第4話 援軍、そしてサーニャの正体とは


 藁にもすがる思いで、コータは声のした方へと向く。そこに居たのは、ライオ共にソソケット森林にやってきたセチアたちだ。

 ゴブリンはコータがセチアたちを見たその瞬間を付くべく、コータとの距離を一気に縮める。そして同時に木槌を振り上げる。

 コータが視線を戻した時には、もう木槌は眼前に迫っていた。

 既に一撃を脳天に喰らっているため、血はかなりの量を流してる。そこへさらにもう一撃が加われば、大量出血で倒れても何らおかしくはない。

 それだけは避けなければならないコータは、両手を頭の上でクロスさせる。

 ゴキっ、という骨に響く音が轟いたのはその直後。間一髪のタイミングで大量出血での死を免れたコータ。だが、危機が去ったわけではない。その背後に控えていたゴブリンが振るった木槌が脇腹へと直撃する。

 音にならない声。肺に入っていた空気が逆流し、口内から空気が零れる。

「ごほっ」

 自然と出た咳に混じり、血の華が大地に咲く。

「トドメダ」

 不敵に微笑んだ木の杖を持ったゴブリンは、そう言うや否や杖を高々と掲げる。

「業火ノ天鱗ヨ、巻キ散ラセ」

 ゴブリンは何かの呪文のようなものを唱える。刹那、コータは頬をなでる風が熱を帯び始めたの感じた。


 湿地帯が近いこの場所ならではの湿っぽさが消え、まるで砂漠地帯にいるかのような乾燥し、熱を帯びた空気。

「コータさんを守って! ウル・シールド」

 後方より届けられた声はルアのものだ。

 コータとの挨拶の時とは比べ物にならない声量で、魔女の帽子から覗く桃色の髪を揺らしながら、手にした杖を振る。


 しかし、コータはそれを確認する前に眼前で起こっている現象に目を奪われた。

 掲げられた木の杖の周りに赤色の熱波が集まり、それらが収束して焔を形成しているのだ。

 その大きさは、人1人は優に呑み込めるほどはあるだろう。

 焔に一瞥をくれ、喜ばしげに微笑み口角を限界にまで釣り上げる。コータに対して挑発しているようにも見える微笑み。だが腕と脇腹の骨は折れ、肩は脱臼、頭からもかなりの血を流したコータはもう限界だった。

 人生初の戦闘が、異世界でゴブリンと本気の命のやり取りをするなんて思ってもいなかったであろうコータ。満身創痍で木の杖が振り下ろされるのを眺める。


 ここまで幾度となく諦めてきた。でも、その度に誰かの手助けや運が味方してくれた。そのおかげでコータはここまで生きてこられた。

 しかし、今回ばかりはそれも難しそうだ。

 サーニャは矢を放つ準備をしてくれてはいるが、焔が放たれるのが先であろう。また、駆けつけてくれたセチアたちも距離が離れすぎている。

 これで何度目かも分からない死の覚悟を抱き、コータは瞳を伏せた。

 1番辛い死に方、それは焼死だという。生きたまま皮膚が爛れていく様を自分で見る。高温の空気を吸い込むことにより、肺を始め体内のあらゆる器官が焼けていく。

 そして最後は炭の如くに成り果てる。


 ──そんなの嫌だ!

 遅まきながらの死の恐怖。何度目だろうと、死は怖い。コータは伏せていた目を開けた。

「えっ……」

 コータは眼前に広がる光景に思わずそんな声を洩らした。

 それもそのはず。体に熱を感じていないコータはまだ焔は自分を襲っていないと思っていた。だが、それは誤った認識であることに気づいたのだ。

「どうなってるんだ?」

 コータの周りを囲む薄水色の、厚さおよそ1ミリ程度の薄い膜がおおっており、それが襲い来る焔を跳ね除けているのだ。魔法などというものがフィクションの中でしかなかった日本にいたコータは、その状況を上手く飲み込めずに言葉が洩れる。

「小癪ナ」

 怒りに満ちたゴブリンの声が耳に障る。瞬間、焔はどこかへ収束し、存在そのものがなかったかのように空気は湿ったそれに戻る。

一閃いっせん 雷刃らいじん

 焦げ臭さはない。だが、コータの周囲の草木は焼け落ちている。その異様な空間に唖然としているコータの耳に、セチアの声が届いた。


 右脚に力を乗せ、腰に下げていた剣の柄に手を当てる。同時に柄に光が走る。バチッと、電気が走ったような音がセチアの耳に届く。恐らく静電気程度の電撃が走ったのだろう。一瞬表情に苦痛を滲ませた。

 だが、セチアは柄から手を離すことなくただ真っ直ぐと杖を振り下ろしたばかりのゴブリンを見つめている。

 刹那と表現しても足りない程の速さで、セチアは抜刀した。剣先は閃光に覆われ、ハッキリと見えない。だが、所々でスパークが弾けているのが見受けられるあたり、剣に電気が纏っていることは推測される。抜かれた剣はそのまま一直線にゴブリンへと向けられる。そして次の瞬間──ゴブリンの体の真ん中に亀裂が入る。亀裂から血が吹き出し、血なまぐささが一気に充満する。

 トドメと言わんばかり、亀裂から電流が流れる。ゴブリンは白目を向き、その場に崩れ落ちた。


 頭を失った木槌を持ったゴブリンたちは、縛りがなくなったためか自由気ままに人に向かう。

 一体はコータへ。一体はサーニャへ。残りの二体はセチアたち、ローズライトのもとへ。


 サーニャはいつでもコータを救うための行動を起こせるように、と構えていた弓を引き、矢を放つ。今回は焔を纏わない、通常の矢。だが、寸分違わずに矢はゴブリンの脳天に突き刺さる。

 ゴブリンはその場に崩れ落ち、動きを止めた。


 ローズライトの面々は、迫り来る二体のゴブリンに対して恐怖を覚えている様子はない。流石は冒険者と言うべきだろう。

 後衛のルアは前へと出ることなく、その場で何かを唱える。中衛のセチアは、剣を右手に盾を左手に持ちゴブリンとの距離を詰めていく。さらに前衛とコータに名乗ったアーロは、長過ぎない槍を振り回しながらもう一体のゴブリンへと詰める。ゴブリンの木槌での攻撃を危なげなく盾で防ぎ、その間にサイドへと回り込む。盾での防御により、一瞬動きを固められたゴブリン。その隙を付き、セチアはゴブリンの首を切り落とす。


 アーロは器用に槍を回し、ゴブリンに接近を躊躇させる。ゴブリンの足が止まった、その瞬間に回転させるために動かしていた手の動きをやめ、槍先をゴブリンに向けて槍を握る。

 短い気合いの入った声とともに、アーロはゴブリンの喉元狙い突きを決める。寸分違わずに決まった攻撃。それに伴い、ヒューヒューと音を立てながら喉元から血が吹き出した。


 あっという間に倒された三体のゴブリン。残すは一体となり、その一体は重症を負ったコータに襲いかかろうとしている。

 振り下ろされる木槌。死から逃れるため、コータはぐっ、と歯を食いしばり脱臼した左肩を庇うよう右方向へと転がる。

 それでも右肩から伝わる衝撃に苦悶の表情を浮かべる。危機一髪で木槌から逃れられたコータは、反撃の一手に出ようと試みる。だが両腕が折れていることもあり、立ち上がることすらままならない。

 尋常ならざる痛みを堪えながらもコータは、立ち上がりゴブリンへと向かう。木槌を振り下ろした反動で動けないゴブリンへとタックルを決める。バランスを失ったゴブリンは数歩後退しながら、尻もちをつく。

 腕が、肩が、頭がジンジンと痛みを訴えてきているのを無視して、コータはよろめき立つ。強く拳を握ることも出来ない。手に武器すらない。そんなコータが周囲を見渡し、目に入ったのは脳天に突き刺さった矢だった。

 ゆらゆらと覚束無い足取りで、矢が刺さり倒れたゴブリンへと歩み寄り、その矢に手をかける。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 悲鳴という言葉ではあまりに優しかった。それほどまでに苦悶に満ちた表情で、喘ぎにも似た絶叫を上げながら、矢を引っこ抜く。

 そして、ゴブリンに向かって走る。

 立ち上がったばかりのゴブリンにはまだ僅かなふらつきがある。しっかりと体勢を整えきれていない、そこを狙いコータは再度体をぶつける。

 全身全霊、全ての力を込めて、ゴブリンと共に血の咲く地面に倒れ込む。

 転移時から着ていた黒衣のジャージには大量の血が染み込んでおり、着ているコータですら異臭を感じるほどだ。

 地面に横たわり、手足をバタバタさせてゴブリンを横目に、コータはあと少しでも刺激が加われば意識が飛んでしまう程の痛みを感じながらも体を起こす。

 目の焦点は合ってないと言えるだろう。覚束無いフラフラとした足取りでバタバタと暴れるゴブリンの前に立つ。

「終わり……だ」

 活力さえ見いだせない、最後の灯火でどうにか絞り出した嗄れた声で放ち、コータはそのまま倒れるようにゴブリンに覆いかぶさった。

「ぐぎゃ」

 短い断末魔がコータの耳に届く。それを最後にゴブリンはピクリとも動かなくなった。


「大丈夫ですか?」

 ゴブリンと抱擁した状態のまま動かないコータに、セチアが心配そうに声をかけた。

「だ、大丈夫です」

 死んではいない。そう伝える為にもコータは必死に言葉を紡いだ。

「嘘です!」

 それがまたセチアを心配させたようだ。顔を真っ赤にしたセチアは、パーティーメンバーに怒るようにコータに言い、ゴブリンから引き離す。本当は自分で立ち上がりたかったが、体が言うことが聞かずにセチアにされるがままになる。

「すいません」

「何言ってるのよ!」

 街を出る時はコータの出自が分からず、訝しんでいたはずなのに、セチアは必死にコータの体を引っ張る。だが、コータはあと数年で成人するということもあり体つきはほぼ一般男性と言っても過言ではない。それを女性が1人で動かすことは難しいことこの上ない。

「アーロ、ルアも手伝って」

 セチアはパーティーメンバーに呼びかけ、どうにかコータをゴブリンから引き離すことに成功する。


 1人で立つこともままならず、セチアにもたれ掛かる様で立つコータ。

 その眼前にはあまりにも悲惨で、惨たらしい光景が広がっていた。

 緑が広がっていたはずのソソケット森林の中央部にある広間。だが今では、一面が血で真っ赤に染め上げられており、あちらこちらにゴブリンの遺体が転がっている。

「すごい光景……」

 戦争をしていた頃はこんな光景が日常だったのだろうか。コータはそんなことを考え、表情を曇らせる。

「あの……」

 そんな思考を巡らせていると、コータの想い人である瑞希と顔立ちも声も瓜二つのサーニャが声をかけてた。

「助けて頂き、誠にありがとうございました」

 背後からの声に振り返ったコータたちに、サーニャは見蕩れてしまうほどに恭しく頭を下げた。

 目には薄らと涙が浮かんでおり、本当に恐怖を覚えていたのだろう、ということが分かる。

「いえ、俺のほうこそ助けて頂きました」

 軋む全身に鞭を打ち、歪な笑顔を浮かべるコータ。もしゴブリンの遺体で足をとめられたとき、フレイムアローが無ければコータは恐らく今ここに立ててないだろう。それを言おうとコータが再度口を開きかけた時、サーニャはかぶりを振った。

「私がお父様の言いつけを守らずに出てきたのが悪いのです。それに、あなたがあの場面で飛び出てきてくれていなれば、それこそ無事ではいられなかったでしょう」

 瑞希の顔で瑞希らしくないことを言うサーニャ。もっと馴れ馴れしく話して、敬語なんてまともに使えないと思っていた瑞希の顔と声で、令嬢のような凛とした姿勢と丁寧な言葉遣いをする。

「そんなこと」

「いえ、わたくしめからも御礼を言わせてください」

「ルースト!」

 サーニャの背後から声を上げたメイド服の女性をサーニャはルーストと呼び、恥ずかしげに顔を赤らめる。

「この度はサーニャ様をお救い頂き誠にありがとうございます」

 サーニャよりも精錬されたお辞儀で謝辞を告げるルースト。視線の先にはコータだけでなく、セチアたちローズライトも入っている。

「そうまで言われると」

 これ以上否定しても、コータ自身が恥ずかしくなるだけだと判断したのだろう。サーニャとルーストの言葉を受け止め、微妙な笑顔を浮かべる。

「ところで、様付けで呼ばれてるあたりすごい位の人だと思うんだけど……」

 幾度もなく様で呼ばれるサーニャを見て、それが当たり前のような表情を浮かべていることに疑問を持ったコータはルーストに視線を向けて訊く。

「あっ。自己紹介をしてなかったわ」

 やってしまった、というサーニャの顔。

 何をやってるのかしら、と今すぐにでも問いただしそうな顔をうかべるルースト。

 バツの悪そうな表情で咳払いをしてから、サーニャは打って変わってキリッとした表情でコータを見る。

「私は人の国の王、ファニストン=アラクシス=ゴードの次女であり、人の国の第2王女でもあるファニストン=アラクシス=サーニャよ」

「「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」」

 どこか誇らしげで、しかし気品と優雅さのある言の葉で告げられた名前は、気品も優雅さもないコータとセチアたちの驚愕の声によってかき消された。

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