1-3 ときめき盗撮


「最近は一層寒くなってきたね。身体の調子はどうだい?」

 目的地に着いた俺たちは、ちょうど総研棟の自動ドアをくぐってきた了一に出迎えられた。

 水谷了一。ぼさぼさの髪をし、いつも顔に笑みを浮かべているいささか胡散臭い男。大仰な実験なんてやらないくせに白衣を羽織った姿は胡散臭さ二割り増しだ。

 惜しいと思うものは作らない俺は基本的に人間関係を最低限に抑えるが、向こうから来るものを拒絶するのは難しい。どういう理由か俺のことを気に入った了一とは高一以来の友人だった。これが美少女だったらラブコメの始まりだったのかもしれないが、実際はオカルトサークルに連れ込まれただけである。

「悪くはないさ。良くもないが……もうそれはいい加減慣れたしな」

「もう三年になるんだったっけね。まあ、悪くないならそれは重畳だ」

 彼は目を細めてにこっと笑う。人付き合いがいいとは言えないこの男だが、たまに見せるこの顔が意外とかわいいと女子の中では評判だとか。

 それから、了一は俺の隣に立つ人物に目を向けた。

「そちらは、シビュラさんで間違いはないですか?」


 彼女がシビュラ、という名を名乗った時点でふっと頭の芯が冷えた。

 どれだけ彼女の容姿が美しかろうと自称超能力者である時点で、きっと自己顕示欲の塊に違いない。それなら、こうして検証されにやってくるときに何らかのトリックを仕掛けていてもおかしくはないはずだ。

 例えば、事前にメンバーのプロフィールを調べておいて、タイミングを見計らって指摘する、とか。インチキ霊能者がやりそうなことだった。

 いくらなんでも『シビュラ』はやりすぎだ。確かに白人顔だけれど、日本語喋ってるし。

 とにかく、そういうトリックややり口なんかは全部専門家に任せることにした。彼らはそのために彼女を呼び寄せたのだから、俺が暴いてしまっては楽しみを奪うことにもなりかねない。

 それからの道中はなにも考えず彼女とのおしゃべりに興じた。そういう懸念事項を頭から抜かせば、美人で、気遣いもできて、笑顔もきれいな彼女と話しながら歩くのは悪いものではなかった。未来の俺が主義主張をかなぐり捨てて彼女に告白してしまうという可能性も否定はできないくらいには。

 そして、目的地にたどり着き、了一に迎えられた。

 了一の質問にもシビュラは「はい、間違いありません」と答えていたから、彼らに対しても『シビュラ』という名で通す気のようだ。

 総研棟に入り、俺たち三人はエレベーターで十一階を目指した。等間隔に扉が並ぶ狭い廊下を進んで、その突き当りの最後の扉が目的地だった。

 我が物顔で先頭を進んでいた了一がどういうわけか俺を振り返って場所を譲る。

「慎、最初に入って」

「なんでだよ」

「すぐにわかるよ」

 言われたとおりにドアノブを回して、扉の隙間から顔を覗かせた瞬間、彼がなぜこんなことをしたのかわかった。

「十七分の遅刻だ。遠野くん」

 部屋に足を踏み入れた途端、ぴしゃりと剣呑な声が飛んでくる。声の方に目を向ければ、そこにはスーツの女性が腕を組んでこちらをにらみつけていた。

「す、すみません。緒方先生」

 反射的に頭が下がる。お叱りの声に対して姿勢が低くなるのは学生の習性だし、それが『先生』と名がつく者ならなおさらだ。

 彼女は緒方華。スーツをビシッとキメているところやそのパリッとした雰囲気は大学の雰囲気とはいささかそぐわない。第一印象では、研究者というよりキャリアウーマンという趣だ。

 しかし彼女は、この研究室の主であり、白波大学大学院数理物質科学研究科の准教授であり、ここで開催されているオカルトサークルの主催者である。

 そう、彼女――緒方華准教授は『超能力』を研究している。

 科学の徒の最先鋒でありながら、テレパシーや念動力やパイロキネシスや透視遠視千里眼をこよなく愛し、その解明をしてやろうと物理学の門の前で彼らを待ち構えるオカルトマニアなのである。ただし、それは本業としての研究ではないらしく、だからこそ、俺や了一が駆り出されているわけだった。なんでも了一と緒方先生は最初ネット掲示板で知り合って意気投合したとか。俺から見る限り、彼らは年齢も性別も違えど我ら同じものを愛でるという固い趣味友の友情で結ばれていた。

 一応言及しておくと、俺にはそういう趣味はない。少し興味があると話したらあれよあれよという間にここで手伝いをすることになっていただけだ。了一は気を遣っているのか、俺がちょっとでも興味を持ったことは次々やらせようとする癖がある。まあ、今回はオタク友達が欲しかっただけかもしれないが……。

「そう委縮することはない。私たちはサークルメンバーみたいなものだし、遅刻に関しては次から気をつければいい」

 柔らかな声音でフォローする先生。言うことは厳しいけれど、基本的には優しい人だ。にらみつけているようにしか見えないのは、ただ目つきが悪いだけである。

「ところで、水谷には会わなかったのか? 迎えに行ったようだったが」

「一緒に来てます。今日のお客様も一緒に」

「ほう?」

 彼女は嬉しそうに声のトーンを上げた。もう本当にこの人超能力大好きだなあ。待ちきれなさそうな先生に気を配った俺は部屋のドアを開け放って、他の二人を招き入れる。先生は入ってきた白髪の女性を見て、小走りに駆け寄った。

「遠いところまでご足労いただき感謝します」

「シビュラです。こちらこそお招きいただきありがとうございます」

 二人の女性はお互いに頭を下げて挨拶をする。それが済むと、了一はコーヒーカップとともにシビュラを部屋の奥の応接スペースに連れて行った。俺も上着を脱ぐとそれに追随し、四人が腰を下ろしたところで緒方先生が口火を切った。

「私は緒方華。しがない研究者で、一応この集まりの主催ということになっています」

「水谷です。どうやらこっちの彼はご存知のようですね?」と彼はこっちを指差す。シビュラの返答の前に先生が反応した。

「遠野くんは知り合いだったのか?」

「いや、途中で会っただけですよ。道に迷っているっていうんで……あれ、それは嘘なんだったっけ」

「嘘?」

 緒方先生は怪訝そうに鋭い目をこちらに向けるが、俺はゴシップ記事を差し出すように真剣味のない仕草で肩をすくめた。

「彼女は未来視で俺と会うことがわかっていたらしいですよ。それなのにわざわざ道に迷ってるって言って接触してきたんです」

「慎、あなた信じていないでしょう」

「俺はもともとこういうのは否定派なんです」

「もう、ひねくれものなんだから」

「さっき会ったのに訳知り顔でなにを言ってるんだ」

「ふふ」

「意味深な笑いでごまかすな!」

 自己紹介もそっちのけでじゃれついてきたのはシビュラの方のはずなのに、なんだか自分があしらわれているような感じを覚える。年はそんなに変わらないと思うのだけれど、妙な包容力で受け止められてしまうのだ。

 歯噛みする俺を見てか見ずか了一は俺と彼女の間に入るように、声を飛ばした。

「未来が見えていたから彼と会うことがわかっていた……それは道もわかっていたということですか?」

 いつの間にか彼も先生もメモ用のB6ノートを携えていた。ここからは本題というわけだ。

「ええ、道もわかっていましたが、彼に案内してもらいました」

「なぜ、そんな回りくどいことを? わかっているなら慎を捕まえずとも普通に来ればよかったんじゃないですか?」

「そうすると、未来が変わってしまうからです」

 彼女の答えに、俺は首を傾げた。

 未来が変わってしまうから行動しない未来視に何の意味があるんだ?

 予想外の答えに了一の動きが止まった。次はどのようなことを質問すればいいのか悩んでいるのだろう。無理もない。すると、緒方先生がバトンタッチする。

「未来が……というとタイムスリップしてきた未来人のようなイメージで問題ありませんか?」

「未来人、というと確かに近いかもしれません。私には未来の私の記憶があります。でもそれは記憶ですから、一本道で、私が違う行動をとるとその未来は訪れません。だから、できるだけその通りにすることにしているのです」

 未来の……記憶?

 その表現が俺の心臓を鷲掴みにした。それはまさに今朝の俺の夢ではないのか? アレは歯抜けで不鮮明ではあるが、間違いなくこのようであるという未来を示したものではなく、今を含めた未来で自分がどのようにしたかという記憶だ。それもどれも彼女に関することばかり。ということはやっぱり彼女が……?

「未来視というよりも未来知だな。その未来は必ずその通りになるのですか?」と緒方先生は手に持ったノートにさらさらと筆を走らせた。

「ええ、私が違う行動をとらなければ。って言っても本当はあそこで慎にこのことを教えるのは食い違う行動なのですけれど。すこし、変わっていたので」

「変わっていた? なにが?」と了一が目聡く言葉尻を捕らえる。

「出会った慎の行動が記憶と違ったのです。手順を間違えるとたまにあります」

「え……!」

 思わず驚きの声が出た。

 あれは彼女にとっても予想外だった? 俺にあの夢を見せたとするならああなるのは予想の範囲内のはずだ。それなのに違ったということは無関係?

 どこか上の空の俺を見て、先生が心配そうにこちらの顔を覗き込む。

「遠野くん、どうかしたか?」

「いや……なんでもないです」

 今どれだけ考えたって意味がない。俺がぐるぐる一人で考えるより、了一や先生が検証するのを待った方がいいに決まっている。そもそも彼女だって今までの自称超能力者と同じようにインチキなのかもしれないんだ。

 そう考えて、彼らの質問タイムが終わるのを待っていると、五分も立たないうちに緒方先生が「これなら用意していたので問題なさそうだ。先に検証をしてしまおう」と言いだしたため、俺たちは実験を行う運びとなった。

 緒方先生が自分のノートパソコンを持ってきて、机の上で開く。

「遠野くんは遅刻してきたから説明をしていないんだったな」

 先生はパソコンを操作しながら俺とシビュラに説明を始めようとする。

 しかし、彼女が実験道具としてパソコンを持ってきたとき、ピンとくるものがあった。

「もしかして、競馬ですか?」

「……なんでわかったんだ?」

 日本で二番目に有名な公営ギャンブルの名前を告げると、ギャンブルなんて触れたことのなさそうな彼女がびっくり顔で画面から顔を上げた。

「いえ……なんとなく」

 そういえば、なんでわかったんだろう。なんとなくこうやって先生がパソコンを開いている情景を見たことがあった気がした。過去に……いや、未来に?

 これも夢の記憶? 夢だったこともあって、記憶は曖昧ではっきりしない。それが過去に会ったことなのかそれともあの奇妙な夢で見たことなのか、それらを分別するのは難しかった。

 でも、少なくとも、今彼女がなにかを見透かすように俺の横顔を見つめていることは確かだった。

 それから先生が説明した実際の実験の内容は以下の通り。

 ・本日九時五十分から行われる第一レースにてシビュラが予想する。

 ・行うのは最も難しい賭け式であり、ひとまず無作為では当てるのは難しいと考える。

 ・事前情報を排除するため、シビュラには番号のみで予想を行ってもらう。

 ・実際に賭けを行うのは緒方先生である。

「先生……まさか……」

 最後の文言を聞いて、俺は邪な大人に訝しみの視線を向けた。 

「な、なにを邪推しているんだ? 神聖な実験で私欲を出すわけがないだろう? 大体君たちでは年齢が足りていないのだから仕方がない」

「でも一番難しいってことはオッズも高いんじゃないですか? 彼女を利用して一儲けしようと」

「それはあくまでランダムで当たる確率を可能な限り排除するための措置であって……」

「緒方さん、当たったらお昼焼肉ね」

 了一の言葉に渋々頷く緒方先生。

 なんだか後ろ暗い取引が成立してしまった。

 その様子を見てシビュラは湯気の立つマグカップを抱えたままくすくすと笑う。その様子は、自己顕示欲のために超能力を騙る自称超能力者とも、俺を混乱に陥れた力の持ち主とも思えないほど眩しくて、腹が立った俺は脇に置いてあったビデオカメラを向けた。

 突然ホームビデオでも撮るようにカメラを向けられて、彼女は恥ずかしそうに慌てた様子で、手のひらで顔を隠した。

「あっ、盗撮ですよ盗撮。大体そんなものどこから取り出したの?」

「俺は実験の記録係だから。盗撮じゃなくて記録」

「私の許可がなかったら盗撮でしょう?」

「そうやって怒った顔作ってるところも撮られてるわけだけど」

「なっ、ちょっと貸してくださいそれ」

 俺の手元にあるビデオカメラを奪い取ろうとテーブルを乗り越えるシビュラ。ひょい、と位置を変えると彼女の手は面白いように空振りして、ガタン! と膝が天板にぶつかって机を揺らした。

 ゴホン! と隣から大きな咳払いが部屋を支配して、空中に身を乗り出したシビュラもビデオカメラを手のひらの上で捧げ持った俺も動きを止める。

「あー、そろそろ始めてもいいかな。もう第一レースが始まるんだ」

「はい……」

「それから、SDも無限じゃないんだから無駄遣いは慎むように」

 俺とシビュラはそろそろと元の位置に戻る。先生に叱られて委縮する小学生のような様子に了一は一人声を殺して笑っていた。

 それから、俺とシビュラのせいで生暖かくなった空気の中で検証実験が開始された。といっても前述のとおり大したことをするわけじゃない。シビュラにメモ用紙を渡して番号を記入させ、その通りの馬券を購入するだけだ。

 彼女は悩む素振りも見せずにさらさらと三つの番号をメモ用紙に書いた。それを見ながら俺たちはインターフェイスに先生が入力していく様子を眺める。馬券の購入手続きを終えると、彼女はオッズの一覧を表示した。

「ええと、三―五―九か。一着を指定して……」

「これじゃないですか? 906.4」

「へえ、緒方さんいくら賭けたんです?」

「最小の百円だが……」

 案外小心者だった緒方先生は最低限しかかけていなかったらしい。無論そう言ったら「実験のためだから当たり前だ」と返ってくるだろう。

 この倍率での配当金は、つまり、これは賭けた金の大体九百倍が返ってくるわけだから――

「九万円!?」

 親から仕送りをもらっている身の上としては思わず叫んでしまうほどの金額であった。なんと言っても百円が九万円になるのだ。途方もない数字と言ってもいい。

「九万……か。それだけあったら家の机を新調してもいいな……」

 実際に賭けた彼女も九万円という数字に目がくらんで、既に捕らぬ狸の皮算用を始めてしまっているようだった。

「始まりましたよ」

 了一だけは冷静に壁にかけられた時計を見上げてレースの開始を告げる。

  どのくらいで競馬のレースが終わるのかはわからなかったが、九万円がかかったギャンブルともなれば気合も入り、俺も先生も固唾を飲んでレースの結果を待った。

 コチコチと時計の秒針が動く音だけが耳に響く。了一も表情には出さなかったが、落ち着かない様子で何度もF5ボタンを押下していた。

 ギャンブルの方に気を取られていたが、これによって彼女が本当に未来視を持っているかがわかることになる。もし、彼女が本当に未来を見ることのできる超能力者だとするなら――

 ある瞬間、その時は来た。

「あ」

 了一が間抜けな声を出してF5を押していた手を止める。俺や先生も画面に張り付くように覗き込んだ。

 そして、見つける。

「本当に当たってる……」

 俺はその時覚えた奇妙な震えを抑えるために立ち上がるしかなかった。テーブルの向こう側でほっと力を緩めているシビュラを見下ろす。

 今まで、超能力者と言えば偽物だった。自己顕示欲のために嘘の能力を騙って、信頼と金を巻き上げるペテン師だと思っていた。でも、違ったのだ。本当に本物も存在した。十六頭立て三連単の確率は0.03%。例え未来視でなかったとしても、そんな二階から針の穴に糸を通すようなことを狙ってできるなら、十分に超能力だろう。

 つまり、彼女は本物の超能力者。

 だったら――彼女であれば、できるかもしれない。

 彼女なら、シビュラなら――俺がいつ死ぬのか、その答えを見つけてくれるかもしれない、そんな一縷の望みを抱いた。

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