第5話
その日の夢で、あなたはまた小さな自分を眺めていた。祖母の家の庭でつまらなさそうにボールを蹴っている幼き日のあなた。今思い返せば、小さい頃に同年代の子供と遊んだ試しが無い。よく考えると異常な事だが、当時のあなたはつまらない、としか思っていなかったらしい。
強く蹴ったボールが、てんてんと庭の隅へ転がり茂みへと突っ込む。そんなボールを追って茂みへと向かったあなたの背中側で、ボールがぽんと跳ねた。茂みの方を見ると、誰かがあなたの方を見て笑っている。あなたと同じぐらいの背格好をした、黒い影。……影?
「……後継人様?」
何かを掴もうとするように手を伸ばしながら、あなたは目覚めた。起こしにきたのだろうか、そんなあなたの様子をめいがきょとんとした顔で見ている。伸ばした手をそのまま眉間に当て、あなたはうーんと唸った。先程見た夢の内容を思い出そうとするのだが、まるで靄でもかかったように思考が纏まらない。何か重要な夢のはずだったのだが……。
そんな神妙な顔をしたあなたを見かねたのか、めいが懐からハンカチを取り出しあなたの額に浮かんだ汗を拭きとった。大丈夫ですか?とめいの目が言っている。もう二、三うんうんと唸ってみたあなただったが、これ以上はどうやら無駄なようだ。
めいの頭をぽんと撫で、心配するなと軽い笑みを向ける。それを答えと受け取ったのか、めいはとてとてと襖の方へ向かうと、襖の前で一度振り返り、
「朝食のご用意は既に出来ておりますので、冷めぬうちに居間へどうぞ」
そう言い残して部屋を出て行った。めいに任せっきりなのはいけないな、と思いながらもあなたは大きく欠伸をすると、気の抜けた足取りで庭へと向かう。めい達を待たせてはいけないと、あなたはポンプに手を掛け勢いよく上下させた。ばしゃあと噴き出した水を軽く手で掬い、そのまま顔を洗う。ふと、何かの気配を感じてあなたは庭の隅を見た。だが、そこにあるのはなんの変哲もない茂みだけ。一体なんだったのだろうか?とあなたは首を傾げたが、
「後継人様、水を垂れ流しにしては勿体のうございます!」
背中から聞こえてきた言葉に従い桶を急いで流れの底に持っていく間に、茂みの事はどうでもよくなって忘れてしまった。
「ごちそうさまでした」
めいが手を合わせるのに合わせて、あなたも手を合わせる。朝はパンで済ませる事が多かったので、こうしてしっかりご飯を食べるのはなんだか新鮮だ。そのままめいは先程あなたが顔を洗ったときに流れた水を汲んだ桶の方へ向かった。その姿を見たあなたはすぐその背中を追い、そのまま追い越すと桶をよいしょと持ち上げた。そんなあなたの様子を、目を丸くさせためいが見ている。
「後継人様、一体何を?」
このままではどちらが居候の身なのか分からなくなってしまう、とあなたはそのまま桶を台所へ運ぶ。想像よりも重たく、ふぅと息を吐いてしまったあなたの背中に、心配そうなめいの視線が刺さった。よほど頼りなく思われているのか、その後食器を運ぶ間は当然ながら、食器を棚にしまう所までずっと心配そうな視線を向けていた。最後の一枚をしまった所でめいにパチパチと拍手された時は、流石に苦笑いが出てしまう。容姿で言えばめいが妹のような年齢にしか見えないが、祖母と共に過ごしてきたと言うのだから、実際の年齢はあなたよりゆうに上なのだろう。
とはいえ、めいに悪気があるわけではないと思うがやはり子供扱いはどうにも気に食わない。なんとか炊事ぐらいは覚えて見返したいものである。水の残りを使って洗濯を始めためいを見ながら、あなたはそんなことを思っていた。よくよく考えてみれば洗濯も代わりにやると申し出れば幾分か早く見返してもらえたのだろうが、てきぱきとこなすめいに言葉を挟むのはむしろ邪魔をしてしまうと思い気が引けた。
「……今日は良い天気でございますね。洗濯物もよく乾きそうです」
腕で影を作りながら、天を仰いでめいが言う。あなたもめいに習い天を仰ぐと、はちきれんばかりの日差しが腕の影を伸ばす。こんな日は散歩に出ると気持ちよさそうだ、と思わずあなたが呟いた言葉に、めいが振り返った。少し期待するような、でも迷惑を掛けたくない気持ちの方が勝っている微妙な表情。そんなめいの手を引き、あなたは玄関へと向かう。もしダメだったら?などと言う気持ちは微塵も無く、まるで誰かがお前ならできる、と背を押してくれているような気がして、あなたは走り出した。からんころんと軽快な音を鳴らしながら、めいとあなたはしばらく街を当ても無く走り続けた。
しばらく走った所であなたは立ち止まり、塀にもたれ掛かった。めいも荒い息を吐きながら、膝に手を当てている。相変わらず街は静かだが、何かの視線を確かに感じるので、「人」の気配がないだけで恐らく色々いるのだろう。
「こ、後継人様……一体、どうなさったのですか……?」
めいが上目遣いでこちらを見ているが、どうなさったかと言われても何も考えていないあなたに答えようもなく、どう答えようかと視線を泳がせていると「商店」の文字が目に映った。
買い物が出来る場所が無いか探そうとは思っていたので、丁度良かった。少しめいが不安そうな顔をしていたのが気になったが、あなたはめいを促して中へ入った。
商店の中は祖母の駄菓子屋と比べると若干薄暗く、埃っぽい印象を受けた。と言うより、ここ最近手入れがされていないと言った感じだろうか?こうして品物が並んでいる所を見るに廃業しているわけでは無さそうだが。
「……いらっしゃい」
奥から声がして、ひょろりと背の高い男が現れた。いや、男だろうか、女だろうか……ぼさぼさに乱れた長い髪からはどちらとも判別が付かない。恐らく店主と思われるひょろながは、気の抜けた表情であなたとめいの方を見ると、
「……お、おぉ!」
と歓喜の声をあげて、あなたの方へ走り寄ってきた。あまりに咄嗟の事なので避けることも出来ず、あなたは棒立ちのままひょろながに掴みかかられた。と言っても悪意を持っている様子は無く、あなたの頬を両手で包むようにして顔をまじまじと見つめているだけだったが。
ひょろながはしばらくそうしてあなたを見つめてから、めいの方を向いて、
「死んだなどとはやはり大嘘であったか!こうしてここにいるのだからな!なぁ?」
と嬉々とした言葉を投げた。その言葉にめいはどう返していいのか分からない、と言った感じで俯いた。なるほど、先程の不安そうな表情はこういう事だったのか。祖母の事をここまで好きな人がいてくれた事を少し喜びながら、あなたはゆっくりと口を開いた。
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