10-5 考量する怪人
「了一! いるか!?」
この三日間の繰り返しの中でもはや通いなれてしまった緒方先生の研究室の扉を蹴破らんばかりに踏み込む。
彩芽と接触しろと言ったのは了一だ。彼は、知っていたのか? この事態を、こんな馬鹿げた状況を、俺から聞いただけで予想し得たというのか?
とにかくこの事実を報告し、話を聞きたい。
部屋の中を見回すまでもなく、彼はいつものデスクでコーヒーを飲んでいた。彼は大声をあげて入ってきた俺に落ち着いた様子で応える。
「そんなに大声を上げなくてもわかるよ。この部屋が東京ドームいくつ分もあるように見えるのかい?」
「無駄口はいい! 聞きたいことがある!」
今すぐにでも問い詰めようと、彼のデスクに詰め寄る。だが、彼は俺が話し始めるよりも前に口を開いた。
「その幼馴染と接触したのかい?」
ここまではわかる。昨日、俺は彩芽と会うということで帰り、のちに報告に来るはずだったからだ。
俺がうなずくと、了一はさらに質問を重ねる。
「部屋からなにか見つかったかい?」「いや、部屋には入ってない」「じゃあなにか打ち明けられでもしたかい?」「それは……そうだが、そのことは後だ」「なるほど」
出た質問が否定されるたびに彼は嬉しそうに小さく笑った。まるでそのほうが自分に都合がよいと言わんばかりに。
話が途切れて、彼は胸を膨らませるように息を吸い込んだ。
「ということは――引っ越してきた幼馴染は別人だったのかい?」
「……っ…………やっぱり、お前、それを…………」
知っていたのか。
驚愕し、了一の顔を見つめるしかできない俺に対して、彼はもう俺のことを見てなどいなかった。
俺の友人は心底楽しそうに、今まで見たことのない精悍な笑みを浮かべる。
「なるほど、その軸か。ねじくれたものだ。なんとも僕好みじゃあないか」
ぞわりと生温い怯えが背筋を走る。
俺が話したあれだけの情報で、彼はこの状況を、この可能性に気が付いていたというのか。
いったい彼には、どれだけの世界が見えていて、どんな気持ちで生きているのか。
もう彼との付き合いも短くはないのだけれど、彼の深淵を見つめてしまったようで、その行為に対して称賛よりも気味の悪さが勝った。
デスクから立ち上がりうろうろと歩き回っていたその彼が振り向いて、興奮した瞳で俺を見たとき思わず一歩後ずさりしてしまった俺を誰が責められるというんだ。
「慎。華さんかシビュラさんを呼び出してほしい。たぶん一緒にいるはずだからね」
「あ、ああ。でもなにをするつもりなんだ?」
携帯電話を取り出しながら、彼に尋ねる。
それを聞かなければ呼び出そうにも呼び出しにくい。しかし、あの二人が一緒にとはどこに行っているのだろうか。
了一はいつもどおりもったいぶった口調で答える。
「ブリーフィングだよ。……あるいは謎解き、かな?」
謎解き、だなんてまるで推理小説のような言い回しで、けれど、このふざけた出来事に形を与えるには〝殺人事件〟というのは正しいような気もした。
電話の呼び出し画面を眺める俺の耳に了一の小さなつぶやきが届く。
「さて――」
二人は大学の図書館にいたようで、電話越しに緒方先生から潜めた声で「すぐに戻る」という返事聞いてからそんなに時間も経たずに全員が研究室に揃った。
戻ってきた二人は文字が出力された紙の束と何冊かの本を抱えていて、どうやらなにか調べ物をしていたらしかった。
「慎! 突然来るなんてなにかわかったの?」
シビュラは俺を見るなり小走りで駆け寄ってくる。華奢な身体で重そうな本を抱えているものだから危なっかしくて、俺は彼女の腕からそれらをひょいと取り上げて、問いかけに返答をする。
「ああ。それを了一に話したら、これからどうするかの方針が決められそうだってさ」
二人目の彩芽についてはうまく説明できる気がしなかったので了一に押し付けることにする。というか話してすらいないから、ほとんど嘘だった。
罪悪感に目をそらすと、積まれた紙の束の一番上、そこに書かれた文字が目に入って俺は首を傾げる。
「時間遡行……?」
てっきりシビュラのなにかについて資料を集めに行っていたのかと思ったけれど、集められていたのはタイムスリップだのタイムマシンだのに関するものばかりだった。
しかし、同時にそれを目にした了一の反応は違った。
「やっぱり……華さん、あなたは卓越した人材です」
「え、ああ、ありがとう……」
帰ってくるなり褒められた緒方先生は少々戸惑いながら、妙に照れた様子で目をそらす。
なぜ照れる。
「了一、これも予想していたのか?」
「予想していた、というとアンフェアな感じがするけれどね。正確には可能性には気づいていた、かな」
「それも説明してもらえるのか」
「まあ、追々ね。僕としても、不明瞭な情報で不必要な先入観を与えることは本意ではないのさ。ひとまず、みんな揃ったようだし始めようか」
了一はそう宣言し、俺たちを見回した。
資料の山に埋もれた机の上にさらに今資料の塔を積み上げた緒方先生は集めたペーパーを眺めながら、こちらに目を向けた。
俺の隣に立ったシビュラは緊張した面持ちで、状況を見極めようとするように柔らかく目を眇めた。
了一と相対した俺の脳裏に、彩芽ではないかもしれない彩芽の昨日の声が蘇る。
――私のこと、もっとちゃんと守ってよ――
俺は、彼女を守るべきなのか?
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