第30話

「本当に行くのか?零」


 青色の肌を持つ大男の肩に座った少女が、たんぽぽを風に乗せながら尋ねる。

 聞かれた大男は、少しだけ名残惜しそうな表情を見せてから、足元にあった少女の体躯ぐらいはありそうな岩をいじけたように投げると、


「我ら鬼にもメンツというものがあるからな」


 と短く答えた。

 辺りの木々が風でわさわさと揺れるのに合わせて、少女もぶらぶらと足を揺らす。

 互いにもっと言いたいことがあるはずなのに、それを言ってしまったらお互いの何かが揺らいでしまいそうで、互いに何も言わないまま風の音だけが辺りを支配する。

 それでも少女は鬼の肩からすとんと降りると、高い位置で束ねた髪を翻しながら、


「ま、悪さを止める気になったらいつでも来なよ。また遊ぼうじゃないか」


 と言って笑った。



 一瞬で木の葉のように吹き飛ばされてしまうかと思ったが、意外にもあなたの体は巨大な鉄拳を受け止めていた。

 腕で受け止めているのにも関わらず全身が軋み、足元の地面が有り得ないほどに凹んでいる状態を受け止めていると呼べるのかは疑問であるが。

 頭の先から足元へと突き抜ける衝撃の波が、あなたの体に力を抜けと囁いてくるのを無視するのに必死で、いま自分がどうなっているのかさえ分からない。

 一秒か。十秒か。あるいは既に数分経っているのか。

 あなたの意識が正に消え入ってしまいそうになったその瞬間、あなたは隣にはっきりと誰かの気配を感じて首を傾ける。

 そっとあなたの右手に添えられるように重ねられた手は、やたら白くて、細くて、そして力強くて。

 微笑みを湛えたその横顔は、見たことが無いはずなのに、何故だかどこか懐かしく感じて。


「後継人様ぁーっ!」


 虚ろだったあなたの意識が、聞き慣れた声の叫びで一気に覚醒した。

 ぐっと力を込めた右手が、まるで自分の物ではないかのような力を帯びていくのが分かる。

 そんなあなたを見て、隣に立っていた少女、祖母がしわしわの笑顔をあなたへむけながら、


「もう大丈夫そうだね。じゃ、頑張りなよ」


 と言うと、あなたの手に重ねていた手を離すと、そのままあなたの背中を押した。


「ぬぅっ」


 その勢いがあなたの右手から巨大な拳へと伝わり押し返すと、そのままの勢いで大青鬼の巨体がずしんと尻餅をついた。

 それによって起きた振動で街全体が大きく揺れ、限界まで力を出し切ったあなたの体が膝から崩れ落ちる。

 振動に耐えきれずに倒れているのは周りの鬼達も同じことだったが、あなたには周りの鬼達のように起き上がる力など残っておらず、膝を折った体勢のまま顔だけはなんとか大青鬼の方へ向けた。

 あくまで押し返しただけなので、満身創痍なあなたと違って大青鬼はすぐに立ち上がると、ぶんぶんと頭を振ってからあなたの前に再び立ちはだかった。

 先程の狐と全く同じ状態になっている自分の姿に、あなたは苦笑を浮かべる。やはり祖母の様にはなれないという事だろうか。

 完全に諦めムードで下を向いていたあなたの視界に、二つの影が映り込む。

 並んで立った二つの影は、あなたを守るように両手を広げながらあなたと大青鬼の間を動こうとしない。

 恐怖に揺れる黒髪と迷いに揺れる白髪のコントラストが美しくて、あなたは自分の置かれている状況を忘れてしばし魅入ってしまった。

 守ろうとしていた相手と、守ろうと決めた相手の二人に逆に守られているというのは相変わらず情けない格好だが、今のあなたにはそれを拒む力さえない。

 そんな小さな乱入者を見て大青鬼が、


「く、くく……」


 と小さく笑みを作ってから、


「がーっはっは。まいったまいった」


 空気が揺れるほどに大笑いをしてから、その場で胡座を掻いた。

 面食らうあなた達に、大青鬼は笑みを含んだ顔のまま、


「勝負はワシの負けだ。安心しろ、今度こそは約束を守ろう」


そう言って握り拳を作るとあなたの手を見た。

 拳を受け止めるためにあなたが付き出した手は、確か五本指に開かれていた。

 この状況を見ればどう考えてもあなたが勝ったとは到底思えないが、本人が負けたと言い張るのならば反論する必要もないだろう。

 警戒を解いて地面に手ではなく尻を付けたあなたに、大青鬼は握った拳をそのまま地に立てて頭を下げると、


「煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わん。だが、こいつらのことは許してやって欲しい」


そう願いでた。

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