第8話 初クエストは鑑定スキルを活かして
──確か俺は……。えっと、領主と言い合いになってそれで……。
思考回路はそこで停止し、コータは苦悶の表情で目を覚ました。
右脚を、左腕を穿たれた瞬間の痛みを脳裏が再生したのだ。
「はぁ……、はぁ……」
頭部に猫耳をつけた女性を手酷く扱う領主イサベルには、思い出しただけでも腹が立つ。
大量の脂汗を額に浮かべたコータは、それを左腕を持ち上げて拭おうとする。
「あれ?」
そこでようやく、今、この瞬間に痛みがないことに気づく。右と左の思い違いか、と考えたコータは右腕に視線をやる。しかし、そのどちらにも穴が穿っていたような形跡はない。
違和感を覚えたコータは、次に脚に目をやる。だが、両脚とも怪我を負っていた様子は見受けられない。
「なんでだ?」
拭えない疑問を口にした所で、コータに新たな疑問が降りかかる。
「確かあの時、俺は市場から外れた場所で倒れたはず……」
あやふやな記憶を辿り、独りごちる。だが、コータがいるのは毎日泊まっている宿屋のベッドよりも弾力があり、寝心地のいいベッドの上にいる。
「俺の記憶が間違ってるのか?」
ここまでも記憶と違う事柄が起こっていれば、それを疑いたくもなるだろう。
しかし、記憶違いだとしてもコータは腑に落ちない。体が穿たれた記憶が、痛みが染み付いてる。それが嘘であったとは到底思えない。
そんな思考を巡らせている時だ。不意に、この部屋の出入口となるであろう一枚の扉がノックされる。
「失礼致します」
凛とした中に優しさが含まれる、耳障りの良い声が扉の向こうから聞こえ、同時に蝶番が軋む音が届いた。
入ってきたのは艶のある銀色の髪を腰のあたりまで伸ばした美女。たわわに育った胸は、歩く度にたゆん、たゆんと揺れている。
「お目覚めになられたようですね」
凛とした声音で、安らぎを与えるように優しく言い放つ。女性は青色の眼を細くして笑う。
「はい。えっと……ここは?」
見慣れない木造建築の建物に、コータは視線を泳がせながら訊く。女性は薄く微笑み、コータの座るベッドの隣にしゃがみこむ。同時に、重そうな胸がたゆんと揺れ思わずコータの視線は吸い込まれそうになる。それをどうにか堪え、コータは視線の先を天井にむける。
「ここはホール宿舎です。どうぞ、こちらを」
聞き覚えのある名前が耳朶を打つ。しかし、それを考える以前に女性から木で作られたコップを渡される。
「水……?」
「そうです」
そう言えば喉が乾いていたな。
今頃になって思い出した喉の渇きに、コータは渡されたコップに入っていた水を一気に飲み干す。
「お代わりはいりますか?」
「いえ、大丈夫です」
コータの答えに、女性は朗らかに微笑み空になったコップを受け取る。
「それでは私は業務の方に戻りますので、何かあれば呼んでください」
女性はそう告げると、立ち上がり部屋を出て行った。
「ホール宿舎って言ってたよな」
一人になったコータは、ぼそっと呟く。もちろん、その呟きに返事などない。
「どこかで聞いた事あるんだよな」
記憶のどこかで引っかかっている。それが何なのかはコータ自身も分かっていない。
わからないことだらけで、気持ちの悪さを覚えるコータ。全身にあったはずの痛みは消え去り、聞き覚えのある宿。
どれほど脳を回転させたところで解答はでず、コータはベッドから立ち上がる。やはり痛みは感じない。
部屋には外を見下ろすように、窓が設置されている。施錠をするための鍵は見受けられないが、一体どのように戸締りをするのだろう、などと考えながらコータは窓を開けることなく外を見下ろす。
見えるのは露店のような武具店や、青果店だ。
「まさか……」
嫌な記憶が蘇る。コータはそれがどうか勘違いであって欲しいという一心で部屋を出る。
扉を開け、部屋を出ると、そこには左右に長く続く廊下があった。左側はかなり奥まで続いているが、最奥には窓があるので行き止まりだとわかる。コータは右側へと歩を進める。規則正しく扉が並んでおり、幾つかの扉の前を通り過ぎたところで階段が視界に入る。 悩むことなく階段を降りていくと、受付と思われるカウンターに、先程部屋を訪れていた銀髪の美女が立っている。
「あら。もう平気なのですか?」
心配の色を器用に滲ませた声音で女性は告げる。
「あぁ、もう大丈夫だ。それよりも、あんた。俺のこと覚えてるか?」
──どうせ覚えてなんて居ないんだろうな。
そんな思いを抱いてたせいだろうか。コータは投げやりに受付嬢に訊く。だが、コータの思いとは裏腹に、受付嬢はニコりと笑顔を浮かべた。
「覚えていますよ。変な紙を出した無一文のお兄さんですよね」
ピクリとも表情を変化させずに、受付嬢は言い放った。
「覚えててあんな態度取れるのかよ」
投げやりとは思えない、しっかりとした態度で、対応で、コータに接していた受付嬢を思い返し、思わず言葉が口をついた。
「はい、取れますよ。それが仕事ですから」
何かおかしいことでもあるのか。そう言わんばかりの受付嬢に、コータは驚きと畏れを感じた。人はこうまで変われるのか、と。
「俺、金ないぞ」
だからこそ、言いたくなった。この言葉を聞いても尚、仕事だと言い張り猫を被り続けることが出来るのかが気になったのだ。
「あら、まだお金のない生活を送っていらしたのですね」
笑顔を崩さず、受付嬢はサラッとコータを嘲る。
「でも、お金のことなら大丈夫ですよ。もうお支払い頂いているので。でないと、ちゃんと対応しませんよ?」
笑顔のまま言われるので、妙に不気味に感じる。だが、これが受付嬢の本来の姿なのだろう。お金に意地が汚いと言うかなんというか……。
「いまお金に意地が汚いとか思いましたね?」
「あ、いえ。そ、そんなこと思ってないですって」
絶妙なタイミングでの言葉に、思わずしどろもどろの返事になる。
「思ってたんですね。まぁ、いいですけど。それから私の名前、教えておきますね。いつまでも受付嬢って思われてるのも癪なので」
この受付嬢はエスパーか何かなのだろうか。コータの心の中を読み、言葉を紡いでくる。
「私の名前はフェリネーヌです。フェリとお呼びください」
フェリはわざとらしく、大きな胸を弾ませる。受付嬢というより、キャバ嬢のような雰囲気さえあるフェリにコータは小さくため息をつく。
「それより、お金は誰が払ってくれたんだ?」
1泊するのに銀貨5枚、と言っていた。正直手元に残っているお金は、転移初日にここに訪れた時よりも少ない。
「それは言えません」
「どうして?」
「言わないように言われてるので」
ここに来て、ようやくフェリの表情が笑顔から崩れる。
「そうか」
コータには、それほど親切にしてもらえるほどの人の知り合いはいない。ライオに限っては、宿屋に任せるのではなく、たぶん自分の家に運んでくれるはず。
なら一体誰が銀貨を払ってまで、コータを宿屋に預けたのだろうか。
「俺に存在をバレたくない……?」
「さぁ、それはどうでしょうか」
コータの独り言に、フェリは同じく独り言のようにボソボソと呟く。
「それと、あと十分程で頂いた料金の休息時間を越えますので、それ以降滞在されるのであれば延長料金を頂くことになりますが……」
フェリはそこで言葉を切り、大丈夫ですか、とコータに目で訴えた。それに対し、コータは大丈夫なわけがない、と目で返事をしてそのままホール宿舎を出た。
「お気をつけて」
フェリは出ていく背中に声をかけ、頭を下げるのだった。
* * * *
「何だよ、あの態度。マジでムカつく! てか、どんだけ金が好きなんだよ」
日はまだ落ちていないが、かなり西に傾き今にも黄昏色が空を支配しそうである。通りには背に籠を背負った者や、クエストから戻ってきたであろう冒険者たちの姿が見受けられる。
「でもあの宿のベッド、すっげぇフカフカしてたな」
コータがこれまで泊まってきた宿との違いを見せつけられたようで、少し苛立ちを覚えるも、しかしそれ以上にベッドの気持ち良さが忘れられない。
「明日、まじで働こ」
足取りはいつもと同じ。毎度お馴染みの壁の薄いコータ御用達の宿屋。いつもと同じように、宿屋に入ると受付には、無愛想な爺さんが立っていた。ホール宿舎は銀髪の見た目は麗しい巨乳の女性が受付をしているにも関わらず、こちらは無愛想な爺さん。
「毎度。銅貨8枚だ」
「わかってるよ」
ロボットのように、毎日毎日同じ台詞を吐く爺さんの前に、コータは有り金全部をたたき出す。
「飯はどうする?」
「いらん」
と言うか食えん。
空腹感はある。しかし、それを満たすだけの金がコータにはないのだ。
気を失っていたとは言え、先程まで眠っていたのだ。コータには眠気の一つも感じられない。だが、ここにいれば奥から聞こえてくる楽しげな声音と、漂う食事の匂いでイライラが止まらないだろう。コータは金の重要性を存分に感じながら、階段を上がり、割り当てられた部屋へと入った。
どうやら部屋は昨日と同じらしい。片付けもしっかりしていないらしく、コータが出したゴミがそのまま残っている。
「仕事しろよ」
そう呟くと同時に、フェリの「仕事ですから」という言葉が脳裏をかすめた。
「あいつ、まじでウザいよな」
そう吐露し、コータはベッドに寝転がった。
「痛てぇ。これが安いところと高いところの違いか」
まだ時間が早いためか、隣の部屋からアダルティーな声は洩れてこない。
──俺の存在ってどうなってるんだろう。
今まで幾度となく考えたが、ここまでしっかりと考えられる状況になったのははじめてだろう。コータは、現代日本から異世界ハードリアスに転移してきたのだ。なら、現代日本にいたはずの細井幸太という人物はどうなったのか、気になるのは普通のことだろう。
──存在が消されたってことはないよな。いや、でもそれじゃなかったら行方不明とかってことか?
1週間も行方不明だと、警察が動き出していることは言うまでもなくわかる。そんな状況にはなって欲しくないと願う反面、自分の存在が残っているならば、その状況以外考えられないと思ってしまう。
「でも、それだけはヤダな」
──東雲さんになんて思われるか分かんないし。
両親のことよりも、先に脳裏を過ぎるのは想い人である東雲瑞希。それは単に、両親のことを忘れたからではない。第2王女サーニャが、瑞希にそっくりでそれがコータの頭に強く残っているからだ。
「スマホも何の役にもたたないな」
ポケットに入れているスマホ。だが、こちらの世界には充電なんてものはなく、1週間も充電していないので、もちろん充電は切れている。
どれほど電源ボタンを長押ししても、画面は真っ暗のまま。
「やっぱりダメか」
どの道電波がないので、意味がないのだがコータは時間を潰す物がないことに落胆する。
──とりあえず、俺は帰る。父さんも母さんも心配してるだろうし、それに東雲さんに思いを伝えるんだ。それにまだ童貞だし。ヤらずに死ねるかっての。
正直、不安や恐怖といった感情が消えた訳ではない。今でも帰れるものなら直ぐに帰りたい。でも、何故自分がこの世界に来たのか、どうして自分でなければならなかったのか。
それがはっきりしないうちは帰れないと、コータは考えていた。
まだまだわからないことだらけだし、この先どれほど長い時間をハードリアスで過ごすことになるか分からない。でも、コータには曲がらない信念があった。
それは
──生きて帰る、だ。
そんなことを考えているうちに、隣の部屋から物音が聞こえだした。
「始まるぞ」
両手を耳にあて、塞ぐようにしながらつぶやく。
コータの声の少し後、
「もぅ、がっつきすぎ」
「我慢できねぇーんだよ」
「いやん。そこ、気持ちいいの」
などと、聞きたくもない台詞が塞ぐ手の隙間をすり抜けて耳に届く。
「だからなんで俺の隣はいつもセックスするんだよ」
部屋運の悪さを嘆きながら、目をつぶっているといつの間にか眠りに落ちていた。
翌日、コータはいつもより少し早い時間に起きることができた。詳しく時間はコータには分からないが、いつもより1時間弱早い。
起きるなり、コータは部屋を飛び出し宿屋を出た。
いつもはダラダラと食事を取ってから出ていくはずのコータが、素早く出て行ったことが驚きだったのだろうか。受付の無愛想な爺さんは、柄になく目を丸くして驚いていた。
「おはようございます」
コータが向かったのは冒険者ギルドだった。金がいる、何をするにもまず金だ。
今、全財産はゼロ。1円の余裕もない。
「あぁ」
短く、無愛想に答えるコータにナナは朝イチとは思えないほど明るい声色で言う。
「どうかなさりましたか?」
「クエストを受けたい」
「そうですか。それではそらちの掲示板の方から、D級クエストをお選びください」
「C級クエストじゃダメなのか?」
「ダメですよ。って、コータさん。ちゃんと規約書読みましたか?」
「よ、読んだ……と思う」
日本に居る時、パソコンで何かをインストールしたり、会員になるための登録をする時など、利用規約は色んな場面で目をしてきた。しかし、そのどれもをしっかり読むなどといった習慣のないコータは、いつも通りに流し読みをしていた。
「じゃあ、言ってみてください」
「あれだろ。クエストの途中放棄は違約金発生。それから暴力、薬物禁止」
「それから?」
「それから……?」
寝起きと言っても過言ではないコータに、ナナはぐいっと詰め寄る。コータは背を反らす。すると、ナナは大きくため息をついた。
「いいですか、これは特別ですからね」
そう前置きをし、ナナは腰に手をやる。
「冒険者にはランク付けがあります。登録したてのD級冒険者から、順番にC級、Bマイナス級、B級、Bプラス級、Aマイナス級、A級、Aプラス級、S級、SS(ダブルエス)級となっています。特に、D、C級を新人、Bがつく級をお持ちの冒険者を中級、Aマイナス級以上は上級冒険者と呼びます」
「俺は登録したてだからD級ってことか」
「そうなりますね。それから普通、クエストは自分の位より一つ上の難易度のクエストまでを受注出来ます。しかし、D級に至っては例外です。超新人ということで、最初から一つ上の級を受けられ、死なれたり、違約金が払えなかったりすると困るので、D級クエストしか受けることができません」
「マジか……」
「マジです」
一日でドサッと稼ごうと思っていたコータにとっては、出鼻をくじかれた気分に陥り、ため息混じりの言葉をこぼす。
「そして今から言うのはもう一つの例外です」
「まだ例外があるのか」
法律などでもよくある、ほにゃららは除く。どこの世でも例外が多すぎる。
「それはパーティを組んだ時です。今のコータさんには関係ないかもですけど、今後のために説明しておきます」
前提を説明してから、ナナは再度口を開く。
「パーティを組んだ際、例えそこにD級冒険者がいたとしてもそのパーティの平均ランクの二つ上までのクエストを受けることができます。平均はD級冒険者を1とし、そこから一つ級が上がる度に1ずつ数字を大きくしていく方法で求めます」
そこまで説明したナナは一呼吸置き、最後に、と指を立てる。
「一応言っておくと、クエストの難易度は上には制限がありますが、下には制限はないので。また詳しいことで分からないことがあれば私に訊ねてください」
思ってた以上に重要な部分を飛ばしていたことに、利用規約をしっかり読むことの大事さを思い知りながら、クエストが貼りだされている掲示板の前に立つ。
右側からD級、C級……と順に並べてあるのでコータは迷わずD級クエストの依頼書を眺めていく。
お使いや、店番など、冒険者というには程遠い依頼書が並べてある。その事に違和感を覚え、そのどれをとっても報酬がかなり少ない。
「現実は甘くないってか」
そう呟き、ため息をついて俯こうとした瞬間だった。掲示板の底辺部に少し年季の入った依頼書があるのが視界に収まった。
「これは……」
しょぼいものだろうな、そう思いながらも視線をやると、そこには他のクエストとは違い、少し冒険者らしさが感じられる内容だった。
報酬も銀貨4枚と、他のクエストと比べても2倍以上高い。
「これしかないだろう」
口角が釣り上がるのが、コータ自身でもわかった。
「ナナさん、俺これにするよ」
「コータさんの初クエストですね。えっと……」
依頼書を取り、ナナに渡す。受け取ったナナは雛鳥が巣立つ様を見るかの如く、嬉しそうな表情で預かった依頼書に目をやる。
だが、それも刹那。ナナの表情は暗いものに変化する。
「どうかした?」
思わずコータが訊ねると、ナナはゆっくりと顔を上げる。
「本当に大丈夫ですか? ヒポリアス草×10の採取は初心者にはかなり高難易度ですよ」
この口ぶり的に、このクエストはD級でもC級よりのものなのだろう。
「大丈夫だと思うけど、先にサンプルか図鑑でヒポなんとか草を見せて欲しい」
そう言うと、ナナは諦めたように溜息をつき受付用のカウンターの下から分厚い図鑑のような物を取り出した。
「知りませんからね、私」
「草が何か分かってたら大丈夫だって」
ナナには根拠のない自信としか思えないだろう。だが、コータには確かな自信があった。
なぜなら鑑定スキルがあるから。それも後ろに【植物】とまでついている、植物特化型の鑑定スキルだ。
クリア出来ないわけが無い。そう思いながら、図鑑に載っているヒポリアス草を見るのだった。
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