスもプラス。広大な宇宙に反物質が存在

するという手がかりにもなっていよう?何故

にそれらが対消滅しないで存在し続ける?バ

ランスじゃ。」

「その方がドラゴンを斬るのを思いとどまっ

たことは褒めてとらそう。サタンに褒められ

ても嬉しくはないかも知れぬがな」

「ちとここで立ち止まって少し話して行け。

その方、『星をも砕く力』を一度使ったであ

ろう?

 持てる力を使うことが天意に叶うとは言え

まいぞ。その為に『試し』に懸けられて、こ

の世界に来たと知れ!全ては想念から始ま

る」

「地獄は力が無くては統べられない世界。か

なり疲れるが、現世ならばさほどではあるま

い。実態があってこそ修行ができる世界だか

らな。で、ここまで来て何を感じた?」

「はい、力のない正義では役に立たないとは

思いますが、力同士の争いは破壊しか生まな

い。かといって力の重しだけで統べるのも、

うまくいかないように思えます。個々の神性

を目覚めさせるしかないと覚えますが、如何

にしたらそれができて救いになるか解りませ

ん」

「ふん、宗教家のようなことをいうな。宗教

では毒されることが多いのだぞ。まだまだ青

臭いが、今のところはそんなもんだろう。立

ち返って励め!また改めて成長のほどを試さ

れるかも知れぬぞ。こちらの者どもは、その

方の父と共に可愛がってやる」言い終えると

忽然としてその姿は掻き消えた。

 我に返った数馬が気づくと、我が家の前で

あった。

少し猶予が与えられたということなのだと

感じられた。

 第6部完



 第7部


 地球が誕生して46億年。

 人類は、哺乳動物の中の霊長類に分類され

る生物である。その霊長類が出現したのは今

から約6500万年前、恐竜が絶滅する少し前なの

だという。

凡そ2500万年前から700万年前の類人猿から始

まり、木の上で生活して木の実などを食べて暮

らしていたとされている。

 2500万年前くらいになると木から降りて生

活するようになったのだというが、それは当

時の地球で雨の量が全体的に減少し、森が少

なくなったためといわれている。

 食料も、木の実から草原に生える草の実や

根っこへと変化していき、500万年前、人類と

類人猿が分れた。

 遥かなる時を超え、少しずつ進化して現代

人に至るまで、気の遠くなるほどの長さであ

る。

 我が国の縄文遺跡などから考えるに、2万

年前にはこの列島の各地に人が住んでいたと

思われるが、皇紀は2670年余、今上天皇

は125代となる。

 神話の昔から血統が続く家系の歴史は、世

界の他の国にはない。繋がってきた国体の意

味するものは大きい。

 それが何なのかは判らぬが、きっと重大な

意味がこの列島に存在しているに違いない。


 日進月歩という言葉があるが、時進日歩と

言えるくらい文明の進み方は早い。精神性の

進化は、果たしてそれに追いついて行ってい

るのだろうか。

 天上界の1日は、人間界の50年だという

が、今まで待ち続けたのにもう待てないとい

う如く急かされるのは何故なのだろう?進む

方向が間違ってしまっているのだろうか。

 人間以外の生物は、自分が必要とする量以

上の物は求めない。仮に蓄える習性を持つに

しても、せいぜいが一冬分くらいのものであ

る。

 生涯贅沢をして暮らしてもなお有り余るも

のを得ていても、さらに貪るように一身に抱

え込もうとする習性は、どこから生まれ出た

ものなのだろうか。

 他人は他人、自分は自分と割り切って認め

られればよいのだろうが、なかなかそうはい

かないから軋轢も生じる。

 ただ、物は有限だというわけではなく、望

めば無限に現出する世界でもあるように思え

るから、争って他から奪わなくても済む方法

は、気づいていないだけのことなのかも知れ

ない。

 精神活動が進化すればそうなるのだろうと

感じさせられるのである。

 数馬は、異世界から戻ってみて、今までに

ない感覚を覚えるようになっていた。

 分れて在るものは、必ず何らかの意味があ

る。律に沿って流れれば調和がとれていく。

 自分の判断で好ましくないからといって、

力による支配を考えてはならないのだという

事を経験させられたのだと思うのであった。

 使えば星をも砕く力を持ちながら、異世界

でそれを使って破壊を試みなかった躊躇いの

気持ちには、きっと意味がある。少なくとも

自分の為の都合でそれをしてはならないのだ

ということを悟る通過点だったのだ。


 さて、この先どうする。

 世直しなどと大仰なことをするのではない

にしても、何かしないと、偉大なる意思は待

ってくれなさそうな感覚は常にある。

 世の中には何にでも効く特効薬というのは

なさそうである。もしあるとするなら、それ

は劇薬であり、場合によれば破壊を伴うに違

いない。破壊されることを避けるために破壊

するのでは本末転倒であろう。

 三人寄れば文殊の知恵。みんなで集まって

考えてみるよりない。出る知恵があるかどう

かわからぬが、彼らも力を与えられているの

である。

 東洋では、末法の世に弥勒菩薩が現れて衆

生を救済するとか、西洋では、救世主が現れ

るのだとかいわれるが、待ち望めばそれが現

出するということではあるまい。人類は、そ

れら他力に恃まずとも、自らの小さな行いを

匡していくことで、世の中を和やかにしてい

くことができる精神上の知恵をすでに持って

いるのではなかろうか。

 劇的なものではなく、些細な積み重ねによ

る総合力のようなものであろう。

 「人様に迷惑をかけるんじゃないよ」とか

「お天道様は見てるんだからね」とか、自ら

の行いを自ら律することは、仮令小さなこと

であっても、そのことの積み重ねは、争いや

破壊を防ぐ元になる。

 応身 (おうじん)という言葉がある。仏が

衆生を済度するために、様々な形態で出現す

る際の姿であるとされる。単なる「法」や

「理」ではなく、人間という一定の形をとる

のでもなく、恒に衆生に向かって働きかけて

いるものと考えられていることを示している

のだとすれば、それは外に求めなくとも、す

でに人々の体に等しく備わっているものと考

えることができる。

 それに気づいていないか、或いは悪想念に

より曇らされているのかは分からないが、そ

れが具現化すれば、世の中は変わる。そこか

ら遠ざけている力は何なのだろう。

 又、それを断ち切ることはできないものな

のだろうか。

 化身というものもある。化身は、人間以外

のほかの衆生への応現化成と考えるものらし

いが、いずれにせよ、善なるものに感応する

力はあるのだとした方が良い。すべては中に

ある。

 いろは48文字と、よく言われる。ひらが

な・カタカナ双方にそれがある。

 加えて濁音が、20文字、半濁音が5文字、

拗音36用、それに撥音がある。

漢字は、常的に使われるもので現在のところ

約2000。熟語となると、数えきれない。

表意文字である漢字には、音訓でいくつか

の読み方があり、使い方によりニュアンスが

異なる。

 しかも、助詞を介して文章の順番を入れ替

えることにより、細かな感覚を伝えることも

可能になる言語ということでもある。

 日本語にしかない、他言語では表現しきれ

ない言葉というのも多い。

 端的な短い言葉でありながら、それが含む

深さと広さを持つ意味合いを、他言語に訳す

ことが不可能なのだという。

 日本人ですら説明できないけれど、日本人

がその使い方を誤ることはまずない。

 日本語は、どう言うかよりどう伝えるかが

重視されるのだといわれる。つまり、相手が

あるということになる。

「侘び寂び」「もったいない」「切ない」

「いただきます」「初心」「お蔭さまで」な

どは、外国語に翻訳できないのだという。

 その他、自分を表す一人称の多様さ(自分

のことをあからさまには主張しない為に使い

分けるから数が多い)、同じく相手を表す二人

称も数が多い。尊敬語や謙譲語が多いのも、

一人自分さえ良ければ良しとせず、相手を慮

る心のありようが根底にある。

 それにしても、日本語の語彙数は多いよう

に思う。語彙数が多いということは、より複

雑な思考や、より深い思索を可能にする。

使いこなせば、意識をより広げられる言語

であるといえよう。

 意思というのは、何事をかそれを長く続け

ようとするときの根底にある意識の高まりで

あるとするなら、意識というのは広い方が良

い。

 肉体的にであっても、立ち上がるためには

一定の広さが必要である。実際にやってみれ

ば解ることであるが、狭い場所でそれをする

のは不自由である。精神上のこととなれば、

猶更のことになる。

 生きていくために、食・衣・住は避けて通

れない。それを確保できない弱者は淘汰され

てしまう時代は確かにあっただろうが、それ

でも弱者を守ろうとする意識は、もともと自

然に存在していたに違いない。

 自分の次は家族であっただろうし、その気

持ちが、身内、地域、国、世界へと広がって

いくことを考えられるのが、人たるの所以で

ある。そういう中で、音楽や芸術や思索に能

力を発揮し、ただ生きるのみでよいとするの

ではないとしたのも人であろう。

 えてして忘れがちになるが、自分の力だけ

ではなく、多くの関わりのある人達のお陰が

あってのことだと意識できなくてはならぬ。

塩崎建国が、仏教がらみのことを口にした。

集まった仲間たちは、もし使ったら阿修羅に

優る力をそれぞれが秘めている。コントロー

ルできなくてはなるまいと、危惧したのであ

る。

 真央を失って、その傷は深い。感情を抑え

きるにはまだ日も浅いということもあった。

 阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般

的に認識されているが、阿修羅はもともと天

界の神であった。阿修羅が天界から追われて

修羅界を形成したのには逸話がある。

そもそも阿修羅は、正義を司る神といわれ、

帝釈天は力を司る神といわれていた。

阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天

(とうりてん、三十三天ともいう)に住んで

いた。

 阿修羅には舎脂という娘がいて、いずれ帝

釈天に嫁がせたいと思っていたのだが、帝釈

天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱し

たともいわれる)。

 そんなこんなで、怒った阿修羅が帝釈天に

戦いを挑むことになった。

 帝釈天は配下の四天王や、三十三天の軍勢

も派遣して応戦した。戦いは常に帝釈天側が

優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢

となり、帝釈天が後退していたところへ蟻が

行列をしているところにさしかかった。蟻を

踏み殺してしまわないようにという帝釈天の

慈悲心から、軍を止めた。それを見た阿修羅

は突然軍勢が止まったことに驚いて、帝釈天

に何かの計略があるかもしれないという疑念

を抱き、撤退したという。

正義は帝釈天にあるように映った。

 この話が天部で広まって、阿修羅が追われ

ることになったといわれる。また一説では、

阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正

式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうち

に赦す心を失ってしまった。たとえ正義であ

っったとしても、それに固執し続けると、善

心を見失い妄執の悪となる。このことから仏

教では、天界を追われ人間界と餓鬼界の間に

修羅界が加えられたともいわれる。

何が正義で何が善なのか決めるのは難しい。

ましてやそれを貫き通そうということになれ

ば、軽々に判断して行動するわけにはいかな

い。


 松田芳樹が口を開いた。

「俺、このごろ町中を歩いていると、ちっち

ゃな子からお兄ちゃんコンニチワって挨拶さ

れることが多くなったんだよな。知らない人

と口をきいちゃ駄目よって教えられている年

代の子だぜ。俺って外見がこわそうだろ?笑

うな!だから結構嬉しいんだ。

 何でもかんでも画一的に分けているのが、

そもそもおかしいんだよね。普通に見ていれ

ば信頼できる人かそうでないかなんて子供で

も判ることなんだよね。でも、見ただけじゃ

分からない奴もいるから、仕方ないのかもし

れないが、それもこれも人とのかかわりが少

なくなって、お互いの絆を深められないよう

な世の中になってしまっているからのように

思えるんだよね。昔はみんな顔見知りだった

から、用心する必要なんてなかった。わから

なきゃ何してもいいんだっていうさもしいの

が増えたのかも知れないが、顔見知りになっ

て親しくなっていくのは大事だと思うんだ。

知っていれば守ってやろうって自然に思える

しね」

 塩崎君の話とは違うかも知れないが「死海

文書だとかいうのがあって、そこに日本に関

連する予言があるというが、他にも伊勢とい

う語とイスラエルという語の同音性や、伊勢

に近い大阪にカナンという地名があると聞く

と、なにか関係があるのだろうかと思ってし

まうのだけれど、どうなんだろう?」

と、塩崎に尋ねた。

「確かにその話は聞くが、概略はこんな話か

と思う。」と答えて続けた。

 アラビア半島のイスラエルとヨルダンの中

間あたりにある死海の沿岸遺跡で発見された

古文書の事を、死海文書と呼ぶ。

書かれた時代は紀元前250年~70年頃と推測

される。

 誰が書いたのかは定かではないが、クムラ

ン教団というユダヤ教一派の宗教団体である

というのが有力視されている。

 死海文書は、古代ヘブライ語で書かれた聖

書の写本で、キリスト教が生まれていない時

代のユダヤ教の聖書だという。そこには、死

海文書だけに記された予言があるのだとか。

 クムラン教団は、厳しい規律と激しい修行

によって超常的な能力を持つに至っていたと

される。

 死海文書は、イスラエルの建国と混乱、そ

して破滅を予言していると解読された。

 その混乱の最後には、大きな津波と更なる

戦いと破滅が待っているという。

 死海文書の「戦いの書」という一編には、

「光と闇の最終戦争」という記述があるらし

い。

 曰く、全ての神の民に救いが訪れ、神の側

の者達には栄光が訪れ、サタンの側の者達は

絶え間ない破壊に苛まれる。

 世から不平等が消え去り、闇の子が持つ特

権は全て消え去る。世界を征服する民族によ

る支配は終焉を迎える。

両軍とも天使の助けを得て戦いを続けるが、

神の意志は光の子に向く。光の子と闇の子の

最後の戦いが起こり、世界は破滅へと向かう

が、死海文書は2人の救世主の存在も示唆し

ている。

 ふたりの救世主が、光と闇の最終戦争の場

面に際し現れるというのである。この2人の

救世主の正体とは誰なのだろうか?


 イスラエルの救世主は、一説には、日本人

の中から生まれるのではないかと言われてい

る。なぜなら、日本・ユダヤ同祖論という考

え方があり、日本人の先祖は、イスラエルか

らやってきた古代ユダヤ人だという説がある

からだ。伊勢神宮その他に余りに共通点が多

い。

 古代イスラエルは12支族からなっていた。

いつの頃からか、10支族と2支族に分かれて

しまったとされている。その分かれた10支族

が、謎の失踪を遂げたことで「失われた10

氏族」と呼ばれるが、その「失われた10支

族」は、日本に渡来したという説が根深くあ

り、それが日ユ同祖論の根拠になっている。

「海行かば」の歌詞は、すでに日本に渡って

いる正当性をもつ大君を慕ってのものなのだ

と解する人もいる。

 とにもかくにも、ひらがなを始め、言語や

日本の様々な文化や残された遺跡が、古代ユ

ダヤ人のものと似ているというのである。

2018年の日本に現れるという救世主。それは

誰なのだろうか?俺には勿論想像できない。

 福島次郎が口を開いた。「光と闇の戦いと

いうほどのものではないだろうが、俺は先日

の夜に月を眺めていて、闇夜に蠢く鵺を射落

とした。何でそれが鵺だと判るんだ?と聞か

れても、そう信じるしかない。射落としたと

言いはしたが、確かに射止めた手ごたえはあ

ったのに、その姿は跡形もなく消えてしまっ

ていた。鵺を悪と決めていいかどうか知れな

いが、古来より人に仇なす妖怪なのだと思っ

ている。俺はエニアグラムでいうところのタ

イプ8で、楽しいことが好きな現実主義者だ

と思っている。弓が上達したのは、苦しい修

行をしたからではなく、楽しいからやってい

たらそうなっていたというに過ぎない。

 でも、今どき、弓が人様の役に立つなんて

ことは考えにくいから、一体どうすればよい

かと悩むんだが、タイプ8はそういうのが苦

手なんだよね。なにか夢中になれたらいいの

に」

 河尻明が続けた。

「そういえば、聖書かなんかに、ヤハウェが

天からの硫黄と火によって滅ぼしたとされる

都市、ソドムとゴモラの話というのがあると

聞いたことがある。

そこの住人であるアブラハムが、ソドムと

ゴモラに関して、滅びる前に、神であるヤハ

ウェに何とか許しを乞をうと願った話という

のを記憶している。

 ヤハウェは、ソドムとゴモラの罪が重いと

いう機運が高まっていると知って、それを確

かめるために降ることをアブラハムに告げた

ときのことだったと思う。

 アブラハムは、もしも正しい者が50人いる

かもしれないのに滅ぼすというのは厳しすぎ

ると抵抗した。それに対しヤハウェは、正し

い者が50人いたら赦すと言った。

 そうすると、アブラハムは更に重ねて、正

しい者が45人しかいないかもしれない、もし

かしたら40人しか居ないかもとして、30人、

20人と数を減らし続け、正しい者が少なかっ

たとしても赦してくれるようにと、ヤハウェ

と交渉をした。

 最終的に、『正しい者が10人いたら』とヤ

ハウェに言わしめたが、結局はソドムとゴモ

ラを滅ぼした。義人が一人としていなかった

ということになる。

 そんな西洋の話と状況が同じというわけで

はないだろうけれど、おおいなる意思は、一

体何を望んでいるのかがわからない。それに

をも気づけと仰るのだとしたら、なおのこと

手探り状態になる。

我々が選ばれて在るのだとしたら、我々の

行いが見られているということになるが、

我々が良いとしていることを続ければ良い、

ということになるのかさえわからない。

ただ、今は、それは人としてマズイだろう

と思うことを匡し、善だと思うことを一つ一

つ進めようとしているに過ぎない。これらが

果たして一粒万倍の種として広がっていくの

だろうか?歯がゆさを感じてしまう。

 鳴動が感じられる身だから、なおのことか

も知れない。数馬君に何か御託宣のようなも

のはないの?」真剣な面持ちであった。

「うん。ただ、元は一つであったということ

と、争わなくても人間に必要なものは潤沢に

あるのだと気づけ!と、前に言われただけ」

善悪・美醜・左右・貧富など、一つだったも

のを対比する言葉というのは多いけれど、損

得というのは理性を失わせる。争いごとの大

元となる原因の一つかもしれない。

 対比する言葉を作り、さらにその間を細か

く分けて追及していこうとする科学は、より

深い思考により何事か気づけという事である

としたら、気づけたことを如何に使えという

ことなのかとなると、皆目見当がつかない。

何故、鳴動が日本に起こったのかには、何

か意味があるのかもしれない。日本には義人

が多いのかもしれない。ここが駄目になるよ

うなら望みは薄いということだとしたら、極

めて重大なことになる。いうなれば若造4~

5人に託されるようなことなのだろうかとも

思う。

そんなこともあって、隠し金残の財宝を発

見せしめ、一つの行政単位くらいなら簡単に

動かすことができる潤沢な資金が与えられた

のだとしたら、それをどう使っていくのか?

今のところ名案は浮かばない。自分たちの

ものではないことは確かだと感じるくらいの

ものでしかない。

さっき、塩崎がちょっと触れた「海ゆかば」

で思い出すのだが、『海行かば』は、日本の

軍歌の色合いが濃いから、今は歌詞は殆ど知

られていないけれどね。

海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍

大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ

この詞は、万葉集巻十八「賀陸奥国出金詔書

歌」番号4094番。新編国家大観番号4119番。

大伴家持の長歌から採られている。

 そもそもは戦争の歌であったとは思えない。

 葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召し

ける 皇祖の 神の命の 御代重ね 天の日

嗣と 知らし来る 君の御代御代 敷きませ

る 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉

る みつき宝は 数へえず 尽くしもかねつ

 しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひた

まひ よきことを 始めたまひて 金かもた

しけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏

が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に

 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明ら

めたまひ 天地の 神相うづなひ 皇祖の御

霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が

御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむ

ものと 神ながら 思ほしめして 武士の

 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにま

に 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに

 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも

あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴

の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と負

ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍

 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死

なめ かへり見は せじと言立て 丈夫の清

きその名を 古よ 今の現に 流さへる 祖

の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の

立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず

 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言

の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰

に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の御

門の守り 我れをおきて 人はあらじと い

や立て 思ひし増さる 大君の 御言のさき

の聞けば貴み ・・・


 これを外に向かう力の歌ととらえるか、そ

れとも死海文書に添って、内なる正当性を求

める歌と解するかで、意味合いは大きく違っ

てくる。我が国は、外に向かっているときの

力は悪い結果を招いた。

 欧米先進諸国の知識人が日本について、密

かにとても敵わないとしている能力があるの

だという。何かというと、「同化吸収能力」

なのだという。新しい文物が齎されたときの

反応というのは洋の東西を問わず、一つは拒

否反応を起こして全く受け入れない、もう一

つは事大主義よろしくそれに染まり切る。そ

の2パターンが普通。

 ところが日本の場合だと、如何に優れたも

のであっても、今まで日本に在ったものと自

然に調和させてしまい、より優れたものへと

してしまう。

 逆に、日本のものが海外に渡ったときはど

うなるのかというと、受け入れた側の最初は

拒否反応を起こすのだというが、気がついて

みると、無くてはならないものとして、いつ

のまにか浸透してしまうのだという。較べて

みなくても、優れたものというのはそういう

ものだと思う。


 人は、生きるのに惑うのはどこの国でも同

じで、これではならないと苦しんでいるのも

同じなのだと思う。

 でも、78:22の法則というのがあるこ

とを知れば、救いはありそうに思う。

 大気は窒素と他の成分との比率がそれに近

いし、人体における水分と他の物質との比率

が同様。海と陸との面積比率も、何故かそう

なっている。

 救いに思えるというのは、2割の人が頑張

っていることで、経済も国も安全も確保でき

ているらしいこと。我々の日々の動きは小さ

くても、それに続き、広めてくれる人を2割

に増やすのならできそうではないか?

 現に我々の住む地域は、穏やかな雰囲気に

変わってきつつある。

次の目標が定まるまでは、これを続けてい

こうではないか。数馬は皆の顔を見回した。

皆が顔を見合わせていたとき、突然声が響

き渡った。

「そうだ、それで良い。しばらく時間の余裕

は与えよう程に、一歩一歩それを進めよ。

数馬を日本に残し、残りの5人は5大陸に

跳べ。6人を選んだのはそういう意味じゃ。

ひ弱なそなたらを守るために星をも砕く力な

どと大仰なことを言ったのは、そなたたちが

無思慮にその力を発動させないための制限で

あった。解りやすく言えばサイコキネシス

(念動力)ということじゃ。まだ気づいては

いまいが、テレパシー(精神感応)もテレポ

ーテーション(瞬間移動)もサイコメトリー

(残留思念感応)の能力もあわせて与えてあ

る。使い方はおいおいに分ってこよう。やら

ねばならぬことも、おのずと知れてこよう。

心せねばならぬのは、偏にそなたらにかかっ

ていることじゃ。努々おろそかにしてはなら

ぬぞ」

旅立つときが到来したということであった。

 第7部 完



 第8部

 勇  躍


 松田芳樹は、気が付くと見慣れない裏寂し

い街中に立っていた。夕暮れ時らしい。

 近くに大男の部類と呼ぶに相応しい体格の

いい若者が立っていたのだが、つかつかと近

寄ってくるなり、乱暴な声をかけてきた。

「おいお前、どっから来た?見慣れない顔だ

が年はいくつだ?」

 取り敢えず、年齢で上下関係をはかろうと

している様子であった。

 松田は、相手が2~3歳は年上だとみてと

ったが、自分の年に5歳ほど足して答えた。

「おい、本当か?随分若く見えるが、嘘をつ

くと承知しねえぞ。それはともかく、俺はこ

のあたりを仕切っている者だが、ここは地獄

の一丁目といって二丁目の無い所だ。身ぐる

み脱いで置いて行け。断っておくが、俺は武

術をやっていたから、喧嘩は滅法強いぞ。痛

い目を見たくなかったらそうしろ!」と凄ん

でみせた。

「ほ~お、地獄の一丁目とはまた時代がかっ

たセリフを聞くものだ。俺はその地獄とやら

に行ってみたことがあるが、どんなところか

一度連れてってやろうか?」と松田が返すと

「妙なことを言いやがって生意気な奴だ。俺

が一声あげれば、仲間が数十人すぐに集まる

んだぞ。一人だと舐めて甘くみるんじゃねえ

ぞ」

「それは頼もしい。丁度いい。全部纏めて面

倒を見てやるから、すぐに集めてみろ」

 松田は、すぐにここがどこであるかを理解

した。理屈を言う前に、棒で叩いて従わせた

方が早いと言われている国に間違いなさそう

であった。のっけから上下関係を確認しよう

としたことも、それと頷ける。

 のっけから手荒なことで始まりそうではあ

ったが、そもそも教育とは躾。ある種の強制

力から始まる。

 以前、地元のチンピラたちが、みるみる変

わっていったのと同じ流れを踏ませれば良さ

そうに思えた。

「おい、早く仲間とやらを呼び集めろ」と松

田が急かせると、

「言うにゃあ及ばん。お~い皆ここに集ま

れ!」と大声で叫んだ。

声に応じて、屈強で人相が悪いのが10数

人バラバラと集まってきた。

「遠慮はいらねえ。こいつを畳んじめえ!」

と、その男が号令した。

 喚き声をあげて松田を取り囲み、中には刃

物を振り回すのもいたが、ものの2~3分も

しないうちに、松田の足元には、襲撃者全て

が地面に這い蹲っていた。

「おい、どうする?もっとやるか?」松田が

先ほどのリーダー格を引き起こして尋ねると

「勘弁便して下さい。御見それしました」と

泣きを見せた。

「そうか、それでは俺の言うことを素直に聞

くか?」

「はい、何でも仰る通りにします」

「そうか、それではまず、そのだらしない身

形を整えろ。それから今後は、己が欲せざる

ことを、他人に対して決してするな。それだ

けではないぞ。一日に一つでもいいから、人

が喜ぶことをしろ。お前ひとりだけでなくて

仲間全員がだ。お前たちの顔は全部覚えた。

時々様子を見に来るが、言い逃れだけで済ま

して相変わらずのことをしていたら、その時

はこんなくらいでは済まさないぞ」

「わかりました。言う通りに致します」

いやにあっさりと答えた。今までの生き方か

らは信じられない結果に、まるで神か悪魔を

見たかのような面持ちであった。

どうなるか見ものだ。松田はまださして期

待してはいなかった。

松田は、何故にこの地に舞い降りることに

なったのかまだ解っていなかった。

ただ、ありのままで動けば良いのだ、とい

う声が身内に響いていることは感じていた。

誠意のある行動は、いずれ受け入れられる。

人と人をつなぐのは、そういうものだと思っ

ている。もう少し広範囲に見て感じることは

必要なのだと思い、諸方をへ巡ってみること

にし、それに何週間かを費やした。行く先々

で感じるのは、誰もが自分の側からしかもの

を見ない、自分の意に添わないものは全て相

手が悪いと考え、恨みを蓄えてしまう傾向に

あることが共通していた。

 久しぶりに、初めて降り立った地に帰って

みた。初めてのときに感じた裏寂しさが薄れ

て、明るさを感じとるることができた。

「兄貴、お久しぶりです。ジョージです」そ

う声をかけてきたのは、この地で最初に関わ

りをもった男であった。いやに明るく気安そ

うであった。

 いつの間にか兄貴呼ばわりされ、しかも東

洋人なのに洋風なジョージと名乗る男に苦笑

しつつも、彼が嬉しそうにしていることは好

もしかった。

「兄貴にしごかれて、俺も強くなったんです

かね~。今まで抗争を続けていた対抗グルー

プがあっという間に傘下に入ってしまい、今

はそいつらも、兄貴の仰ったことを一緒にや

っています。何か、みんな気分がいいんです

よね。俺も片思いするだけで近寄ることもで

きなかった彼女が、ときどき優しい言葉をか

けてくれるようになって・・・。

 自分が変わらなければ、世の中な~んも変

わらない。相手のことも考えないと、決して

仲良くなれない。簡単なことだったんですね

~。今までワルを散々やってきたから、よく

わかります」

「よかったね。ところで、あそこで道路のゴ

ミ拾いをやっているのはお仲間ですか?」

「そうなんです。周りが綺麗になってくると

なんか浮き浮きすると言って、喜んでやって

ます。ご老人や子供の手助けを進んでやる連

中も増えました。有難うって言われるのが嬉

しくって励みになっているんです。恐がって

近づかなかった子供たちが、お兄ちゃんお兄

ちゃんと言ってくれるのは、もっと嬉しいみ

たいです」

「そうですか。聞くだけでこちらも嬉しくな

ります。ところで皆さん腹は減っていません

か?ぼくはぺこぺこです。私が奢りますので

ご一緒にどうですか?」

「それは嬉しいのですが、近くにいる仲間だ

けで、なんせ20人以上はいますよ」

「構いません。一緒にご飯を食べると親しく

なれるのですから、願ってもないことです」

「お~い、みんな集まれ!兄貴が食事をご馳

走してくれるそうだ」

 テーブル席に着くと、見覚えのある面々が

次々に松田の傍に嬉しそうにやって来た。

「この間は、大変ご無礼しました。あんまり

あっさりノサレちまったんで、悪い憑き物が

すっかり取れてしまったようで、気分が壮快

なんです」

「俺も、生傷が絶えないような生き方をして

きて、時々は得した気分になれることはあっ

たんですが、そんなことで不満が解消された

ことはなくって、何時だってぐじぐじした毎

日だったんです」

「このあたりは物騒な街だということになっ

ていて、よっぽどでなければ人が通らないと

ころだったんです。それが近頃は人通りが増

えたようなんです。人が集まるって嬉しいも

のなんですね」

誰もが一様に、言葉遣いが丁寧になってき

ていた。つい最近まで、ゴロツキ同然だった

ことを思うと、信じられないほどであった。

「俺は、毎朝目が覚めることが楽しくなりま

した。この先何をやるかは分りませんが他人

を信じてもよいなと思うようになりました。

今のところは街のゴミ片付けをやってます」

新たに加わったらしい連中は、それを遠く

から羨ましそうにみているだけだったので、

「君たちも仲間になったんだろう?こっちに

きて固まって話をしながら一緒にご飯をたべ

ようよ。日本では、同じ釜の飯を食うといっ

て、親しくなる大元なんだ」と、近くに呼び

寄せた。

「兄貴、お酒はいけませんかね~?」

「酔っぱらう程でなければ良いんじゃないで

すか?僕も嬉しいから少し飲もう」

かなり打ち解けて、場がなごんできていた。

出された料理があらかた食べ尽くされたのを

見計らって松田は立ち上がり

「みんな、今日は有難う。楽しかった。また

お会いしましょう。」とお開きの挨拶をした。

「兄貴、お帰りになるんで?」

「うん」

「それじゃあ、お見送りがてら御供します」

というのに対し、

「いや、この先に見える森に一人で行ってみ

たいから、ここで散開しよう」と断って外に

出た。


数馬は日課にしている木刀の素振り1000

回を終え座禅を組んで瞑想に入っていた。

意識は限りなく広がり、宇宙の果てが見渡せ

そうな中にいた。遠い空間から白く光り輝く

光の珠が凄まじい勢いで近づいてきた。

「数くん、そろそろ松田くんからお呼びがか

かりそうよ。念のため、行ってあげた方がい

いかも知れないわ」真央の声であった。

松田は、こんもりと繁った森に入ったばか

りであった。

「兄貴~、大変なんです。来て助けて下さ

い」ジョージが青い顔をして、後ろから息せ

き切って駆け寄ってきた。

「どうした?」

「それが、得体の知れない気味の悪い化け物

みたいのが出てきて、仲間がみんなやられち

ゃいそうなんです」

「貴方達のような猛者が揃っていてそうなる

の?」

「へい、毛むくじゃらの獣みたいな奴なんで

す」

「わかった。そこに案内して!」言いも終え

ず走り始めていた。

 松田が駆けつけた暮れなずむなかに気味悪

く浮かぶ廃屋の前に、全身を黒々と覆われ眼

を爛々と光らせたそれが待ち構えていた。

「お前か、こいつらの吐き出す毒気を打ち払

ってしまったやつは。俺はこいつらの毒気を

食って生きてきたんだ。邪魔な奴はただでは

置かん」と吠えた。

そこここに何人かが倒れ伏していた。

 残りは、恐々と遠巻きにしているだけで、

身動きがとれないようであった。

久々に、松田は間合いを取って身構えた。

そうすることが必要なくらい手ごわそうに見

えた。

「手伝おうか?」後ろから声をかけられ松田

が気づくと、数馬が立っていた。

「助かる。俺だとどっか域外に放り出すより

ないかと思っていた」

「うん、これは凝り固まってしまった地縛の

物だろう。行くべきところに送ってやれば済

みそうだ。君にとっては余計なお節介化も知

れないが、真央の知らせで来たからにはそう

させてもらう」

「何をごちゃごちゃ勝手なことをほざいてる

んだ。二人ともすぐに食ってやるから大人し

くしていろ」そう言いながら、物の怪らしき

ものは後退りを始めた。

数馬は全く恐れる様子も見せずその化け物

に近寄り「長いこと苦しかったんだね。もう

全て忘れて行くべきところに行って楽になる

といいよ。心配しなくても大丈夫だから」と

優しく話しかけている間に、みるみる黒い毛

でおおわれた異形は融けて薄くなり、西の空

に消え去っていった。

 数馬と芳樹は、倒れていた者たちを抱き起

し、多少の手傷を負っているのを撫でさする

と、跡形もなくそれは消えて、シャキっとし

て目を開け立ち上がった。

「そんじゃ、俺帰るわ」

「おーサンキュ。またな」数馬は忽然とその

場から見えなくなった。

呆然として見ていたジョージが口を開いた。

「兄貴、先ほどの方は神様なんですか?」

「そんなんじゃないよ。俺のマブダチだよ。

いつだって俺の傍にいるよ。お互い様でつき

あっている仲間だよ」

 そう言われても、俄かには信じられないと

いう顔をして、口を開けたままであった。

 数馬は、家には帰ったものの、まんじりと

もしないで夜を明かした。小鳥の囀りが聞こ

えてくるから、もう朝なのであろう。

 旅立った5人の仲間は、地蔵としての菩薩

業を積みながら、地獄極楽現世と3千世界を

へ巡りながら悩み苦しむ者たちに手を差し伸

べ、時には5大明王と化して頑迷なるもの達

と対峙していかねばならないだろう。五大明

王とは、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金

剛夜叉からなる。不動を中心に東に降三世、

南に軍荼利、西に大威徳、北に金剛夜叉とい

う風に、五方位に配置される。誰がどの明王

に対応するのかは判らぬが、5人というのは

それも意味しているのか?昨晩はその手始め

の出来事といえる。先が長そうで、気を引き

締めねばならぬ。

「お兄ちゃん、お早うございます」訪なう声

がした。琴音が楓の葉を揺らしながらこぼれ

てくる朝日の中に浮かび上がっていた。

「おにいちゃん、ゆうべはお出かけだった

の?私お母さんに習ってケーキを焼いたの。

真っ先にお兄ちゃんにお味見してほしくて昨

日来たんだけど、お留守だったの」と、両手

で抱えた箱を差し出した。

「私、仲良くしてくれるお友達が増えたの。

だからみんなで仲良く食べようと思ったの」

あどけなさの中に優しさが溢れ出ている琴音

を見て、そうだ、この自然に出てくる優しさ

が3億個ともいわれる核DNA遺伝子に刻み

こまれているところから出ているとしたら、

この遺伝子を持つ人はきっと多い筈。それが

現れやすい環境をつくっていけば良いのでは

ないか、と思うのであった。


 善人なおもて往生遂ぐ況や悪人をや。この

悪人の悪というのは、悪事を働く者というわ

けではない。誰にでも潜む善ならざるものを

内に秘めているということ。だからこそそれ

に気づくことができれば進化できるというこ

と。川田勝男は、そのことを身に沁みて知っ

ている。

 真央がいなければ気づけなかったことであ

った。

 前に数馬と話していたときに出てきた怨霊

の話というのが記憶にある。日本は、怨霊と

いう負のエネルギーを非常に畏れ、それを封

じ込めるために意を注いできた。しかし生霊

の方がもっと恐ろしい。死霊はエネルギーを

供給し続けることができないが、生霊はそれ

ができる。だから生きている者の心の隙を狙

って憑依するしかない。それを阻むことがで

きるのは、幼いころから醸成された倫理観な

のであろう。悪と気づいたり、そこに踏み込

むことなく踏みとどまったりできるのは、自

分自身なのである。そのことが解っていてそ

れを教えるいる人がいない。或いは居たとし

ても極めて数が少ない。

 憑りつかれたら、後が悲惨である。善縁に

出会うことができなければ、未来永劫業を背

負わなければならなくなる。最初のきっかけ

は微々たるものであっても、それは際限もな

く広がる可能性があるから、芽のうちに摘ま

ねばならない。早くに気づいて悪から遠ざか

ることができれば、以後はさして努力しなく

とも平穏でいられる。

 人たるの資質は、誰もが備えているもので

あるが、幼いうちにそれが開花する道筋を付

けねば、それは曇る。躾が必要となる所以で

ある。悪い癖が染み付いてしまった後にそれ

を解らせるには、途方もない時間をかけた理

屈の説明が要る。匡すことが難しい。

 古来より十三参りというのがある。虚空蔵

菩薩に、陰暦3月13日に、13歳になった男女

が、両親に連れられてお参りする。虚空蔵は

知恵や福運を授ける仏であるという信仰があ

る。虚空蔵とは宇宙のように無限の知恵と慈

悲が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味する。

虚空蔵菩薩は、人々の願いを叶えるために蔵

から取り出すようにして、知恵や記憶力、知

識を与えてくれるのだとされる。

 12という数は、1年の月数であり,しかも

3と4をかけた聖数でもある。山の神を十二

様とか十二山の神と呼ぶ地方もある。13は日

本では十三仏,十三塚,十三参りなど信仰上

の重要な数であり,十三(じゆうそう)とい

う地名も各地に分布している。

 幼いうちから、地蔵や菩薩の働きを教え、

道を誤らせないための親の知恵ともいうべき

お参りの風習なのである。

 川田は、陽気な音楽が流れる雑踏の中にい

た。ここが日本ではないことは言われずとも

解かった。

「キャー引っ手繰り。ドロボー!誰かその少

年を捕まえてー」人ごみの中にいた若い女性

が金切り声で叫んだが、彼女の言葉は日本語

であり、周りに居た人たちには理解されなか

った。

 色の浅黒い少年が、裸足でハンドバッグを

小脇に抱え、まっしぐらに川田の方に走って

来る。衝突する寸前、川田は身を躱し、後ろ

からその少年の肩口を、右手を伸ばして掴ん

だ。

「放せコンチクショウッ!」少年が顔を真っ

赤にして怒鳴った。

「コラッ少年、他人さまの物を盗ったら駄目

だ。このお兄さんが一緒に謝ってやるから持

ち主に返しなさい」

「余計なお世話だ!」と言って振りほどこう

と暴れる少年を抑えているところへ、角にあ

ったお店からその少年の母親と思しき女性が

出てきた。一目見て事態を悟ったらしく、少

年の頬を平手打ちすると「情けない!貧しく

暮らしていても人様の物に手をかけるなんて

さもしいことを教えたつもりはありません」

と大声で叱った。

 続いてそこへ、その少年の兄らしい若者が

ギターを片手に現れ、少年の頭にゴツンと拳

骨をいれると「この馬鹿弟が!13歳にもな

るのに何てざまだ。おれの顔に泥を塗るつも

りか!欲しいものがあったら自分で働いて稼

げ!俺はそうしているから、周りも仲間も俺

の歌を聴きにきてくれる。将来にも期待をか

けてくれている。他人のものじゃ幸せにはな

れないんだ」

 その場所に追いついて、やり取りを見てい

た若い女性が声をかけた。

「もう結構です。ぼうっとしていた私も悪い

んです。バッグが戻ればそれでいいんです。

お金ではなくて、失くすわけにいかない大事

なものが入れてあったんです」

ばつが悪そうにハンドバッグを返す少年に

向かってこう語りかけた。

「じゃあ、こうしない?明日からしばらく私

の道案内役を勤めて欲しいの。勿論、費用は

お支払いします。そうすれば大威張りで必要

なお金を手にできるでしょ?」

 ごく普通に考えて、人というのは自分が他

の人に対して成したことよりも、他の人から

やってもらったことの方が多い。他人様から

のそれらを恩義と感じるか迷惑と感じるかは

別にしても、圧倒的に周りから与えられてい

ることの方が多い。

 それなのに、足りないとして不平不満を口

にすることが多いというのも、人の常のよう

に思う。

 人からしてもらって当たり前だということ

は基本的にはない。唯一そう言ってもよいの

は自分がそれに相応する行いをしているとき

に限られるのだと思った方がよい。

 なまじっか中途半端に物があると、自らを

省みることなく、何でも他に要求するように

なるのかも知れない。しかも、それが手に入

ると、当たり前だと思って憚らない。

いっそのこと何も無くなってしまったとき、

人様のことを有り難く思える感覚が蘇る。本

来は善なるものが内にあるのが判るのは、そ

ういうときである。

 それに気づいた人は、その恩義に報いよう

と頑張るようになるが、直接的にお世話をし

てくれた人にその恩を返すことができない事

もあるから、自分ができることを周りにいる

同様の境遇下にある人にお返しすることをす

るようになる。順繰りということでもある。

 お互い様、お蔭様、という気持ちが伝わり

広がる元である。尊いことなのだと思う。そ

ういう理念が育ってこそ、民度というものが

上がる。他を慮ることのない自分中心の権利

主張ばかりのぶつかりあいでは、社会は形成

しがたい。優しさというものは生まれない。


 若い女性は、中原真由という名であると名

乗った。繭のように、内なるものが化生する

というのであろうか。遠い先祖がこの地に渡

ったのだという。一緒にこの地に渡ることに

なった人たちに乞われ、精神的中核として付

き添ったのだという。その時に持参した祭器

が是非とも必要となり、探し出さねばならな

いのだという。それを見つけ出し持ち帰る時

にその正当性を示すための証となる書付が、

バッグの中に入っていたのだと明かした。

 その地を見つけるのには、故郷にあると同

じ結界を張る縄張りが成されているに違いな

いから、その場に立てば判ると、真由は語っ

た。その場所は和やかな雰囲気を醸し出して

いるに違いないとも言い添えた。

 少年は、ニコラスその兄はロレンゾと名乗

り、真由の話を聞いて、しばらく手助けをす

るために行動を共にすることになった。

 素戔嗚は、高天原の田の畔を壊してまわっ

たり、祭殿に糞をまき散らしたりと、乱暴狼

藉を働いた。それに怒った天照大御神は、天

岩戸に隠れてしまった。

 太陽神であるアマテラスが隠れてしまった

ことで、高天原も芦原中国も、常世の闇に包

まれてしまい、邪心の活動が活発化して世に

災いが溢れた。

 闇とは何を意味するのであろうか。一般的

に言われるのは日食である。光が失われると

いうのは、生死にかかわる一大事である。作

物は育たず、飢饉が訪れる。

 しかし、日食というのは極めて短い時間の

現象であり、神々が集まって知恵を出し合う

までもなく、すぐに光は取り戻される。とす

れば、日食とは違う闇が続いたということに

なる。

 諏訪湖のすぐ近くにある山間地で、真由は

育った。近くには杖突峠、守屋山、八ヶ岳が

ある。山間地とは言え、明るい陽射しが降り

注ぎ、穏やかに過ごせる場所であったが、何

時の頃からか薄く霧がかかったようにあたり

が霞んで見えることが多くなった。地鳴りが

すると訴える人が増えた。古い伝承によると

それは危険を知らせる前触れであるというこ

とであり、その時は、中原家の当主のもとに

集まり鎮石に楔を打ち込まねばならないとい

うのが、この地の古老が代々言い伝えねばな

らないことであった。今、その地にはその楔

が無い。必要があって、遠い国の地にそれは

移っているのだが、いずれは返ってくるのだ

と言い伝えられていた。

 真由の旅は、当主である父に代わってそれ

を探し出し持ち帰ることが目的であった。

 真由が探し出さなければならない楔という

のは、黒曜石で作られた大きな鏃。縄文の時

代、諏訪の地は、黒曜石の産地であった。


 福島次郎はこの歌が殊の外好きであった。

その中でも歌詞が、尋ねまほしき園原や 旅

のやどりの寝覚の床 木曽の棧かけし世も

心してゆけ久米路橋というくだりは、この部

分だけメロディーが変わる。そこにえもいわ

れぬ趣を感じるのであった。

 福島は、園原とは全く違う灼熱の大平原の

中に立っていた。折しも何かの祭りらしく、

現地住民ばかりではなく、観光客と思われる

人々が混じっていた。

人混みが取り巻く中央には、槍を煌めかせ

て踊る屈強な若者たちが居るかと思えば、少

し離れたところには弓矢を携え的を射ている

者たちもいた。

 福島は、もともと楽しいことが好きだから、

祭りは見ているだけでなく加わって遊ぶ口で

ある。矢を射ている群れに近寄ると、異国人

が近づいてきたことに多少の戸惑いをみせつ

つも、「どうだ、お前もやってみるか?」と

言わんばかりに弓矢を差し出し、的を指さし

ながら顎をしゃくった。渡された矢は3本、

どうせ当たるまいと見くびっての仕草に見て

とれた。

 福島が使う和弓とは違うが、弓を何回か素

引きして感触と強さを確かめると、矢をつが

え的に向かって弓を弾き絞った。距離は普段

稽古しているものとさして変わらないように

感じたし、集中して狙うときの金的の大きさ

ともそう違いはなさそうであった。

 最初の矢がまだ的に届かないうちに、3本

を連射した。それは悉く的の中央に突き立っ

た。

 喚声が上がる中、呪術師と思しき長老が福

島の前に出てくるなりひれ伏し伏し拝んだ。

「貴方様が我々の待ち望んでいた方です。紛

争が起こりそうなとき、突然現れる色の白い

方が我々を救い導いて下さるのだという古老

からの言い伝えなのでございます」というの

であった。人垣が増えていた。

 福島は、喝采のうちにあった。好きで嗜ん

できたことが、このように受け入れられると

は思わなかった。しかし、この地でなさねば

ならないことが出来したとき、これが何らか

の役に立ちそうな予感がした。

 日暮れて祭りが終わると、是非にという長

老に誘われ彼の住いに向かうことになった。

この地は、部族同士が心を通わせあい、争い

を避ける営みを続けてきたが、近年は近隣諸

国に紛争が絶えず、平和に翳りを及ぼすこと

が多くなった。その影響からか、以前にはな

かったような諍いが起こる。諍いは小さなう

ちに治めないと、収拾がつかなくなる。長老

は、それを恐れていた。呪術師というのは、

預言者でもある。人の心が弱くなれば世間は

歪み混乱が生じるものなのだと知っていた。

社会が、そこに集う人たちの気持ちが通じ

合う規模のうちは、まだお互いのコントロー

ルが効く。規模が大きくなり、そこに異文化

までが入ってくるようになったとき、それを

どのように吸収してゆくか。

争いの始まりは、いつでも意見が違うこと

から起こる。生きるということは、自分の物

差しをまず引っ込めてみることから始まる。

俺が俺がの主張ばかりで角突き併せていたの

では、納まるものも収まらない。我慢との戦

いというのが、お互い様なのだという側面を

持つ。それが特効薬なのであり、即効性があ

るとはいえない。

我慢ということが我慢ではなく自然にでき

るようになってこそ評価を得て、やがて自分

がやりたいことができるようになる。それは

他人を決して不幸にはしない。

 長老は、戒律を自然に守ることで、長く平

和にこの地に暮らしてきた者たちの心が揺

れ始めていることを感じていた。心が乱れれ

ば、やがてそれは離反を呼ぶ。離反はすぐに

憎しみに繋がる。憎みあうようになれば、判

断の基準は自分の側からのものになる。

 そういうことに手が及ばなくなった時、あ

るいは自分の手に余るような事態が近づいた

とき、「白き者」が現れる。それを見過たず

察知し、それに助力を頼むのを躊躇ってはな

らない。それを逸したら取り返しがきかなく

なる。というのが長老職を継ぐ者に相伝され

てきたのだと語るのであった。

 彼にしてみれば、突然現れた異業の者が、

苦も無く神業を披露してのけたのを目の当た

りにし、文字通り神の化身と信じたのであろ

う。

 もとより、福島の成さんとしていることと

相通ずることであるから、手助けするに断る

道理はない。

 皆を導くのは、いつであっても己を滅却し

他を慮ることができる志の高いものである。

 ジャンヌダルクが一人立てば、国だって救

われた。心利いた若者を何人か選んで、福島

の近辺につけてくれるように頼んだ。分蘖

(ぶんげつ)を考えたのである。

 分蘖とは、イネ科などの植物の根元付近か

ら新芽が伸びて株分かれする事。

 植物の根元付近や切り株から伸びた新芽を

蘖(ひこばえ)と言うが、蘖が伸びて株が増

える事を人の世に置き換えてみようと思った

のであった。


 突いてよし薙いでよし切ってよし、槍は薙

刀と共に最強の武器といってよい。戦国時代

ならいざ知らず、日本では刀と同様、それは

使わずに済む武道となって、精神修養のため

のものとして昇華した。

 河尻家の客間の長押にも一槍掲げられてい

るが、それを手にするのは手入れをするとき

くらいのものである。家伝の槍術は幼き頃か

ら仕込まれたが、体と心を鍛えることのみで

あり、他に使うことなどは当然のことながら

想定の内になかった。門外に出ることもなか

った。

 躾の要諦は、人として恥ずかしいことはす

るな、事あったときは、我が身を捨ててもな

さなければならないことがあるのだ、という

ことであった。

河尻はまだ、国内にとどまったままであり、

転送されてはいなかった。

日本列島が世界地図の雛形ではないかと唱

える説がかなり昔からある。地図を比べてい

ると、そう見えなくもない。

 曰く、北海道=北米大陸・本州=ユーラシ

ア大陸・中国地方=ヨーロッパ・瀬戸内海=

地中海・四国=オーストトラリア大陸・九州

=アフリカ大陸・房総半島=朝鮮半島・紀伊

半島=アラビア半島・能登半島=スカンジナ

ビア半島・佐渡島=ノバヤゼムリャに対応し

ているのだという。更に細かく対応場所を言

う人もいる。

 恩沢八荒に溢れと、奥の細道にかかれた八

荒とは、国の隅々まで八極の果てまでのこと

を指す。

彼の言う恩沢は、日光権現のことであるが、

大八洲が世界の隅々までと考えることもでき

る。

それが何を意味するのかは別として、世界

人類のために尽くす覚悟を求められているの

かも知れないのである。

 仲間の何人かが既に、世界各国に散っての

活動が端緒についたばかりだというのに、膝

元の日本の事態が急を告げている気配が色濃

くなっていた。他国から侵略を受けそうだと

いうのではない。そんなことであれば、星を

も砕く力を開放して、ミサイルであれば飛翔

中に破壊するか、宇宙空間に行く先を捻じ曲

げてしまうか、或いはそれを発射した場所に

ブーメランのように撃ち戻してしまうことは

簡単にできる。他の兵器であっても、それを

瞬時に破壊して使用できなくしてしまえばよ

いだけのことである。反撃するまでもないこ

とである。

 人間の作ったものであればそうすればよい

が、ことは容易ならざる妖様を呈してきてい

た。

 古来より、さまざまな悪は悪鬼によって世

にばらまかれるものとされている。自らが悪

心を持って悪行を為すばからでなく、人々も

その道に落し入れる。

 無知蒙昧ということが言われるが、今どき

無知と呼ばれるほどの者は殆どいない。しか

し、蒙昧はありうる。蒙昧は物事の道理をよ

く知らないで暗いの意である。知識が知恵と

なって働くには判断力がいるのであるが、悪

鬼に誑かされてしまう多くの者たちは、自分

の「知」を過信するあまり、意外に簡単に衆

愚と呼ぶにふさわしい行動に与してしまうこ

とがある。

 そこに陥りやすいのは、大抵は自分が善人

だと思っている者に多い。悪鬼が善人を装い

揉め事の種をことさら取り上げ、そこに疑わ

しいことがあるを煽ることから始めると、民

心はついつい雷同してしまう。「疑い」とい

うのは、ときに真実よりも大きなエネルギー

を発揮する。真実は真実だけの範囲にとどま

るが、疑いというのは際限もなく膨らむから

である。

 世の乱れというのは、巧妙に仕組まれた悪

鬼の思惑に踊らされるそうした衆愚によって

起こるのだとも言える。気づきもしないうち

に、そこに取り込まれているのである。

 声高に、熱に浮かされたように叫ぶ者がい

たら、それにすぐ乗らないで、自分でも考え

てみる習慣をつけることが必要であろう。偏

って一方向に向かうものは危険である。得て

して、民心の不安を突いて騒ぎを大きくし、

反対することが正義かのように錯覚させられ

るのが常態といえる。では、どうすれば良い

のかと問いかけてみることで氷解する。

 穏やかな世界を考え、地道に個々の意識を

高めていこうとしていることに、異を唱える

者が出てきたのである。なにをもって、それ

を不都合だというのであろうか。

 その昔に、自らが人柱となって閉じた異界

との入口付近ばかりでなく、いくつかの境界

線となりそうな地において、鳴動が顕著にな

りつつあった。

親が子を思うように、先祖が子孫の幸せを

願うのは普通に考えても理解できる。

 先祖というのは生きている者が気が付かな

いだけで、意外に身近で手助けをしてくれて

いるのだと判っている人もいる。

 先祖も子孫も、この地球という場にあるこ

とで、その魂というエネルギーを継続する。

 それでも、如何なる構造物といえども手入

れを怠れば経年劣化する。建築物であれば、

老朽化したら取り壊して新たなものを作ると

いうことに特段の違和感は持たないが・・・

 いま与えられていることを当然とし、感謝

することもなくより良いものにしていこうと

する意識を持たなかったらどうなるか?朽ち

るのを傍観しているに等しい。

 地球というものが劣化してきているとして、

再構築しようとする大いなる意志が働いたと

しても、不思議ではない。原初もそうしてで

きたのに違いない。

 魔という錆を放置して、本来あるべき姿に

磨き上げるということをしてこなかったのだ

としたら、自己のみにとらわれ、劣化に気づ

かず放置してきた責めを咎められたとき、如

何様にするか。

 夕闇の中で、虫がすだいている。古来より

虫の声という言い方をするが、虫の鳴き声を

聞き取ることができるのは、日本人とポリネ

シア人だけだという。虫の声を聞くとは、言

語を司る左脳を使ってのことだとされるが、

文字道り声として聴いているのである。

 あらゆる自然から神なるものの声を聞きと

ることで、生活を営んできたのである。それ

は共通認識となっていて、そこに疑いを差し

はさむ人はかつてはいなかった。畏まるとい

うことを知っていた。

 時代が下ってからの共通認識といえば、怨

霊を恐れ、それを封じ込めてきたということ

もある。

 怨霊というのを死者の霊と混同するむきも

あるが、それは違うのだと思う。死者の霊を

恐れるなどということはなく、むしろ身近に

あるものとして、それを敬愛してきたといえ

よう。

 怨霊というのは、魔に憑りつかれたもの、

或いは魔そのもののこと。

 民心に仇為すそれは、大いなる意思に反す

るものとして、封じ込めなければならないと

いうことは、意識の連携の鎖があってこそで

きた。

 重力というのは地球上に均一に働いている

と思われているが科学で見てもそれは違う。

 世界的に見ても、山脈が連なる地の重力は

強く、とりわけ火山列島である日本に働いて

いる力は強いのである。結界を作り、魔を封

じ込める為には、日本の地は優れていた。

 ただし、それは意識の連携の鎖が強固であ

ればこそということであり、鎖が断裂するよ

うなことがあれば、魔は一気に息を吹き返し

て、諸方から噴出するに違いない。

 雷光が空を切り裂き雷鳴が地を震わせる。

 大量の降雨が山肌を樹木と共に押し流す。

地の揺れは日増しにそれと知れるほどに激

しさを加え、容易ならざる異変を窺わせる。

どうやら世界に目を向ける前に、足元を固

めよということらしい。ここが世界の縮図で

あり、ここを鎮めれば、それは広く伝播して

広まってしまう。

 世界各国から怨念と化したエネルギーが、

この列島に救いを求めて集まり、地を割って

噴き出す現象だと感じさせるのであった。

誰も意識することもなく、そんなものだと

見過ごしてきたが、古来より我が列島はそう

いう地であったのかも知れない。さればこそ

それらの魔が一緒になって噴き出す火山も多

いのである。

 考えてみるに、日本には神社仏閣の数が異

常に多い。八百万の神々を祀るということが

あるにしても、それが祀られている場所は、

地球上の要害であり鎮めの場所であることに

気づく。そこは清浄の気に満ち満ちているの

である。

 鎮め石とか要石と呼ばれ畏敬の念をもって

疎かにされてこなかった名前の付いた巨石も

あれば、注連縄をもって結界を張られた場所

も数多い。

 古くから、巧まずして我が事として培って

きた文化なのである。

 生石神社の社伝に、オオナムチの神とスク

ナヒコナの神の二神による伝説が伝えられて

いる。

 二神が出雲国から播磨国に来たとき、石造

の宮殿を建てようとし、それをて一夜のうち

に現在の形まで造ったが、途中で播磨の土着

の神の反乱が起こった。

 宮殿の造営を中止して反乱を鎮圧している

間に夜が明けてしまった。そのために、宮殿

は横倒しのまま起こすことができなかった。

 二神は、宮殿が未完成であってもここに鎮

まり、国土を守ることを誓った。


 茨城県の鹿島神宮の参道わきに祀られる直

径20㎝程の石が露出している。

 地上に見えているのはその一部であり、本

体は地中深くまで達する巨石であるという。

江戸時代に、この要石を掘り出そうと試みた

者がいたが、何日かけても果たせなかったと

いう。

 昔、日本の地下には日本列島よりも巨大な

鯰がいて、僅かに身動きしただけでも大地震

が起こるのでそれを憂えた鹿島の神が、大鯰

の尾と頭が鹿島の地下で重なった瞬間に剣で

貫き固定したのが要石の由来とされている。

 鹿島神宮は地鎮めの神として広く信仰され

ており、江戸時代には地震除けの呪いとして

「ゆるぐとも よもや抜けまじ要石 鹿島の

神のあらんかぎりは」と唱えられていた。

「要石」と呼ばれる物は、鹿島神宮の他に

も日本各地に存在する。

 宮崎県・高千穂神社の高千穂宮鎮石、静岡

県・要石神社の要石、島根県・都武自神社の

要石、東京都・南蔵院の立石などがそれであ

り、いずれもそれを動かすと地震が起きると

伝えられ、大地震の災害から周辺一帯を護っ

ている、といった信仰が今もある。

殺生赤というのもある。

 金毛九尾の狐が日本に渡来し、鳥羽院のと

き、玉藻の前という名の美女と変じて院にあ

がったというが、彼女は院をたいそう悩まし

た。

 陰陽師安倍泰成が、これを調伏したところ

妖狐は正体を現し、下野国那須野の原に飛び

去った。

 那須の篠原の神社に、玉藻の前を祀ったと

いう狐塚なる古墳がある。

 野千という狐を射殺せとの勅命により、こ

のとき三浦介、上総介の二人が馬場に犬を放

ってこれを射ることをもって、野千を狩る練

習をしたというのが犬追物の始まりという。

この野千と呼ばれた狐は、美しい女性の姿を

借りた妖怪であったとされている。

 この妖狐は、三国をまたいで王朝に不穏を

もたらしているのだという。

 天竺(インド)では斑足太子の塚の神とな

っているが、この斑足太子はインドの伝説的

な残虐王で、足に斑紋があったことからこの

名がある。しばしば人間を食べ、ついには鬼

となったといわれている王である。

 中国では女色に溺れてついには王妃の実家

の反乱で滅びた愚かな幽王に憑き、日本では

保元平治の乱の原因をつくった鳥羽法皇に影

響を及ぼしたとされるが、いずれも因縁めい

たスキャンダルがいわれる王たちである。

 勅命を受けた三浦介、上総介の二人により

妖狐は射殺されたが、その執念は殺生石とし

て残り、その後も人々を悩ませた。

 後に曹洞宗の玄翁和尚の供養によって殺生

赤は成仏し、祟りを止めたとされている。

 この時玄翁は、杖をもって殺生石を破砕し

たというが、それ以後、両端を切り落とした

形の金槌を玄能と呼ぶようになった。

 この「玉藻前」という名が何故に使われた

のか?それは「万葉集」による「玉藻」が登

場する歌の影響があったものだと巷間言われ

ている。柿本人麻呂の歌ニ首である。

 嗚呼見の浦に船乗りすらむ感嬬らが珠裳の

裾に潮満つらむかくしろ着く手節の崎に今日

もかも大宮人の玉藻苅るらむ

 列島じゅうを駈け廻って、異変を封じるこ

とを急がねばならない。天変の前に地異を抑

え込む。

 そのためにこそ、星をも砕く力が必要だっ

たのだと今は解かる。日本に駆け戻って集ま

った全員がそう思っていた。


 この先は、触れてはならぬという限界に近

づいたように感じる。修行が積まれお許しが

出るまで、筆を置くことにする。


第8部 完



長らくお休みを余儀なくされましたが、

漸くお許しが出て、第9部を書き始めます。



 第9部

      待  機


 東の空に、金色に眩く輝く大きな龍が浮か

んでいる。その鈎爪にしっかり握りしめてい

るのは、明らかに真央が変じた珠であると見

て取れ、大きく育ったそれは金龍に劣らぬ光

彩を八方に放っていた。

 数馬は不思議に思うのであった。自らが学

んだ剣も、河尻が修練した槍も、福島が励ん

だ弓も、そもそもは、人を殺傷する道具であ

る。にもかかわらず、それを究めることは人

を活かすことがそもそも辿り着かねばならな

い道なのだと、いつの間にか気づかされてい

た。

 龍は、神話や伝説上の生きものとされてい

るが、果たしてそうなのであろうか。絵画や

彫刻に顕されている姿は微に入り細に渡って

精妙を究め、その厳かさには巧まずして畏ま

ざるをえないものをもっている。神霊を感じ

取れる域にある人達には、それはきっとはっ

きり見えていたに違いない。

 東洋における龍は神獣・霊獣であり、水中

か地中に棲むとされることが多い。その啼き

声によって雷雲や嵐を呼び、或いは竜巻とな

って天空に駈け昇り、自在に飛翔するともさ

れている。口辺に長髯を蓄え、喉下には一尺

四方の逆鱗があり、顎下には爪に掴んだ宝珠

をかざした姿を持っているのは、よく目にす

る通りである。

 秋には淵の中に潜み、春には天に昇るとも

されるが、水を司るとして崇められた。

 名前がついた龍族は多いのである。日本神

話に名高い八岐大蛇も龍神族の一派だとされ

ることがある。九頭竜伝承は、特に有名であ

る。稲作にとって重要な水も、潅漑技術が未

熟だった時代には、旱魃がが続くことは死活

問題となるから、竜神に食べ物や生贄を捧げ

たり、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いが

行われた。

 瑞穂の国と呼ばれたのは、豊かに稔る稲の

波打つ姿を見てのことであったろうし、それ

が民の幸せの基であり、飢えずに食べて生き

延びることができれば、人はそれ以上を望み

それ以上に貪ることを求めはしなかったのか

も知れない。

 龍は一つに纏まった概念ではなく、黄竜、

青竜、赤竜、白竜、玄竜と呼ばれ、竜を五方

と五色に結びつけた東方青竜、南方赤竜、西

方白竜、北方黒竜、中央黄竜の五方竜王と分

けてその役割も理解され、全てが敬われた。

 八大竜王が水に関わるように、呑龍・咬龍

など、名前がついていることは、その分担が

広範囲に及ぶことを信じていたのである。


 天地が剖判(ぼうはん)し昼夜が別たれ、

万物がそれに続いたが、いずれが貴くいずれ

が賤しいということではあるまい。等しく尊

ばれて然るべしなのである。

 いつの間にか、己が己がを主張するように

なって、世は乱れた。

「いきもの」というのは、必ず何かとつなが

っていることで生をなしている。

 植物であれば、根が土と強くつながってい

るし、気候その他を感じ取ることができて周

りとつながっている。動物であれば更に、縦

横斜めにつながりあってこそ、命を命たらし

めるものとなる。

 それらを繋ぐものが糸のようなものなのか

意識なのか、それとももっと別なものなのか

は解らない。

 体と心、人と人、人と大自然たる外界、そ

れらに如何にかかわっているかということに

意識を向けることは殆どないから、気づかな

いままで日々を過ごす。

 もともとが一つであるものが別れてこの世

があるのだとしたら、霊長類として生まれた

ことの役割は奈辺にあるのだろうか?


『巳は上に(みはうえに)、己(おのれ)己

(つちのと)下につき、半ば開くれば已(す

でに)已(や)む已(のみ)』という。

「改める」という字は、己偏に攵(ぼく)と

いう旁をつけてできている。攵というのは、

「かしこまる」という意味、或いは棒で叩く

ということを表す。

 即ち、巳という字が表す蛇(邪)心を叩い

て己ということになる。

 論語・学而にみえる「己に如かざる者を友

とするなかれ、過ちては則ち改むるに憚るな

かれ」とある通り、一つでも二つでも改めよ

うとしていくのが人たるの所以であり、万物

の中で担わされている役割なのだと思う。

 さしずめ何をやったら良いのか、数馬には

未だわからぬ。武道をやってきたことで解っ

ているのは、力を抜くこと、呼吸を整えると

いうこと、何か偉大なるものからの指示に

「なぜ?」という問いかけをしないことなど

などである。

「私はここにいます」と素直に応えていれば

道は自ずと指し示される。


 日本人のDNAには、他と比べ解明できな

いものがあるのだという。

 古文書によれば、遠く昴から移住して来た

者の裔なのだというが、あながち否定しきれ

ないものがありそうである。

 プレアデス星団は、牡牛座の「雄牛の首」

のあたりに位置する散開星団である。

 地球からの距離は約400光年、実直径が約12

光年、視直径は約110分(満月の約3.7倍)とさ

れている。 漢名では「昴(ぼう)」、和名では

「すばる」と呼ばれている。特に明るく輝い

 ているのは六つの星だけだとされ、六連星

(むつらぼし)とも呼ばれるが、その昔は、

北斗七星と同じく七つ星であり、東西を指し

示す目安であったのだという。

 太古の昔、そのうちの一つが流星群として

地球上に降り注ぎ、その多くが日本の地に届

いたのだという。

 これらが落ちた地には、白鳥伝説或いは羽

衣伝説が残されていて、そのいずれもに共通

するのが、地上に降り立った人は再び元の天

界に戻ることが叶わなかったとされているこ

とである。即ち、星の一つがなくなったとい

うことである。


 時により 過ぐれば民の嘆きなり 八大竜

王 雨やめたまへ (実朝).

 何事も、過ぎたるは尚及ばざるが如しとい

う。必要以上に欲しがることで、それが全て

得られたとしてどうなるというのだろう。貪

ることが、如何に自他の害となるかに気づか

ぬ筈もないのに、他を蹴落としてまで我欲を

押し通して憚らなかったことの報いが、来世

での輪廻でなされるのではなく、現世での滅

びという結果で負わされるのを黙視するわけ

にはいかない。

誰かが一人でも立ち上がらなくては叶わぬ。

夏風越しの青嵐、冬松川の冬の雪に龍蛇の

意気を鍛えるのは、滾る力をただ己のものと

して際限なく得るためということではない。

蓄えられたエネルギーを如何にコントロー

ルするかということかなのだと、数馬は思う

のである。

 解放すれば星をも砕く力というのを既に持

ってしまっているのである。その力をまさか

裁きの為に使って良い筈がない。如何なる場

面でどのように使うことになるのか、見極め

るための待機の時間として今があるように感

じるのである。

 起きて半畳寝て一畳とまで達観することを

よしとはしないまでも、ほどほどのところで

譲り合えるような心的状態と、理想としての

高みを求めることの向上的精神のありようの

折り合いはどうつけるのが良いのだろ・・・

 天変地異による被害、例えば颱風の進路を

変えることでそれを食い止めるくらいのこと

であれば、数馬たちには容易にできることな

のかも知れない。しかし、それがどんな天意

によって起こっているのか解りもしないでそ

の力を使うのは違うのだという強い自制心が

心の奥底に働いている。大きな力を小さく使

って、その総和がバランスを齎すことになら

なくてはならないのだと、心に囁きかけてく

る声が聞こえる。

 数馬達は人間であるから、いかに志を高く

持とうとも、感情の軛から完全に脱却するこ

とはできない。目指すものを実現化するため

には、手段というものが必要となってくる。

 僅かな人数では成し遂げられない目標とい

うのは、大勢が集まって分担するようになっ

たとき、いつなんどき手段が目標化してしま

うかわからない。多くの宗教組織などで、そ

れを見てきたではないか。殺し合いにすらな

りかねないのでは、どうにもならない。

 子であれ生徒であれ、人を導かなければな

らなくなった人たちが陥る間違いは、いくら

でも身近で見ることができる。

 「貴方は、“どうして”“いつも”“ちゃん

と”できないの?」自分の理想を他に押し付

ける形で現れるのが、陥りがちで典型的な指

導法である。それはまさに自分の感情のまま

になす自分の腹立ちの発露そのままではない

か。気づきもしないでそれをよしとしている

のかも知れないが、過去を責めても、これか

ら何をしていったら良いかということには役

立たない。

「ちゃんと」というのが何であるのか解らせ

ているのか?どうやったらそれができるのか

自分で考えられるようにしているのか?特に

いえば「どうして?」ということが判ったら

人は何も苦しまない。「いつも」と言われた

ら、「何もやっていないわけではない」との

不満を身の内に籠らせるだけで、先に進む意

欲を完全に削ぐ。導くというのは難しいので

ある。


 いつの間にやらそうできるようになった能

力、いつの間にかそうなっている境地、そし

てそれが等しく互いが穏やかに接しあえる望

ましい環境を整えるに至るのには、激しい言

葉遣いや、凝り固まった思想からくる用語と

いうのでは、人類の理想を目指すには馴染ま

ない。対立を目的とするようなそれらを使う

人たちというのは、外見からして刺々しいし

幸せそうに思えない。

結果として混乱と争いを助長する。

 龍の姿そのままに見える日本列島が、動き

始めようとしているかに感じる。属している

6852の島々を従え、どこにどう行こうと

しているのだろう?対するに為す術というの

はあるのだろうか。

 人間は、自分が思った通りのものになる、

と言われている。そんなことは信じられない

と多くの人がいう。なぜなら、たとえば自分

は幸せになりたいと思っているが、そうはな

れていないと。

 しかし、それは思い方が違うのである。思

った通りになるということの最大の証明は

「ああ、俺もう駄目だ」と口に出していって

みれば判る。仕事であれば、それは確実に失

敗するし、病床にあるのであれば命を失う。

 人間の潜在意識というのは、そういうもの

らしい。事の善悪に従うのではなく、どう思

っているかによる。

 だから、まだ起こっても居ないことを取り

越し苦労するのは、やめた方が良い。意識す

れば、それを呼び込む。最大のタブーは、最

悪の事態を想定することだとも言われる。エ

ネルギーが大きいほど、意識に刻み込まれて

それが起こる確率は高まる。

 ではどうするか?物事が起こる前には必ず

その予兆がある。気づかずに見逃しているわ

けではない。「こんなぐらい」はいいだろう

として放置しているに過ぎない。その、「こ

んなぐらい」のうちに、身を匡すのであらね

ばならない。身の回りのゴミを一つ一つ片付

けて綺麗にしていくのである。

 幸せというのも、身の回りにある小さな幸

せに気づいて感謝していれば、それは自ずと

大きな幸せに結びつく。欲張っても、一気に

それが果たされることはない。思い方、気づ

き方が大切なことになる。

 根底のところにある、自分を認めさせたい

がための行動なのか、広く世界宇宙の為に役

立とうとする高い意識によるものなのかの差

ということになる。

 先ず隗より始めよ、そういうことなのかな

と数馬達は思うのであった。

 何かを始めようとする時、正しい結果を得

るために実験という手段をとることがある。

いくつかの方法を比べてみて、それを探って

みるのである。

 誰かに仕事を委ね、任せたいというときに

は、信ずるに足るかどうかを試してみるとい

うことがある。大いなる意思がそれをしよう

と思ったとしたら、いくつかのパターンを考

えてみるに違いない。

 所謂善なる行いをしている人が、困難が有

ってもそれを乗り越えていくだろうか?所謂

悪と呼ばれる行いをしている人が目覚めて立

ち返ることがあるだろうか?どちらでもなく

て惰性で生きているように見える人たちが、

善悪どちらの側につくのか?

 大いなる意思は、作ってここまで見てきた

以上、その行く末がどんなものになるのか知

りたいと思っても不思議はない。

 全知全能であれば、最初から望ましく狂い

のないものを作ればよかったものを、そうし

なかったのは何故なのか?

 わからないけれど、いま現に生きて有るも

のを、現に生きてある自分たちが何とかしよ

うと考え行動しなかったら、一体どうなると

いうのか。

 自分たちの行動が大いなる意思に添うこと

ができるのかどうなのかは保障の限りではな

いとしても、自分たちが信じるところに従っ

て動くよりない。

 地獄極楽だとか道徳だとかマナーだとか、

共存できるように人類が培ってきた知恵を頼

りにやってみる他ないと思うのであった。

 四苦八苦という言葉が有る。苦とは「苦し

み」のことではなく「思うようにならない」

ことを意味する。

 根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、

人間が避けて通れない根本的な四つの思うが

ままにならないことに加え、愛別離苦・怨憎

会苦・求不得苦・五蘊盛苦を合わせて八苦と

いう。

 愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別

離すること

 怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでい

る者に会うこと

 求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得ら

れないこと

 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊 (人間

の肉体と精神)が思うがままにならないこと

の四つの苦(思うようにならないこと)を合

わせて八苦と呼ぶ。

 百八煩悩というのもある。人間の心身を悩

まし迷わせる煩悩で、一説に、眼・耳・鼻・

舌・身・意の六根のそれぞれに悩みが六つあ

って36、これを過去・現在・未来にそれぞれ

配して合計108とする。


 人は、幸せになりたいとか、成功したいと

か、こうありたいとか願うが、突き詰めて考

えると、そういうものは殆どが我欲から来て

いるらしい。我欲からの願いが達成されるこ

とは、これもまた殆どないのだという。

 人は、自分が思っているほど不幸なものな

のだろうか?幸せに思えることをどんなに小

さくとも認め、感謝するということを続けて

いると、それは段々に大きなものに育つもの

らしい。

 至らざることを不満に思い、そこに損得ま

で合わせて至る姿を望んで日々を過ごすとな

ると、本人にその自覚がなくとも、不平不満

はマイナスの波動であるから、マイナスの結

果しか齎さないのだという。

神様の波動とはそういうものである。

 思い方と過ごし方というのは難しい。明る

さは明るさを呼ぶというのは確からしい。

 人は、人が真剣になっての立ち居振る舞い

に感銘する能力というのはある。

 しかし、人の思いというのが伝わるのは多

くの場合言葉を介してということが多い。言

葉というものにはある種の魔力というものが

有るように感じる。

 美味しい料理を食べたり、優れた芸術品に

触れたりした時、すぐに感想を口にする人と

いうのがいる。それはそれで悪いとは言わな

いが、何事も一旦言葉として口に出すと、そ

れは人の行動を縛るようになる。本当はもっ

と深いものがあるかも知れないのに、一端口

にしてしまうことで小さく囚われ、そこに気

づく機会が失われる可能性だってある。

 自分が言ったことが、他の人の感じ方にま

で影響を及ぼす可能性のある立場の人は殊に

口に出す前に一呼吸の間が必要なのかも知れ

ない。他人の感能力をも縛るからである。

 さして意識しないでものを言うのは、ある

程度道を究めた人に多いように感じる。

例えば、料理の味がわかる人。

 味がわかるから、何かと自分の口に合わな

い時に、何かと注文をつける。他人がどう感

じているか、自分の言葉をどう捉えるかは意

識の外になる。

 自分が他より優れていると威張りたいレベ

ルの人ならそれでも良いとしても、そうでは

ないのにそれを続けていると、何を食べても

美味しいと感じることができなくなったかの

ように、美味しいものを食べても不機嫌な顔

をしているように見えることになる。それは

自分だけにその知識や能力を囲い込んだまま

でいるからである。もっと広い世界がある。

 判ることからくるその喜びを、周りにも教

え、享有することを考えないと、楽しくはな

らない。

 絵でも音楽でも舞踊でも、判る人は至らな

いところばかりが目に付くのか、感動すると

ころは述べず批評することの方が多いように

なっているとしたら、気を付けた方が良い。

折角努力して身に着けたもので他から疎んじ

られることになりかねないばかりか、良いも

のを伝えられないという不幸に結びつく。

 見方によれば独善とも見て取れるからかも

知れない。

 傍から見ていて幸せそうには見えないとし

たら、思い方や出す言葉や振る舞いを自省し

た方が良い。本質をつかむことを、言葉で表

しきれるわけではない。

 極めることが大切だということも、解かる

ということも大事だが、そこから先のものが

有るかも知れないとしたら、判ることの喜び

や楽しさを自分だけのものにしないというバ

ランスをどう捉えるかということになる。良

いものは、自分も周りも明るく楽しいもので

なくてはなるまい。

 違う言葉を使ったらどうなるかということ

でもあるが、伝えるためには、持てる言葉だ

けで表現しきれないものが有るようにも感じ

る。そこは謙虚に身内で耐える部分となる。

護られてあることにも気づかず、便々と過ご

していて良い筈がない。護られているという

ことは、その先になさねばならないことがあ

るからである。役目を負わされているという

ことである。一人平和の裡に暮らしていて、

他を導く為の精神的物質的発展を果たすため

の努力を怠れば、いずれその咎めを受けるこ

とになる。模範であらねばならぬ国に生まれ

ついたのである。

 警鐘が鳴るのは、果たさねばならないこと

があるにも拘わらず、それをしないで居る所

が真っ先であることは当然であろう。時々に

天災などを起し気づきを促すくらいで済んで

いるうちならまだしも、解らせるために壊滅

的な大変事を起すかも知れぬのである。

 日本の神話は桁違いに古い時代から始まっ

ている。夢物語として軽く考えるわけにはい

かない。古事記によると、天之御中主神(ア

メノミナカヌシノカミ)は、天地開闢の時に

高天原に現れた日本最初の神様である。

 一度名前が出てくるだけであるから馴染み

が薄い。

天御中主神と高御産巣日神(たかみむすび)

と神産巣日神(かみむすび)との三柱の神を、

造化三神と申し上げる。

 この二神に、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウ

マシアシカビヒコジノカミ)と天常立神(ア

メノトコタチノカミ)の三柱の神を合わせた

五柱の神を「別天つ神」と申し上げ、神代七

代に移る。

 神代七代の神である伊弉諾尊と伊邪那美尊

により、アマテラスの命が生まれる。

 この間が一代の神様でも単純計算で60万

年にも及ぶ壮大な神話なのだけれど、割と日

本人なのに知らない人が多い。

「天御中主神様有難うございます」といつも

唱えていると良いことが起こるのだという。

言霊の国に生まれた者でないと理解が難しい

が、言葉で神々とつながることで守られてい

ると気づいている人が多いことも、暗示的で

はある。

 他言語であっても言語を解し、言葉で人た

るの行いを励んでいることを前提として考え

るのだとして、それがエイリアンであったり

ヴァンパイアということであったらどうする?

知的生命体としての外見は人として変わり

なく見えるとしたらどうする。

 かなり昔から、爬虫類型宇宙人(レプタリ

アン)が、地球に侵入しているという噂が、

人知れず流れている。

 彼らは人間の生き血を飲んでいると言われ

ている。また、人肉や人間の脳も食べ、特に

子供の脳を好む。

 嘘か本当か判らないが、まことしやかに囁

かれるそれは、根強いらしい。

 爬虫類型宇宙人は、地球には3億6千万年

ほど前に来て、密かに人類の中に紛れ、時を

見て地球を支配しようと目論む肉食系生命体

なのだという。

 冷血性であって、同情、感情移入する機能

が欠如し、恐怖、血のいけにえ、性的エネル

ギーを好み、いくら財産、権力を集めても満

足ということを知らず、特殊な世界に棲んで

いるのだともいう。

 サイコパスと呼ばれる人格異常者と非常に

よく似た性向を有し、捕食者が獲物を捕らえ

ようとする時のような非常に強いアイコンタ

クトをしたり、あるいは異常なまでの突き通

す如き眼差しにその特徴が現れるとされる。

表面的な魅力と、すぐれた知性があるとされ

るも、感情の希薄さと、共感力、罪悪感、良

心の呵責の欠如および人生上の計画や秩序が

ほとんどないことを示す行動様式、過去の経

験から学ぶことができず、不安感がないこと

に加え信頼性の欠如、不誠実(偽善)、不正直

さなどから、人間関係に問題行動を起こすこ

とが多いことで差異がある。

 それらを包括して全人類の行く末を委ねら

れる救世主というものが現れるであろうか?

現れれば、まさに国譲りの再現ということに

なるのとどこかで似ている。

 国つ神系である事代主の命は、出雲の国を

治めていた大国主命の息子であり、国譲りの

時に天津神系の武御雷の命と折衝した神様と

しても知られる。

 父神の信頼が厚く全権を任されていたが、

父神の功績に傷をつけることなく国譲りを成

し遂げたとはいえ責任を取って国を離れた。

後に恵比寿様とも言われるようになった。

父の大国主が大黒様と呼ばれるのと共に七

福神として崇められているが、それと同じと

はなるまい。

 大国を治める君主として君臨していた大国

主は、乱暴な兄たちとの戦いに勝ってのこと

ではあるが、戦いによって作った国は、戦い

によって多くのものが傷つき、所詮国なるも

のは失われることを知っていた。慈愛に満ち

た国づくりを行いたかった。

 そんな時、天照の尊より、これからは民を

オオミタカラとして慈愛に満ちた国づくりを

行うから、出雲の国を譲りなさいと言われた

のである。

 事はそう簡単には運ばない。出雲の国を建

てるにあたっては、血と汗を流した多くの者

たちがいるのである。その心情は計り知れな

い。

 父の全てを理解し、それらを一身に請け負

うことが出来る事代主に、判断を委ねたので

ある。事代主は、自分が決断することで父の

体面を守れる事も判っていた。

 国譲りの責任を全て背負い、出雲を離れ、

その後、伊豆の地で新たな国造りを行った。

こうして、芦原中国(地上)に追放された素

戔嗚の子孫である事代主の娘である五十鈴姫

が、後に天照の子孫である神武天皇と結ばれ

天地が統合された。


  第9部 完



 第10部


 「波  乱」


 鳴動を続けていた権現山が、恐れていた通

り突如崩れた。同時に伊那谷に通じる道路も

山崩れや河川の氾濫により封鎖され、この地

域一帯が孤立した。

 崩れた山肌から、蜥蜴のような皮膚をもち

蒼黒く光る一見したところでは人間に見えな

くもない生物が、続々と這い出てきた。閉じ

込めていた結界が破れたのか、それとも隠れ

棲んでいた場所から自ら出てきたのかは判ら

ぬが、異様であり、怪しげな雰囲気があたり

に満ちていた。

不思議なことに、彼らは上下関係による統

率がとれているように見て取れた。

この先にさらなる不測の事態が起こりそう

な事が予感された。

 人間は大抵が臆病である。自分が思ってい

る自分は、表面に現れている自分であり、そ

こから一歩も出られないのだと自分で決めて

いるからであろう。

 人間だけにある理性だとか記憶だとかは、

本能のままに生きるのではないということが

他と違うところであろうか。

 震えながらでも、役目の為に一歩踏み出す

というのが勇気というものである。

 では、役目とは何か?狭義では職業という

ことにもなろうが、そもそもこの世に生を受

けたのは何なのかということになる。

 それは、魂に磨きをかけて光り輝くためで

はなかろうかと考えられる。

不平不満ばかり述べるだけでそれをしない

でいると、何回でも生まれ変わらせられて、

気づくまで現世の苦しい修行をさせられる。

これを無間地獄という。

 暗黒の宇宙にただ一人で存在していた創造

神たる大いなる意思は、わかれて光の世界を

造りたかったのではなかろうか。光の中で悪

は育たないが、全き光の世界を造るには至ら

なかった。二律背反という試練をこの星に与

えたからなのだと思う。

 人は、他から与えられたものを大事にはし

ない。自ら努力して造り出したものを価値あ

るものとして大切にしあう。

 しかしながら、無から生み出すのがいかに

大変であるかは神とても解っている。

 それで、顕在意識の他に潜在意識という能

力を授けた。即ち、人が積み上げてきた努力

の膨大な結果を記録したアーカイブのような

ものである。

 人類がまだよちよち歩きの頃は、まだ神か

らの啓示というものに直結できる能力が残さ

れていたが、後は自分たちの培ったものに撚

れということで、段々に個々人に任されるよ

うになったのだと思う。

 ただし、任されるには一定の条件があった

筈なのである。即ち、「自己のためだけであ

ってはならぬ」と。

 しかしながら、折角、知恵の泉たる潜在能

力というのを授けられていても、それに気づ

かぬということであったり、仮令気づいたと

しても、その知恵の泉の水を汲み上げること

ができないのである。それでは、無いに等し

い。

 井戸水をポンプで汲み上げるときのことを

想像してみると良い。井戸に水は満々と湛え

られているのに、ポンプのハンドルを必死に

なって上下させても水は出てこない。

 水は、パイプに呼び水というのを注ぎこま

ないと、上がってこないのである。

意識の世界におけるこの呼び水となるのは、

自分だけではない皆の幸せを願う心なのでは

なかろうか。


 伊那谷は四方からの孤立状態に陥っていた

が、倒壊した家屋は出ていても、衣食住に差

し迫った状況下にあるという逼迫感はさほど

なく、比較的安定していた。

 人々は被害状況を確かめ合い、互いに協力

して復旧に努めていたが、日を経るに従い異

変が生じていることを感じ始めていた。

 最初には、山つけに近いところに飼われて

いた家畜が、次々に跡形もなく姿を消してし

まうということから始まった。

 あろうことか、それが人間にまで及ぶよう

になってきたのである。昨日まで元気に顔を

合わせていた人が、いつのまにかいなくなっ

ていることに底知れぬ不安感を抱くようにな

っていったのである。単なる個人の事情とは

考えにくい共通点を持っていた。

 顔を見せなくなった彼らが被災したという

ことはなく、昨日まではボランティア活動に

勤しんでいたのである。仲間が家を訪ねてみ

ても、姿を見ることがなくなっていったので

あった。

 復旧作業の援護に出ている警察の警備が手

薄になっているところを狙って、拘置所が襲

われた。殉職者が出るほどの見境いない襲撃

により、重大事犯者の殆どが脱走した。

 およそ人とは思えない事件を犯した者たち

である。彼らは襲撃者の導きに従っていずこ

かへと姿を眩ました。破られた牢ではあった

が、そこに踏みとどまって残った者もいた。

治安が維持されているとは言い難い綻びが見

え始めていた。

 数馬が出かける前の早朝に、琴音が訪ねて

きた。

 空は爽やかに明け、山の端から眩いばかり

の黄金色の光の矢を放っていた。それはどこ

までも駆け上がっていくかのようにみえた。

 このごろすっかり少女らしく成長し、いつ

も春風のように温かい笑顔を絶やさない琴音

であるが、その愛くるしい顔に陰りが見えて

いた。

「数馬お兄ちゃん、少し心配なことがある

の」

「どうした、何か見えるの?」

「そうなの、山から大きな蜥蜴のようなのが

沢山でてくるの」

 数馬達が心配していることを察知している

ような、思い詰めているような表情を浮かべ

ていた。自分のことではなく、害が他に及ぶ

のではないかと気がかりなのである。

 数馬達は仲間が顔を合わせると、いつも言

わず語らずに思っていることがあった。琴音

がいずれは自分に備わった力に気づき、それ

を使わねばならない事態が起こるかもしれな

いが、それは少しでも先のことであってほし

いということであった。

 星をも砕く力は、やむを得ず使うことがあ

っても、使ったあとに心が騒ぐ。果たしてこ

の場面で使ってよかったのだろうかという自

問自答に応えなければならないのである。

 真央の後を継ぐお姫様には、そういう想い

をさせたくなかった。それでなくとも優しく

愛くるしい存在なのである。

「うん、それなんだけど、琴音ちゃんはまだ

心配しないでもいいよ。お兄ちゃんたちが何

とかすることにしようと相談しているから。

琴音ちゃんはいつも通りにしていてね」

そう言いながら、両掌で琴音の頬を優しく挟

んだ。


 数馬たち5人の輪の中に、出かけていた松

田が戻ってきた。

「おい、ちと面倒なことになりそうだぞ。荒

木から聞いたんだけど、留置場破りをした連

中は皆、風越山に集まっているらしい。荒木

がいうのに、「あっしらの稼業でもアイツラ

は危なすぎて避けていた位ですから見間違う

筈はありません」て言うんだ。しかもそいつ

らが昨晩、太った女を攫って行くのを確かに

見たと言っている。トカゲ相手なら何とかな

るが、人間がパシリとして使われていて矢面

となるとしたら、厄介なことになる」

 数馬達は、このところ行方不明になる人た

ちがトカゲ族に関係しているのではと見当を

つけていた。しかし、自分たちが先に動くわ

けにはいかない。まず警察がどうするかの後

のことになる。ただ、警察ではどうにもなる

まいという予測が彼らにはあった。

 多分、相当な知性体であることや、極めて

高い身体能力を持っていることは間違いない

ように思えていた。

人とは明らかに違う。

人間の脳内から分泌される神経伝達物質は、

20種類を超えるという。

 アドレナリンとかセロトニンなどの働きは

かなり以前から言われているので知る人が多

いし、実際にそれを生きる上で活用している

人もいる。

 人間が潜在能力を発揮して想像される以上

の力を示すことができるのは、これらの脳内

物質が関係しているのかも知れない。数馬達

に備わっている能力も、これらの脳内物質が

必要な時には瞬時に多量に分泌されて超常的

な力を発揮するのだと思われるが、意識しな

いときにそれが現れることはない。

 列島の中心部を成すこの地が破られたら、

国としての機能が麻痺する。

人間がこの世に生まれてくるのは、全ての

人が幸せになるためであるといわれる。

 その幸せに大きく関与しているのは、愛を

つかさどる神経伝達物質として注目されてい

る『オキシトシン』であるという。オキシト

シンはもともと、子宮を収縮させるホルモン

として産婦人科でも使われていたが、最近の

研究では、絆を強める作用があることも分か

ってきとされる。

 オキシトシンは別名、愛情ホルモンとも呼

ばれ、共感と信頼を促進する。

 人とのふれあい、仲間との絆を感じたとき

や、母親が赤ちゃんを抱くときにも分泌され

る優しさのホルモンであるが、愛は全てを許

すことができることから、敵というものをつ

くらず、幸せを齎す物質ではないかと期待さ

れもする。

 可能かどうかはわからないが、これをコン

トロールして、誰もが大量に脳内に出すこと

ができれば、幸せな環境を作り出すことがで

きるのではなかろうか。愛が地球を救う。

 自分を許し他人を許し、愛を惜しみなく出

すことを心がけていれば、オキシトシンが出

易い体質ができるのではないかと思えるが、

人が誰もそうするかどうかはわからぬ。

 我が身第一を考えるようになってしまって

いる社会構造が簡単に変わるとも思えない。

 それでも、愛は蓄積できるものなのだという

から、そこに微かな望みはある。いうなれば

貯愛。それは巡り巡って自分を幸せにせずに

はおかない。

 即ち、誰をも幸せにせずばおかないという

ことに繋がり得る。

 昔の人が「情けは他人のためならず」と言

ったのは、そういうことが実感として理解で

きていたからではなかろうか。

 目先の自分の損得ばかり考えて囲い込むこ

とばかりを優先させていたのでは幸せはやっ

て来ないということになる。どのみち一人で

は生きられない。

 人は、互いのことを思い遣る慈しみの心が

伴ってこそなりたつ。

 富という物質だけではなく、精神性を高め

ることも自然に求めてきた。


 琴音はいつも真央の光の珠と会話する。

「真央姉ちゃん、琴音はいつもみんなのお世

話になるばかりで、何のお手伝いもできない

でいるの。琴音ちゃんはまだ心配しないでい

いのと言われているけれど、申し訳なくって

ならないの」

「そうね。でもあなたは居ることだけでみん

なの力になっているわ。もう少し大きくなっ

て体があなたの持っている力に耐えられるよ

うになれば、その時は自然にみんなと一緒に

働くことができるようになるわ。それまでは

私が琴音ちゃんを守るわ。数くんともそう約

束しているのよ」

真央は、琴音が可愛くってならなかった。


 数馬達は、権現山に向かって偵察に出かけ

た。漂ってくる風が血腥い。

 そこは人骨とおぼしきものが散乱する想像

を絶した阿鼻叫喚の世界であった。蜥蜴顔を

した男が、若い娘の首筋に咬みつき生き血を

啜っていた。

 松田は間髪を入れず、その蜥蜴男を宇宙空

間に吹き飛ばしたが、女はその場に崩れ伏し

たまま残った。

 諏訪湖を発し伊那谷を流れ下り、愛知を掠

め静岡沖遠州灘に至る天竜川は、流路延長

213km、流域面積は 5,090kmに及ぶ。伊那谷

を削って河岸段丘を形成していることからも、

蛇行を繰り返す暴れ川であったことは想像に

難くないが、かつてそれほどの流量があった

のだろうか。天竜の龍神の膨大なエネルギー

が関与したのではなかろうか。

「天竜川」の名前は、地名から来ているので

はないという。古い書物によると、天竜川は

奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安

時代には「広瀬川」と呼ばれるようになって

いたらしい。鎌倉時代には「天の中川」と呼

ばれるようになり、その後「天竜川」と呼ば

れる ようになった。

 「天竜」は、もともと「天流(アメノナガ

レ)」と読んでいたようで、これは天から

降った雨が、 峰から諏訪湖へ流れ出て、天

竜川の流れとなることから、そのように呼ば

れるようになっていたのだと思われる。

 竜の字が使われたのは、水の流れが速く、

竜が天に昇っていくかのように見えるという

ところから来た。

 その流れが一時的に穏やかになるあたりの

段丘中腹に、麻績神社はある。、

 一村一社として、古くから受け継がれてき

たが、神寂びた神社に神主はいない。座光寺

地区の約1400戸が氏子となり元旦祭、春祭り、

秋祭り、勤労感謝祭の4大祭を開催してつな

いでいる。

 麻績という言葉は、麻を積むというところ

から来ていて、麻を作ることができる豊かな

場所という意味で、飯田市松尾から松川町辺

りまでを指す。麻は神様ごとに重要な意味を

もつ。

 元々は八幡社とだけ呼ばれていたらしいが、

座光寺地区の大地主で有力者でもあり、水戸

天狗党が飯田領を迂回する道案内をした国学

者として知られる北原稲雄が"麻績"という

言葉を大変気に入り、明治6年から神社の名

称に使うようになって現在に至る。

古びて苔むした石段を登り鳥居をくぐると、

参道が二つに分かれていて一つが麻績八幡

宮に、一つが麻績諏訪社につながっている。

麻績神社の起源は八幡宮の祭神、譽田別尊

(ほんだわけのみこと)で、産土神である。

産土神とは、その人が生まれた土地の守護神

を指し、その人が生まれる前から死んだ後ま

で守護する神とされ、他所に移住しても一生

を通じ守護してくれると信じられている神で

ある。昇殿してみると判るのだが、もはや文

字さえ読めないし謂れも知る人がいない古い

神々が幾柱も祀られているのである。

この神社と、隣村の山である権現山は、地下

道でつながっているのだという伝説がある。

権現山側の姫宮神社の結界が崩れ蜥蜴族が現

れたのだとしたら、麻績神社と高丘古墳側の

結界を強固にしなければならないということ

になる。それをしないと中側が危ういことに

なる。数馬は、諏訪大社の祭神の兄神であら

れる事代主の神や天竜川の龍神の助けも借り

て、緊急事態への対応を急がねばならないこ

とになったと感じ取った。

 松田はそんな顔をしている数馬にニヤリと

笑いかけた。

「お前は宇宙空間にヤツラを放り出したよう

だが、俺は前に行った国に2~3匹放り込ん

でみた。どんな扱いをされるか興味があって

な。まあ、問答無用で銃撃されて終わりかも

しれないが、人じゃあないってことでお構い

なしになるかもな」

 取り敢えず目に付くのは全て、地上から消

去した。緊急避難ということであろうし、器

物損壊程度のこととしたら、持ち主も居ない

事だしと、泡立つ気分を互いが宥めこんだ。

しかし、と思いを数馬は巡らしてもいた。

 大いなる意思が、人類に替えて殺伐たる意

識をもつ蜥蜴族を選択してこの地を破壊をす

るとはどうしても思えない。

 太古に繁栄した恐竜の時代は潰えたのでは

なかったのか。人類がそれに替わって繁栄し

たのは、人類の持つ発展的意識に期待をもっ

たからではないのか。

 だとしたら今表れている現象に何を気づけ

といっているのであろうか。

 外なるものに捉われず、内なるものに意識

を向けなおせと言っているのではないのか。

見落としてしまっている小さなことに、根本

的なことがあるのではないのか。病を癒すの

に特効薬というのが無いのと同じことなのか

も知れないではないか。人類が現出した時、

なにか重大なことを暗示されていたのに、そ

れを疎かにして忘れ去っているのではないの

か。

 初めには暗黙のルールというのを共通して

もっていたのではないのか。不浄ということ

がそれを覆い隠すから、祓い清めることが今

も最初にやることとして残っているし、結界

を張って封じ込め鎮めることができるように

なっているのも、思えば不思議な事である。

初めに言葉ありきといわれているが、どんな

に高邁な理想であっても、それを言葉で伝え

きり享有することは難しい。

 それでも、言葉の乱れというのは糺す必要

がありそうである。

 言葉の持つエネルギーが事物を現出するこ

とは間違いない。

 言葉というものが何事をも作り出すのだと

したら、荒い波動を持った言葉遣いは避けね

ばならない。少なくとも穏やかな響きを伝え

合うことが必要なのであろう。


 翌朝、数馬達が気になっている重要地点で

ある高丘の森に、皆して集まった。

 その昔、河尻が我が身をもって塞いだ結界

を確かめる為であった。石室への入り口は以

前に増して小さく感じられたが、特に異変を

見出すことはなかった。

 しかし念のため中を改めてみようと中に入

ってみると、奥の一角に新たに張られたとお

ぼしき膨らみがあった。

 苔を払ってみると、そこからあたかも生き

ているとしか見えない姿の神々しいばかりの

美丈夫像が現れた。手にはしっかりと梶の葉

が握られていた。

 胸のあたりで塞いだ穴の先には、干からび

た蜥蜴の頭が見えた。

 緊急のあまり、我が身を犠牲にして結界を

張ったのだと思われた。


 信州には、神無月というのがない。毎年十

月になると日本全国の神々は出雲国へ集まっ

て国造りの相談をすることになっていた。

ところがある年のこと、信濃国の諏訪の龍神

様の姿だけが出雲大社の集会所にどうしても

見えない。

 そのうちに現れるであろうと待っていたが

待ちくたびれてしまい、「信濃の神さまはど

うした、病気か、それとも遅刻か、いつまで

待たせる気だ。」と、神々たちが騒ぎ出した。

すると天井から大きな声がした。

「わしはここだ。」神様たちはどこだどこだと

天井を振り仰いで驚き、真蒼になりました。

天井の梁に胴が樽ほどもある大きな龍がきり

きりと巻きつき、真っ赤な舌をぺろぺろ出し

ていたのだという。

「信濃国は遠いので、こういう姿でやってき

たのだ。わしの体はこの家を7巻き半しても

まだ尾は信濃の尾掛の松にかかっている。部

屋に入って座ろうとも思ったが、神々がたを

驚かしても悪いと思って天上に張り付いてい

た。何なら今からそこへ降りていこう」と言

うなり、龍神様はずるずると天井から降り始

めた。

神様たちは慌てて

「いやいやそれには及ばん、なるほど信濃は

遠いから大変であろう。これからはどうかお

国にいて下され。会議の模様や相談はこちら

から出向いて知らせにいく」と、あわてふた

めいて手をふりました。

 龍神様はからからと笑って、「そうか、そ

れは忝い」と言うや、みるみる黒雲に乗って

信濃国の諏訪湖へお帰りになり、湖の底深く

姿を消した。

 それ以来、信濃国には神無月はないという

ことになっている。(篠ノ之国民話)

諏訪大社の紋所は、梶の葉である。


 数馬たちは、自らを結界として果てた数十

年は経ているであろう美丈夫を丁重にその場

から外し、運び出すと、天竜川から青い大石

を運び上げ穴をふさぎ、天竜の龍神に祈りを

捧げ強固な結界を張りなおした。

それが終わって、運び出した遺体に手を合

わせ拝礼しながら改めてみると、紫の糸で

「真」と縫い取りがされた守り袋を首にかけ

ているのが判った。

 それでなくても地域が閉鎖状態に陥ってい

る折でもあり、オカルトじみたことが公にな

るとパニックになりかねない事情を含め、警

察上層部に状況を説明し決して粗略に扱われ

ないように念押しして数馬達は引き上げた。

霊魂や超常現象に理解がある幹部が担当して

くれることになって、一安心であった。

 家に帰ると、綾音が深刻そうな顔をして、

門口で待っていた。琴音が夢か幻かわからぬ

父の姿を見たと言っているのだと言う。

 幼い時に父は亡くなったと話し、写真も見

せたことがないのに、見たと話す説明が余り

に夫が出かけたときの姿と酷似していて、震

えが来るほどであったというのである。殊に

それを信じざるをえないのは、首に下げてい

た守り袋のことであった。綾音が登山に出掛

ける夫の為に自分が紫色の糸で真造の名前の

「真」の字を縫いとった諏訪大社の守り袋で

あり梶の葉の模様があったというのである。

それを聞いた数馬は、それを今日の今日見た

ばかりであったから驚愕した。

「お母さん、そのお守り袋はついさっき見た

ばかりです。あなたと琴音ちゃんを真っ先に

守らねばならないと考えてのことだったのだ

と思えてなりません」

 掻い摘んで状況を伝えながらも、真造氏で

あると確信した数馬は、彼がそんな身内のこ

とばかり心配しての行動であったとは思えな

かった。自らを盾にしてでもと咄嗟に判断し

たのは、きっと山々を経めぐるうちに大自然

の中から覚醒するに至った意識が、大惨事を

防がねばならないと思ったからに違いないと

信じたのであった。

 関わりをもった人たちとは、こんなところ

にも、古からの深い縁があったのだと思われ

てならない。きっと権藤や荒木にも、今は判

らなくても、何らかの意味があって繋がって

きたのだろうと感じさせられるのであった。

きっと間もなく災害からは復旧し、近隣地域

と通じることになるのであろうが、単なる天

災であったとして済ませてはならないのだと

いうことになる。

 気づきの世界へ意識を向けられる人がいか

に多く現れ、いかに行動するか。

 物事は意識の波動に合わせて現出する。異

変は、悪い波動が凝り固まって招き寄せるの

かも知れない。それは無辜の民の頭上に現れ

ることも多かろうし、悲しみの伴った気づき

を促しているのかもわからないのである。


 129億4千4百万光年に位置する天体ク

エーサー中心部にあるブラックホールから、

巨大な星が離れ、銀河系宇宙にある太陽系に

向かって猛烈なスピードで動き始めた。

 空間を曲げてワープ移動をすれば、距離を

度外視していかなる短時間で到達するかは計

り知れない。

 もし直径40メートルの小惑星が地球に衝

突した場合だとしても3メガトンの核爆弾に

匹敵する威力を伴うとNASAは予想する。

それ一つでも、東京都くらいは軽く消滅して

しまう。

 直径2キロのそれであった場合は、世界的

規模の甚大な環境被害が見込まれる。

 直径100メートルを超す大きさで、地球

から800万キロ以内を通過する可能性のあ

る小惑星の数は、プラスマイナス1500個

の誤差で、4700個もあると言われる。

 大いなる意識のもつ時間軸はどのようなも

のなのだろうか。

 それまでに、人類は救うに値するほどに育

っているだろうか

 数馬・松田・河尻・福島・塩崎・川田・琴

音の星をも砕く力の集合で、この天体を守る

ことが許されるということになるかどうかは

瑶として解らぬままであった。


   第10部完



  第11部


 宇宙には、原因があって結果が現れるとい

う真理が働いている。肯定はしても、誰も否

定はしない。善因には善果が、悪因には悪果

が導き出されるのだと知ってはいても、善根

を積もうとする人は少ない。

 それどころか、善行をあたかも偽善の如く

扱う風潮があって、良いと思えることをする

のを躊躇わせる。悪行をさもさも格好良いも

のとしてもてはやす動きすらある。

 先人が培ってきた善なるものを古いとして

全否定した時代があったからかも知れない。

 智慧を学ぶときは、先ず形から入る。

 理解が進むと、何故そうするのかというこ

とがわかるようになる。

類は類をもって集まる。悪い想念は、集ま

ると甚大な災害を起すエネルギー源となる。

怨霊として鎮められてきた人たちは、その

本人が悪というわけではなく、そう仕向けた

者たちの恐れの象徴であったから、本人たち

が気づくことによって鎮めることができた。

行いを改めたというならまだしも、形を変

え複雑な想念構造にして悪行を糊塗し、そこ

に善男善女を介在させることで、エネルギー

の集中を逸らしてきたことはなかったのか?

 全国各地に散らばって悪因を抑え込んでい

る鎮めの地は、新たなる脅威に対して更なる

力の注入が急を要するようになってきたのに

対応能力の有る人が出てのことだったのでは

なかろうか。

 第10部までが、いうなれば序章であり、

第11部からが本章ということになるのだと

思うが、書き進めるお許しが出るまで、ひと

まず筆を置く。



 しばらく間があった。

 少しずつ書き進めることにしたい。


 伊那谷は、中央アルプスと南アルプスに挟

まれた幅5~10キロ、長さ80キロに及ぶ広大

な谷である。

 特徴的なのは、平地部分が非常に広いとい

うことである。

 天竜川を底辺として、なだらかな丘陵地帯

が河岸段丘として形成され、次第に高度を上

げて木曽山脈の裾野へと繋がる。

 昭和50年代、首都圏と中京圏に直結する中

央自動車道が開通したことで、伊那谷の商工

業は飛躍的な発展を遂げた。

 元々未開発に近い広い土地があり、寒くは

あっても降雪量は比較的少なく、それでいて

工業用水は豊富に確保できることもあって、

工場誘致などに有利に働いた。

 近年広域農道の整備が進み、ほぼ南北を農

道だけで縦断出来るようになってきたことに

つれ、その農道が国道並みに地域の主要交通

網の一端を担うようにもなってはいたが、山

脈に挟まれた地形であることは変わらない。

諏訪のあたりと恵那山のあたりの山が大規模

に崩れれば、袋状に閉じ込められる。袋の中

で自給できなくはないが、自ずから限度とい

うものはあった。

 閉塞状態が長期に亘れば、鬱屈したエネル

ギーは捻じ曲がった状態になりかねない。開

放された空間こそが、人の思いや行動にとっ

て重大な影響を及ぼす。

中央道を復旧させることは急務といえた。

 フォッサマグナという巨大な亀裂も近くを

走っているのである。特殊な地形のなかで発

展してきた場所と言える。それがどのような

状態になっているのかも判らなかった。

 荒木も、中央道の東京側開通のために、毎

日泥まみれになって働いていた。昔の悪仲間

を引き連れて懸命に過ごしている姿に、かつ

ての与太っていた頃の面影はなかった。

 とんがって周りと諍いごとをおこしてばか

りいた時とは、比べ物にならない充足感があ

った。

日々の行動が周りから受け入れられ、、信頼

感を得られるのがどんなに心地よいかという

ことは、昔の仲間たちも同様であった。

 何より、前には決して近づいてこなかった

子供たちが、お兄ちゃんお兄ちゃんと言って

懐いてきて、自分のポケットから、配られた

飴玉などのおやつを分けてくれるのである。

心底可愛いと思えたし、守ってやらねばとし

ている自分に気づいて、自分が自分を好きに

なれそうになっていることが嬉しかった。誰

が解ってくれなくても良いという快さがあっ

た。

 突然土壁に穴が開き、東京側から掘り進め

てきていた人たちと合流した。先頭に立って

いたのは権藤であった。

「親分!」「荒木!」と、呼び合うのが精一

杯であった。それ以上何もいわなくても、荒

木には親分が自分の身を案じてやってきてく

れたのだと信じることができた。

気が付くと傍らに村上も立っていた。

「村上の兄貴も来て下さったんですか」

荒木が懐かしそうに声をかけると、「そりゃ

そうさ。お前がくたばっていたら、探し出し

て骨でも拾ってやらなきゃ寝覚めが悪いから

な」と憎まれ口を叩きながらも

「それにしても、いい面構えになったな。や

っぱり親分には敵わねえ。俺はお前のことを

面倒見ながら、箸にも棒にもかからねえ奴だ

とどっかで思っていたが、親分はお前のこと

を見どころがある奴だと前々から言っていた

もんな。無事でよかった」と言葉を継いだ。

荒木は今まで、自分の身勝手な要求であって

も、弱い奴らはそれを受け入れるのだと思っ

ていた。それが受け入れられても満足感があ

ったわけではない。そうすることでしか自分

を主張するすべを知らなかった。

 ところが、弱いと見くびってきた連中が暴

力的には弱いのかも知れないが実は強いので

はないのか、と思うようになってきていた。

自分がやらねばならないと思っていることに

対しては実に辛抱強いし、こと自分のことだ

けではないと思える大事が起こると、誰に言

われなくても自発的に自分ができることをや

ろうとして行動を起こす。それに呼応して協

力する人たちが多数でてくる。

 子供といえど、いいつけられなくても手助

けをしようとする。

 大事が起こるとそれができる力を秘めてい

るのだが、それが普段に出てきたら、凄まじ

いエネルギーとなろう。自分のことばかりで

なく、他を慮ることができる力は一体どのよ

うにしてでてくるのであろう。人であるから

それができるのであろうか。

 身勝手なことばかりやっていた荒木が、自

分を見つめるということに気づいてから何か

が変わってきたと自分でも感じるのである。

不思議に気分が良いのである。変わらなくて

はならないのは自分であって、周りではない

のであると思えるようになってきていた。

 そんな荒木を、親分も村上も感じ取ったの

だといえよう。この地に残って頑張りたいと

いう荒木を残し、彼らは彼等の拠点に戻って

行った。

「儂は、放り出しておくと世間様に迷惑をか

けそうな連中を、何とか一廉の者に鍛え直し

たいと思い、見どころはあっても半端者扱い

されていた者を手許においてきた。表面上は

暴力団に近いような者たちを集めたから誤解

されもしてきたが、お前も知っての通り、正

道から外れるようなことをすることは戒めて

きた。そんな連中の面倒を見ることは資金的

に大変だろうとと気をまわして、どこかで聞

きかじってきた埋蔵金を手に入れようと、荒

木たちが先走ったが、大事に至ることなく収

まったことはよかったと思っている。探し回

る過程で、数馬達に巡り合えたことも良かっ

たと思っている。彼の地に居場所を見つけた

らしいことにも満足している。儂は、気づい

て覚醒すれば、一人立つだけでも国を救える

ほどの人材は全国各地にいるのだと信じてい

る。儂にその覚醒をさせる力が備わっている

とまでは思わないが、そのきっかけになるく

らいはできそうだと今も思っている。

 人は道を究めようとして努力するのは何故

なのだろう。

 昔、剣の修行に夢中になっていた頃、修行

が進むに連れて解ってきたことがあった。活

人剣というものがあるのではないかと感じて

からのことだ。真剣になれば、求める先に理

想の姿があるのではないか」

 村上が運転する帰りの車中で、権藤がしみ

じみ口にした。

 後を継ぐであろう村上に伝えておかねばな

らないことでもあった。自分の身にも何が起

こるかわからないという予感があった。埋蔵

金発見時の、何をするかわからない対抗勢力

というのもあったからである。


 夕刻、琴音が学校から帰宅すると、綾音は

真剣な面持ちで琴音を居間に座らせた。

「琴音ちゃん、私は貴方にお父さんは亡くな

ったとだけ告げて、居ないことの理由にして

いたけれど、本当にお父さんが亡くなってい

たことを、警察署に行ってお母さんが確認し

て来ました。お父さんが居なくなってから長

いけれど、幼かった貴方に、私たち母娘が決

して捨てられたのではないことを説明できな

かったからです。お父さんは帰って来なくな

った日まで、私たちを真剣に大事にしてくれ

ていました。お父さんは山登りが好きで、あ

の日も山に行くと言って出かけました。いろ

いろあったから、私たちのことを思って帰れ

なくなった事情ができたのだと思っていまし

た。きっといつか元気に帰ってきてくれると

信じて、貴方を大事に育ててきました。悲し

いけれど、お父さんは帰ってこられなくなり

ました。でも、立派なご最後を遂げられたと

いうことは、貴方が誇りに思って良いことで

す。先日のことを思うと、貴方はこの日が来

ることを予感してたのですね。この先も不自

由をかけるかも知れませんが、二人で頑張っ

ていきましょう」

「お母さん、私不自由だなんて思ったことは

一度もないわ。お父さんがいないことを、あ

の母娘は捨てられたんだと言う人たちがいた

のも、お母さんには黙っていたけど知ってい

たわ。お母さんは私が悲しまないように、お

父さんは死んだのだと言っていたのも解って

いるの。そんな悪口くらいなんでもなかった

の。真央姉ちゃんも可愛がってくれたし、数

馬兄ちゃんたちも優しくしてくれるし、お母

さんのこと大好きだし幸せよ。早く大きくな

って、みんなのお役にたてるように頑張るか

ら、心配しなくても私は大丈夫だよ。でも、

二人だけででもいいからお弔いだけはしてあ

げよ」親の姿を見て育つというが、よい育ち

方をしていた。

 秘めやかにと思った弔いは、数馬の仲間た

ちばかりでなく、思いのほか多くが訪れて手

を合わせ焼香してくれて終える事ができた。


 変事が起こるとその混乱に乗じ、必ずと言

ってよいほどいかがわしいことを吹聴して廻

る者が現れる。不安を煽って心の隙につけこ

み、自己の利を得ようと目論むのである。

「外宇宙から地球侵略の為に知的生命体が既

に地球上にUFOに乗ってやってきていて、

人類にまぎれ込んでいる。今回の災害は侵略

行為の手始めである。彼らに協力的な者は助

かるが、そうでない者は滅ぼされる。彼らの

味方であるかどうかを判断するのは、このお

札である。」と言って怪しげな模様が印刷さ

れた袋を売りつける者たちが出てきていた。

中身は何の変哲もない木切れである。

 金儲けだけを考えるのであれば、さして被

害が出るわけではないが、それによって混乱

が助長され、人々の信頼関係が崩れるような

ことにまで進めば、その時彼らはその本性を

現し、彼らに都合が良い体制を構築しようと

する。愚民化をはかるには、その扇動の仕方

は効果的であろう。人々の弱さにつけいるの

はさして難しくない。

 人にはそういう側面があるのだという自覚

をもてば防げることであるが、人が自らそう

できるかというと難しい。

 松田は一人で街中を巡回していたのだが、

途中で荒木に呼び止められた。

「松田さん、あそこでお札を売っている奴、

あれ松田さんが前にサイコパスだといってい

た脱獄した奴の仲間です。あいつは下っ端で

そんな知恵はないから、きっと誰かに命令さ

れてやっているのでしょう」

目配せした先に、柄の悪いのが居た。

 荒木と松田の姿を見たのか、そそくさと道

具を畳み、慌ててその場を去って行った。


 縄文時代から続く歴史は、ところどころ途

切れていて、前後の繋がりが悪い。それ以前

にもウガヤフキアエズ朝という王朝があった

という説もあるが、それらは偽書扱いされて

陽の目を見ることがない。真偽以前の問題と

なっている。

 それはそうであろう。勝者の側に都合の良

いものが残り、敗者のそれは抹消される。

 ことの善悪ではなく、そういうことを経て

来たのが歴史であろう。

熊襲も土蜘蛛も滅びた。

 正当性があったかどうかはわからないが、

そういう選択が時々になされてきたのが歴史

である。

 土蜘蛛は、上古の日本において朝廷・天皇

に恭順しなかった土豪たちを示す名称である

とされている。従って全国各地に存在してお

り、単一の勢力の名ではない。土雲とも表記

される。

 また同様の存在は、国栖(くず)八握脛、

八束脛(やつかはぎ)大蜘蛛(おおぐも)と

も呼ばれる。

「つか」は長さを示す単位であり、八束脛は

すねが長いという意味である。

 八岐大蛇・八咫烏・八尺瓊勾玉・八咫鏡・

八ヶ岳・・・八百万の神、やたら八というの

が多い。八方塞がりというのを人は恐れる。

 土蜘蛛は排除されたが、近世以後は、蜘蛛

の姿をした妖怪であると見做されるようにな

ったから、人に対するような痛みをもった記

憶の感覚からは解放されている。

 「つちぐも」という名称は「土隠(つちごも

り)」に由来していると考えられており、該当

する土豪の一族などが横穴のような住居で暮

らしてた様子、穴に籠る様子から付けられた

ものであろうとされている。

 時代を経るに従い、土蜘蛛は物語や戯曲な

どに取り上げられ、日本を「魔界」にしよう

とする存在とされて定着してきたから、更に

罪悪感は薄れたといえる。

 しかしここに来て、今度は蜥蜴の化け物で

ある。人の姿とは程遠いが、知性を備えてい

る。これにどのように対処するべきなのであ

ろうか。

 鯨にだって擁護のためには人を攻撃する勢

力というのがある。

 人類に対する悪意があることは明白である

から、まず彼らに先制攻撃させて、然る後に

反撃するということで対応するということに

なるのであろうか。当然のことながら、先制

攻撃させてから防御するというのは、最初に

人類側に犠牲者が出るということになる。


 穏やかな陽ざしの中に、近しい8人が集ま

って、黄金色に輝く光が風に揺れて流れてい

るのを静かに浴びていた。何を語り合うこと

もなく、また何を話さねばならないというこ

ともなく、周りに溶け込んで全てを受け入れ

ているかのようであった。

 つかの間の和みなのかも知れないが、皆そ

れぞれに気持ちは豊かであった。

 川田は、真央に会うことがなかったら、ま

たその時の松田の存在とその仲間たちに受け

入れられることがなかったら、今の自分はな

かったという自覚が常にある。正義が何であ

るかはわからないが、善なるものと信じられ

るものに触れる機会が人を変えるのだと思っ

ている。

 自分が自分だと思っている通りに周りから

理解されているとは限らない。自分が見て欲

しいと思っている事とはかなりかけ離れてい

て普通なのだが、そのことに気づけることは

少ない。理解されるにはそれを伝える誠実さ

が日頃の行いに伴っていなくては叶わない。

独りよがりに陥っていることが多かったのだ

ということを痛感した経験があったからであ

る。我に返って気づくことができ、勇気をも

ってそれを受け入れれば、立ち直ることはで

きる。

 県下有数の進学校にさしたる苦労もなく合

格できたくらいであるから、知識の吸収とい

うことについては自負するものがあった。た

だ、知っているということと、それを実際に

活用できるということについては大きな差が

ある。自分が誰からも一目おかれる存在なの

だと思い込んで独りよがりであったことは確

かである。

 それが何かはわからなくても、何事かをな

す目的をもって生をうけたことはわかる。生

物の大命題である子孫を残すことであるとか

人類に貢献する科学や芸術に寄与するとか、

精神的救いの道に一大境地を開くだとか、そ

んな大それたことを意識したことはないが、

生きていれば自ずから生まれ出た役目に気づ

き、何らかの足跡は残せるであろうというく

らいの思いが今は僅かにあるのみで、自分が

持て囃される場が提供されて当然なのだと思

っていた昔とは、随分様変わりしていた。

それは誰もが等しく持っているものであり、

川田だけに特別に備わっているものなのだと

いうことではないのだと思う。

少し離れたところから、数馬は皆がくつろ

いでいるのを眺めていた。

素晴らしい絵画か詩歌になりそうな場面で

あったが、表現する方法はないのだと解って

いた。全てそのまま受け入れるしかないのだ

と・・・

 言葉は確かにお互いを知るために必要であ

る。

 しかし、表しきれないものを伝える方法は

ない。無理して表現しようとすると自己の捉

われが生じるし、誤解もそこから派生する。

ありのままがありのまま通じあい、それが共

感できる世界が望ましいのであろう。それが

できないときは、全て我が身に受け止め、身

内に蓄えるしかないのかも知れないと思うの

であった。

人は大抵、その心の中に成功を願っている。

何をもって成功とするか。

 富や財産であったり、権力であったり、芸

事や武術の卓越した練度であったり、学問上

の成果であったり、商売の繁盛であったりと

様々であるが、それが到達点ではあるまい。

それによって何を為そうとするのかであろう

か、そこまでは考えない。

 切磋琢磨して競い合い、互いが向上しよう

とするのは解るが、他と較べて優位にあると

して満足するのでは、目指す先が違う。人は

誰もが同じわけではないし、較べてどうこう

を言えない得手不得手の持ち分というのがあ

る。

 頭脳明晰な人も体力衆に優れている人も、

それとは逆に五体すら不自由な人もいる。

努力できる人もいれば、それができない人

もいて何の不思議はない。

 確かに一番にならなければならないという

分野はあるだろうが、そのことによってそれ

が達成されたあとに何をしようというのが無

くてはなるまい。

 何をなすべきかに気づく人も居れば、そん

なことにお構いなしの人も居る。

 その差は一体どこから生まれ、それが何を

意味しているのかを意識する人は少ない。

しかし、どんな人であったも、何かの折に人

としての優しさを自然に表すことができる。

それなくして人類が生き続けることはできま

い。全ての先達ではなく一握りの人であって

も、それが発現されることをもって、全体が

成り立っているのかも知れない。

 人は育つ過程において、いろんな師から学

ぶ。学ぶとは真似ぶことから始まる。その師

といえど、完全ではなく、学び続けている途

次にあるのであるから、弟子にとって快い教

え方でないことだってありうる。脅したりす

かしたり、後から思い返して弟子が恨みに思

うことだってあるだろうが、それが全てでは

あるまい。自らの努力も当然あってそれらを

乗り越えて成長する。それが学ぶと言うこと

なのであろう。学ぶ側が文句をいうのはあた

らない。

 弟子は一定の域になると、全て良かったの

だとして昇華できる人と、あれが嫌だったこ

れが嫌だったといつまでも捉われていて、よ

せば良いのに他人にもそのことを語る人とが

いる。よせばよいのにというのは、恨みに思

って、いつまでもそれを思い返し掴みなおし

ていると、それがいつまでも抜けない業にな

って、成長を妨げる。自分だって、教える側

になったらできるかどうかわからない。

 負のエネルギーは、現れたらそれは消える

時なのであるから、これで消え去るのだと自

分から手放さないと、傷つくのは磨かねばな

らない筈の自分の魂だけに止まらない。

 全てよしと思えるようになることが即ち成

長なのだと思う。全てを受け入れることがで

きるようにならないと、決して優しくはなれ

ない。言うことや為すことが、人の気持ちに

届かないのである。

それにしても、と数馬は思うのであった。

自分たちの持つ星をも砕く力を使えば、今回

の災害時の土砂を除くことは容易くできたで

あろうに、それを使おうと言う者は彼らの中

に一人もいなくてよかった。

 その力は、まかり間違えば破壊にも繋がり

かねない最後の手段である。その存在が知ら

れれば、言葉巧みにすり寄り、悪用を目論む

者が出てきても不思議はないのである。

 人々が力を合わせ、額に汗し互いに信じあ

って助け合うことを優先しなくては、人たる

の進化を阻害しかねない。

星空を眺めやると、春の大三角と呼ばれる

星々があり、その三角の中に、乙女座という

のがある。

 ギリシャ神話によれば、昔、人間が仲良く

暮らしていた時代は、神もまた地上で人間と

共に仲良く暮らしていた。

 しかし、後に現れた人間たちは争ってばか

りだったので、神々は人の世界を見限り1人

ずつ天に帰っていってしまった。

 最後まで残ったのが正義と天文の女神アス

トライアーで、1人地上に残り人間に正義を

教えていたが、やがて彼女もまた人間に失望

し、自らも天に昇っておとめ座となった。手

に持っているのは希望の種を表す麦の穂。使

っていた正義を計る天秤は、付き従って天秤

座となった。


 日本の神々は、人を見捨てることなく、身

近にいて護っていてくれる。

 日本人の先祖は、プレアデス星団の昴から

やってきた末裔だという説がある。

 遺伝子的にいって、他民族とどうやら違う

らしい。

 それとは別に、2千年程前にその繁栄した

文化が杳として途絶えてしまったシュメール

文化というのがある。

 シュメール人は日本人との共通点が多いの

だといわれるが、確かめようがない。彼らは

ニビルという星からやってきたのだという。

 「ニビル」とはシュメール語で「交差する

星」という意味なのだとか。

メソポタミアで発掘された粘土板には、

「ニビルという星に住むアヌンナキが地球に

きた」と書かれていて、そこから地球に渡っ

てきたのがシュメール人の先祖なのだという

ことらしい。

 どうして、発展していた文化は滅び去って

しまったのだろう。


 地上に善悪があると同じく、宇宙にも善悪

はあるのだという。

 地球は、その善を体現するアクトゥリアン

によって守られているのだという。

 アクトゥリアンは、天の川銀河を統べる存

在であり、地球もその中に含まれている。地

球から33光年ほど離れた星アークトゥルス星

に住む彼らは、五次元世界の生命体であり、

テクノロジー面と精神霊力面の双方ともに、

他のどの宇宙声明種族よりも進化を遂げた存

在だという。

 その星は、春の夜空を代表する星として、

昔から神話となって親しまれている乙女座の

スピカの近くに輝いている。

 アークトゥルスのオレンジ色と、スピカの

青白い色の対比から、アークトゥルスとスピ

カは、夫婦星とされている。アークトゥルス

が男性、スピカが女性である。

北斗七星の柄の部分のカーブを延長すると、

アークトゥルスを通ってスピカへ辿り着く。

これを春の大曲線と言い、アークトゥルスと

スピカ、それに獅子座のデネボラを結んだ大

きな正三角形を、春の大三角という。

 アークトゥルス星人は、否定的な感情とい

うのを一切持たず、慈愛の精神を中心哲学と

して発展できた生命体なのだという。

 しかもそれに留まらず、常に銀河を癒す働

きを担って、星間をパトロールしているのだ

とか。

 スピリチュアル面が非常に発達している為

に肉体という物質的な制約に縛られず、エー

テル体となって自由に時空間・次元間を移動

することができるから、それができる。

 そうして見ると、生命体でありながら同種

族間で互いを攻撃しあうのは、人類だけであ

るように見える。

滅びというのは内部から始まる。

 精神性が高まりアクトゥリアンの域に達す

るまで、人類は持ちこたえられるであろう

か?

 人が、その精神性を高め、宇宙でのバラン

スを取るためには、有害なものが4つあるの

だという説がある。

 1に金、2に政治、3にマスコミ、4に宗

教なのだという。

 現世に生きる我々には多々異論はあるとこ

ろだが、要は本来の目的と違った動きをする

人が居るから、それらが有害であるとされる

のであろう。

 嘘は一旦つかれると、その嘘を隠す為にも

っと大きな嘘を固めなくてはならなくなる。

噂は根拠の無い所から始まり、その根拠の無

さから実態以上に際限もなく膨らむ。

 最初は小さいものであっても、取り返しの

つかないものになりかねないということを認

識していなくてはならない。

 将来に影響を及ぼしかねないそれらの萌芽

を、時に気づいて警鐘を鳴らす人が居たとし

ても、そこで気づいて立ち直れる人が殆どい

ないで時が過ぎていくのが常である。

 混沌の世界が終わりにでもならない限り、

世を糺すことができるような指導者は世人か

ら受け入れられないようにはならない。

 それは世に受け入れられ独裁者に近い絶対

的な指導力を発揮できる者が現れでもしない

限り不可能である。

 即ち、小さな善をこつこつ積み上げて、民

度をあげていかなくてはならないという気の

遠くなるような努力が求められるということ

なのである。人は得てしてそういうところか

らは目を背ける。不満はあっても現状を変え

ようとはしない。いま喫緊の脅威に曝されて

いなければ、現状を改めようとする意識は生

まれない。それをするのは、自分ではなくて

誰か他の人であり、自分はその恩恵に与かれ

ればそれで良しと、無意識のうちに選択して

いるからであろう。

 何か志を立て、一定の成功を収めた人は、

自分がひたむきな努力を重ねた結果であるな

どということを口にすることは滅多にない。

多くの人が支えてくれたことや加護が有った

ことへの感謝をまず述べる。お陰様というの

があってこそ人は生かされているのだと気づ

けるからこそ、成功できる。

 塩崎が、この先どのように動いて行けば良

いのかに対しての困難さを話し始めた。

 地球の歴史は、人類が誕生したといわれて

からでも数万年はある。ミッシングリングと

言われるように、以前にあったと推定される

人類・文明は、跡形もなく途絶え、歴史とし

て認証するには証拠が乏しい。ムー大陸やア

トランティス大陸も消えてしまった。

 天の意識が働いての天変によるものかも知

れないし、或いは、砂漠の砂の中から発見さ

れる核爆発によるとしか考えられない物質を

根拠に、古代に核戦争があったのでは、とい

うような説によるものか解らないけれど、過

去に何度か人類は滅亡したのではないかと思

われる。

 かろうじて有史といえる5千年前からの文

明であっても、それは興亡の歴史でもある。

シュメール、マヤ、アレクサンドロス王国、

ローマ帝国、モンゴル帝国などなど、その全

盛期を思えば「滅亡」など想像もできない。

しかしその現実は、全て滅び去ってしまった

と知れる。

 2千6百年余の長きに亘って「万世一系」

を貫いているのは、全世界で日本のみなので

ある。

 何らかの原因があれば、文明は生まれもし

栄えもするが、滅ぶことも又あるのである。

文明はなぜ滅ぶのであろうか?

 異民族の侵入による戦争、世の乱れからく

る内乱や革命、巨大な自然災害、地球規模の

気候変動、多国間での争いによる共倒れなど

など、原因はいろいろあろうが、つまるとこ

ろはそれらが複合的に作用してということに

なる。人為的なことが原因であるとすれば、

それを避けるための知恵は導き出せそうに思

うが、厄介なことに感情というものがそれを

邪魔する。

 しかも、解決しなければならない問題は単

一平面的なものではなく、巨大な糸球のよう

に複雑に固くからみあっている。

 人類に、その問題解決能力というのはある

のであろうか?どこから手を付けたら良いの

かということに、目途が立ちにくいと心ある

人たちは悩むのだという。

 問題の複雑さが人智を超えたとき、得てし

てそれらの問題は先送りにされ、チャンスを

失って、結果的には為す術もないままに破局

に至るのである。

 人類社会は、大小様々数限りない歯車が互

いに干渉しあって動いている巨大な装置とも

いえるものである。どの一つも他に影響を与

えることなく取り外すことができないから、

総合的判断を下して解決策を取ることが難し

い。

 そうかといって、小さな歯車といえど不具

合を放置し続ければ、いずれは全体を破壊す

る可能性ということを内在することとなるか

ら厄介なことなのである。

 最も簡単な方法として、全てを破壊し最初

から作り直すことというスクラップアンドビ

ルドという天の意思が選択されることが無い

とは言い切れない。

 過去にそれが繰り返されたということが想

像に難くないのである。

 それでも人類が生きながらえてこられたこ

とは、一体どこが認められてのことなのだろ

うか。

 全体は難しくとも、それが家族であったり

友人知人であったり、地域社会であったりす

ると、争いの無い和やかな絆を保ちあえる。

それは何を意味するのであろう。

 公ということを理解しあえる民度というも

のが必須であると思うが、その延長線上にあ

るものは期待できそうである。


 何時の時代であっても、大人たちが「今ど

きの若い者は」という言葉を使うし、それは

次々に繰り返されてきた。若者は若者で、大

人の言うことは信用できない、古臭いやり方

では駄目だと、さしたる経験も実績もないの

に否定することが先に立っての行いに対して

のものである。

 言語もあれば文字もあるのに、互いの思い

を伝え合うこともなしに、悪いのは自分では

なく相手なのだと決めつけあってて来た。

 言葉や文字が伝達方法として不十分だと思

うのなら、それに替わる精神的交流の方法を

鍛えてきたのかといえば、およそそんなこと

はない。奇抜なことをして、解り合おうとす

ることに不真面目なのだとしか言いようがな

いことすらある。

「知らない人とは口をきいてはいけません」

というのも、何の解決策にならない。

教育者というのがそれを主導するというの

では、本末転倒であろう。


 花の香りが漂った。少し離れたところで花

を摘んでいた琴音が、何時の間にやら傍らに

来て坐っていた。

 琴音はどんどん透き通っていくように数馬

には感じられていた。

「数にいちゃん、ゆうべ真央姉ちゃんと会っ

たの」

「琴音ちゃんにはもう見えているんでしょ」

「うん、遠くの星が、地球に向かって動き始

めたこと?」

「そうよ。まだまだずっと先のことかも知れ

ないし、それとも余り残された時間はないの

かは判らないわ。でも、何か改めなくてはな

らないことに気づけと言っているように思え

るの。まだ小さな琴音ちゃんにそれをお願い

するのは可哀想だと思うのよ。でも、みんな

の目になって欲しいの。先には危険があるか

も知れないから心苦しいんだけど」

「お姉ちゃん、それはいいの。お姉ちゃんが

守ってくれなかったら、琴音はあのとき死ん

でいたのかも知れないんだから。みんなのこ

と大好きだし、お母さんだって賛成してくれ

ると思うわ。お母さんはみんなに助けられて

いると感謝しているもの。それよりもずっと

前の小さかったころから、浦安の家は、そう

いうお役目があるのだといつも言われている

から平気よ。心配しなくても大丈夫」

「そう、ごめんね。お願いするわね」

「数にいちゃんにはお話ししておいた方がい

いの?」

「いいえ、数くんはもう気づいていると思う

わ」そう言い終えて、真央は意識から去って

いった。

「どうした?琴音ちゃん。遠くからやって来

る星のことかい?」

「うん、そうなんだけど、真央姉ちゃんは、

数兄ちゃんはもう知っていると思うよと言っ

てたわ。それとは別にね、学校でみんながや

ろうと決めたことがあるの。クラスメートな

のに、お互いが話もしないのは変だというこ

とになったの。きっと会っても挨拶も交わさ

ないからじゃないかってことになったの。話

をしあえばお互いがもっと仲良くなれるわ。

そうすることで友達を増やそうというわけ。

友達の友達作戦だっていう子もいて、みな大

賛成だったの。クラスメートだけじゃなくっ

て、知ってる人に会ったら、挨拶しようって

ことになったわ。笑顔で挨拶すれば、優しく

してくれるようになる。知ってる人に悪い事

をする人はいないから、そうしようって。誰

もがにこにこしている顔が浮かんでくるの」

親しい人に仇なすことをしようとする人は少

ないであろう。

 自らを閉ざし過ぎて、他との関わりを避け

ることで得るものは限られる。自己の中で完

結するなら自由であると言えなくもないが、

いつの間にか他人に冷酷でいられるようにな

ることがないとは言えない。

 他を理解し、自らも認められるという相互

間の穏やかなつながりなくして、社会は存続

しがたい。それを阻む問題が多すぎるのかも

しれないが、挨拶もしないで避ける理由には

なるまい。


 数馬達が街に出るようになったことで、与

太者が影を潜めるようになってきているよう

には見えるが、彼らが数馬たちの力を恐れて

だけのことであったら意味はない。

 人類普遍の願いは、大いなるものの意識と

合致しているのであろうか、それとも何らか

の篩にかけられることになるのだろうかによ

って違ってくる。

 目に見えない物は信じない。科学で証明さ

れないことは排除する。しかし、それでもな

お体や心が感じてしまうものがあることまで

は否定しきれまい。無いことを証明すること

は難しい。

 宗教上から来ているかどうかは別にして、

我が国には長い歴史の中で育まれた独特の死

生感というか来世感が意識の根底にあって、

自らを律することが自然にできている。

 これはどこからきて、そのように考えるに

至ったのであろう。

 先のことを考えて、手立てが思い浮かぶも

のやら判らないまま、模索は続いていた。

 夏風越のというのは、次に青嵐という言葉

に繋がる。嵐によって鍛えられ磨かれること

というのは有る。

 青とは何なのだろう。青には緑もそこに含

まれる。

 怪奇現象が起こっていた。権現山で斃し葬

った筈の蜥蜴人間が次々に再生し、息を吹き

返して立ち上がって来ていた。

 鬼ともいうべき存在であり、それは退治す

ること能わざるものなのだろうか。

 一般的に知られているのは、赤鬼と青鬼で

あるが、他にも緑鬼、黒鬼、黄(白)鬼がい

るのだと言われる。

 意外なことに、日本語は元来色を色として

表現する言葉がなかったのだとされている。

光と影から色の感覚へと移り、そこから知覚

が進化したのだという。基礎的な色彩は、シ

ロ・クロ・アカ・アオから始まる。

 明(あかし)が赤、暗(くらし)或いは玄

(くろし)が黒、顕(しろし=はっきり見え

る)が白、漠(あおし=ぼんやり見える)が

青、ということだったと学者はいう。

 しかし、自然色彩が豊かに移り変わる中に

生きてきた日本人が、色から離れての感性の

ままでいられたわけがない。

 殊に、太陽を神と崇めることから、赤とい

うのは大きな意味を持っていたに違いない。

時代が下るにつれ、一口に赤といっても、そ

れは50種類にも及ぶ染料を作り出し、その

一つ一つに名前が付けられた。

その他の色も様々作り出したことは当然で、

庶民の中にもそれらの色は広まったようであ

るが、江戸時代に入ると奢侈禁止令などが出

されたりして、身分によっては使えない色が

できた。するると庶民は工夫して、使える色

の中での種類を増やした。

 利休鼠などは有名であるが、四十八茶百鼠

とか、藍四十八色と呼ばれるように、色彩感

覚がすぐれていないと区別できないものを沢

山作り出され使い分けられた。

 全ての色にそれは及んだであろうから、日

本における色彩に名前がつけられた語彙数は

300~500にも及ぶという。


 鬼というのは古事記の記述によると、黄泉

の国に存在していたのだと思われる。

 伊邪那美が子を産むのによって死した後、

悲しんだ伊邪那岐が黄泉の国に妻を訪ねたが

既にその姿は変わり果てていた。

 それに驚いた伊邪那岐が現世に立ち戻ろう

としたが、醜い姿を見られた女神は怒ってシ

コメ軍という黄泉の国の鬼共を呼び集め、男

神を追いかけて捕えよと命じた。

 男神は十拳(とつか)の剣を抜いて後手に

それらを振り払いつつ黄泉比良坂(よもつひ

らさか)とう所まで退いてきたところ、見る

とそこに大きな桃の木があって桃の実が沢山

なっていた。男神はその桃の実をとって鬼共

めがけて投げつけられたところ、どうしたこ

とか鬼共は頭をかかえて一目散に逃げ帰って

しまった。

 桃の実のおかげで危難をまぬがれることが

できたので大層喜ばれ、桃の実に大神実命

(おおかむづみのみこと)という御神名を賜

ると同時に、これから後の世の人々が若し私

の様な目にあって苦しむことがあったら、お

前行って助けてやってくれよ、とお頼みにな

られた。

 後に、其の桃の実が桃太郎に生れ変って来

て人々を苦しめる鬼共を退治する話が生まれ

ることになった。

 桃太郎は、人々を苦しめる鬼を征伐する決

心をしてお爺さんお婆さんに話しますと、大

賛成して、早速、きびだんごを兵糧として沢

山作って持たせてくれた。

 桃太郎はそのきびだんごを袋に入れて腰に

さげ、日本一と書いた小旗を立てて勇んで家

から出掛けた。

 途中で伴としてつき従ったのが、犬・猿・

雉である。

 鬼門は、鬼が出入するといって忌みきらう

方角で、東北(うしとら)の方角である。

 これは「陰」であって「陽」にあたるのが

南西(ひつじさる)の方角である。うしとら

に住む鬼を退治するには、対極の「陽」に位

置するものでなければならない。そこには、

さる・とり・いぬが並んでいる。鳥のなかで

雉子が入ったのは、よく闘う鳥とされている

からであろう。

 猿は面白き者、犬は愛らしき者、雉は美し

き者として知られ、猿、犬、雉は三徳の智仁

勇にも擬せられている。

 鬼たちとの戦いは、その持ち分を生かした

連携作戦であり、流石の鬼共も降参した。

「もう決して悪いことはしません」と改心し

た印に、貯め込んだ宝物を全部さし出した。

それが、金銀珊瑚綾錦ということになってい

るが、最重要なのは改心ということである。

しかし、改心というのは長くは続かない。

 悪心というのは、直ぐにまた頭をもたげる。

崇めるとは、崇高という字が示す如く、けだ

かく尊いこと。また、そのさま、と辞書には

あるが、美的概念も加わるようである。

「崇」は、そもそもが高い山の意味。「祟」

とは文字が違う。

 その「祟り」とは、神仏や怨霊(おんりょ

う)などによって災厄をこうむること。

 罰(ばち)・科(とが)・障りと同義的に

用いられることもある。

「山の神の祟り」などのように、行為の報い

として受ける災難などを普通には表す。

「悪口を言うと、後の祟りが恐ろしい」など

のようにも使われる。

 しかし、「祟」という字は「出」と「示」

からなり、もともとは神が出てきて、雷や洪

水など何らかの自然現象を起こすことで、人

間に祭るように示すということを意味してい

る。

 即ち、突然大きな災害をもたらすというこ

とはなく、小さな変化を起こすことで、気づ

きを促がしているのである。いつまでも気づ

かないでいれば、わかるようにするため大き

な現象を起こす。

 気づいていても気づかない振りをして過ご

していればそうなる。


 6千6百年前、山ほどもある直径12キロ

メートルの小惑星が、時速およそ6万4000キロ

から7万2000キロの速さで地球に向かっ

ていた。

 それはメキシコのユカタン半島を直撃し、

直径170kmの「チクシュルーブ・クレーター」

をその痕跡として残した。マヤ語で「悪魔の

しっぽ」という意味のチクシュルーブ谷の近

くに存在している

 ほんの束の間、太陽よりもはるかに大きく

てまぶしい火の玉が空を横切った一瞬の後、

小惑星は推定でTNT火薬100兆トン分を超える

規模の爆発を起こして地球に激突した。

 50メガトンの水爆20万個に当たるエネ

ルギーである。

衝突の衝撃は地下数キロに達し、直径185キ

ロ以上のクレーターを作り出し、大量の岩を

一瞬にして蒸発させた。連鎖的に地球規模の

大災害が引き起こされ、生物のおよそ99パ

ーセントが絶滅し、繁栄していた恐竜も姿を

消した。

 衝突の9秒後、それを観察できる距離にい

た者は、熱放射によってあっという間に焼か

れただろうし、木や草は自然発火し、周辺に

いるすべての生物は一瞬にして全身にひどい

火傷を負った。

 火の後には洪水がやって来る。衝突の衝撃

は、最大305メートルの巨大な津波を引き起こ

し、1200キロに及ぶ地域を飲み込んだ。

マグニチュード10.1と推定される地震の規模

は想像を絶する。

 このときに生成され降り注いだ地球外物質

イリジウムを含む岩屑は、全世界を覆い、今

も黒い地層となって各地で発見される。

 隕石は超速度で落下しながら燃え上がり、

非常に熱くなっていた一方、岩屑は低高度か

ら大気圏に再突入し、ゆっくりとした速度で

赤外線を放射しながら落ちてきた。赤い光が

消えた後には、地球をめぐる灰と岩屑が日の

光を遮り、空は暗くなった。その後を生きる

には厳しい環境が続いたに違いない。

何らかの意思が働いて、弱肉強食を繰り返

す恐竜の世界は潰えたのだろうか?

 僅かに生き残った動物と植物がその後に進

化して、今の地球があるのだといえよう。

 人類は、哺乳動物の中の霊長類に分類され

る生物である。その霊長類が出現したのは、

今から約6500万年前、恐竜が絶滅する少し前と

いわれている。

2500万年前から700万年前の、類人猿に良く似

た動物はアフリカやユーラシア大陸で広範囲

に渡り分布していた。

 木の上で生活し、木の実などを食べて暮ら

していたが、やがて2500万年前くらいになると

木から降りて生活するようになった。

これは、当時の地球で雨の量が全体的に減少

し、森が少なくなったためといわれている。

食事も、木の実から草原に生える草の実や根

っこへと変化していった。

500万年前、人類と類人猿が分れた。つまり、

この頃から人類は他の動物とは異なった独自

の進化を遂げ始めたのである。人類は進化す

るにつれ多種多様な道具を使うようになり、

脳の容量も増えていった。また、顔や歯はだ

んだんと小さくなっていった。

 人類の進化は、アウストラロピテクスと呼

ばれる猿人に始まる。彼らは400万年前、断片

的な証拠では500万年前に現われ、150万年目に

は姿を消してしまった。

 アウストラロピテクスは、直立2足歩行を

するようになった初めての生物であった。

彼らは脳の大きさや歯、顎の形によって4種

類に分類される。

 アファレンシス、アフリカヌス、ロブスト

ゥス、ボイジイである。いずれもアフリカの

南部、東部で暮らしていた。

 アウストラロピテクスの後に登場したのは

ホモ・ハビリスであった。

 ホモ・ハビリスもアウストラロピテクスと

同様、猿人の分類である。人類はアウストラ

ロピテクスとホモ属、2つの種類の祖先から

進化してきたと考えられている。

 ホモとは“ヒト”という意味である。ホモ属

はアウストラロピテクスの中のアフリカヌス

から200万~150万年前頃に進化したといわれ

てはいるが、まだはっきりとはわかっていな

い。

 ホモ・ハビリスは、東アフリカの各地で生

活し、石器を使用していた。この名前ホモ・

ハビリスは、“器用なヒト”という意味であ

る。

160万~150万年前には、脳が大きくなり、歯

が小型になったホモ・エレクトゥスが現われ

た。原人とも呼ばれる。

 ホモ・エレクトゥスも、はじめはそれまで

のヒトの祖先と同じく、アフリカの東部と南

部だけで生活をしていたが、100万年前くらい

からユーラシア大陸へと移動していった。

 中国の北京原人、インドネシアのジャワ島

のジャワ原人などは、ホモ・エレクトゥスの

分類である。技術の面でもそれ以前のものよ

りはるかに発達し、様々な石器を初めとする

本格的な道具の製作が行われるようになって

いった。

また火を使用していたことも確認された。

このように、ヒトの活動は次第に効率的で、

複雑なものへと変化していったのである。

 30万~20万年前に、ホモ・エレクトゥスは

ホモ・サピエンスへと進化した。旧人と呼ば

れる。

 ホモ・サピエンスは“知性あるヒト”とい

う意味で、彼らは当時の厳しい氷河期の中で

も効率よく食料を獲得することができた。

 また人類史上初めて死者に花を添えるなど

して弔う習慣ができた。しかしこの頃の進化

はゆっくりと徐々に進んでいったために、ホ

モ・エレクトゥスの最終期とホモ・サピエン

スの初期との区別ははっきりとはつけ難い。

また、同じホモ・サピエンスの中でも進化が

行われていった為、初期のホモ・サピエンス

と現生人類は見かけがかなり異なっている。

そもそも現生人類が初期のホモ・サピエンス

からそのまま進化したものかについてはまだ

はっきりとは判っていない。

 特にネアンデルタール人のことが問題とな

っている。

ネアンデルタール人は、10万~3万5000年前

頃ヨーロッパや中東の各地で暮らしていた採

取狩猟民である。

 体つきはずんぐりとしていて身長は160cmく

らい、筋肉隆々で体重は100kgを越えていたと

いう。顔は低頭で大きく、顎の先端が未発達

など、現生人類の祖先とみなすにはあまりに

も原始的だといわれている。そのためネアン

デルタール人は人類の進化から枝分かれをし

絶滅していった種だという説もある。実際ネ

アンデルタール人の姿は約3万年前、現生人

類の初期の人々、クロマニヨン人と入れ替わ

るようにして消えてしまった。

 そのことから、旧人たちはより高度な文明

を持つ現生人類によって滅ぼされたという説

が出てくるのである。

 2万~1万年前の氷河時代末期になると、

もはや現生人類と変わりのない特徴をもった

人類が世界各地に現れてくる。彼らはまとめ

て「新人」と呼ばれ、日本で言えば縄文人や

弥生人である。

 彼らは金属を使用するようなる。そして約

1万年前に今の私たちができる過程において

欠かすことのできない出来事が起きる。

 農耕革命である。人々は植物を栽培し、動

物を家畜化するようになった。

 その後、様々な文化、技術を得、産業革命

などを経て今の私たちがいるのである。

 仮に、人類が誕生して1万5000年、1

世代100年として単純計算しても、150

代ということになり、実際の人間の寿命はも

っと短いから、何百世代にもわたって生まれ

変わりつないできた命の系脈があるというこ

とになる。

 そのことに思いを致せば、個々人の持って

いる短い時間スケールでものを考えるわけに

はいかない。より良い形にして次世代につな

いでゆく責めを負わされているのだと意識せ

ざるをえない。

 さあどうする?そんな大命題に立ち向かえ

るほどの知恵はない。さればこそ、むかしの

人は神と共に在ろうとした。

 人は全てが善良であるとは信じがたい。宗

教の名の下に、邪な心を持つ者たちによって

蒙を積み上げてしまった歴史というのも現実

的には有る。

困ったときには基本に帰る。

数馬と松田は剣を、河尻は槍、福島は弓を、

その修行時代を超える程一心不乱になって、

さらなる極みを目指した。

 塩崎は図書館に籠りきりになった。ページ

をめくる速さで読むもの全てが頭に入るのは

変わらなかったが、そのページをめくる速さ

が倍ました。

 川田は街に出る。情報を集めて整理するこ

とに勤しんだ。

 琴音は相変わらずである。他人からは見え

ない真央と一緒に森や林に出かけ、花を摘ん

だり小鳥たちと歌をうたったり、遠くの山や

空を眺めながら光を一杯浴びて過ごす。

 さらに全身を光り輝く輪が覆ってきている

ように見えるようになってきていた。


  第11部 完


 第12部


 人には如何とも為しがたいものがある。

 それらはいろんな関わりの中での想念とな

って現れ、それに捉われ精神を苛まれる。

 外に向ける想念が強ければ攻撃的になり、

内に向かえば鬱状態となって、そこから抜け

出せないから、それが原因となって長く続い

てしまうと「業(ごう)」というものになる。


 人は誰も、今更悔やんでも取り返しがつか

ないような過ちを犯してしまってもいる。

誤った想念や行動は、ある日突然「苦しみ」

となって自らの身の上に現れる。

 原因となることがあって、因果の法則が働

いているということであるから、身に覚えが

ないといってばかりもいられない。覚えはな

くとも、過去世の過ちが今表れたのかも知れ

ないからである。

 苦しみとして表れたとはいえ、表れたとい

うことは消えるということであり、それは消

すことのできるチャンスとなりうるのである

から消し去らねばならない。

 折角消える為にあらわれたのに、それを新

たに掴みなおしてしまうから、業として更に

強まり、いつまでも残り続ける苦しみとなっ

てしまう。それに自分では気づけないという

のも人である。

 大いなる意思(神様といってもよいかも知

れない)は、人間にそんな苦しみをいつまで

も負わせ続けるわけがない。

 何故なら、大いなる愛であり大いなる慈と

しての存在が神だからである。

 ではどうしてその苦しみから抜け出すかと

いうことになるが、それがどんなに自分勝手

なことなのかとは思わないで、現れたからに

は必ず消え去ると信じ、先ず自分を許す。

 自分を許すのだから他人も許す。それが公

平ということである。そうして自分を愛し人

を愛す。以後、愛と誠の言行を為し続けるよ

うに努力する。


 日本には昔から「禊」という風習がある。

自然に身に付いた知恵なのだと思えてならな

い。知らず知らずにについてしまった罪穢れ

を、纏めて浄めてしまうのである。

更に言えば、他に正月という行事がある。

過ぎ去った1年間のもろもろを、リセットし

て、新たに始めるための手続きとして考え出

された知恵なのだと思う。

 一年のまが事をチャラにしてしまおうとい

うのだから、随分勝手で都合の良いことでは

あるが、そうでもしない限り、いつまでも引

きずるものが貯まってしまって、身動きが取

れなくなる。

 捉われから抜け出すためなのだと思えば、

意味が深いことを、長きに亘って培ってきた

のである。

 地球上には870万種以上の生物が存在すると

いう。予測によれば、動物が777万種、植物が

29万8000種で、これまでに発見・分類された

のは動物が95 万3434種、植物が21万5644種に

とどまっている。

カビやキノコなどの菌類は約61万1000種で、

このうち既知のものは4万3271種。アメーバー

等の原生動物は約3万6400種だと言われるが、

海陸に住む生物の全てが判っているわけでは

ない。

 種類は動物の方が多いということになりそ

うだが、実感としては植物が地上に占める割

合は9割を超えているように見える。

 地球上のそれらの生物と鉱物を支配してい

るのは、どう考えても数パーセント以下に過

ぎない人類である。

動物と人類を分けるものとは何なのだろう。

本能だけではないのは確かである。

 人は、言語というのを介して、横への広が

りを持つことができるし、文字を有している

ことで、経験したことを次代につなぐ智慧を

積み重ねることができる。言語を使うことで

思考を可能とするし、意識したことを現実化

することもできる。

 それは善なるものとなるべき筈のものであ

ったが、何万年もの時を費やしながら、その

理想を現出するまでには至っていない。とも

すれば、互いを傷つけ合いもする。

 自分が正しいとしていてばかりで他を受け

入れることができなければそうなる。

 論理的に考えて誰もが納得できるような社

会を創り出すには、まだまだ脳内の整理がで

きていないということになる。

 意識が凝り固まった者同士では、共通項を

導き出すことができず、いつまでも平行線を

辿って争いを繰り返す原因となることに気づ

こうともしない偏狭さから人が抜け出せない

のは、如何なる性というべきなのだろう。

 初めに言葉ありきというが、それがどうい

うことかを考えたこともなく過ごしてきた。

 人間の関わるこの世界は、言葉が最初にあ

った。

どう考えてみてもそうなる。

 言葉というものには文法というものがある

ことで、単なる唸り声や威嚇のための咆哮や

いわゆる擬音語と一線を画す。

 体系だった言葉というものを解する脳内の

構造というかOSとも言えるものが、最初か

ら備わっており、それに乗せる言語というソ

フトを最初に人に教えた存在があったのだと

考えないことには、人類というものの説明が

つかない。

それは誰だったのだろう。

 人種あるいは民族の違いにより使用言語に

差があるとはいえ、その人種に共通して理解

できる言葉を最初に教えたのは誰なのだろう

ということである。

 更に言えば、他人種の言語であっても、そ

れを習得して使いこなせる能力を保持してい

るのも人類であることを考え合わせれば、少

なくともOSはあった。人以外の動物にはそ

れがない。

 思考は言葉によってなされ、その思考はす

べてこの世に具現化される。

 道徳感とか倫理観というものは後から形成

されたように思えるが、それも最初から用意

されていたものなのではないのか。

 日本語では、それが「いろは48文字」で

表される。音読みすると、奇しくもヨハネ

(48音)となる。別段キリスト教に結び付

けたいということではない。言語というもの

は、初から人類に備えられていたのだという

ことだと思えてならないのである。

 呪文というものがある。

 そもそもが、呪文というのは意味が解って

唱えるものではないが、言葉というものが全

ての始まりであるという認識がないとそれは

理解できない。

 言葉を発することで望むことを叶えようと

するのである。

 初めに言葉ありきというのは、そういう意

味であり、いうなれば神様ごとに入るには理

屈ではなく言葉からであって、そこが解らな

いことには進まない。

 幸せになりたかったら、叶えるために唱え

る呪文は「宇連志多能志安利可多志(ウレシ

タノシアリガタシ)」である。良い言葉だけで

言祝がなくてはならない。

 人の現状は、苦しさであれ楽しさであれ、

その人のありように釣り合っているから、縁

を得てその人の身に現れる。悪い言葉は、悪

い結果を導く。

 現れたらそれによって気づけということで

あり、気づいたら次にどうするかということ

になるのだが、不平不満グチを言葉に出して

言うなどは、人としてもってのほかのことに

なる。自らのみにとどまらないで、周りをも

巻き込むからである。

 折角現れたことで消え去る機会を得られた

というのに、その苦しみを掴みなおしてしま

うことで、それが業(ごう)となって自分の

周りをまわることになり、更にはもっと深い

苦しみとなっていくとしたら、負の言葉は口

に出さない方が良いということでもある。

 何故なら、そういう時に吐く言葉には毒が

あるからである。言葉は現実化する。

 悪い想念で悪い言葉を口に出していると、

それは全て自分のこととなって降りかかる。


そういう人達の特徴は、自分のことばかり

を言っていて、人の言うことは聞かない。

場合によれば身勝手である自分のことを、

解かってくれないと言って、関係ない人ま

でを責め立てることすらする。

 不平不満グチ文句ばかり言っている人が居

たら、関わり合いを避けた方が良い。そうい

う人は友達でも何でもないから、離れること

に躊躇う必要はない。さもないと、自分の善

なるエネルギーを全て奪われることになる。

縁なき衆生として見極めるという事である。

そのときにも唱える呪文も「ウレシタノシア

リガタシ」である。縁なき衆生であっても、

良い気づきがあらんことを祈るのである。

言祝ぐ(寿ぐ)とは何か?良い言葉を口に

出すということである。

 では良い言葉というのは何かということに

なるが、それは自分のことばかりではなく、

周りとのバランスが取れた言葉ということに

なる。それは論理的に矛盾のない言葉という

ことにもなる。


 数馬を取り巻く各所で、優れた才能を発揮

する人が増えてきている。彼らの自らの学び

の結果であると思われる。

 よく、弟子は師の半芸に至らずということ

が言われるが、それとは逆に出藍の誉れとい

うことも言われる。

 青は藍より出でて藍よりも青し。青色の染

料は藍の葉から取るが、もとの色よりも美し

くなることから、弟子が先生よりすぐれるこ

とにいう。

それは師を越えたということで、師を疎か

にして良いということではない。師があった

からこそ、その境地に達することができたと

いうことであって、良いものは何時まで経と

うが、先人の教えの上に積み重なって培われ

伝承されていく。

縦の繋がりがあってこそ発展できる。

 それと同時に横の繋がりというものもある。

 人は、自分以外すべて師であるという謙虚

さがあって成り立っていく。

 即ち、個だけで世界をつくることはできな

いということである。お陰様とは、そういう

ことなのであろう。

 さて、人類普遍の幸福とは何であり、どう

やってそれを滅びが来る前に達成しようとす

るのか。

 先に進むに険しいとはいえ、人類が積み重

ねてきた知恵は、具現化するためのパーツと

しては、もう全て揃ってきているのではなか

ろうか。

 できることなら、神なるものがなす前に、

人が為すべきことをなすことを、大いなる意

思は望んでいるに違いないと気づく人が増え

続くことが望ましい。


そのような光の筋が、感じられるようにな

って来ていた。


   第12部完






 これにてひとまず筆を置くことにします。

 長きに亘ってお付き合い下さり

 誠に有難うございました。


          ==完==


作者:百神井 応身(シャクジイオウシン)

Mail : take@kng2321-cbs.com



童話のページ

http://www.kng2321-cbs.com/douwa.html

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夏風越しの(なつかざこしの) @SyakujiiOusin

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