第17話 古のハードリアス
今まで着ていたものとは違う。だからと言って、日本で着ていたような制服とも違う。国立キャルメット学院の制服。
綿で作られた紺色のブレザーのようなものを、黒衣のシャツの上に羽織る。そして、先日王城で貰ったマントを装備する。
日本と違い、制服さえ着ていればあとはどんな装備を装着してもいいとなっている。
石造りの学校は、ハリーポッターのあの建物を連想させる。
「行くか……」
黒に白のストライプが入った、スラックスに近しい見た目を持つズボンを履いたコータは、呟きともに国立キャルメット学院へと入った。
王の謁見から数日も経たっていないが、ゴードの根回しにより迅速に転入手続きが済まされたらしい。
「コータくん」
眼前に座るのは、銀髪の男性。メガネをかけたその男性は、真面目そうな印象を受ける。
「なんですか?」
「キミが何故、王の推薦を貰ったのか。それは伝えられていない。だから、私も聞かない」
「ありがとうございます」
エルフとの会談について、口止めはされていない。だが、どうやら言わない方がいい事実らしい。
「そしてキミが王の推薦で入ってきたことは、学院長である私しか知らない。これは王からの命令で、キミも言わないようにお願いしたい」
「分かりました」
「詳しい規則などは暮らしながら覚えてくれ。あとはこれがこの学院の地図になる。東棟を抜けるとその先が学生寮があり、キミはその学生寮の
「304ですね」
確認の意を込め反芻すると、学院長は大きく頷く。
「それでは教室へといこう」
立ち上がった学院長は、背中に手をやり体をぐっと伸ばす。その拍子に背骨が音を立てる。それが気持ちいいのだろう。学院長の表情はかなり穏やかだ。
「お先にどうぞ」
部屋が本棚に囲ってあるような印象を受ける学院長室から出るコータ。廊下には王の間のそれとは比べ物にならないが、それでも赤いカーペットが敷いてある。
「コータくんはC組に配属ですからね」
後から廊下に出た学院長は丁寧な口調でそう告げるや、不意にコータの肩に手を置く。
「な、なんですか?」
新手のセクハラかと思ったコータが上擦った声をあげると、学院長はにこやかな笑顔を浮かべ、指を鳴らした。瞬間、突然の浮遊感に襲われる。足が地につかず、幾らバタバタ暴れようとも無意味とも思われる。
空を飛んでいるような自由な感覚もなく、不快感に苛まれたのも一瞬。視界は晴れ、眼前にはC組と書かれた札がぶら下がる教室の前にいた。
「それじゃあ。あとは頑張って」
学院長は小さく手を振ると、パチン、と指を鳴らした。同時に、学院長の身体は粒子のようなもので包まれ、姿を消した。
「なんだ……あれ?」
理解の出来ない事態に嘆息混じりの言葉を洩らしながらも、コータは教室の中へと足を踏み入れた。
「あぁ、着きましたね」
駆け寄って来たのは大きな丸メガネをかけた胸の大きな、背の小さなスーツのようなものに身を包んだ先生らしき人。
「あんたは?」
「私はアストラスです」
「アストラス。先生か?」
「そうですよ」
間近にやって来ても、コータの胸のあたりまでもないアストラス。顔もかなり幼く見え、10代だと言っても通じると思うが、先生なので恐らく違うだろう。
「じゃあ先生。俺はコータだ」
異世界に来てまで学校に通うとは思っていなかったコータは、今回の状況を正直面倒臭いとしか思っていない。
それゆえぶっきらぼうな態度になっている。
「はい。コータくんですね。とりあえずは空いてる席に座ってください」
あまりにも顔に似合わないスタイルの良さに、コータはこういうのをロリ巨乳というのだろうな、と思いながら視線を生徒が座る方へと向ける。
ドラマで見た大学の講義中のような光景がそこにあった。長机が何段にも何列にもなって並び、生徒達がそこに座っている。
「分かりました」
そう言い、コータは1番後ろの席まで歩いて行き、1番端の席に腰を下ろした。刹那、コータは強い視線を感じた。
──先生、怒ったのか?
ロリ巨乳の先生に視線をやるも、先生は黒板の前に戻るため、生徒には背を向けている。そうしている間にも感じる視線が強くなるのは分かる。
「誰だよ」
あまりに熱い視線のため、コータはその方向を特定できた。斜め前に座っている燃えるような紅色の髪を、ツインテールにまとめた猫目の女子だ。
「これまた面倒臭そうなやつだ」
皆が一様に前を向いている中で、一人だけがコータを見ている。しかも苛立ちを孕んだ瞳で。この先思いやられるな、と呟きながらコータがため息をついたところで、ロリ巨乳の先生が手を叩く。
「はーい、聞いてくださいねー」
甲高い、小学生のような声が上がると紅色の髪の女子生徒は前を向く。
「今日の授業が終わった後、皆さんにはクラス対抗戦に向けてのチーム分けをしてもらいます」
「は?」
いきなり始まった謎展開に、コータが声を洩らすとロリ巨乳の先生は両手を顔の前で合わす。
「コータくんは入学してきたばかりだから、ごめんね。明日から対抗戦2週間前になるの」
「だから対抗戦ってなんだよ……」
「そんなことも知らないとか言うの?」
バンッ、と机を叩くような激しい音とともに、そんな声が耳朶を打った。
「何とか言いなさいよ!」
声を荒らげながら近づいてくる声。その正体は、先程コータに強い視線を送っていた紅髪ツインテールの女子生徒。
「悪いか?」
何故突っかかられるのかわからないコータ。眼前に現れた紅髪ツインテールと視線が交錯する。大きな紅色の双眸がコータを覗く。
透き通るようなキメの細かい肌は若さの象徴だろう。
「悪いわよ! あんた一体なんのためにこの学院に来たわけ?」
「リゼッタさん、その辺に……」
止めに入った先生の言葉を無視して、リゼッタと呼ばれた紅髪ツインテールの女子生徒は視線をコータにぶつける。
「別に、成り行きだ」
あながち間違っていない答えを口にしたコータに、リゼッタは顔を赤らめた。
「こんなふざけたやつ、教室に置いておけないわ!」
リゼッタの言葉に同調する声があちらこちらから飛ぶ。
「無視すればいいだろ?」
日本ではそうだった。完全なる無視をされ、いるのにいないような扱いを受ける奴はいた。
「士気が下がるわ」
「居ないと思え」
リゼッタの言葉にコータは一歩も引き下がることなく、正面から返す。その事がまたリゼッタを逆撫でしているようだ。
端正に整った顔に怒りを滲ませている。
「もう授業が始まりますよぉー」
そこへ困ったようなロリ巨乳先生の声が飛ぶ。それを耳にしたリゼッタは、ぷいっと顔そらす。
「後で覚えておきなさい」
と、妙な台詞を残して席へと戻った。
* * * *
1時間目の授業が始まった。
教科は歴史。この世界の歴史についてだった。
「コータくんははじめてだから、少し復習しながら進めていくよ」
首が長く、七三分けをした片眼鏡をしている先生が微笑みながら、黒板に指をたてた。
チョークなどは持つことなく、代わりに指が黒板を撫でていく。すると、黒板には黄色の文字が浮かび上がる。
「勝手に浮かび上がってる」
「魔法文字よ」
コータの隣に座っていた金髪の女子生徒が口を開いた。
「そうなのか」
「あんた、大変だね」
「そうか?」
金髪の女子生徒は、肘をついたままコータの方に顔を向けた。
綺麗な金色の瞳は薄く開け、どこか蔑むような色が見て取れる。
「ウルシオル・リゼッタ。王都じゃ有名な貴族よ。その相手に喧嘩売るなんて……」
あんな奴が貴族なのか。そんなことを考えながら、コータも視線の先を金髪の女子生徒に向けた。
細い眉をひそめ、声色とは裏腹に楽しそうな雰囲気も出ている。座っているから確実とは言えないが、背格好は恐らく華奢で、セチアたち冒険者とは違うように感じた。
「知るか。あいつが悪い」
コータのバックには王ゴードがいる。正直そこらの貴族などあまり怖くない。
「コータ、だっけ?」
「そうだが」
「あんた、面白いよ。私、マレアよ。よろしく」
「あぁ、よろしく」
自己紹介を終えたところで、先生も黒板に文字を浮かび終えたらしい。視線の先にコータを捉えながら説明を始める。
「今から約1000年前。世界は混沌に満ちていました。あちらこちらで噴き上がる砂塵により、今のように明るい日は訪れることはなかったようです」
そこまで話すと、先生は追加で今度は空中に文字を書く。
「文献はあまり残っていませんが、当時全種族による大戦争が起こっていたらしく、エルフ種、人種、亜人種、魔種、それから精霊種が争っていたらしいです」
ここまで話した先生は、全体を見渡しある質問を口にする。
「種族についての説明を覚えている人はいるかな?」
すっと手が上がる。いの一番に上げた生徒、それはリゼッタだ。
「それではリゼッタくん」
手が上がったことを嬉しそうにした先生は、リゼッタを指名する。それに対して、はい、と返事をし、リゼッタはその場に立ち上がる。
「まず人種は私たちのことです。全てに於いて突出した部分がなく、オールマイティーという部分が特徴です。そして次にエルフ種は、魔法に関しては全種族の中で1番扱いが長けており、長寿であることも有名です」
そこまで言うと、リゼッタは一呼吸置き、再度口を開く。
「そして亜人種は武器を扱う能力に長けています。更に亜人の種類によって長けている能力が違うというのも特徴的ですが、比較的に寿命は短いです。魔種は、一言で言うとモンスターです。寿命という概念はなく、殺害されるまで生き続けることが出来、全ての能力が高いです」
そこまで言うとリゼッタは腰を下ろす。
「素晴らしいです。それでは精霊種、というのを説明できる人はいますか?」
優しい表情を崩すことなく、先生は全体に問い掛ける。だが、誰からも手が上がらず、視線を合わせないために俯いている。
「わからないですか」
少し残念そうではあったが、直ぐに切り替えたようで、先生は口を開く。
「精霊種は既に絶命したと言われています。1000年前の大戦争の終結のために、精霊種全ての力を使ったと言われています。特徴としては小さいこと。外見はエルフ種に似ていますが、精霊種の方が圧倒的に魔法に長けており、精通しています」
ふーん、程度でしか聞いていなかったコータ。だが、小さくエルフ種と似ている、という話にある疑問が浮かんだ。恐る恐る手を上げるコータ。
少し驚いた様子を窺わせながらも、先生はコータを当てる。
同時にリゼッタからの殺気にも似た視線が飛んでくる。
「精霊種は小さい、と言ったな」
「はい、言いましたね」
「具体的にはどれくらいだ?」
コータの質問が先生の考えうる質問の斜め上をいったのだろう。うーん、と唸り声をあげ、人差し指で何度か額をぽんぽんと打つ。
「小さくて80センチほど、大きくても130センチほど、ですね」
答えを聞き、コータの脳裏にはミリの姿が浮かんだ。ミリの戦闘スタイルはほとんどが魔法を使ってのものだった。もしかして精霊種の生き残り?
「そ、そうか」
そう答えると、今度は隣からマレアが話しをしてきた。
「どうかした?」
「いや、別に」
「そう」
何か試すような口ぶりのマレアは、それ以上聞いてくることなく視線を先生に戻した。
それから先生はハードリアスについての説明をした。
大戦争の原因となった魔種を離れ島に追いやり、比較的大きな対立をしていた人種とエルフ種を離した精霊種。その後、力を使い果たした精霊種は絶滅し、各場所に追いやられた種族はその地で文明を築き始めた。
大戦争で力を発揮した勇者を初代王に任命した人種。その名もファニストン=ホソイ・ライゾウ。
「何!?」
初代王の名を聞いたコータは目を丸くし、立ち上がる。
「どうかしましたか?」
──そんなことって有り得るのか?
脳裏に過ぎるある可能性に、コータは二の句を繋げないでいると、先生は不思議そうに小首を傾げ、座るように促す。
「不気味だよ、あんた」
マレアは隣から冷たい視線を浴びせてくる。だが、そんなものも気にならない。何故なら、初代王の名にコータの父の名前があったから──
「細井雷蔵。父さんじゃねぇーよな?」
その独り言は自分でも驚く程に掠れ、割れていた。
その後、王は人種に適応する法を敷き、広大なソソケット森林の中で1番資源が薄い東端を開拓してソソケットの街を作り上げたらしい。
そこまで話したところでチャイムが鳴り、先生は教室を出た。そうなればまた、リゼッタがコータの元にやってくる。
「お前、暇なのか?」
わざわざ休み時間まで絡んでくる意味が分からないコータは、疲れた首を回しながら問う。
「あんた、私が誰だかわかってる?」
「貴族様だろ」
「分かっててそんな態度取れるわけ?」
「まぁな」
1週間ぶりくらいの座学は疲れた、などとリゼッタの会話を意識の端の端で行っているコータは思う。
「リゼッタ様になんという態度を取られるのだ!」
リゼッタの隣から姿を見せたのは、短く切りそろえた若草色の髪を持つ細マッチョ体型の男子生徒だ。
恐らくルーストとかと同じ、側付きだろう。
「誰だよ」
ゴードやルースト曰く、まずは力をつけろとしか言われていない。故に、こんな訳の分からない自尊心の塊のような連中と仲良くする必要は無い。
「リゼッタ様の側付き剣士バニラだ」
──剣士、ね。
視線をバニラと名乗った男の腰にやる。そこには白銀色の柄の中心部に紅の宝玉が埋められている、高そうな剣があった。
「高そうだな」
「貴様の贋作と同じにするな」
コータが腰にさす月の宝刀に視線をくれたバニラは吠える。
「そうだな。そりゃあ悪いことをした」
短くそう告げ、コータは机に突っ伏す。
学業は嫌いだ。まず学校が嫌いだ。日本では行かなければならないから行ったし、あそこには瑞希がいた。モチベーションが違った。
だが、この世界では別に行かなくても良いし、知り合いも居ない。最悪だ。
「次の授業、何か知ってるの?」
「さぁな」
頭上から投げかけられたリゼッタの質問に、コータは突っ伏したまま答える。それが気に食わないらしく、バニラが唸っているのが聞こえた。
──どうせ、隣で顔を真っ赤にして怒ってるんだろうな。
見なくても手に取るようにわかる行動に、口角を緩めた所に再度声が投げかけられた。
「次は剣術基礎です」
「そうか」
「教室はここじゃなくて剣術模擬場」
「どこだ、そこ」
顔を上げるコータに、リゼッタはわかりやすくため息をつく。
「行きますわよ」
コータの質問に答えることなく、リゼッタは歩き出す。
「何だかんだ言って面倒見のいい貴族なんだよね、リゼッタは」
隣でコータとリゼッタたちのやり取りを見ていたらしいマレアは、ニタニタと笑顔を浮かべている。
「そうだな。俺だったら、こんなやつに絶対教えない」
「私もだよ」
そう言うとマレアは立ち上がる。
「教えてあげるよ、剣術模擬場」
「助かる」
短くそう告げ、コータとマレアは二人以外誰もいなくなったC組の教室を出た。
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