夏風越しの(なつかざこしの)

@SyakujiiOusin

第1話第1章から12章まで

         夏風越の(なつかざこしの)

                             百神井 応身


 信州飯田の背面に、風越山と呼ばれる山がある。越すというのは、なにを意味する言葉なのであろうか。近頃は、「ふうえつざん」と読むことも多い。


 春爛漫である。揺れ動く風に乗せて校庭脇の枝垂れ桜が、花びらを夥しい便りのようにして、新入生たちの頭上に天もがこの日を祝っているかの如く降りそそいでいた。

 よく晴れて暖かな校庭での入学式典が終わり、それぞれの教室に引き上げる列の両側には、部活動への勧誘のための上級生たちが並び、これと目をつけた新入生を取り巻いて、盛んに入部を誘うというよりは半ば強制的に迫っていた。

 そんな中に、長身白皙、静かな雰囲気の生徒がいて、剣道具を身に着けた堂々たる体躯の四~五人に囲まれていた。

「お前、剣道部に入れ。」「・・・」「わが部は、インターハイで度々優勝を果たしている伝統ある部だ。お前は見所がある」有無を言わせぬに近い勧誘であった。 何をもって見所と言っているのかの説明はない。

 その傍らを、琵琶の木刀を肩に担いだこれも新入生が通り抜けながら嘯いた。

「腕を見てから返事をしたほうがよいぞ」あからさまな挑発であった。

 これを聞いた部員たちが色めきたった。

「なにっ!生意気な。ちょっとこっちに来い」

「ふん、これしきで気色ばむようじゃ、腕のほどは知れたものだ」

 言い放つと同時に、肩に担いでいた木刀で無造作に空を縦に薙いだ。木刀とも思えぬ、空気を切り裂く凄まじい刃音であった。

 先輩たちとの間に音を立てて落ちてきたものがあった。先程らい空高く弧を描いていた鳶であった。

 気勢を殺がれたというばかりでなく、格段の腕の差を見せつけられた思いで先輩たちは青ざめた。

 入部を迫られていた数馬は、どこかで以前に確か見たような光景であると思ったのである。風に溶けたかのように遠く霞んだ記憶であった。同時に、自分の名が数代を繰り返して午年に生まれたからついた名なのかと、なぜかふとそんな思いが頭に浮かんだのでもあった。

 後に、彼が数馬に語った。「校門の前の石垣を組んでいる石屋が、でっかい石をハンマーの一振りで真っ二つに割っているのを見たことがあるだろう?」「うん」「あれと同じさ。石屋は石の目を読んでそこにハンマーを当てるし、俺は風の目を読んで、そこに木刀の刃先を入れるだけのことさ」

 青嵐に山々が揺れ動くのは、まだまだ数ヶ月は先のことである。


 信州飯田、堀大和守一万七千石の城下町は朧月に濡れてボウと滲み、辺りは総てひっそりと眠っているかに見えた。十代親寚(ちかしげ)が外様ながら幕府の要職につき、若年寄としての功によって加増を受け二万七千石となったのも束の間、老中格として水野忠邦の「天保の改革」を助けたという失政の責めにより減封され、現石高となったのである。

 十一代親義の元治元年、遠く北の地で、三月末に争乱が勃発した時節柄でもあり、余人にはそれと知れずとも、微かに異様な気配が運ばれ映っているかの如き妖しい光を月に感じとって、隼人は眉を顰めた。

「うむ、六回か。随分手加減したな。それでもそなたが居れば何が来ようと心配あるまいよ」白髪白髭、藜(あかざ)の杖を片手に仙人然、傍らに並んで静かに佇んでいた庄兵衛が呟いた。目の先、肩の高さほどに撓った竹の葉先から、夜露がキラッと光って地面に落ちるまでの間に刃を切り返してその露の粒を斬リとばした回数を言ってみせたのである。

 刀が鞘を離れたわけではない。気合だけのことではあった。

 背後に暗く迫る風越(権現)の山の端が翳んでいた。

 余談ではあるが、仙人の杖というのがある。ご存知の通り、杖頭が瘤になっているものであるが、藜という1年草から作られる。

 藜は、新芽のころにはお浸しなどにして食用にもできる雑草で、夏には背丈以上に伸びて葉を繁らす。秋になって根ごと掘り上げ、髭根を切り枝を払って幹を磨き、長さを整えて瘤状の根を上にして杖とする。軽くて丈夫である。


 何事も無く一夜が明けると、天竜の川からは朝霧が立ち上り、辺りを蒙と包みこんだ。

 この川には「かわらんべ(河童)」が棲むという。これにシリコダマを抜かれると命がなくなるというが、憑かれると大きな鼾をかくようになり、人の言うことを聞かなくなるのだと言われる。取り憑かれた者は、見る人が見れば、すぐにそれと知れるのだともいわれていた。身体が青黒くなるのである。


 程なくしてお日様の強い光に霧が突き払われると、座光寺の里は春霞む天竜川の段丘上に、昨日と変わらず茫と浮かんでいた。天に桜の紅、地に菜の花の黄色、揺らめく景色を分けて吹き抜ける微風は、香りを乗せて肌に心地よかった。

 そこここに色鮮やかな草花が、眩いばかりに光を跳ね返している。名はあるのであろうが、派手な主張をしない花は、いかに美しくとも一括りに雑草扱いされる。

 そこから坂道を四半里ほど下れば、古刹元善光寺がある。推古天皇十年、麻績の里(座光寺)の住人本多善光が、難波の堀から一光三尊の仏像を拾い上げ、これを本尊としてこの地に迎えて臼の上に安置した。その後、皇極天皇の時代に長野に遷座したが、霊験あらたかであり、長野と座光寺の双方の善光寺にお参りしないと片参りであるとされる由縁がこのあたりにある。

 近隣に限らず、参拝する善男善女からの篤い信仰は、根付いて永い。

 緑なす草々のそこここに、今を盛りと群れ咲く蒲公英の帯を裂いて、三州街道が黒田の里をよぎり飯田の城下へと白く続いている。

 三州街道(上街道)は、中山道の脇街道として中馬で荷駄を運ぶ通商の道であり、別名伊那街道とも呼ばれ、信州と三河を結び栄えた。

 中馬とは賃場の転訛であるが、宿場で馬を乗り継ぐ伝馬と異なり、街道を通じて馬を乗り変えない方式であった。

 隼人は、一本杉のもとに祀られた山の神の祠前から、座光寺富士とその地で呼び慣らわされている一二七〇米の山を背に、大門原を下り、その三州街道を飯田長姫城下に向かって平安城相模守を無造作に佩き、着流しの裾を僅かに閃かせながらゆっくり歩を進めた。

 途中、何人かの旅人に追い越され行き違いしたが、一見なんでもなく見えて、腰の据わり足運び目配りに、隠しても隠しおおせぬ雰囲気をまとった旅人たちに出あった。


 その昔、白羽の矢が立ったという厚い藁葺き屋根を持つ家が建つ上黒田の付近に差し掛かったとき、突然ヒョウと空気を切り裂く音がして、隼人めがけ一筋の矢が飛来した。

 隼人に矢を射たてるのは至難の技である。弓弦の音の方が先に届くというばかりのことでなく、視野が桁外れに広い上、毛先ほどの気配があれば、仮に暗闇で目を閉じていてであっても、身を躱すことは苦も無くできる。

 わずかに肩を捻り、およそ緩慢としか見えない動作で懐手を抜くや、飛び来たった矢柄を掴むと、矢の飛び来た方向を見やるでもなくその矢に目をやって、隼人はかすかに頬を緩めた。何を意図しての射かけなのかは、わからぬ。ご丁寧にもこの地に因んだのか、それは白羽の矢であり、何故かその白い矢羽根の一部分が切り取られていたのである。


 白羽の矢に始まる岩見重太郎の狒々退治伝説に語り継がれたあらましは、こうである。

 風雲急を告げる戦国時代の末のころ、暮れなんとする刻限に中山道の脇街道である三州街道を、上方目指しているらしき旅の武士があった。この上黒田の辺りに差し掛かると人だかりがあって、中に憔悴しきった老夫婦と若い娘が肩を寄せあって泣いていた。

「おお、なんといたわしや。真面目一方できたわしらが、どんな悪いことをしたというんじゃ。神も仏もないものなのか」娘を掻き抱いて身も世もなげに嘆いていた。

「お父、お母わしゃ行きとうない。そいだけど、わしが行かなきゃ代わりがあるわけじゃなし。わしの身が役に立つんならしかたないずら。でも、おっかないし・・・」

 今年は、この家の屋根に白羽の矢が立ったのだという。矢を射たてられた家は、その家の娘を人身御供として差し出さねばならない仕来りであり、さもなくば全村に災いが及ぶというのである。それがいかなる災いなのか知る者はないのだが、それぞれに想像を逞しくするから際限というものがなくなってしまい、恐れられていた。その人身御供として神社に上がらねばならないのが、今宵なのだという。

 人は上っ面で綺麗ごとを言っていても、その実は嫉妬と損得で動く。自分と比べてないものを持っている人に陰湿な感情を抱く者が多い。努力してそれを手に入れることをする前に、つるんで他人の足を引っぱる。周りにまで配慮ができる人は少ない。無いものを得られないとなると、次は自分がいかに損をしないで済むかを考える。目先のことだけだから、将来にわたって自他ともに良いということに意識は行かない。

 周りに居ながら、自分のところに害が及ばないとなった人の無神経さと、配慮もしないで発する白々しい慰めの言葉の残酷さは、おためごかしにすらならず、気の毒がっているように振る舞っているようでも、言葉に出せば出すだけ、その者らの品性を落とし、白々しくて空虚であった。

 泣く泣くその仕来りには従わざるを得ないのだと、その場にて聞き及んだ旅の武士は、「よいよい、拙者がその災い取り除いてくれよう。安心してまかせるがよいぞ」と声をかけた。穏やかながら強く響のある声音であったという。

 我が身を捨てても村の衆の為になれば、という娘の健気な心映えが呼んだ天佑だったかも知れない。


 日暮れて、慣わし通りの白木の箱に入り、身代わりとなった武士の上には内掛けが被せられ、箱には蓋がされた。

 白木の箱を担いだ村人の行列は、野底川沿いの山道を、権現山から連なる虚空蔵山の麓にある姫宮神社に向かい無言のまま進んだ。

 娘と武士が入れ替わっているとはつゆ知らぬ担ぎ役の村人たちは、わが身の難を背負って身代わりとなってくれた娘への感謝や労わりの言葉を箱に向かってかけるでもなく、恐ろしさが先にたって無言の道中を続けた。早く帰りたいというのが本音であった。

 物音が一つでもしようものなら、いつ箱を放り出して逃げ帰ってしまっても不思議でない行列でもあった。


 境内に辿りつき静かに箱を地面に降ろすやいなや、運んで来た村人たちは、後も見ず蜘蛛の子を散らすが如くワっとそれぞれに逃げるように走り去ってしまった。

やがて、静寂に包まれた闇の中に青く燃える目が浮かび、あたりに生臭い風が吹いた。

 神社の横手より、用心深い足取りでひたひたと白く仄浮かんだ影が進み、その手に箱の蓋が乱暴に取り払われた。そして一気に被せられていた内掛けが捲くりあげられるのに合わせ、下からその物の怪に向かって柄をも徹れとばかりに刀が突きあげられた。

「ぎゃー」と叫んで倒れ伏した六尺余りのそれは、夜が白んで確かめてみると、年を経て全身が白毛に覆われた狒々であったという。

 これがこのあたりに残る岩見重太郎の狒々退治の伝説である。

 何故狒々が若い娘を毎年所望したのかは伝わっていないが、中国にいう猿の妖怪である「獲猿」が、攫媛となって伝わり、媛を攫うに通ずるとして娘なのだとの説がある。


 ここから八里ほど北、駒ヶ根の光前寺にも「伊那の早太郎」伝説というのがあって、この寺で育てられた犬が、乞われて遠州磐田まで出向き、そこの妖怪と壮絶な戦いをしてこれを倒したのだが、満身創痍となってしまった。息も絶え絶えとなりながらそれでも、育ててくれた恩ある故郷の寺まで辿り着き、そこで力つきた、という話の妖怪も狒々であったということであるから、訝しいといえば訝しいことではある。


 助けられた娘のその後も、助けた武士のその後も、揺として知れぬ伝説なのである。


 話しは変わるが、このあたり一帯には古墳が多く点在し、中でも前方後円墳である高丘の森の石室に深夜丑三つ刻入ると、石壁の一部が移動して洞穴が現れ、この穴を辿ると、遠く権現山まで通じているとの言い伝えが残っている。

 その高丘の森から河岸段丘となっている一山を越える途中に、瑞垣が神寂びて佇む麻績神社がある。この神社には神官がいないが、里人の尊崇は厚く、いつも掃き清められて厳かである。麻績(おみ)の名がどうしてついているのか知る者はないが、麻というのが神様ごとに深く関わって、依り代であったり幣であったりするのは広く知られる。

 しかし、音に出したときの微細な振動について触れる人のないのも、不思議といえば不思議なのである。

「麻績(お~み)」「オーム」「アーメン」「南無ナーム」「阿―吽」などの持つ振動が誘うであろう世界があるようなのである。

 そこに繋がる正確な音や波動は、なんとなるのだろうか。

 神社から更に山を掻き分けて登ると、戦国の昔に山城であった南本城跡がある。

廓張りであった土塁の今は、狐の巣穴が多数掘られている。そしてこの山裾を巻いている坂道を稲荷坂と呼ぶ。

 狸は己が他のものに化けるだけだが、狐は人を化かすのだとか。

 夜にこの坂道を通ると、時に化かされて、自分の意図しないあらぬ方向へ無理矢理歩かされるとか、土産品として携えていた折り詰めなどを奪られた者があるとかも言われ、遠く聞こえるケンケーンという狐の鳴き声は不気味であった。


 隼人は、姓を薄田と名乗る。近郷に此の姓を名乗る家は他にない。

 一説に、狒々の人身御供となって果てたかも知れぬ一命を、危ういところで助けられた娘が、感謝の念が嵩じた恋心で何日か旅の武士の世話をする間に身篭って為した子の裔であるとも言われ、その武士の姓であるとのことどもも言われるが、定かならざることではある。


 なぜか隼人に行きかう領内の誰もが「若様お早うございます」「今日は、いい塩梅でございます」などと小腰をかがめて挨拶したりと、おろそかにしていないのは確かなことであった。


 受け止めた矢を片手に、隼人はゆらゆらと歩いていた。矢を捨てなかったのにはわけがあった。矢羽の一部が切り取られたそれは、直線ではなく明らかに軌道を曲げて遠距離を飛来したのであった。「福島殿にも見せてみよう」と思いつつも、隼人にしてみれば、射方によってその矢がどのくらい曲がるものか試してみることに興味を持ったと言える。

 隼人が、矢の飛び来たった方向を見向きもしなかったのは、その所為でもあった。見やったところで、人影がある筈もないくらいの曲線を引いて飛来したと覚えたのである。



               ご前試合


城下の桜町に差し掛かるとそこ立札があって、人だかりがしていた。

此度、殿様の思し召しこれあり、御前試合を催すもの也。

刀槍弓馬は申すに及ばず、武芸百般に覚えある者あらば名乗り出て御前に披露すべし。

身分委細お構いなしとのご沙汰なれば、百姓町人の参加も差し許されるもの也。

拠って試合の儀は、五月朔日、今宮神社境内にて取り行われる可し。


「これはこれは、若様もお出になられるんでありますかな」「若様がお出になるんじゃもう、首座は決まったようなもんでありまするなう」「さようでありまするとも」

集っていた者たちが口々に声をあげた。百姓町人といえど、殆どの者が文字を読めているということである。この地の学問水準の高さを窺がわせた。

「身共は、こたびの試合に出る心算は毛頭ござらぬ」とのすげないとも言える応えに、残念そうな嘆声がそこここに漏れた。信仰に近い技前が隼人にあるということである。

 なぜにこの時期、絶えて久しくなかった武芸試合なのかとなれば、先夜の妖しの気配に関わりあることとして、隼人の進言により催されるものだったのである。


 試合というにはそぐわぬ技前の披露の形式で、張り巡らされた幔幕の中では呼ばわれた順に正面の床几に座る堀公に一礼して、次々に演武が進められた。


「井伊左門、剣にござる」

 痩身中背、およそ剣には程遠く見える武士が境内中央に進み出ると、鯉口を切って静かに大刀を抜き放ち、無言で空を縦に薙ぎ払った。

 何事やと見る間に、そのまま御前を下がってしまい、何がなされたのか解らなかった。

 しばらくすると、空たかく舞っていた鳶が音を立てて地上に落ちてきたのであった。

 なにが披露されたのかと声もなく立っていた観衆がどよめいた。鎌鼬のごとく切り裂いた風の先にあったのは、まぎれもなく今まで空遠く離れて飛んでいた鳶だったのである。


「福島与五郎にござる。弓矢を少々」

 柔和な面差しの割には強弓と見える重藤の弓を携えて、次なる者が境内に進み出た。

 三十間ほど先に的が設えられ、中間に幅三間高さ二間ほどの板塀が据えられた。射座から直接に的は見えず、板塀の眞中に直径二寸ほどの穴があって、かろうじてその穴を通して的が臨めた。携え出でた矢が四筋、無造作に連射された。

 一本目は板塀の穴を通して、二本目は塀の上を越えて、三本目四本目はそれぞれ塀の左と右から弧を描いて、悉く的の中央に吸い込まれるように集中した。


「河尻又兵衛、槍にござる」

 脇に掻い込んだ槍は、先に5寸釘が付いているかのように穂先が細長かった。長身である。介添えの二人が左右から引っ張る綱から一尺幅位の間隔で肩の高さ程に糸に吊るされた寛永通宝が並んで揺れていた。

 やおら槍を下段に構えると、滑るように体が蟹の横ばいさながらに移動し、その間に穂先が五度きらめいた。風に揺れていた寛永通宝の穴は、すべて槍先に貫き取られていた。


「棚田真吾と申します。写しの技にございます」

 その場の緊張感と馴染まぬ位に柔和な笑顔で、小柄な男が場内に立った。

「書状書付、その他目に付く品物を百個ほど、この場にお並べ下され」

暫くしてその場に広げられた物を一瞥すると、「もうお取り下げ下されて宜しゅうございます」言い終わると、すぐに筆を取り出して半紙にすらすらと文字を走らせた。

 書状は一言一句の間違いもなく、出されていた品々の品名は、一つの落ちもなく書きとめられていた。


「火打石式種子島でござる。大門次郎衛門と申します」

 担った銃には二連の筒がついていて、火縄らしきものは見られない。

「手前工夫の、雨天にても打てる二連発なれば、威力の程ご覧願わしゅう」

 十間ほど先の台に据えられた二つの兜に狙いを定め発射すると、轟音とともに見事二つの兜の前立ての間には、大きな穴が貫通していた。


「大筒花火の工夫にございます」

 凡そ花火師には見えぬ学者風の男は、山吹村在住の寺田佐門と名乗った。

 境内から離れることおよそ三十間ほどの所に、予め並べ立てられていた案山子に筒先を向け口火に火を点けると、煙を引いて飛び出した玉が弾けて、間隔のあいた十に余る案山子が全て粉々になって飛び散った。


 棒、飛礫、鎌などもひとわたり披露されたが、矢来の外に集まった見物人に見せるための催しであったかのごとき雰囲気で終わりとなった。


 天竜川に茜を流して、ほどなく夜の帳がおりた。

 夕暮れての飯田城内大広間。百目蝋燭が並べられて、明るい。

「隼人、そなたの進言あったがゆえの本日じゃが、秘蔵の家臣達も表に出してしまった。このような按配でどんなものであったろうの」酒肴の膳を挟んで大和守が尋ねた。

「程よきところかと思料仕ります。四~五人は見物人に紛れこんで見ていたようにござります」

「ところで若様、本日の御前試合での業前披露は、何故あってのことでござりましょうや。殊更に見せ付け、軽々に手の内を見せるは、異なことに存じますが?」 戦国時代に甲州信州あたりで名を馳せた武の名門、河尻一族の裔とされる河尻又兵衛が、口を切った。

 同座していた出場者全員が、一様に隼人に顔を向けた。

「殿様からのご下問もこれあり、この先に危惧される争いを避け、長く続いたこの谷あいの平和と、生きとし生けるものを守らんがための示威なのでござる。殿様のご苦衷も知らず、口さがない者がなにかと騒ぐかも知れませぬが、穏やかが一番でござる」

「さればまた、何事か起るのということなのでござるか」今度は福島与五郎が尋ねた。

「本日のご貴殿の弓の業、流石のものにて実に見事にござった。先日それがしに矢を射たてんとした者の上を行く術でござれば、かの者もきっと肝を冷やしたことでござろう。ご貴殿を始め数々の技前を垣間見せたことは、山深き谷あいの小城ひとつ、なにごとやあらんと軽んぜられるを防ぐ手立ての一つにてもござった。かけひきそれだけで済めば何よりかと存ずるが、ほかにちと気がかりな気配もござる。お聞き及びでござろうが、筑波山に天狗が舞い降り騒乱を起こして一月余。言うに恐れ多きことながら、弱体化したご公儀がこれを鎮撫するは、極めて難しかろうと推量致します。いずれ通るでござろう街道沿いの八ヶ岳の権現山も、八つという字にからみ恐ろしゅうござるが、ここはまだ目覚める様子は見せておりませぬから、さしたることなく通り抜けてきましょう。されどことは天狗なれば、この飯田の権現山・虚空蔵山に向かうは地の利の必定。いずれ伊那を下って京へ上る道をとるであろう様子が目に浮かぶのでござる。有り様を申せば、水戸の天狗党勢だけなれば、目的は当藩との戦ではなく、京に上り将軍家に会うことにてござれば、やり過ごせばよきこと。いまひとつは、ご公儀への対策にてもござる。無傷で天狗党勢を通過させたとなれば、どんな咎め立てをされるや知れ申さぬ。さればこそ、これが厳しい処分を躊躇わす強さを示すことにもなりましょう。それよりも厄介なのが、天竜のカワランベと虚空蔵山の天狗が、時空を越えて動き出さんとする気配の方なのでござる。まさに脅威はどちらかといえばこちら。避け難いことになるにしても、神国のことを考えれば、今このときは妖しとの戦いへの備えが焦眉の急となっているのでござる」

 天狗は翼があって空中を飛翔し、俗に人を魔道に導く魔物ともされている。天狗が全く妖怪化したことによる霊威怪異の伝承もあって、神隠しなどもその一つの例とされる。

 なんにしても、人の言うことを聞かぬのが天狗。後には修験道による山岳信仰と相俟って、神として信仰の対象になるほどの大天狗も出るのだが、まだまだ恐ろしい存在ではあった。

信州は神州に通ずるとの意識が、この地にはあって、超常の現象を知る者は多い。

「今ではなく、百年後にこそ飯田の民の力が必要になるとの声が、しきりに身共の耳奥に聞こえてくるのでござる」

 隼人の超常的な力を知る一同は、瞬きすら忘れて聞き入った。

 外には昴(スバル)が、いつにも増して輝いている。


「すると、二方面とせず、主眼は魔との戦いということになるのでござらうか」

「さようにあいなるかと」

「しからば、霊魂・魂魄の世界に近いものにてござるか?」

「間違えば、国の滅び。鎮まって去って貰うほかないかと。荒ぶるものも、中にはあろうかと存ずるが、それは身共が一身に代えて引き受け申す所存にござる」

 武道の修行を積む中で、悟りに近い境地にある面々は、悟り直前近くに現れる魔のことは言わずもがな知っていた。心身の鍛錬・修行が進むと、何事にも自由で、美しく開けた境地に達する。ただ、ここが到達点ということではなくて、悟りはまだ先にあるということである。

「先ほど八という数について気がかりとおおせでござったが、八は末広がりで吉なのではないのでござるか?」

「左様でござる。方々もお気づきと存ずるが、北辰を指し示す北斗の柄杓の八星が、七星しか見えなくなってござる。見えていたものが見えなくなるのは危険でござる」

 七星には、輔星アルコルがあって、ときに死兆星とも呼ばれる。

 星は、図にかくと普通☆となり、五芒星である。伊勢神宮の周りに見られる六芒星は、正三角形を二つ組み合わせて描かれ籠目模様ともいうが、籠目に閉じ込める結界のようなものであるかも知れませぬ。かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる という童歌は、言いえて妙。竹籠に閉じ込めるのは、龍。しかし三角形は3次元までのこと。

 八芒星は、四角形を二つ組み合わせてでき申す。八は、そもそも再生・甦りの数でござれば、その前に破壊があることは必定。何が壊されるかということでござる。八岐大蛇に限らず、八に因むものは数多くござるが、八芒星の矢は、本来太陽の光芒を表すものにて、米はその恵みによるもの。古代における我が国の言葉は、88音あったのだとも聞き及び申す。数の意味するものは深そうに存ずる。

「して、この先いかようにすれば宜しゅうござりましょう」井伊左門が膝を進めた。

「さればでござる。人たるの天狗党勢との戦をせずに済む策として、この先、見慣れぬ風体ながら、一廉の修行を積んだと思しき間者の往来が増えようかと存ずる。なまじ飯田領内でことを構えると、無傷では済まぬと思わせるようにお振る舞い下されたい。くれぐれもご配慮願いたいのは、一筋縄ではいかぬと恐れさせるまでのことにて、無傷で間者密偵の類は逃げ帰らせて頂きたいということでござる。妖しの者との戦いは、精神力の戦いにござれば、この場におられる方々しか対抗できぬことかと存ずる」

「そして真吾殿。ご貴殿にはこの後のことを後世に残す手だてをお願い致したい。われらのこの後がいかようになるや知れ申さぬ。霊体になって残り、何代かして現世に甦るにあたり忘却の川を渡らねばならぬことなれば、生まれ代わりの回数がまだまだの我等が記憶を留めていられるかどうかは測りかねるのでござる。記憶を繋ぐ縁(よすが)となるなれば、宜しくお書き残し願いたい」

「全てを眼前にすることは、出来かねるかと存じますが」

「その儀なれば、大丈夫かと。思念がご貴殿の脳中に伝わろうかと存ずる。感じたままを見たままのように書いても障りなきかと」


 座敷には、行灯と蝋燭の灯りしかないにも拘わらず、隼人の頭上は金色と紫色に輝き、他の面々も、赤、青、緑、黄色の霧に覆われているかのように仄浮かんでいた。光背のようなものであったろう。

 容易ならざることにあると、一同は無言のまま、覚悟の程を見せつつ揃って首肯した。


 それからは、うってかわり皆がまだ若くて血気盛んな頃の思い出話が弾んだ。

「そうそう、そんなことが有り申した」

 5人は、元服前から仲が良かった。修行の合間を縫い、連れ立って遊びに出かけることが度々であった。

 城下桜町の少し先にある柏原の堤に釣りに出かけたことがあった。風に吹かれる水面には小波が立ち、折からの強い陽射しが反射して眩かった。

 竿を伸ばして一刻を過ぎるも、誰の浮きも動く気配をみせず、時おり池から釣り人を嘲笑うかのように、大きな鯉が飛び跳ねては、「どうだ釣り上げてみよ」と挑発していたのであった。

 帰りの刻限が迫って来たころ、「一尾だけでもようござるか?」と、河尻又兵衛が口をきった。

 長く撓る竿を槍のように構えると、飛び上がった鯉に向かって突き出した。二尺はあろうかという鯉は、目のあたりを鮮やかに貫かれ、手元に手繰り寄せられた。

「そう、あの鯉は美味かった」

「その後でござったか。城に某藩の剣術指南役が来ていて、腕自慢に殿の小姓に持たせた扇子に飯粒を付け、大上段から飯粒だけを切って見せたのは」

「いやいや、その話はご勘弁下され。若気の至りでござった」井伊が眼前で手を振って遮った。

 そのときの井伊は、同じ小姓の拳に飯粒をつけ、拳を自由に動かさせながら、飯粒だけを両断して見せたのである。拳に毛筋ほどの傷もつかなかった。

「いやいや、その後がまた見ものでござった。弓の名手だと思っていたに、剣の冴えも見せたのだから」

 河尻が、今度は福島に目を向けた。

 今度は、福島が面映そうに「それも、ご勘弁下され。あの頃は若うござったゆえ」

 侍女に縫い針を4~5本持ってこさせ、それを畳の縁に並べて刺し立てた。

 片膝立ちになると刀の柄に手をやり、じりじりと横に移動した。居合い抜きを数回繰り返したのであるが、目にも留まらぬ早業のあとには、縫い針の全てが畳に打ち込まれていたのである。弓の的を射る修行の中で、針先が卵大に見えるまでになっていた福島にとって、それはもはや容易なことであった。

「他藩に軽んぜられてはならじ、我が殿大事のあまり大人気ないことでござった。花を持たせて帰して聊かの不都合もなかったと、今にして思いまする。争いごと競いごとではなく済ませられることが肝要とわかってござる」


「これ小雪、隼人に酌をしてつかわせ」

 傍らに控えていたうら若きにょしょうが、恥ずかしげに瓶子を傾け隼人に酒を注いだ。

 二百五十年の時を超えて、絶えてなかった白羽の矢が、此度は座光寺の小雪の家の屋根に立ったのを、隼人が大和守に庇護を願い出て少し前に城中に伴って預かってもらっている娘であった。色の白いは、七難隠すといわれるが、小雪の名が示す通り肌が抜けるように白い。小雪は、その容姿におよそそぐわない薙刀の名手でもあった。



「隼人、起きなされ。今日より父上から申し付かっている修行が始まります」6歳になった早暁のことであった。

 いつも優しかった母の常とは異なって厳しい声が、まだ明けやらぬ屋敷内に響いた。

「隼人、母は今日そなたに申しておかなければならないことがあります。そなたが生まれてよりこのかた、及ぶ限りそなたを慈しんで参った。今とて、懐から出しとうはない。なれど、母一人の子とするわけには参らぬ星回りに生まれついたのじゃ、としか思いようがありませぬ。そなたを身籠ったと思われるときのことです。大きな眩い光に包まれて、何処からともなく声が聞こえたのです。

『大きゅう大きゅう育てよ』そして、そなたが生まれた日は、時ならぬ雷鳴が何度となく轟いて、稲妻も次々と闇を裂いて青い光を落しました。そのときにも声が耳に響いたのです。

『この世にあるもの全ての元は、唯一つのものからなることを体得せしめよ。一代でならずば代を繋いでなさしめよ』

 母は、言葉を覚えているのみで、何をどのようにすればよいのか判りませぬ。ただ、それをそなたに伝え、そなたを信じて見守るしか為す術はありませぬが、きっとそなたには何か使命があってのことでしょう。そのようにするのには、如何なる事にも負けぬ強さがあってこそのこと。生半可なことでは済まぬ心身の鍛錬が、それも並外れて必要となることは母の想像には余ります。幼きそなたに負わすには偲びないことですが、天命と思い決めて下さるよう頼み参らせまする。

 そなたは武士の子ですから、殺生の場に立たねばならぬことがあるやも知れませぬが、つとめて、慈愛の心なしに動くようなことは決してありませぬよう覚悟して修行に励みなされませ」

 想いが溢れるように、息と言葉を継いだ。

「そなたは母の子であって母一人の子ではないのかも知れません。天に委ねることになりますが、それでもなお、この胸に抱いて愛しく育てたことを終生忘れることはできませぬ。戻りたくなったら戻って参られても、決して叱りは致しませぬ」

 負わせるに忍びないこととの、尽きせぬ思いのたけであった。

「きっと立ち戻ることは無いかと存じますが、いついかなるときでも、母上の子でございます」六歳の子にして、これであった。


 日課としての鍛錬が始まった。

 膝丈ほどの高さの柵を助走なしに飛び越えるのを30回。背丈ほどの高さから、藁屑を撒いた地面に飛び降りること30回。木刀の素振り100回。前後左右斜めへの摺り足での素早い移動100回。糸に吊るした小さな錘を揺らして、その揺り返しを瞬きなしに見つめること100回。

 長ずるに従って増えたのは、重さ、高さ、回数、速度であって、来る日も来る日もひたすら繰り返された。山林の中を木々の幹に触れることなく、体を捩じることなく、足で蹴ることもせず、身を翻してジグザグに数丁駈け抜けるのも日課となった。

 母は、いつも物陰から、幼いわが子を抱きしめてやりたい思いに耐えて見つめ続けた。

 肉体の鍛錬が終わると、素読と端座しての瞑想であった。知識は、昔に空海が授かったといわれる虚空蔵の知恵に似て、何処からともなく流れ込んでくるようであった。

 というより瞑想によって意識の深いところに沈むということは、無尽蔵に汲み取ることのできる知識の海とも言える別世界に通じることであって、そこは汲みつくせぬ程の知恵の宝庫であった。物質的な知識もさることながら、加えて霊性の向上が常に求められた。

 深山幽谷、霊場と尊ばれる地に身を置くと、天の気ともいうべき波動が身内に流れ込んできて蓄えられる。人は、天にも魔にもいとも簡単に意識をむけて同調できる。

 いずこに意識を向けるかが、霊性のためには重要な意味を持つ。蓄えられ高まった善なる波動は、自ずと周りを救う。

 天の龍脈に沿って歩き、時に場所を得て坐を組むことも多かった。

 瞑想が深まると、ときに我が身を別のところから見ている自分があった。霊とか魂とかのほか、肉体ばかりではなく何層もの自分があるように覚える隼人であった。

 隼人の進歩は、すべてに神速と言えるものであった。


 座光寺庄兵衛について体系だった武術と学問を学び始めたのもその頃からであるが、天凛とは隼人のためにある言葉といえるものをその幼い頃から垣間見せたのは、生まれる前からの蓄積があってこそのことと解するより他ない秘められた能力といえた。

 十五歳を越すころには、竹刀を持って取り囲んだ十人が一斉に打ち込んで一太刀たりとも隼人に触れることが叶わなかったし、自らが編み出し「雁行」と名づけた抜きつけの技は、左腰から発する刃が右から走る軌跡となって、影ですら誰も捉えることができなかった。

 仏師が仏像を彫りあげるに、外から木材を刻んでその姿を顕すのではなく、中にある物が自ずから現出するのだと言うのと同じく、全ては隼人の内にそもそも在るものが磨き出されてくるようなものと言えた。

 この頃からの技前は、速さそのものを必要としなくなっていた。見えていても相手がどうしても防ぎきれず、逆に攻撃されるときには隼人にとって極めて緩慢な動きとして、まるで止まっているように感じられるようになっていた。


 飯田の城下も、近頃は月夜といえど闇が深くなった。何がどうということではなくも、日が落ちれば今までになく暗く、人通りは殆んど絶えた。


 異様である。おりしもその月影を縫って、大小を落とし差しにした武士が歩を運んでいるのだが、歩くというよりはゆらゆらする影が滑るように次の位置に移っているかのようなのである。目にしている筈の誰もが、その姿に気づいている様子がない。結界のなかにあるに等しかった。


 京への抜け道で、数多の旅人があるとはいへ、他国者に目敏い里人の目に留まらないで通り過ぎるというには難しい土地柄である。余程の修練を積んだ者であろうことは、その足運びに覗えた。

 近頃、ぶらりと市中見回りに出かける隼人の姿であった。何事かをなさんとするときはなにはともあれ動いてみるというのが隼人の流儀。なさねばならぬことは、そんな動きにつれて意識に浮かんでくるのであった。


「待たれよ。その方、何処より来て何処に参る?」紋服袴の武士が突然月明かりの中に踏み出て、旅拵えの男に声をかけた。

 月に浮かんだ武士は、御前試合で冴えた剣技を見せた井伊左門であった。

 家重代の脇差、安倍弥次郎泰経を手挟んだ腰の据わりは見事であった。

「この時刻に何用あって軒下に潜む?」

「いえ何ね。そこの飲み屋で一杯やったあとの酔い覚ましでさあね。月も綺麗なことですしね」道中差を腰にした旅人風であるが、風体・言葉からして土地の者ではない。

 城下の居酒屋で、見慣れぬ者数人が、酔って女中に狼藉を働いているとの知らせを受けて、支配違いながら、異変前の陽動もあるかと、根が人の世話好きなこともあって出向く途中の井伊が見咎めたのであった。

「相尋ねるが、これよりいずれの旅籠泊まりじゃ」油断無く間合いが詰まる。

「これから夜旅をかけて諏訪まででさあ」

 後ろ跳びに間合いを広げると素早く踵を返して、脱兎の如く走り去ろうとしたが、その目の前に着流しの武士が立ち塞がった。

 影とは光のこと。月影に浮かんだのは隼人であった。抜く手も見せず鞘走った旅人の脇差が切ったのは空であり、脇差の峰にはふわりと隼人が乗っていた。その空間からの隼人の太刀が切り裂いたのは旅人の懐、手傷ひとつ負わせていなかった。零れ落ちる物を拾いも合えず走り去った後に残ったのは、城下の縄張りを書き写した絵図であった。

 国内諸藩が尊王か佐幕か、攘夷か開国かで沸騰している中、光圀の昔から尊王を唱える水戸藩は、攘夷までもが藩論の中心となっていたが、藤田東湖や藩主斉昭が相次いで死去した後は、佐幕派が主導権を握っていた。

 尊王攘夷派天狗党の藤田小四郎は、筑波山で挙兵、武田耕雲斎とは那珂湊で結集して、脱藩者と浪人連合軍の形となった。

 幕府軍は、これを一応打ち破って面目を保ったとはいえ壊滅することはできず、逃散した彼らを暴徒として追討するよう諸藩に命じたのである。


 飯田藩でも郡代官名で回文を出した。


 常州筑波山に集まり暴行致し候浪士共、追討候人数御差し向け相成り候処、浪徒共散走致し候由に相聞き候。去り乍ら、兼ねて相触れ候趣も之有り逃げ延び難き儀に候得共、自然姿を替え落ち行き候者之有る可く候間、聊かにても怪しき体に見掛け候はば、容赦なく召し捕り申し候。尤も手向かい等致し候はば切捨て候様致す可く候万一右党類共隠し置き候者之有り、外より相顕れるに於いては、当人は勿論の所役人共迄、厳科に処せらる可く候条、その段きっと申し渡し置き候。

 右の通り、公儀より御触れの趣相達し候間、小前末々迄洩らさず申し聞かせ、尤も格席の者へも申し通す可く候  以上。

           九月二十九日出

                     中山安太郎


 信州の山々は、常にも増してモミジで赤々と燃えんばかりに染め上がった。モミジの下には鬼が現れると古来よりいう。美しさの中に潜むものは見定めがたい。


 松本藩に、幕府よりの天狗党勢追討令が届いたのは、天狗党勢がここを越えれば信州領である内山峠に至らんとする十一月十五日であった。

 武田耕雲斎・藤田小四郎ら天狗党勢は、京に上り将軍徳川慶喜に決起の趣旨を訴えんものと、中仙道を罷り通り、二十日には和田峠下の戸沢口で、諏訪高島藩と松本藩の連合軍二〇〇〇と戦ってこれを破り、勢いに乗じ翌二十一日、尊王攘夷派浪士八百余人は、木曽路を選ばず武装をより強固にして伊那街道を破竹の勢いで進軍中であった。追討の幕府軍は、二日分程距離をおいて及び腰で追随するも、一向に距離を詰め戦いを挑む体勢をとらなかった。

 血刀を引っさげ、砲煙に煤けて黒い顔を連ねて進む隊列を見た街道筋の年寄りは、後に「おっかなかったよう」と、子供達に語り継いだ。

 高遠藩も、これは敵わじと見て、平出宿あたりに敷いていた陣を払い、軍勢を引いた。

 刻々伝わってくる進軍の状況に応じ、飯田藩は、これを迎え撃って座光寺の大門原で戦うべく、その前哨線として牛牧と座光寺の境である弓矢沢に土塁を築き、そこに大筒を十数門並べたのである。


 天狗党は、本隊の先に探索、斥候を放っている。物見のための遠眼鏡を覗き大筒を確認するや嘲笑い、隊に帰って報告した。

「虚仮脅しにござる。大筒に見せかけて並べたるは、竹の箍を巻いた花火筒でござれば、押し破って通るに聊かの不都合もないかと存ずる」

「左様か。ならば明日にでも罷り通るべし」

「いやいや待たれよ。その花火筒、侮っては危うい。この五月、飯田藩の御前試合を探索した折、佐門なるものが披露した花火の威力たるや凄まじく、十門も並んでいては当方に甚大な被害が及びかねなく存じます。ここは調略あって然るべしと存ずる」

 これにより、幸いにも花火筒は使われることなく済んだ。この後これらの筒は、飯田近在の神社床下に長きにわたって放置されることになるが、後の里人は、これが何であるか分からず、絶えてこれに目を向けることもなくなったのである。


 飯田近在、伊那あたりには、北原稲雄・今村豊三郎兄弟をはじめとする平田派門人が多かった。同じ志を掲げる水戸浪士達が無事飯田を通過して京に上ることができることを願って、飯田藩と天狗党勢の間を斡旋することに心を砕いていた。

 戦火を交えるということになれば、飯田城下を焼き払ってということになるのが目にみえている。民百姓の嘆きもさることながら、双方にあたら討ち死にする者が多数でることも忍びない。

 天狗党は、武装して街道を罷り通っているとはいえ、街道の人たちに極力迷惑をかけないようにしていた。飯を食ったらちゃんと金を払っていく。

 おおっぴらにはできないが、肩入れしたいと思っている里人が多かった。

 北原は、我が身の平安を捨てることになろうとも、この里の将来と村人の命の優先を真剣に願ったのである。

「ここは若様に相談するよりない」と思い決め、人目を避けて深夜に隼人の屋敷を訪ねたのである。

「若様、この鄙の里に絶えて久しい戦が起ろうとしております。志が違えば、なかなかに説得は難しいことでございますから、双方が折り合える道が何かあればよいと思うのですが・・・」

「時代が変わるときというのは、得てして無用に血が流れやすいもの。しかし、役立つ命は山川草木等しく尊ばねばならぬ。かようなこともあろうかと、親義公にお願いして先般飯田藩の武辺を広く知らしめたのだが。なかなかに面子という厄介なものがあるから、上手く持ちかけねば双方が引くに引けまい。考えが無くもないが、命がけになることであるし、下出に出て我慢もせずばなるまい。そこもとできるか?天狗党勢に会って談合するには、なまじ武士より、そこもとのような村役に越したことはないのだが」

 思想や宗教に裏打ちされた考えは、説得がきき難いのである。折り合いがつくかは判らぬ。

「もとより、命を惜しむものではございません。お聞かせ下さい。如何ようにしたらよろしゅうございましょう」

「明日にでも、天狗党勢宛に文を書こう。この五月以降の隠密戦で、身共のことは先方に知れておろう。無理に力押しすれば、双方甚大な被害を覚悟せねばならぬだろうし、穏やかに取り組めばそのように対処する懐があるとの見極めはしていようから、そなたらが会っての折衝次第じゃ。幸い、平田派という学門上の接点もあること。志が近い者同士、無下にはできまい」

 困難というものは、一つだけでやってくることは少ない。あれもこれも乗り越えねばならないことになるが、諦めずに手立てを尽くせば開けてくることが多い。


 伊那部あたりからは、街道筋の住民の天狗党勢に対する様子が変わった。

 伊那谷には平田篤胤の国学を学んだ者が多く、数えて二七九人にも及ぶ。北原稲雄が紹介した門人衆だけでも五十人を越していた。

 尊王攘夷を目的とする天狗党勢に少なからぬ共感を抱いており、彼らへの恐れを越えて親しみさえ覚えていた。


 飯島宿にて止まっていた天狗党勢に面会を申し込んで、北原の意を伝えんとする弟、今村豊三郎が幹部に会えたのは、この縁からであるといわれる。

「天狗党勢の勢いが壮んで、戦闘能力が飯田藩に勝っていることは、誰の目にも明白かと存じます」

 この切り出しは、緊張をほぐした。

「されど、戦えばこちら様も無傷というわけには参りますまいし、我等一同、皆様方が恙無くこの地を抜けて京にお上り遊ばし、本懐を遂げられますよう祈っております。本音を申し上げますと、いざ合戦ともなれば、厳しい冬を控え、我ら民百姓も難儀致します。ご温情をもって間道をご通過下さる策をお取り上げ下されば、我らがご案内仕ります」


 後に『昔ながらに詠われし、平和の村こそ楽しけれ。』と村歌となって歌われる程に、南北朝時代でさえ、天竜川を挟んで争いがなかったのが不思議とされる伊那の谷あいである。

 飯田藩では、最悪の場合城下を焼き払って篭城するという手段が練られてあり、町家の者にとってはたまらないことであった。

 一方、京に上がるのが目的の天狗党勢としては、無用な戦いはしたくないのが本音。

 小野斌雄(藤田小四郎)名で、間道があったら是非にも案内を頼むとの打診がされていたのである。

 飯田藩としては、幕府への慮りもあり、迂闊にこれを可とするわけにはいかなかった。

 藩の預かり知らぬところで動いてくれるのであれば、渡りに舟といえた。

 どちらにとっても、面目の立つ斡旋案として、双方の間隙を満たすに頃合の手立てを隼人が絵に描いたといえる。

 最悪でも、重臣一人の腹で済ますことができれば、との飯田藩の思惑も、言外にあるらしく診てとれることも、気持ちを動かした。

 君君たらずといえども臣もって臣たらずんば得ず、などという大時代な心情ではなく、武士は死に場所を探しているものであるとの信念を持つ者がまだ残っていて、腹一つで治められるならそうするという表れであることと、忖度できた。

 物見の報告と、薄田隼人からの密書を得た耕雲斎は、喜んでこれを了承した。


 了承を得てからの動きは急である。

 北原兄弟が独断で間道を案内するというわけにはいかぬから、形式上でも藩の内諾を得ねばならない。

 隼人の知略は、嘆願書として藩にこの案を差し出せば黙認されると読んで、兄弟に教えた策が採用されるであろうことにあった。命を重んじるにも、建前上の方便が必要であったのである。


 二十四日、北原稲雄は天狗党勢の饗導掛として、三州街道を城下直前で右に反れ、飯田領内をかすめ上黒田山道から野底橋を渡り、桜町の大木戸が閉じられていることもあって作場道を辿り、今宮に出た。

 今宮は、飯田長姫城から指呼の距離。御前試合が催された場所であるから、飯田藩が知らなかったでは通らぬことになりかねない場所である。申し開きの抗弁としては苦しきことながら、多くの命をあたらここで散らすのを忍びないとする隼人の進言を入れた以上、最悪の場合には何人かの「腹」が必要となるかも知れぬ覚悟が、藩にはあった。

 武士にとって、裏取引や卑怯未練な行いほど忌まわしいものはない。義とは道理に従い決断して猶予せざる心。死すべき時に死に、討つべき時に討つ。その心を放ち、求むるものを知ろうとしないのは、狭きに過ぎよう、との言を入れるには、勇を鼓さねばならぬことであった。

 ここ今宮で昼食を摂ると、上飯田村羽場、桜瀬で松川を渡って大瀬木までを案内した。ここから駒場までは一本道である。

 別れを告げるに際し、稲雄は隼人から言われていたことを挨拶の言葉の合間に小声で耕雲斎に告げた。「奥方さまと二人のお子様をここでお帰し遊ばしては如何。わが村には、奇しくも耕雲斎様と同じ名の耕雲寺という古刹もございますし、武田の末孫といわれる家も多うございます。何かのご縁なのかもしれません。神隠しにあったように繕って、人知れずお匿い申し上げることができるかと思いますが」

この先の北陸への道は、雪空の下の暗く険しい道であり、行く末を暗示しているかのようである。

 隼人には、家族も同座で責めを負わされる彼らの最後の様子が見えていたのである。

 しかし、奨めは肯んじられることなく、覚悟の同行を続けていったのである。後に敢え無い最後を遂げることになるとは、彼らには知る由もなかった。


 難所である雪の峠越えを奇跡的に果たし、敦賀の新保というところに漸くたどり着いたとき、そこは天狗党にとって絶望の地となった。

 諸藩の兵1万数千に囲まれ、しかもその追討軍の指揮を取っていたのが、頼りにしていた徳川慶喜その人であったとは・・・

 ここで加賀藩に降伏することを余儀なくされたのである。

 遇するに、武人に対する礼がとられたとは言い難い。

 処分は苛烈であった。死罪352人、島流し137人、水戸藩渡し130人。同行していた女子供も例外とはならなかった。

 あの、世にも名高い安政の大獄でさえ、死罪は僅か8人であったことを思うと、なにゆえここまでのことになったのか。

 水戸藩は徳川親藩でありながら、光圀以来尊王の傾向が強かった。幕末の混乱期、天皇が求めたのは攘夷であり、これを目指さんとしたのが天狗党であり、幕府に忠誠であらんとしたのが諸生党であった。両党は藩論を二分して争ったこともあって、天狗党に関連した者への処分は限度を越える程厳しかった。

 これが、明治維新後に朝敵という名の下に、諸生党が天狗党から同様の報復を受ける結果に結びついた。程度を越えるとそうなるという愚かさというほかない。

 自分の主張を通さんが為に互いが余りに急で、他を慮る余裕が無くなっていることがなせる業か・・・・

 滅びに向かうときというのは、双方ともこのような道をたどるのかも知れない。

 武士の一分とは、いかなるものなのか。

 時代の境目にあっては、それぞれの価値判断によるほかないにしても、肉体の鎧を脱いだあとの霊魂のことを思えば、生きて精神の磨きをかけることを選ぶべきと思う隼人であった。生まれ変わりがあることに思いをいたせば、疎かにできぬことが多いのである。


 梨子野峠を越えると飯田藩が守る清内路関所がある。番頭斎藤長右衛門以下三十人ほどが詰めていた。

「お通り召されよ。」

 臆して、卑怯未練な振る舞いに出たのではない。

 黙って天狗党勢を通したことを咎められ、後に切腹ということになったが、もとより覚悟の上のことであった。

 意地を通してこの関所で合戦におよべば、関所役人は全滅、天狗党勢にも少なからぬ死人がでることは明らかである。我が身一つの命をもってそれに換えることができるなら、何条もってこの命惜しまんや。武士道とは、死ぬことと見つけたりという心得は、もとよりあったことであり、怖気をふるって黙過したということでは断じてなかった。


 天狗党勢は、去っていった。虚空蔵山を覆う天狗の気と、天龍の腹中より這い出さんとする河童の気の間を通過するも、ここで合流して変質し、列島の中央に大過を齎すことがなかったのは、ひとまず幸いなことであったと言える。

 ここが東西に破られたとしたら、迫り来る夷敵が増えようとしているとき、雪崩込む災いは甚大になったであろう。



 国の背骨をなすこの地の地軸の鳴動は相変わらず続いていた。山深くには雷鳴が重々しく轟き、山崩れが起き、川は堰とまり、容易ならざる異変を見せていた。浄化は、破壊を伴う。

 羨む恨む嫉む、不平不満を抱くなどなど、人の心の歪みや隙間には、いとも簡単に魔が取り憑く。集まるとそのエネルギーは、想像外の甚大な災厄をもたらすのだが、個々人がそれに気づいて立ち返ることは滅多になく、他人のせいにするのが常である。

 この星の生きものの不幸は、他の動植物あるいは鉱物の命を取り入れることなくしては生き続けられないということである。いかに受け継いだ命を有難くわが身内に輝かせるかということに思いを致さずして精神の進化は望めない。道は、限りなく遠いのであった。


「いろいろ夫々に存念は多々あろうが、まずは大過なく過ぎてよかった。皆の者大儀であった。後のことは後に致し、一息入れるがよいぞ」

 堀大和守が労いの言葉をかけたが、隼人らの心が休まるには程遠かった。

 去っていったとはいえ、脱落したものが皆無であったとは言い難い。どんな組織にも、そのような不届き者は内在する。

 困難に立ち向かうとき、強固な意志で肉体や精神を目指すところに向かって維持し続けることは、何人もができることではない。

 きっかけがあれば、そこに魔がさす。それでなくとも天狗が騒いでいるときである。

 道をそれるにも、とりあえず尤もらしい理由はある。もとより大した理由ではないからすぐに言い分は忘れるし、変節もする。

 天狗党における隊規は厳しかった。犯せば即ち死を意味した。さして悪意はなくとも反してしまった者たちは、逐電するほかなかった。逃げる先とすれば山中しかない。

 分け入った山の麓の神社に、天狗の面が奉納されてあった。赤天狗青天狗烏天狗、それぞれがそれを被って面を隠した。最初のうち面は着脱自在であり、面をつけると制約から逃れられた自由を覚えた。

 しかし、生き延びるためとはいえ、それが僅かばかりのこととはいえ、隠れ住むには不埒な行いもせずばならなかった。悪事は悪事を呼び、段々人としての範を越えていった。

 悪事を働くにつれ、面は血肉と同化してしまったように顔面に貼りつき、取り外すことが叶わなくなっていった。

 一旦踏み違えると、それは際限もなく真善美とは逆方向に進み歯止めがきかなくなる。

 顔を向ける先がいずこなのか、そして最初の小さな一歩がどこに向かっているかが先を分ける。

 何人かの脱落者が辿ったのもそのようになった。女がらみになるのが端緒でもある。

 一難が去ったのもつかの間、飯田城下に異変が続いた。

 最初は食べ物や家畜が消えた。続いて若い女が神隠しにあったように突然姿を消すのである。

 とはいえ、常の神隠しと違って、程なく体だけは戻ってくる。ただ、目をそむけんばかりに変わり果てた見るも無残な姿となってである。腹を割かれたり、体中を切り刻まれたりして虚しく投げ捨てられているのは、悪鬼の所業といえた。

 異変の前後に、異様な顔をした異様な風体の一団を見たという者がいる、と聞かれるようになった。

 夜ともなると、千の矢が射られたように、漆黒の天空をよぎる妖しの光の筋が、隼人ら五人には見えたのである。

 そのことは、妖魔との決着に未だに目途がつかず、大いなる意思を持った知識体からの安心は、まだ得られていないということであった。

 縄文の昔から一万年余、培われてきたこの地の和の系統が、蛮夷荻戎によって破られようとしていた。間違えば、一気にこの世の終わりとなりかねない。猶予を得るための証が少しなりとも必要であった。他への慮りと、解り合えるための和の心。損得や自我から脱却できるかどうかが見られていた。


 飯田から少し離れるが、平安貴族の憧れの地であった園原近くに、律令の時代に幹線道路であった東山道最大の難所といわれた神坂峠がある。

 ちはやふる 神の御坂に幣まつり 斎(いほ)ふ命は父母のため と、遠く九州の地に狩り出された防人が通過するときに歌ったという。この神坂峠近くに上下が逆に生え、遠くからは有るように見えて、近づくと掻き消えてしまうといわれる帚木(ははきぎ)がある。この、昼神の地にある帚木が、このところざわめくのだという。異変の範囲が広がっている。

 昼神の由来は、日本武尊が、この地で口に噛んでいた蒜(ひる)即ちニンニクを投げつけて山の神を退治したということから変じた名だという。ニンニクは、西洋でもバンパイア除けに使われるのだとか。

 いずれにしろ、人心の乱れをついて顕れる魔は、そもそもこの世の成り立ちはたった一つのものからなのだということが解り、総ての人が互いに睦みあう和やかさなくして防ぎようがない。

 天の意思は現世を見限り、エネルギーは、元の一つに回帰せんとしているのかも知れぬのである。一気の浄化を避けるには、魔という憑物を最小限でも排除せずばすまぬ。

 いよいよ急は差し迫ってきているようであった。


 月明かりと見紛うばかりに、星影が障子を青く染めて部屋うちに射し込み、小雪の肌を仄白く浮かび上がらせていた。

 両手で顔を覆って恥ずかしさに耐えながら緊張で固くなった身体を隼人に任せて、とぎれとぎれになりそうな息をやっとの思いでつなぎながら小雪が言葉を紡いだ。

「隼人様、私は幼きころから、ときどきに垣間見るお姿や、いつにても我が事の前に周りを大事にされているご様子を見聞き致しまして、ずっとお慕い申し上げておりました。我儘は申しませぬが、今宵で今生のお別れになるのでございますか?」隼人の腕の中で、溶けんばかりの幸福感に浸りながら、小雪がそっと尋ねた。全ての覚悟はできていた。

 襟元から差し込まれた隼人の手が、優しく胸乳をなでる。そっと、そしてゆっくり豊かで満たされた静かな時が流れる。

「愛しく思い、末永く睦みたいと想うは山々なれど、今宵が最後となるやも知れぬ。相済まぬ」隼人は優しく小雪を抱き寄せた。

 やがて二人の影は溶け合うように重なり、ひとつのものとなった。

 性器の少し上、脊柱と交叉する辺りに座がある。互いの精神性が高まり、親近感が密の状態では、湧き上がるエネルギーが、全身にかけあがって至福のときを共有するという。

 白むまでには、名残を惜しむ充分な時間があって、飽くことがないかのようであった。


「明日、夜が明けたら大島山の滝に参るがよい。そこに我が母が待っていようほどに、共に滝の後ろに身共が作った結界に入り、両三日は穿たれた岩穴にて過ごされよ。その後は母と仲よう暮らし、子が生まれたら母と共に育ててくれるよう頼む。委細は、母が承知いたしているゆえ、身共のときと同じじゃと話すがよい。達者で暮らせ」

「後のことはおまかせ下さいませ。いかようにでも致して生きてまいります」

知り合って短いい間柄が、これで永の別れとなるかのごとき言葉のやりとりではあったが、互いに取り乱すことのない深い縁(えにし)となったものであった。

人の範となるべく生まれついた者は、顔を向ける方向が自ずから定まる。そして行いにおいても優先するものが何であるかによっては、我が身をばかりを顧みることができないことが多々ある。


 五人の振る舞いが、この後の如何を決めるものとして、偉大なる意思から資質を問われているのかもしれないのであった。

 隼人たちの一行は、暗く霞んだ霧のなかのような茫漠たる空間を権現山に向かって何かに導かれてでもいるかのように進んでいく。行き着く先がなへんにて終りとなるのか、又そこに何事が待ち構えているのか定かならずといえど、迷うことなく逍遥と、しかし確かなる足取りで進んでいた。一身に代えてもなさねばならぬ星の下に生まれ、それがわかってこの場に集ったのかもしれなかった。能あるものが果たさねばならぬ責めともいえた。

 およそ人は、その立場に立たねば他からは理解されず、何をなしたのか外からは解からないまま埋もれてしまうことが多い。そういうときの他というのは、極めて表層的な事柄を捉え、無責任な評価をまるで自らは万能の神になったかの如くに口にするが、責めを負う立場にあると自覚した者は、いたずらに抗弁することがない。


 一行と別れた河尻は、その何者かに導かれるままに、高丘の森に向かって進んだ。

 誘われて近づいた丑三つ刻の高丘古墳の石室は、不気味である。

 空には三日月がかかり、肩にした槍の穂先と重なって鎌槍のように青白く光っている。

 その場で河尻が目にしたのは、怪しく光を放って開こうとしている穴であった。

 隼人との別れ際、「くれぐれも命に関わるようなことは避けて下され。貴殿には、看取らねばならぬ病身の母上も居ることゆえ」と言われてはいたが、開かんとする異界の穴を急いで塞がねば、広がった穴がいかなる惨事を噴出すか計り知れないと思われた。

 猶予はなかった。河尻又兵衛は、我が身をもってその穴を塞ぐほかに手立てがないと覚悟したのである。守らねばならぬものが沢山あった。

 躊躇いもなくその穴に身をこじ入れると、動かぬように我が身を我が槍で繋ぎとめて、穴を塞ぎ、生きながらその生涯を閉じたのである。

 落命の瞬間、まばゆい光を放って、天空に走り去るものがあった。

「母上、先立つことお許しくだされ。来世にては必ず・・・」

 同時刻、河尻の自己犠牲の覚悟の程を多とし、臥せっていた母のところにも金色の雲が舞い降り、その体は敬意をもって包み込まれて、その霊は天界に移されたのである。


 井伊左門は、権現山に足を踏み入れるやいなや、雄叫びを挙げおどろおどろしい面体をした者に三方から襲われた。面が外れなくなってしまった者たちである。

 抜き合わせると、水も堪らず瞬きの間もおかず三方に切って落とした。

 倒れ伏す三人の面はその瞬間に割れ落ち、顕れた顔には、自らでは外せなくなってしまった軛からようやく解放された深い安堵と感謝の面持ちが覗えた。

 その後は、乱戦となった。3人が山に逃れてより悪事を重ねた短時日の間に、図らずも魔界から呼び出してしまった有象無象は夥しい数にのぼっていた。斬っても斬っても際限がなかった。


 福島与五郎は、妻より先には死なぬと常々口癖にしていたが、五人張りとも言われる重藤の強弓に大鏑矢を番え、群雲の中に向け満月のように引き絞った弦を鳴らして矢を高々と射放った。そこに何者かが潜んでいることに、疑いは挟まなかった。名をば雲井にあぐるかななどという意識は微塵もない。この春の御前試合がなければ、この十年余、弓に触ることとてなかったから、名人と呼ばれたのも遠い昔のこと。武は極めるにつれ、その武器には拠らず内面にできあがってくる。使わずにすむ手だてのことに変わっていっていたからである。

 何事によらず、楽しいことになるような生き方が好きで、争わずに済ませられることが、武の鍛錬の励みであった福島である。

 矢羽に香を焚き染めた破魔の矢は、虚空を切り裂いてどこまでもどこまでも駆け上がり見えなくなった。源頼光の鵺退治なれば、ここで手応えがあろうものを、どのようなものが射返されてくるのかわからなかったが、そうするしかなかった。

 地面に並べられた矢筒から次々に抜き取られ放たれる矢は気を込められて、まるで一本の糸で繋がれたように同じ軌跡を描いて見えぬ相手に向かって射込められていった。

 ほどなく、放った矢は悉く戻って、福島の身体を針鼠のごとき様に変えたように見てとれた。

 しかしよく見ると、福島の身体から毫と離れぬ場所に隙間なくびっしりと突き立っていたのである。

 福島がその修行時代に求めたのは、狙いを寸毫もはずさぬということであった。

「そうじゃ、力にてでは収まらぬ。なれど其の方が愛しく思い守らんとした気概は受け取った」降り注ぐ矢音に交じり、その声は茫然として薄れ行く意識の耳にに届いた。

「慈愛深きことも同様にぶれてはならぬと、世に知らしめよ」生きて果すべき使命が残ったといえた。


 隼人は、山中に一人凝然と立っていた。

「その方らが今戦っている魔は、その方らが作ったものじゃ。一つ一つは薄く小さくとも、集まれば手に負えぬ。このまま気づかずに居るなら、見限らねばならぬ。自らが作ったもので滅びるが良いという警告じゃ」

 隼人の佇む横の山肌が、雷鳴と共に次々崩れ落ちた。

「もとより、その方の咎ではない。わが身には預かり知らぬことと目を背けるならそれもよし。そうするのであればこの世を長くはもたさぬ」

 意識をつないで真意を汲み取り、仁愛の心がまだ世にあることを伝えるよりない。神の美しい宮代は、誰もの身の内に備わっている。同じように魔の巣窟もそうである。意識の向け方の僅かな違いが、結果を大きく変えてしまう。

 深く深く瞑想して次元の壁を越えようとするる隼人の身体が溶けて、微細な霧が立ち上り、広く限りなく地を覆っていくのにつれ、隼人の姿はかき消され見えなくなった。

 こうして彼らの行いは、歴史に埋もれ去った。

 やがて白まんとする空に、明けの明星が瞬いていた。


 正義と言うものを為すのは難しい。

 所を変えれば正が邪に変りうるからである。非理法権天(ひりほうけんてん)という観念が示すように、非すなわち無理は、理即ち道理に劣位し、道理は法に劣位し、法は権威に劣位し、権威は天道に劣位する。争いがあるとき、理屈も何もないのでは、理由のある主張には敵わない。

 しかし双方にその立場による理屈があるのは当然だから、その場合は法に基づいて決めるということになるのだが、その法があったとしても、それを上回る権力の下では、力によって決まってしまう。

 正義と言うものがなされるのに、現世においては正邪善悪ではなく力によってが決められてしまうということだって往々にしてあり得る。それでは救われないことだってあるから、天(神)が決める場が必要になる。それであれば、永遠に生き続ける霊魂の世界があって、そこで正しく判断されることが必要となるということかというと、そうとばかりは言いきれない。長い生き死にのなかで醸成されていく法というものはある。残留する思念というか遺伝子化によって、正義というものは出来上がって行く。

 隼人たちは消え去って、静かな世が続くようにも見える。


 春ともなると、群咲く桜の花のもと、この地の神社の祭りがとりおこなわれる。

下伊那地方の神社の祭りには、獅子を舞う地域が多いが、獅子曳きを伴った獅子も随所に見受けられる。

 座光寺の獅子の行列は、高丘の森の古墳から出発して、麻績神社に納められる。この獅子は盲目で、しかも大変な暴れものということになっている。

右から左から真後ろからと襲い掛かる獅子を、獅子曳きの稚児、梅王丸、松王丸、桜丸の三兄弟が手綱で叱り叩きなだめ、獅子がおとなしくなったところで神社の方角を指し示し、「あの神社に行くのであるぞ」と諭す。

 この獅子と獅子曳きを護るのが、甲冑に身を固めた天狗である。前に赤天狗、後ろに青天狗が居て、ときに集まった見物人に怪我人が出るほどの手荒い警護をする。天狗が身を挺して守るのは、獅子と獅子曳きなのであるが、中でも獅子の尻尾に見立てられる「獅子花」と呼ばれる和紙を紅白に染めて作られた縁起物の牡丹に似た花を取られぬようにすることが要となる。獅子花をとると縁起がよいということになっているから、隙あらばと、見物人が獅子にむらがる。

 これらの仕来り通りの仕種をするのは、数々の、人知れず埋もれてしまった先人のお陰であるとの意識が、知らず知らずに形を変えて人々の記憶に止まっているからなのかも知れない。神様のお使い役ということになっているのだが、この祭りにも天狗がいて重要な役割を果たすことは興味深い。

 祭りが行われるのは、入学式の季節でもある。


                        第1部完

(第2部に続く)


隼人外伝

 修行がある段階に達した後は、文武に限らず、新たに加えなければならないものがあるということではなく、内なるものを削り出していくというのが相応しく思えるものになった。全ては内に存在していた。

 それに気づくまでに一定の経過は必要だとしても、何回もの生まれ変わりの中で蓄積されたものは、膨大であるが確かに存在した。全ては内なる神ともいえる形となって、そこに在った。

 初めは、剣の速さを求めた。しかし、そればかりではない。剣先が届かねばならぬし、緩慢に見えても避けられない刃筋というものもある。相手の間合いの外にいれば、いかなる攻撃であって躱しきれるが、躱していれば過ぎ去るというわけではなく、相手を凌駕する能力がなくては済まぬ。

 力というものには、能力というものと腕力というに相応しい暴力的なものがある。力のない正義というのは、ときに争いを助長する。抑止力として働かないのである。心の在り方は、更に重要であることに気づくに至る。

 人が志を高く掲げ、その達成のために弛まぬ努力と強い意思を保ち続けることは大事なことではあるが、念に凝り固まるのはよくない。心身は、軽やかで融通無碍である方が、人格の形成のためには良い。

「直心是れ道場」。直心とは、純一無雑で素直な心のことであり、直心なれば、喧騒の街頭もまた静寂そのもの道場なのである。

 一人の樵が斧で木を伐ろうと、山深く入ったところ、「さとり」という珍しい動物が姿を現わした。樵がこれを生け捕りにしようと思うと、さとりは直ちにその心を読み取り、「俺を生け捕りにしょうというのか?」という。

 樵が吃驚すると、「俺に心を読まれて、びっくりするとはお粗末な話だ」とまたもしたり顔でいう。

 ますます驚いた樵が、「ええい、小癪な奴。こうなれば斧で一撃のもとに殺してやろう」と考えた。

 するとさとりは、「こんどは俺を殺そうというのか。いやー、怖い怖い」と、更にからかうようにいう。

「こりゃー敵わぬ。こんな不気味な奴を相手にしておったんでは、めしの食いあげだ。こんなものにかかわらないで、本来の仕事を続けよう」と、樵は考えた。

 するとさとりは、「とうとう俺のことをあきらめたのか。かわいそうに!」と嘲笑った。

 樵はこの不気味な「さとり」を諦らめて、再び木を伐ることに没頭した。本来の仕事を続けていると、額からは玉のような汗が流れ始め、それにつれて雑念はなくなり全く無心になった。

 すると、偶然、全く偶然に、斧の頭が柄から抜けて飛び、さとりにあたった。お陰でさとりを生け捕りにすることができたという。

 樵の心を読み取り、樵をからかったサトリも、無心状態になった心までは読み取ることができなかった。

 大乗仏教の経典である維摩経に出てくる説話である。

 仏教も儒教も学問ではあったが、識字力を武士に限らず町民村民に高めたことに意義がある。人は、言語を介して論理的思考を組み上げる。文字は、言葉にできないことまでも書かれることで、その紙背に言外の意味を伝えることができる。

 自然界の万物に、八百万の神を感じ取り、畏まり受け入れ感謝する能力を培ってきた広い心が、我がことのみを願うのではない優しさを、時代が変えつつある。

 勤王だ佐幕だの主張も、偏れば主義主張ばかりを通そうとして、争いばかりになりかねない。

 活人剣、活人論でなくてはならぬ。隼人はそう思うのであった。

 今こそ、パワーではなくてフォースが必要とされる時なのだと、天からの警告と思しき地鳴りを聞くたびに、心するのであった。


 寺というのは、情報源でもあった。他国の旅人が寺に泊まることが多く、宿泊時の四方山話が、閉ざされた地方には得難い話を持ち込むのであった。

 大名家ばかりでなく、旗本などの所領地が入り組む三州街道沿いには、古刹も多い。

 天台宗 大嶋山 瑠璃寺。開基900年の歴史に生きるこの寺も、その一つである。 薬師瑠璃光如来三尊佛を本尊とし、日本で唯一の 薬師猫神様も祀られている。

 その寺近くの街道脇に、旅姿にきりりと身を固めた若い娘と供の小者がいて、周りを数人の男に取り囲まれていた。

「懐の書付を出せ」と迫るのに対し「ご無体な!書付とは何のことでございましょう。私には与り知らぬこと。見当違いにござりましょう!」

「いいや、そなただ。見間違いはない。早く出せ」

 小雪は、先代殿様の寵愛をうけていた叔母のもとに江戸屋敷奉公をしていたが、叔母がみまかったのを機に、故郷の黒田に帰る道すがら、嗜んでいる和歌を思い浮かぶまま書き留めていた。

 先ほども、道路脇の地蔵堂で一休みした際、懐紙に矢立の筆を走らせていたが、そういえば後から来た数人が堂の外でなにやらひそひそ話をしていた。

 堂内にいた小雪たちに気づくと、そそくさと立ち去った者たちらしい。

「ええい面倒だ。どのみち話を聞かれたのなら生かしておくわけにいかぬ。

切り捨てよ!」

 己たちの言い分のみを通そうとする乱暴狼藉に及ぼうとしていたのである。

「待たれよ!白昼も憚らず、婦女子を相手に如何なる所存か?」たまたま通りかかった隼人が瞬きの間も与えず、囲みの中にすっと割って入ると、背中に小雪主従を庇い「早くここを離れるがよい」と、小声で促した。

「無用の邪魔立てをするな。その方に関わりないことぞ」と喚きたてるのに向かって、

「最前より見るに、おぬし等の勘違いのようじゃ。こちらの主従に思い当たる節がなさそうなのは明白じゃ。刀を引いて、早々に立ち去れ!」

 オッ取り囲んだ面々は、問答無用とばかりに、呼吸を合わせ、四方から隼人めがけて切りかかった。白刃が交差するなか、隼人の躰はひらりひらりと舞うように動き、ときに白刃の背に次々乗って廻っているかに見えた。「天狗舞い」隼人は息一つ乱れていなかったが、切りかかった者たちはすでに息も絶え絶え、へとへとになっていた。圧倒的技量差に男たちは戦意を失い、ほうほうの体で這うようにして姿を消した。

「危ういところを忝のうございました」衣紋を正し腰をかがめて挨拶する小雪に、

「いやなに、双方に怪我もなくよかった」汗一つないさわやかな顔であった。

「某は薄田隼人と申す者であるが、見覚えのあるお顔立ちと存じ割って入り申した。そこもとの身のこなしを見るに、無用の助成であったかも知れぬ。飯田城下まで戻るところであるが、そなたらはいずれまで参られる?差し支えなくば、途中までお送り申そう」

 黒田まで行くという小雪主従を、念のため警護しようというのであった。

「忝のうございます。座光寺小雪と申しまする。貴方様のことは、良く存じ上げております。幼き頃に育った地で度々お見掛け致しておりました」

 黒田にある生家に帰る小雪にしてみれば、願ってもなく心強いことであった。

 黒田といえば、本編にあるように、狒狒退治で有名な姫宮神社があるところ。「姫宮」というなれば、隣接の八王子神社に対するものとなる。さすれば姫宮様というのは鹿屋野比売命が祀られていることになろうか。

 野底山に相応しい、山の神、野の神、草の神というわけで、このあたりに風越山に通じる道があることや、土器や石器がよく出てくる場所であることからも、古くからの山岳信仰があったのかも知れない。

 さして険しくもないし高い山であるというわけでもない。しかるに狒狒などという異形のものが居たということであれば、異界の裂け目があるのかも知れない。

 権現山の鳴動は続いているのである。

 かかるときに現れた小雪も、また時を繋ぐ役割を担わされているのであろうか。和歌を嗜むというのも、古の道に繋がっているように思える。

 個人は、少なくとも言語を使うにおいて、決して他者から切り離しては考えられない。

 それを介する以上、他者とのかかわりが予定されており、好まないと言ったところで社会性がついてまわることになる。しかもこれを文字にすることで、人を喜ばせることもあるが傷つけることも更にある。高度に発達した精神活動を、あやまたずに表現することは至難というより不可能に近い。

 であるから、ありったけでものを言うとき、可能なかぎり美しい言葉で素直に表現することで、理解してもらうこともできるし、また逆には、性、善なるものと他を汲み取ることもできる。

 日本語の成り立ちの中に、伝承形式として確立した音声としての日本語が既にあって、そこに文字も備えた中国語が入ってきたと考えられる。取り入れざるを得なかった他文化は、その言語を理解することなしに、仏教であれ律令であれ触れることが適わなかった。

 しかし神話や万葉に知ることのできる美しい日本語は現にあり、それを失わせることなく内容を読み解こうとすることは、想像するだに苦難の連続であったとするに難くない。

模索模索して、ついには訓を使うという二重の読み方を発明することで、双方の文化を統合するを得るに至ったのだと思う。しかも日本語を表す文字は、音のみならず『意味』までを兼ね備える。和歌はそれをつなぐ。

 そうしたあらゆる努力をしたに違いない先人を思う時、仇や疎かに言辞を弄してはならないと思うのである。

 言葉は、己をわかってもらいたいがため発せられるとしたら、その土俵にあがるときに必要な普遍的ルールであるというのが私見です。

 人間は、唯一学習を許された動物であり、よい事を積み上げ伝統として昇華させることができるのであれば、及ばぬまでも歴史をつなぐ役割を少しなりとも担わなくては、とも思うのである。

 中国の周辺諸国に、言葉遊びができるほどに文字を発達させたところが他にあるとは、寡聞にして知らぬ。

 わが国には、平安の昔から掛詞をはじめとするシャレた言葉の文化がある。何事も排除せず受け入れ、畏まって人としての感性を磨き、韻を踏む豊かな言語とによって精神活動が高められてのことである。

 さは言えど、隼人が道中に何か話を交わしたというわけではない。

 門前まで何事もなく小雪を送り届け、丁寧に礼を述べ「茶など一服点てますほどに」と招き入れられるのを固辞して、隼人は踵を返した。道々に僅かばかり交わした言葉の中に、小雪の細やかな心映えを見て、心地よかった。この先に縁が深まる予感があった。

 何日かして、使いに出た家人が、屋敷の周りを窺う不審な者の姿を目にした。武家屋敷であるから濫りに討ち入る愚は犯すまいにしても、隼人が去り際に言い残した言葉

「先ほどの者たちがつけてきているかも知れ申さぬ。気配りはして参ったが、彼らをまくほどにして来たわけではござらぬゆえ、しばらくは用心めされよ。もし不穏な気配があるようなれば遠慮は無用、お知らせ下されよ」に頼ることにした。

 迷惑な依頼であるとは承知しながら、隼人なれば大きな騒ぎにせずに納めてくれそうに思ったということもあるが、もう一度お会いしたいと思う心の方が思慮に勝った。

 付け狙われるような悪巧みを耳にしたというわけではないが、聞かれたかも知れぬと疑う側の存念は計り知ることは叶わぬ。見境いをなくす可能性はあり得るから、手段を選ばぬ行動に出ることへの備えはするに越した方が良いと思いつつも、隼人に知らせるについては面映ゆさもあった。薙刀をとれば、おめおめ遅れをとるとも思えぬ。僅かばかりの縁に縋って人様に迷惑をかけるより、敵わぬまでも戦って、いざとなれば潔く死ねばよいのだという覚悟もあるからであった。

 隼人が自ら眼前に姿を現したのを見た時、小雪はそれこそこれで死んでも良いと思ったのであった。心の底から嬉しかったのであった。

 人は、我がことのみを思うのでなく、他人への思いやりがなくてはかなわぬ。善き人たちとの縁も広げなくてはならぬ。一人ではないのであるとする隼人にしてみれば、当然のことであった。

 隼人が屋敷内に入るのを何処かから窺っていたのか、その後数日たつも際立った変化は起こらなかったのであるが、そろそろ大丈夫かと隼人が思い始めた早朝、白羽の矢が飛来し軒先に深々と突き立ったのであった。

 白羽の矢が突き立つのは、この地の伝説であるが、この300年絶えてなかったこと。

 狒狒は、いうなれば異界からの魔物。姫宮神社近くに鎮めの石が据えられていたのであるが、何時の間にか少しずれていた。そこからの瘴気が漏れ出して、心ゆがんだ人に憑依してしまっているかも知れぬ。それは災いを広げる。

 気づいた時点で、隼人はそこに籠目の結界を張った。籠目とは、かごめかごめ籠の中の鳥は、と童歌に唄われる六芒星。ときを置かずして、城下の八か所に正八角形の照魔の結界も張り終えてはいるが、用心に越したことはない。

「小雪殿、早速なれどお支度めされよ。これより城中にご案内申す」隼人がこのところ懸念していることと関わりがあるように思えたからであった。

 こうして、小雪は隼人からの預かり人として、掘大和の守の庇護の下に置かれることになったのである。権現山の鳴動は、相変わらず続いていた。



井伊左門外伝

 井伊は、生来自分が表立って何かをすることを好まない。目立たないところで、仮令誰が気づくことがないとしても、人の世話をするのが性にあっているのだと思っている。

 自分というものを余り出さないから、時に軽く見られることがあるが、彼の縁の下の力持ち的な働きがあって物事が治まっていることを、知る人は知っている。

 武士の表芸である剣の腕も、端倪すべかざる技量を備えているが、それを知る者も又、僅かしかいない。それは、道場などで修行したのではないことにもよる。

 天賦の才があったというしかないが、どこからか湧いてくるものに素直に従っているだけのことと思っているから、修行に励む人への遠慮もあった。

 捉われることが少なく伸びやかにしているから、ときどきの自然の美しさにも目が行く。

 折から山桜が咲いているのを、手折ると枝が裂けて見苦しいからと、小柄を抜いて一枝切落としたのを携え家路をたどる道で隼人とすれ違った。

「よいお日柄でござる。ご貴殿が切り取られた枝でござるか」と隼人が声をかけた。

「さようにござるが、何故にての問でござろう」

「余りに切り口が鮮やかに見え申したので、卒爾ながらお尋ね申した」

 これが、隼人と井伊が最初に出会った時の会話であった。会うべくして会ったのだと言えよう。井伊も時を繋ぐ者の一人であった。

 井伊は、自然の中にいるのが好きであった。鳥が翼を翻して飛ぶのや、猫が獲物を捕らえる身の熟しを見るともなく見ている内に、それらの動きが何時の間にやら身に備わった。

 そよ風の中に身を浸しているうちに、風の裂け目ともいえるものが見えるようになった。

 自然に逆らわず、それに身を任せば、体が自然に動くのだということが体感したことなのであった。我意を働かせることよりもずっと自在でいられることを知ったのであった。

 自らの役割を果たさねばならない時が来るとすれば、それは自ずと解ることであり、その時が至るなれば、その時は力の限り立ち働けばよい。任せていれば良いことだと思っていた。

 武士に生れついたからには、いずれ一命を惜しまず尽くさねばならぬ事態が起こり得るとの覚悟はある。それが何に対してであるのかは、未だ知れなかった。

 井伊の家の前の庭先は、子供たちの遊び場に解放している。武士も町民も百姓もない。仲良く遊ぶことを約束事にさせている。それを身分柄を弁えずと眉を顰める向きがないわけではないが、表立って苦情を言ってくる者がないのも、井伊の人柄であった。

 子供たちの揉め事は、井伊が現れるだけで自然に治まる。今日も、立ち帰ると子供たちが周りに群れてきた。

「おじちゃ~ん」というのに「おじちゃんじゃなくてお兄ちゃんじゃ」と言いつつ「どうした?」と尋ねた。

「またいつもの意地悪鳥が、小鳥を苛めているんだよ」子供たちが小石を投げても届かない位の距離にいるから追い払えない。

「おじちゃん、いつものやつやってよ」というのに「そうかそうか」と答えながら、右手で手刀を作り軽く構えた。鳥に向かって無言の気合いと共に手を振ると、その意地悪鳥はバタバタしながら地上に落下した後、慌てて飛び去った。命を取るほどのことをしないのは、いつものことであった。

 人は大自然の中にいて、自分に都合の良いことばかりを大して感謝することなく取り入れる。自然の猛威というのはいつでもついて回っているのだが、見ないふりをしていて、いざその災害にあうと不条理なものとして嘆く。

 陰も陽も一体のものだとは考えず、不都合なものは避けて通る。誰もが自分でできるかぎりのことを担えばよいのだが、それはしない。人が避けることを負担するのは、結局それができる人が人知れずそっとしていることになる。

 それは、天に対し畏まることができるかどうかによる。井伊とは、そんな男であった。

 井伊は、自分が組織の中に馴染まない性格であることを知っている。自分の信じることを曲げてまで出世のために折り合いをつけることができない。そんなことをするよりも周りが良くなることに人知れず動くことの方を選ぶ。凄まじいばかりの剣の腕をもっていることをひけらかしたりしたことはないから、他人はそれを知らないし、目端の利いた働きをすることがないこともあって時に軽んぜられるが、そんなことは一向に意に介さない。

 酒を飲んで目立たないでいる方が、面倒がなくて良いと思っている。

 酒を飲むにも拘りがある。料理やつまみなしで、傍らに水を置いて酒と水を交互に飲む。酒量が多くなっても酔いつぶれるようなことはない。体に似合わず酒豪なのである。

 隼人とは、家が近いこともあって、幼いときから仲良く遊んだ。本編の御前試合に出たのも、隼人から是非にと頼まれたからであって、何故にそうするかの理由は理解したけれど、さして気乗りがしたわけではない。御前に披露したのも、かなりぶっきらぼうなものであった。判る人がわかれば良いと、隼人がいうことに従ったまでである。

 いずれ抜き差しならぬことになるやも知れぬとの思いはあったが、そうなっても不足には思わないというのが、隼人との信頼関係であった。



河尻又兵衛

 武家の表芸である刀・弓・馬・槍を総称して「武芸四門」という。

 中でも槍は、薙刀と並んで、突く切る薙ぐ払う叩く等の何れにも適していて、最強の武具といえる。対抗しうるのは、小刀・懐剣ということになる。間合いに入られると、具合が悪いが、その間合いに入ることがなかなかに難しい。河尻は、その槍を使う巧者であった。物ごころが付いたとき、いつの間にか槍に触れて育っていた。馴染んでいたのだといえよう。

 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて槍が生まれ、それが次第に武将も使うようにもなり、武芸としての槍術が発達していった。

 武将が使うようになるにつれ、槍自体も使い手の好みによって改良が重ねられて、普通の素槍一種類から、穂が長い大身槍、穂の根元が分岐している鎌槍や十文字槍、柄に可動性の管を装着して突き出し易くした管槍、柄が短い手突槍など、さまざまな種類が生まれた。

 流派も多岐にわたるが、他流試合というものは無かったようである。

 河尻又兵衛は、母方の伯父である尾張藩の家臣であった河尻又三郎が嗜む貫流を垣間見て、槍を使うことになった。

 貫流は、尾張藩の御留流であるから、表立っての手ほどきを受けることは叶わなかったし、伯父が若くして身罷ったから、貫流が身についたわけではない。

 貫流は、長さ二間の長槍に管を通して用いる。管を通すことを有効に使い、敵の刹那の崩れをつき、螺旋を描いて槍を素早く繰り出し繰引くことによる速さに破壊力を生む。

 この流儀は、槍・剣の二芸は「車の両輪・鳥の双翼の如し」「槍法を知らずして刀術を語ること勿れ。刀法を知らずして槍術を語ること勿れ」ということになっている。

 河尻は、管槍ではなく長柄大身の素槍を使う。幼少期から膂力衆に秀で、屋敷の庭が広かったから、槍を振り回すのに何の不都合もなかった。

 自分で巻き藁を何本も作り、墨で的を黒く塗って、突く薙ぐ叩く払うを飽きずに繰り返した。あるとき、蝿が異常に発生した。飛び廻るこれらを目がけ、突く切る払うをして過たず全てを地面に落とすことができるようになっているのに気付いた。そんな時である。隼人が偶々通りかかって生け垣超こしにそれを目にして声をかけた。

「ご修行中に卒爾ながら。凄まじき業前にござる。拙者は薄田隼人と申す者にござるが、是非とも間近にて見学のお許しを頂きたく存ずる」

「薄田殿のご高名は、かねてより存じ上げ申す。できますれば当方こそ、ご貴殿の刀法をご教示賜りたく存ずる」

 一流を極めた者は、腰の据わり呼吸ひとつで解りあえたということか。双方十五歳前の夏のことであった。

 前置き抜きで、真槍と真剣をとって向き合い、呼吸を計って対峙するも両者とも微動だにせず四半刻がすぎた。一合も交わすことなく槍と剣を引き合い、深々と礼をし合うと、

「恐れ入ってござる」「恐れ入ってござる」と同時に口に出していた。

 打ち合いこそしなかったが、数十合のやりとりがあったということである。

 縁先に並んで腰をおろし、緑が濃くなった風越山の上に広がる蒼い空を眺めた。

 そこに又兵衛の母親が茶を点てて運んでくると、そっと静かに置いて言葉を発することなく退っていった。豪放磊落な息子に対し、何事も解って物静かでいられる母であった。


「虚空蔵山あたりの雲行きが、近頃怪しゅう感じられてなり申さぬ。」隼人が問われもせぬのにポツリと口をきった。技を極めた者は、超常現象にも敏感である。河尻もまた、肌に感じていることであった。


 この伊那谷に入るには、いずれの道を選ぶにしても、鬼の栖といわれる峠を越えねばならぬが、その鬼が連れだってくることだってありうる。

 河尻は、何時の事になるか知れぬが、命がけとなるそのときが来た時に心残りとならないよう、母親への孝養を尽くしておかねばならぬと、漠然とではあるが心に決めていたのである。

 肺腑を衝く。槍の修練が進むにつれ、急所を突くということは、肉体のみのことではなく、言葉や行いが人を動かすことを知るようになった。誠を尽くすということである。至誠は、天に通ずるということであれば、心の出し入れが武技に勝るのだと、河尻は信じるに至っていた。



福島与五郎

 武家は「弓馬の家」とも呼ばれ、武士は「弓矢持つ身」と称した。戦場にあって武功をあげることを「弓馬の誉」とする如く、弓術と馬術は武士の能力そのものともされた。

 弓は、古くは桑・梓・檀(まゆみ)などを削って作られたが、木の外側に竹を当てることで強度と性能を増し、弓の幹の割れを防ぐ為に麻糸や藤を巻き漆を塗るなど工夫が凝らされると共に、美的外観も備えるようになった。矢も、弓と共に進歩した。矢竹は、矢箆竹(やのちく)を使い、矢羽は鷲・鷹など猛禽類の羽を使うのを最良とするが、高価であることから、白鳥や鳶も使われた。

 弓矢は、武器というより神器の色合いが濃い。弓矢の威光をもって魔障を払う。鳴弦(めいげん)は、弓に矢を番えないで弦だけを鳴らして悪魔や妖気を打ち払うことであるし、引目は、鏑矢を引き放つときの高い音で、同様の効果が得られるとされていた。

 弓の稽古は、作法が殊の外重要視されるのも、そんなあたりにあるのかも知れない。

 元善光寺の矢場にて奉納される金的を射る催しも、的に命中させることのみを争うものではない。全射命中すれば、確かに名誉なことではあったが・・・

 福島は、およそ神仏に恃むということをしない。何時の頃からか、頼んで甲斐があるものとは思えなくなっていた。外に求めなくとも、内にそもそも備わっているのではないのか?内にないものは、気づくこともできねば得ることもできない。あくせく欲をかくから、それを削り出すことができない。大らかに素直にしていれば、機に応じて顕れるものだと思っている。

 生きてあるうちは、自らが楽しくあらねばならない。そう思うにつけ、歯を食いしばって修行するというようなことをしないで済む工夫をする。合理的なのである。

 よりどころを外に求めるのは身勝手に過ぎるとして、己ができることに全てを尽くそうとしてはいるが、それであって尚、己が身内から引き出せるものは、求めれば無尽蔵なのだとも感じている。それができないとしたら、まだ理解できない力の働きがあるということであるとして、それが現れるのを待つのみだと思っているのである。

 理解できないものは無いとするのはあたらない。縦横斜め意外に働く力というのは確かにある。それが精神の働きということになれば、尚更のことである。願いを叶えるためのものであれば、それは意識だけでは如何とも為しがたいから、気楽でいるのが良いとしている福島である。気乗りのしないことは避ける気があるから、一見自分勝手に見えるが、悪気があるわけではない。性格の持つ特性といえる。

 薄い壁を通して、何事をも可能にしてしまう空間があるのであり、そこに繋がる手立てが如何にしたら得られるのかは詳らかでないにしても、それはあるのであって、不意にそこに至ることがあるのだということについての感覚が、隼人と共通する認識であり、解りあえていた。

 福島は、武道といえど興がのるような楽しみを伴うものを好む。弓の他の剣も、曲芸とも思えるような技もそんなところから自然に身についた。本編にある、縫い針を畳に並べ立て居合抜きに次々打ち込む技も、遠い的を射ぬく弓矢のための目をもってすれば、苦もないことであった。

 風の中にあっても瞬きしない目力は、人が見落とす僅かな動きの変化も見逃さないから誤魔化しが効かない相手であるはずが、一見遊び人に見えるから、他から用心されはしない。然して、楽しくなくては生きる甲斐がないとする、武家勤めに似合わない男ではあった。



第2部

        邂逅


 数馬が生まれた時、雷鳴が轟き落雷が地を裂き風雨が吹き荒んだ。

 風神は悪を追い払い、雷神は善を勧め水雨を整えるのだという。風雷いずれも自然現象なるに、天地剖判(ぼうはん=二つに分かれること)以来、元が一つであったものが分かれて成れるものは、上下・左右・正邪・美醜などなど限りなくある。神の如何なる意識があって何故分離したかは解らぬが、分かれればそこに隙間は生じる。

 雷は巨大なエネルギーを地上に降り注ぐが、天にも同じ分量を放出する。それは光の粒となり、風を起こして宇宙に充満し天地をつなぐ。

 そもそも一なるものは、分かれたことの意味は理解できずとも、分かれた部分に働きがそれぞれにあり、それを任されたことであると感じ取ることはできよう。その持ち分に上下はないのであると知れば、そこに不満は生じまい。分かれたものには中心があり、そこがバランスの場所なのであろう。


 人だかりがあった。放課後の部活の時間帯である。

 美少女であるとつとに知られた部長が茶を点てているのを、隙間から覗き見ようというのである。

 当校茶道部では、創部以来猿蔵の泉から汲んできた水を使うことになっていた。

猿蔵の泉とは、江戸時代の頃、茶道家の不蔵庵龍渓宗匠が、茶に適した水を求め、京を発って諸国を遍歴していたとき、天竜川下流の水のうまさに心をひかれ、その源を探り尋ね支流を遡ること40キロメートル、風越山のふもと松川渓谷で発見したと言われる泉。

 奇しくも、これまた風越山に因むのである。

 近年一応男女共学校ということになったが、元々は男子の進学校という歴史があることから、女生徒の割合が極めて少なく、その上美女ということであれば人気はいや増して、人知れず青春の胸を焦がす若者が多かった。

 日々の学業は、知識を増やすものではあっても、知識の増大が即ち分別を生むものではない。知るということは、わからないことに対しては極めて無力である。知りえぬ状況をどのように判断するかは、また別の智恵であるのだが、恋心という目には見えないものであっても、認識されればそれは形あるものと変わらず確かに存在するものといえるから、対処の方法を探ることになる。そして往々にして間違う。

 而して、超常現象も認識されることにおいては存在を否定できず、変なマジナイに頼る者も出て不思議がなかった。

 近頃は、自らに内在する神性を意識する人は少なく、一方的我意をコントロールする事ができず相手や周りに害を及ぼしてしまう者が多い。我意は、即ち害であった。

 数馬には見えるというか解るというかの能力が幼くして備わっていたから、いずれ好むと好まざるに拘わらず、その働きをしなくてはならない場に立つ予感があった。

 見渡せば、段丘の春はうららに霞んで、暴れ天竜川は水嵩を減らしていたが、権現山が時を越えてまたぞろ鳴動し始めていた。

 天竜川と権現山の間には高速道路が龍蛇のごとくうねり走り、夜ともなれば赤カガチの目さながらに光るヘッドライトの流線が行きかい、その吐く息は、むかし手が届くほどの距離に見えた輝く星々を曇らせていたのである。

 カガチとは酸漿(ホウズキ)の古名、八岐大蛇にもその記述がある。

 変じて蛇のことをカガチといい、蝮の数百倍の毒をもつというアカカガシというのが山野を這い回っている。不気味である。


 雨の境目というのを見た人は少ないだろうが、少年のころにそれを見たことがある。

 真夏の昼下がり、乾ききった地面を夕立が叩いた。線を引いたように左側は土煙を上げて雨に打たれ、見る間に乾いて赤茶けた土を黒く染めたが、右側は相変わらずの土埃を雨風が舞いあげさせ草の葉の上に積もらせていた。

 数馬には時として、同じ空間なのに別次元の世界らしきものが平行して動いているのが見えることがある。1歩踏み越えれば、そちらの世界に入り込めるかと思える程のものであった。境目や範を越えて、そちらのものが越境してきても、不思議ではないと思うのであった。

 世情の乱れや人心の荒廃は、そんなところにも遠因があるのかも知れない。

憑かれるということも聞くことがある。古くは狐などの動物霊であったり悪霊と呼ばれるものであったり、新たには自分が呼び寄せてしまった超常エネルギーであったりする。

 良い結果を生むものであれば望外の幸せということになろうが、自らが引け目に思う行いが良い結果を齎すエネルギーを呼び寄せることはなさそうである。

 本来は性が善であるはずのものを、自らが貶めるような言動を度重ねていることで、波動が荒くなってしまっての結果であるとすれば、折角魂の磨きの場を今生に得られたというのに悔やみきれないこととなりかねない。

 自分が意図しないものであるにも拘らず、他人に雷同して引きずられていることによるのであれば、踏みとどまる勇気をもたない限りいずれ自分でツケを払うことになるのは、それが因果だということに思いを致す必要があろう。


 思い込みの激しい男が、茶道部の部長である桜町真央に暗い想いを寄せた。いわゆる懸想したということである。自己本位そのものともいえる暗い想念を抱いた。

「数くん、私このごろ気味が悪いことが多いのよ。いつも誰かに見られているようだったり、時々後ろからつけられているような気がしたり、怖い夢もみるの」

 真央が、幼馴染である数馬に学校帰りの道すがら話しかけた。

「真央ネーは、誰にでも好かれるタイプだから、気をつけないとね」

「そんなことはないわよ。気が強いし茶道をやっているにしてはお転婆だし、好き嫌いはハッキリしてるし。数くんの知ってるとおりよ」

「それでも、綺麗な女の子は気をつけないと」

「あら、高校生ともなると数くんでもお世辞をいえるの。今まで私のこと女扱いしなかったくせに」

 入学して数日しか経っていなくとも、真央にファンが多いことを知らされていた。素直に接すればよいものを、内に篭らせて遠巻きにしている者が多いということもである。

 数馬には、感ずるというか見えるというかしてしまうものがある。

 生霊というか、生きている者の凝らしたエネルギーというものが異常に強くなることがあるのがわかってはいても、どう処するかは教えようもないのであった。

 それに較べれば、死霊は対処さえ誤らねば、さしたることなく済ませられるのかもしれない。そんなことを言うと、宗教家にクレームを付けられるかもしれないが・・・。

 有名な話がある。

 深い恨みを持って仇と付け狙っていた男が逆に捕らえられ、その敵と狙う武士の面前に高手小手に縄をかけられ引き据えられた。怨みの形相物凄く歯噛みして「死んでもこの怨み晴らさずにはおかぬ」と吠えるのに対し、捕らえた方の武士が、「ほう、死んでもな。そうできるかどうか証を見せてみよ」と言ったという。

「しからば、首を刎ねられたらそこにある石灯籠に噛み付いてみせよう」

 首斬り役人が、水もたまらず一刀両断に首を斬り落とすと、胴を離れたその首は空を飛んで狙い過たずその石灯籠に喰らいついたのだという。

 その場に居合わせた家臣たちは、あまりの凄まじさに顔面蒼白、言葉を失った。

それから月日が流れたが、一向に障りとなる現象はいつかな起こる気配をみせなかった。

 家臣の一人が恐る恐る「あの怨みに満ちた男の霊は、どうなったのでございましょう」と尋ねると、

「ああ、あれか。怨みの一念凝り固まって石灯籠に向かってしまってそれで終

わりよ」

 その先はないのだ、と言うのであった。逸らしてしまったということである。

 それとは別に、思い方というのもある。くよくよ悩んでいると、それらの悩みの種を益々引き寄せてしまう。


 風越山の背面の空を茜色に染めて、夜の帳がおりた。異様に赤い。

 日が暮れると、街中の路地のあちらこちらに赤い灯青い灯が点って、時がたつにつれ足取りの定かならぬ者たちの数が増し、恐怖がそこに迫っているのを気づきもしないで、あたりはさんざめくにまかされて、常と変わりなかった。

 黒曜石のように黒く透き通った大きく不気味な目が、中天からそれらを見ていた。

 黒曜石は、別名矢の根石と呼ばれ、鏃の形に整えられたものが、このあたりでは畑のあちらこちらから珍しくもなく見つけることができた。信州の和田峠あたりで採れる原石が太古の昔いかなる流通経路を辿って、日本国中に広まったものなのだろうか。信州の山深いところからであることを思うと、不思議といわざるを得ない。

 鏃が沢山あったほかに、大きな石斧も見つけて持っていたのであるが、明らかに打製石器の様相を呈していたので、小学生時代先生に見せたところ、

「日本は磨製石器の時代からの歴史しかない」と、その先生は頑として譲らなかった。

 それから何十年かして、隣村の牛牧から出土した石器が打製石器であるということになって歴史は塗り変わった。その先生、素直に物事を見ることができていたら、歴史に名を残せたかもしれないのに、残念なことではある。

 その牛牧から山道を登ると、大島山の滝がある。巨大な1枚岩を削って丈余の滝が水しぶきをあげている。

 数馬はここで瞑想するのが常であったが、ある日何かに急かされて、滝の上から滝つぼに飛びこんだことがある。まかり間違えば命の危険さえあるところであるにも拘らずであった。

 渦巻く滝つぼの中には、抉られたような空洞があり、いずくかに繋がっているらしき洞穴が黒々と続いていた。しかし不思議なことに、光が差し込むことが無いにも拘らず、洞の先が仄明るいのである。

 今このときではないが、いずれこの先に進み入るであろう予感があった。

 通じるための道というのは、地中にあるのだろうか?天空に開けるのだろうか?我が身内にあるのだろうか?わかりそうでわからないもどかしさがあった。


 川田勝夫は、同じクラスの真央に思いを寄せていたが、声を交わすこともできず悶々とした毎日を過ごした。悩みの時間は陰陽を越える丑三つ時になると最悪の決心をするに到った。

 いかなるものごとであれ、この時間帯に考えて出る結論にはろくなことがないことが多い。襲って拉致することにしたのである。人目を避けるのは容易なことではないから、準備が必用であることは意識にあるが、短絡的に見境がなくなってしまっていた。憑かれたのである。

 類は類を呼ぶ。本来は善である者も意識が沈んで良からぬことを考えることが度重なると、悪い波動は悪い波動を持ったものが同期しやすくなり、自分が思いもしなかった大事に至ることが多い。因がなければ縁に触れることもないし果もないということになる。

 道は、踏み外した最初が小さなものであっても、自ら踏みとどまることができねば、際限もなく深みに嵌る。他人ではなく自分のことなのである。

 川田勝夫は、普段の気弱さからは考えられない行動に走ることになった。町外れの神社の暗がりに潜み、日が落ちて暗くなった道を大抵は一人で帰る真央を襲うことにしたのである。

 神社というのは、午後の2時くらいまでの明るいうちに詣でるのはよいが、遅い時刻になると参拝者の落としてゆく澱みが払われきれずに残存していることが多い。善男善女ばかりが参拝するとは限らないから、得てして悪想念からの黒い欲望を吐き散らして憚らない者だって参拝者の中には多くいるから、それらが滞る。それらの中に入れば染まることだってあり得る。

 悪念は凝り固まれば、たとえその望みを果たしても、我が身を滅ぼす。空気が清々しいうちに参拝すべきなのである。

 部活を終え部室の片付けが済むと、部員達は口々に部長である真央に丁寧に挨拶してそれぞれ退出した。戸締りをして外に出たときには中天に朧月がかかって、あたりをやわらかく包んでいた。真央の帰路は、街中を抜けると両脇に果樹園が続く三州街道を4キロメートルほど歩くことになる。日が暮れると、果樹園の手入れに朝から忙しい付近の住人は明日の為に眠りにつくから人通りは絶える。

 しかし、和やかな伊那谷のこのあたりの治安は、女子供が仮令一人で歩いても、何の不安も覚えぬほど安定していた。遠く山間から、ときに狐の鳴き声が聞こえるのが寂しいといえば寂しいと言えるくらいのものである。

 狐火というのがある。遠く高くに聳える尖った山並みの上を、点々と仄の白い灯りが渡ってゆく。古人は、これを狐火と呼んで人魂と同じく恐れた。なんらかのエネルギーの移動あるいは攪拌があるのではなかろうか。

 真央は、幼少時代の数馬の修行に幼馴染ということもあって遊びのように付き合ったから、本人が気づかぬまま、その身体能力は尋常一様なものではなかった。

 部活を一所懸命にやった充足感からか、真央は機嫌がよかった。歌を口ずさみながら、街はずれの神社の鳥居近くにある道祖神を刻んだ石像前を通り過ぎようとした。その時、背後から襲われた。

 黒い布で面を包んだ男に、口を押さえられて後ろに引き倒されようとしたのである。

 そこからの真央の反応は早かった。右足踵で相手の右足甲を強く踏みつけ、痛さに怯んだ処に向き返ると、右手の裏拳が眉間に間髪を入れず打ち込まれていた。  ギャッっと声をあげて男は後ずさり、そのまま一目散に逃げ去った。

 真央は息も乱さず、何事もなかったように家路に再びついた。豪胆である。嫋やかに見える外見からは、誰も想像できないことであった。

 翌朝、勝夫は病気を理由に学校を休んだ。その実は、打たれた顔面の腫れが引かなかったからである。休んだついでに次の手立てを考えることにした。親の金を使えば、自分でやるより容易にできる。エスカレートするのが、悪事の常である。

 子供時代から、悪戯の泥をかぶせ自分が何食わぬ顔で通してくることができたのは、手駒であると川田が自分勝手に思い込んでいる男がいたからである。自分の力ではなく、親の威を借る勘違い者は、どこにでもいる。

 現在は、暴力事件がらみの関係者であると決め付けられて停学中であるから、目立たなくて好都合な松田芳樹を呼び出した。

 計画は乱暴である。拉致して自家の古くなって使わなくなった山小屋に監禁しようというのである。その後に起こるであろう事態への収拾策もなにもあったものではなく、頭に血がのぼって破滅への道をまっしぐら。何かに憑かれた恐ろしさというほかない。山のむこうから、いったい何が来たのやら・・・。

 松田芳樹は、親がかりのいきがかりもあって、川田勝夫に無理やりその役回りを押し付けられることがあったりはしたが、もとより気は進まなかったことの方が多い。乱暴であるとして咎められることは多かったが、その乱暴には常に言い分があった。人として越えてはならぬものを侵してまでのことをするということは、今までなかったのである。

 今回の川田の申し出には落としどころを考えねばならなかった。更には、破綻を招く前に、川田の立ち直りのキッカケをも図るには、どうすればよいかと思うにつけ、今までの彼の性格の歪みを知っているだけに、暗澹たる思いにかられるのであった。

 松田は、一見ワルのイメージで通っているが、自分のことだけに捉われてものごとを為す質ではない。そういう意味で、数馬とも今までに接点がある。入学式の後の部員勧誘のおり、天空から鳶を切り落とした男である。その後、真央が数馬にとって身内に等しいということも知るに至っている。

 どうにか、表沙汰やおおごとにならないように収めねばならぬ。それも頭に血がのぼったままでいる川田にそれと知られずにということである。

「内々に話してみるしかないか」ということに思いは行き着く。かといって、川田の恥をさらけることになるのは、相談ともならぬ相談を持ちかけられている手前、いささか気がとがめなくもない。されど人としては踏みとどまるべき行いを助長するわけにもいかぬ。

 気が弱いだけで、根からの悪党であるとは思えない川田を、大きく間違わせるわけにはいかぬし、片棒を担ぐというのは真っ平だというのも、正義漢ぶるわけではないが本音。不思議な記憶力を持つ川田を、憎からずとも思い、どこか遠い記憶が、思い出せないずっと昔からのかかわりがあったように思えてならないのであった。

 どうやって川田の意を翻させるか。というのも、気の弱さが激情に走る気のある川田であることを知っているだけに、放り出して思いつめれば何をするかわからない恐れもあって、自分が彼を抑えないとならぬと思うのであった。

 夜ともなると、山裾に鬼火が燃えるのが見られるようになっていた。鬼火と書いてホウズキとも読む。ホウズキの古名は、カガチ。カガチはすなわち蛇。

 血、地、乳、智、オロチなど、「ち」のつくものは、何か神霊世界に通じるものが多いように思える。

 川田の目は、近頃ホウズキのように赤く光るようになってきている。


 河尻 明は、先祖が槍の名手であったと聞いてはいる。時々同じ夢を繰り返して見る。

 同じ状況に至れば、自分もそうするであろうといつも思う。我とわが身をもって異界への入り口を塞ぐと、何処からともない声を聞いた。「それで良い。全ては、別のものではなくて一つのもの。分かれて見えるのは、人の五感が、そうしているのに過ぎぬ。意識を解き放ってこの先へ進むがよい」

 高丘の古墳の石室が開くと続いていると言い伝えられていた道が、ほの明るく先へと誘っている。権現山に至ると言われていた道は、踏み出してみると銀河が輝く星々の中の如くである。

 道というより空間といえ、意識が限りなく広がり、恐れから程遠いものとなる。

暗い随道を進んでいる筈なのに、壁などまるでないかのように全てが見渡せる。誰かが怪しの者と斬り結んでいる姿も、別の誰か矢を切って放す様子も、隼人が凝然と佇んで何かと対峙している雰囲気も、傍らに居るがごとく見えるというより分かるのであった。

 滑るように進んで行く先の中空に、何故かとても懐かしいものなのだが、それが何であるのかが解らない長い柄の先に尖った鋼がついたものに気づいて手にとった。槍であった。

 槍の名人である河尻にして、それが何であるのかを忘れていた。手に取るとそれは体と一体になり、身内に取り込まれてしまう。この先使うことはあるまいが、意識すれば必要に応じて取り出すことができるのだと思えた。

「そうだ。生まれ変わってもそれを使うことはあるまいが、その働きが必要となることがあるかも知れぬということのみ覚えていればよい」どこからともない声が脳裏に届いた。

 そこで河尻の意識体ともいえる固体は、霧のように宇宙に溶け込むのだった。


 松田が時々見る夢は、際限もなく次から次へと現れる魔と斬り結んでいて、やがてそれに倦む。そのことのみに意味があるようには思えなくなってくるのである。源を断たねば如何とも為しがたいのだと。

 そう思うと、個の体ではなく意識体でなくては適わぬと思った途端、夢は霧消する。

 人は何故、個を区別し争わねばならぬのだろうか。各々の持分の働きがあって一つのもののはずなのに、同次元で競わねばならぬとはどうしたことなのであろうか。

 松田は、川田の捉われが一体何なのかと思いを巡らせている内に、恋慕の情による肉欲というより単に認められたい親しくなりたいということなのではないのかと思えてきた。

 顕れ出でねばならぬ何事かの予兆としての揺らぎかも知れない。

 自分に剣の才能があるのも、時に心が騒いでわかりそうでわからないことや、見えそうで見えないものがあるもどかしさも、生まれついてのそれらのものが、合せて明らかになってくる時期なのではないかとも覚えるのであった。

 片棒を担ぐのもご免だが、彼が道を踏み外して深みに嵌っていく前に「一回じっくり話してみるか」と思ったのである。最初の一歩がその後をわけるとしたら、踏み止まることに要するエネルギーは、止まらずに走ったことによる結果を覆すのに比べれば、いつでもさしたることではないのである。

 なぜか、生まれる前から川田を知っているように思えてならないのであった。

「川田、本当にそうしていいのか?俺にはとても賛成できない。今まで大抵のことは、手助けしてきたが、今度ばかりはお前の本当の気持ちがわからない。取り返しができない企みだからということでもあるが、より嫌われることが確かだし、その後をどうするのかも聞かなくっちゃならない。何をどうしたいのかが全く見えないんだ」

「俺にもわからないが、何かに引き込まれているようなんだ。星をも砕く力っていう言葉が頭にこびりついて離れないんだ」

「何、それは本当か。その言葉は、俺の頭の中にもいつも響いている。ずっと昔に、何か恐ろしいことを乗り越えようとした記憶が俺にはあるが、お前にはないか?俺とお前は、どっかで繋がっていたんじゃないだろうか」

「ぼんやりだが、それはあるんだ。何かに憑りつかれているような気がしている」

「真央さんについても、何かひっかかりがあるようなことか?」

「いや、真央さんを護っていた仲間がいたような気がするんだが、それが何だったのかわからない」

 時を越えて魔が再び蠢動を始めたのかもしれなかった。命を代償にした隼人たち五人の働きが、その後の人々の意識を変えきれていなかったと言えるかも知れぬ。人の本性の浄化や進化は難しい。どうしても目先に囚われるからである。


 麻績神社の裏手の山に、絶えて久しかった狐の鳴き声が度々聞かれるようになり、天竜川の波が高くなっていた。

 神社のほど近くに佇む元善光寺の境内下にある矢場に、矢音も高く弓を引く青年が、一人黙々と矢を射ていた。60メートルほど離れた土塁に設えられた金的には、射られた矢が重なるように突き立っていた。

 的を侯串(こうぐし)で刺し立て、矢を受け止める為の土盛り、安土が設えられていた。

 安土には主に川砂または土が使用され、川砂や山砂、おがくず)を適度に混ぜ合わせ、50度前後の傾斜をつけて盛る。


 学校帰りの数馬が傍らに来た時、福島の射は図星からは少し外れたところに突き立ったところであった。数馬と福島は的に向かって深々と頭を下げた。

「今、『それ』が降りたね」「うむ、やはり君には解かるんだね」が、二人の最初の挨拶であった

 福島が師についたとき、師から言われたことは、何故ですかと聞かずに同じようにやれ、ということであった。「力を入れるな、当てようと思うな、射ることを意識するな、呼吸のみを考えよ」が教えであり、後のことは自分が修行の中で身につけていくより他なかった。

 一体誰が弓を引き、誰が矢を放つのかということについては、師は「いずれ解かるであろうが『それ』が降りてきてするのだ」とのみ言っただけである。自らが気づけなければ教えようがないもののようであった。

「福島、相変わらず精がでるね」

「うん、このところしきりに心が騒ぐんだ。落ち着かない所為か、なかなか思ったほどには引けぬ」

「落ち着かなくてもそれか。落ち着いて射たら、矢が裂けよう。確かにこのところ俺も心が泡立つような気がしてならないんだ」


 ほどなく、朧月があたりを包んだ。月に浮かれた狸ではなく、狐が鳴く物悲しい声が稲荷坂あたりから聞こえてきた。


 翌日、川田は絆創膏を貼った顔で登校し、意を決して真央の前に進み出ると、深々と頭を下げた。

「真央さん、あの、実は先日の・・・」と言いかけるのを真央が遮った。

「わかっているわ。何も言わなくってもいいのよ。貴方にも星をも砕く力という声が聞こえるんでしょ。私には、解放すれば星をも砕く力って聞こえてくるわ。数馬君が前々から言うのよ。破壊しつくして創り直さなければならないと考えているとしか思えないパワーが、動き始めているらしいって。でも、その前に魔との戦いがあるだろうって。魔って何だか解らないけれど、人の意識の中に巣くっているものが形に現われてくるから、それを消すことなんだって。貴方もきっとそのときのお仲間になるのよ。宜しくね」

 川田の顔は、吹き払われたようにみるみる明るくなっていった。

 現れれば消えるものに捉われて、どんどん引き込まれるから深みにはまって身動きがとれなくなるが、踏みとどまる勇気をもてば道は開ける。乗り越えられないものはないのである。


 飯田から駒ヶ根に向かい25キロ程の飯島町七久保に、今は桜の名所として知られる千人塚というのがある。

 1582年(天正10)に、この地にあった城は、織田信長の軍勢により落城した。戦いで死んだ敵味方の将兵の遺体や武具などを集めて埋葬し、塚とした。

 その後、悪疫が流行したため、そこに千九人童子の碑を建てて供養した。そこにあった城の空堀は、昭和の初期に水を引き入れて灌漑用の池となり、城ケ池と呼ばれ、かなりの大きさで水を湛えている。

 高校生達が気のあった仲間と連れ立って、自転車などでピクニックに訪れる。ここに至るまでの道筋にある畑には、苔むした墓石が諸方に散見される。畑の持ち主の先祖の墓というわけではない無縁の墓が殆どだが、彼岸や盆などには花が手向けられていることが多い。

 真央、数馬、松田、河尻、福島、川田は、自転車に食料を大量に積んでピクニックに出かけた。

 花が終わるとわからなくなるが、こんなに桜が多く植えられているのかと思うほどに、途中の桜花も見事であった。切る風が薫り、頬に心地よかった。

 千人塚の桜の下に六人がビニールシートを敷き、持参したおにぎりやサンドウィッチ・果物を並べて食べているときに、異変は起こった。

「わあ、どうしたんだ!」と叫び声が上り、見る間に人だかりができた。輪の真ん中にいた少女が、頬の辺りから多量の血を滴らせていた。

「これは、鎌鼬(かまいたち)にやられたんだ!」人垣の中に居た老人が叫んだ。

 鎌鼬は、甲信地方に多く伝えられる、妖怪が起こす変異とされる。旋風に乗って姿も見せず現れ、人に鋭い傷を負わせるが、痛みというのはないのだという。

 鼬も魔物の一種と見做されていて、群れると不吉であり、夜中に火柱を起こし、そこに火災が起こるとされている。

 鼬は後ろ足で立ち上がり、人の顔を凝視して、狐と同じく眉毛の本数を数えて人をたぶらかす。信州では、カマイタチ現象は悪神の仕業であると言われていて、暦を足蹴にすると、この災いに会うという俗信もある。

 この現象は、真空状態のところに触れると起こると言われるが、科学的に証明されて確たるものとなってはいない。そもそもは、「構え太刀」が訛ったものだという人もいるが、現象の説明はない。


 川田が、ポツリと言った。

「そういえばこのところ山付けの農家で、巣箱に飼っている兎が、鼬らしきものに鼻先を抉られてやられるという話をよく聞く」

 巣箱の奥にいればそんな被害にあわなくて済むのに、わざわざ網のそばまで行ってヤラレルとは、なんて兎は愚かなんだと、飼い主が悔しがるのだとか。本当に鼬の仕業なのだろうか。

 日が傾き始めたのを機に帰り支度をして、市街地に皆が戻ってきたのは、朧月が昇り始めた頃合であった。

 交差点を無灯火で、携帯電話をしながら走る若者が、危うく横断歩道を渡りかけた老婦人と接触しそうになったのを、連れの男性が「君、あぶないじゃないかっ!」と咎めているのに遭遇した。若者は、非を認めて謝罪しないはおろか、居直って「何、このクソジジイ!文句あるのか」と罵った。

 六人が分けて入ろうとするより早く、その若者は携帯電話を持った手から突然血を噴出してその場で自転車ごと横転した。間に何の姿も見えなかった。鎌鼬である。

 六人は、思わず顔を見合わせた。急が迫っているように思えたのである。

散会する前に、喉の渇きを潤そうということで立ち寄った喫茶店で、松田が口火を切った。

「おい、どうする。何か異様な展開になりそうだぜ」

「うん。なにかに憑りつかれてしまっているようなのが、うようよ見える」

数馬が応えた。

「自分勝手な人たちへの天罰というか、警告ということだけじゃないみたいね」真央が眉を顰めた。

 そこに集まった面々は、以前どこかで一緒に立ち向かったものが有ったのだと、言わず語らずのうちに理解していた。記憶の川を渡り返して生まれ変わってくるとき、残留する思念を一部引き継いできたらしい。

 真央がいう。「万能の創造の神様だって、何かの手助けが必要だったり、気づきをきっと願っているんだわ」


             始まり


 人間は、自分では良いと思ってしていることでも、時に過ちを侵す。気づいたとき素直に謝ることと、許しを与え合うことが、精神の進化をもたらすように思える。

 信念であったり宗教であったり主義に捉われると、正義は自分のサイドにのみ有って、悪いのは全て相手であるということになり、相手にも言い分や立場があるということに思いが至る余裕を失う。

 そもそもが一なるものであるとしたら、このような分れはどこから始まったのであろうか。判断基準となるものは、善悪・美醜・快不快・損得・正負その他様々あるが、そのどこに分け目を見出したらよいものかが確かには判らぬ。命というものが永遠に続くとしたら、どこからが生であり、どこからが死だと言って区別するかということも判らないことになる。生かされてあるということに粗末な世になっているのかも知れぬ。

 目先の小さな損得が重大であり、それに従って他を慮らない行動をとることが普通になった。この世的にいえば、悪事を働いている人が逆に栄えていることも多い。もっとも、何が悪なのかはわからぬことではあるが。


 街中に、刺刺しい雰囲気を纏ってそれを撒き散らして歩く人が増えた。些細なことが口論や争いに進展するのである。人々は眉を顰め避けて通ることはあっても、それを治めようとは誰もしない。他人事なのである。それがいつ我が身に及ぶことになるのかわからないにも関わらずである。それでも、それは自分ではなく誰か他の人がやることとして見過ごすのに平気であった。

 子は、生まれ変わるときに忘れてしまっているが、その都度、何らかの意味があって、自らがその両親を選んで生まれてくるのである。そのことに気づかないと、親子ともに精神の進化は望めない。

 子は、親を選べないなどという論が罷り通るようになってより、親が子に人として必要な躾ができなくなった。子が可愛くない親は滅多にいないが、育てる責任はある。近頃は責任というより本能のみで育てていると言い換えてもよい。

 猫可愛がりという言葉があるが、動物界の親は、子に一定期間は目一杯の愛情を注ぐ。それがないと子は自立できない。

 わが子の将来のためによかれと思ってやることでも、時に子のそのときの意にそぐわないことは当然ありうる。子の顔色を見て怯んでしまい、教えねばならないことから遠ざかっているのが愛であるかのように勘違いしていないだろうか。子の将来を思ったら、すべきことはある。

 むしろ、親が子を選べないのだと言えるのかも知れないのである。自分以外のものをとやかく言うことはあっても、自分の内面を見つめることが少なくなった。

 実は、そこに全てが凝縮されているらしいのだが、他との差別を争うの余り、外にばかり目を向けてしまっているから、いつまでも気づけないで苦しむ。

 全ては我がことに他ならないということを、誰もが遠い記憶の中では知っている筈なのにである。残された時間は、限りなく少なそうなのである。創造主であっても、いつまで我慢するか判らない。歪が来てしまったものを治すより、破壊して新たに創りかえる方がよっぽど楽に違いない。

 人は、肉体というものを纏わないと叶わぬ修行というものがあるらしく、魂の磨きの場を得ようとして、長くは400年もの順番待ちをして転生を待つのだとか。よく、前世がお姫様だったとか身分の高い武士だったとかのお告げを受けて喜んでいる人がいるが、聞く方も聞く方、告げる方も告げる方である。魂の磨きのために繰り返される転生の度に、殿様であったり乞食であったりお姫様であったり女郎であったりしても、それは必要あって積まされた経験にすぎぬ。今生で何を学ぶかということに、思いを致さねばなるまい。


「真央おねえちゃん!恐いおじちゃん達がきて、お母さんをどっかに連れてっちゃったの」隣の家に住み、幼稚園の行き帰りに真央ねえちゃん真央ねえちゃんと慕って纏わりついてくる琴音が、目に涙を溢れさせて縋り付いた。

 母子二人でいつも仲良く寄り添って一所懸命暮らしているのを、真央は琴音ちゃん琴音ちゃんと妹のように可愛がっていた。

 いつもの愛くるしい笑顔が消え、ちっちゃな心一杯で大好きな母のことを心配する琴音を、屈み込んで胸に抱きしめ

「大丈夫よ」と、今は励ますしかなかった。

「今夜は、お姉ちゃんと一緒に寝ようね」

 事情がわからないことには、動きようがない。幼い琴音に尋ねるには忍びないことに思えた。数馬たちに相談するよりない。優しく弱いところに現れた変異のように感じたのである。

 浦安琴音。浦は裏に通じ、すなわち心のこと。心を安んじる琴の音、という名前を選んで生まれてきた子である。観世音も、音を観ずるということだから、精妙な音は大切である。耳を聾さんばかりの大音量や雑音に慣れてしまうと、いかなるメッセージも受け取れなくなる。

 人は、見たいものしか見えないし、聞きたいことしか聞こえない。人間の器官である五感は、真実が現にそこにあっても、素直でなければ気づくことはできないもののようなのである。

 小さな胸を痛めながらも、真央に心配をかけまいと健気に眠る振りをする琴音を抱きしめて、まんじりともしなかった夜が明けた。

「おはよう。起きられそう?今日は数馬お兄ちゃんとお話してみようね」

「うん。琴音は平気だよ」努めてにっこり笑顔を作りながら琴音は真央の顔を見上げた。

 数馬が来ると、琴音は自分から話し始めた。「あのね、お兄ちゃん。昨日コワイおじちゃんたちが来て、お母さんを連れて行っちゃったの。お母さんは琴音のために、お父さんは死んじゃったと言っているけど、それはウソで、きっとお父さんの所為なの」洞察力というわけではない。

 優しく素直にしていれば、幼くても愛してくれている人のことは見えているということなのである。

「真央ねえ、僕に知らせたということは、何か見えるの?」

「ええ、大きな湖が見えるの。その場所に居る間はきっと守られていて大丈夫だと思うけれど、急がないと危ないわ。きっと諏訪のどこかの建物よ」残留している思念を拾って、真央が答えた。

 諏訪は、八ヶ岳の広大な裾野の中に位置する。信州は神州に通ずる。信濃の国の中ほどにある諏訪は、諏訪大社により鎮守されている。

 諏訪神社の祭神は、建御名方尊(たけみなかたのみこと)ということになっていて、古事記にいう国譲り神話によれば、出雲の国からここまで逃れてきたとされる。

 国を譲り受けるために出雲に派遣された建御雷尊(たけみかずちのみこと)が、「事代主尊(ことしろぬしのみこと)は国を譲ると言ったが、他に意見をいう子はいるか」と大国主に訊ねると、大国主はもう一人の息子である建御名方にも訊くように言った。

 建御名方がやってきて、「ここでひそひそ話をしているのは誰だ。それでは力競べをして決めようではないか」と言って建御雷の手を掴んだ。すると建御雷は手を氷柱に変化させ、更に剣に変化させた。

 逆に、建御雷が建御名方の手を掴むと、葦の若葉を摘むように握りつぶして投げつけたので、建御名方は、敵わじと逃げ出した。

 建御雷は建御名方を追いかけて、科野国(信濃の国)の州羽の海(諏訪湖)まで追い詰めた。

 建御名方は、もう逃げ切れないと思い、「この地から出ないようにするし、大国主や事代主が言った通りにする。葦原の国は神子に奉るから殺さないでくれ」と言って諏訪の湖に鎮んだ。

 出雲と信濃、いずれがどう違うかは知れぬが、太古の神に近い場所であったであろうことは想像に難くない。海からか山からか、ということである。


 数馬は、意識を開放し一点に思念を凝らすと、導かれるままに一つなる世界に入り込んだ。空間を曲げると、二点間は隣同士というより同一点となる。もともと一つであった世界であるから、すぐに思念は目的地である山荘らしき所に着いた。松田の仲間たちのバイクに送られて、突然目の前に現れた数馬に、柄の悪い男達が喚いた。

「何だてめえは!どこから来たんだ」

「大島山の滝からね。お母さんを帰していただこうと思いまして」

「なんだと!何でここがわかった?折角来たが無駄だったな。帰れ帰れ。警察に言ってもいいが、これは夫婦の問題だ。相手にされないぞ。法は家庭に入らずってヤツだ」無法に慣れた物言いである。

「親分に聞かなくってもいいんですか?電話してみたら?勝手なことをすると後が怖いでしょ?」

 先がどう動くのか判っているように落ち着き払った数馬に、男達は不安を覚えた。

 男達の兄貴分らしき者の携帯電話が鳴った。「ハイ親分、私です」

「一体何処に居る。すぐ帰って来い」

「いえ、ヤツの女房(バシタ)を押さえたのですが」

「お前は馬鹿か。そんな程度の智恵しか廻らぬ無能なら、お前は使い物にならない。そんなのは放っておいてすぐ来い」

 男達は母親を解放すると、あっという間に立ち去った。

 この親分というのが、この後の展開に関係してくることになるが、姿がまだ見えない。


 力というものは、圧倒的な暴力の差であったり財力による横暴であったり、衆を恃んだ数によるものであるときは危うい。

 何が悪で何が正義なのか、本当のところはなかなか見えてこないのであるけれど、人が口にするときの根拠というのは、一面に過ぎぬことが多い。

 一見平和に見える風景の裏側には、倦怠感や閉塞感や苛立ちが埋没している。気づかずに過ごしているように見えても、我が身に及ぶキッカケがあれば、鬱積したものが一気に吐きだされる。それが、個々ではなく集まった暴走のエネルギーということになれば、しかもそれが数の力で正義だとリードされるとなれば、簡単に見境いなく破壊の衝動となって膨れ上がり、付和雷同しての行為は責任の所在が何処にあるのかもわからなくなるから危険この上ない。

 自分で判断できる能力を養っていなければ、誰が陥っても不思議ではない、という人間に潜在している闇を誰もが抱えているからである。



          展 開


 麻績神社の境内は、神社に神主が居ないこともあって、普段人影はない。鬱蒼とした常緑樹の下に佇む社殿は、古さを際立たせ神錆びた雰囲気を漂わせている。

 その高床式の社殿の下を覗き込んで、何かを探しているかの様子を見せる男がいた。人並みはずれた記憶力を有し、およそ自分が触れた史料は残さず保存していることで夙に知られる塩崎建国であった。膨大な知識をその頭脳に蓄えてなお、自らを蛙井と名乗りつつも、「されど天(そら)の深さを知ると言うこともある」というのが口癖である。彼によれば、外に知識を求めても自らの内を掘り進めれば得られる無尽蔵なる世界の方が大きいのだという。

 彼方なる記憶が、昔集った者たちの記録がこの場所に閉ざされてあるのだとしきりに告げていることに導かれて、一人訪ねてきたのであった。であれば八人ということになる。

 八というのは恐ろしい。

 風雲急を告げていると急かされていた。かび臭い縁の下の土の中から見つけ出した木箱の中からは、油紙に包まれた和綴じの文書が現れた。表紙には、「一(いつ)なる物」と書かれてあった。その昔、棚田真吾が納めたものであった。

 書き起こし部分に、「異界の穴を塞ぎ得たのは物質ではなく、母を思い妻を思い友を思い無辜の民を慮ることから発する光の糸であった」との記述があった。

 人は、目に見えるもののみ信じる傾向があるが、現に存在しているものであっても見えない、或いは見ないでいる物が多すぎはしないだろうか。見えないから無いとはいえぬ。

 知識は物質に関わるものが多く、畢竟それは損得に結びつき易い。心といえるものに繋がる物は、不急のものとされがちであるが、それでいいとは言えまい。

 物質と物質を結びつけるのは、そんな思念に関わるものであろうし、物質の綻びから漏れ出てくる魔ともいえる現象が増えてきているように塩崎には思えてならなかった。

 もし鎌鼬なるものがそれであるとしたら、それは走りであって、後に如何なる重大事が続くか測りようもない。

 塩崎はまだ知らぬが、琴音の母親を置き去りにして去っていった男達のいずれもが、帰路の途中で手足から血を噴いていたのである。

 噂というものは早い。どこでどう嗅ぎ付けたのか、琴音の母親が浚われたのを知った記者らしき者たちが寄って集って幼い琴音を取り囲み、無遠慮な質問を浴びせかけるのを背に庇って、真央は「いい加減にして下さい。いたいけな子供に事情なんかわかる筈ないでしょう」と窘めたが、正義と報道の自由を主張しての臆面のなさは、母親が帰って来たときの有様がおもいやられた。ひっそりと暮らしている母子のことを、興味本位に洗い浚いにされることは、母子が求める幸せに結びつくには、前途多難であろうことが思われ、悲しかった。

 宇宙には四つの力が働いているというが、このうち重力だけが他と比べとても弱いのだという。重力のエネルギーが異次元に漏れ出しているのかも知れない。エネルギー保存(不滅)の法則から言えば、それはどこかに戻って来る筈のものといえる。

思念は実体化するのだとするなれば、悪想念は暗黒の世界から戻ってくるのかもしれないし、その行き着く先は波動が合致するところともいえ、荒い波動や心の隙間に悪意あるのが憑依という形をとるのかも知れぬのである。

 この世の生物は、他の命を食らわなければ生きられないのであるから、創造主は人間の理性に何を求めてのことなのであろうか。人類の意識体のエネルギー進化が創造主の願いであり、もって神の創らんとするものの現出に手助けを求めているのかも知れないが、謎が多すぎる。気づきと感謝ともいうべきものが、その入り口となるようにも思えてならない。

 琴音が数馬に、大島山の滝の巨大な一枚岩の一隅を指差して「お兄ちゃん、あそこから何か黒いものが這い出そうとしているよ」と言った。

 つるつるの岩肌のどこにも、穴はおろか裂け目もないのである。しかし、言われた数馬にも、それが確かに見えるのであった。

 意識のエネルギーを光にして飛ばし、穴を塞ぐことが安全に思えた。一瞬で、それは元通りの岩肌に戻り、そこから常のごとく滝の飛沫は跳ね返るようになった。

 人は誰しも、時に自分の内なる神性を垣間見たり、それに触れたりすることがあるが、かすかな気づきであるそれを大きく育てあげるということをすることは滅多になくて、損得や自我の方を優先させてしまうのが殆どである。

 そもそも備わっている筈の力に気づくことを疎かにしてしまう仕組みが、また併せてあるのかもしれない。精妙なものは、育てるのが難しいが、できないことでは無いはずなのに・・・

 琴音の母、綾音は、数馬と一緒に戻って来るなり飛びついてきた琴音を、黙ってぎゅっと抱きしめた。良い子というのは、如何に可愛がられたかにより育つ。物質的に恵まれるかどうかとか、或いは親が愛と思い違いする自己満足の行いの結果で与えられるものではないことは確かである。

 子が次代を繋ぎ、完成された世界を宇宙に示すことが目的かも知れないが、何故にそんなに時間が必要とされるのか、定かにそれとはわからない。

 もうひとつ解らないことがある。子は、親を選んで生まれてくるらしいのである。いつの頃からか、子が親に対して「産んでくれと頼んだ覚えはない!」などと平気で言うようになり、親もそれに対する言葉を失って久しいが、とんでもないことと、心ある親子は現に共々に知ることが出てきているようなのである。


 諏訪の湖(うみ)に、武田菱の紋所を打った石棺が沈んでいるという。その中には、武田の碁石金や竹流し金を大量に軍資金として隠した場所が印された暗号が封印されていると伝わる。

 金峰山と諏訪湖と赤石山脈のどこかで作る大三角形。昔から山に入る者たちが秘かにいう。

 登山を趣味としていた琴音の父、真造がその石棺の沈んでいる場所を知っているのではないかとの噂が流れたことがあり、以来真造の行方が不明となった。

 金は、自ら現れるのを待たず探そうとするのは禍事とされる。所在を知るかどうか噂に過ぎなくとも、何者か見えぬ影に追われる身となった。これはこれで、別の話とする。


 親が子を、子が親を思う気持ちは尊い。教えられてできるというのではなく、自然に発生する。人は、喜びを共にすることはできても、他人の悲しみを悲しむことはできない。

 思いやることができるにとどまる。言葉にならない想いには、無言の想いで応えることで解りあえる。

 帰る場所の灯とはそういうものであって、それがあれば人は巣立てる。

 どこにあっても、空間を越えて通じ合えるエネルギーを強固にするのは思いやる心。そうした気持ちが、物質にとって替わられようとしているところに、禍はおこりやすい。

 数馬たちの働きの糸口が奈辺にあるのか、なかなかに覚束ない。起こってくる現象に一つ一つ対応してゆくよりないから、人の目覚めは遥か彼方のことになる。

自分さえよければという目先の損得で、力にまかせて物事を押し通すようになると、想いというもので満たされなくなった体の中の隙間に、憑き物の波動が同調しやすくなり、魔物に憑依されやすくなる。それはそれで邪悪とはいえ強力なエネルギーをもっているから、弱い人間ならばたちどころに障りがでるし、肉体的に強ければ新たな力が加わってより邪悪になる。その力を得た者は、それらをまわりに撒き散らすから、始末に負えない。

 いずれ身を滅ぼすことに突き進んでいるという自覚はないから、歯止めが効かないし被害を受ける人が出る。

 放置すれば、それらが集まって、世界の滅びにつながることになることは想像に難くないが、気づいて何とかしなくてはと行動する人は少ないし、気づいていても見ぬふりをして見過ごす人の方が圧倒的に多い。我が身に及んだときには大騒ぎして、全部他人のせいにするのが常であり、因果に思いがいたることはない。

 太古の昔から、長い年月をかけて少しずつ育んできた智恵は、人との関わりを、それも縦のつながりを避ける時代を重ねるにつれ、影が薄くなった。

 お天道様が見ているなどという言葉は死語になり、なすべき義務は何処かに消えた。

 パワーかフォースかということになる。

 心から出るものでなければ、幸せとは言えまい。


 赤石山は巍巍(ぎぎ=高いの意味)としてと、この地の高校の校歌に歌われる山脈に、血をなせりとも歌われる天竜川を挟んだ対岸に位置する権現山が、赤く染まって揺れている。権現とは、本地垂迹による通り仮の姿。権力も、仮の力ということであるから、権利というのも仮の利益。本来の力というのに気づくには、意識を高めねばならない。あるべき姿に意識をむけなければ、そこには至らない。

 六合とは、東西南北に天地を加えたもの。天地正大の気が無限の空間に溢れている。大宇宙に遍満するエネルギー体の正体とは何なのであろうか。人は、その器官である五感に頼り、証明できないものは「無いものだ」と言い勝ちだが、逆なのではなかろうか。

 即ち無いと証明されない限り、それは有るのだと考える。

 人類の長い歴史の中には人心が荒廃し乱れに乱れた時代も多々あったが、そこに正気が燦然と光を放ち、あるべき姿に立ち戻る智恵を顕してきたのである。

 道遠しと言えども、一旦端緒を得て流行を起こせば、雪崩をうった如く全て改まる。その端緒となるパワーが求められている。有ると判れば、信じるのもまた人なのである。

 粋然として、神州に集まるパワーが芽を出そうとしていた。


 夕暮れが過ぎて、街中には赤い灯青い灯が目立つようになった。日が落ちてまだ間もないというのに、はや酔客が肩を組んで道をふさぎ、路地をよろめき歩いていた。

 仕事帰りの綾音が、それを避けて側を通り抜けようとしたとき、その先で道端に足を投げ出して屯していた派手な身形をしている男に肩が触れ、それも避けようとして倒れた。

 倒れた拍子に突いた手に滲む血を拭きもあえず、「すいません」と誤る綾音に、その男は自分のせいであるにもかかわらず大仰に肩を押さえて痛がってみせた。

「いたたたた・・・」

 傍らのツレが、「おお、こりゃ大変だ。骨折したかも知れないぞ」と、そんなわけが少しもないのに騒ぎたて「おい、おばさん。治療費を置いて行きな」と凄んだ。

 そばに居たかなりの数の通行人は、ちょっと触れた位で、どちらかといえば女性の方が怪我をしているのにと思いつつも、誰も間に立とうとはしなかった。

「そんな、ちょっと肩がさわったくらいで骨折なんて・・・」と立ちすくむ綾音に、頑丈な体躯のその男は「ぼく、体が弱いの。働けないから生活保護を貰っているの。骨も弱いの」と言ってのけた。

「生活保護は、断るんだね。それでよくブランドもので飾り立てて、宵の口から飲み屋街に出入りできるもんだ。さっきから見てたけど、あなたの方が悪いんじゃないの?」

 松田芳樹を訪ねて思わぬ時を過ごし帰宅途中の塩崎建国が声をあげた。

「なに、セイガク、横から口を差し挟むんじゃねえぞ。俺を誰だと思ってるんだ」と大声をあげて凄んだ。

「知りませんねえ。どちらのどなたさんなんですか?」

「舐めた口ききやがって、「俺は」といいかけるのをツレが必死で止めた。

「馬鹿、組の名前なんか出すんじゃねえ」

 引っ込みのつかなくなった男が、今まさに塩崎に殴りかかろうとしたとき、

「どうした。何事なんだシオ」と、松田がその中間にたちふさがった。渡し忘れたものがあって塩崎の後を追いかけてきたのである。

 松田を見ると、殴りかかろうとしていた男は急に卑屈になり、「松田さん、こちら様はご友人なんで?」はるか年下に対するとは思えないほど、小腰を屈めて丁寧に尋ねた。

「ああ、やめとけやめとけ。コイツは強いぞ」「そんなにお強いんで」「ああ、人間業じゃないくらいね。触る前に一瞬で吹っ飛ばされるさ。やってみるか?」

「いえいえ結構で」

 そそくさと立ち去る男達の背後から声が飛んだ。「骨折は、どうした!」立ち去らずに経緯を見守っていた通行人からのものであった。

「いやあ、痛みも治まって大丈夫そうです」振り返って男が、バツの悪そうな表情で答えた。今までであれば、触らぬ神に祟りなしとばかりに素知らぬ顔で通り過ぎていた人たちの中に踏みとどまり、声まであげる人が出てきたということであった。

 しかしながら、このように直接的行動で表にあらわれるものを匡して行く事の他に、一見紳士風でいて力に頼って弱者をくいものにする巨悪が潜んでいるのを如何にするか。

 押しなべて人たるの品性に立ち戻らせるのには、根本のところが問われてもいるのであった。

 地獄界というのは確かにある。八大地獄と八寒地獄、更に二百有余に分かれる。自らの内心が知る細かな悪の積み重ねを自らが気づき正さねば、いずれ確実にそこに行き着く。

 数馬は、天罰というに等しい形で物質を破壊することも、意識体で三界を地蔵のように渡ることができることも何時のころからか知ったが、その力を振るったことはない。

 破るるは新たなりと、意識や目覚めを与えることができねば、それはまだ権の力であるとの自覚があるからである。

 虐げられた人たちの鬱屈したエネルギーが凝り固まり、集まって放出されるような事態に立ち到れば、それは阿鼻叫喚の世界になるだろうし、それ以前に大いなる力からの浄化が始まれば、よんどころないことにもなりかねないことを危惧していた。

 人の、気づきと自覚が急務であった。


                       第二部 完

(第三部に続く)



 第三部


               序 章


 宇宙は、何によって成り立っているのであろう。物質とエネルギーであると言い切っていいのであろうか。

 目に見える物質としての3割と、正体があきらかでない7割のエネルギーが等価であるとして、その双方が行き来するのだとしたら、そこに働く意思のようなものがあるのだろうか。物質とエネルギーを織り成すのは、いかなる力なのであろうか。

 何物をも通り抜けてしまうものがある。それが篩にかけられたように形となって止まるのか、或いは何らかの焦点があってそこに物が形成されるのかわからないが、そこに物質やエネルギーとして顕現させる何か大いなるものの意思があるように思えてならない。

 それがあるのだとしたら、全てを消滅させる意思が働くことがあるかもしれない可能性だって否定できないことになる。

 ましてやそこに命の糸が絡むとしたら、ことは重大である。

 生命が誕生して40億年、人類はまだそこに意識が向いてはいないようなのである。

 見えないから無い、証明できないからそれも無視するということはできまい。大抵のものは有るとした方があたっている。

 世の中に起こることの殆どは、それが何故なのか説明できないが、それが有るということは感じ取れるし、なんらかの意味を持っているのであろうということもわかる。

 現実の世界と想像の世界の境目というのはどこなのだろうか。思考は現実化するとしたら、心のありようというのは重大な意味を持つ。人の想念の総意のエネルギーが、現実の物質世界を形づくる可能性は高い。

 隼人たちが背負ったのは、実はその部分であったのかも知れない。

 人は魂の磨きをするのに、肉体という衣が必要らしいのである。だから、生まれ代わり死に代わって、その生あるうちを努めることになるのだろうけれど、誘惑に負けやすいということもあって、なかなか修養は難しい。

 上に在りて驕らざれば、高くして危からず。節を制し度を謹めば、満ちて溢れず。高くして 危からざるは、長く貴を守る所以なり、満ちて溢れざるは長く富を守る所以なり。富貴、其身を離れず、然して後能く其社稷(しゃしょく)を保ち、而して其民人を和す。

 魂の器は、その志が高ければ、いかようにも大きくなるものなのに・・・


 秩序が定まらない混沌とした時代においては、圧倒的暴力が他を統べる。暴力と暴力の鬩ぎ合いの中で、他にも言い分があるのだと知れてくるにつれ、他が納得して従う理屈というものが醸成され、やがてそれは基準として守るべき法としてできあがっていく。

 しかしながら、権力を得た者は、法を超えた力を振るいがちなのも、厳然とした事実である。一なるものが別れてその持ち分を負担しあうのだとしたら、その個々が受け持つ役割の公平さを、いかにして保つのか。

 努力した者が報われるというのであれば解らなくもないが、この世的には必ずしもそうとはいえぬ。さしたる努力をすることなく、人を出し抜くことで利を得る者が居ないということではないからである。

 自己実現を図るに、自分以外を手段であるとして憚らない考えを持つ者が富を得て、栄華を極めるのを目にして、そういうやりかたに倣う者が溢れる可能性だってあり得る。

 しかしながら、そうしたいわゆる上手いことをやったに見える結果を得たとしても、自分が他から何も影響を受けていないとは思えないであろうから、持ちえた幸せに平安でいられるとは思えない。

「お互い様」「お陰様」ということで、生まれ変わり死に代わって調和のとれた世を現出するため、この世的に徳を積むのが現世での修行かも知れぬ。代を繋いで貯金のように貯めこまれた現世の修行の結果が記憶の底に残って、気づけば、引き出せる力が身奥に備わってあると解っている人もでてきている。


 お陰様でという言葉は、時に触れよく使われる。自分以外の何かの力の助けがあってことが為せたと感じたとき、外に向かって自然に口に出る。神様だって、人から感謝されたらきっと嬉しいに違いない。

 次から次へと、「ああしてくれこうしてくれ、あれが欲しいこれが欲しい」と言われ続けていたら、いいかげんうんざりする。

「大概にしなさい!この世的に自分ができることを、先ずやって見せなさい」ということになる。要求の多い人に限って、自らの行いの前に、それを他に求める。

 それにひきかえ、僅かばかり聞き届けられた「ご利益」に、「お陰様で」と感謝の言葉を申し上げたら、神様は「なんだ、こんな位のことでそんなに喜ぶのか。ならばもっとよくしてやればもっと喜ぶに違いない」こう思うのが人の心と同じように、神心というものである。

 人間世界においてでも、感謝の気持ちを表すことで人心は動かされ、物事はうまく進展する。文句ばかり言っている人が嫌われるのは、周りにいくらでもいるから、それは解りやすいことでもある。

 好かれなければ、何事もうまくいかないのであるから、「好かれるにはどうするか」ということ。自分に何か叶えたい望みがあるなら、少なくとも他から嫌われてはならないのである。

 日本では、太古の昔から万物に霊性を感じ取り、それを神様がいるのだとして、それらを八百万(やおよろず)の神と敬ってきた。周りのすべてに感謝できた、ということになる。

 神様が一神だけであるとすれば、それ以外の神様を信じることは許されないし、突き詰めれば他を認めることもできないということになるから、沢山の神様がいるとしているという日本の考え方はひろびろしている。

 全てを総べるのは、一つなる力かも知れぬが、自分より優れたものからの助けがあったと感じたとき、生あるものであれ超常のものであれ、その全てを神と敬ってきたということである。

 森羅万象全てを神として、祈りとともに生をつないできたこれらの行きつく先は、和。

 和をもって尊しとしてきたのだと、思い当たることが多い。だから、日頃、ことあるごとに「お陰様で」と、誰もが心から口にできていたのだと思う。

「おかげさま」は、自分以外から望外に日々受ける利益や恩恵を意味する「お陰」に更に「様」をつけて、なお丁寧に感謝の心を表した言葉である。

「陰」は神仏などの超常的に偉大な物の陰。陰は即ち光のことであって、影とは違う。偉大なるものの光があたったことが庇護を 得たことと受けとめ、「お蔭」と言ったのだと思う。

 お陰様という存在は、見えないけれどもきっとあって、時々誰のところにも訪問して来てくれているのだけれど、それに気づいて「お陰様」と言えるかどうかが、幸せへの入口に立てるかどうかを分けているに違いないのである。


 数馬には、使おうとすればそうできる力が身奥にあると気づいてから久しいが、恣にして良い力としてはならないとの自戒がある。

 何は許されて、何はそうすべきなのかの判断は、数馬にはまだついていない。いずれ自然に解ってくるとの思いがある。

 例えば、手術して取り除かなければ命に関わる患部があったとする。しかし手術すれば患者は痛がるし正常であった部分には傷跡が残る。可哀そうだから手術は止めた方が良いか?

 船が転覆する事故があったとする。救助艇は投げ出された全員を収容するキャパシティーはない。取り敢えず収容できる範囲の人だけ救助してその場を離脱し、少人数だけでも助けるか、それともそれは不公平として、全員艇に乗せ、重みに耐えきれず諸共に沈むか?

 V2号ロケットが首都を攻撃することが分かっていたが、市民を非難させると暗号が解読できていることが漏れてしまうとして、多数の命を見殺しにしたのは許容されるか?

 極端な例だが、極限の状態に於いてする判断というものを如何に考えるか。

 人類の誰に対してもも良いというものは、今のところどこにもないし、どこをどのようにすれば神の意思に添えるのか?話し合いでそれは解決するのか?人道とは一体なんなのか?解らぬ。しかしながら、身近な共同体がよいとして守ろうとしているものは取り敢えずある。

 まずは身近の些細なことから始めれば、いずれ大きな方向性は定まっていく。「お天道様は見ている」位の自制がきくようには、人なるが故、誰もがならねばならぬ。

 その自覚はあっても、誰かから注意されるまでは改めずに過ごし、周りの反応をみているという小狡い輩は、匡されればすぐに正気に戻れる。

 まだ確信的悪というわけではないが、放置すれば取り返しがつかぬほど、それに染まるのが常なのだから、芽は早い目に摘むに越したことはない。力の伴わない正義というのは、現段階では難しいから、そこに持てる力は使えるか?

 いずれにしても、残された時間は少なそうなのである。


「あ~、お兄ちゃんたち、道にゴミを捨てちゃいけないんだよ」通りかかった幼稚園児たちに窘められた数人の高校生がいた。

「ああ、ご免ご免。いけないことだよね。次からしないように気をつけるね」素直に認めたのもいたが、「道路を清掃する人が片付けるからいいんだよ」と、変な小理屈をつけたり、「生意気なチビたちだな。文句いうのは10年早いんだ」と居直るのもいた。

 たまたま通りかかった真央が「君たち、その校章を付けているところを見ると、うちの高校よね。恥ずかしいでしょ」と声をかけた。

 真央だとわかると、突然態度が変わった。しかも真央の傍らに松田がいることに気づくと、卑屈なくらい身を縮めた。

 憧れの人や怖い存在の者には逆らわない。過ちを改むるに憚ることなかれ、ということに素直であることは難しい。しかし、幼い子供たちの意識が上がってきているのに気付いた真央は嬉しかった。些細なことから始まり、それが集まって大きな調和を生むに違いないと思えた。

 他者は手段ではない。自分の都合で利用するというのは、国の成り立ち以来馴染まない考え方の筈だった。

 大いなる意思とは一体なんなのであろうか。


 神と崇められるのは、日本やギリシャのように、いわゆる八百万の神々というように多神もあれば、キリスト教やイスラム教のように一神教というのもあるから、一概には比べられないが、一神教の神は、絶対神であり、創造主という面が強調される。

 この世の全ては、神が作ったものであり、人間に自由意志などはなくて、神の言う事には逆らえないということになる。

 もっとも、誰が口にしたかということには疑義が生じる。天動説の時代に地球が回っていると唱えるなどは命がけであった。


 八百万の神々などには、この世の創造者という面も一部あるが、どちらかと言えば人知を超えた力を持っっていることの方が強調される。

 人を寄せ付けない険しい山や、何百年も生きた古木がご神木とされるのも、共通認識として極めて自然に受け入れられる。

 このような神々は、敬い感謝することで持てる力を貸し与え、人間を幸福にすると信じられてきた。


 一方、仏は、この世には気づけないでいるが確たる法則があり、それを自覚できた(いわゆる悟りを得た)人が「この世の四苦八苦はその法則から生じるのだから、それを実感できれば、それらを超越し成仏できる」とする。死ねば仏というわけではない。

 全宇宙は、自らの内にすべてあるのだと、思索と修行の中で悟るということである。

 一つのものが別れて、それぞれがその持ち分としての役割を果たすということであるなら、万物は等しく救済されねばならない。

 法則に外れれば、それは破壊に向かわざるを得ないということでもある。

 人間は一般的に脳の3~5パーセントしか使っていなくて、残りの95~97パーセントは潜在能力として眠っているといわれる。その潜在的能力は、使うことができれば、全て成功や幸せの為のものなのであると(誰もまだそんなことは言いませんが)思われる。

 即ち、眠っている能力を引き出すことができれば、「全ての人は、この世に幸せになるために生まれてくるのだ」という大命題を果たすことができるのだとすることを説く。

 では、どうすればよいのか?先ず、感謝でも喜びでもいいから、日々現れる身の回りのそれらに満たされることが良いのだと思う。

 大宇宙は150億光年の広がりの中に遍満するといわれるが、奇しくも、ある程度解明できているのは、その4パーセント程。残りはダークマターとダークエネルギーと呼ばれるものであって、未だ解明できてはいない。

 石火光中にこの身を置いていることを省みもせず、蝸牛角上に争うことは、余りに卑小であり、生命体を持って生まれた意味がどこにあるのかと、時には意識せずばなるまい。

 地上に生命体といわれるものが出現したのが38億年前だといい、人類が生まれて15万年。

 命を紡ぎ、人類が進化を目指したであろうその基になる染色体の組み合わせは、180万通りにも及ぶといわれるが、もとを辿ればたった一人の母親に行きつくのだという。

 ここにも、一つから始まったという歴史がある。染色体の働きもまた5パーセントしか活動していないといわれながら、一つの細胞が60兆個にも分裂して人体を構成し、おのおのがその役割を果たすというのは、一体何を目指してのことなのだろう。

 人類が58億人として、その中で袖触れ合う縁を結ぶ確率、時と環境を同一にして男女が互いを好もしく思い、次代に子孫を残していくというのも、不思議といえば不思議なのである。


 人通りの中、 幼女を連れていながら、歩き携帯に夢中で、一所懸命話しかける我が子に返事はおろか目をやることもしない母親がいた。

 小石にでも躓いたのか、歩道から車の往来が激しい車道に転げ落ちそうになったその子を、咄嗟に庇おうとした真央を更に庇おうとして、「馬鹿野郎」の罵声を浴びせながら停車して安否を確認することもなく猛スピードで走り去った車のミラーで、数馬は強かに脇腹を打ったのであった。

 脇腹を押さえる数馬に「ごめんなさい。私がちゃんとできなかったから」と真央が言いかけるのに「いや、僕の方こそ武道不覚悟で面目ない」と応えながらも、数馬は眉を顰めた。

 傷を確かめようと、心配いらないという数馬を説き伏せて、物陰でシャツを捲らせてみると、血が滴っていた。それを見て何故か、真央は頬を赤らめた。幼い頃は、一緒に遊んでいて小さな傷を負うと、互いにそれを舐めあうのが常であった。それはもうできないと思いながら、どきどきしたのである。今までにない感情のときめきであった。

 少し冗談めかして、「唾をつけてあげるね」と言うのが精いっぱいであった。

「かすり傷だから大丈夫だよ。真央ネーは怪我しなかった?それにしても真央ネーは、相変わらず可愛いね」

「も~う、こんなときに冗談言って。歩いて帰れそう?肩貸してあげようか?」と手を引っ張った。

 先ほどの幼女がつぶらな瞳で待っていて、「お姉ちゃんお兄ちゃん有難う」と言ってお辞儀した。

「痛いとこない?気を付けて帰るのよ」と真央が答えているのに、母親は素知らぬ顔であった。


 ほんとに久しぶりに、二人は手をつないで帰り道を歩いた。幼き春の日の野辺で、二人して遊んだ懐かしき日々を思い起こさせた。真央は温かい数馬の手をぎゅっと握り「ねえ数くん。さっき気づいたんだけど、数くんのこと好きみたい」

「なあんだ、そんなこと?僕だって真央ねえのこと大好きだよ」

「そういう意味じゃなくって・・・」

「だから、そういう意味でさ」

 真央はとても嬉しく、とても幸せであった。

 麦の秋。二人して歩く道の両脇は、夕陽を斜めに浴びて、黄金色に色づいた穂が、風に揺れて煌めいている。風の通り道は、何かが渡っているように見える。

 麦の獲りいれが済めばすぐに、稲が植えられる。麦も米も科本科の植物。禾(のぎ)のある植物の実を口にするから和という字はできた。同じ釜の飯を食うとよく言うが、同じものを食べれば同じ血ができる。同じ血が流れていれば、仲良くできる。人と仲良くしようと思ったら、一緒に食事をするのがよい。域内の和は、共にするものが多いから育っているのかも知れない。


「それにしてもどうして乱暴な人たちが後を絶たないのかしら?世の中が乱れているからじゃないよね?他人の所為にすることじゃないもの」

「うん。他人の所為にしている人たちは、自分が悪いと知っているから、まだ救いようはあるんだろうけどね」


 精神病質(サイコパシー)は、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。その精神病質者をサイコパスと呼ぶ。

 良心が異常に欠如している。他者に冷淡で共感しない。慢性的に平然と嘘をつく。

 行動に対する責任が全く取れない。罪悪感が皆無。自尊心が過大で自己中心的。口が達者で表面は魅力的。などが主な特徴とされる。

 他人に対する思いやりに全く欠け、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。

 その大部分は、身近にひそむ異常人格者である。先天的な原因があるとされ、殆どが男性である。脳の共感性を司る部分の働きが弱い場合が多いという。

 サイコパスは、異常ではあるが病気(精神病)ではなく、ほとんどの人々が通常の社会生活を営んでいる。本人も含め、まわりからも見分けはつきにくいが、かなりの人数がいるという。

 何か大きな犯罪などに関わると、それと知れるにとどまる。


 家への分かれ道を入り近くまでくると、空き地に、どこか見覚えのある車が止められていた。先ほど数馬たちに接触したが停車することなく走り去った車であった。

 路地から琴音が走り寄ってきて、真央の胸に飛びついた。思い余ったような真剣な表情である。

「どうしたの?」「お母さんが、真央ねえちゃんのところに行ってなさいって言うの。この前の怖い小父さんがまた来たの」

 琴音を真央に頼み、数馬は急いで綾音の家に向かった。

「奥さんよお、旦那から預かっているものがあるだろう?」

「そんなものはありません」

「そんなはずはねえだろう。だったら何か聞いてることがあるだろう?」

「突然居なくなったんです。何を聞く暇もなかったんです」

「大人しく聞いているうちに喋りなよ。手荒なことはしたくないんだ」

 押し問答の最中に、数馬が玄関を開けた。

「どうやら一人で来ているらしいから、今回も親分には内緒ってことですか。何をそんなに聞きたいんですか?」

「またお前か。邪魔するんじゃねえ」言いも終えずいきなり殴りかかった男は、部屋から開けたままであった玄関を越え、外に抛りだされていた。一瞬のことであり、男は何が起こったのか解らず呆然としていた。気勢は完全に削がれていた。

 機転を効かした真央が通報したのか、パトカーのサイレンが聞こえてくるのに慌てて、停めてあった車に駆け戻り、急発進して立ち去った。

 翌日、数馬の携帯電話が鳴った。

「権藤と申します。薄田数馬さんでいらっしゃいますね。昨日は私が目を離したすきに、うちの若いものがご迷惑をおかけしました。卒爾ながらお目にかかりたいので、一人で待っています、今宮神社の境内までご足労頂きたい」大仰な言い回しながら、その申し出が断られないという響きを含んでいた。

 誰にも言わず、数馬は今宮神社に向かった。神社には、紋付羽織姿の60年配の男が、長いものを包んだ風呂敷包みを携え、佇んでいた。

「今宮神社の境内までご足労頂くご面倒をおかけして恐縮です。権藤です。理不尽は委細承知。腕前のほど見せて頂こう」多くを語らず風呂敷包みを解くと、二振りの日本刀を取り出し、一振りを数馬に手渡すと、もう一振りの方を自らの腰に手挟んだ。

 数馬も一言も発することなく、腰のバンドに鞘の中間ほどの位置で刀を差し込んだ。柄頭は高い。刀は抜くともいうが、鞘走らせるともいう。抜く手も見せず抜くというのは、鞘を後ろに引き抜くことでもある。

 権藤は、すらりと刀を抜き放つと、静かに下段につけ、するすると間合いを詰めた。数馬は柄に手をやってはいるが、抜いてはいない。少し目を細めて、見るともなくみているだけであった。

 そのまま双方動かずにいたが、やがて権藤は刀を引き

「いや、恐れ入った。技前といい胆力といいとても敵うものではござらん。私もこの近在の出身だから、薄田さんのお噂はかねがね承っていたが、お若いのにこれほどまでとは。ご無礼致しました。失礼ながら、心底のほど私流に試させて頂いた。昨日ご迷惑をおかけしたうちの若い者、荒木ほか何人かを束ね、世間様から後ろ指を指される親分と呼ばれて一家を構えております。若い時に思うところがあって、半端ものは野放しにしておかず、目の届くところでまとめて抑えておかねばならぬというのが役目と思っています。そういう者たちは、残念ながら少なからず居るのです。広い空を竹の穴を通して見るように狭くしか物を見られない者や、狭い囲いの中で一切れの肉を争うようなことをやっている者達はまだまし、何とかできると感じています。薄田さんには、私とは違った役目があるのだと伝わってきました。ご存知あるまいと思いますが、今回の浦安さんがらみの問題は、彼が登山中に膨大な量の武田家の隠し軍用金を発見したのではないかとの噂に端を発してのもの。欲に目が眩んで己を見失うのは為にならない。隠れているものは、現れるまで待って対処しないと天の掟に背くのだと私は信ずる者です。当方の存知よりは、お伝えしておいた方がよいと思い、ご無理な面会の場を勝手ながら持たせて貰いました次第です」

 言い終えると、静かに去って行った。


 翌朝、数馬が学校に行くために玄関を出ると、荒木が門先にいて、小腰を屈め「おはようございます」と丁寧に挨拶した。

「また懲りずに現れましたか」「いえ、そうではないんです。親分から、皆さんのお手伝いをすることで修行してこいと言いつかりまして」

「折角ですが、当方にそんな気はないので結構です」

「解っております。こんな格好ですから、目立つようなことは致しません。蔭ながらお手助けできることを致します」

 言葉遣いがすっかり改まっていた。

 言葉は大事である。言葉の響きは、現れ出るものに影響を及ぼすエネルギーを持つ。美しいものは美しい響きから生まれる。

「金塊の方はどうするんです?」

「それはもう言わないで下さい。親分からきつく叱られました」

 荒くれどもが、どうやら心酔している親分のようである。


 不思議な光景が見られるようになった。「こら、セイガク。道にごみを捨てたらいかんじゃないか!」

 今までタバコのポイ捨てなど平気でやっていた強面の男に注意されて、学生は道に投げ捨てたごみを慌てて拾い上げた。逆切れして文句を言ったり居直ったりはできなかった。

 学問は、何のためにするのか。知識は、道徳と人倫を兼ね持ってこそ信頼関係が築け、教養として高められる。同心円上に同心協力関係ができるのが互いの認識となれば、この世の持ち分としての役割を果たすことに他と比べる必要は生じない。

比べれば差別は生じるし、損得勘定が判断の基準ともなる。多くを持たなければ認められないのであれば、庭にまかれた少しの餌を奪い合う鶏のように、限られたものを奪い合う。

 奪い合うというのは、足りないものがあるということ。有り余っていれば、それはないのかも知れない。エネルギーと食糧が無尽蔵であれば、太陽の光や充満する空気に対するように、争わず感謝することで生きて行けるのか?足りないと思っているのは何なのであろう。

 人として生まれさせ、宇宙のバランスを担わせようとした大いなる意思は、ひとり神のみがなすのではなく、一つから別れたそれぞれ一人一人が神を現出せよ、とのことかも知れないのだとしたら、内なる神性に気づくかどうかという事は重大である。自我を主張し争っている場合ではない。

 四知。誰よりも自分が知っている。自らを律することが人たるの所以。

 善をなせば善果が、その逆に悪を為せば悪が凝り固まって、社会は崩壊に進む。 善をなせば誰も穏やかになれるし、棘棘しさは影を潜め澄んでくるものが増える。小さなことからであっても、それは思いもかけなかったところから始まってきているように見えた。

 このところ、虚空蔵山の地鳴りは静まりつつあった。しかしながら、異常気象は続く。果たして間に合うか?


 暗く不気味な一夜が明け、いつもと変わらぬ朝日の中に、小鳥の囀りが辺りを埋め尽くしていた。

「数くん、一緒に学校に行こう!」門口で真央が声をかけたが返事がない。いつもの気安さで玄関を入り、さらに声をかけたが返答はなかった。胸騒ぎがして、真央は数馬の部屋を開けたが、異常な熱気に押し戻されそうになった。

 数馬は、布団の上で殆ど呼吸をしていない状態で倒れ伏していた。忘れたころに僅かに胸が動くことで、生きていることが知れるくらいで、意識は完全に失われていた。

「数くん、どうしたの。しっかりして」と揺り動かそうと触れた真央の掌に、火傷しそうな高熱が伝わってきた。

 突然、久しく聞いていなかったどこからともない声が、真央の耳奥に響いた。

「生き延びられるかどうか、試にかかっている。役目が果たせるかどうかは、本人が帰って来られるかどうかだ。帰ってこられなければ、死ぬということだ」

 躊躇いもなく真央は「代わりに私の命を召して下さい」と叫んでいた。

「それはならぬ。そなたにはそなたの役目があるからだ。命ではなく、そなたの美貌を差しだせと言ったら、それはできるか?但しその後が辛いことになるかも知れぬぞ」

「数くんが助かるのなら、構いません」

 即答であった。途端に真央は、顔が灼けるような熱さに見舞われていた。

 数馬の意識は広がり続け、無限に続く宇宙を、星々の煌めく中を抜けて、どこまでもどこまでも進んでいた。砕け散る星々をいくつも見ながら38億年を駆けて、なお続く彼方を見やっているうちに、それが外の世界なのか自らの内にあるのか解らなくなった。意識を内に向けると、急速にその世界は縮まり、我に返っていった。幾日もの昏睡だったのか僅かの時間だったのか、自分では判らぬが、数日は過ぎているようであった。腹が空いていた。

 気づくと、布団の傍らにつきっきりで看病してくれていたらしい真央が、手鏡を握りしめ、疲れ果てたのか突っ伏して眠っていた。花のようだった顔貌は変わり果てていたが、それが真央であることに数馬は疑いはもたなかった。

 数馬は、とても真央が愛おしく思え、優しく抱き起した。

「真央ねえ、見て来たけれど、本当に星は砕け散るよ。どうしてなのかは解らないけれどね。精神的に進化しないと滅びに向かうのかも知れない。2次元までのものは、簡単に曲げ伸ばしできるが、3次元のものをそうしようとしても我々にそれはできない。が、多分4次元の住人なら、そうできるに違いない。彼らの世界では、想像したことが瞬時に物質として創造できるとしたら、意識が高まっていなくては危険この上ないから、我々がそこまで進化できないなら、最初から作り直そうという意思が働いたっておかしくない。精神的なものが高められなければならないと知らされたように思うんだ」

 でも、地上で見た満月の裏側が、宇宙で見た時は真黒であったのを見て感じたように、一つの物にどうして表裏があるのだろう?同じく、もとが一つであったのにどうして、わざわざそこに正負や美醜や貧富や正邪の差異があるのだろう?合わせて理解できるようになれということなのか?進化が進み、互いの意識が隠しようもなく相手の知るところとなれば、別れているようでも一つのものと変わりないことになるというところまで行けということなのだろうか?

 末法の世に救世主として現れるといわれる弥勒(マイトレーヤ)は、釈迦牟尼仏の次に弥勒(マイトレーヤ)は、釈迦牟尼仏の次に仏陀となることが約束された菩薩(修行者)であり、釈迦の入滅後56億7千万年後の未来に現れて、生ある者全てを救済するとされている。出現するまでは、兜率天で修行しているとされる。

 兜率天とは、須弥山の超常、12油旬(ユシュンは、長さの単位)の処にある天部で、七宝の宮殿があり、無量の諸天が住まいしているのだという。弥勒はここに在して修行と説法をしながら、閻浮提(えんぶだい)に下生成仏する時が至るのを待っている。閻浮提とか須弥山とかは、仏教の世界観であるが、この壮大な構成を思索だけで創りあげたのだろうか?

救世主の出現は、果たしてあるのだろうか?それまでこの星は持ち堪えられるのだろうか?

 一人現れればそれが為せるのか。それとも多くの者の意識が進んでいて、共に働くというのだろうか?

 そんなことを、記憶を呼び覚ましながら、真央に伝える数馬であった。


 琴音は、真央が数馬に優しくされるのを見るのが嬉しい。数馬が倒れ伏してから、真央が付きりで看病している傍らでずっと見ていた。数馬の具合が悪いのは自分の所為なのだと思い込み、自分が幼くて何もできないことに小さな胸を痛めていた。

 真央が「琴音ちゃん、お兄ちゃんが眠っているのは、琴音ちゃんが思っているのとは全然違うのよ。だから、今は心配しないでいてね。もう少し大きくなったら、あなたにもお手伝いしてもらうことがいっぱいできるから、その時にはお願いね」

つぶらな瞳に涙を湛えて見つめている琴音が愛おしかった。母親に対しても周りの誰に対しても、どうしたら迷惑をかけないですむのかばかりが心にかかる。自分の悲しさを見せないで明るく振る舞うことが皆を和ませるのだと幼心にわかっていた。

 真央には琴音をじっと抱き締めてあげることしか今はできなかった。

 幼いながら琴音にはよく判っている。母が寝ている姿を見たことがない。自分を育てるのに懸命に働いているからだと知っている。だから、早く大きくなりたい。少しでも、周りの役に立つことができるようになりたい。一晩寝れば、朝になってどれほど大きくなれているのか鏡を見ずにはいられない。鏡を見ることで、それが何なのか判らないけれど、映っているものがあることを感じていた。

 優しいものと怖いものがある。目を逸らさないで見なくてはならないのだと思っていた。

 母や、真央や数馬もそうしているに違いないと知らず知らずに悟っていたからでもある。

 仮令どうすることができないとしても、自分のことだけ考えればよいのだとは思えないでいた。

 何となく見えているそれらが、いつかは抜け出して、目の前に現れるのだろうか?自分が周りから優しくされているのと同じようにおかえしができるだろうか?

考えるには、まだ自分の持っている言葉の数がたりなかった。

 誰も居ない時、掌に乗るくらいの、背中に羽根がある小さな猫みたいなものが現れて、じゃれつくようになった。幼い心には寂しくて仕方ないときに、慰めに出てきてくれるように思えて、それを身近に見ると自然に笑顔になれた。指先で撫でると、その猫みたいなものも嬉しそうにする。名前をつけてあげなくてはならないと思う。「ツバサちゃん」と呼ぶことにした。

 猫は部屋にいるとき、突然宙の一点を身じろぎもしないで見つめていることがある。あたかもそこに浮遊している霊があり、それが猫には見えているかのように思えて怖いという人がいる。一説には、人間には聞き取れない鼠などが発する音波を聞き取ってのことだともいうが、果たしてそれが何であるのかは判らない。そんなことは他にも五万とある。

 見えていても見えなくていても、解らないことの方が多いのである。

 優しくすれば、優しい波動が自分に返ってくるのだと思う。にこにこしていられれば、周りにも笑顔が集まってくるのだとも思う。そうしようと思えばそうなるのだとも思っていた。

「琴音ちゃん、いつも一緒にいる手乗りの子猫ちゃんみたいな子って、お饅頭食べるかしら?」

「真央ねえちゃんにもツバサちゃんが見えるの?何も食べないけれど、優しく撫でてあげると喜ぶの」

 つながりがあることが、琴音を元気づけた。

 琴音は、周りの人にとっては良いのか悪いのか判らないが、およそ物を欲しがるということがない。何かを欲しがったら、それをできない母が、悲しい思いをするのではないかと思ってのことでもなさそうである。そんなことよりも、気持が伝わりあうことの方が胸を満たす。

 ロシアの童話に『金の魚』というのがあるが、琴音はまだ誰かから聞いたこともなければ物語を読んだこともない。まだ幼くて、本が読めないからでもある。

 昔むかし、あるところに貧しいお爺さんとお婆さんが住んでいました。ある日、漁師であるお爺さんが漁に出かけると、網に小さな金の魚がかかっていました。

 珍しいので家に持って帰ろうとしたところ、魚は「何でも願いを叶えてやるから逃がして下さい」と頼んだ。

 無欲のお爺さんは、願い事を何一つすることなく、魚の頼みを聞きいれて海にその小さな金の魚を逃がしてやりました。

 家に帰ってそのことをお婆さんに話すと、ただで魚を逃がしたお爺さんのことをひどく怒り、魚のところに戻ってパンをくれるように願いごとをしてこい、と申しつけました。

 お爺さんは仕方なく海に行き、魚にパンを頼んで帰ってきました。すると、なんと家には本当にパンがあったのです。

 味をしめたお婆さんは、次には桶、綺麗な着物、更には新しい御殿と次々に要求を募らせ、お爺さんを魚の所に行かせました。

 欲深いお婆さんは女王になりたいと言いだし、ついには「神になりたい」とまで言うようになりました。それをお爺さんが頼みに行くと、魚は黙りこくって暗い海の中に消えて行きました。

 お爺さんが家に戻ってみると、御殿は消え失せて元の粗末な家になり、お婆さんは元のボロを着て座っていました。金の魚は二度と網にかかることはなかったのです。

 物質も、つまるところは波動である。我欲ではなく望めば、器量にあったものが現実化し、それが無限に充たされる可能性はある。

 しかし、拠るところが違えば害悪をもたらすことはあるから、いずれかの意思が働くのか、無制限に提供されるということにはならない。

「自分の欲望を際限なく満たしたい」という思いと、それを基にした行動を合わせて「貪る」と言う。もっと欲しい、もっとしたいなどの「もっと」がいつまでも際限なく続く状態というのは、どんなに手に入れても満足することがないのだから止まるということを知らない。

 得てして他者との比較になり、少しでも周りの権力者より多くの金や名誉を手にして自分の力の強大さを誇示しようとするから争いの基にもなる。いついかなる時も心が休まることはない。

 心とは即ち意識のこと。生きていれば「嫌だな」とか「辛いな」などと思うことが少なからずある。「苦しみ」の気持ちは、特に「思い通りにならない」ときに感じることが多い。

「諦める=明らかに物事を見る」ことが必要になってくるのだが、何を明らかにするのかが解ってこなければ、苦しみと恨みが残るだけのことに終わる。

 原因が「自分の欲」なのであれば、自分自身でどうにかすることができる。人間の「~したい」や「~になりたい」などの欲求そのものは、生きる原動力として大切なものであり得るが、それが必要以上の限りない欲望になれば、常に満足できない状態となる。何をやってもよいということにはならない。報いというのは、制御装置なのかも知れない。

 全ての人が無限の欲望を持って「むさぼる」ことをしたら、結果的に誰もが穏やかな気持ちでいられなくなる。「自分だけが大事」という考え方は、逆説的には自分を苦しめることにもなっている。自分が自分を大事だと思うのことは、周りの全ての人たちも等しくそう思っている。こんな単純なことにもなかなか意識が向かないのだから、争いの種は尽きないことになる。

 どのような力が働けば、誰もがそれらに気づけるのであろうか。


 さほど遠くない場所に、一部の人々から健康に良い「気」を発生させるゼロ磁場地域であると言われる分杭峠というのがある。長野県伊那市と下伊那郡大鹿村との境界に位置する標高1,424mの峠である。

 高遠藩が他領との境界に杭を建てて目印としたことに、分杭峠という名が由来するといわれ、峠には「従是北高遠領」の石碑がある。

 静岡県浜松市の秋葉神社へ向かう街道として古くから利用された秋葉海道の峠の一つである。秋葉街道は西日本の地質を内帯と外帯に二分する中央構造線の断層谷を利用した街道であり、分杭峠は中央構造線の谷中分水界にあたる。

 日本最大、最長の巨大断層地帯である中央構造線の真上にあり、2つの地層がぶつかり合っている、という理由から「エネルギーが凝縮しているゼロ磁場であり、世界でも有数のパワースポットである」とされていて、この構造線の延長線上には、日本の名だたる神社仏閣が存在する。諏訪大社も、その一つといわれる。

 何らかのエネルギーが集まる場所を、古人は感じ取る力を備えていたに違いない。

 金峰山と諏訪湖を頂点とする大三角形の一つとして考えると、このあたりに武田氏の埋蔵金が隠されてあっても不思議ではない。自然に現れるのを待つか、探すかということになる。

 三州街道の麻績の里に、今はそれが何であるかを定かには知る人がいなくなっているが、古くから秋葉様と呼びならわされた場所がある。苔むした大きな石碑が何基か残っているのみである。


 およそ人というのは、一体何を守ろうとするであろうか?それは多分自分が心底大事だと思っているものであるに違いない。親子兄弟家族であったり、地域社会であったり、国であったり、富であったり、権力であったりする。

 そのいずれもが、自己のみに捉われての行動に出るのでなければ、悪いとは一概に言えない。されど、価値観に違いがあれば判断のしようもない。


「琴音ちゃん、今度お休みの時にお母さんに運転を頼んで、お兄ちゃんと一緒に諏訪湖を見に行こうか?琴音ちゃんのお母さんはお忙しいから、お弁当は私が作るわ。何が好き?車は、私の父のを借りるから」」

 いつも一人でいる琴音を見かけて、真央は優しい声をかけた。

「わあ、嬉しい。一度行ってみたかったの。お母さんにお話ししてもいい?」

 弾んだ声が返ってきた。

「勿論いいわよ。私からもお母さんにお許しが頂けるようにお誘いしてみるわ」


 休日は、朝から快晴であった。お弁当を詰めた大きなバスケットを車に積み込み、真央は数馬と一緒に琴音の家を訪ねた。

「今日は、琴音ちゃんをお借りしての休日になりますます。宜しくお願いします」

「こちらこそ、お世話になります。私がなかなかできないのに、何から何までお気遣い頂いて感謝します」

 松川インターから高速に乗って、諏訪湖にはすぐ着く。近いからと言って、誰もがいつも行く場所というのでもない。

 長野県には海がない。だから古い昔の笑い話がある。

 初めて諏訪湖を見た弟が「兄ちゃん、海というのはこの5倍位広いのか?」

「馬鹿言え、海っていうのはこの10倍は広いんだ」

 奈良にうまいものなしというのに対し、「いや、鹿煎餅というのがあるではないか」という類と同じ冗談である。


「おねえちゃん、諏訪湖って広いんだね。向こう岸が見えないね」

「そうよ。この湖をぐるっと回って、間欠泉のあるところでお弁当にしましょ。間欠泉っていうのはね、温泉が地下から空中に凄い勢いで時々吹き出すのよ」

 諏訪湖のほとりの一角に、間欠泉が噴出している。間欠泉に面しては平成2年に諏訪湖間欠泉センターという施設が建設され、間欠泉について解説プレートなどを用いて解説しているほか、一般客が間欠泉の噴出を見物することができるようになっている。

 同センターに隣接した公園内には温泉を利用した足湯の設備が無料で開放されており、間欠泉見物の時間待ちや散策の足休めとして利用する人が多い。

 そこでお昼の休憩をしようというのである。お腹が空くころになるし、見晴らしも開けいて、次の噴出を待つのに丁度よい。

 今は、温暖化のせいか全面に厚い氷が張る冬が少なくなったが、昭和十年代までは諏訪湖はほぼ全面が氷結した。

「琴音ちゃん、この湖がね、冬になると氷で覆われてしまうのよ。ても東のほうの7ヵ所だけは、湖の底に源泉があって、そこは氷らないから7ヵ所の穴が開いているように見えるの。だからそこのことをここでは七ツ釜と呼んでいるのよ」

「諏訪湖が全面凍って氷が厚くなると、昼と夜の気温の差で大きな音がして氷の亀裂が走ることがあるの。これを昔の人たちは諏訪の神様が渡ったのだといって、御神渡り(おみわたり)と呼んだのよ。後で諏訪大社にも行ってみようね」


 諏訪大社は信濃国の一宮であり、末社含め全国25,000社に及ぶ諏訪神社の総本社である。

 長野県中央部の諏訪湖を挟んで、南に「上社本宮」「上社前宮」、北に「下社秋宮」「下社春宮」の2社4宮からなる壮大な面積を持つ神社である。

 本州を東西に分断する大断層、糸魚川・静岡構造線(フォッサマグナ)の中央部にあり、大地のエネルギーが凝縮された磁場の上にある。

 背後にある守屋山はそのものがご神体で、そこは本殿を持たない原初的な神社形態でもある。諏訪大社本宮の神体山とされている守屋山(標高1650m)であるが、この山は信州の霊峰の中心に位置し、諏訪湖を見下ろす場所に在る。

 地図では分からないが、守屋山西岳に立って見渡すと、北アルプス、御岳山、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳、蓼科山、浅間山が円を描いているように囲む中心の場所になっていて、あらゆる霊峰のパワーを一身に集めることができるポイントでもある。


「琴音ちゃんは因幡の白兎のお話し知ってる?」「うん、ワニに皮を剥がれちゃって泣いていた兎さんを、大黒様が助けてあげたの」

「そうよ、大国主命は、出雲の神様だったの。国譲りの神話というのがあるんだけど、大きくなったら古事記というのを読んでみるといいわ」

 真央が琴音にいろいろ話している傍らで、数馬は周りに押し寄せてくる異様な気配を先ほどらいずっと感じていて、自然にふるまっているように見えても緊張を解くことがなかった。

 莫大な武田の隠し金の噂にからみ、未だに張り巡らされている監視の網ということなのであろうか?

 神社を巡りながら、春宮と秋宮があるのに、何故に夏宮と冬宮がないのだろうとの想いがふと浮かんだのであった。


 阿堵物(あとぶつ)という言葉がある。金銭を蔑んで呼ぶ言葉でもある。

 王夷甫(おういほ)は、金銭を卑しいものとして「銭」という言葉を使ったことがなかった。そこで、金銭に貧欲な彼の妻は、王に銭と言わせようと試み、彼が寝ているとき寝床の周りに銭を一面に撒いて王が歩けないようにしておいた。王は起きだしてその有様を見ると、すぐに下女を呼び「阿堵物(この物)をすっかり片付けよ」と命じた。

 即ちどうやっても、汚らわしいものとして「銭」という言葉は口にしなかったということである。爾来、阿堵物というのは、銭の異名となった。

(註:阿堵=晋・宋時代の俗語で「これ」「この」などの意味を持つ。)

 しかし、彼のように金銭を卑しいものと決めつけるのは偏りすぎであろう。金銭の用い方が間違っている者が周りに多かったからに過ぎなかっただけではないのか。


「地中にある金(gold)は、自然に現れるのを待て」といわれる。金は、お金としても使われる財物でもあるが、無理やり掘り出してはならぬという戒めである。

 お金というのは、そもそもそれ自体が悪いのではなく、使われ方がどうかということであろう。あやまたずに使うことは難しい。自らの欲望を満たすだけのものであったり、他を支配するためであったりして、必要以上に貯め込み滞らせると弊害が出る。

 しかしながら、善であれ何であれ何事かを為すのには、良くも悪くも資金がなくては叶わぬ。

 その使われ方が広く世のため人のためであれば、限りなく幸せな効果は波及する。そういう使い方ができる高い志をもち続けられるかどうかということである。


 古事記における出雲の国「国譲り神話」は、天津神系のタケミカズチノミコトと国津神系のタケミナカタノミコトの戦いをもって締め括くられる。敗れたタケミナカタは、科野の国の諏訪まで逃れた。

 タケミカズチは、鹿島神宮の主祭神、タケミナカタは、諏訪大社の主祭神として祀られている。

 海外の他民族同士の戦いでは、敗者を皆殺しにしたり奴隷にしたりするが、古代の日本では、服従しさえすれば、命まではとられなくて、後に神として祀られた。

 わが国における世界に類を見ない最高の徳目は「和」であり、それは儒教にいう仁・義・礼・智・忠・信・考・悌や、西洋にいう愛を超えたものであって、日本人が有史以来積み上げてきた共栄の為の知恵。その共通概念なくしてなりたたないものでもある。曲折はあったにしても弱肉強食を良いとしなかったのである。

 神の霊魂は、優しく穏やかな「和魂(にぎみたま)」と、荒ぶり猛々しい「荒魂(あらみたま)」という二つの側面を持つ。きちんと祀れば、神は和魂の働きをするし、そうでなければ荒魂の働きをする。願い事をするのに粗略であってはならないという事である。

 近頃人々の意識の中から遠ざかった感が否めないが、それは等しく、永きにわたって人間関係においてもそうであった。


 余談ではあるが、神様は一体二体ではなく一柱二柱というように「柱」で数える。古来より神は自然物に宿ると考えられた。中でも大木には神が住まうとされたから、ご神木と崇められるものが多い。同様に、地面から天に向かって垂直にのびる柱は、神が降りてくるための通り道と考えられた。

 仏像などで見られる光背というのは、いうなればオーラ。身近に神を感じていたころの人たちは、体から発するエネルギーであるオーラを見てとることができた。 当然のことながらご神体として位置付けた自然物にもそれを見たから崇めたに違いないのである。


 穏やかな日々が過ぎているように見えて、数馬は心がせかされる。

 星をも砕く力とは、一体なんなのだろう?天空にある星のことなのか?それとも地球と言う星のことなのだろうか?

 何らかの危機が迫っていて、何事をかなさねばならぬ使命を負っているということなのだろうか?

 諏訪近辺には、鏃に加工された石器である矢ノ根石が産出された。硬くて鋭い断面を作り出せるその石は、鏃だけということではなくナイフ様の刃物としての加工もなされ、ものを切ったり削いだりするのに使われた。

 矢ノ根石すなわち黒曜石は、黒色ないし暗色の火山ガラスであり、化学組成は通常、流紋岩質で、破断面は貝殻状を呈する。

 そもそも日本列島は、環太平洋火山帯の一部であることから多くの火山が存在する。この火山活動に伴って流紋岩質マグマが、高温高圧の状態から地上に噴出したり、或いは地表近くに貫入したときに急冷した場合に「黒曜石」が生じると言われている。黒曜石は石器時代、石器製作の材料として鉄器にかわる重要な役割を果たした石材である。その黒曜石というのは、どの火山でも産出するものというわけのものではないから、この限られた黒曜石原産地と、それらの範囲を越えた黒曜石製石器類出土遺跡の分布から、当然のことながら、黒曜石という石器原材の産地とその使用地に、需給関係が両者間に存在したことは容易に推定できるが、道とて開けていない原初の森に隔てられたそれら地域間を如何にして搬送したのであろうか。この黒曜石の伝播が、どのような形態で行われたかは推測の域は出ないが、少なくとも何らかの「交易」活動として存在したことは確かであろうけれども、広大すぎる範囲に及んでいるのである。

 利便性の高い物が広がるのはわかるとして、狩猟採取の用途のみに使われたのか、戦いの道具として使われたのか解らないことも数多い。


 赤石山脈の最北端に位置する守屋山。諏訪ピクニックの数日後、数馬は何かに導かれるように杖突峠側からこの山に登った。

 守屋というと、物部守屋が頭に浮かぶが、何か関連があるのだろうか?彼はこの地とは遠く離れた河内国の渋川郡で厩殿皇子により射落とされた筈。

 蘇我馬子・は泊瀬部皇子・竹田皇子・厩戸皇子などの皇子や諸豪族の軍兵に攻められたのが、歴史に丁末の乱と称されるものである。

 守屋は一族を集めて稲城を築き、守りを固めた。その軍は強盛で、守屋は朴の木の枝間によじ登り、雨のように矢を射かけたので、その威力に皇子らの軍兵は恐怖し、退却を余儀なくされた。

 これを見た厩戸皇子は仏法の加護を得ようと白膠の木を切って四天王の像をつくり、戦勝を祈願、勝利することができたら仏塔をつくり、仏法の弘通に努めると誓った。

 そして願いとともに矢を放ち、大木に登っている守屋を射落した。寄せ手は勢いを得て攻めかかり、守屋の子らを殺し、守屋の軍は敗北して逃げ散った。

 守屋の一族は葦原に逃げ込んで、ある者は名を代え、ある者は行方知れずとなった。

 そんなことを考えながら双耳峰の最初の頂上に至った。頂上からの眺めは頗る良い。東峰に小さな祠が祀られている。

 そこから歩みもとめず西峰に向かった数馬に向かって、およそ山には似つかわしくない薄衣をひらひら風になびかせながら降りてくる女人に行き会った。

「そなた、隼人かえ?」と問いかけられた数馬は、それが自分のことなのだということに全く疑いをもたなかった。

「そうじゃ。今そなたの脳裏に浮かんだとおり、そなたの母として現じ小雪としてもわらわは顕れた。そなたは昔、自らが極めた剣技により修得した能力により、守らんと信じたものを、その身を挺して守ったのであろう。そしてその後はどうなった?黄泉から蘇って思うところはあるか?人は望むものを手に入れる為に力が必要だと思っている。武力や暴力であったり、金力であったり、権力であったりするが、それを手にした途端、その先に何をしようと思っていたのかを忘れてしまう。その先があった筈なのじゃ。何事をか為さんとすれば、何らかの力は必要じゃ。気づけばそれらは誰もが持っている力ではあるが、他を虐げることなくエネルギーを形にすることができるようになるには段階がある。確かに、未開ゆえ誰かが統べて導かねばならぬ時代もあろうが、義として立てた理想であっても時代を継ぐ者ものがそれを自分に都合よく変えてしまうことはよくあること。自分勝手に振る舞うことのみが目的となっている者共には、まだそのような能力は与えられぬ。体の仕組みと同じでどこも大事ではあるが、それぞれに役目というものがある。全部を慮

ることができるかどうかじゃ。無尽蔵にあるものは、誰も奪い合いはしないものじゃ。それによって争いは起こらぬ。この世が物質で成り立っている以上、何かを得ようとすれば対価が必要となるが、豊かであろうとするなら対価以上のものを与えねばならぬ。余分に支払うもよし、相手が喜ぶような感謝の気持ちでもよし、付け加えることはあっても決して見合う価値から少しなりとも奪ってはならぬ。そうしてこそより豊かさが増すというのが真理じゃ。奪えば奪われる、与えれば与えられる、教えれば教えられる。本来、宇宙にはものを生み出す元となるものは無尽蔵にあるから、かまわず供給しても許されようが、当たり前に手に入るのだと思う者がいるならば、それは許されぬ。手にしたときに畏まることがあってこそ湧き出ずるがごとく現出するようになるのじゃ。物質的にはほどほど発展しつつあれど、肝心の魂が追いついておらぬ。『星をも砕く力』とは、見切りをつけられたら創り変えることを辞さぬ大いなる意思があるということと知るがよい。

さほど猶予はないぞえ。前世から200年も経ってはおらぬ。400年はかかる転生が、それほど急を告げているということじゃ。

 此度も共に生きる仲間ができているようなのは喜ばしい。今生は、金力と肉体の快楽を学んでみるかえ?

「もそっと近う寄れ」

手招きされ誘われたのは、柔らかく眩いばかりの光に包まれた空間であった。光は溢れているがまぶしくはなくて、限りなく心が穏やかにいられる場所であった。

「まずそなたがわらわの中に入ってきやれ。神話にいうところの『まぐわい』じゃ。しかる後、わらわがそなたと一体となって国生みをする。何が生まれいずるかはわからぬが、この世に生を受けたら増やすことが努め。産みの苦しみというが、それは嘘じゃ。途轍もない快感に見舞われよう」

 そういいつつ、ハラリと羽衣を足下に落とした。現れた裸身はこの世のものとは思えぬ美しさで、導かれて内に入った数馬は余りの快感に震えた。


                               第3部完


第4部


 誰の脳にも、見たり聞いたりなど普段日常的に使っている「意識」とは別に、普段意識的に使っていない「潜在意識」と呼ばれるものが存在し、それは大抵のことを可能にしてしまう能力があるのだという。内なる神といえよう。

 この潜在意識というものは、今までに聞いたり、読んだり、見たり、言ったり経験したことの全てを記録する膨大な記憶装置でもある。

 ここには、世界中の全ての図書館にあるものを合わせた情報量よりも遥かに多くの情報を記憶できるということが証明されているともいう。

 潜在意識が何かを記憶するとき、その記憶は所謂世の中で言われる「いい」か「悪い」かに区別されない。しかもその上、潜在意識は事実上の現実と、想像上の現実を区別しないのだともいわれているのである。

 そこでは現実と想像の区別がつかなくなってしまい、思考と行動が潜在意識によって現実に導かれてしまうこともあり得るということになる。

 潜在意識は一番強力であることから、いくら強い意志を持っていたとしても、潜在意識には適わないのである。

 意識的に何事をかをしようと思っても、「今日は特別だから明日から始めることにしよう」等と考えてしまうのは、潜在意識のパワーによるものである。潜在意識は変化を好まない。

 しかし、もしもこの潜在意識を、自由自在にコントロールすることができれば、自分の意識や行動は、常に成功に向けて自動的に進むことがプログラミングされるといわれているから、望みを叶えるのには強力である。

 ただ、この領域につながるのはなかなか難しい。気づきのキッカケは、小さなことからなのだという。

 いずれにせよ、この世のものはすべて波動によって成り立つ。人は何であれ、自分の目で見えるものしか信じない。地球が回っているのではなく、星が自分の周りを廻っているのである。

 真理に近づきそれを悟ったり知ったりするには、まだ幼いのかも知れない。

 内なる神がそのようなものであるなら、それは一人個人のものということではなく、全てに繋がる意思があってのことであろうから、個に捉われていても仕方あるまい。自分のことのみ考えれば足りるということにしているなら、その世界に通ずることはないであろうし、大いなる意思に沿うことにもならないことになる。もっともっと大きな世界を知らねばならぬ。

 目覚め気づいた人が少なかった混沌とした時代には、その真理に気づいた人が他を導く役割を負った筈なのである。導くためには、何らかの力は必要で、そのおかれた環境に応じ、腕力であったり金力であったり権力であったり教えであったりした。多くの人がそれを我がこととして気づくのに時間がかかりすぎた。手段としての力であった筈のものがいつの間にか目的そのものに変節し、混沌は複雑に絡み合うものと成り果てた。

 全ては一つなのだ、というたった一つの事が理解を越えてしまっているのかもしれない。

 感謝と優しさは、厚い膜で覆われてしまっていて、攻撃的なものがより表層に出てしまった。


 近くの寺から勤行でもしているのか鈴(りん)の音が聞こえてくる。宇宙は波動で成り立つというが、この星の周波数は7.83ヘルツ。528ヘルツの音は、覚醒に影響があるらしい。

 衣食住が何の不安もない程に充たされた時、人はそれを感謝して、次の魂の磨きの段階へ移れるのだろうか?それともさしたる努力もなく手にすることができたことを当たり前なこととしてしまって、怠惰の道を進むのだろうか?

 人は、大いなる意思をもった偉大なる存在が別れてできたものであるから、気づきさえすれば、互いに争うことなく、思ったこと望むことを、何事であれ実現する能力を芯の我という領域に持っているのだという。

 その、内なる神とでもいうべき領域は、もともとが一つのものであったのだから、自分も他人も区別しない。思ったことをそのまま具現化できるといわれてはいるが、なかなかその通りにはいかない。ブロックしている大きな障害があるからである。。

 この領域に繋がるためには、過去世から今に至る誤まてる想念を清浄化し消し去らねばならないのであり、そのために、気づくまで人は何回でも生まれ変わる。

 この世の中のあらゆる苦悩は、それらを起こした原因である誤まてる想念を気づかせる為に、結果として現れているのであるから、現れた以上消える筈のものなのだが、消し去るための方法を修得できないから、改めて掴みなおしてしまいかねない。それを消し去る事が、何事をも可能にする内なる神に通ずる道なのに、それが解らない。

 最悪なのは、恨み言や復讐心を頑なにいつまでも抱き続けることであるから、それが苦悩として現れているのだと気づいたら「復讐は終わった」と宣言し「許せないけれど許す」と小声で言って、それらを解放してしまうのが良い。

 拘りを捨ててしまえば、苦悩の業は消えて行く。

 どちらかというと、他人を許すのは簡単であるが、自分を許すのは難しい。

 人は、今更取り返しようもないのだけれど、後悔することを沢山抱えていて、それが自らを責め苛むことがらが多い。いつまでも捉われ続けて自らの魂を傷つける。それらを、これは手前勝手なこととは違うと思い決めて、こういうことは再び繰り返さないと自らに宣言し「禊は終わった」と小声で言って、それらを解放し、新たな自分として出直すことである。

 自分を許し他人を許し、自分を愛し他人を愛すことができるようになることが、今生に生れ出た意味なのだと知ることから全ては始まる。


 真央は、大学受験の合格発表が終わり入学手続きを終えると、すぐに休学の手続きを済ませ、誰にも知らせず一人で暫らく暮らす決心をした。

 数馬にも「私は大丈夫だから、しばらくは探さないでね」と告げたのみで、数馬が真央のことだからと信頼して、その理由を尋ねることもなく了承してほどなく、行方が杳として知れなくなった。


 真央は、受験勉強中に突如夢か現か定かならぬ状態になり、大いなる意思に抱かれて宇宙の果てまで溶け広がりそうな目眩く快感を得たのであった。そのことを忘れてしばらく経った頃、体の異変を感じたのである。生理がとまり、こころなしか腹部が膨らんできたのである。心を許せる数馬とだって、手を握り合ったことも抱き合ったこともないのにである。

 しかし、何かは解らぬながら、この先がどうなるのかそれを自分の努めとして一人で確かめようと覚悟したのであった。


 この世のものは、自然より齎される潤沢な恩恵に感謝するところから始まり、人の潜在意識が共有するものの中から現出した。

 しかしながら、ものが現出することの意味を忘れ、欲望に基づくものからでも物が現れ出ることに味をしめ、それを自らの手にだけにすることも覚えた。

 欲望により手に入れたものは、それを失うことを恐れるのが自然の成り行きだから、それを守るための手段を考えるに至る。利権が生まれるということである。得た物は、自分だけで囲い込もうとするようになるのが常となった。

 類は類を呼ぶ。朱に交われば赤くなるの喩えのとおり、それに与している間に本来の意味を見失ったのである。波動が合うものしか身近に起こらなくなって行った。

 高次の精妙な波動に近づくには、目標が定まったある一定のスピードが必要なのかも知れない。高次元のものが見えれば、それはそのように現出される筈のものなのだと思えてならないが、大多数の人は、目先の損得の感情に流されるから、そのことに気づくことがなくなってしまっていったのである。利権利得を囲い込むようになって長い。もっと慈愛に満ちた世があることに目覚めねばならぬ。宇宙に遍満するエネルギーは無限にあり、心身ともに豊かになれる可能性はあるのだ。

 目に見える形でないと信じないと言うなら、手始めに噂に残る埋蔵金を探し出してみようかと思う数馬であった。


「数馬にいちゃん、真央ねーちゃんは帰ってこないの?」可愛らしい笑顔で数馬を見上げて瞬きをしない大きな目で尋ねた。

「昨日の晩、おねーちゃんの夢をみたの。おにいちゃんと仲良くしていてねって言ってたの」

「うん、真央ねえは大事なお役目があって、いま忙しいんだよ。でも琴音ちゃんのことは忘れていないから大丈夫だよ」

 なにかの徴候なのでもあろうか?

 久しぶりに、数馬・松田・河尻・福島・川田が顔を合わせた。受験などを控え、それぞれに忙しいから一堂に会すのは珍しかった。

 松田が口を開いた。「先日、荒木が声をかけてきて『兄貴、最近見慣れない与太者風の輩がうろうろするようになったんだけど、俺の口から言うのもなんだが、浦安さんは大丈夫かな~』って言うんだ」

「俺のことを兄貴というのは勘弁して欲しいが、与太者なんてのも古臭い言い方だが、的を射ているようにも思えるんだ」

 またぞろ武田の隠し金を狙って蠢きだしたものが出てきたということか?

 噂の域を出ない話が出てくるときは危うい。欲のみで動く者が蔓延れば碌なことにはならない。いっそのこと日の目を見させたほうが良いという時期を迎えているということなのかも知れない。

 しかしながら、事を成すには大義が要る。そんな覚えはなくとも、自らの欲望のままに動くと、関わった人たちにまで災厄を及ぼし、業火を背負わせる結果を招く。いかなる大義を立て、どのように事をなしていくかということは重要な問題となる。


「この間、守屋山に登ったのだが、その時に感じたことがあって、少し武田のことを調べてみたんだ。守屋山も金峰山も諏訪湖も気になるが、古文書や暗号地図があるとは聞かないから、誰もが知っている川中島や三方ケ原のことを除いて、ざっと読んでみたんだ」

 数馬が概略を説明した。


 武田信玄は元亀4年(1573年)2月に野田城の戦いで城を落としたが、その頃から持病が悪化。軍を甲斐に引き返すために信濃へ入って間もなく病死した。享年53歳。信玄ゆかりの移転前の長岳寺に移送して火葬した後、兵は影武者をたて、喪を秘して甲斐へ帰還したとされる。

 が、根羽村横旗の信玄塚に葬ったとか、駒場の山中で亡くなったとか、どれが真実かは定かでない。

 武田軍の伝令部隊は百足衆と呼ばれた。

 工事部門を受け持つ金山衆も百足衆と呼ばれるが、なぜ金山衆が百足衆なのかというと、鉱山(坑道)は百足のように主トンネルから足を伸ばして分かれていく様が百足のようなので、坑道のことを「百足」と呼ぶことからだという。

 伝令部隊、金山衆のように工作をする部隊を総称して「百足衆」なのだと考えられる。しかし、大河ドラマに出てくる百足衆は、主に伝令部隊のことを指しているようである。

 武田には直属の12名の伝令部隊「百足衆」があったという。

 百足、と聞くと気持ち悪く思うかもしれないが、百足は戦の神とされる毘沙門天の使いといわれており、更には百足は後ろには歩かないことから「後退しない(負けない)」という信仰もあって、よく兜の前立てのデザインにも使われた勇ましい虫なのである。

 しかし、坑道などに潜み、刺されると大事になるから、人は恐れて近づかない。

ついでにいえば、蜻蛉も決して後ろに下がらないことから、別名で勝虫とよばれたから意匠に多い。

 武田信玄といえば、「風林火山」の旗印が有名である。この「風林火山」は「孫子」を出典とする兵法の心得として、信玄の旗指物となって使われた。

「風林火山」の原文は「孫子」の軍争編に記された「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山(疾きこと風の如く 静かなること林の如く 侵掠すること火の如く 動かざること山の如し)」の一節であることを知る人は多い。

「兵は神速を尊ぶ」という言葉がある如く、合戦においては進軍の速さが大事になってくる。

風のように速く、炎のように相手を蹂躙することこそが合戦の要になる。そして、静かに進軍の時機を待つことも合戦では重要なのである。相手の挑発に乗ってしまったがために、大将が討ち取られて軍が総崩れになった例は枚挙に暇がない。

 孫子を重要視したということは、諜報活動も重視したということになる。武田の忍者は透破と呼ばれた。

 透破は、「すっぱ」「とうは」「とっぱ」などと読み「スッパ抜く」の語源となった忍者の名称・通称からであるといわれている。武田信玄が使った透破は「三つ者」とも呼ばれて、各地の情報収集や情報操作・人心操作などの諜報・工作活動に従事したと言われている。

「忍者」というと摩訶不思議な忍法で武士や他国の忍者たちと戦うイメージがあるが、武田信玄は「孫子」に基づいた工作活動などに手堅く活用していたようである。


 塩尻峠は、長野県塩尻市と岡谷市の境にあり、諏訪盆地と松本盆地を隔てる峠である。

 ここで、塩尻峠の合戦というのがあった。

 塩尻市柿沢に首塚・胴塚がある。塚は天文十七年(一五四八)七月十九日の塩尻峠の戦いが終わり、武田軍が首実験を行ったのであるが、遺体を放置したまま陣を引き払ったので、村人が哀れに思い、この場所に埋葬したと伝承されている。

 第2章で紹介した千人塚といい、この首塚といい、人は悼み手を合わせたり花を手向けることはしても、そこを暴くことはしない。

 しかしながら、これらとは違うが軍資金を埋めたと言われるところには、そのような塚の謂れが多いのも謎めいた話しではある。

 運搬し、それを埋めた者たちの口封じのためだとも伝わるから、恐ろしいことではある。

 本当か嘘か定かならざるも、世に武田の埋蔵金、豊臣秀吉の隠し金山、徳川の埋蔵金の噂は底深く残っている。


 天文十七年七月十日、小笠原氏と通じた西方衆と呼ばれていた諏訪湖西岸の武士や、諏訪氏一族の矢島・花岡氏らが、武田氏の領する諏訪に乱入した。信玄は 翌日にこの知らせを聞き即日出馬したが、極めて慎重な行動をとり、十八日になって漸く大井ケ森(山梨県北杜市)から諏訪に入った。

 小笠原長時は信玄 の動きに対応して五千余の軍勢を揃え、塩尻峠(現在国道20号線が走る塩尻峠ではなく、南側の勝弦峠とされてる)に陣を張った。

 ところが、それまでゆっくり動いていた武田軍は急に進度を速め、翌十九日の早朝六時頃に塩尻峠の小笠原軍を急襲した。

 通常、戦は峠の上に陣を取った者の方が有利なのが常道なのであるが、小笠原方では、昨日までの武田軍の動きから推測するに、まさかこれほど迅速に攻撃を仕掛けてくるとは夢にも思ってもいなかった。不意をつかれて、武具をしっかり纏った者が一人もおらず、大半が寝ぼけ眼という状況であったという。

 不意を突かれた長時軍は、一方的な敗北を喫し、将兵千余人が討ち取られてしまい、長時自身もほうほうの体で逃げ帰らざるを得なかった。

 武田信玄の有名な言葉に、「人は城 人は石垣 人は堀. なさけは味方 あだは敵なり」というのがある。

 この言は、『甲陽軍鑑』品第三十九に「ある人が信玄公の御歌として言う」として紹介されているものであるが、本当に信玄の歌なのかどうかは定かでない。

 しかしながら、これが信玄の軍事・政治哲学を端的に表現しているものであることは確かなようである。

 武田信玄は、大将として功名を得る資格の第一として「人材を見分ける能力」をあげていると言える。

 そのための一つの手段として、「日ごろから領内の様子や家臣の状態などをよく観察していて心にとめ、それについて後日、素知らぬ顔をして部下に訊ねる」ということをやっていたという。

 それも通り一遍の返答では満足せず、くどいほどに問い質すし、それに対する言葉のやり取りを通じて、その部下の人柄や才能、あるいは意欲、物の考え方、心掛け・深慮遠謀の程度などを見極めていたとされる。

 信玄の具体的な人物評価基準は次のようなものであった。

 心掛けを持たないものは向上心がない。武道に無案内(心得がない)の者は、根掘り葉掘り尋ねてでも、細かいことまで知ろうとしない。

 そのように追及心のない者は、必ず不当な発言をする。失言をする者は、必ず心おごりやすく、或いは逆に消極的になる。おごったり沈んだりするものは、首尾一貫しない。言行の首尾が一貫しない者は、恥を弁えない。恥知らずのものは、何につけてもすべて役に立たぬものである。

 そうは言いながらも、彼は、一方で、そのような評価基準に合わない者であっても、その性質にそって生かしてつかうことを心掛けていた。

 これが『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、讎(あだ)は敵なり』の真意と解されている。

 彼はそのことを「甘柿も渋柿も、ともに役立てよ」即ち、人はその性質にそって使うことが大事であるとしていた。

 決して人をつかうのではない。わざ(意欲)を使うのである。その人の持ち味や能力を殺すことがないように人をつかってこそ、心地がよいとしていた。

 信玄は、号を機山と称した。


 憎しの(294)山は753、186は15夜さん。この3桁3段の数字の配列は、縦横斜めの合計数が15となることから、魔方陣と呼ばれる。

 181459(人は石垣)1846(人は城)

 中央アルプスのほぼ中央に位置する名峰で、伊那谷の太田切川、木曽谷の伊奈川の源となっている空木岳という山がある。

 山名の起こりは「卯木」からきている。春に伊那谷からこの山を眺めると、中腹以下は黒木の森なのに、山頂部は残雪模様が美しく映え、それがあたかも満開のウツギの花のように見えるところから、その名がつけられたようである。


こんなことが基礎知識になろうかということで、順番はともかく皆に話し終えた。


 その気になっていれば、必要な情報はどこからかか入ってくるものである。要は気づくかどうかということである。

 不穏の気を放つ者が跋扈しだしたということは、乱れの始まりである。

 風越山・権現山からの鳴動が起こっていることも気になる。破壊されることは、避けねばならない。

 人は輪廻転生を繰り返しても、生老病死の四苦の軛からは逃れられない。それから逃れるには、輪廻の輪から脱しなければならないという。即ち解脱。

 宇宙の真理と我が一体であることを悟るということなのであろうが、一つなるものとはそれのことなのであろうか?

 それを覚ることが遅いからといって、砕かれて作り直されるというのでは救われない。

 行き違いはあるとはいえ、人間まだまだ捨てたものではない。十分に育った姿だって見られる筈。


 一方、真央は出産が近いことを感じ取っていた。体形は周りからそれと覚られるような変化はないが、なぜかそう感じていたのである。通常の妊娠に至るようなことは身に全く覚えがないから、一人で人知れず産もうと思っていた。

 払暁、それは突然にきた。伝え聞くようなそれに伴う痛みは全くなくて、むしろ快感であった。

 生まれ出たのは、両手の掌に乗るほどの光の玉であった。

 愛おしく掌にそっと捧げていたが、しばらくすると光の玉は窓を開け放つようにと言うように促した。

 名残りを惜しむように真央の周りを何回か撫でるように周回すると、西空に向かって眩い光の尾を引きながら飛び去って行った。

 朝日があがるとすぐに「光りの玉が生まれたわ」とだけ数馬に伝えた。

 数馬は「わかった」とだけ答えた。


 数馬は、考え込むことが多くなった。

 因果の法則というのがある。原因があるから結果があるというのが真理なのだという。しかし、原因があれば必ず結果が現れるというわけではない。現れるのには、そこに縁、即ち交差する何かがあってこそということになる。

 だとすると、万物は相互に依存し合っているから認識されるということになる。

 原因が解らない結果に人は苦しむ。原因が解っていれば受け入れやすいのだと思える。さればこそ、先人が「罰があたるようなことはするな」といってきたことに、意味がありそうである。

 楽しみを与え、苦しみや悲しみを取り除きあうというのは、人間にのみできることであろう。

 後味が悪い行いをするよりは、慈愛に満ちた振る舞いを心がける方が気持ちが良い。後生もよかろうものを、敢えてそれに反することを、何故に人はしがちなのだろうか?

 何が足りないとして殺伐とした世界を目指すのか。滅びにつながらないのか。


 衣食足りて礼節を知るという。「管子」牧民の「倉廩 (そうりん) 実 (み) ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱 (えいじょく) を知る」から出ている言葉であるが、人は物質的に不自由がなくなって、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる。

 多少の欲望は、進化を助ける。充たされないから際限もなく求めるというのが良いとは思わないが、我慢しすぎるのも、良い結果を生むとは思えない。

 ならば、まずエネルギーと食糧が満たされれば、人は違ってくるのだろうか。

 鎖国時代であっても、日本の文化程度は高く保つことのできた民度が醸成されていた。

 既得権益からの反撃は予想されようが、メタンハイドレード、海水から無尽蔵に取れて燃やすことができるマグネシウム、水素電池などで、まずエネルギー問題を解決する。

 食糧は、米作を復活すれば確保できよう。肥満になるほど食べなくても玄米食の栄養価値は高いとされているから、十分賄えよう。

 貪ることをやめて、精神性を高めることに目を向ければ、争い事はなくなる。

 我一人良ければ良いというのではない。皆が望むような平和な状態を現出することができれば、追随するものは表れよう。先ず隗より始めよ、ということである。

 そのようなことに武田の軍資金を見つけて使うというなら、大義と言えるだろうか?


 真央が帰って来た。誰が見てもそれと知れるほどに、全身から光を放っていた。

「いよいよ始める決心をしたのね?」と、数馬にかけた第一声がそれであった。

「うん。口実というかキッカケは宝探しだが、必要なものは望めばいくらでも供給されると思う」

「そうね。私たちが持っている力は、そういうものだしね」

「うん。だからこそ、それをどう使うかには熟慮がいる。なまじ変な組織を作れば乱れの原因にもなりかねないから、信頼できる人たちを集めて考え方の芯を固めなければならないだろうし、そこは真央ねえに頼むしかないと思っている」

 久し振りに会っての会話は、これで足りた。

 人は、生まれてから依存、自立、相互依存という過程を経て精神的に成長する。この世

に一つなるものがわざわざ別れて現出するところに、どのような大いなる意思の目的があるというのだろうか?そのあたりの共通認識が二人にはある。

 正と負の間には空の世界があり、空は無とは異なって、そこに膨大なエネルギーが潜んでいることは想定できる。

 自らの努力により進化することは当然として、ほぼ完全に自分でできるという段階になったとき、その空の領域に全てを委ねるということができる対象として歩めということなのか?

 プラスとマイナスの中間にあるゼロの持つ無限の意味に気づけということなのか?誰もが中道を歩める度量を持てるようになれば、世の中が変わるであろうことは間違いなさそうなのである。


 何も無いのだとしてきた処に、実は無限のエネルギーがあるのではないかと気づき、それは状態が変化すれば何にでも形を変えて顕れるのではないか?そのことに無知であったと自分で分ると、考えるようになる。

 考えると、認識できるものがでてくる。物質であったり概念であったりする。形となったそれらを取得すれば、実在となる。それらは望めば無尽蔵に現出するに違いないが、貪欲に自分だけが囲い込むことがないようにするには、人の精神性がまだ育っていない。空気のように誰もが等しく共有して余りある量があるのに、最初は奪い合い、必要以上に個人で貯めこむ。手段としてあるものが、目的となってしまってきたのが、これまでであった。貪欲は不幸を呼ぶ。


 何事かをするときは一気にやる。一気にやって圧倒的な差がついているものに、人は争う姿勢はみせない。争えば何とかなりそうなものは、奪い合う。

 宝探しは手段である。探さなくても見つけられる、というより、やれば見つかることが確実だから、それは口実ということである。

 必要な資金を得た後に何をやるか、ということである。

 大いなる意思に見限られて、作り直しの工程に入るのを座視しているわけにはいかない。

 その役目を負って生まれてきた、との想いが、いつからか醸成されてきていた。

 調和が取れればよいのではないかとのおぼろげな推測はある。いかに美しくそれが実現できるかということである。


                            第4部 完




第 5 部


 お手並み拝見とでもいうのか、門出を祝してとでもいうのか、時ならず花が咲いた。

 そもそも一つだったものが、別れて物質になったり、時間になったり、精神と呼ばれるものになったのは何故なのだろう。

 精神或いは霊と呼ばれるものを磨き上げるための手段として、大いなる意思は、同時に様々な物質をも現出せしめたというのであれば、今はその手段として現れたものを得ることが目的と成り果てている段階ということになるのであろうか。

 幸せで調和のとれた世界というのは、一体どんなものなのだろうか。

 精神の昇華を果たし、それで調和のとれた新たな世界を次々に作りつないでいけというのが、大いなる意思の目的なのだろうか。疑問は尽きない。

 ただ、このままではならないということが、朧に意識されるにとどまっていることだけは数馬たちには確かであった。

 先は長いが、残された時間が少ないという急かされるような意識が日増しに強まる。


 信玄は甲斐の国に城は作らなかったが、川中島周辺には強固な山城を多数作っている。後に真田家の持ち城となった松代城の元々は海津城であり、それは信玄が作った。貝津城とも茅津城(かやつじょう )とも言われ、茅の生い茂った地であったと伝える説もある。しかし、後世に信玄の城について語られることは少ない。不思議なことではある。

 不思議といえば、何故に信州の地を欲しがったのであろうか。甲州では米があまり獲れなかったということもあろうが、信州は神州に通ずると思っていたのだろうか。諏訪大社の意味するところは大きい。

 志半ばで潰えてしまった信玄は、大義としたものが神の意に沿わなかったのだろうか。

 後に天下を取った徳川家康が目指した、戦のない世を作るということは、それに沿ったということなのだろうか。


 久々に、塩崎建国が顔を出した。記憶力抜群の塩崎は、余りに膨大な量の情報が流れ込んでくることで、PCにおけるヒートランのような原因不明の高熱を発し、長らく臥せっていた。

 漸く小康を得て、口を開いた。

 いろは48文字というのがある。一文字も重ならずに文として成り立つものが二つある。


色は匂(にほ)へど 散りぬるを 我が世たれぞ常ならむ 有為の奥山今日(けふ)越えて 浅き夢見じ酔(ゑ)ひもせず


鳥啼く声す夢覚ませ 見よ明け渡る東(ひんがし)を 空色栄えて沖つ辺に 帆船群れ居ぬ 靄の中(うち)


 現在は五十音図で表される。即ち2音足りない。五十音を訓読みすれば、「ことだま」と読める。

 古来より我が国で使われる言葉は響きの中に魂、即ち神を感じ取る感性をもっていた。

 であれば、諏訪を守るご神山である守屋山は守矢とも書ける。事実、守矢神社というのがこの地にある。

 文字は言葉を表す記号であるということに立ち返れば、漢字ではなく平仮名で読むことで解ることも出てくる。

 薄田数馬(漱ぐ多禍事魔) 桜町真央(咲く良万智魔覆う) 松田芳樹(魔通堕与職) 河尻明(華和事理明 福島次郎(覆死魔治老) 川田勝夫(禍破舵活男) 塩崎建国(詩央左記長け邦) 浦安琴音(裏矢守異根)

言われてみれば、数馬は多くの禍いごとや魔を漱ぐように動いてきたし、真央は、身内に潜む多くの知恵を使い、周りを花の咲くように優しく包み込むことで魔を覆ってきた。

松田は、圧倒的な剣技で魔を堕し、有るべきところに通してしまう天職ともいえる力を与えられているようである。

河尻は、華のような和やかなことわりを明らかにするためであれば、自らの命さえ差し出すであろう覚悟を、前世からの記憶がそうさせるのか、時々垣間見せていた。

福島は、常々言っているように、守るものがあるうちは人より先には死なないで、魔を覆し治めるまで老いるであろう。

相変わらず思い込みの激しい川田は、禍を打ち破る舵取りに活きる男になるかも知れぬ。

塩崎は、本邦一の記憶を、長く詩のように記憶に残していく役目。

琴音は、何を為すのだろう。守矢というのが気になる。


 数馬の仲間たちの後ろに影が貼りつくようになった。表立っての動きというのはまだ無いが、一挙手一投足が窺い見られている気配があることを、皆がひしひしと感じていた。


 来世であるとか永遠の命とかいわれるものは、現世の虐げられた弱者の魂の救いの為に編み出された手段なのではないかという側面が強い。そういう世界が存在するということを証明できれば違ってくるのかも知れないが、それは不可能に近いから、現世で利得を受けている人たちが既得権益を手放す筈もなく、それを侵そうとするものがいれば、阻もうとすることはあり得る。

 ときにそれは、人たるの則を越えることだってなくはなかろう。現世利益を手にする強者が、自らを律することができるには、余裕というものが必要である。

 自らを高めようとしないものを、神は手助けしない。手助けされて得たものに対し、怠惰な者たちが抱くのは、それが自らに好もしい物でなければ得られた結果に感謝するどころか不平を言い、責任をその与えた側に押し付けて恥じない。自らの努力をなくして得られるものでなくては進化はない。他人のせいにしていて理想は生まれない。

 英国の植民地であった米国が、独立の為に戦ったのは、たった4パーセントの人たちであったといわれている。残りの者たちはわれ関せずであり、甚だしき者たちは酒を飲みながら傍観していた。しかしながら、数は少なくても自らの意思で立ち上がれば、事態は変わるということである。


 近頃、伊那の谷あいに咲く桜の名木を見に来て、それを縁のようにして住みつく人が増えた。その彼らに共通しているのは、柔らかにこの地を覆うように感じられる光のドームが見えるということであった。

 その光のドームは、日に日に透明度と強度を増していくようである。

 人は、道徳的にも知識的にも価値観的にも、全員が連帯できるほどに成熟しているわけではない。冷静に己を滅して見つめ直してみたとき、自分が拘っているものがそんなに大きなものではないと気づけないものだとは思えない。その拘りを捨てれば、もっと自由でのびのびした世界が開けてくるように思える。軛となっているものは、意外に小さい。

 抜け出せないと思い込んでいるのは、自分自身であって、他人のせいではない。


 日いずる東に位置し、古来から周りを海と言う天然の要害で守られ、南北に延びる緑豊かな島は、四季折々に美しく彩られ、黄金の国と呼ばれる国であった。

 この地の西の大陸は、西に行くほど砂漠地帯であり、その先の西に開けた文明はあるにはあったが、古くからの人類憧れの地は、この神に選ばれた東の国であった。

 偏西風の行きつく先、将来の末法の世に救われるであろうとされる14万4千人が栄えられる国と思いなして、古代に渡り住んだ裔もあろう。

 この神域ともいえる国は、侵そうとすれば神風に吹き払われ、護られているということを忘れ、逆にこの地から外に出ようとすると禍は起こった。

 内なる豊かさに意識が向けば、そこに黄金郷を築ける約束の地であることは、疑いようがない。

 何を理想として目指し、それを範として続く世界を如何に現出して行くかということに目覚めなければならないということである。

 この地に生を受けた使命とは、そういうことなのである。

「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」と、昔歌った人がいるが、個人の欲得から離れ、神がかり状態で突き動かされるように一身を捧げる人が出る時、歴史は動く。

 最初に起こした波動がうねりにまで育てば、それは広く伝播し、留めようのないエネルギーとなる。人為の思惑から掻き回す波であれば、それは荒く、如何に強くとも広がるには限度がある。それは弊害を齎すことが多いから、付き従う人が限られるからであろう。

 天意に沿えば、人の為せる業とは到底思えないことが起こることは、歴史上も枚挙に暇がない。

 大事をなそうとすれば、そこに抵抗は必ず起こってきたが、それと争うことがなく進むことができれば、それに如くはない。

 磨き上げられた鏡に映る如く、善には善が、悪には悪がそのまま返れば良い。

 悪意から出る攻撃が、そのままブーメランのように戻り、それが強ければ強いほど強烈に発信源に帰るとなれば、侵す者はいずれいなくなる。

 薙刀の技に木の葉返しというのがある。

 真央には、その先のものが身内にあるのを感じるのであった。あくまで防御に特定されるときに出る力なのであろうが、単なる技前のことではなく、意識の世界のことであり、それは星をも砕く力であることが想像できた。

 それは、数馬と松田にも備わっているに違いないとも真央は思うのであった。

 隠れているものを無理に探し出そうとすると禍が起こるものでも、天機が満ちて自ら現れ出ようとしている気を覗わせていた。


 宝探しは、目的ではない。その先をどうするかということである。

 ロマンは、義と志を持つ人を集め易いが多人数であることが要件ではない。何故なら、一人立つだけでも国は掬われるからである。

 しかしながら、賛同者は多いに越したことは無い。エネルギーの総和は大きい方が良いに決まっている。


 手続き上、埋蔵金を発見した場合は警察に届け出る。警察は、埋蔵金が発見された日時や場所、埋蔵金の特徴などを6ヶ月間公告します。そして、6ヶ月以内に埋蔵金の所有者が判明した場合、埋蔵金を発見した人は、埋蔵金の価格の5%~20%分を報労金としてもらうことができる(遺失物法28条)。

 これは落し物を拾った人が落とし主からもらえる報労金と同じことになる。

それでもかなりの額にはなり、ことを始める端緒としての資金には十分であろう。

あとは、ワラシベ長者のように先を膨らますことはできる。

 経済的支柱は、何をやるにも必要であるが、利益を求めるのが目的では狭ますぎる。いずれそれは争いの種になりかねない。目指すものを見失わなければ良い。

全てを自分がやらねばならないということでもない。得意分野に力を出し合え、それを互いにリスペクトしあう土壌をつくることで、先に進むことはできる。

 必要以上の財物を独り占めするかのように抱え込む者がいるのは確かである。起きて半畳寝て一畳等とまで達観する必要はないにしても、貪ることを止めないのは何故なのだろう?得てしてそういう者たちが表面に出ることはない。蔭からの支配を目論んでいるのだろうか?

 それを阻害しかねない動きには敏感に反応する彼らの側にだって、超常能力を備えている者を抱えていても不思議はない。

 数馬たちの行動が、都合の悪いこととの判断をすれば、人知れず妨害して潰してしまおうとする可能性はある。

 数馬たちの背後に、いつの頃からか張りつくようになった影というのは、そういうあたりから来ているのだとしたら、危険が伴う。どのような手段をとるか予想し難いからである。


 塩崎建国が口を開いた。「諏訪大社の主祭神は、出雲系であり、出雲といえば国譲りをしたとして歴史で習う。普通に考えれば、戦いに敗れて国を取られたとなるが、果たしてそれだけなのだろうか?

 だとしたら、敗者を最大級の神社に神と祀って後の世まで残すだろうか?同じことが他にもいえる。戦いに敗れた武将を神と祀り、後々も尊崇される民族というのは、一体なんなのだろう。他国であれば、墓を暴いてでも駆逐し尽くすというのに・・・

 元々が同根であると知っているからなのではないのか。だとしたら、主流派争いということであり、より正当性を持った者が支持されたということになる。

 信玄という名も、文字を変えれば真言とも箴言とも書ける。玄(くろ)を信ずるというのは穿ち過ぎであろう。信玄は、喪を隠せと箴言即ち戒めの言葉を残した。 単なる戦略だったのか?

 更に言葉を繋いだ。「世に、武田の隠し軍資金の話しは多い。夜叉人峠だとか瑞牆山だとか赤石山脈のどこかだとか諸説がある。一般的にそれを運んで隠す仕事に携わった者は口を封じられるし、後々の為に暗号化した地図位は残すが、そんなものはない。さっきも言ったように、同族間で後々後事を託せる者が現れたときには、自然にわかるという信頼関係があるとしか思えない。意外に簡単に見つかるのではないだろうか?


 前章のどこかに、八と言う字は恐ろしいと書いた。八と言う字は末広がりで目出たいともいうが、八の別の読み方はヤーである。

 ヤーというのは、神様への呼びかけ。ヤオヨロズの神というときのヤである。だから、恐ろしいというよりは、畏ろしいというべきかも知れない。

 古くは神様への供え物として生贄を捧げた。別の言い方をすると、犠牲。牛と羊を自分の身代わりとして焼いた。それは可哀そうなことであり、今後悪いことはしませんという誓いであった。羊の下に我と書いて、義という字ができた。義とはそういうものである。

 生贄など捧げなくとも済むように、身を処さなければならぬということである。

 人間がまだ神と直接会話ができていた時代、豊かに与えられるそれらを当たり前だとして疎かにする者が現れて、安易に流れ、惰弱の内にあっても事足れりとしていた者と、他より少しでも利を得ようとする者が出るに及んで、諍いの種は徐々に膨らんだ。

 それでも、優れたリーダーが長として集団を束ねていられるうちは良かったが、その長同士が争うようになり、集団が巨大化していくにつれて、本来の目的は見失われ、神との道は途絶えていった。物と心を分けて考えるとそうなっていく。

 人間は、命を繋いでいくのに物が必要だという原点があることが、そもそも問題なのかも知れない。

 物を得るのは、心を育てるより簡単にできる手段がいくらでもあることもそれに拍車をかけた。

 善因が善果を結び、悪因が悪果を齎すのが因果応報の真理とはいえ、選ばれた者のみが元の地に回帰できるというのは狭い。移り住んだこの星を栄えさせるために、営々と増やし続けてきた命を、輝かせることができない筈はない。

 深奥に潜む神性が目覚めればできる。

 日の本は 岩戸神楽の始より 女ならでは夜の明けぬ国と歌われるように、わが国は女性の意思が底流で大きく働いている。

 世の中は、女の望むように変わるといわれるが、それだけに女性の自覚というのは重要なのだと思う。良妻賢母という言葉がかつてはあった。これを差別であると目を剥くむきもあるが、疑いもなく優れた女性に対する尊敬の言葉であった。

 表の部分では男が全身全霊をもって力を尽くし、基盤の部分を女が支える。

 お互いがその持ち分を尊重しあえているうちは良かったが、いつの間にか働いて糧を得る男が偉いのだと勘違いする者が増えた。そうなるにつれ、女も表にでなくてはならないのだという意識が拡大したのは、歴史の趨勢でもある。

 しかし、今度は女の側にも勘違いは生まれることにもなったように思える。収入を得ることが、人としての価値ではない。

 楽に生活ができるのは、稼ぎの多寡によるのは事実だから、子にもちょっといい生活ができるような生き方を望むようになり、それが目先の損得しか考えない大人にしか育たないことにもつながった。

 志高く、世の為人の為に働こうとする人材を育成するよりも先に、権利を主張することのみに走る人も出てきたのは、仕方のないことかも知れない。

 残念ながら、特性を生かし合うことは、いつからか思案の範囲外になっていってしまったように見える。

 結果として、さしたる努力をしなくても全てが同権であると主張することに走る男女が増えていった。

 同権であるのが悪いのではないが、目先に追われて、特性を生かし合うということで生み出されるものが、どこかに押しやられてしまっていないかということが気になる。

 男に子は産めない。釈迦も弘法もひょいひょい産むなどということはできない。

 男女共に、表面的に現れる損得が人生の重大事と捉えられることになれば、それが過度の競争心を生み出し、全ての人がとまではいわないが、志を高く掲げて働こうとする気が薄れていってしまう人が増えていくのは、やむを得ないのかも知れない。努力する人を軽んずるようにもなる。思いやる心と、感謝の気持ちが薄れた世界は、殺伐としてくる。


 魏志倭人伝にある「倭国は乱れ、あい攻伐して年を歴る。すなわち、ともに一女子をたてて王となす。名づけて卑弥呼という。鬼道につかえ、よく衆をまどわす」のように、乱れたときに女性の力は大きい。

 鬼道とは恐らく霊力のことであり、それには言霊の詠唱に関する技があり、鬼道に拠る即時攻撃を可能とする力があったというが、威力を保持する事が難しかったというから、国を侵す者を幻惑して退けることにのみ力を振るい、集団を統べたということなのであろう。

 この先、真央と琴音の果たす役割が多からんことが予想された。


 真央の名前にある「央」の字には「大」という字が含まれる。大とは「おおきくたっぷりとゆとりがある」という意味が含まれる。

 それは、全てを受け入れる包容力であり、器の大きさということであり、中央に立つ人、すなわちリーダーシップを発揮する人に必要なものということになる。

 しかし真央には別の心配事がある。真央は音の響きから魔王に通じるのではないかとの恐れである。

 西洋には、ルシフェルと呼ばれる存在がある。明けの明星を指すラテン語からきているのだというが、光をもたらす者という意味をもつ悪魔・堕天使の名でもある。

 正当キリスト教において、堕天使の長であるサタンの別名であるが、そもそもは天上における大天使であった。

 素戔嗚も天界から降ろされることにはなったが、偉大な神である事を疑う人はいない。

 真央は生身の人間であるから、いかに志を高く掲げたとしても、完全であるとは思っていない。善悪の二面はあると思っている。ときに抑えがたい女性としての感情も十分に持ち合わせているとの自覚もある。

 時々、何故か自分の命はこの先長くはないのではないかと思うことがある。

 真央はこのところ414という数字を目にすることが多い。この数字の持つ意味は、「天は貴女が最高の真実と同調した思考ができるように助けてくれています。どんな心配事や恐れも天に委ね、平和なプラス思考に取り換えてもらって下さい」という事である。


「ねえ数くん、相変わらず魔の蠢動は続いているの?私は何をしたらいいの?」

「それは相変わらずのようだよ。差し迫って何をしたらいいのか解らないけど、みんなが和やかでいられるにはどうしたら良いのかっていつも考えている。あるかどうかも判らない隠し金探しの連中が揉め事を起こしているのも困った状況を引き起こしかねないけど」


民法241条は、埋蔵物は、遺失物法の定めるところに従って公告した後6か月以内にその所有者が判明しないときは、発見者がその所有権を取得すると規定している。

即ち、発見後約6か月間、所有者が現れなかった場合には、発見者がその所有権を取得することができるということである。

要件となるのは、発見者が遺失物の所有権を取得するためには、遺失物法に従って埋蔵物を発見した旨をきちんと届け出る必要があるということである。

因みに、届出先は警察署という事になる。届出をせずに、単に隠し持っていたというだけでは埋蔵物の所有権を取得することはできない。

埋蔵物を発見したのが他人の土地である場合には、発見者とその土地の所有者とが、埋蔵物の所有権を均等に取得することになる。(民法241条但書)。

しかし、文化的な価値がある物を見つけた場合は、自分の物にならないかもしれない。

例えば徳川家の埋蔵金のように文化的な価値が高い埋蔵物については、文化財保護法が適用される可能性があり、その場合には民法241条の規定が排除されることになるから、発見者が埋蔵物の所有権を取得することはできないことになる。

そうはいえ、発見者は何ももらえないということにはならず、遺失物法の規定に従って埋蔵金の価値の5パーセントから20パーセントに相当する報労金の支払いを受けられることにはなる。

「そんなものを探して争うより、地道に働く喜びを見つけた方がいいのにね」

 数馬が言った。


 人間ってなんなのだろう?動物は、衣は自前の毛皮があるから食・住が確保できれば、基本的に生きていけるし子孫も残せる。食も必要以上に貪り蓄えるということはない。

 ところが、人間はそうはいかない。精神活動をする為には富が必要となるし、持つものの多寡で力関係が生じ、沢山持つことで他を支配できるから、富を蓄えることに貪欲になりがちになる。

 人類は大まかに言って農耕民族と狩猟民族というのに、先祖は分れる。

 どちらも初期の頃は、その日の食物を得られれば、それで良しとしていたに違いない。

 用心のために多少の蓄えをしたとしても、たかが知れている。

 農耕といっても、採取時代から間もない頃は、石器に頼るしかなかっただろうから、耕作面積は知れていて、生産量が多かったとは思えない。

 しかし、鉄器ができるようになってからは違う。耕地面積を増やすことで圧倒的に生産量はあがった筈だし、富の蓄積ということもできるようになった。

 そうなると、農作業に従事する者ばかりではなく、分業化が始まり、思索に時間を使ったり、道具を工夫することから芸術に発展させたり、武器を作ったり、精神的支柱としての宗教も生まれてきて不思議はない。

 厄介なのは狩猟民族である。

 獲物が取れなければ、農耕民族を襲って蓄えを奪うのが手っ取り早い。狩猟をすることで、戦いには慣れていた。

 しかしここにも、奪うことを正当化する理屈は必要となったと思われる。

 白色人種の神は、有色人種を人ではないと決めつけることで、殺しても構わない奪っても構わない虐げても構わないという理屈を構築した。

 まさか神がそんなことをするわけがないから、神の名を騙る権力者がそれを唱え、従うのが都合の良い人たちがそれに従った。

 厳しい環境下で人々の安寧を願って、それを「宗」として纏めたいわゆる教祖が現れるのは不思議ではない。しかし、それを「宗教」という形にしていく段階で、人間の思惑が加わった。

 大雑把にこう考えてみると、歴史というのは解りやすい。

 植民地主義というものの遠因は、人は弱い他人から簡単に物を奪えるというところにありそうに思える。

 地の神と共に平和に暮らしていて武力とは縁遠かった有色人種の国々は、格好の餌食であった。

 奪う側は、そこに住んでいるのは人ではないとする口実も用意されていたから、悪いことだとも思わないですんだ。

 人倫というのは、そういう神には疑問をもって糺す勇気が必要なのであろう。

「気づけ!気づけ!」と、想像した神々が警告を発しているように思えるのだが、それに気づく人数が少なすぎると、崩壊を免れるまでに間に合わない。

 神州は鳴動を続けている。


「ねえ数くん、私休学中に一人で光の珠を産んだわ。数くんと夢の中で結ばれたと信じたし、とても嬉しかった。でも違ったみたい。生まれたのは光の珠で、生まれてすぐに信州の方に飛び去ってしまったの。このごろ空からあたりを見渡している自分を感じることがあるの。この先この世に長くは生きられないのではないかと思うの」

 数馬は黙って真央を抱きしめ

「多分同じころなのだと思う。僕も夢の中で女神さまを抱いた。めくるめくような感動だった」

 今こそ愛を確かめ合う時なのだと数馬は悟り、静かに真央を横たえさせた。迷いは微塵もなかった。


 翌朝、松田芳樹がぶらりと現れた。

「なんか二人とも嬉しそうだな。やっとなるようになったか?」

 というのが第一声であった。

「俺も数馬も、いつ人身御供のように命を落とすかも知れないんだから、今生に思いを残さないほうがいい。体を張っている他の連中も喜んでくれるさ。真央姐さん宜しくお願いします」

 と言って、ペコリと頭を下げた。

 河尻明と福島次郎に続いて川田昭夫もやってきた。

「俺は他のみんなと違って腕力の方はからっきしだから見回り重視でやっているんだが、このところ目が飛んじゃっているのが多いように思う。いうなれば何かに憑かれているようなふわふわした挙動の連中なんだけど」と川田がいうのに続き、

「それに加えて変な言語を使う強面の連中が諍いを起こしてるんだよね。こないだも絡まれたから手心を加えながら撃退はしておいたけどね。なんか焦って情報を収集しているみたいに感じた」と河尻が言った。

「俺はこないだ弓の修練の帰り道、暗くなった一本杉の梢に、正体不明の、これが噂に聞く鵺じゃないかと思えるのがこちらを窺っていたので、矢を一本お見舞いしたんだけど、あっさり躱された。恐るべき身のこなしだったぜ」福島がつないだ。

 どうも容易ならない事態がおこりつつあるようだ。

「騒ぎを起こしている見知らぬ連中は、多分宝探しの輩だろう。探し出す糸口を得ようとする無分別な行動だと思うが、そうゆう愚かさに魔がとり憑いたに違いあるまい。欲にかられた連中は危ない。何を始めるかわからない。我々で早いとこ隠し金を探し出してしまって、公の用に供してしまった方が良いのかもしれないと思うがどうだろう?」数馬がみんなの顔を見ながら図った。

「私はあまり賛成じゃないわ。あるかないかも定かではないものでも、私たちが動き始め

れば予想外の摩擦は起こるし、事件だって起こるかも知れないわ」真央はそう言いつつ、これが私の身に迫っている危険なのではないのかということを犇々と感じていた。ただ、自分の身勝手から出ている言葉だとは信じたくなかった。

「でも、もし危険が琴音ちゃんたちにまで迫ってくるようなら、そうするわ」真央は意見を付け加えた。多分、自分はそのどこかで死ぬだろうという予感は拭えなかった。

 真央は、深い眠りについているとき意識が体から離れ、自由に空間を移動しながら神州を我が目で俯瞰している感覚を目覚めてから思い出すことが多くなった。

朝な夕なに眺める山脈の中にひときわ目立つ赤石岳というのがある。桜の咲くころになっても頂は白く雪で覆われている。人里よりも山脈の上を飛ぶことが多いが、赤石山の上に行くことが際立って多い。

 少し前に自分から飛び立った光の珠が大きく育ったと思われるものにつつまれているのも感じていた。数馬が、守屋山や諏訪湖や八ヶ岳も気にはなるが、それは魔との戦いの上のことであって、隠し金は信玄の退却経路上ではなく赤石岳のように思えるのだと話したことが影響しているのかも知れない。自分には物質的な欲はないから、現れる時期がきているものなら自然に気が付くことであると思うので、目を凝らして何かを探しているという感覚はない。

 夢物語のようなことを、まだ数馬に話してもいないが、いずれは告げねばならないと思っている。一笑に付されることなく真剣に捉えてくれると信じている。

 動かなくてはならないときが迫っているのだろうか。


 麓道を黒塗りのワゴンが土煙をあげて走ってきた。

 やんぬるかな、琴音の身に危険が迫った。手がかりを求めれば、その可能性を探って浦安親子にたどり着く。

 近くには真央しか今いない。やむなく真央は子供の頃に使っていた木刀を手にした。琴音は、声をあげて騒ぐこともなく、素早く真央の背にまわった。

 侵犯者は屈強な男3人。その目前で素振りを入れた真央の木刀の刃音は凄まじく、怖気を振わせるに十分であったが、女一人と見くびったのか喚き叫んで掴みかかってきた。

 蝶のように軽く身を躱してからの真央の動きは流れるように美しかったが、数馬が修行時代に遊びのようにして付き合っていたことで身に付いた技は、苦も無く3人を叩き伏せるのに瞬きの間もなかった。

 手加減した上でのことである。まともに打ち据えたら骨が砕けたであろう。

 琴音を一人で守るためだったとはいえ、これが後に真央にとって取り返しがつかないことにつながるのであった。

 数馬達が集まってきた。

「大丈夫だった?」と口々に尋ねるのに応えて、「もうあまり余裕は無いみたい。この間の話だけど、すぐにでも動いた方がよさそうよ」と、琴音を抱きしめながら掻い摘んで事情を説明した。


琴音の父が赤石岳に登ってから以後に、行方不明ななったことだけははっきりしている。

赤石岳に向かって出発することに衆議は決した。

山国育ちであるから、皆それぞれに登山用品は備えているが、急いで浦安母子のものは用意しなければならない。

「お母さん、お聞きのとおり危険が迫っています。しばらくは私たちと一緒の方が安全だと思います。決めて下さい。」

「いつもいつもご迷惑ばかりかけてすみません。ご厄介をかけますが、宜しくお願いします」

 綾音が美しい顔に決心をこめ深々と頭を下げた。

「あなたも山の子だから、山登りは早くから経験しておいた方がいいわ。お姉ちゃんたち

と一緒に行くの。大きな山だけど、ゆっくり登っていくようにするから大丈夫よ」

 山登りが苦手だという人は、大抵歩き方が早すぎる。ゆっくり一歩一歩進んでいけば、さほど苦労せず楽しく登れてしまう。

 塩崎建国の言うところにより、探す見当をつければ以下のようになる。

 中国の春秋時代末期に現れた「孫武」は、一般的には孫子の名で知られ、「呉起」と並ぶ偉大な 兵法家であった。「兵は詭道なり」「百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」などの言で有名である。

 信玄は孫子に、謙信は呉氏に、信長はマキャベリに喩えられることが多い。毘沙門天の化身であると称する謙信を信長は恐れ、洛中洛外屏風図を贈って機嫌をとり、戦うことを避けた。同様に、信長は信玄を恐れ可能な限り戦いにならないようにしていた。

 信玄も謙信も天下取りを狙っていたわけでない事は、他の戦国大名と同じであったが、この両雄は強かった。

 しかし、信玄が上洛を目指したときは歳がもう待ってくれなかった。当時の寿命としてはもう晩年に近かったが、軍資金の備えはしていた。

 孫子の残した言葉に、窮年累世というのがある。「窮年」は人の一生涯。「累世」は子々孫々の意。「年としを窮きわめ世よを累かさぬ」と訓読する。孫子を信奉する信玄がこれを知らない筈がない。

 人は石垣人は城を掲げた彼にしてみれば、累は塁であり石垣のこと。石を積んだところがあれば、そこが一つの目印となろう。無類の強さを誇った騎馬軍団を擁した信玄であるから、馬というのも一つのキーワードとなるに違いない。

 赤石岳の東側を流れる大井川の支流、赤石沢の源流に赤色の岩石ラジオリヤチャート岩盤が多く、この赤色チャート層が雨に濡れると美しく赤色に発色することから、赤石岳及び赤石山脈の名前の由来になったとされる。陽に映えると美しい。

 南アルプスには二万年前まであった氷河によって削られた地形、圏谷(けんこく)すなわち広い椀状のカール地形が存在する南限とされる。赤石岳においては、東側斜面に北沢カールがあり、そして北沢カール周辺は、7月下旬から8月上旬にかけてハクサンイチゲやシナノキンバイなどの高山植物が咲き乱れる下旬から8月上旬にかけてハクサンイチゲやシナノキンバイなどの高山植物が咲き乱れるお花畑が広がっている場所である。

 山頂の全容が近くに見えるようになる平たい尾根に、百閒平の標識が立っている。ここは昔、百聞洞とも呼ばれた。

 この先は馬の背と呼ばれる細尾根を過ぎれば山頂に至る。この平らな場所に洞などは見当たらないから、いぶかしい名前であるといえる。

 このあたりのどこかだと真央は感じ取り、数馬も間違いあるまいと思った。

 取り敢えずザックを降し、ここで休憩をとることにした。

 そこかしこに咲く花を摘んで嬉しそうにしていた琴音が、崖近くの岩にぴょんと飛び乗った。

 古びてはいるが、人為的に形が整えられた大き目な石であった。

「ああ、ここだわ」真央が悟って皆に声をかけようとした瞬間、一行に向かって銃弾が集中してきた。皆が岩陰に身を潜める中、真央は琴音を庇おうと駆け寄った。

 運命というのはこういうことなのか?

 琴音を抱きしめた真央の背中から夥しい血が流れだした。

「いやだー!姉ちゃん大丈夫?しっかりして」と泣き叫ぶ琴音に

「これから言うことは大事なことだから、しっかり聞いてね。琴音ちゃんは、数馬兄ちゃんのこと好き?」

「うん大好き。」

「だったらよく聞いてね。大きくなったら、数馬兄ちゃんのお嫁さんになって欲しいの。他の人には頼めないことなの。ある力を持った人でないと駄目なことなの」

「真央ねえちゃんいやよ、死んじゃうみたいなこといわないで」

「死にたくはないわ。でももう無理みたい。そばにあなたしかいないけど、一番大事なことを頼める人でよかったわ」

 苦しい息を紡ぎながら言い終えると、真央は目を瞑じた。

 数馬が匍匐しながら近寄ってくる。

 真央のありさまを見て、数馬の怒りは怒髪天を衝くほどになった。星をも砕く力は抑えようもなく発動してしまい、襲撃者の頭上には暗雲が垂れ込め風雨が荒れ狂い小石が降り注いだ。

 同行の仲間たちの眠り閉ざされていた力も、これを機に同時に解放されてしまったから、凄まじいものとなった。

「やめよ!数馬。怒りに任せて力をコントロールできなくてこの先どうする!」

 驚くべきことに、その声は琴音の口を借りてなされた。

 静けさを取り戻した百聞平には、呻き声をあげて倒れ伏している襲撃者が散見された。

 こうして、この件は公的なものとして引き継がれることになる。発掘された埋蔵物は膨大なものであった。


真央 外伝

 まだよちよち歩きの頃の真央の隣に、数馬が生まれた。自分も幼いのに、生まれたばかりの赤ん坊が可愛くて、しょっちゅう見に通った。

 伊那の谷は、深い雪に閉ざされることが多かったが、風が温み雪が融けそこかしこに湯気をあげる黒い土が現れ草が萌出で、小さな草花が咲き、桜が花開く頃になると、ぬかるんだ道も乾いて、幼くても自分の足で歩いて行けた。

 数馬が初めて「真央ねえ」と声にしたときは、飛び上がらんばかりに喜んだ。

 寝ている数馬に一日中つききりで顔をみて過ごしたこともあるくらいで、親たちも「よく飽きもせず続くものだ」と微笑ましく眺めて、薄田家の当主となることが定めとして生まれた数馬ではあったが、家柄もつりあうこともあり、二人が幸せに育つことを願い合った。

 田んぼがレンゲの花で埋め尽くされ、草原が緑に染まるころには、タンポポの黄色い花が咲き、クローバーの白い花も溢れた。真央はクローバーの花を摘んで花飾りを編むと、それを頭に被り「大きくなったら数くんのお嫁さんになってあげるね」と小首をかしげながらあどけなく笑う姿は可愛らしかった。

 夏ともなれば、昆虫網と虫かごを携え、蝶々や蜻蛉、カブトムシを追って一日中野山を駈け廻り、真っ黒に日焼けした顔を互いに見合わせて笑い合った。

 それも4~5歳までのことである。


 当主とは、一家の家督を継承して家族を統括し、その祭祀を主宰する者を指す。家長と同義の言葉とされている。古い制度としては、家長は夫権や親権を通じた配偶者及び直系卑属に対する支配は勿論のこと、それ以外の親族に対しても道徳的な関係を有し、彼らに対する保護義務とともに家長の意向に反したものに対する者を義絶(勘当)する権限を有していた。また、その家の家風・祭祀に関する権限を握る存在でもあった。

 家門の役割というものも伝わり続け、商家などではこの制度故に家訓を守ることで揺るがずに長く代を重ねる例が多い。

 当主には、年長の外戚といえど異を唱えることは叶わず、それ故に教育も厳しかった。

 数馬の家は武門の流れではあったが、それは同様であった。


 六歳を俟たず、数馬の修行は始まったが、一歳年上の真央はそれをわが身のことのようにとらえ、共に行動することは勿論のこと、年長ということもあってか何くれとなく世話をし、時に励ましながら育っていった。


「数くん、手が擦り剝けちゃったね。痛い?お姉ちゃんが唾つけて治してあげるね」

「こんなくらい平気だよ。でも唾はつけておいて頂戴」真央は口をつけて傷口の泥汚れを吸い出し、痛いの痛いの飛んでけ~」とおまじないをしたりもした。こんなことが日常茶飯続いた。


 魔界との戦いが運命づけられている家に生まれついたことによる心身の鍛錬は過酷を究めた。常人を越えねば叶わぬことであり、自らの覚悟がなければとてものこと続けられるものではない。

 数馬の父は数馬が6歳のとき、極めようとしていた修行の途次で命を落とした。以後の数馬の修行の手ほどきは、叔父が携わった。

「数くん、泣いてはいられないわよ」幼い真央が更に幼い数馬を励ました。

 幼心にみても、修行は厳しかったのである。

 日を経るにつれ、真央は近くで見守るだけになっていった。最早一緒についていける段階を越えたといえる。それでも、真央の体術の能力は、すでに常人の域を超えていたことは紛れもない。

 学校の勉強は年長ということもあって、見てあげていられたが、それもつかの間のことで、数馬の吸収力と理解力は、一度でも目にしたり耳にしたものは網目のように身内に取り込まれてしまうからであった。

 真央の胸が膨らみ始めたころ、いつでも一緒にいることは遠慮しなければと感じるようになり、一定の距離をおくようになったが、好きだという気持ちが変わることはなく、いつも思い続けていられた。

 このころから、女の嗜みとして茶道を母より仕込まれるようになった。それに打ち込み一人で茶を点て静かに喫することは楽しかった。

 年頃になるにつれ、真央は美しく育ち、高校に入学する頃には言い寄ってくる男が増えたが、彼らに興味を向けることはなかった。一人数馬のために生きるのが自分の定めだと思い決めていた。数馬は相変わらずことあるごとに真央姉え真央姉えと呼んで自分を慕ってくれているが、それは姉に対するものとどう違うのか判らない。女友達が数馬の噂話をすると、自分が恋心を抱いているわけでもないのにと思いつつ、何故か心が騒ぐ。

 そんな時は茶を点てた。夕陽が差し込む障子にふと目をやったとき、突然脳裏に「星をも砕く力」という言葉が鳴り響いた。それが否応もなく自分に与えられた力なのだと疑いもなく信じたが、それを使うことがあるとまでは思わなかった。

 波乱の道はその先に控えていたのだが、解りようもなく流れていく。


                            (第5部 完)


かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる よあけのばんに つるとかめがすべった うしろのしょうめんだ~れ


前に話の出た魔方陣 ハチイチロクは十五夜さん


ネットからお借りしたレイライン 

https://www.youtube.com/watch?v=s3mUN8w3mvc



第六部


 大いなる意思は、一体如何なる世界が現出されることを望んだのであろう。最初から完全なものを造らなかったのは、未熟なものから育っていく過程に意味を持たせたのだろうか。

 そしてそれは、望んだ方向に向かっているのだろうか。

 我が国の縄文時代は、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前 (紀

元前4世紀頃)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展したと言われ、その後弥生時代に続いたとされるが、混在していたのではないかともいわれる。

 驚くべきことにその遺跡は日本全国の広範囲に及ぶ。

 遺伝子DNAの研究が進み解明されてくるに及び、他のアジア諸国とは違った素子をもっているらしい。

 その後かその前か、或いは重なっているのか解らないが、神代になる。

 いずれのときにあっても、神につながる意識を持っていたに違いなく、森羅万象の全てに神性を感じ取り、敬い共存するに八百万と言われる神々の意思を疑いもなく受け入れていたと思われる。

 その頃は、まだ神々との接点があったのだろうか。

 記紀に表される神話を荒唐無稽なものとして退けるか、或いはそこに汲み取るべき秘密があるのではないかとするのでは、意識構造に差が生まれる。

 古事記には、国譲りの神話というのがある。素戔嗚尊の子孫である大国主尊は、天孫降臨の前に芦原中国(あしはらのなかくに)、即ち日本を支配していた。その国を天照大神の子孫に譲り渡したということである。

 天照大神、高木神の命を以て、問いに使わせり。「汝が宇志波祁流(うしはける)芦原中国は、我が御子の知らさむ国と言依(ことよ)さし賜いき。故、汝が心は奈何」


 ウシハクのウシは主人。ハクは身に着けるという意味であるから、主人が支配しているということを言っている。

 対するに、シラスとは知らすということであり、知らされた人たちが共有協力して国を治めていくということである。即ち昆明共同の統治ということを指す。

 この原則は神代の昔から殆ど変わることのない意識に沈んでいる。

「しらす は、「知る」の語源ともいえる言葉で、天皇はまず民の心、すなわち国民の喜びや悲しみ、願い或いはは神々の心を知り、それをそのまま鏡に映すように我が心に写し取って、それと自己を同一化させ、自らを無にして治めようとされるという意味であると解される。

 対するに「うしはく」というのは、西洋では「支配する」という意味で使われている言葉と同じであろう。

 つまり、日本では豪族が占領し私物化した土地を、権力を持って支配するようなとき、「うしはく」が使われている。

 大国主命は、論破されたということになる。勿論、戦いもせず国を譲ったのでないことは、鹿島神宮の祭神として祀られる武甕槌命(タケミカヅチノミコト)と諏訪大社の祭神として鎮まる建御名方命(タケミナカタノミコト)との戦いがあったことは、記されたとおりであろう。

 いずれにしても、大国主は出雲の大社に祀られ、タケミナカタは、落ち延びた先が諏訪の地であったとはいえ、そこに祀られたのである。

 列島の背骨をなす場所であり、八ヶ岳と守屋山に繋がる地なのである。八と言えば、タケミナカタの先祖である素戔嗚が退治したという八岐大蛇がすぐに連想される。

 如何なる役目を負ったというのであろう。

 現に、日光・諏訪・伊吹・京都・阿蘇は一直線上にあり、鹿嶋と諏訪と白山を結ぶ直線上は春分と秋分の日の出・日没の方向となる。出雲と熊野を結ぶ線は、夏至と冬至のそれとなる。


 そもそも一つなるものが分かれてこの世に在るのだとしたら、罪の子として生まれてくる筈はなかろう。

 完成形ではないのは確かだから、時に悪の道に足を踏み入れることはあろうが、一旦そうなったら取り返しが効かないとしたら、生まれてきた甲斐はどうなってしまうというのか。

 禊をして罪穢れを払い、新たな魂に立ち戻り、本来の役目を果たせるような仕組みを編み出したのは、一つの知恵だと思う。

 性善説をとらねば、そこに安定的な道徳性は立ち行かなくなる。

 そうしてそこに和があり譲り合うということが共通されて当然の筈が、何故か自己のみを主張したがる。それぞれに役目があるのだとの意識に目覚めることがないままに、この先も過ぎていくのだろうか。

 八という字は恐ろしい。末広がりだといって縁起が良いとされているが、一つの物が分かれているのだとしたら、字の頂点はくっついていなければなるまい。それが最初から左右に分かれているのである。

 サイコパスと呼ばれる例外を除けば、人はよほどの悪人ででもない限り、殆どの場合自分のことばかりではなくて大事に思っている人をもっている。その人の為に良かれと思って心配りしたり行動したりしているが、善意が思った通りに相手に伝わることは少ない。

 場合によれば、悪くとられていることもあるから傷つくことも多々ある。

 どこかで相手に見返りを期待している部分があるのかもしれない。小川に花を流すような気持でお互いが居られれば、最後には理解しあい感謝しあえるのであろうが、ちょっとした行き違いで対立してしまうことが多い。

 見せることができないものを介在すればそうなる。ものごとを悪くとらえる癖がつくと不幸である。しかし、騙されても良いではないかというほどには達観できないのが普通なのである。

 真央を失ったことによる喪失感は、数馬を打ちのめす。こんなに自分が隙間だらけだったのだと、今更ながら愕然とする。満たされていなければ、その隙に魔が憑りつくのは防ぎようがない。

 志を高く持っていたつもりでも、ともすればめげそうになる数馬であった。

 このことから何を学び、何に気づけと大いなる意思は言っているのだろうか。自分はそこから逃れられない宿命のもとにこの世にあるということなのだろうか。

 かほどに憔悴している姿を見せるわけにはいかないのだという思いが、かろうじて彼を支えていた。

 地鳴りは収まるどころか強さを増しているのであった。


 現れれば消えてゆく。さしもの隠し金探しの騒動も、熱が引くようにいつのまにか霧消し、一見穏やかさを取り戻しているかに見えるが、次なる問題が何なのか、姿は見えてこない。見えないから無いと言えないものがあるのが恐ろしい。

 それでいて、真央への思いを断ち切り、今一歩踏み出さねばならない時が近いのだと感じる。

 多分、父が挑んだ道を辿ることになるのであろうが、生きて立ち戻ることができるのかは判からない。それができなかった時の先を考えると、なまじの覚悟ではできないということだけは解る。

 この世のものとは思えないものを相手にするということである。


 今は学問の神「天神様」として尊崇の対象となっているが、菅原道真怨霊説というのがある。

 天満宮に祀られたことで、ひとまず鎮まったとされるが、神社に祀られたことをもってそうなったのだとばかりは言えまい。

 道真が恨み言を残して死んだとは聞かないからである。人々が公正であるべきだと気づき、行いを改めるようになって、平安が取り戻せたのではないのか?

 自らに恥じる行いをしていれば、災いの現象は自らが現実化してその責めを負うという極めて自然な因果だとも思える。

 日本人は、怨霊の軛からは逃れられないと思っていた方が、自らを律することができ、結果として和やかにいくことが多い。

 道真は、幼少期から聡明で、数々の難関試験に合格したことにより、異例の早さで次々朝廷の要職についていった。宇多天皇からの信頼も厚く、トントン拍子で出世していったことが、逆に藤原氏たちから疎まれることになっていった。

 道真が右大臣に昇進した後、宇多上皇が出家したことにより、その後ろ盾が無くなった道真は、非常に危うい立場になったということは、想像に難くない。

 藤原氏たちの陰謀による讒言により、無実の罪を着せられて九州大宰府へ左遷させられた。

 東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

 宇多上皇は処分の停止を醍醐天皇に訴えようとするが、天皇に藤原菅根が取り次がず、そのまま左遷の処分が下ることになった。

 もともと頑健では無かった道真は、大宰府に流されて2年後、再び京都に戻ることなく59年の生涯を閉じることになった。

 怨霊の祟りだと恐れられた奇怪な現象が起こるのは、これからである。

 道真の死去した数年後のある夏の夜、道真の霊魂が比叡山の座主・法性房尊意の前に現れて、これから都に出没し、怨みを復讐することで晴らす決意を述べ、邪魔をしないようにお願いに来たということが書かれた巻物があるという。


 まずは、菅原道真を追いやった首謀者の一人である中納言・藤原定国が41歳の若さで急死。(906年)

 続いて醍醐天皇に直訴するため裸足で駆けつけた宇多上皇の行く手を阻んだ藤原菅根(すがね)が雷に打たれて死亡。(908年)

 その頃になると、それらは菅原道真の祟りだと恐れられ始め、左遷に追いやった張本人である藤原時平は、39歳の若さで加持祈祷の甲斐なく病気が悪化、菅原道真の祟りに怯えながら狂い死にしてしまったという。(909年)

 時平の命を奪ったと噂された道真の霊は、その後ますます猛威を増し、時平の子孫たちを次々と死に追いやり、遂には醍醐天皇の皇太子の命まで奪うに至る。

 源光(みなもとのひかる)が狩りの最中に乗っていた馬ごと底なし沼にハマって行方不明。(913年)

 醍醐天皇の皇子で皇太子でもあった保明親王(やすあきらしんのう)が21歳の若さで急死。(923年)

 保明親王の死後、醍醐天皇の皇太子となった慶頼王(よしよりおう・保明親王の子)が今度は5歳で死亡。(925年)。

 保明親王・慶頼王ともに藤原時平と繋がりが深かったことから、両者の相次ぐ死は、菅原道真の祟りによるものとの風評が吹き荒れた。

 これらにより、醍醐天皇は道真を右大臣に戻し、正二位を追贈する詔を発すると共に、道真追放の詔を破棄することにした。

 時すでに遅し。それでもなお台風・洪水・疫病と災厄は収まらなかった。

 延長8年(930年)6月には、あるべきことかなんと、内裏の清涼殿に落雷が発生する事件が起き、多数の死傷者が出ることになる。(清涼殿落雷事件)

 その時に死亡した藤原清貫(きよつら)は、かつて大宰府に左遷された菅原道真の動向監視を命じられていたこともあり、これはもう完全に菅原道真の祟りだと、益々恐れられることになった。

 落雷の惨状も凄まじく、直撃を受けた清貫は衣服を焼損し胸を裂かれた状態で即死した。

 醍醐天皇はこれを見てショックに打たれたのか病に臥し、3ヵ月後には寛明親王に譲位するも、その7日後に崩御してしまった。

 こうして、菅原道真を左遷を企てた者やそれに加担した者は、天皇といえどもその祟りから免れることはできないのだと噂されるに至った。

 藤原氏一族で唯一人、藤原時平の弟である藤原忠平だけが菅原道真に同情の念を寄せていて、励ましの手紙などを時に送っていたこともあり、祟られてはいない。

 ライバル達が次々に全滅してしまって、藤原忠平はこの後、摂政・関白となり藤原北家を支えていくことになった。忠平は、寛大で慈愛が深かったので、その死を惜しまぬものはなかったといわれる。(『栄花物語』)

 これだけ関係者が死亡してしまうということになると、因果関係がやはりあるのではないかと思ってしまいがちだが、菅原道真が実際に呪いの言葉を残した事実はない。

 これにより、理不尽な理由で人を死に追いやれば、その怨霊はその罪を犯した人すべてに報復を加えるのだという認識が当時の人々の間にすっかり定着してしまったということになる。

 それはそれで良かったのかも知れないが、喉元過ぎれば何とやら、人はすぐに忘れて同じ愚を繰り返す。

 災いの種は全て自らの内にあり、そこに魔が憑りついて引き寄せるから、必ずそれは具現化するのだと思ったほうがよい。

 悪縁は悪果を齎す。

 逆もまた真なりで、善縁は善果を齎すと信じ切るのが倫だとすれば良いのである。

 ただ、死霊も恐ろしいが、生霊の方がもっと恐ろしいことは知っておくべきである。


 悪霊(あくりょう)とは、ものの怪 (け) とも言われるが、人間に憑依して病気などの異常を起す神や物を指していうことが多いけれど、時に人間の身体から抜け出た分離魂、すなわち生霊や死霊が悪霊となることがあるとされる。

 悪霊は神仏の威力により退散させうると考えられ、加持祈祷、呪文などが行われたが、それで全てが払われたともいえまい。

 原因を次から次へと作り出しているのではきりがない。

 いま悪霊ごときに取りつかれて右往左往していては、「最も強烈で絶対的な存在」から愛想をつかされ、原初の世界にまで立ち戻されることになりかねない時なのである。

 浄化できるのは、己の内にもともと在る神なのだと全ての人が気づき、それに従えば、怪しげな呪い師に惑わされることなく人たりえる。他人ではなく、あくまで自分なのである。倫理観なくしては叶わぬ。


 大地震や大型台風が列島を数多く襲うようになった。

 被害が甚大になると、普段はよそよそしいつきあいしかしない隣人は勿論、見ず知らずの人たちがごく当たり前のように助け合う。

 我先に自分さえ良ければというような行動は、誰に言われなくても慎み、献身的に弱者の救済に夢中になれる。統率者がいなくても自発的にそうなることは、他国に類例を見ない。日本人のDNAは、他国にないものがあるともいわれる。

 普段眠っているそれらの能力を、無理やりにでも引き出そうとしているかに見える大自然現象は、「早く気づいて、地球のために日本人が立て!」と言っているかのようにさえ見える。

 地震より恐ろしい大変動が起こるかも知れない地鳴りが、数馬達を急かす。

 数馬は、何時にても立ち出でる用意として蔵に入り、胴田貫正国と伝承される刀を取り出し、常に手許に置くことにした。

 平安城相模は、父が持ち出したままになっている。

 払暁、瞑想に耽っていた数馬の面前に、その扉が突然開き、招き入れるかのように瞬いた。

 数馬が6歳の時、父もまた踏み込んだ世界なのだろうと瞬時に悟り、躊躇することなくそこに足を踏み入れた。後には何事もなかったかのような佇まいだけが残った。

 数馬は仄暗いトンネルを恐れることなく、奥へ奥へと突き進んで行った。

 進むにつれ、後ろの道が閉ざされていく。先に広がりをもった世界が開かれているように見えた。明るさは増してきていた。

 ある場所まで来ると、そこに結界が張られているように数馬は感じ取った。

「臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前」を唱えながら 、刀印(とういん)を結んで九字を切ると、それは打ち開かれ、なお先に進むことができた。普段どこででも見かけられる風景のように見えた。

 開かれたそこに出ると、待ち構えているものがいた。

 鱗に覆われた爬虫類を思わせる体をもったドラゴンであると覚えた。鋭い爪と牙を具え、しばしば口や鼻から炎や毒の息を吐く。典型的なドラゴンは有翼で空を飛ぶことができると聞くが、眼前に現れたそれは、有翼ではなさそうだが体高は3メートル余ありそうに見えた。

 東洋における龍は、龍神として崇められる対象であるが、西洋の竜は退治される対象である。

 太古の昔、恐竜は人類の大敵であったから、今も爬虫類に嫌悪感を覚える人は多い。蛇蝎のように忌み嫌うという表現はあながち無視できない本能として残されている。

 しばらく対峙して睨みあったが、竜が口からまさに炎を吐き出さんとした瞬間、数馬は2メートル余ほど飛び上がり、腰を捻って胴田貫を鞘走らせ、秘剣「雁行」左から発し右から払う技をもって対応せんとした。

 しかし竜の首の皮一枚の寸前で刀を止めた。そのまま刃を走らせれば確実に首は飛んだに違いない。何故か数馬はそれをやってはならぬのだと刹那に思ったのであった。

 竜の姿は忽然と消えた。踏み後さえ残っていなかった。

 なおも先に進むと、膨大な量のエネルギー体に押し包まれた。

 目を凝らすと、時代を超えたいでたちの生霊と思しき数多のものたちの集合体であった。

 我先にと争って、数馬の隙に憑りつかんと必死の形相であった。

 しかし、いかにしても数馬に触れることもできないと知ると歯噛みした。

 それらを打ち捨てて通り過ぎても構わないと思いはしたが、生霊ということになれば、回心させずにそのまま放置できない。そのまま解き放てば、いずれ他に仇をなすことは目に見えている。

 それにしても夥しい数である。恨みを晴らさんとする情念は、他がやむを得ない物と思える程に納得できるものばかりとは思えない。凝り固まっていたとしても、取るに足らない理由にとらわれて抜き差しならなくなっているのではないのか。自らの思い方を変えるだけで救われて自由になれるのではないのか。

 生霊は、実態がなければ思いを叶えることができないから、生き物に憑依してそれを果たそうとするのである。

「退って控えよ!」数馬が一喝すると、それらは少し下がって数馬を取り巻いた。

「そなたたちは、自分の住処である自分の体に立ち返って、自ら清まらなくては、いつまでたっても苦しみの軛から決して解放されない。さして難しいことではない。我慢できないでいると思い込んでいる恨み事を、たった一言『許す』と宣言すればよいだけのこと。無理だと思ってもそうすることによって捉われから離れられる。嘘ではない。個人の想念のことは他人が教えてはくれないから、自分で気づいて抜け出るしかない。早々に立ち返れ!」

 そうなのである。自分を苦しめているのは、突き詰めれば自分自身。そんなことは絶対できないと思っても、無理してでも小声であったとしても、たった一言「許す」と宣言すれば、その業は霧散してしまい、禍根を残すことなく自由になれる。


 次に現れたのは、ゾンビの大群であった。かなり気味が悪い。

 ゾンビとは、死者が何らかの外因により蘇り、死体のまま行動するようになった者たちのことである。自らの死を認めず、それほどまでに生に執着するのは何故なのだろう。

 死を悟れば、新たな場所に居場所を見つけ、そこでの修行もできようものを。

 斬り伏せて改めて死を悟らせるのも情けかも知れぬと思いつつ、それをするのはしのびなかった。

「あなたたちは死んでいるのです。行くべきところに勇気をもって行って下さい」

 心からの叫びであった。

 数馬のエネルギー体は圧倒的な光の珠でおおわれていた。その光に触れると、ゾンビたちは融けるようにして居なくなった。

 更に先に進むと、一人の男が佇んでいた。

「よくぞここまで来た。隣に住んでいた真央さんが成長した姿で先ごろ訪ねてきた。お前が近々この世界にやってくるであろうから、一緒に現世に立ち返ってはどうかと申していたが、父はまだこの場にまだ留まるつもりでいる。やることがまだまだ沢山ある」

 父の顔は、数馬の記憶にある厳しさが跡形もなく消え、限りなく穏やかに見えた。

「あっそうそう、数馬お前は背中の翼に気づいているか?真央さんはお前の翼となって終生共に居ると言っていたが」

 言われて数馬は、背に猛鷲のように逞しくそれでいて真っ白に輝く翼が生えていることに気づいた。重くもなく邪魔でもなく体の中に畳み込もうと思えばそれも難なくできる。自在に動きそうであった。


 父との名残惜しさを後に、さらに進むと、ここは地獄とは思えないのに、見るからに今までに絵画などで見たことのあるサタンと思わしき黒い翼を背に畳んだ大きな躯体が、岩の上に悠然と腰かけて、数馬の近づくのを待っていた。

 サタン・デビルは、神や人間の敵対者とされる。かつては神に仕える大天使でありながら堕天使となり、地獄の長となった悪魔の概念である。

 罪を犯して堕落したといわれるが、何をもってして許されない罪とされたのであろう。

 神に反逆して「敵対者」としての悪魔に変化したとみなされているらしいが、側近くに仕えていたのに何故なのだろう。神に匹敵するほどの能力を有すると言われながら地獄に落とされて、反論することもなく地獄に甘んじているのだろうか。

それともそういう立場としての役割を納得してそれを担ってでもいるのだろうか。

対するに、悪魔は仏教に由来する語であり、仏道を妨げる悪神、人に災いを与える魔物を指す。魔は梵語マーラ (魔羅)〉の略で、人を殺したり人心を悩ませる悪霊、魔物であって、江戸時代には多く天狗を指した。天狗は人に害をなす反面,獲物のとれる方向を太鼓で知らせたりするよい面を備えている。人にとり憑いてその人を一時的に狂気にさせたりするという狐狸妖怪・金毛九尾の狐など祁魔性の動物も、他面、有益な予言や託宣を行うこともあると信じられていた。

 稲荷神社の使いは狐である。恐れるばかりでなく畏れ敬うことでその優れた能力を味方にすることにできたものも多い。犬神や狛犬などは、普通に受け入れている。

 この点、西洋の悪魔の観念と異なっている。


「私が戦わねばならないのは、貴方様だったのですか?」数馬が尋ねた。

「ふん、どう思う?その方が見えていると思っている私の姿は、実態ではないかも知れぬぞ」

「しかもサタンと言っても、概念上の都合で作られた方便なのだとしたらどうする?」

「世の中、正邪・正負・現世と黄泉・天国と地獄、揃ってなりたっている。二乗すればマイナスもプラス。広大な宇宙に反物質が存在するという手がかりにもなっていよう?何故にそれらが対消滅しないで存在し続ける?バランスじゃ」

「その方がドラゴンを斬るのを思いとどまったことは褒めてとらそう。サタンに褒められても嬉しくはないかも知れぬがな」

「ちとここで立ち止まって少し話して行け。その方、『星をも砕く力』を一度使ったであろう?持てる力を使うことが天意に叶うとは言えまいぞ。その為に『試し』に懸けられてこの世界に来たと知れ!全ては想念から始まる」

「地獄は力が無くては統べられない世界。かなり疲れるが、現世ならばさほどではあるまい。実態があってこそ修行ができる世界だからな。で、ここまで来て何を感じた?」

「はい、力のない正義では役に立たないとは思いますが、力同士の争いは破壊しか生まない。かといって力の重しだけで統べるのも、うまくいかないように思えます。個々の神性を目覚めさせるしかないと覚えますが、如何にしたらそれができて救いになるか解りません」

「ふん、宗教家のようなことをいうな。宗教では毒されることが多いのだぞ。まだまだ青臭いが、今のところはそんなもんだろう。立ち返って励め!また改めて成長のほどを試されるかも知れぬぞ。こちらの者どもは、その方の父と共に可愛がってやる」言い終えると忽然としてその姿は掻き消えた。

 我に返った数馬が気づくと、我が家の前であった。

 少し猶予が与えられたということなのだと感じられた。


                              第6部完




第7部


 地球が誕生して46億年。

 人類は、哺乳動物の中の霊長類に分類される生物である。その霊長類が出現したのは今から約6500万年前、恐竜が絶滅する少し前なのだという。

 2500万年前から700万年前の類人猿から始まり、木の上で生活して木の実などを食べて暮らしていたとされている。

 2500万年前くらいになると、木から降りて生活するようになったのだというが、それは当時の地球で雨の量が全体的に減少し、森が少なくなったためといわれている。食料も、木の実から草原に生える草の実や根っこへと変化していき、500万年前、人類と類人猿が分れた。

 遥かなる時を超え、少しずつ進化して現代人に至るまで、気の遠くなるほどの長さである。

 我が国の縄文遺跡などから考えるに、2万年前にはこの列島の各地に人が住んでいたと思われるが、皇紀は2670年余、今上天皇は125代となる。

 神話の昔から血統が続く歴史は、世界の他の国にはない。繋がってきた国体の意味するものは大きい。それが何なのかは判らぬが、きっと重大な意味がこの列島に存在しているに違いない。


 日進月歩という言葉があるが、時進日歩と言えるくらい文明の進み方は早い。精神性の進化は、果たしてそれに追いついて行っているのだろうか。

 天上界の1日は、人間界の50年だというが、今まで待ち続けたのにもう待てないという如く急かされるのは何故なのだろう?進む方向が間違ってしまっているのだろうか。

 人間以外の生物は、自分が必要とする量以上の物は求めない。仮に蓄える習性を持つにしても、せいぜいが一冬分くらいのものである。

 生涯贅沢をして暮らしてもなお有り余るものを得ていても、さらに貪るように一身に抱え込もうとする習性は、どこから生まれ出たものなのだろうか。

 他人は他人、自分は自分と割り切って認められればよいのだろうが、なかなかそうはいかないから軋轢も生じる。

 ただ、物は有限だというわけではなく、望めば無限に現出する世界でもあるように思えるから、争って他から奪わなくても済む方法は、気づいていないだけのことなのかも知れない。

 精神活動が進化すればそうなるのだろうと感じさせられるのである。

 数馬は、異世界から戻ってみて、今までにない感覚を覚えるようになっていた。

 分れて在るものは、必ず何らかの意味がある。律に沿って流れれば調和がとれていく。自分の判断で好ましくないからといって、力による支配を考えてはならないのだという事を経験させられたのだと思うのであった。

 使えば星をも砕く力を持ちながら、異世界でそれを使って破壊を試みなかった躊躇いの気持ちには、きっと意味がある。少なくとも自分の為の都合でそれをしてはならないのだということを悟る通過点だったのだ。


 さて、この先どうする。

 世直しなどと大仰なことをするのではないにしても、何かしないと、偉大なる意思は待ってくれなさそうな感覚は常にある。

 世の中に特効薬というのはなさそうである。もしあるとするなら、それは劇薬であり、破壊を伴うに違いない。破壊されることを避ける為に破壊するのでは本末転倒であろう。

 三人寄れば文殊の知恵。みんなで集まって考えてみるよりない。彼らも力を与えられているのである。

 東洋では、末法の世に弥勒菩薩が現れて衆生を救済するとか、西洋では、救世主が現れるのだとかいわれるが、待ち望めばそれが現出するということではあるまい。人類は、それら他力に恃まずとも、自らの小さな行いを匡していくことで、世の中を和やかにしていくことができる精神上の知恵をすでに持っているのではなかろうか。

 劇的なものではなく、些細な積み重ねによる総合力のようなものであろう。

「人様に迷惑をかけるんじゃないよ」とか「お天道様は見てるんだからね」とか、自らの行いを自ら律することは、仮令小さなことであっても、そのことの積み重ねは、争いや破壊を防ぐ元になる。

 応身 (おうじん)という言葉がある。仏が衆生を済度するために、様々な形態で出現する際の姿であるとされる。単なる「法」や「理」ではなく、人間という一定の形をとるのでもなく、恒に衆生に向かって働きかけているものと考えられていることを示しているのだとすれば、それは外に求めなくとも、すでに人々の体に等しく備わっているものと考えることができる。

 それに気づいていないか、或いは悪想念により曇らされているのかは分からないが、それが具現化すれば、世の中は変わる。そこから遠ざけている力は何なのだろう。又、それを断ち切ることはできないものなのだろうか。

 化身というものもある。化身は、人間以外のほかの衆生への応現化成と考えるものらしいが、いずれにせよ、善なるものに感応する力はあるのだとした方が良い。 すべては中にある。

 いろは48文字と、よく言われる。ひらがな・カタカナ双方にそれがある。

 加えて濁音が、20文字、半濁音が5文字、拗音36用、それに撥音がある。

 漢字は、常的に使われるもので約2000。熟語となると、数えきれない。

 表意文字である漢字には、音訓でいくつかの読み方があり、使い方によりニュアンスが異なる。しかも、助詞を介して文章の順番を入れ替えることにより、細かな感覚を伝えることも可能になる言語ということでもある。

 日本語にしかない、他言語では表現しきれない言葉というのも多い。

 端的な短い言葉でありながら、それが含む深さと広さを持つ意味合いを、他言語に訳すことが不可能なのだという。

 日本人ですら説明できないけれど、日本人がその使い方を誤ることはまずない。

日本語は、どう言うかよりどう伝えるかが重視されるのだといわれる。つまり、相手があるということになる。

「侘び寂び」「もったいない」「切ない」「いただきます」「初心」「お蔭さまで」などは、外国語に翻訳できないのだという。

その他、自分を表す一人称の多様さ(自分のことをあからさまには主張しない為に使い分けるから数が多い)、同じく相手を表す二人称も数が多い。尊敬語や謙譲語が多いのも、一人自分さえ良ければ良しとせず、相手を慮る心のありようが根底にある。

 それにしても、日本語の語彙数は多いように思う。語彙数が多いということは、より複雑な思考や、より深い思索を可能にする。

 使いこなせば、意識をより広げられる言語であるといえよう。

 意思というのは、何事をかそれを長く続けようとするときの根底にある意識の高まりであるとするなら、意識というのは広い方が良い。

 肉体的にであっても、立ち上がるためには一定の広さが必要である。実際にやってみれば解ることであるが、狭い場所でそれをするのは不自由である。精神上のこととなれば、猶更のことになる。

 生きていくために、食・衣・住は避けて通れない。それを確保できない弱者は淘汰されてしまう時代は確かにあっただろうが、それでも弱者を守ろうとする意識は、もともと自然に存在していたに違いない。

 自分の次は家族であっただろうし、その気持ちが、身内、地域、国、世界へと広がっていくことを考えられるのが、人たるの所以である。そういう中で、音楽や芸術や思索に能力を発揮し、ただ生きるのみでよいとするのではないとしたのも人であろう。

 えてして忘れがちになるが、自分の力だけではなく、多くの関わりのある人達のお陰があってのことだと意識できなくてはならぬ。

 塩崎建国が、仏教がらみのことを口にした。集まった仲間たちは、もし使ったら阿修羅に優る力をそれぞれが秘めている。コントロールできなくてはなるまいと、危惧したのである。

 真央を失って、その傷は深い。感情を抑えきるにはまだ日も浅いということもあった。

 阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されているが、阿修羅はもともと天界の神であった。阿修羅が天界から追われて修羅界を形成したのには逸話がある。

 そもそも阿修羅は、正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれていた。阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。

 阿修羅には舎脂という娘がいて、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていたのだが、帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。

そんなこんなで、怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。

帝釈天は配下の四天王や、三十三天の軍勢も派遣して応戦した。戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへ蟻が行列をしているところにさしかかった。蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から、軍を止めた。それを見た阿修羅は突然軍勢が止まったことに驚いて、帝釈天に何かの計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。

 正義は帝釈天にあるように映った。

 この話が天部で広まって、阿修羅が追われることになったといわれる。また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。たとえ正義であっったとしても、それに固執し続けると、善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教では、天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。

 何が正義で何が善なのか決めるのは難しい。ましてやそれを貫き通そうということになれば、軽々に判断して行動するわけにはいかない。


 松田芳樹が口を開いた。

「俺、このごろ町中を歩いていると、ちっちゃな子からお兄ちゃんコンニチワって挨拶されることが多くなったんだよな。知らない人と口をきいちゃ駄目よって教えられている年代の子だぜ。俺って外見がこわそうだろ?笑うな!だから結構嬉しいんだ。

 何でもかんでも画一的に分けているのが、そもそもおかしいんだよね。普通に見ていれば信頼できる人かそうでないかなんて子供でも判ることなんだよね。でも、見ただけじゃ分からない奴もいるから、仕方ないのかもしれないが、それもこれも人とのかかわりが少なくなって、お互いの絆を深められないような世の中になってしまっているからのように思えるんだよね。昔はみんな顔見知りだったから、用心する必要なんてなかった。わからなきゃ何してもいいんだっていうさもしいのが増えたのかも知れないが、顔見知りになって親しくなっていくのは大事だと思うんだ。知っていれば守ってやろうって自然に思えるしね」

 塩崎君の話とは違うかも知れないが「死海文書だとかいうのがあって、そこに日本に関連する予言があるというが、他にも伊勢という語とイスラエルという語の同音性や、伊勢に近い大阪にカナンという地名があると聞くと、なにか関係があるのだろうかと思ってしまうのだけれど、どうなんだろう?」と、塩崎に尋ねた。

「確かにその話は聞くが、概略はこんな話かと思う。」と答えて続けた。

アラビア半島のイスラエルとヨルダンの中間あたりにある死海の沿岸遺跡で発見された古文書の事を、死海文書と呼ぶ。

 書かれた時代は紀元前250年~70年頃と推測される。

 誰が書いたのかは定かではないが、クムラン教団というユダヤ教一派の宗教団体であるというのが有力視されている。

 死海文書は、古代ヘブライ語で書かれた聖書の写本で、キリスト教が生まれていない時代のユダヤ教の聖書だという。そこには、死海文書だけに記された予言があるのだとか。

 クムラン教団は、厳しい規律と激しい修行によって超常的な能力を持つに至っていたとされる。

死海文書は、イスラエルの建国と混乱、そして破滅を予言していると解読された。

そして、その混乱の最後には、大きな津波と更なる戦いと破滅が待っているという。

死海文書の「戦いの書」という一編には、「光と闇の最終戦争」という記述があるらしい。

 曰く、全ての神の民に救いが訪れ、神の側の者達には栄光が訪れ、サタンの側の者達は絶え間ない破壊に苛まれる。

 世から不平等が消え去り、闇の子が持つ特権は全て消え去る。世界を征服する民族による支配は終焉を迎える。

 両軍とも天使の助けを得て戦いを続けるが、神の意志は光の子に向く。光の子と闇の子の最後の戦いが起こり、世界は破滅へと向かうが、死海文書は2人の救世主の存在も示唆している。

 ふたりの救世主が、光と闇の最終戦争の場面に際し現れるというのである。この2人の救世主の正体とは誰なのだろうか?


 イスラエルの救世主は、一説には、日本人の中から生まれるのではないかと言われている。なぜなら、日本・ユダヤ同祖論という考え方があり、日本人の先祖は、イスラエルからやってきた古代ユダヤ人だという説があるからだ。伊勢神宮その他に余りに共通点が多い。

 古代イスラエルは12支族からなっていた。

 いつの頃からか、10支族と2支族に分かれてしまったとされている。その分かれた10支族が、謎の失踪を遂げたことで「失われた10氏族」と呼ばれるが、その「失われた10支族」は日本に渡来したという説が根深くあり、それが日ユ同祖論の根拠になっている。

「海行かば」の歌詞は、すでに日本に渡っている正当性をもつ大君を慕ってのものなのだと解する人もいる。

 とにもかくにも、ひらがなを始め、言語や日本の様々な文化や残された遺跡が、古代ユダヤ人のものと似ているというのである。

 2018年の日本に現れるという救世主。それは誰なのだろうか?俺には勿論想像できない。

 福島次郎が口を開いた。「光と闇の戦いというほどのものではないだろうが、俺は先日の夜に月を眺めていて、闇夜に蠢く鵺を射落とした。何でそれが鵺だと判るんだ?と聞かれても、そう信じるしかない。射落としたと言いはしたが、確かに射止めた手ごたえはあったのに、その姿は跡形もなく消えてしまっていた。鵺を悪と決めていいかどうか知れないが、古来より人に仇なす妖怪なのだと思っている。俺はエニアグラムでいうところのタイプ8で、楽しいことが好きな現実主義者だと思っている。弓が上達したのは、苦しい修行をしたからではなく、楽しいからやっていたらそうなっていたというに過ぎない。

 でも、今どき、弓が人様の役に立つなんてことは考えにくいから、一体どうすればよいかと悩むんだが、タイプ8はそういうのが苦手なんだよね。なにか夢中になれたらいいのに」

 河尻明が続けた。

「そういえば、聖書かなんかに、ヤハウェが天からの硫黄と火によって滅ぼしたとされる都市、ソドムとゴモラの話というのがあると聞いたことがある。

 そこの住人であるアブラハムが、ソドムとゴモラに関して、滅びる前に、神であるヤハウェに何とか許しを乞をうと願った話というのを記憶している。

 ヤハウェは、ソドムとゴモラの罪が重いという機運が高まっていると知って、それを確かめるために降ることをアブラハムに告げたときのことだったと思う。

 アブラハムは、もしも正しい者が50人いるかもしれないのに滅ぼすというのは厳しすぎると、抵抗した。それに対しヤハウェは、正しい者が50人いたら赦すと言った。そうすると、アブラハムは更に重ねて、正しい者が45人しかいないかもしれない、もしかしたら40人しか居ないかもとして、30人、20人と数を減らし続け、正しい者が少なかったとしても赦してくれるようにと、ヤハウェと交渉をした。

 最終的に、『正しい者が10人いたら』とヤハウェに言わしめたが、結局はソドムとゴモラを滅ぼした。義人が一人としていなかったということになる。

 そんな西洋の話と状況が同じというわけではないだろうけれど、おおいなる意思は、一体何を望んでいるのかがわからない。それにをも気づけと仰るのだとしたら、なおのこと手探り状態になる。

 我々が選ばれて在るのだとしたら、我々の行いが見られているということになるが、我々が良いとしていることを続ければ良い、ということになるのかさえわからない。

 ただ、今は、それは人としてマズイだろうと思うことを匡し、善だと思うことを一つ一つ進めようとしているに過ぎない。これらが一粒万倍の種として広がっていくのだろうか?歯がゆさを感じてしまう。

 鳴動が感じられる身だから、なおのことかも知れない。数馬君に何か御託宣のようなものはないの?」真剣な面持ちであった。

「うん。ただ、元は一つであったということと、争わなくても人間に必要なものは潤沢にあるのだと気づけ!と、前に言われただけ」

 善悪・美醜・左右・貧富など、一つだったものを対比する言葉というのは多いけれど、損得というのは理性を失わせる。争いごとの大元となる原因の一つかもしれない。

 対比する言葉を作り、さらにその間を細かく分けて追及していこうとする科学は、より深い思考により何事か気づけという事であるとしたら、気づけたことを如何に使えということなのかとなると、皆目見当がつかない。

 何故、鳴動が日本に起こったのかには、何か意味があるのかもしれない。日本には義人が多いのかもしれない。ここが駄目になるようなら望みは薄いということだとしたら、極めて重大なことになる。いうなれば若造4~5人に託されるようなことなのだろうかとも思う。

 そんなこともあって、隠し金残の財宝を発見せしめ、一つの行政単位くらいなら簡単に動かすことができる潤沢な資金が与えられたのだとしたら、それをどう使っていくのか?

 今のところ名案は浮かばない。自分たちのものではないことは確かだと感じるくらいのものでしかない。

 さっき、塩崎がちょっと触れた「海ゆかば」で思い出すのだが、『海行かば』は、日本の軍歌の色合いが濃いから、今は歌詞は殆ど知られていないけれどね。

 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ

 この詞は、万葉集巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」番号4094番。新編国家大観番号4119番。大伴家持の長歌から採られている。そもそもは、戦争の歌であったとは思えない。

 葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける 皇祖の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと奉る みつき宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ 皇祖の 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして 武士の 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て 丈夫の 清きその名を 古よ 今の現に 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじといや立て 思ひし増さる 大君の 御言のさきの聞けば貴み ・・・


 これを外に向かう力の歌ととらえるか、それとも死海文書に添って、内なる正当性を求める歌と解するかで、意味合いは大きく違ってくる。我が国は、外に向かっているときの力が悪い結果を招いた。

 欧米先進諸国の知識人が日本について、密かにとても敵わないとしている能力があるのだという。何かというと、「同化吸収能力」なのだという。新しい文物が齎されたときの反応というのは洋の東西を問わず、一つは拒否反応を起こして全く受け入れない、もう一つは事大主義よろしくそれに染まり切る。その2パターンが普通。

 ところが日本の場合だと、如何に優れたものであっても、今まで日本に在ったものと自然に調和させてしまい、より優れたものへとしてしまう。

 逆に、日本のものが海外に渡ったときはどうなるのかというと、最初は拒否反応を起こすのだというが、気がついてみると、無くてはならないものとして、いつのまにか浸透してしまうのだという。較べてみなくても、優れたものというのはそういうものだと思う。


 人は、生きるのに惑うのはどこの国でも同じで、これではならないと苦しんでいるのも同じなのだと思う。

 でも、78:22の法則というのがあることを知れば、救いはありそうに思う。

 大気は窒素と他の成分との比率がそれに近いし、人体の水分と他の物質との比率が同様。海と陸との面積比率も、何故かそうなっている。

 救いに思えるというのは、2割の人が頑張っていることで、経済も国も安全も確保できているらしいこと。我々の日々の動きは小さくても、それに続き、広めてくれる人を2割に増やすのならできそうではないか?

 現に我々の住む地域は、穏やかな雰囲気に変わってきつつある。

 次の目標が定まるまでは、これを続けていこうではないか。数馬は皆の顔を見回した。

 皆が顔を見合わせていたとき、突然声が響き渡った。

「そうだ、それで良い。しばらく時間の余裕は与えよう程に、一歩一歩それを進めよ。

 数馬を日本に残し、残りの5人は5大陸に跳べ。6人を選んだのはそういう意味じゃ。ひ弱なそなたらを守るために星をも砕く力などと大仰なことを言ったのは、そなたたちが無思慮にその力を発動させないための制限であった。解りやすく言えばサイコキネシス(念動力)ということじゃ。まだ気づいてはいまいが、テレパシー(精神感応)もテレポーテーション(瞬間移動)もサイコメトリー(残留思念感応)の能力もあわせて与えてある。

 使い方はおいおいにわかってこよう。やらねばならぬことも、おのずと知れてこよう。心せねばならぬのは、偏にそなたらにかかっていることじゃ。努々おろそかにしてはならぬぞ」

 旅立つときが到来したということであった。


                              第7部 完




第8部

               勇  躍


 松田芳樹は、気が付くと見慣れない裏寂しい街中に立っていた。夕暮れ時らしい。近くに大男の部類と呼ぶに相応しい、体格のいい若者が立っていたのだが、つかつかと近寄ってくるなり、乱暴な声をかけてきた。「おいお前、どっから来た?年は何歳だ?」取り敢えず、年齢で上下関係をはかろうとしている様子であった。

 松田は、相手が2~3歳は年上だとみてとったが、自分の年に5歳ほど足して答えた。

「おい、本当か?随分若く見えるが、嘘をつくと承知しねえぞ。それはともかく、俺はこのあたりを仕切っている者だが、ここは地獄の一丁目といって二丁目の無い所だ。身ぐるみ脱いで置いて行け。断っておくが、俺は武術をやっていたから、喧嘩は滅法強いぞ。痛い目を見たくなかったらそうしろ!」と凄んでみせた。

「ほ~お、地獄の一丁目とはまた時代がかったセリフを聞くものだ。俺はその地獄とやらに行ってみたことがあるが、どんなところか一度連れてってやろうか?」

 と松田が返すと、

「妙なことを言いやがって生意気な奴だ。俺が一声あげれば、仲間が数十人すぐに集まるんだぞ。一人だと舐めて甘くみるんじゃねえぞ」

「それは頼もしい。丁度いい。全部纏めて面倒を見てやるから、すぐに集めてみろ」

 松田は、すぐにここがどこであるかを理解した。理屈を言う前に、棒で叩いて従わせた方が早いと言われている国に間違いなさそうであった。のっけから上下関係を確認しようとしたことも、それと頷ける。

 のっけから手荒なことで始まりそうではあったが、そもそも教育とは躾。ある種の強制力から始まる。

 以前、地元のチンピラたちが、みるみる変わっていったのと同じ流れを踏ませれば良さそうに思えた。

「おい、早く仲間とやらを呼び集めろ」と松田が急かせると、

「言うにゃあ及ばん。お~い皆ここに集まれ!」と大声で叫んだ。

 声に応じて、屈強で人相が悪いのが10数人バラバラと集まってきた。

「遠慮はいらねえ。こいつを畳んじめえ!」と、その男が号令した。

 喚き声をあげて松田を取り囲み、中には刃物を振り回すのもいたが、ものの2~3分もしないうちに、松田の足元には、襲撃者全が地面に這い蹲っていた。

「おい、どうする?もっとやるか?」松田が先ほどのリーダー格を引き起こして尋ねると

「勘弁便して下さい。御見それしました」と泣きを見せた。

「そうか、それでは俺の言うことを素直に聞くか?」

「はい、何でも仰る通りにします」

「そうか、それではまず、そのだらしない身形を整えろ。それから今後は、己が欲せざることを、他人に対して決してするな。それだけではないぞ。一日に一つでもいいから、人が喜ぶことをしろ。お前ひとりだけでなくて仲間全員がだ。お前たちの顔は全部覚えた。時々様子を見に来るが、言い逃れだけで済まして相変わらずのことをしていたら、その時はこんなくらいでは済まさないぞ」

「わかりました。言う通りに致します」いやにあっさりと答えた。

 今までの生き方からは信じられない結果に、まるで神か悪魔を見たかのような面持ちであった。

 どうなるか見ものだ。松田はまださして期待してはいなかった。

 松田は、何故にこの地に舞い降りることになったのかまだ解っていなかった。ただ、ありのままで動けば良いのだ、という声が身内に響いていることは感じていた。誠意のある行動は、いずれ受け入れられる。人と人をつなぐのは、そういうものだと思っている。もう少し広範囲に見て感じることは必要なのだと思い、諸方をへ巡ってみることにし、それに何週間かを費やした。行く先々で感じるのは、誰もが自分の側からしかものを見ない、自分の意に添わないものは全て相手が悪いと考え、恨みを蓄えてしまう傾向にあることが共通していた。

 久しぶりに、初めて降り立った地に帰ってみた。初めてのときに感じた裏寂しさが薄れて、明るさを感じとるることができた。

「兄貴、お久しぶりです。ジョージです」そう声をかけてきたのは、この地で最初に関わりをもった男であった。いやに明るく気安そうであった。

 いつの間にか兄貴呼ばわりされ、しかも東洋人なのに洋風なジョージと名乗る男に苦笑しつつも、彼が嬉しそうにしていることは好もしかった。

「兄貴にしごかれて、俺も強くなったんですかね~。今まで抗争を続けていた対抗グループがあっという間に傘下に入ってしまい、今はそいつらも、兄貴の仰ったことを一緒にやっています。何か、みんな気分がいいんですよね。俺も片思いするだけで近寄ることもできなかった彼女が、ときどき優しい言葉をかけてくれるようになって・・・。

 自分が変わらなければ、世の中な~んも変わらない。相手のことも考えないと、決して仲良くなれない。簡単なことだったんですね~。今までワルを散々やってきたから、よくわかります」

「よかったね。ところで、あそこで道路のゴミ拾いをやっているのはお仲間ですか?」

「そうなんです。周りが綺麗になってくるとなんか浮き浮きすると言って、喜んでやってます。ご老人や子供の手助けを進んでやる連中も増えました。有難うって言われるのが嬉しくって励みになっているんです。恐がって近づかなかった子供たちが、お兄ちゃんお兄ちゃんと言ってくれるのは、もっと嬉しいみたいです」

「そうですか。聞くだけでこちらも嬉しくなります。ところで皆さん腹は減っていませんか?ぼくはぺこぺこです。私が奢りますのでご一緒にどうですか?」

「それは嬉しいのですが、近くにいる仲間だけで、なんせ20人以上はいますよ」

「構いません。一緒にご飯を食べると親しくなれるのですから、願ってもないことです」

「お~い、みんな集まれ!兄貴が食事をご馳走してくれるそうだ」

 テーブル席に着くと、見覚えのある面々が次々に松田の傍に嬉しそうにやって来た。

「この間は、大変ご無礼しました。あんまりあっさりノサレちまったんで、悪い憑き物がすっかり取れてしまったようで、気分が壮快なんです」

「俺も、生傷が絶えないような生き方をしてきて、時々は得した気分になれることはあったんですが、そんなことで不満が解消されたことはなくって、何時だってぐじぐじした毎日だったんです」

「このあたりは物騒な街だということになっていて、よっぽどでなければ人が通らないところだったんです。それが近頃は人通りが増えたようなんです。人が集まるって嬉しいものなんですね」

 誰もが一様に、言葉遣いが丁寧になってきていた。つい最近まで、ゴロツキ同然だったことを思うと、信じられないほどであった。

「俺は、毎朝目が覚めることが楽しくなりました。この先何をやるかは分りませんが他人を信じてもよいなと思うようになりました。今のところは街のゴミ片付けをやってます」

 新たに加わったらしい連中は、それを遠くから羨ましそうにみているだけだったので、

「君たちも仲間になったんだろう?こっちにきて固まって話をしながら一緒にご飯をたべようよ。日本では、同じ釜の飯を食うといって、親しくなる大元なんだ」と、近くに呼び寄せた。

「兄貴、お酒はいけませんかね~?」

「酔っぱらう程でなければ良いんじゃないですか?僕も嬉しいから少し飲もう」

 かなり打ち解けて、場がなごんできていた。出された料理があらかた食べ尽くされたのを見計らって松田は立ち上がり「みんな、今日は有難う。楽しかった。またお会いしましょう」とお開きの挨拶をした。

「兄貴、お帰りになるんで?」

「うん」

「それじゃあ、お見送りがてら御供します」というのに対し、

「いや、この先に見える森に一人で行ってみたいから、ここで散開しよう」と断って外に出た。


 数馬は日課にしている木刀の素振り1000回を終え座禅を組んで瞑想に入っていた。

 意識は限りなく広がり、宇宙の果てが見渡せそうな中にいた。遠い空間から白く光り輝く光の珠が凄まじい勢いで近づいてきた。

「数くん、そろそろ松田くんからお呼びがかかりそうよ。念のため、行ってあげた方がいいかも知れないわ」真央の声であった。

 松田は、こんもりと繁った森に入ったばかりであった。

「兄貴~、大変なんです。来て助けて下さい」ジョージが青い顔をして、後ろから息せき切って駆け寄ってきた。

「どうした?」

「それが、得体の知れない気味の悪い化け物みたいのが出てきて、仲間がみんなやられちゃいそうなんです」

「貴方達のような猛者が揃っていてそうなるの?」

「へい、毛むくじゃらの獣みたいな奴なんです」

「わかった。そこに案内して!」言いも終えず走り始めていた。

 松田が駆けつけた暮れなずむなかに気味悪く浮かぶ廃屋の前に、全身を黒々と覆われ眼を爛々と光らせたそれが待ち構えていた。

「お前か、こいつらの吐き出す毒気を打ち払ってしまったやつは。俺はこいつらの毒気を食って生きてきたんだ。邪魔な奴はただでは置かん」と吠えた。

 そこここに何人かが倒れ伏していた。

 残りは、恐々と遠巻きにしているだけで、身動きがとれないようであった。

 久々に、松田は間合いを取って身構えた。そうすることが必要なくらい手ごわそうに見えた。

「手伝おうか?」後ろから声をかけられ松田が気づくと、数馬が立っていた。

「助かる。俺だとどっか域外に放り出すよりないかと思っていた」

「うん、これは凝り固まってしまった地縛の物だろう。行くべきところに送ってやれば済みそうだ。君にとっては余計なお節介化も知れないが、真央の知らせで来たからにはそうさせてもらう」

「何をごちゃごちゃ勝手なことをほざいてるんだ。二人ともすぐに食ってやるから大人しくしていろ」そう言いながら、後退りを始めた。

 数馬は全く恐れる様子も見せずその化け物に近寄り「長いこと苦しかったんだね。もう全て忘れて行くべきところに行って楽になるといいよ。心配しなくても大丈夫だから」

 優しく話しかけている間に、みるみる黒い毛でおおわれた異形は融けて薄くなり、西の空に消え去っていった。

 数馬と芳樹は、倒れていた者たちを抱き起し、多少の手傷を負っているのを撫でさすると、跡形もなくそれは消えて、シャキっとして目を開け立ち上がった。

「そんじゃ、俺帰るわ」

「おーサンキュ。またな」数馬は忽然とその場から見えなくなった。

 呆然として見ていたジョージが口を開いた。

「兄貴、先ほどの方は神様なんですか?」

「そんなんじゃないよ。俺のマブダチだよ。いつだって俺の傍にいるよ。お互い様でつきあっている仲間だよ」

 そう言われても、俄かには信じられないという顔をして、口を開けたままであった。

 数馬は、家には帰ったものの、まんじりともしないで夜を明かした。小鳥の囀りが聞こえてくるから、もう朝なのであろう。

 旅立った5人の仲間は、地蔵としての菩薩業を積みながら、地獄極楽現世と3千世界をへ巡りながら悩み苦しむ者たちに手を差し伸べ、時には5大明王と化して頑迷なるもの達と対峙していかねばならないだろう。五大明王とは、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉からなる。不動を中心に東に降三世、南に軍荼利、西に大威徳、北に金剛夜叉という風に、五方位に配置される。

 誰がどの明王に対応するのかは判らぬが、5人というのは、それも意味しているのか?

 昨晩はその手始めの出来事といえる。先が長そうで、気を引き締めねばならぬ。

「お兄ちゃん、お早うございます」訪なう声がした。琴音が楓の葉を揺らしながらこぼれてくる朝日の中に浮かび上がっていた。

「おにいちゃん、ゆうべはお出かけだったの?私お母さんに習ってケーキを焼いたの。真っ先にお兄ちゃんにお味見してほしくて昨日来たんだけど、お留守だったの」と、両手で抱えた箱を差し出した。

「私、仲良くしてくれるお友達が増えたの。だからみんなで仲良く食べようと思ったの」

 あどけなさの中に優しさが溢れ出ている琴音を見て、そうだ、この自然に出てくる優しさが、3億個ともいわれる核DNA遺伝子に刻みこまれているところから出ているとしたら、この遺伝子を持つ人はきっと多い筈。それが現れやすい環境をつくっていけば良いのではないか、と思うのであった。


 善人なおもて往生遂ぐ況や悪人をや。この悪人の悪というのは、悪事を働く者というわけではない。誰にでも潜む善ならざるものを内に秘めている。だからこそそれに気づくことができれば進化できるということ。川田勝男は、そのことを身に沁みて知っている。

 真央がいなければ気づけなかったことであった。

 前に数馬と話していたときに出てきた怨霊の話ということが記憶にある。日本は、怨霊という負のエネルギーを非常に畏れ、それを封じ込めるために意を注いできた。しかし生霊の方がもっと恐ろしい。死霊はエネルギーを供給し続けることができないが、生霊はそれができる。だから生きている者の心の隙を狙って憑依するしかない。それを阻むことができるのは、幼いころから醸成された倫理観なのであろう。悪と気づいたり、そこに踏み込むことなく踏みとどまったりできるのは、自分自身なのである。しかし、そのことが解っていてそれを教えるいる人がいない。或いは居たとしても極めて数が少ない。

 憑りつかれたら、後が悲惨である。善縁に出会うことができなければ、未来永劫業を背負わなければならなくなる。最初のきっかけは微々たるものであるが、それは際限もなく広がる可能性があるから、芽のうちに摘まねばならない。早くに気づいて悪から遠ざかることができれば、以後はさして努力しなくとも平穏でいられる。

 人たるの資質は、誰もが備えているものであるが、幼いうちにそれが開花する道筋を付けねば、それは曇る。躾が必要となる所以である。悪い癖が染み付いてしまった後にそれを解らせるには、途方もない時間をかけた理屈の説明が要る。匡すことが難しい。

 古来より十三参りというのがある。虚空蔵菩薩に、陰暦3月13日に、13歳になった男女が、両親に連れられてお参りする。虚空蔵は知恵や福運を授ける仏であるという信仰がある。

 虚空蔵とは宇宙のように無限の知恵と慈悲が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味する。虚空蔵菩薩は、人々の願いを叶えるために蔵から取り出すようにして、知恵や記憶力、知識を与えてくれるのだとされる。

 12という数は、1年の月数であり,しかも3と4をかけた聖数でもある。山の神を十二様とか十二山の神と呼ぶ地方もある。13は日本では十三仏,十三塚,十三参りなど信仰上の重要な数であり,十三(じゆうそう)という地名も各地に分布している。

 幼いうちから、地蔵や菩薩の働きを教え、道を誤らせないための親の知恵ともいうべきお参りの風習なのである。

 川田は、陽気な音楽が流れる雑踏の中にいた。ここが日本ではないことは言われずとも解かった。

「キャー引っ手繰り。ドロボー!誰かその少年を捕まえてー」人ごみの中にいた若い女性が金切り声で叫んだが、彼女の言葉は日本語であり、周りに居た人たちには理解されなかった。

 色の浅黒い少年が、裸足でハンドバッグを小脇に抱え、まっしぐらに川田の方に走って来る。衝突する寸前、川田は身を躱し、後ろからその少年の肩口を、右手を伸ばして掴んだ。

「放せコンチクショウッ!」少年が顔を真っ赤にして怒鳴った。

「コラッ少年、他人さまの物を盗ったら駄目だ。お兄さんが一緒に謝ってやるから持ち主に返しなさい」

「余計なお世話だ!」と言って振りほどこうと暴れる少年を抑えているところへ、角にあったお店からその少年の母親と思しき女性が出てきた。一目見て事態を悟ったらしく、少年の頬を平手打ちすると「情けない!貧しく暮らしていても人様の物に手をかけるなんてさもしいことを教えたつもりはありません」と大声で叱った。

続いてそこへ、その少年の兄らしい若者がギターを片手に現れ、少年の頭にゴツンと拳骨をいれると「この馬鹿弟が!13歳にもなるのに何てざまだ。おれの顔に泥を塗るつもりか!欲しいものがあったら自分で働いて稼げ!俺はそうしているから、周りも仲間も俺の歌を聴きにきてくれる。将来にも期待をかけてくれている。他人のものじゃ幸せにはなれないんだ」

 その場所に追いついて、やり取りを見ていた若い女性が声をかけた。

「もう結構です。ぼうっとしていた私も悪いんです。バッグが戻ればそれでいいんです。お金ではなくて、失くすわけにいかない大事なものが入れてあったんです」

 ばつが悪そうにハンドバッグを返す少年に向かってこう語りかけた。

「じゃあ、こうしない?明日からしばらく私の案内役を勤めて欲しいの。勿論、費用はお支払いします。そうすれば大威張りで必要なお金を手にできるでしょ?」

ごく普通に考えて、人というのは自分が他の人に対して成したことよりも、他の人からやってもらったことの方が多い。他人様からのそれらを恩義と感じるか迷惑と感じるかは別にしても、圧倒的に周りから与えられていることの方が多い。

 それなのに、不平不満を口にすることが多いというのも、人の常のように思う。

 人からしてもらって当たり前だということは、基本的にはない。唯一そう言ってもよいのは自分がそれに相応する行いをしているときに限られるのだと思った方がよい。

 なまじっか中途半端に物があると、自らを省みることなく、何でも他に要求するようになるのかも知れない。しかも、それが手に入ると、当たり前だと思って憚らない。

 いっそのこと何も無くなってしまったとき、人様のことを有り難く思える感覚が蘇る。本来は善なるものが内にあるのが判るのは、そういうときである。

 それに気づいた人は、その恩義に報いようと頑張るようになるが、直接的にお世話をしてくれた人にその恩を返すことができない事もあるから、自分ができることを周りにいる同様の境遇下にある人にお返しすることをするようになる。順繰りということでもある。

 お互い様、お蔭様、という気持ちが伝わり広がる元である。尊いことなのだと思う。そういう理念が育ってこそ、民度というものが上がる。他を慮ることのない自分中心の権利主張ばかりのぶつかりあいでは、社会は形成しがたい。優しさというものは生まれない。


 若い女性は、中原真由という名であると名乗った。繭のように、内なるものが化生するというのであろうか。遠い先祖がこの地に渡ったのだという。一緒にこの地に渡ることになった人たちに乞われ、精神的中核として付き添ったのだという。その時に持参した祭器が是非とも必要となり、探し出さねばならないのだという。それを見つけ出し持ち帰る時にその正当性を示すための証となる書付が、バッグの中に入っていたのだと明かした。

 その地を見つけるのには、故郷と同じ結界を張る縄張りが成されているに違いないから、その場に立てば判ると、真由は語った。和やかな雰囲気を醸し出しているに違いないとも言い添えた。

 少年は、ニコラスその兄はロレンゾと名乗り、真由の話を聞いて、しばらく手助けをするために行動を共にすることになった。

 素戔嗚は、高天原の田の畔を壊してまわったり、祭殿に糞をまき散らしたりと、乱暴狼藉を働いた。それに怒った天照大御神は、天岩戸に隠れてしまった。

 太陽神であるアマテラスが隠れてしまったことで、高天原も芦原中国も、常世の闇に包まれてしまい、邪心の活動が活発化し、世に災いが溢れた。

 闇とは、何を意味するのであろうか。一般的に言われるのは日食である。光が失われるというのは、生死にかかわる一大事である。作物は育たず、飢饉が訪れる。

 しかし、日食というのは極めて短い時間の現象であり、神々が集まって知恵を出し合うまでもなく、すぐに光は取り戻される。とすれば、日食とは違う闇が続いたということになる。

 諏訪湖のすぐ近くにある山間地で、真由は育った。近くには杖突峠、守也山、八ヶ岳がある。

 山間地とは言え、明るい陽射しが降り注ぎ、穏やかに過ごせる場所であったが、何時の頃からか薄く霧がかかったようにあたりが霞んで見えることが多くなった。 地鳴りがすると訴える人が増えた。古い伝承によると、それは危険を知らせる前触れであるということであり、その時は、中原家の当主のもとに集まり、鎮石に楔を打ち込まねばならないというのが、この地の古老が代々言い伝えねばならないことであった。今、その地にはその楔が無い。必要があって、遠い地にそれは移っているのだが、いずれは返ってくるのだと言い伝えられていた。

 真由の旅は、当主である父に代わってそれを探し出し持ち帰ることが目的であった。真由が探し出さなければならない楔というのは、黒曜石で作られた大きな鏃。縄文の時代、諏訪の地は、黒曜石の産地であった。


 福島次郎はこの歌が殊の外好きであった。その中でも歌詞が、尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床 木曽の棧かけし世も 心してゆけ久米路橋というくだりは、この部分だけメロディーが変わる。そこにえもいわれぬ趣を感じるのであった。

 福島は、園原とは全く違う灼熱の大平原の中に立っていた。折しも何かの祭りらしく、現地住民ばかりではなく観光客と思われる人々が混じっていた。

 人混みが取り巻く中央には、槍を煌めかせて踊る屈強な若者たちが居るかと思えば、少し離れたところには弓矢を携え的を射ている者たちもいた。

 福島は、もともと楽しいことが好きだから、祭りは見ているだけでなく加わって遊ぶ口である。矢を射ている群れに近寄ると、異国人が近づいてきたことに多少の戸惑いをみせつつも、「どうだ、お前もやってみるか?」と言わんばかりに弓矢を差し出し、的を指さしながら顎をしゃくった。渡された矢は3本、どうせ当たるまいと見くびっての仕草に見えた。

 福島が使う和弓とは違うが、弓を何回か素引きして感触と強さを確かめると、矢をつがえ的に向かって弓を弾き絞った。距離は普段稽古しているものとさして変わらないように感じたし、集中して狙うときの金的の大きさともそう違いはなさそうであった。

 最初の矢がまだ的に届かないうちに、3本を連射した。それは悉く的の中央に突き立った。

 喚声が上がる中、呪術師と思しき長老が、福島の前に出てくるなりひれ伏し伏し拝んだ。

「貴方様が我々の待ち望んでいた方です。紛争が起こりそうなとき、突然現れる色の白い方が、我々を救い導いて下さるのだという古老からの言い伝えがあるのでございます」というのであった。人垣が増えていた。

 福島は、喝采のうちにあった。好きで嗜んできたことが、このように受け入れられるとは思わなかった。しかし、この地でなさねばならないことが出来したとき、これが何らかの役に立ちそうな予感がした。

 日暮れて祭りが終わると、是非にという長老に誘われ彼の住いに向かうことになった。

 この地は、部族同士が心を通わせあい、争いを避ける営みを続けてきたが、近年は近隣諸国に紛争が絶えず、平和に翳りを及ぼすことが多くなった。その影響からか、以前にはなかったような諍いが起こる。諍いは小さなうちに治めないと、収拾がつかなくなる。長老は、それを恐れていた。呪術師というのは、預言者でもある。人の心が弱くなれば世間は歪み混乱が生じるものなのだと知っていた。

 社会が、そこに集う人たちの気持ちが通じ合う規模のうちは、まだお互いのコントロールが効く。規模が大きくなり、そこに異文化が入ってくるようになったとき、それをどのように吸収してゆくか。

 争いの始まりは、いつでも意見が違うことから起こる。生きるということは、自分の物差しをまず引っ込めてみることから始まる。俺が俺がの主張ばかりで角突き併せていたのでは、納まるものも収まらない。我慢との戦いというのが、お互い様なのだという側面を持つ。それが特効薬なのであり、即効性があるとはいえない。

 我慢ということが我慢ではなく自然にできるようになってこそ評価を得て、やがて自分がやりたいことができるようになる。それは他人を決して不幸にはしない。

 長老は、戒律を自然に守ることで、長く平和にこの地に住む者たちの心が揺れ始めていることを感じていた。心が乱れれば、やがてそれは離反を呼ぶ。離反はすぐに憎しみに繋がる。憎みあうようになれば、判断の基準は自分の側からのものになる。そういうことに手が及ばなくなった時、あるいは自分の手に余るような事態が近づいたとき、「白き者」が現れる。それを見過たず察知し、それに助力を頼むのを躊躇ってはならない。それを逸したら取り返しがきかなくなる。というのが長老職を継ぐ者に相伝されてきたのだと語るのであった。

 彼にしてみれば、突然現れた異業の者が、苦も無く神業を披露してのけたのを目の当たりにし、文字通り神の化身と信じたのかも知れない。

 もとより、福島の成さんとしていることと相通ずることであるから、断る道理はない。皆を導くのは、いつであっても己を滅却し他を慮ることができる志の高いものである。

 ジャンヌダルクが一人立てば、国だって救われる。心利いた若者を何人か選んで、福島の近辺につけてくれるように頼んだ。分蘖(ぶんげつ)を考えたのである。分蘖とは、イネ科などの植物の根元付近から新芽が伸びて株分かれする事。

植物の根元付近や切り株から伸びた新芽を蘖(ひこばえ)と言うが、蘖が 伸びて株が増える事を人の世に置き換えてみようと思ったのであった。


 突いてよし薙いでよし切ってよし、槍は薙刀と共に最強の武器といってよい。戦国時代ならいざ知らず、日本では刀と同様、それは使わずに済む武道となって、精神修養のためのものとして昇華した。

 河尻家の客間の長押にも一槍掲げられているが、それを手にするのは手入れをするときくらいのものである。家伝の槍術は幼き頃から仕込まれたが、体と心を鍛えることのみで他に使うことなどは当然のことながら想定の内になかった。門外に出ることもなかった。

 躾の要諦は、人として恥ずかしいことはするな、事あったときは、我が身を捨ててもなさなければならないことがあるのだ、というこ

とであった。

河尻はまだ、国内にとどまったままであり、転送されてはいなかった。

 日本列島が世界地図の雛形ではないかと唱える説が、かなり昔からある。地図を比べていると、そう見えなくもない。

 曰く、北海道=北米大陸・本州=ユーラシア大陸・中国地方=ヨーロッパ・瀬戸内海=地中海・四国=オーストトラリア大陸・九州=アフリカ大陸・房総半島=朝鮮半島・紀伊半島=アラビア半島・能登半島=スカンジナビア半島・佐渡島=ノバヤゼムリャに対応しているのだという。更に細かく対応場所を言う人もいる。

 恩沢八荒に溢れと、奥の細道にかかれた八荒とは、国の隅々まで八極の果てまでのことを指す。

 彼の言う恩沢は、日光権現のことであるが、大八洲が世界の隅々までと考えることもできる。

 それが何を意味するのかは別として、世界人類のために尽くす覚悟を求められているのかも知れない。

 仲間の何人かが既に、世界各国に散っての活動が端緒についたばかりだというのに、膝元の日本の事態が急を告げている気配が色濃くなっていた。他国から侵略を受けそうだというのではない。そんなことであれば、星をも砕く力を開放して、ミサイルであれば飛翔中に破壊するか、宇宙空間に行く先を捻じ曲げてしまうか、或いはそれを発射した場所にブーメランのように撃ち戻してしまうことは簡単にできる。他の兵器であっても、それを瞬時に破壊して使用できなくしてしまえばよいだけのことである。反撃するまでもないことである。

 人間の作ったものであればそうすればよいが、ことは容易ならざる妖様を呈してきていた。

 古来より、さまざまな悪は悪鬼によって世にばらまかれるものとされている。自らが悪心を持って悪行を為すばからでなく、人々もその道に落し入れる。

 無知蒙昧ということが言われるが、今どき無知と呼ばれるほどの者は殆どいない。しかし、蒙昧はありうる。蒙昧は物事の道理をよく知らないで暗いの意である。知識が知恵となって働くには判断力がいるのであるが、悪鬼に誑かされてしまう多くの者たちは、自分の「知」を過信するあまり、意外に簡単に衆愚と呼ぶにふさわしい行動に与してしまうことがある。

 そこに陥りやすいのは、大抵は自分が善人だと思っている者に多い。悪鬼が善人を装い揉め事の種をことさら取り上げ、そこに疑わしいことがあるを煽ることから始めると、ついつい雷同してしまう。

「疑い」というのは、ときに真実よりも大きなエネルギーを発揮する。真実は真実だけの範囲にとどまるが、疑いというのは際限もなく膨らむからである。

 世の乱れというのは、巧妙に仕組まれた悪鬼の思惑に踊らされるそうした衆愚によって起こるのだとも言える。気づきもしないうちに、そこに取り込まれているのである。

 声高に、熱に浮かされたように叫ぶ者がいたら、それにすぐ乗らないで、自分でも考えてみる習慣をつけることが必要であろう。偏って一方向に向かうものは危険である。得てして、民心の不安を突いて騒ぎを大きくし、反対することが正義かのように錯覚させられるのが常態といえる。では、どうすれば良いのかと問いかけてみることで氷解する。

 穏やかな世界を考え、地道に個々の意識を高めていこうとしていることに、異を唱える者が出てきたのである。なにをもって、それを不都合だというのであろうか。

 その昔に、自らが人柱となって閉じた異界との入口付近ばかりでなく、いくつかの境界線となりそうな地において、鳴動が顕著になりつつあった。

 親が子を思うように、先祖が子孫の幸せを願うのは普通に考えても理解できる。

先祖というのは生きている者が気が付かないだけで、意外に身近で手助けをしてくれているのだと判っている人もいる。

 先祖も子孫も、この地球という場にあることで、その魂というエネルギーを継続する。

 しかし、如何なる構造物といえども手入れを怠れば、経年劣化する。建築物であれば、老朽化すれば取り壊して新たなものを作るということに特段の違和感は持たない。

 いま与えられていることを当然とし、感謝することもなくより良いものにしていこうとする意識を持たなかったらどうなるか?朽ちるのを傍観しているに等しい。

 地球というものが劣化してきているとして、再構築しようとする大いなる意志が働いたとしても、不思議ではない。原初もそうしてできたのに違いない。

 魔という錆を放置して、本来あるべき姿に磨き上げるということをしてこなかったのだとしたら、自己のみにとらわれ、劣化に気づかず放置してきた責めを咎められたとき、如何様にするか。

 夕闇の中で、虫がすだいている。古来より虫の声という言い方をするが、虫の鳴き声を聞き取ることができるのは、日本人とポリネシア人だけだという。虫の声を聞くとは、言語を司る左脳を使ってのことだとされるが、文字道り声としてきいているのである。

 あらゆる自然から神なるものの声を聞きとることで、生活を営んできたのである。それは共通認識となっていて、そこに疑いをは差しはさむ人はかつてはいなかった。畏まるということを知っていた。

 時代が下ってからの共通認識といえば、怨霊を恐れ、それを封じ込めてきたということもある。怨霊というのを死者の霊と混同するむきもあるが、それは違うのだと思う。死者の霊を恐れるなどということはなく、むしろ身近にあるものとして、それを敬愛してきたといえよう。

 怨霊というのは、魔に憑りつかれたもの、或いは魔そのもののこと。

 民心に仇為すそれは、大いなる意思に反するものとして、封じ込めなければならないということは、意識の連携の鎖があってこそできた。

 重力というのは地球上に均一に働いていると思われているが、科学で見てもそれは違う。

 世界的に見ても、山脈が連なる地の重力は強く、とりわけ火山列島である日本に働いている力は強いのである。結界を作り、魔を封じ込める為には、日本の地は優れていた。

 ただし、それは意識の連携の鎖が強固であればこそということであり、鎖が断裂するようなことがあれば、魔は一気に息を吹き返し、諸方から噴出するに違いない。

 雷光が空を切り裂き、雷鳴が地を震わせる。大量の降雨が山肌を樹木と共に押し流す。地の揺れは日増しにそれと知れるほどに激しさを加え、容易ならざる異変を窺わせる。

 どうやら世界に目を向ける前に、足元を固めよということらしい。ここが世界の縮図であり、ここを鎮めれば、それは広く伝播して治まってしまう。

 世界各国から怨念と化したエネルギーが、この列島に救いを求めて集まり、地を割って噴き出す現象だと感じさせるのであった。

 誰も意識することもなく、そんなものだと見過ごしてきたが、古来より我が列島はそういう地であったのかも知れない。さればこそ、それらの魔が一緒になって噴き出す火山も多い。

 考えてみるに、日本には神社仏閣の数が異常に多い。八百万の神々を祀るということがあるにしても、それが祀られている場所は、地球上の要害であり鎮めの場所であることに気づく。そこは清浄の気に満ち満ちているのである。

 鎮め石とか要石と呼ばれ畏敬の念をもって疎かにされてこなかった名前の付いた巨石もあれば、注連縄をもって結界を張られた場所も数多い。

 古くから、巧まずして我が事として培ってきた文化なのである。

 生石神社の社伝に、オオナムチの神とスクナヒコナの神の二神による伝説が伝えられている。

 二神が出雲国から播磨国に来たとき、石造の宮殿を建てようとし、それをて一夜のうちに現在の形まで造ったが、途中で播磨の土着の神の反乱が起こった。

 宮殿の造営を中止して反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまった。そのために、宮殿は横倒しのまま起こすことができなかった。

 しかし二神は、宮殿が未完成であってもここに鎮まり、国土を守ることを誓った。


 茨城県の鹿島神宮の参道わきに祀られる直径20㎝程の石が露出している。

 地上に見えているのはその一部であり、本体は地中深くまで達する巨石であるという。

 江戸時代に、この要石を掘り出そうと試みた者がいたが、何日かけても果たせなかったという。

 昔、日本の地下には日本列島よりも巨大な鯰がいて、僅かに身動きしただけでも大地震が起こるので、それを憂えた鹿島の神が、大鯰の尾と頭が鹿島の地下で重なった瞬間に剣で貫き固定したのが要石の由来とされている。

 鹿島神宮は地鎮めの神として広く信仰されており、江戸時代には地震除けの呪いとして

「ゆるぐとも よもや抜けまじ要石 鹿島の神の あらんかぎりは」と唱えられていた。

「要石」と呼ばれる物は、鹿島神宮の他にも日本各地に存在する。

 宮崎県・高千穂神社の高千穂宮鎮石、静岡県・要石神社の要石、島根県・都武自神社の要石、東京都・南蔵院の立石などがそれであり、いずれもそれを動かすと地震が起きると伝えられ、大地震の災害から周辺一帯を護っている、といった信仰が今もある。

 殺生赤というのもある。

 金毛九尾の狐が日本に渡来し、鳥羽院のとき、玉藻の前という名の美女と変じて院にあがったというが、彼女は院をたいそう悩ました。

 陰陽師安倍泰成が、これを調伏したところ妖狐は正体を現し、下野国那須野の原に飛び去った。

 那須の篠原の神社に、玉藻の前を祀ったという狐塚なる古墳がある。

 野千という狐を射殺せとの勅命により、このとき三浦介、上総介の二人が馬場に犬を放ってこれを射ることをもって、野千を狩る練習をしたというのが犬追物の始まりという。

 この野千と呼ばれた狐は、美しい女性の姿を借りた妖怪であったとされている。

 この妖狐は、三国をまたいで王朝に不穏をもたらしているのだという。

天竺(インド)では斑足太子の塚の神となっているが、この斑足太子はインドの伝説的な残虐王で、足に斑紋があったことからこの名がある。しばしば人間を食べ、ついには鬼となったといわれている王である。

中国では女色に溺れてついには王妃の実家の反乱で滅びた愚かな幽王に憑き、日本では保元平治の乱の原因をつくった鳥羽法皇に影響を及ぼしたとされるが、いずれも因縁めいたスキャンダルがいわれる王たちである。

 勅命を受けた三浦介、上総介の二人により、妖狐は射殺されたが、その執念は殺生石として残り、その後も人々を悩ませた。

 後に曹洞宗の玄翁和尚の供養によって殺生赤は成仏し、祟りを止めたとされている。この時玄翁は、杖をもって殺生石を破砕したというが、それ以後、両端を切り落とした形の金槌を玄能と呼ぶようになった。

 この「玉藻前」という名が何故に使われたのか?それは「万葉集」による「玉藻」が登場する歌の影響があったものだと巷間言われている。柿本人麻呂の歌ニ首である。

 嗚呼見の浦に船乗りすらむ感嬬らが珠裳の裾に潮満つらむかくしろ着く手節の崎に今日もかも大宮人の玉藻苅るらむ列島じゅうを駈け廻って、異変を封じることを急がねばならない。天変の前に地異を抑え込む。

 そのためにこそ、星をも砕く力が必要だったのだと今は解かる。駆け戻って集まった全員がそう思っていた。


 この先は、触れてはならぬという限界に近づいたように感じる。修行が積まれお許しが出るまで、筆を置くことにする。


                              第8部 完



長らくお休みを余儀なくされたが、漸くお許しが出て、第9部を書き始めます。


第9部

           待  機


 東の空に、金色に眩く輝く大きな龍が浮かんでいる。その鈎爪にしっかり握りしめているのは、明らかに真央が変じた珠であると見て取れ、大きく育ったそれは金龍に劣らぬ光彩を八方に放っていた。

 数馬は不思議に思うのであった。自らが学んだ剣も、河尻が修練した槍も、福島が励んだ弓も、そもそもは、人を殺傷する道具である。にもかかわらず、それを究めることは人を活かすことがそもそも辿り着かねばならない道なのだと、いつの間にか気づかされていた。

 龍は、神話や伝説上の生きものとされているが、果たしてそうなのであろうか。絵画や彫刻に顕されている姿は微に入り細に渡って精妙を究め、その厳かさには巧まずして畏まざるをえないものをもっている。神霊を感じ取れる域にある人達には、それはきっとはっきり見えていたに違いない。

 東洋における龍は神獣・霊獣であり、水中か地中に棲むとされることが多い。その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、或いは竜巻となって天空に駈け昇り、自在に飛翔するともされている。口辺に長髯を蓄え、喉下には一尺四方の逆鱗があり、顎下には爪に掴んだ宝珠をかざした姿を持っているのは、よく目にする通りである。

秋には淵の中に潜み、春には天に昇るともされるが、水を司るとして崇められた。

名前がついた龍族は多いのである。日本神話に名高い八岐大蛇も龍神族の一派だとされることがある。九頭竜伝承は、特に有名である。稲作にとって重要な水も、潅漑技術が未熟だった時代には、旱魃がが続くことは死活問題となるから、竜神に食べ物や生贄を捧げたり、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いが行われた。

 瑞穂の国と呼ばれたのは、豊かに稔る稲の波打つ姿を見てのことであったろうし、それが民の幸せの基であり、飢えずに食べて生き延びることができれば、人はそれ以上を望み、それ以上に貪ることを求めはしなかったのかも知れない。

 龍は一つに纏まった概念ではなく、黄竜、青竜、赤竜、白竜、玄竜と呼ばれ、竜を五方と五色に結びつけた東方青竜、南方赤竜、西方白竜、北方黒竜、中央黄竜の五方竜王と分けてその役割も理解され、全てが敬われた。

 八大竜王が水に関わるように、呑龍・咬龍など、名前がついていることは、その分担が広範囲に及ぶことを信じていたのである。


 天地が剖判(てんちぼうはん)し、昼夜が別たれ、万物がそれに続いたが、いずれが貴くいずれが賤しいということではあるまい。等しく尊ばれて然るべしなのである。

 いつの間にか、己が己がを主張するようになって、世は乱れた。

「いきもの」というのは、必ず何かとつながっていることで生をなしている。

 植物であれば、根が土と強くつながっているし、気候その他を感じ取ることができて周りとつながっている。動物であれば更に、縦横斜めにつながりあってこそ、命を命たらしめるものとなる。

 それらを繋ぐものが糸のようなものなのか意識なのか、それとももっと別なものなのかは解らない。

 体と心、人と人、人と大自然たる外界、それらに如何にかかわっているかということに意識を向けることは殆どないから、気づかないままで日々を過ごす。

 もともとが一つであるものが別れてこの世があるのだとしたら、霊長類として生まれたことの役割は奈辺にあるのだろうか?


『巳は上に(みはうえに)、己(おのれ)己(つちのと)下につき、半ば開くれば已(すでに)已(や)む已(のみ)』という。

「改める」という字は、己偏に攵(ぼく)という旁をつけてできている。攵というのは、「かしこまる」という意味、或いは棒で叩くということを表す。

 即ち、巳という字が表す蛇(邪)心を叩いて己ということになる。

 論語・学而にみえる「己に如かざる者を友とするなかれ、過ちては則ち改むるに憚るなかれ」とある通り、一つでも二つでも改めようとしていくのが人たるの所以であり、万物の中で担わされている役割なのだと思う。

 さしずめ何をやったら良いのか、数馬には未だわからぬ。武道をやってきたことで解っているのは、力を抜くこと、呼吸を整えるということ、何か偉大なるものからの指示に「なぜ?」という問いかけをしないことなどなどである。

「私はここにいます」と素直に応えていれば道は自ずと指し示される。


 日本人のDNAには、他と比べ解明できないものがあるのだという。

 古文書によれば、遠く昴から移住して来た者の裔なのだというが、あながち否定しきれないものがある。

 プレアデス星団は、牡牛座の「雄牛の首」のあたりに位置する散開星団である。

 地球からの距離は約400光年、実直径が約12光年、視直径は約110分(満月の約3.7

倍)とされている。 漢名では「昴(ぼう)」、和名では「すばる」と呼ばれている。特に明るく輝いているのは六つの星だけだとされ、六連星(むつらぼし)とも呼ばれるが、その昔は、北斗七星と同じく七つ星々であり、東西を指し示す目安であったのだという。

 太古の昔、そのうちの一つが流星群として地球上に降り注ぎ、その多くが日本の地に届いたのだという。

 これらが落ちた地には、白鳥伝説或いは羽衣伝説が残されていて、そのいずれもに共通するのが、地上に降り立った人は再び元の天界に戻ることが叶わなかったとされていることである。即ち、星の一つがなくなったということである。


 時により 過ぐれば民の嘆きなり 八大竜王 雨やめたまへ (実朝).

何事も、過ぎたるは尚及ばざるが如しという。必要以上に欲しがることで、それが全て得られたとしてどうなるというのだろう。貪ることが、如何に自他の害となるかに気づかぬ筈もないのに、他を蹴落としてまで我意を押し通して憚らなかったことの報いが、来世での輪廻でなされるのではなく、現世での滅びという結果で負わされるのを黙視するわけにはいかない。

 誰かが一人でも立ち上がらなくては叶わぬ。

 夏風越しの青嵐、冬松川の冬の雪に龍蛇の意気を鍛えるのは、滾る力をただ己のものとして際限なく得るためということではない。

 蓄えられたエネルギーを如何にコントロールするかということかなのだと、数馬は思うのである。

 解放すれば星をも砕く力というのを既に持ってしまっているのである。その力をまさか裁きの為に使って良い筈がない。如何なる場面でどのように使うことになるのか、見極めるための待機の時間として今があるように感じるのである。

 起きて半畳寝て一畳とまで達観することをよしとはしないまでも、ほどほどのところで譲り合えるような心的状態と、理想としての高みを求めることの向上的精神のありようの折り合いはどうつけるのが良いのだろう・・・

 天変地異による被害、例えば颱風の進路を変えることでそれを食い止めるくらいのことであれば、数馬たちには容易にできることなのかも知れない。しかし、それがどんな天意によって起こっているのか解りもしないでその力を使うのは違うのだという強い自制心が心の奥底に働いている。大きな力を小さく使って、その総和がバランスを齎すことにならなくてはならないのだと、心に囁きかけてくる声が聞こえる。

 数馬達は人間であるから、いかに志を高く持とうとも、感情の軛から完全に脱却することはできない。目指すものを実現化するためには、手段というものが必要となってくる。

 僅かな人数で成し遂げられない目標というのは、大勢が集まって分担するようになったとき、いつなんどき手段が目標化してしまうかわからない。多くの宗教組織などで、それを見てきたではないか。殺し合いにすらなりかねないのでは、どうにもならない。

 子であれ生徒であれ、人を導かなければならなくなった人たちが陥る間違いは、いくらでも身近で見ることができる。

「貴方は、“どうして”“いつも”“ちゃんと”できないの?」自分の理想を他に押し付け

る陥りがちな典型的な指導法である。それはまさに自分の感情のまま、自分の腹立ちの発露そのままではないか。気づきもしないでそれをよしとしているのかも知れないが、過去を責めても、これから何をしていったら良いかということには役立たない。

「ちゃんと」というのが何であるのか解らせているのか?どうやったらそれができるのか自分で考えられるようにしているのか?特にいえば「どうして?」ということが判ったら人は何も苦しまない。「いつも」と言われたら、「何もやっていないわけではない」との不満を身の内に籠らせるだけで、先に進む意欲を完全に削ぐ。導くというのは難しいのである。


いつの間にやらそうできるようになった能力、いつの間にかそうなっている境地、そしてそれが等しく互いが穏やかに接しあえる望ましい環境を整えるに至るのには、激しい言葉遣いや、凝り固まった思想からくる用語というのは、人類の理想を目指すには馴染まない。対立を目的とするようなそれらを使う人たちというのは、外見からして刺々しいし幸せそうに思えない。混乱と争いを助長する。

 龍の姿そのままに見える日本列島が、動き始めようとしているかに感じる。属している6852の島々を従え、どこにどう行こうとしているのだろう?対するに為す術というのはあるのだろうか。

 人間は、自分が思った通りのものになる、と言われている。そんなことは信じられないと多くの人がいう。なぜなら、自分は幸せになりたいと思っているが、そうはなれていないと。

 しかし、それは思い方が違うのである。思った通りになるということの最大の証明は「ああ、俺もう駄目だ」と口に出していってみれば判る。仕事であれば、それは確実に失敗するし、病床にあるのであれば命を失う。

 人間の潜在意識というのは、そういうものらしい。事の善悪に従うのではなく、どう思っているかによる。

 だから、まだ起こっても居ないことを取り越し苦労するのは、やめた方が良い。意識すれば、それを呼び込む。最大のタブーは、最悪の事態を想定することだとも言われる。エネルギーが大きいほど、意識に刻み込まれてそれが起こる確率は高まる。ではどうするか?物事が起こる前には必ずその予兆がある。気づかずに見逃しているわけではない。「こんなぐらい」はいいだろうとして放置しているに過ぎない。その、「こんなぐらい」のうちに、身を匡すのであらねばならない。身の回りのゴミを一つ一つ片付けて綺麗にしていくのである。

 幸せというのも、身の回りにある小さな幸せに気づいて感謝していれば、それは自ずと大きな幸せに結びつく。欲張っても、一気にそれが果たされることはない。思い方、気づき方が大切なことになる。

 根底のところに、自分を認めさせたいがための行動なのか、広く世界宇宙の為に役立とうとする高い意識によるものなのかの差ということになる。

 先ず隗より始めよ、そういうことなのかなと数馬達は思うのであった。

 何かを始めようとする時、正しい結果を得るために実験という手段をとることがある。いくつかの方法を比べてみて、それを探って行く。

 誰かに仕事を委ね、任せたいというときには、信ずるに足るかどうかを試してみるということがある。大いなる意思がそれをしようと思ったとしたら、いくつかのパターンを考えてみるに違いない。

 所謂善なる行いをしている人が、困難が有ってもそれを乗り越えていくだろうか?所謂悪と呼ばれる行いをしている人が目覚めて立ち返ることがあるだろうか?どちらでもなくて惰性で生きているように見える人たちが、善悪どちらの側につくのか?

 大いなる意思は、作ってここまで見てきた以上、その行く末がどんなものになるのか知りたいと思っても不思議はない。

 全知全能であれば、最初から望ましく狂いのないものを作ればよかったものを、そうしなかったのは何故なのか?

 わからないけれど、いま現に生きて有るものを、現に生きてある自分たちが何とかしようと考え行動しなかったら、一体どうなるというのか。

 自分たちの行動が大いなる意思に添うことができるのかどうなのかは保障の限りではないとしても、自分たちが信じるところに従って動くよりない。

 地獄極楽だとか、道徳だとかマナーだとか、共存できるように人類が培ってきた知恵を頼りにやってみる他ないと思うのであった。

 四苦八苦という言葉が有る。苦とは「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」

ことを意味する。

根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、 人間が避けて通れない根本的な四つの思うがままにならないことに加え、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を合わせて八苦という。

愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること

怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと

求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと

五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊 (人間の肉体と精神)が思うがままにならないことの四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ。

 百八煩悩というのもある。人間の心身を悩まし迷わせる煩悩で、一説に、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに悩みが六つあって36、これを過去・現在・未来にそれぞれ配して合計108とする。


人は、幸せになりたいとか、成功したいとか、こうありたいとか願うが、突き詰めて考えると、そういうものは殆どが我欲から来ているらしい。我欲からの願いが達成されることは、これもまた殆どないのだという。

 人は、自分が思っているほど不幸なものなのだろうか?幸せに思えることをどんなに小さくとも認め、感謝するということを続けていると、それは段々に大きなものに育つものらしい。

 至らざることを不満に思い、そこに損得まで合わせて至る姿を望んで日々を過ごすとなると、本人にその自覚がなくとも、不平不満はマイナスの波動であるから、マイナスの結果しか齎さないのだという。

 神様の波動とはそういうものである。

 思い方と過ごし方というのは難しい。明るさは明るさを呼ぶというのは確からしい。

 人は、人が真剣になっての立ち居振る舞いに感銘する能力というのはある。

 しかし、人の思いというのが伝わるのは多くの場合言葉を介してということが多い。言葉というものにはある種の魔力というものが有るように感じる。

 美味しい料理を食べたり、芸術品に触れたりした時、すぐに感想を口にする人というのがいる。それはそれで悪いとは言わないが、何事も一旦言葉として口に出すと、それは人の行動を縛るようになる。本当はもっと深いものがあるかも知れないのに、そこに気づく機会が失われる可能性だってある。

 自分が言ったことが、他の人の感じ方にまで影響を及ぼす可能性のある立場の人は殊に口に出す前に一呼吸の間が必要なのかも知れない。他人をも縛るからである。さして意識しないでものを言うのは、ある程度、道を究めた人に多いように感じる。

 例えば、料理の味がわかる人。

 味がわかるから、何かと自分の口に合わない時に、何かと注文をつける。他人がどう感じているか、自分の言葉をどう捉えるかは意識の外にある。

 自分が他より優れていると威張りたいレベルの人ならそれでも良いとしても、そうではないのにそれを続けていると、何を食べても美味しいと感じることができなくなったかのように、美味しいものを食べても不機嫌な顔をしているように見えるようになる。それは自分だけにその知識や能力を囲い込んだままでいるからである。判ることからくるその喜びを、周りにも教え、享有することを考えないと、楽しくはならない。

 絵でも音楽でも舞踊でも、判る人は至らないところばかりが目に付くのか、感動するところは述べず批評することの方が多いようになっているとしたら、気を付けた方が良い。

 折角努力して身に着けたもので他から疎んじられることになりかねないばかりか、良いものを伝えられないという不幸に結びつく。

 見方によれば独善とも見て取れるからかも知れない。

 傍から見ていて幸せそうには見えないとしたら、思い方や振る舞いを自省した方が良い。

 極めることが大切だということも、解かるということも大事だが、そこから先のものが有るかも知れないとしたら、判ることの喜びや楽しさを自分だけのものにしないというバランス意識をどう捉えるかということになる。良いものは、自分も周りも明るく楽しいものでなくてはなるまい。

 違う言葉を使ったらどうなるかということでもあるが、伝えるためには言葉だけで表現しきれないものが有るようにも感じる。

 護られてあることにも気づかず、便々と過ごしていて良い筈がない。護られているということは、その先になさねばならないことがあるからである。役目を負わされているということである。一人平和の裡に暮らしていて他を導く為の精神的物質的発展を果たすための努力を怠れば、いずれその咎めを受けることになる。模範であらねばならぬ国に生まれついたのである。

 警鐘が鳴るのは、果たさねばならないことがあるにも拘わらず、それをしないで居る所に真っ先であることは当然であろう。時々に天災などを起し気づきを促すくらいで済んでいるうちならまだしも、解らせるために壊滅的な大変事を起すかも知れぬのである。

 日本の神話は桁違いに古い時代から始まっている。夢物語として軽く考えるわけにはいかない。古事記によると、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、天地開闢の時に高天原に現れた日本最初の神様である。

 一度名前が出てくるだけであるから馴染みが薄い。

 天御中主神と高御産巣日神(たかみむすび)と神産巣日神(かみむすび)との三柱の神を造化三神と申し上げる。

この三神に、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)と天常立神(アメノトコタチノカミ)の三柱の神を合わせ五柱の神を「別天つ神」と申し上げ、神代七代に移る。

 神代七代の神である伊弉諾尊と伊邪那美尊により、アマテラスの命が生まれる。

 この間が一代の神様でも単純計算で60万年にも及ぶ壮大な神話なのだけれど、割と日本人なのに知らない人が多い。

「天御中主神様有難うございます」といつも唱えていると良いことが起こるのだという。

 言霊の国に生まれた者でないと理解が難しいが、言葉で神々とつながることで守られていると気づいている人が多いことも、暗示的ではある。

 他言語であっても言語を解し、人たるの行いを励んでいることを前提として考えるのだとして、それがエイリアンであったりヴァンパイアということであったらどうする?

 知的生命体としての外見は人として変わりなく見えるとしたらどうする。

 かなり昔から、爬虫類型宇宙人(レプタリアン)が、地球に侵入しているという噂が、人知れず流れている。

 彼らは人間の生き血を飲んでいると言われている。また、人肉や人間の脳も食べ、特に子供の脳を好む。

 嘘か本当か判らないが、まことしやかに囁かれるそれは、根強いらしい。

 爬虫類型宇宙人は、地球には3億6千万年ほど前にきて、密かに人類の中に紛れ、時を見て地球を支配しようと目論む肉食系生命体なのだという。

 冷血性であって、同情、感情移入する機能が欠如し、恐怖、血のいけにえ、性的エネルギーを好み、いくら財産、権力を集めても満足ということを知らず、特殊な世界に棲んでいるのだともいう。

 サイコパスと呼ばれる人格異常者と非常によく似た性向を有し、捕食者が獲物を捕らえようとする時のような非常に強いアイコンタクトをしたり、あるいは異常なまでの突き通すような眼差しにその特徴が現れるとされる。

 表面的な魅力と、すぐれた知性があるとされるも、感情の希薄さと、共感力、罪悪感、良心の呵責の欠如および人生上の計画や秩序がほとんどないことを示す行動様式、過去の経験から学ぶことができず、不安感がないことに加え信頼性の欠如、不誠実(偽善)、不正直さなどから、人間関係に問題行動を起こすことが多いことで差異がある。

 それらを包括して全人類の行く末を委ねられる救世主というものが現れるであろうか?

 現れれば、まさに国譲りの再現ということになる。

 国つ神系である事代主の命は、出雲の国を治めていた大国主命の息子であり、国譲りの時に天津神系の武御雷の命と折衝した神様としても知られる。

 父神の信頼が厚く全権を任されていたが、父神の功績に傷をつけることなく国譲りを成し遂げたとはいえ、責任を取って国を離れた。

 後に恵比寿様とも言われるようになった。

 父の大国主が大黒様と呼ばれるのと共に七福神として崇められている。

 大国を治める君主として君臨していた大国主は、乱暴な兄たちとの戦いに勝ってのことではあるが、戦いによって作った国は、戦いによって多くのものが傷つき、所詮国は失われることを知っていた。慈愛に満ちた国づくりを行いたかった。

 そんな時、天照の尊より、これからは民をオオミタカラとして慈愛に満ちた国づくりを行うから、出雲の国を譲りなさいと言われたのである。

 しかし事はそう簡単には運ばない。出雲の国を建てるにあたっては、血と汗を流した多くの者たちがいるのである。その心情は計り知れない。

 父の全てを理解し、それらを一身に請け負うことが出来る事代主に、判断を委ねたのである。事代主は、自分が決断することで父の体面を守れる事も判っていた。

 国譲りの責任を全て背負い、出雲を離れ、その後、伊豆の地で新たな国造りを行った。

 こうして、芦原中国(地上)に追放された素戔嗚の子孫である事代主の娘である五十鈴姫が、後に天照の子孫である神武天皇と結ばれ天地が統合された。


                               第9部 完




第10部


              「波  乱」


 鳴動を続けていた権現山が、恐れていた通り突如崩れた。同時に伊那谷に通じる道路も山崩れや河川の氾濫により封鎖され、この地域一帯が孤立した。

 崩れた山肌から、蜥蜴のような皮膚をもち蒼黒く光る一見したところでは人間に見えなくもない生物が、続々と這い出てきた。閉じ込めていた結界が破れたのか、それとも隠れ棲んでいた場所から自ら出てきたのかは判らぬが、異様であり、怪しげな雰囲気があたりに満ちていた。

 不思議なことに、彼らは上下関係による統率がとれているように見て取れた。

 不測の事態が起こりそうな事が予感された。

 人間は大抵が臆病である。自分が思っている自分は、表面に現れている自分であり、そこから一歩も出られないのだと自分で決めているからであろう。

 人間だけにある理性だとか記憶だとかは、本能のままに生きるのではないということが他と違うところであろう。

 震えながらでも、役目の為に一歩踏み出すというのが勇気というものである。

 では、役目とは何か?狭義では職業ということにもなろうが、そもそもこの世に生を受けたのは何なのかということになる。

 それは、魂に磨きをかけて光り輝くためではなかろうかと考えられる。

 不平不満ばかり述べるだけでそれをしないでいると、何回でも生まれ変わらせられて、気づくまで現世の苦しい修行をさせられる。

 これを無間地獄という。

 暗黒の宇宙にただ一人で存在していた創造神たる大いなる意思は、わかれて光の世界を造りたかったのではなかろうか。光の中で悪は育たないが、全き光の世界を造るには至らなかった。二律背反という試練をこの星に与えたのだと思う。

 人は、他から与えられたものを大事にはしない。自ら努力して造り出したものを価値あるものとして大切にしあう。

 しかしながら、無から生み出すのがいかに大変であるかは神とても解っている。

 それで、顕在意識の他に潜在意識という能力を授けた。即ち、人が積み上げてきた努力の膨大な結果を記録したアーカイブのようなものである。

 人類がまだよちよち歩きの頃は、まだ神からの啓示というものに直結できる能力が残されていたが、後は自分たちの培ったものに撚れということで、段々に個々人に任されるようになったのだと思う。

 ただし、任されるには一定の条件があった筈なのである。即ち、「自己のためだけであってはならぬ」と。

 しかしながら、折角、知恵の泉たる潜在能力というのを授けられていても、それに気づかぬということであったり、仮令気づいたとしても、その知恵の泉の水を汲み上げることができないのである。それでは、無いに等しい。

 井戸水をポンプで汲み上げるときのことを想像してみると良い。井戸に水は満々と湛えられているのに、ポンプのハンドルを必死になって上下させても水は出てこない。

 水は、パイプに呼び水というのを注ぎこまないと、上がってこないのである。

 意識の世界におけるこの呼び水となるのは、自分だけではない皆の幸せを願う心なのではなかろうか。


 伊那谷は四方からの孤立状態に陥っていたが、倒壊した家屋は出ていても、衣食住に差し迫った状況下にあるという逼迫感はさほどなく、比較的安定していた。

 人々は被害状況を確かめ合い、互いに協力して復旧に努めていたが、日を経るに従い異変が生じていることを感じ始めていた。

 最初には、山つけに近いところに飼われていた家畜が、次々に跡形もなく姿を消してしまうということから始まった。

 あろうことか、それが人間にまで及ぶようになってきたのである。昨日まで元気に顔を合わせていた人が、いつのまにかいなくなっていることに底知れぬ不安感を抱くようになっていったのである。単なる個人の事情とは考えにくい共通点を持っていた。

 顔を見せなくなった彼らが被災したということはなく、昨日まではボランティア活動に勤しんでいたのである。仲間が家を訪ねてみても、姿を見ることがなくなっていったのであった。

 復旧作業の援護に出ている警察の警備が手薄になっているところを狙って、拘置所が襲われた。殉職者が出るほどの見境いない襲撃により、重大事犯者の殆どが脱走した。

 およそ人とは思えない事件を犯した者たちである。彼らは襲撃者の導きに従っていずこかへと姿を眩ました。破られた牢ではあったが、そこに踏みとどまって残った者もいた。

 治安が維持されているとは言い難い綻びが見え始めていた。

 数馬が出かける前の早朝に、琴音が訪ねてきた。

 空は爽やかに明け、山の端から眩いばかりの黄金色の光の矢を放っていた。それはどこまでも駆け上がっていくかのようにみえた。

 このごろすっかり少女らしく成長し、いつも春風のように温かい笑顔を絶やさない琴音であるが、その愛くるしい顔に陰りが見えていた。

「数馬お兄ちゃん、少し心配なことがあるの」

「どうした、何か見えるの?」

「そうなの、山から大きな蜥蜴のようなのが沢山でてくるの」

 数馬達が心配していることを察知しているような、思い詰めているような表情を浮かべていた。自分のことではなく、害が他に及ぶのではないかと気がかりなのである。

 数馬達は仲間が顔を合わせると、いつも言わず語らずに思っていることがあった。琴音がいずれは自分に備わった力に気づき、それを使わねばならない事態が起こるかもしれないが、それは少しでも先のことであってほしいということであった。星をも砕く力は、やむを得ず使うことがあっても、使ったあとに心が騒ぐ。果たしてこの場面で使ってよかったのだろうかという自問自答に応えなければならないのである。

 真央の後を継ぐお姫様には、そういう想いをさせたくなかった。それでなくとも優しく愛くるしい存在なのである。

「うん、それなんだけど、琴音ちゃんはまだ心配しないでもいいよ。お兄ちゃんたちが何とかすることにしようと相談しているから。琴音ちゃんはいつも通りにしていてね」

 そう言いながら、両掌で琴音の頬を優しく挟んだ。


 数馬たち5人の輪の中に、出かけていた松田が戻ってきた。

「おい、ちと面倒なことになりそうだぞ。荒木から聞いたんだけど、留置場破りをした連中は皆、風越山に集まっているらしい。荒木がいうのに、「あっしらの稼業でもアイツラは危なすぎて避けていた位ですから見間違う筈はありません」て言うんだ。しかもそいつらが昨晩、太った女を攫って行くのを確かに見たと言っている。トカゲ相手なら何とかなるが、人間がパシリとして使われていて矢面となるとしたら、厄介なことになる」

 数馬達は、このところ行方不明になる人たちがトカゲ族に関係しているのではと見当をつけていた。しかし、自分たちが先に動くわけにはいかない。まず警察がどうするかの後のことになる。ただ、警察ではどうにもなるまいという予測が彼らにはあった。

 多分、相当な知性体であることや、極めて高い身体能力を持っていることは間違いないように思えていた。人とは明らかに違う。

 人間の脳内から分泌される神経伝達物質は、20種類を超えるという。

 アドレナリンとかセロトニンなどの働きはかなり以前から言われているので知る人が多いし、実際にそれを生きる上で活用している人もいる。

 人間が潜在能力を発揮して想像される以上の力を示すことができるのは、これらの脳内物質が関係しているのかも知れない。数馬達に備わっている能力も、これらの脳内物質が必要な時には瞬時に多量に分泌されて超常的な力を発揮するのだと思われるが、意識しないときにそれが現れることはない。


 人間がこの世に生まれてくるのは、幸せになるためであるといわれる。

 その幸せに大きく関与しているのは、愛をつかさどる神経伝達物質として注目されている『オキシトシン』であるという。オキシトシンはもともと、子宮を収縮させるホルモンとして産婦人科でも使われていたが、最近の研究では、絆を強める作用があることも分かってきとされる。

 オキシトシンは別名、愛情ホルモンとも呼ばれ、共感と信頼を促進する。

 人とのふれあい、仲間との絆を感じたときや、母親が赤ちゃんを抱くときにも分泌される優しさのホルモンであるが、愛は全てを許すことができることから、敵というものをつくらず、幸せを齎す物質ではないかと期待されもする。

 可能かどうかはわからないが、これをコントロールして、誰もが大量に脳内に出すことができれば、幸せな環境を作り出すことができるのではなかろうか。愛が地球を救う。

 自分を許し他人を許し、愛を惜しみなく出すことを心がけていれば、オキシトシンが出易い体質ができるのではないかと思えるが、人が誰もそうするかどうかはわからぬ。

 我が身第一を考えるようになってしまっている社会構造が簡単に変わるとも思えない。

 それでも、愛は蓄積できるものなのだというから、そこに微かな望みはある。いうなれば「貯愛」。それは巡り巡って自分を幸せにせずにはおかない。

 即ち、誰をも幸せにせずばおかないということに繋がり得る。

 昔の人が「情けは他人のためならず」と言ったのは、そういうことが実感として理解できていたからではなかろうか。

 目先の自分の損得ばかり考えて囲い込むことばかりを優先させていたのでは幸せはやって来ないということになる。

 人は、互いのことを思い遣る慈しみの心が伴ってこそなりたつ。

 富という物質だけではなく、精神性を高めることも自然に求めてきた。


 琴音はいつも真央の光の珠と会話する。

「真央姉ちゃん、琴音はいつもみんなのお世話になるばかりで、何のお手伝いもできないでいるの。琴音ちゃんはまだ心配しないでいいのと言われているけれど、申し訳なくってならないの」

「そうね。でもあなたは居ることだけでみんなの力になっているわ。もう少し大きくなって体があなたの持っている力に耐えられるようになれば、その時は自然にみんなと一緒に働くことができるようになるわ。それまでは私が琴音ちゃんを守るわ。数くんともそう約束しているのよ」

 真央は、琴音が可愛くってならなかった。


 数馬達は、権現山に向かって偵察に出かけた。漂ってくる風が血腥い。

 そこは人骨とおぼしきものが散乱する想像を絶した阿鼻叫喚の世界であった。蜥蜴顔をした男が、若い娘の首筋に咬みつき生き血を啜っていた。

 松田は間髪を入れず、その蜥蜴男を宇宙空間に吹き飛ばしたが、女はその場に崩れ伏したまま残った。

 諏訪湖を発し伊那谷を流れ下り、愛知を掠め静岡沖遠州灘に至る天竜川は、流路延長213km、流域面積は 5,090kmに及ぶ。

 伊那谷を削って河岸段丘を形成していることからも、蛇行を繰り返す暴れ川であったことは想像に難くないが、かつてそれほどの流量があったのだろうか。天竜の龍神の膨大なエネルギーが関与したのではなかろうか。

「天竜川」の名前は、地名から来ているのではないという。古い書物によると、天竜川は奈良時代の頃には「麁玉川」と呼ばれ、平安時代には「広瀬川」と呼ばれるようになっていたらしい。鎌倉時代には「天の中川」と呼ばれるようになり、その後「天竜川」と呼ばれる ようになった。

「天竜」は、もともと「天流(アメノナガレ)」と読んでいたようである。これは天から降った雨が、 峰から諏訪湖へ流れ出て、天竜川の流れとなることから、そのように呼ばれるようになっていたのだと思われる。

 竜の字が使われたのは、水の流れが速く、竜が天に昇っていくかのように見えるというところから来た。

 その流れが一時的に穏やかになるあたりの段丘中腹に、麻績神社はある。

 一村一社として、古くから受け継がれてきたが、神寂びた神社に神主はいない。 座光寺地区の約1400戸が氏子となり、元旦祭、春祭り、秋祭り、勤労感謝祭の4大祭を開催してつないでいる。

 麻績という言葉は、麻を積むというところから来ていて、麻を作ることができる豊かな場所という意味で、飯田市松尾から松川町辺りまでを指す。麻は神様ごとに重要な意味をもつ。

 元々は八幡社とだけ呼ばれていたらしいが、座光寺地区の大地主で有力者でもあり、水戸天狗党が飯田領を迂回する道案内をした国学者として知られる北原稲雄が"麻績"という言葉を大変気に入り、明治6年から神社の名称に使うようになって現在に至る。

 古びて苔むした石段を登り鳥居をくぐると、参道が二つに分かれていて、一つが麻績八幡宮に、一つが麻績諏訪社につながっている。

 麻績神社の起源は八幡宮の祭神、譽田別尊(ほんだわけのみこと)で、産土神である。

 産土神とは、その人が生まれた土地の守護神を指し、その人が生まれる前から死んだ後まで守護する神とされ、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている神である。昇殿してみると判るのだが、もはや文字さえ読めないし謂れも知る人がいない古い神が祀られているのである。

 この神社と、隣村の山である権現山は、地下道でつながっているのだという伝説がある。

 権現山側の姫宮神社の結界が崩れ蜥蜴族が現れたのだとしたら、麻績神社と高丘古墳側の結界を強固にしなければならないということになる。それをしないと中側が危ういことになる。数馬は、諏訪大社の祭神の兄神であられる事代主の神や天竜川の龍神の助けも借りて、緊急事態への対応を急がねばならないことになったと感じ取った。

 松田はそんな顔をしている数馬にニヤリと笑いかけた。

「お前は宇宙空間にヤツラを放り出したようだが、俺は前に行った国に2~3匹放り込んでみた。どんな扱いをされるか興味があってな。まあ、問答無用で銃撃されて終わりかもしれないが、人じゃあないってことでお構いなしになるかもな」

 取り敢えず目に付くのは全て、地上から消去した。緊急避難ということであろうし、器物損壊程度のこととしたら、持ち主も居ない事だしと、泡立つ気分を互いが宥めこんだ。

 しかし、と思いを数馬は巡らしてもいた。

 大いなる意思が、人類に替えて殺伐たる意識をもつ蜥蜴族を選択するとはどうしても思えない。

 太古に繁栄した恐竜の時代は潰えたのではなかったのか。人類がそれに替わって繁栄したのは、人類の持つ発展的意識に期待をもったからではないのか。

 だとしたら今表れている現象に何を気づけといっているのであろうか。

 外なるものに捉われず、内なるものに意識を向けなおせと言っているのではないのか。

 見落としてしまっている小さなことに、根本的なことがあるのではないのか。病を癒すのに特効薬というのが無いのと同じことなのかも知れないではないか。人類が現出した時、なにか重大なことを暗示されていたのに、それを疎かにして忘れ去っているのではないのか。

 初めには暗黙のルールというのを共通してもっていたのではないのか。不浄ということがそれを覆い隠すから、祓い清めることが今も最初にやることとして残っているし、結界を張って封じ込め鎮めることができるようになっているのも、思えば不思議な事である。

 初めに言葉ありきといわれているが、どんなに高邁な理想であっても、それを言葉で伝えきり享有することは難しい。

 それでも、言葉の乱れというのは糺す必要がありそうである。

 言葉の持つエネルギーが事物を現出することは間違いない。

 言葉というものが何事をも作り出すのだとしたら、荒い波動を持った言葉遣いは避けねばならない。少なくとも穏やかな響きを伝え合うことが必要なのであろう。


 翌朝、数馬達が気になっている重要地点である高丘の森に、皆して集まった。

 その昔、河尻が我が身をもって塞いだ結界を確かめる為であった。石室への入り口は以前に増して小さく感じられたが、特に異変を見出すことはなかった。

 しかし念のため中を改めてみようと中に入ってみると、奥の一角に新たに張られたとおぼしき膨らみがあった。

 苔を払ってみると、そこからあたかも生きているとしか見えない姿の神々しいばかりの美丈夫像が現れた。手にはしっかりと梶の葉が握られていた。

 胸のあたりで塞いだ穴の先には、干からびた蜥蜴の頭が見えた。

 緊急のあまり、我が身を犠牲にして結界を張ったのだと思われた。


 信州には、神無月というのがない。

 毎年十月になると日本全国の神々は出雲国へ集まって国造りの相談をすることになっていた。

 ところがある年のこと、信濃国の諏訪の龍神様の姿だけが出雲大社の集会所にどうしても見えない。

 そのうちに現れるであろうと待っていたが待ちくたびれてしまい、「信濃の神さまはどうした、病気か、それとも遅刻か、いつまで待たせる気だ」と神々たちが騒ぎ出した。

 すると天井から大きな声がした。

「わしはここだ」神様たちはどこだどこだと天井を振り仰いで驚き、真蒼になりました。

 天井の梁に胴が樽ほどもある大きな龍がきりきりと巻きつき、真っ赤な舌をぺろぺろ出していたのだという。

「信濃国は遠いので、こういう姿でやってきたのだ。わしの体はこの家を7巻き半してもまだ尾は信濃の尾掛の松にかかっている。部屋に入って座ろうとも思ったが、神々がたを驚かしても悪いと思って天上に張り付いていた。何なら今からそこへ降りていこう」

 と言うなり、龍神様はずるずると天井から降り始めた。

 神様たちは慌てて

「いやいやそれには及ばん、なるほど信濃は遠いから大変であろう。これからはどうかお国にいて下され。会議の模様や相談はこちらから出向いて知らせにいく」  と、あわてふためいて手をふりました。

 龍神様はからからと笑って、「そうか、それは忝い」と言うや、みるみる黒雲に乗って信濃国の諏訪湖へお帰りになり、湖の底深く姿を消した。

 それ以来、信濃国には神無月はないということになっている。(篠ノ之国民話)

 諏訪大社の紋所は、梶の葉である。


 数馬たちは、自らを結界として果てた数十年は経ているであろう美丈夫を丁重にその場から外し、運び出すと、天竜川から青い大石を運び上げ穴をふさぎ、天竜の龍神に祈りを捧げ強固な結界を張りなおした。

 それが終わって、運び出した遺体に手を合わせ拝礼しながら改めてみると、紫の糸で「真」と縫い取りがされた守り袋を首にかけているのが判った。

 それでなくても地域が閉鎖状態に陥っている折でもあり、オカルトじみたことが公になるとパニックになりかねない事情を含め、警察上層部に状況を説明し、決して粗略に扱われないように念押しして数馬達は引き上げた。霊魂や超常現象に理解がある幹部が担当してくれることになって、一安心であった。

 家に帰ると、綾音が深刻そうな顔をして、門口で待っていた。琴音が夢か幻かわからぬ父の姿を見たと言っているのだと言う。

 幼い時に父は亡くなったと話し、写真も見せたことがないのに、見たと話す説明が余りに夫が出かけたときの姿と酷似していて、震えが来るほどであったというのである。殊にそれを信じざるをえないのは、首に下げていた守り袋のことであった。綾音が登山に出掛ける夫の為に自分が紫色の糸で真造の名前の「真」の字を縫いとった諏訪大社の守り袋であり梶の葉の模様があったというのである。

 それを聞いた数馬は、それを今日の今日見たばかりであったから驚愕した。

「お母さん、そのお守り袋はついさっき見たばかりです。あなたと琴音ちゃんを真っ先に守らねばならないと考えてのことだったのだと思えてなりません」

 掻い摘んで状況を伝えながらも、真造氏であると確信した数馬は、彼がそんな身内のことばかり心配しての行動であったとは思えなかった。自らを盾にしてでもと咄嗟に判断したのは、きっと山々を経めぐるうちに大自然の中から覚醒するに至った意識が、大惨事を防がねばならないと思ったからに違いないと信じたのであった。

 関わりをもった人たちとは、こんなところにも、古からの深い縁があったのだと思われてならない。きっと権藤や荒木にも、今は判らなくても、何らかの意味があって繋がってきたのだろうと感じさせられるのであった。

 きっと間もなく災害からは復旧し、近隣地域と通じることになるのであろうが、単なる天災であったとして済ませてはならないのだということになる。

 気づきの世界へ意識を向けられる人がいかに多く現れ、いかに行動するか。

 物事は意識の波動に合わせて現出する。異変は、悪い波動が凝り固まって招き寄せるのかも知れない。それは無辜の民の頭上に現れることも多かろうし、悲しみの伴った気づきを促しているのかもわからないのである。


 129億4千4百万光年に位置する天体クエーサー中心部にあるブラックホールから、巨大な星が離れ、銀河系宇宙にある太陽系に向かって猛烈なスピードで動き始めた。

 空間を曲げてワープ移動をすれば、距離を度外視していかなる短時間で到達するかは計り知れない。

 もし直径40メートルの小惑星が地球に衝突した場合だとしても、3メガトンの核爆弾に匹敵する威力を伴うとNASAは予想する。

 それ一つでも、東京都くらいは軽く消滅してしまう。

 直径2キロのそれであった場合は、世界的規模の甚大な環境被害が見込まれる。

 直径100メートルを超す大きさで、地球から800万キロ以内を通過する可能性のある小惑星の数は、プラスマイナス1500個の誤差で、4700個もあると言われる。

 大いなる意識のもつ時間軸はどのようなものなのだろうか。

 それまでに、人類は救うに値するほどに育っているだろうか

 数馬・松田・河尻・福島・塩崎・川田・琴音の星をも砕く力の集合で、この天体を守ることが許されるということになるかどうかは、瑶として解らぬままであった。

                              第10部完



第11部


 宇宙には、原因があって結果が現れるという真理が働いている。肯定はしても、誰も否定はしない。善因には善果が、悪因には悪果が導き出されるのだと知ってはいても、善根を積もうとする人は少ない。

 それどころか、善行をあたかも偽善の如く扱う風潮があって、良いと思えることをするのを躊躇わせる。悪行をさもさも格好良いものとしてもてはやす動きすらある。

 先人が培ってきた善なるものを、古いとして全否定した時代があったからかも知れない。

 智慧を学ぶときは、先ず形から入る。

 理解が進むと、何故そうするのかということがわかるようになる。

 類は類をもって集まる。悪い想念は、集まると甚大な災害を起すエネルギー源となる。

 怨霊として鎮められてきた人たちは、その本人が悪というわけではなく、そう仕向けた者たちの恐れの象徴であったから、本人たちが気づくことによって鎮めることができた。

行いを改めたというならまだしも、形を変え複雑な想念構造にして悪行を糊塗し、そこに善男善女を介在させることで、エネルギーの集中を逸らしてきたことはなかったのか?

 全国各地に散らばって悪因を抑え込んでいる鎮めの地は、新たなる脅威に対して更なる力の注入が急を要するようになってきたから、対応能力の有る人が出てのことだったのではなかろうか。

 第10部までが、いうなれば序章であり、第11部からが本章ということになるのだと思うが、書き進めるお許しが出るまで、ひとまず筆を置く。


~~~~~~~~~~~~~~~~~

しばらく間があった。

少しずつ書き進めることにしたい。


 伊那谷は、中央アルプスと南アルプスに挟まれた幅5~10キロ、長さ80キロに及ぶ広大な谷である。

 特徴的なのは、平地部分が非常に広いということである。

 天竜川を底辺として、なだらかな丘陵地帯が河岸段丘として形成され、次第に高度を上げて木曽山脈の裾野へと繋がる。

 昭和50年代、首都圏と中京圏に直結する中央自動車道が開通したことで、伊那谷の商工業は飛躍的な発展を遂げた。

 元々未開発に近い広い土地があり、寒くはあっても降雪量は比較的少なく、それでいて工業用水は豊富に確保できることもあって、工場誘致などに有利に働いた。

 近年広域農道の整備が進み、ほぼ南北を農道だけで縦断出来るようになってきたことにつれ、その農道が国道並みに地域の主要交通網の一端を担うようにもなってはいたが、山脈に挟まれた地形である。諏訪のあたりと恵那山のあたりの山が大規模に崩れれば、袋状に閉じ込められる。袋の中で自給できなくはないが、自ずから限度というものはあった。

 閉塞状態が長期に亘れば、鬱屈したエネルギーは捻じ曲がった状態になりかねない。開放された空間こそが、人の思いや行動にとって重大な影響を及ぼす。

 中央道を復旧させることは急務といえた。

 フォッサマグナという巨大な亀裂も近くを走っているのである。特殊な地形のなかで発展してきた場所と言える。それがどのような状態になっているのかも判らなかった。

 荒木も、中央道の東京側開通のために、毎日泥まみれになって働いていた。昔の悪仲間を引き連れて懸命に過ごしている姿に、かつての与太っていた頃の面影はなかった。とんがって周りと諍いをおこしてばかりいた時とは、比べ物にならない充足感があった。日々の行動が周りから受け入れられ、、信頼感を得られるのがどんなに心地よいかということは、昔の仲間たちも同様であった。

 何より、前には決して近づいてこなかった子供たちが、お兄ちゃんお兄ちゃんと言って懐いてきて、自分のポケットから、配られた飴玉などのおやつを分けてくれるのである。心底可愛いと思えたし、守ってやらねばとしている自分に気づいて、自分が好きになれそうになっていることが嬉しかった。誰が解ってくれなくても良いという快さがあった。

 突然土壁に穴が開き、東京側から掘り進めてきていた人たちと合流した。先頭に立っていたのは権藤であった。

「親分!」「荒木!」と、呼び合うのが精一杯であった。それ以上何もいわなくても、荒木には親分が自分の身を案じてやってきてくれたのだと信じることができた。

 気が付くと傍らに村上も立っていた。

「村上の兄貴も来て下さったんですか」

 荒木が懐かしそうに声をかけると、「そりゃそうさ。お前がくたばっていたら、探し出して骨でも拾ってやらなきゃ寝覚めが悪いからな」と憎まれ口を叩きながら

「それにしても、いい面構えになったな。やっぱり親分には敵わねえ。俺はお前のことを面倒見ながら、箸にも棒にもかからねえ奴だとどっかで思っていたが、親分はお前のことを見どころがある奴だと前々から言っていたもんな。無事でよかった」と言葉を継いだ。

 荒木は今まで、自分の身勝手な要求であっても、弱い奴らはそれを受け入れるのだと思っていた。それが受け入れられても満足感があったわけではない。そうすることでしか自分を主張するすべを知らなかった。

 ところが、弱いと見くびってきた連中が暴力的には弱いのかも知れないが実は強いのではないのか、と思うようになってきていた。

 自分がやらねばならないと思っていることに対しては実に辛抱強いし、こと自分のことだけではないと思える大事が起こると、誰に言われなくても自発的に自分ができることをやろうとして行動を起こす。それに呼応して協力する人たちが多数でてくる。子供といえど、いいつけられなくても手助けをしようとする。

 大事が起こるとそれができる力を秘めているのだが、それが普段に出てきたら、凄まじいエネルギーとなろう。自分のことばかりでなく、他を慮ることができる力は一体どのようにしてでてくるのであろう。人であるからそれができるのであろうか。

 身勝手なことばかりやっていた荒木が、自分を見つめるということに気づいてから、何かが変わってきたと自分でも感じるのである。不思議に気分が良いのである。変わらなくてはならないのは自分であって、周りではないのであると思えるようになってきていた。

 そんな荒木を、親分も村上も感じ取ったのだといえよう。この地に残って頑張りたいという荒木を残し、彼らは彼等の拠点に戻って行った。

「儂は、放り出しておくと世間様に迷惑をかけそうな連中を、何とか一廉の者に鍛え直したいと思い、見どころはあっても半端者扱いされていた者を手許においてきた。表面上は暴力団に近いような者たちを集めたから誤解されもしてきたが、お前も知っての通り、正業から外れるようなことをすることは戒めてきた。そんな連中の面倒を見ることは資金的に大変だろうとと気をまわして、どこかで聞きかじってきた埋蔵金を手に入れようと、荒木たちが先走ったが、大事に至ることなく収まったことはよかったと思っている。探し回る過程で、数馬達に巡り合えたことも良かったと思っている。彼の地に居場所を見つけたらしいことにも満足している。儂は、気づいて覚醒すれば、一人立つだけでも国を救えるほどの人材は、全国各地にいるのだと信じている。儂にその覚醒をさせる力が備わっているとは思わないが、そのきっかけになるくらいはできそうだと今も思っている。

 人は道を究めようとして努力するのは何故なのだろう。

 昔、剣の修行に夢中になっていた頃、修行が進むに連れて解ってきたことがあった。活人剣というものがあるのではないかと感じてからのことだ。真剣になれば、求める先に理想の姿があるのではないか」

 村上が運転する帰りの車中で、権藤がしみじみ口にした。

 村上に伝えておかねばならないことでもあった。自分の身にも何が起こるかわからないという予感があった。埋蔵金発見時の、何をするかわからない対抗勢力というのもあったからである。


 夕刻、琴音が学校から帰宅すると、綾音は真剣な面持ちで琴音を居間に座らせた。

「琴音ちゃん、私は貴方にお父さんは亡くなったとだけ告げて、居ないことの理由にしていたけれど、本当にお父さんが亡くなっていたことを、警察署に行ってお母さんが確認して来ました。お父さんが居なくなってから長いけれど、幼かった貴方に、私たち母娘が決して捨てられたのではないことを説明できなかったからです。お父さんは帰って来なくなった日まで、私たちを真剣に大事にしてくれていました。お父さんは山登りが好きで、あの日も山に行くと言って出かけました。いろいろあったから、私たちのことを思って帰れなくなった事情ができたのだと思っていました。きっといつか元気に帰ってきてくれると信じて、貴方を大事に育ててきました。悲しいけれど、お父さんは帰ってこられなくなりました。でも、立派なご最後を遂げられたということは、貴方が誇りに思って良いことです。先日のことを思うと、貴方はこの日が来ることを予感してたのですね。この先も不自由をかけるかも知れませんが、二人で頑張っていきましょう」

「お母さん、私不自由だなんて思ったことは一度もないわ。お父さんがいないことを、あの母娘は捨てられたんだと言う人たちがいたのも、お母さんには黙っていたけど知っていたわ。お母さんは私が悲しまないように、お父さんは死んだのだと言っていたのも解っているの。そんな悪口くらいなんでもなかったの。真央姉ちゃんも可愛がってくれたし、数馬兄ちゃんたちも優しくしてくれるし、お母さんのこと大好きだし幸せよ。早く大きくなって、みんなのお役にたてるように頑張るから、心配しなくても私は大丈夫だよ。でも、二人だけででもいいからお弔いだけはしてあげよ」親の姿を見て育つというが、よい育ち方をしていた。

 秘めやかにと思った弔いは、数馬の仲間たちばかりでなく、思いのほか多くが訪れて手を合わせ焼香してくれて終える事ができた。


 変事が起こるとその混乱に乗じ、必ずと言ってよいほどいかがわしいことを吹聴して廻る者が現れる。不安を煽って心の隙につけこみ、自己の利を得ようと目論むのである。

「外宇宙から地球侵略の為に知的生命体が既に地球上にUFOに乗ってやってきていて、人類にまぎれ込んでいる。今回の災害は侵略行為の手始めである。彼らに協力的な者は助かるが、そうでない者は滅ぼされる。彼らの味方であるかどうかを判断するのは、このお札である。」と言って、怪しげな模様が印刷された袋を売りつける者たちが出てきていた。

 中身は何の変哲もない木切れである。

 金儲けだけを考えるのであれば、さして被害が出るわけではないが、それによって混乱が助長され、人々の信頼関係が崩れるようなことにまで進めば、その時彼らはその本性を現し、彼らに都合が良い体制を構築しようとする。愚民化をはかるには、その扇動の仕方は効果的であろう。人々の弱さにつけいるのはさして難しくない。人にはそういう側面があるのだという自覚をもてば防げることであるが、人が自らそうできるかというと難しい。

 松田は一人で街中を巡回していたのだが、途中で荒木に呼び止められた。

「松田さん、あそこでお札を売っている奴、あれ松田さんが前にサイコパスだといっていた脱獄した奴の仲間です。あいつは下っ端でそんな知恵はないから、きっと誰かに命令されてやっているのでしょう」

 目配せした先に、柄の悪いのが居た。

 荒木と松田の姿を見たのか、そそくさと道具を畳み、慌ててその場を去って行った。


 縄文時代から続く歴史は、ところどころ途切れていて、前後の繋がりが悪い。それ以前にもウガヤフキアエズ朝という王朝があったという説もあるが、それらは偽書扱いされて陽の目を見ることがない。真偽以前の問題となっている。

 それはそうであろう。勝者の側に都合の良いものが残り、敗者のそれは抹消される。ことの善悪ではなく、そういうことを経て来たのが歴史であろう。

 熊襲も土蜘蛛も滅びた。

 正当性があったかどうかはわからないが、そういう選択がなされてきたのが歴史である。

 土蜘蛛は、上古の日本において朝廷・天皇に恭順しなかった土豪たちを示す名称であるとされている。従って全国各地に存在しており、単一の勢力の名ではない。土雲とも表記される。

 また同様の存在は、国栖(くず)八握脛、八束脛(やつかはぎ)大蜘蛛(おおぐも)とも呼ばれる。

「つか」は長さを示す単位であり、八束脛は、すねが長いという意味である。

八岐大蛇・八咫烏・八尺瓊勾玉・八咫鏡・八ヶ岳・・・八百万の神、やたら八というのが多い。八方塞がりというのを人は恐れる。

土蜘蛛は排除されたが、近世以後は、蜘蛛の姿をした妖怪であると見做されるようになったから、人に対するような痛みをもった記憶の感覚からは解放されている。

「つちぐも」という名称は「土隠(つちごもり)」に由来していると考えられており、該当する土豪の一族などが横穴のような住居で暮らしてた様子、穴に籠る様子から付けられたものであろうとされている。

 時代を経るに従い、土蜘蛛は物語や戯曲などに取り上げられ、日本を「魔界」にしようとする存在とされて定着してきたから、更に罪悪感は薄れたといえる。

 しかしここに来て、今度は蜥蜴の化け物である。人の姿とは程遠いが、知性を備えている。これにどのように対処するべきなのであろうか。

 鯨にだって擁護のためには人を攻撃する勢力というのがある。

 人類に対する悪意があることは明白であるから、まず彼らに先制攻撃させて、然る後に反撃するということで対応するということになるのであろうか。当然のことながら、先制攻撃させてから防御するというのは、最初に人類側に犠牲者が出るということになる。


 穏やかな陽ざしの中に、近しい人たち8人が集まって、黄金色に輝く光が風に揺れて流れているのを静かに浴びていた。何を語り合うこともなく、また何を話さねばならないということもなく、周りに溶け込んで全てを受け入れているかのようであった。

 つかの間の和みなのかも知れないが、皆それぞれに気持ちは豊かであった。

 川田は、真央に会うことがなかったら、またその時の松田の存在とその仲間たちに受け入れられることがなかったら、今の自分はなかったという自覚が常にある。 正義が何であるかはわからないが、善なるものと信じられるものに触れる機会が人を変えるのだと思っている。

 自分が自分だと思っている通りに周りから理解されているとは限らない。自分が見て欲しいと思っている事とはかなりかけ離れていて普通なのだが、そのことに気づけることは少ない。理解されるにはそれを伝える誠実さが日頃の行いに伴っていなくては叶わない。

 独りよがりに陥っていることが多かったのだということを痛感した経験があったからである。我に返って気づくことができ、勇気をもってそれを受け入れれば、立ち直ることはできる。

 県下有数の進学校にさしたる苦労もなく合格できたくらいであるから、知識の吸収ということについては自負するものがあった。ただ、知っているということと、それを実際に活用できるということについては、大きな差がある。自分が誰からも一目おかれる存在なのだと思い込んで独りよがりであったことは確かである。

 それが何かはわからなくても、何事かをなす目的をもって生をうけたことはわかる。生物の大命題である子孫を残すことであるとか、人類に貢献する科学や芸術に寄与するとか精神的救いの道に一大境地を開くだとか、そんな大それたことを意識したことはないが、生きていれば自ずから生まれ出た役目に気づき、何らかの足跡は残せるであろうというくらいの思いが今は僅かにあるのみで、自分が持て囃される場が提供されて当然なのだと思っていた昔とは、随分様変わりしていた。

 それは誰もが等しく持っているものであり、川田だけに特別に備わっているものなのだということではないのだと思う。

 少し離れたところから、数馬は皆がくつろいでいるのを眺めていた。

 素晴らしい絵画か詩歌になりそうな場面であったが、表現する方法はないのだと解っていた。全てそのまま受け入れるしかないのだと・・・

 言葉は確かにお互いを知るために必要である。

 しかし、表しきれないものを伝える方法はない。無理して表現しようとすると自己の捉われが生じるし、誤解もそこから派生する。

 ありのままがありのまま通じあい、それが共感できる世界が望ましいのであろう。それができないときは、全て我が身に受け止め、身内に蓄えるしかないのかも知れないと思うのであった。

 人は大抵、その心の中に成功を願っている。何をもって成功とするか。

 富や財産であったり、権力であったり、芸事や武術の卓越した練度であったり、学問上の成果であったり、商売の繁盛であったりと様々であるが、それによって何を為そうとするのであろうか。

 切磋琢磨して競い合い、互いが向上しようとするのは解るが、他と較べて優位にあるとして満足するのでは、目指す先が違う。人は誰もが同じわけではないし、較べてどうこうを言えない得手不得手の持ち分、というのがある。

 頭脳明晰な人も体力衆に優れている人も、それとは逆に五体すら不自由な人もいる。努力できる人もいれば、それができない人もいて何の不思議もない。

 確かに一番にならなければならないという分野はあるだろうが、そのことによってそれが達成されたあとに何をしようというのであろうか。

 何をなすべきかに気づく人も居れば、そんなことにお構いなしの人も居る。

 その差は一体どこから生まれ、それが何を意味しているのかを意識する人は少ない。しかし、どんな人であったも、何かの折に人としての優しさを自然に表すことができる。それなくして人類が生き続けることはできまい。全ての先達ではなく一握りの人であっても、それが発現されることをもって、全体が成り立っているのかも知れない。

 人は育つ過程において、いろんな師から学ぶ。学ぶとは真似ぶことから始まる。その師といえど、完全ではなく、学び続けている途次にあるのであるから、弟子にとって快い教え方でないことだってありうる。脅したりすかしたり、後から思い返して弟子が恨みに思うことだってあるだろうが、それが全てではあるまい。自らの努力も当然あってそれらを乗り越えて成長する。

 弟子は一定の域になると、全て良かったのだとして昇華できる人と、あれが嫌だったこれが嫌だったといつまでも捉われていて、よせば良いのに他人にもそのことを語る人とがいる。よせばよいのにというのは、恨みに思って、いつまでもそれを思い返し掴みなおしていると、それがいつまでも抜けない業になって、成長を妨げる。

 負のエネルギーは、現れたらそれは消える時なのであるから、これで消え去るのだと自分から手放さないと、傷つくのは磨かねばならない筈の自分の魂なのである。全てよしと思えるようになることが即ち成長なのだと思う。全てを受け入れることができるようにならないと、決して優しくはなれない。言うことや為すことが、人の気持ちに届かないのである。

 それにしても、と数馬は思うのであった。自分たちの持つ星をも砕く力を使えば、今回の災害時の土砂を除くことは容易くできたであろうに、それを使おうと言う者は彼らの中に一人もいなくてよかった。

 その力は、まかり間違えば破壊にも繋がりかねない最後の手段である。その存在が知られれば、言葉巧みにすり寄り、悪用を目論む者が出てきても不思議はないのである。

 人々が力を合わせ、額に汗し互いに信じあって助け合うことを優先しなくては、人たるの進化を阻害しかねない。

 星空を眺めると、春の大三角と呼ばれる星々があり、その三角の中に、乙女座というのがある。

 ギリシャ神話によれば、昔、人間が仲良く暮らしていた時代は、神もまた地上で人間と共に仲良く暮らしていた。

 しかし、後に現れた人間たちは争ってばかりだったので、神々は人の世界を見限り1人ずつ天に帰っていってしまった。

 最後まで残ったのが正義と天文の女神アストライアーで、1人地上に残り人間に正義を教えていたが、やがて彼女もまた人間に失望し、自ら天に昇っておとめ座となった。手に持っているのは希望の種を表す麦の穂。使っていた正義を計る天秤は、付き従って天秤座となった。


 日本の神々は、人を見捨てることなく、身近にいて護っていてくれる。

 日本人の先祖は、プレアデス星団の昴からやってきた末裔だという説がある。

 遺伝子的にいって、他民族とどうやら違うらしい。

 それとは別に、2千年程前にその繁栄した文化が杳として途絶えてしまったシュメール文化というのがある。シュメール人は日本人との共通点が多いのだといわれるが、確かめようがない。彼らは、ニビルという星からやってきたのだという。

「ニビル」とはシュメール語で「交差する星」という意味なのだとか。

 メソポタミアで発掘された粘土板には、「ニビルという星に住むアヌンナキが地球にきた」と書かれていて、そこから地球に渡ってきたのがシュメール人の先祖なのだということらしい。

 どうして、発展していた文化は滅び去ってしまったのだろう。


 地上に善悪があると同じく、宇宙にも善悪はあるのだという。

 地球は、その善を体現するアクトゥリアンによって守られているのだという。

 アクトゥリアンは、天の川銀河を統べる存在であり、地球もその中に含まれている。地球から33光年ほど離れた星アークトゥルス星に住む彼らは、五次元世界の生命体であり、テクノロジー面と精神霊力面の双方ともに、他のどの宇宙声明種族よりも進化を遂げた存在だという。その星は、春の夜空を代表する星として、昔から神話となって親しまれている乙女座のスピカの近くに輝いている。

アークトゥルスのオレンジ色と、スピカの青白い色の対比から、アークトゥルスとスピカは、夫婦星とされている。アークトゥルスが男性、スピカが女性である。

 北斗七星の柄の部分のカーブを延長すると、アークトゥルスを通ってスピカへ辿り着く。これを春の大曲線と言い、アークトゥルスとスピカ、それに獅子座のデネボラを結んだ大きな正三角形を、春の大三角という。

 アークトゥルス星人は、否定的な感情というのを一切持たず、慈愛の精神を中心哲学とした発展できた生命体なのだという。

 しかもそれに留まらず、常に銀河を癒す働きを担って、星間をパトロールしているのだとか。

 スピリチュアル面が非常に発達している為、肉体という物質的な制約に縛られず、エーテル体となって自由に時空間・次元間を移動することができるから、それができる。

 そうして見ると、生命体でありながら同種族間で互いを攻撃しあうのは、人類だけであるように見える。

 滅びというのは内部から始まる。

 精神性が高まりアクトゥリアンの域に達するまで、人類は持ちこたえられるであろうか?

 人が、その精神性を高め、宇宙でのバランスを取るためには、有害なものが4つあるのだという説がある。

 1に金、2に政治、3にマスコミ、4に宗教なのだという。

 現世に生きる我々には多々異論はあるところだが、要は本来の目的と違った動きをする人が居るから、それらが有害であるとされるのであろう。

 嘘は一旦つかれると、その嘘を隠すためにもっと大きな嘘を固めなくてはならなくなる。

 噂は根拠の無い所から始まり、その根拠の無さから実態以上に際限もなく膨らむ。最初は小さいものであっても、取り返しのつかないものになりかねないということを認識していなくてはならない。

 将来に影響を及ぼしかねないそれらの萌芽を、時に気づいて警鐘を鳴らす人が居たとしても、そこで気づいて立ち直れる人が殆どいないで時が過ぎていくのが常である。

 混沌の世界にでもならない限り、世を糺すことができるような指導者は世人から受け入れられない。それは独裁者に近い絶対的な指導力を発揮しない限り不可能だからである。

 即ち、小さな善をこつこつ積み上げて、民度をあげていかなくてはならないという気の遠くなるような努力が求められるということである。人は得てしてそういうところからは目を背ける。不満はあっても現状を変えようとはしない。いま喫緊の脅威に曝されていなければ、現状を改めようとする意識は生まれない。それをするのは、自分ではなくて誰か他の人であり、自分はその恩恵に与かれればそれで良しと、無意識のうちに選択しているからであろう。

 何か志を立て、一定の成功を収めた人は、自分がひたむきな努力を重ねた結果であるなどということを口にすることは滅多にない。

 多くの人が支えてくれたことや加護が有ったことへの感謝をまず述べる。お陰様というのがあってこそ人は生かされているのだと気づけるからこそ、成功できる。

 塩崎が、この先どのように動いて行けば良いのかに対しての困難さを話し始めた。

 地球の歴史は、人類が誕生したといわれてからでも数万年はある。ミッシングリングと言われるように、以前にあったと推定される人類・文明は、跡形もなく途絶え、歴史として認証するには証拠が乏しい。ムー大陸やアトランティス大陸も消えてしまった。

 天の意識が働いての天変によるものかも知れないし、或いは、砂漠の砂の中から発見される核爆発によるとしか考えられない物質を根拠に、古代に核戦争があったのでは、というような説によるものか解らないけれど、過去に何度か人類は滅亡したのではないかと思われる。

 かろうじて有史といえる5千年前からの文明であっても、それは興亡の歴史でもある。

シュメール、マヤ、アレクサンドロス王国、ローマ帝国、モンゴル帝国などなど、その全盛期を思えば「滅亡」など想像もできない。

 しかしその現実は、全て滅び去ってしまったと知れる。

 2千6百年余の長きに亘って「万世一系」を貫いているのは、全世界で日本のみなのである。

 何らかの原因があれば、文明は生まれもし栄えもするが、滅ぶことも又あるのである。

 文明はなぜ滅ぶのであろうか?

 異民族の侵入による戦争、世の乱れからくる内乱や革命、巨大な自然災害、地球規模の気候変動、多国間での争いによる共倒れなどなど、原因はいろいろあろうが、つまるところはそれらが複合的に作用してということになる。人為的なことが原因であるとすれば、それを避けるための知恵は導き出せそうに思うが、厄介なことに感情というものがそれを邪魔する。

 しかも、解決しなければならない問題は単一平面的なものではなく、巨大な糸球のように複雑に固くからみあっている。

 人類に、その問題解決能力というのはあるのであろうか?どこから手を付けたら良いのかということに、目途が立ちにくいと心ある人たちは悩むのだという。

 問題の複雑さが人智を超えたとき、得てしてそれらの問題は先送りにされ、チャンスを失って、結果的には為す術もないままに破局に至るのである。

 人類社会は、大小様々数限りない歯車が互いに干渉しあって動いている巨大な装置ともいえるものである。どの一つも、他に影響を与えることなく取り外すことができないから総合的判断を下して解決策を取ることが難しい。

 そうかといって、小さな歯車といえど不具合を放置し続ければ、いずれは全体を破壊する可能性ということを内在することとなるから厄介なことなのである。

 最も簡単な方法として、全てを破壊し最初から作り直すことという天の意思が選択されることが無いとは言い切れない。

 過去にそれが繰り返されたということが想像に難くないのである。

 それでも人類が生きながらえてこられたことは、一体どこが認められてのことなのだろう。

 全体は難しくとも、それが家族であったり友人知人であったり、地域社会であったりすると、争いの無い和やかな絆を保ちあえる。

 それは何を意味するのであろう。

 公ということを理解しあえる民度というものが必須であると思うが、その延長線上にあるものは期待できそうである。


 何時の時代であっても、大人たちが「今どきの若い者は」という言葉を使い、それは次々に繰り返されてきた。若者は若者で、大人の言うことは信用できない、古臭いやり方では駄目だと、さしたる経験も実績もないのに否定することが先に立って来た。

 言語もあれば文字もあるのに、互いの思いを伝え合うこともなしに、悪いのは自分ではなく相手なのだと決めつけて来た。

 言葉や文字が伝達方法として不十分だと思うのなら、それに替わる精神的交流の方法を鍛えてきたのかといえば、およそそんなことはない。解り合おうとすることに不真面目なのだとしか言いようがない。

「知らない人とは口をきいてはいけません」というのでは、何の解決策にもならない。教育者というのがそれを主導するというのでは、本末転倒であろう。


 花の香りが漂った。少し離れたところで花を摘んでいた琴音が、何時の間にやら傍らに来て坐っていた。

 琴音はどんどん透き通っていくように数馬には感じられていた。

「数にいちゃん、ゆうべ真央姉ちゃんと会ったの」

「琴音ちゃんにはもう見えているんでしょ」

「うん、遠くの星が、地球に向かって動き始めたこと?」

「そうよ。まだまだずっと先のことかも知れないし、それとも余り残された時間はないのかは判らないわ。でも、何か改めなくてはならないことに気づけと言っているように思えるの。まだ小さな琴音ちゃんにそれをお願いするのは可哀想だと思うのよ。でも、みんなの目になって欲しいの。先には危険があるかも知れないから心苦しいんだけど」

「お姉ちゃん、それはいいの。お姉ちゃんが守ってくれなかったら、琴音はあのとき死んでいたのかも知れないんだから。みんなのこと大好きだし、お母さんだって賛成してくれると思うわ。お母さんはみんなに助けられていると感謝しているもの。それよりもずっと前の小さかったころから、浦安の家は、そういうお役目があるのだといつも言われているから平気よ。心配しなくても大丈夫」

「そう、ごめんね。お願いするわね」

「数にいちゃんにはお話ししておいた方がいいの?」

「いいえ、数くんはもう気づいていると思うわ」そう言い終えて、真央は意識から去っていった。

「どうした?琴音ちゃん。遠くからやって来る星のことかい?」

「うん、そうなんだけど、真央姉ちゃんは、数兄ちゃんはもう知っていると思うよと言ってたわ。それとは別にね、学校でみんながやろうと決めたことがあるの。クラスメートなのに、お互いが話もしないのは変だということになったの。きっと会っても挨拶も交わさないからじゃないかってことになったの。話をしあえばお互いがもっと仲良くなれるわ。そうすることで友達を増やそうというわけ。友達の友達作戦だっていう子もいて、みな大賛成だったの。クラスメートだけじゃなくって、知ってる人に会ったら、挨拶しようってことになったわ。笑顔で挨拶すれば、優しくしてくれるようになる。知ってる人に悪い事をする人はいないから、そうしようって。誰もがにこにこしている顔が浮かんでくるの」

 親しい人に仇なすことをしようとする人は少ないであろう。

 自らを閉ざし過ぎて、他との関わりを避けることで得るものは限られる。自己の中で完結するならば自由であると言えなくもないが、いつの間にか他人に冷酷でいられるようになることがないとは言えない。

 他を理解し、自らも認められるという相互間の穏やかなつながりなくして、社会は存続しがたい。それを阻む問題が多すぎるのかもしれない。


 数馬達が街に出るようになったことで、与太者が影を潜めるようになってきているようには見えるが、彼らが数馬たちの力を恐れてということであったら意味はない。人類普遍の願いは、大いなるものの意識と合致しているのであろうか。それとも何らかの篩にかけられることになるのだろうか。

目に見えない物は信じない。科学で証明されないことは排除する。しかし、それでもなお体や心が感じてしまうものがあることまでは否定しきれまい。無いことを証明することは難しい。

 宗教上から来ているかどうかは別にして、我が国には長い歴史の中で育まれた独特の死生感というか来世感が意識の根底にあって、自らを律することが自然にできている。

 これはどこからきて、そのように考えるに至ったのであろう。

 先のことを考えて、手立てが思い浮かぶものやら判らないまま、模索は続いていた。

 夏風越のというのは、次に青嵐という言葉に繋がる。嵐によって鍛えられ磨かれることというのは有る。

 青とは何なのだろう。青には緑もそこに含まれる。

 怪奇現象が起こっていた。権現山で斃し葬った筈の蜥蜴人間が次々に再生し、息を吹き返して立ち上がって来ていた。

 鬼ともいうべき存在であり、それは退治すること能わざるものなのだろうか。

一般的に知られているのは、赤鬼と青鬼であるが、他にも緑鬼、黒鬼、黄(白)鬼がいるのだと言われる。

 意外なことに、日本語は元来色を色として表現する言葉がなかったのだとされている。

 光と影から色の感覚へと移り、そこから知覚が進化したのだという。基礎的な色彩は、シロ・クロ・アカ・アオから始まる。

 明(あかし)が赤、暗(くらし)或いは玄(くろし)が黒、顕(しろし=はっきり見える)が白、漠(あおし=ぼんやり見える)が青、ということだったと学者はいう。

 しかし、色彩豊かに移り変わる自然の中に生きてきた日本人が、色から離れての感性のままでいられたわけがない。殊に、太陽を神と崇めることから、赤というのは大きな意味を持っていたに違いない。

 時代が下るにつれ、一口に赤といっても、それは50種類にも及ぶ染料を作り出し、その一つ一つに名前が付けられた。

 その他の色も様々作り出したことは当然で、庶民にも、それらの色は広まったようであるが、江戸時代に入ると、奢侈禁止令などが出されたりして、身分によっては使えない色ができると、庶民は工夫して、使える色の中での種類を増やした。

 利休鼠などは有名であるが、四十八茶百鼠とか、藍四十八色と呼ばれるように、色彩感覚がすぐれていないと区別できないものを沢山作り出した。

 全ての色にそれは及んだであろうから、日本における色彩に名前がつけられた語彙数は、300~500にも及ぶという。


 鬼というのは古事記の記述によると、黄泉の国に存在していたのだと思われる。

伊邪那美が子を産むのによって死した後、悲しんだ伊邪那岐が黄泉の国に妻を訪ねたが、既にその姿は変わり果てていた。

 それに驚いた伊邪那岐が現世に立ち戻ろうとしたが、醜い姿を見られた女神は怒ってシコ軍という黄泉の国の鬼共を呼び集め、男神を追いかけて捕えよと命じた。男神は十拳(とつか)の剣を抜いて後手にそれらを振り払いつつ黄泉比良坂(よもつひらさか)とう所まで退いてきたところ、見るとそこに大きな桃の木があって桃が沢山なっていた。男神はその桃の実をとって鬼共めがけて投げつけられたところ、どうしたことか鬼共は頭をかかえて一目散に逃げ帰ってしまった。

 桃の実のおかげで危難をまぬがれることができたので大層喜ばれ、桃の実に大神実命(おおかむづみのみこと)という御神名を賜ると同時に、これから後の世の人々が若し私の様な目にあって苦しむことがあったら、お前行って助けてやってくれよ、とお頼みになられた。

 後に、其の桃の実が桃太郎に生れ変って来て人々を苦しめる鬼共を退治する話が生まれることになった。

 桃太郎は、人々を苦しめる鬼を征伐する決心をしてお爺さんお婆さんに話しますと、大賛成して早速、きびだんごを兵糧として沢山作って持たせてくれた。

 桃太郎はそのきびだんごを袋に入れて腰にさげ、日本一と書いた小旗を立てて勇んで家から出掛けた。

 途中で伴としてつき従ったのが、犬・猿・雉である。

 鬼門は、鬼が出入するといって忌みきらう方角で、東北(うしとら)の方角である。これは「陰」であって「陽」にあたるのが南西(ひつじさる)の方角である。うしとらに住む鬼を退治するには、対極の「陽」に位置するものでなければならない。そこには、さる・とり・いぬが並んでいる。鳥のなかで雉子がはいったのは、よく闘う鳥とされているからであろう。

 猿は面白き者、犬は愛らしき者、雉は美しき者として知られ、猿、犬、雉は三徳の智仁勇にも擬せられている。

 鬼たちとの戦いは、その持ち分を生かした連携作戦であり、流石の鬼共も降参した。

「もう決して悪いことはしません」と改心した印に、貯め込んだ宝物を全部さし出した。

 それが、金銀珊瑚綾錦ということになっているが、最重要なのは改心ということである。しかし、改心というのは長くは続かない。悪心というのは、直ぐにまた頭をもたげる。

 崇めるとは、崇高という字が示す如く、けだかく尊いこと。また、そのさま、と辞書にはあるが、美的概念も加わるようである。

「崇」は、そもそもが高い山の意味。「祟」とは文字が違う。

その「祟り」とは、神仏や怨霊(おんりょう)などによって災厄をこうむること。

 罰(ばち)・科(とが)・障りと同義的に用いられることもある。

「山の神の祟り」などのように、行為の報いとして受ける災難などを普通には表す。

「悪口を言うと、後の祟りが恐ろしい」などのように使われる。

 しかし、「祟」という字は「出」と「示」からなり、もともとは神が出てきて、雷や洪水など何らかの自然現象を起こすことで、人間に祭るように示すということを意味している。

 即ち、突然大きな災害をもたらすということはなく、小さな変化を起こすことで、気づきを促がしているのである。いつまでも気づかないでいれば、わかるようにするため大きな現象を起こす。気づいていても気づかない振りをして過ごしていればそうなる。


 6千6百年前、山ほどもある直径12キロメートルの小惑星が、時速およそ6万4000キロから7万2000キロの速さで地球に向かっていた。

それはメキシコのユカタン半島を直撃し、直径170kmの「チクシュルーブ・クレーター」をその痕跡として残した。マヤ語で「悪魔のしっぽ」という意味のチクシュルーブ谷の近くに存在している

 ほんの束の間、太陽よりもはるかに大きくてまぶしい火の玉が空を横切った一瞬の後、小惑星は推定でTNT火薬100兆トン分を超える規模の爆発を起こして地球に激突した。 50メガトンの水爆20万個に当たるエネルギーである。

 衝突の衝撃は地下数キロに達し、直径185キロ以上のクレーターを作り出し、大量の岩を一瞬にして蒸発させた。連鎖的に地球規模の大災害が引き起こされ、生物のおよそ99パーセントが絶滅し、繁栄していた恐竜も姿を消した。

 衝突の9秒後、それを観察できる距離にいた者は、熱放射によってあっという間に焼かれただろうし、木や草は自然発火し、周辺にいるすべての生物は一瞬にして全身にひどい火傷を負った。

 火の後には洪水がやって来る。衝突の衝撃は、最大305メートルの巨大な津波を引き起こし、1200キロに及ぶ地域を飲み込んだ。マグニチュード10.1と推定される地震の規模は、想像を絶する。

 このときに生成され降り注いだ地球外物質イリジウムを含む岩屑は、全世界を覆い、今も黒い地層となって各地で発見される。

 隕石は速い速度で落下しながら燃え上がり、非常に熱くなっていた一方、岩屑は低高度から大気圏に再突入し、ゆっくりとした速度で赤外線を放射しながら落ちてきた。赤い光が消えた後には、地球をめぐる灰と岩屑が日の光を遮り、空は暗くなった。その後を生きるには厳しい環境が続いたに違いない。

 何らかの意思が働いて、弱肉強食を繰り返す恐竜の世界は潰えたのだろうか?

僅かに生き残った動物と植物がその後に進化して、今の地球があるのだといえよう。

人類は、哺乳動物の中の霊長類に分類される生物である。その霊長類が出現したのは、今から約6500万年前、恐竜が絶滅する少し前といわれている。

 2500万年前から700万年前の、類人猿に良く似た動物はアフリカやユーラシア大陸で広範囲に渡り分布していた。

 木の上で生活し、木の実などを食べて暮らしていたが、やがて2500万年前くらいになると、木から降りて生活するようになった。

 これは、当時の地球で雨の量が全体的に減少し、森が少なくなったためといわれている。

 食事も、木の実から草原に生える草の実や根っこへと変化していった。

 500万年前、人類と類人猿が分れた。つまり、この頃から人類は他の動物とは異なった独自の進化を遂げ始めたのである。人類は進化するにつれ、多種多様な道具を使うようになり、脳の容量も増えていった。また、顔や歯はだんだんと小さくなっていった。

 人類の進化は、アウストラロピテクスと呼ばれる猿人に始まる。彼らは400万年前、断片的な証拠では500万年前に現われ、150万年目には姿を消してしまった。

アウストラロピテクスは、直立2足歩行をするようになった初めての生物であった。

彼らは脳の大きさや歯、顎の形によって4種類に分類される。

アファレンシス、アフリカヌス、ロブストゥス、ボイジイである。いずれもアフリカの南部、東部で暮らしていた。

 アウストラロピテクスの後に登場したのはホモ・ハビリスであった。

 ホモ・ハビリスもアウストラロピテクスと同様、猿人の分類である。人類はアウストラロピテクスとホモ属、2つの種類の祖先から進化してきたと考えられている。

 ホモとは“ヒト”という意味である。ホモ属はアウストラロピテクスの中のアフリカヌスから200万~150万年前頃に進化したといわれているが、まだはっきりとはわかっていない。

 ホモ・ハビリスは、東アフリカの各地で生活し、石器を使用していた。この名前、ホモ・ハビリスは、“器用なヒト”という意味である。

 160万~150万年前には、脳が大きくなり、歯が小型になったホモ・エレクトゥスが現われた。原人とも呼ばれる。

 ホモ・エレクトゥスも、はじめはそれまでのヒトの祖先と同じく、アフリカの東部と南部だけで生活をしていたが、100万年前くらいからユーラシア大陸へと移動していった。

中国の北京原人、インドネシアのジャワ島のジャワ原人などは、ホモ・エレクトゥスの分類である。技術の面でもそれ以前のものよりはるかに発達し、様々な石器を初めとする本格的な道具の製作が行われるようになった。

 また火を使用していたことも確認された。このように、ヒトの活動は次第に効率的で、複雑なものへと変化していったのである。

 30万~20万年前に、ホモ・エレクトゥスはホモ・サピエンスへと進化した。旧人である。

 ホモ・サピエンスは“知性あるヒト”という意味で、彼らは当時の厳しい氷河期の中でも効率よく食料を獲得することができた。

 また人類史上初めて死者に花を添えるなどして弔う習慣ができた。しかしこの頃の進化はゆっくりと徐々に進んでいったため、ホモ・エレクトゥスの最終期とホモ・サピエンスの初期との区別ははっきりとはつけ難い。

 また、同じホモ・サピエンスの中でも進化が行われていった為、初期のホモ・サピエンスと現生人類は見かけがかなり異なっている。そもそも現生人類が初期のホモ・サピエンスからそのまま進化したものかについてはまだはっきりとは判っていない。

 特にネアンデルタール人のことが問題となっている。

 ネアンデルタール人は、10万~3万5000年前頃ヨーロッパや中東の各地で暮らしていた採集狩猟民である。体つきはずんぐりとしていて身長は160cmくらい、筋肉隆々で体重は100kgを越えていたという。顔は低頭で大きく、顎の先端が未発達など、現生人類の祖先とみなすにはあまりにも原始的だといわれている。そのためネアンデルタール人は人類の進化から枝分かれをし、絶滅していった種だという説もある。 実際ネアンデルタール人の姿は約3万年前、現生人類の初期の人々、クロマニヨン人と入れ替わるようにして消えてしまった。

 そのことから、旧人たちはより高度な文明を持つ現生人類によって滅ぼされたという説が出てくるのである。

 2万~1万年前の氷河時代末期になると、もはや現生人類と変わりのない特徴をもった人類が世界各地に現れてくる。彼らはまとめて「新人」と呼ばれ、日本で言えば縄文人や弥生人である。

 彼らは金属を使用するようなる。そして約1万年前に今の私たちができる過程において欠かすことのできない出来事が起きる。

 農耕革命である。人々は植物を栽培し、動物を家畜化するようになる。

 その後、様々な文化、技術を得、産業革命などを経て今の私たちがいるのである。

 仮に、人類が誕生して1万5000年、1世代100年として単純計算しても、150代ということになり、実際の人間の寿命はもっと短いから何百世代にもわたって生まれ変わりつないできた命の系脈があるということになる。

 そのことに思いを致せば、個々人の持っている短い時間スケールでものを考えるわけにはいかない。より良い形にして次世代につないでゆく責めを負わされているのだと意識せざるをえない。

 さあどうする?そんな大命題に立ち向かえるほどの知恵はない。さればこそ、むかしの人は神と共に在ろうとした。

 しかし、人は全てが善良であるとは信じがたい。宗教の名の下に、邪な心を持つ者たちによって業を積み上げてしまった歴史というのも現実的には有る。

 困ったときには基本に帰る。

 数馬と松田は剣を、河尻は槍、福島は弓を、その修行時代を超える程一心不乱になって、さらなる極みを目指した。

 塩崎は図書館に籠りきりになった。ページをめくる速さで読むもの全てが頭に入るのは変わらなかったが、そのページをめくる速さが倍ました。

 川田は街に出る。情報を集めて整理することに勤しんだ。

 琴音は相変わらずである。他人からは見えない真央と一緒に森や林に出かけ、花を摘んだり小鳥たちと歌をうたったり、遠くの山や空を眺めながら光を一杯浴びて過ごす。

 全身を光り輝く輪が覆っているように見えるようになってきていた。


                             第11部 完


第12部


 人には如何とも為しがたいものがある。

 それらはいろんな関わりの中での想念となって現れ、それに捉われると精神を苛まれる。

 外に向ける想念が強ければ攻撃的になり、内に向かえば鬱状態となって、そこから抜け出せないから、それが原因となって長く続いてしまうと「業(ごう)」というものになる。


 人は誰も、今更悔やんでも取り返しがつかないような過ちを犯してしまってもいる。誤った想念や行動は、ある日突然「苦しみ」となって自らの身の上に現れる。

原因となることがあって、因果の法則が働いているということであるから、身に覚えがないといってばかりもいられない。覚えはなくとも、過去世の過ちが今表れたのかも知れないからである。

 しかし、苦しみとして表れたとはいえ、表れたということは消えるということであり、それは消すことのできるチャンスとなりうるのである。

 折角消える為にあらわれたのに、それを新たに掴みなおしてしまうから、業として更に強まり、いつまでも残り続ける苦しみとなってしまう。それに自分では気づけないというのも人である。

 大いなる意思(神様といってもよいかも知れない)は、人間にそんな苦しみをいつまでも負わせ続けるわけがない。

 何故なら、大いなる愛であり大いなる慈としての存在が神だからである。

 ではどうしてその苦しみから抜け出すかということになるが、それがどんなに自分勝手なことなのかとは思わないで、現れたからには必ず消え去ると信じ、先ず自分を許す。

 自分を許すのだから他人も許す。それが公平ということである。そうして自分を愛し人を愛す。以後、愛と誠の言行を為し続けるように努力する。


 日本には昔から「禊」という風習がある。自然に身に付いた知恵なのだと思えてならない。

 知らず知らずに身についてしまった罪穢れを、纏めて浄めてしまうのである。

 更に言えば、他に正月という行事がある。

 過ぎ去った1年間のもろもろを、リセットして、新たに始めるための手続きとして考え出された知恵なのだと思う。

 一年のまが事をチャラにしてしまおうというのだから、随分勝手で都合の良いことではあるが、そうでもしない限り、いつまでも引きずるものが貯まってしまって、身動きが取れなくなる。

 捉われから抜け出すためなのだと思えば、意味が深いことを、長きに亘って培ってきたのである。

 地球上には870万種以上の生物が存在するという。予測によれば、動物が777万種、植物が29万8000種で、これまでに発見・分類されたのは動物が95 万3434種、植物が21万5644種にとどまっている。

 カビやキノコなどの菌類は約61万1000種で、このうち既知のものは4万3271種。ア

メーバー等の原生動物は約3万6400種だと言われるが、海陸に住む生物の全てが判っているわけではない。

 種類は動物の方が多いということになりそうだが、実感としては植物が地上に占める割合は9割を超えているように見える。

 地球上のそれらの生物と鉱物を支配しているのは、どう考えても数パーセント以下に過ぎない人類である。

 動物と人類を分けるものとは何なのだろう。本能だけではないのは確かである。

人は、言語というのを介して、横への広がりを持つことができるし、文字を有していることで、経験したことを次代につなぐ智慧を積み重ねることができる。言語を使うことで思考を可能とするし、意識したことを現実化することもできる。

 それは善なるものとなるべき筈のものであったが、何万年もの時を費やしながら、その理想を現出するまでには至っていない。ともすれば、互いを傷つけ合いもする。

 自分が正しいとしていてばかりで他を受け入れることができなければそうなる。

 論理的に考えて誰もが納得できるような社会を創り出すには、まだまだ脳内の整理ができていないということになる。

 意識が凝り固まった者同士では、共通項を導き出すことができず、いつまでも平行線を辿って争いを繰り返す原因となることに気づこうともしない偏狭さから人が抜け出せないのは、如何なる性というべきなのだろう。

 初めに言葉ありきというが、それがどういうことかを考えたこともなく過ごしてきた。

 人間の関わるこの世界は、言葉が最初にあった。

 どう考えてみてもそうなる。

 言葉というものには文法というものがあることで、単なる唸り声や威嚇のための咆哮やいわゆる擬音語と一線を画す。

 体系だった言葉というものを解する脳内の構造というかOSとも言えるものが、最初から備わっており、それに乗せる言語というソフトを最初に人に教えた存在があったのだと考えないことには、人類というものの説明がつかない。

 それは誰だったのだろう。

 人種あるいは民族の違いにより使用言語に差があるとはいえ、その人種に共通して理解できる言葉を最初に教えたのは誰なのだろうということである。

 更に言えば、他人種の言語であっても、それを習得して使いこなせる能力を保持しているのも人類であることを考え合わせれば、少なくともOSはあった。人以外の動物にはそれがない。

 思考は言葉によってなされ、その思考はすべてこの世に具現化される。

 道徳感とか倫理観というものは後から形成されたように思えるが、それも最初から用意されていたものなのではないのか。

 日本語では、それが「いろは48文字」で表される。音読みすると、奇しくもヨハネ(48音)となる。別段キリスト教に結び付けたいということではない。言語というものは、初から人類に備えられていたのだということだと思えてならないのである。

 呪文というものがある。

 そもそもが、呪文というのは意味が解って唱えるものではないが、言葉というものが全ての始まりであるという認識がないとそれは理解できない。

 言葉を発することで望むことを叶えようとするのである。

 初めに言葉ありきというのは、そういう意味であり、いうなれば神様ごとに入るには理屈ではなく言葉からであって、そこが解らないことには進まない。

 幸せになりたかったら、叶えるために唱える呪文は「宇連志多能志安利可多志(ウレシタノシアリガタシ)」である。良い言葉だけで言祝がなくてはならない。

人の現状は、苦しさであれ楽しさであれ、その人のありように釣り合っているから、縁を得てその人の身に現れる。悪い言葉は、悪い結果を導く。

 現れたらそれによって気づけということであり、気づいたら次にどうするかということになるのだが、不平不満グチを言葉に出して言うなどは、人としてもってのほかのことになる。自らのみにとどまらないで、周りをも巻き込むからである。

 折角現れたことで消え去る機会を得られたというのに、その苦しみを掴みなおしてしまうことで、それが業(ごう)となって自分の周りをまわることになり、更にはもっと深い苦しみとなっていくとしたら、負の言葉は口に出さない方が良いということでもある。

 何故なら、そういう時に吐く言葉には毒があるからである。言葉は現実化する。

悪い想念で悪い言葉を口に出していると、それは全て自分のこととなって降りかかる。


 そういう人達の特徴は、自分のことばかりを言っていて、人の言うことは聞かない。場合によれば身勝手である自分のことを、解かってくれないと言って、関係ない人までを責め立てることすらする。

 不平不満グチ文句ばかり言っている人が居たら、関わり合いを避けた方が良い。そういう人は友達でも何でもないから、離れることに躊躇う必要はない。さもないと、自分の善なるエネルギーを全て奪われることになる。縁なき衆生として見極めるという事である。

 そのときにも唱える呪文も「ウレシタノシアリガタシ」である。縁なき衆生であっても、良い気づきがあらんことを祈るのである。

 言祝ぐ(寿ぐ)とは何か?良い言葉を口に出すということである。

 では良い言葉というのは何かということになるが、それは自分のことばかりではなく、周りとのバランスが取れた言葉ということになる。それは論理的に矛盾のない言葉ということにもなる。


 数馬を取り巻く各所で、優れた才能を発揮する人が増えてきている。彼らの自らの学びの結果であると思われる。

 よく、弟子は師の半芸に至らずということが言われるが、それとは逆に出藍の誉れということも言われる。

 青は藍より出でて藍よりも青し。青色の染料は藍の葉から取るが、もとの色よりも美しくなることから、弟子が先生よりすぐれることにいう。

 それは師を越えたということで、師を疎かにして良いということではない。師があったからこそ、その境地に達することができたということであって、良いものは何時まで経とうが、先人の教えの上に積み重なって培われ伝承されていく。

 縦の繋がりがあってこそ発展できる。

 それと同時に横の繋がりというものもある。

 人は、自分以外すべて師であるという謙虚さがあって成り立っていく。

 即ち、個だけで世界をつくることはできないということである。お陰様とは、そういうことなのであろう。

 さて、人類普遍の幸福とは何であり、どうやってそれを滅びが来る前に達成しようとするのか。

 先に進むに険しいとはいえ、人類が積み重ねてきた知恵は、具現化するためのパーツとしては、もう全て揃ってきているのではなかろうか。

 できることなら、神なるものがなす前に、人が為すべきことをなすことを、大いなる意思は望んでいるに違いないと気づく人が増え続くことが望ましい。

 そのような光の筋が、感じられるようになって来ていた。


                              第12部完


        夏風越の(なつかざこしの)  最終章


 日本の高山の峰々には、その昔何万人もの天狗が棲んでいて、その棲域は人が濫りに足を踏み入れてはならぬとされていた。

 彼らは人智を遙かに超えた能力を駆使することができ、彼らの怒りに触れれば災いを受けることになるとも伝えられて恐れられていた。

 しかしそれとは逆に、人々を護っていてくれる存在でもあるとして崇められてもいた。

 本当に居たかどうかは判らないが、それにしては古来から描かれ伝わってきたその姿が余りにも微細すぎる。現実として見えていた人が居たのかも知れない。

 天狗には「大天狗」「烏天狗」「木の葉天狗」という3つの種族が存在し、それぞれの姿は少しずつ異なる。最も強い力を持つとされている大天狗は、他の天狗よりも体が大きく鼻も長いとされている。

 妖怪として上位に君臨する大天狗は、巨大な鬼や人間に姿を変えることができるとも言われていた。

 主な技としては、「隠れる」「水を渡る」「高く登る・空を飛ぶ」「悪路や峻厳な場所をも高速で歩く・走る」「瞬時にものごとを伝える」などであり、それを見習って行動を磨き、「侵入」「盗聴」など敵地に乗り込む際に必要な能力、「剣術」「矢止め」「針術・火術・手裏剣」など敵との闘いに欠かせない技術として取り入れようとしてきた。

 さらには、これらもその能力とされている人を惑わす「幻術」「人心掌握術」「占術」、「消臭」や「秘毒・秘薬」作りまでの多岐にわたる技を身に着けようとするならば、どれ程の訓練や時間が必要なのか想像を超える。

 鞍馬の天狗と義経の幼少期も、そんな関係であったと類推できる。

 剣の道を志せば、その究めようとするものの先には、超常的な身のこなしなくしてはならなくなることが出てくる。

 天狗昇飛び斬りの術(高く飛びあがって相手を斬り倒す技)であったり、合気遠当てと言われている、相手が動き出そうとした瞬時の先を狙ってタイミングよく声を出すことで、相手の動きを止めてしまうこと、或いは実際に当身をしたように気絶させてしまうような術。

 何らかの事情で刀やそれに類する武器を携えていないとき、振り下ろされる相手の刃を両掌に挟み受けてしまうという無刀取りなどというのもある。

 その実像は、高速で打ち下ろされる刀を、脳天の間際で受け止めるようなものではなく、素早く相手の懐に入って刀を奪い取ってしまうものだとされるが、神域の速さなしになせる業ではない。

 そんなこんなを、真央はどこからともなく読んだり聞いたりしてきて、まだ幼いながら一心に修行する数馬に、語り聞かせるのであった。

 それができるようになりたいと思った数馬もまた、夢か現かわからない世界に入り込んでしまうことがあった。それこそ天狗に会って修行しているかのような時間帯である。

 真央が言ったことが少しでもできるようになると喜んでくれるのが嬉しくて、数馬はいつも真央の側にいた。

 まだ幼いころの思い出である。

 その頃から、人は最初から不可能として諦めるのでなく、できると信じ込んでやり続けると、本当にそれができるようになる世界があるのだと思うように二人してなっていったのであった。要は思い方ということであるが、他の誰が信じなくても、二人だけの秘密であって事足りた。

 現れ方に差があるのは当然である。身体能力として可能になることもあれば、学術や技術や科学としてのそれもあるし、人間関係や社会構造としてのそれもある。

 実現のための適不適はあるにしても、想いもしないことがそうなることはあるまい。如何にして善なるものに結びつく結果とするかということになる。

 数馬が修行する場の傍らにはいつも真央が居て、それを見ていた。

 一休みしたいころになると、すかさずお茶を点ててくれることも常のことであった。

 近辺の地は、朝夕に霧が出る。陽射しも適しているのか茶畑もあって、良質な茶葉も採れる。真央は祖母から茶道を仕込まれていた。

 水は、茶に適した名水がそこかしこから湧出する地であるが、祖母は汲んだ水に天竜川の青石と大門原の畑から出土する縄文土器の破片を沈めたものを使うと、ひときわ茶の味が良くなるということを教えてもいた。

 それもこれもあって、数馬は修行がつらいと思ったことは一度たりともなかった。むしろ、真央の笑顔と、ときどきかけてくる感想は、励みでもあり喜びでもあった。

 数馬は、その想い方の拙さから、かけがえのない真央の命を失わせてしまったのではなかったのか、という観念から抜け出せないでいた。

 真央が光の珠になって常に身の回りに在ることが実感できなかったら、どうなっていたかわからない。

 逃れられない定めを身に負っているのだとの覚悟を促されているということを、実感させられたのでもあった。

 剣の修行に夢中だったころ、裏山の中腹にある人気のない滝の飛沫が懸る足場の悪い場所が集中できるので、いつもそこに足を運んだ。

 一人で居るつもりでいたが、気が付くと、実態があるのかないのか判らない物が現れ、相手をしてくれていた。身についたものは、彼の導きによるものが多かった。一芸に秀でるものはとよくいわれるが、業前が進むにつれ超常的なものも自然にわかるようになっていった。

 鼻が高い異形の者ではなかったが、人であるとも思えなかった。

 しかし、彼らが苦も無くできることは、教えられたらすぐにその通りにできるというわけではない。

 彼らの体の使い方は、拍子というかリズムが違うのである。相手を切り倒すのには、自分の方が速く剣を振れば良いと考えての修行では届かない。

 普通の修行で10行程なさねばできない体の動きを、相手に5行程でなされたら、如何に外からは緩慢に見える動作であっても、スピードでは圧倒的な差で及ばない。

 踏ん張ったり捩じったり蹴ったりすることで起こす動作には力が入っているから、次の動作に移ろうとする筋肉の動きは見透かされて簡単に躱されてしまう。

 それを指摘したのは真央であった。

「ねえ数くん。速く剣を振るために踏ん張りとか捩じりとか矯めというのは必要なの?

相手が振り下ろしてくる剣を上体を捻って躱しても、踏ん張っていることで残っている脚は切られてしまうんじゃないの?」と言ったのである。

「切ることよりも切られないように完全に体を躱すことができたら、相手からは体が消えたように見えるんじゃないの?それでいいんじゃないの?」

 側で見ていて見切ったのだと言える。

 3拍子で動かしていた体を2拍子で動かすようにできれば、スピードは圧倒的に上がる。

 そこから数馬の工夫が始まった。相手をしてくれる天狗のようなものたちの動きも、吸収できるようになった。体に無駄な力を入れないと、素早く動けるのである。

「若くて体力がある者が強いとはいえない」と言われていたことが体得できたということであった。そこに驕りが生じていなかったかとの自戒は今もある。

 数馬は、道場や部活動で修行したことが無いから、他と較べて技量がどれほどのものかということは意識したことがなかった。

 物心がついたころには、人には見えない物が見えていて、数馬には確かに見える物を他人が認識していないということが度々あった。

 母が数馬に言い含めたことがある。

「あなたには見えていることでも、普通の人には見えないことがあるのは、あなたの生まれ持っての能力なの。今はそれを人には言わないようになさい。影が薄い人や、異形の者が見えるのでしょう。でも、人に害を与えるもでなかったら、今はそれらには触れないようにしていなさい。いずれ時が満ちて、果たさねばならない役目を自覚できるときは、きっと来ます」

 それもあったから、母の言に従い一人での修行に明け暮れたのであった。

 真央だけは、数馬と同じ能力を持っていたから、安心していられたのである。


 数馬は、このところ守屋山で巡り合った羽衣を纏った天女のことを度々想い出す。

 そのときの会話は、およそこんな内容であった。

「人は望むものを手に入れる為に力が必要だと思っている。武力や暴力であったり、金力であったり、権力であったりするが、それを手にした途端、その先に何をしようと思っていたのかを忘れる。その先があった筈なのじゃ。何事をか為さんとすれば、何らかの力は必要じゃ。気づけばそれらは誰もが持っている力ではあるが、他を虐げることなくエネルギーを形にすることができるようになるには段階がある。確かに、未開ゆえ誰かが統べて導かねばならぬ時代もあろうが、義として立てた理想であっても時代を継ぐものがそれを自分に都合よく変えてしまうことはよくあること。自分勝手に振る舞うことのみが目的となっている者共には、まだそのような能力は与えられぬ。体の仕組みと同じでどこも大事ではあるが、それぞれに役目というものがある。全部を慮ることができるかどうかじゃ。

 無尽蔵にあるものは、誰も奪い合いはしないものじゃ。それによって争いは起こらぬ。

 この世が物質で成り立っている以上、何かを得ようとすれば対価が必要となるが、豊かであろうとするなら対価以上のものを与えねばならぬ。

 余分に支払うもよし、相手が喜ぶような感謝の気持ちでもよし、付け加えることはあっても決して見合う価値から少しなりとも奪ってはならぬ。そうしてこそより豊かさが増すというのが真理じゃ。奪えば奪われる、与えれば与えられる、教えれば教えられる。

 本来、宇宙にはものを生み出す元となるものは無尽蔵にあるから、かまわず供給しても許されようが、当たり前に手に入るのだと思う者がいるならば、それは許されぬ。手にしたときに畏まることがあってこそ湧き出ずるがごとく現出するようになるのじゃ。物質的にはほどほど発展しつつあれど、肝心の魂が追いついておらぬ。

「星をも砕く力」とは、見切りをつけられたら創り変えることを辞さぬ大いなる意思があるということと知るがよい。さほど猶予はないぞえ。

 前世から200年も経ってはおらぬ。400年はかかる転生が、それほど急を告げているということじゃ。

 此度も共に生きる仲間ができているようなのは喜ばしい。今生は、金力と肉体の快楽を学んでみるか?」

「もそっと近う寄れ」手招きされ誘われたのは、柔らかく眩いばかりの光に包まれた空間であった。光は溢れているがまぶしくはなくて、限りなく心が穏やかにいられる場所であった。


「まず、そなたがわらわの中に入ってきやれ。

神話にいうところの『まぐわい』じゃ。しかる後、わらわがそなたと一体となって国生みをする。何が生まれいずるかはわからぬが、この世に生を受けたら増やすことがつとめ。

 産みの苦しみというが、それは嘘じゃ。途轍もない快感に見舞われよう」

そういいつつ、ハラリと羽衣を足下に落とした。現れた裸身はこの世のものとは思えぬ美しさで、導かれて内に入った数馬は余りの快感に震えた。


 最近の表れ方は、絹の白無垢をきりりと身に纏った姿をしている。

「いろいろ経験して学んだようじゃが、あのときと考え方が少しは変わったか?」

「はい、何事であれ望んで意識すれば、それはすべて実現するということです。それが叶わないのは、自らがブロックしているからなのだと判りました。自らを変えたくないという自我の防御意識がそれを拒んだときには、変化は起こりません。自意識の中に、自分が侵してきたマガ事に忸怩たるものがあれば、猶更です。しかし、大義の為に自分を許し他人を許し自分を愛し他人を愛すということを意識して光に変えてそれを開放すると、内なる真我・内なる神の領域に届いて、何事も実現するようです。この世の善悪とは違う何かがあるようです」

「そうじゃ。内なる神は、外なる宇宙の神の意識と全てつながっているのじゃ。神の許し賜うものは実現するのじゃ。なればこそ、多くの者がそれに気づき、互いが争わずとも必要なものは必要なだけ手に入ると解れば、人たるの道を踏み外すことはなくなろう。さすれば、地球という星が破壊されることもなかろう。思考は現実化する。宇宙に溢れる物質エネルギーが不足することはないと知らしめよ。ひとえに、そなたらの働きにかかっているのだと知れ!」



 これにて筆を置くことにします。

 長きに亘ってお付き合い下さり、誠に有難うございました。


          ==完==


作者:百神井 応身(シャクジイオウシン)

Mail : take@kng2321-cbs.com



童話のページ

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