三毛丸のいる古書店【短篇】
篠槻さなぎ
私と、大切な人との密かな日常。
学校から帰る道すがら。
近くに大きなショッピングモールが立って、古きを重んじる人以外は近寄らない、所謂寂れた商店街を通る。
その一角の古書店、“三毛丸”の前に立つ。
ドアベルを鳴らして扉を開き、ローファーで軋む床を歩く。
奥には背もたれがない簡素なパイプ椅子に背筋をピンと伸ばして座っている、可愛らしいおばあちゃんが座っていた。
仕入れてきたであろう本を優しい手つきで撫でていたが、私が来たことでその手を止める。
「こんにちは!チハおばあちゃん」
「こんにちは、祥子」
笑顔でそう声をかけると、おばあちゃんは皺だらけの顔を一層皺だらけにして柔らかく笑んだ。
そんな挨拶を交わして、私は古書店の埃っぽいが、優しい匂いの空気を胸いっぱいに吸う。
私こと鹿江祥子は、両親が共働きだったため、この古書店をほぼ道楽で経営している祖母の鹿江チハによく預けられていた。
昔から本が大好きだった―――本の虫というヤツだった私は、喜んで祖母の下で本を読んで毎日を過ごしていた。
最初は私の気に入るような絵本を祖母は見繕ってくれて、小学校高学年になる頃には普通の小説を読み始めた。
中学生にもなれば、祖母は特に読む本について何も言わなくなった。
“そういう系の本”をうっかり読んで私が赤面してしまっても、それも本との出会いだと祖母は笑ってその本の下巻を渡してきた。
そんな私も、もう中学三年生。
最近は高校受験を控えていたため、祖母の所には来ていなかったが、先日、狙った高校に無事合格したため、久しぶりに本に浸りに来た。
勿論、祖母には私が無事に高校に受かったと電話でいの一番に報告した。
私は新しく積まれた本を視界に入れつつ、今読破しようとしている本がある棚の前まである木、目当ての本がある場所を見た。
「…あれ?」
ない。“冥界の星”シリーズと呼ばれる二巻がないのだ。慌てて見るともう読んだ筈の一巻も棚に見当たらない。三巻も二冊あった内の一冊が無くなっており、一巻、二巻、三巻と一冊ずつ売れている。
「おばあちゃん!もしかして、私が来ていない間にお客さんが来たの?」
「あー…そういえば美人さんが来たよ、うん」
「美人さんって、もしかして川谷さんのこと?」
「そうそう。速読好きの川谷さん。相変わらず美人だったよ」
あっけらかんと話す祖母に私は苛立ちを覚えて声を荒げる。
「もー!この棚には読んでる最中の本があるから安易に売らないでって言ったでしょう!」
「お前さんよりも客重視さ。ここは古書店。古本を求める者に本を売るのが、この店の本筋だ。それに、欲しい本はきちんと買えと言っているだろう?それなら自分の家に持って帰れるし、私も売れて万々歳。だろう?」
「うぐっ…そう、そうだけど」
お決まりの台詞を言われたら、私は何も言い返せない。
本が無料で大量に読めるのがこの古書店の良いところだが、こういうことがしょっちゅうある。だから頻繁に通っていたのだが、高校受験のせいで思わぬ事態になった。
「うー…。この本、本当に面白かったから続きを楽しみにしてたのに。もう絶版しているよね。結構古いし…」
色褪せた三巻を手に取って表紙を撫でるとため息をつく。
「そんなに読みたいなら無料で取り寄せるよ?なんならシリーズ集めてお前さんに譲ってやろうか?」
それを聞いて、私は目を見開いて、思わず祖母のいる方へと向かった。
どんな顔をしているか気になったからだ。
普段、まったく私のことを甘やかさない祖母が優しいことを言ったので驚いた。
「ど、どうして?いつもは私に譲るなんてしないのに…」
「高校に受かった祝いだよ。お前さんが小学校を卒業した時も、12冊の長編作品を譲ってやっただろう」
私はそっぽを向いて昔のことを話す祖母に満面の笑みを浮かべた。
「嬉しいっ!ありがとう、おばあちゃん!」
レジカウンター越しに祖母を優しく抱きしめると祖母は優しい手つきで頭を撫でてくれた。
「祥子。よくお聞き」
「はいっ」
「本は色々な経験をさせてくれるよ。文字を読むだけで、世界が広がる。この世にないことも、その世界ではあるんだといい意味で錯覚させてくれる。そういう風に、自身の世界を広げなさい。それはお前の人生を豊かにさせてくれるよ」
「はいっ、チハおばあちゃん!」
本が好きだ。何故なら、大切なことを教えてくれるから。
祖母が好きだ。何故なら、生きていくことで重要なことを教えてくれるから。
そして、この古書店が大好きだ。
私が祖母の顔を微笑んで見つめると、後ろでこの古書店の看板猫である三毛丸が座布団に丸まったまま大きな欠伸をした。
三毛丸のいる古書店【短篇】 篠槻さなぎ @sanagi2824
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