第44話 解決、そして旅立ち
剣術模擬場では、学院長を探しに行ったと聞いた。コータは学院長が居そうな場所、学院長室へと向かう。
「正直、学院長室に居なかったらどこにいるか分からんぞ」
もうオーガはいない。だから安全のはず。しかし、何故か胸騒ぎがした。
アストラス先生の身に何かあるような。そんな気がしてやまないのだ。
「先生、大丈夫よね?」
「たぶん」
コータと似たような思いを抱いてのだろう。リゼッタは不安気な声で訊いた。コータがそれに小さく答えたところだ、学院長へと繋がる廊下に出た。
「うぅ」
鼻がひん曲がるような異臭が襲い掛かる。コータは思わず声が洩れ、鼻を抑えた。
「何この臭い」
続いたマレアが声を上げた。鼻を抑えたことによる、鼻詰まりの声が廊下に響く。
「リゼッタ様、気をつけてください」
バニラに至っては柄に手を当て、警戒態勢をとる始末だ。
「この臭いは……死体」
ククッスはそう呟き、周囲に目をやった。するとククッスたちがいる場所より、少し先に何かが転がっているのが分かった。ククッスは死体であるという予想はしているが、何かあっては困るため、抜刀する。剣を構え、すり足で転がる何かに近づいていく。
「やっぱり」
ククッスは剣を戻し、腰を屈める。
「ククッス」
サーニャの呼び掛けにククッスは静かに答える。
「死体です。おそらくオーガに殺られています」
それを聞くや否や、マレアが駆け出した。そして、その死体の元まで行く。死体を覗き込むようにして顔を確認する。
「アストラス先生じゃない」
「よかった。でも、アストラス先生は?」
安堵をこぼしたリゼッタは、眉間に皺を寄せアストラスの行方を案じる。
「行ってみるしかないだろ」
コータは死体を超え、その先にある学院長室の前で足を止める。それからドアを3度ノックする。
「入ります」
そう断りを入れてから、コータは扉を開けた。瞬間、鼻腔には古ぼけた本の匂いが広がる。
部屋の四方を本棚で囲まれた部屋らしいにおいだ。
「先生?」
呼びかけるように声を出し、コータはゆっくりと内部へと侵入していく。だが、そこにはオーガの足跡らしきものはあっても、学院長の姿は見えない。
「いた?」
「いや、いないっぽい」
続いて入ってきたマレアの問いに、コータは率直な感想を述べる。だが、どこか違和感を感じる。
綺麗に整理整頓された本棚に、机。
そんな部屋で、1冊だけ床に落ちている本があった。
「なんだ?」
机の下の、死角になるかならないのかの際どい場所。見つけられたことをラッキーに思い、その本を拾い上げる。
「本ってより冊子ってのが近いか?」
外見こそハードカバーの本かと思ったそれは、手に取ってみると薄くペラペラの冊子のが近い印象を覚えた。そしてその表紙には――
「人体錬成」
と書かれている。
「人体錬成ですって!?」
コータの呟きが耳に入ったのだろう。サーニャは驚き、慌てた様子で声を荒らげる。
「あ、あぁ」
「どうして禁忌の魔法の書物が学院に?」
戸惑いを隠せないサーニャに、リゼッタが机の上から1枚の写真を取り出す。
「そう言えば、学院長って幼い息子さんを亡くされてますよね」
サーニャはリゼッタから写真を受け取る。その写真には、学院長と若い女性、それから屈託のない笑顔を浮かべる幼い少年の姿があった。
「まさか学院長が人体錬成を行ってるっていいたいの?」
叫ぶようにして、マレアはリゼッタに詰め寄る。
「知らないわよ。でも、普通、禁忌の魔法の本なんて持ってないわよ?」
「それもそうだな」
ククッスの重たい声が、学院長室の空気をより一層に重たくする。
「ならオーガたちがここにいたのにも意味があるのかもしれない」
人族を脅かしたいのであれば、こんな学院なんかを襲うよりも王都を直接狙った方が効率がいい。それに、わざわざ潜伏していた意味も分からない。
だが、インタルがこの学院で人体錬成がされていることを知っていたならば。そして、彼に人体錬成を知る意味があったなら。
学院を襲う理由はある――
そう考えたリゼッタは、透視魔法を展開する。
刹那の閃光を経て、瞳に光が宿る。その瞳で、リゼッタは部屋全体を見渡していく。そして気づく。
「隣って部屋あったっけ?」
リゼッタは指をさして呟く。その言葉を受け、バニラが部屋から飛び出し隣を確認する。だが、そこにあるのはただの壁だけ。部屋なんてものは存在しない。
「ないです」
「おかしいわ。確かにこの隣に大きな空洞があるのよ」
「まさかッ」
ククッスは何か思い至ったことがあるのか、驚きの声を洩らし、空洞があると言われた方の本棚に手をかけた。
だが、その本棚は動くことはない。
「何かないのか」
ハリボテと踏んでいたククッスは奥歯を強く噛み締め、言葉を漏らす。
「破壊しかないですね」
バニラは静かにそう言うと、抜刀し構える。
「大事な本とかあるかもなんだぞ!」
今にも剣術を発動しそうなバニラに、ガースが口を開く。しかし、バニラに躊躇いはない。
「この奥に何かあるなら、常に動かすような本はに大事な本はいれないでしょ」
言葉と同時に、バニラは王宮剣術を使う。瞬間、本棚は真っ二つに斬られる。崩れ落ちる本と棚。
その奥からは扉が出現した。
「部屋が……」
誰も知らない秘密の扉。その存在に息をのみ、コータはドアノブに手を当てる。本棚の奥にあったはずなのに、ほこりっぽさを感じないあたり、日常的に使われていた事が分かる。
そのドアノブを回し、ドアを押す。すると蝶番が軋むような音とともに、実験室のような部屋が視界に飛び込んできた。
「ここは……」
中央には手術台のようなものがあり、その上に幼い顔をした女性が横たわっていた。女性はその顔に似合わない大きな胸を持っており、扉が空いたことに希望と驚きを覚えているようだ。
「アストラス先生!!」
その女性こそがコータたちが探していたアストラスだ。アストラスの姿を見るや、駆け出そうとするリゼッタにアストラスは叫ぶ。
「来ちゃだめ!」
「どうして……」
驚きと共に、足を止めるリゼッタ。
「先生、これは一体どういう」
「あらあら、皆さんお揃いで」
アストラスに質問をしようしたククッスの言葉を遮るように、手術服のような衣服に身を包んだ学院長が声を上げた。
そしてその調子のまま、メスのような短剣をこちらに投げつけてくる。
瞬時に抜刀し、ククッスはそれを打ち落とす。
「さすがはクルス先生です」
幾回か手を叩く学院長。
「どうして先生がそのようなことを?」
マレアが静かに訊く。
「あなた達には関係ない話です」
短く、冷たく言い放つと学院長は大量の粉末や水を用意し始める。
そして床に、ある一定の距離を置いてそれらを並べていく。
「魔法陣……?」
「気づかれてしまいましたか」
「まさか!! この部屋は人体錬成の魔法陣が書かれているのか?」
コータは手元にあるペラペラの表紙に人体錬成と書かれた冊子に視線を落として叫んだ。
「そうですよ。それが何か?」
「分かっているのか? 人体錬成は禁忌だ」
サーニャの怒りのこもった言葉に、学院長は視線を合わせることなく答える。
「禁忌だから何なのですか?」
「大罪だと言う認識はあるのですか?」
「さぁね」
ルーストの言葉に両手を仰げ、ひらりと答える。
「どうして生徒が中心に?」
「簡単な話です。人体錬成と言っても、私にできるのはまだ魂を呼び起こすことくらい。だから、彼女には入れ物になってもらうんです」
「入れ物?」
「えぇ、魂の入れ物」
コータにはその意味が分からなかった。魂と人体の関係性など、知る由がない。だが、コータ以外の人は全員理解していた。
魂の入れ物になる、ということは入れ物になった人の人格は失われ、その人でなくなるということを。
「立派な殺人ですよ!」
「関係ないね。息子が戻ってくるならば、誰が死のうが関係ない」
学院長がそう言った瞬間、彼の口から血が吐き出された。
そして、学院長の真下にはククッスがいた。
「お前のような奴は人の上に立つんじゃない」
怒りが堪えきれず、学院長の腹部を貫いている。
「何をしている」
「子どものためかどうかは知らない。だが、禁忌に手を染め、他者の命を奪うような奴は生きてても意味が無いんだよ」
怒気の孕んだ声でそう言い、彼は腹部を貫いた剣を抜き、さらに喉笛をかき切った。
ピューと血が噴き出す。瞬間、彼は指をならそうと試みる。だが、それが成される前にククッスが学院長の腕を切り落とす。
「アンタが指を鳴らして魔法を使うことを知らないとでも?」
痛みと怒りで、人とは思えない形相を浮かべる学院長に、冷めきった目を向けるククッス。刀身に着いた血を薙ぎ払い、鞘の中に戻す。
「お見苦しいところをお見せしました」
「いや、助かった。私たちでは何も出来ていなかった」
主にサーニャに向けて頭を下げるククッス。そんな彼に対して、サーニャは短くそう告げた。
「学院の方はこれから数日間、休講となるだろうな」
サーニャは独り言のように呟く。ククッスは息をしなくなり、その場に崩れ落ちた学院長に目を向けて言う。
「そうですね」
「どうかしたか?」
「私はゴード王の右腕として活躍してきましたが、自分の意思で人を殺めたのははじめてのことで」
「罪になるかもと思っているのか?」
「あはは」
渇いた笑みを浮かべたククッスに、サーニャは静かに告げた。
「ククッスは罪にはならん。私がそのように計らう」
サーニャたちがそんなやり取りをしている間に、コータはアストラスを手術台のようなところから解放した。
「ありがとう」
そう言うアストラスの表情には、驚きが顕著に現れていた。
「大丈夫ですか?」
マレアがアストラスに訊ねる。
「え、えぇ」
力ない言葉で返事をしたアストラス。
「では行きましょうか」
ククッスはアストラスが無事に解放されたのを確認し、そう言う。その言葉に返事をなされることは無い。しかし、誰一人としてその場に残るものはなく、無言のまま部屋を後にした。
* * * *
翌日、学院に残る者はほとんどいなかった。それは昨夜のうちに、事の顛末は全校生徒に通達されたからだ。
長らく続いていた学院と言うこともあり、王家があまりに不干渉だったことに起因し、不穏因子が学院に混ざりこんでしまっていた。今後、このようなことが無いように、王家が干渉することを約束された。そして、学院長の件については箝口令が敷かれた。
事が事である故、大事にする訳にもいかなかったらしい。
近いうちに王家が選んだ者が学院長として送られるらしい。新しい学院長が決まるまで、学院は休講ということになっている。
貴族出身の生徒たちも、第2王女からの通達ということもあってか、文句一つ言うことなくほぼ半日で生徒たちは寮から退去していた。
「あとはこれをお父様に渡してくれれば大丈夫だ」
学院前に止められた馬車。今からそれでエルフ領へと向かうのだ。
向かうのはサーニャ、ルーストそれからコータの3人だ。
3人を見送ろうとするククッスに、サーニャは1枚の紙を手渡した。
「これは?」
「学院長を殺した件について書いてある。これを見せれば、ククッスはお咎めなしだろう」
「ありがとうございます」
その紙をしっかりと受け取ったククッスは、綺麗なお辞儀をして礼を言う。
「こちらこそ助かった。あの時、ククッスが動いていなければ、あの先生がどうなっていたか」
そう言い、サーニャは場所の中へと入ろうとする。その時だ。
「あ、あの!!」
息を荒らげた少女の声が耳朶を打った。
「モモリッタ!?」
その声に、コータは驚きを見せた。1度は魔物化し、オーガに姿を変えた。だが、どうにか姿を人の姿に戻った。しかし昨日は目を覚ますことがなく唯一寮に残っていた。
「どこか言っちゃうの?」
「あぁ」
モモリッタはコータの答えに大きな涙を浮かべた。
「私、コータくんが羨ましかった。貴族でもないのに、とっても強くて」
「別に、そんなんじゃ」
「でもね、今は羨ましいだけじゃない。きっと、追いついて、追い抜いてやるって思ってる」
「そうか」
「だからね、絶対、絶対また会おうね」
「あぁ」
コータは短くそう答え、馬車の中へと入る。
「いいのか?」
「いい」
サーニャの質問にコータは少し震えた声で返した。
「絶対、成功させないとな」
サーニャの言葉とともに動き出した馬車。その後方で、モモリッタが声を上げているのが聞こえた。
彼女の働きはククッスたちから聞いていた。彼女がオーガになりつつある体で、コータたちを救うために学院内を歩き回ってくれたということを。
「モモリッタ、ありがとう!! 絶対、戻ってくるから!」
コータは馬車の窓部分から顔を出し、叫んだ。まだお礼を言っていないことに気づいたから。
「うん! 約束だよ」
それに大きく頷き、コータは顔を馬車の中に戻す。
「絶対、成功させてくださいよ」
そして、涙にまみれた笑顔で、サーニャにそう言ったのだった。
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