1-2 夢の現れと預言の巫女


 人はいつか死ぬ。

 それは百歳になってからの老衰かもしれないし、四十を過ぎたところで健康診断をサボっていたら進行してしまった癌かもしれないし、今から二十分後に交通事故に遭うのかもしれない。

 未来は誰にもわからないし、同様にいつ死ぬのかもわからない。三年前から、俺はそれを強烈に意識するようになって、それから、できるだけ失って惜しいと思うものは作らないようにしてきた。

 いつまで俺という存在があり続けられるのか、それが自分のひとつの大きな関心事だった。


 家を出た俺は近所の大学までの道を歩く。

 といっても俺はまだ高校生でそこに通っているわけではない。

 さっき電話を寄越した了一は言ってしまえばオカルトオタクみたいなもので、『超能力』だとか『超常現象』などの超のつくものが超好きな人物だった。その彼がいつの間にかに俺の通っている高校――白波大学付属高等学校――その上位校である白波大学のとある物理学研究室のなかでオカルトを解明するサークルを作っていて、俺はそのお手伝いというわけだ。

 歩きながら腕時計を見ると、八時五十二分。思ったよりも彩芽に取られていた時間が長かったようで、このままのんびり歩いていくと少々の遅刻と言ったところ。走れない俺にはその少々も如何ともしがたく、失敗したなと自分に舌打ちする。

 気持ちは毛羽立つが、そんなことをしても歩みは早められないわけで、俺は規則的な運動の中でぼんやりと物思いにふけった。

 結局聞きそびれてしまったが、彩芽はどうしてうちの隣に引っ越してきたんだろうか。一人暮らしがしたかったにしてもどういうわけかうちの隣だ。

 あれの親は娘を甘やかし気味だったから、一人暮らししたいと駄々をこねれば許されてもおかしくはないが……。

 曲がり角に差し掛かってもそうやってぼうっとしていたから、俺はその向こうからやってくるものに気がつかなかった。

 どん、と胸に衝撃を受けて、反射的に謝る。

「あっ、すみません」

 そうして謝罪をしたものの、自分と衝突して地面に倒れ伏したそれが人間であるということを俺は認識できなかった。

 最初は、アスファルトの上に白い人型のペンキが敷かれているのかと思った。黒地にただただ真っ白な塊が落ちて、その白さだけが俺の脳に訴えかけられる。それから、二度瞬きをして、ようやくそれが長く艶やかな白髪で白いコートを羽織った小柄な女性であるということを理解する。

 あまりにも異様な容姿と言わざるを得なかった。

 彼女にだけ神様が色を塗り忘れたように、色が抜け落ちた髪。

 なにもかもが透き通っていくんじゃないかと錯覚するほどに、色のない肌。

 触れたら光の粒になって消えてしまいそうだという想像を覚える、希薄な存在感。

 俺も十七年生きてきたから、そんな人間を知識としては知っていた。

 先天性白皮症、白子症、あるいは単純に――アルビノ。

「大丈夫ですか⁉」

 転倒した彼女に駆け寄る。あまりにも儚く見えたものだから、その声には真剣味が差してしまっただろう。礼儀として手を差し出すと、彼女は素直に俺の手のひらを握った。

 雪の枝のような白いまつ毛に縁どられた切れ長の目から一輪の赤が覗いた時、はっと無意識に息を呑む。

 美しい。

 女性に対してそんな感想を持ったのは生まれて初めてだった。クラスの女子がかわいいとかそういうのとは違う。まるで壮大な氷河を眺望するような純粋で大きな感情が全身を打って、俺は彼女から目を離せなかった。

 雪のような白い髪と紅玉と見紛うような赤い瞳が、小柄な体躯と相まって森の奥に隠れ住む妖精のようにすら見え…………白髪と、赤眼?

「えっと、大丈夫ですか?」

 手を握ったまま固まってしまった男を見て、彼女は逆に心配するような声をかけた。いい加減女性の手に触れていたいだけの男だと思われているかもしれない。でも今はそんなことよりも、聞かなければならないことがある。

 彼女を立たせ、逃げられないように手を握ったまま、俺は赤い瞳を見つめた。

「失礼ですが、あなたはこれからどちらへ?」

「……どうして?」

「すみません。でも、必要なことなんです」

 警戒されているのかもしれない。当たり前だ。道端でぶつかった男が突然行き先を尋ねてきたら俺でも警戒する。ストーカーか何かと勘違いされてもおかしくない。

 でも、聞かずにはいられなかった。

 今朝見た夢の女性がのだから。

 夢を詳細まで覚えているわけじゃない。そもそも考え過ぎに決まっている。夢であった出来事が現実になるなんて普段の俺が聞いたら、そりゃ睡眠時間が足りていないんだって笑い飛ばすだろう。

 ただ、あの夢の奇妙な現実感が俺を突き動かした。

 手を握られたままの彼女は、こちらを不審がるような目で見ながら、コートのポケットから一枚の紙を取り出して俺に見せる。

「ここです」

 それは、彼女が行くはずだった場所のメモのようだった。一番上に丁寧な字で書かれた行き先は――白波大学総合研究棟1110。

 それは俺が向かっている場所とだった。

 ぐわん、とめまいでも起こったように目の前が歪む。思わず彼女から手を離して、右目を抑えた。

 現実が崩れていくようだった。

 いつから俺は超能力者になった? 学園都市で頭の開発でもされたってか? 夢で起きたことが現実になるなんてそれは〝未来視〟とでもいえばいいのか?

 あり得ない。

 嘘だ。

 そんな風に考えることは簡単だ。実際、俺はたった今まで超能力なんてすべて注目と金を集めるための嘘っぱちだとしか思ってなかった。わざわざ超能力者を名乗るやつには少し興味があったが、それは超能力を信じていなかったからこそだ。

 葛藤している俺を不思議に思ったのか、彼女は首を傾げた。

「その場所知ってるんですか?」

「ああ」

 今から行こうとしていた場所なんだからな。

 ぶっきらぼうな答えを聞くと彼女は俺の左手にあるメモ書きをつつき、にこっと微笑んだ。

「実は今道に迷っていて……代わりと言ってはなんですが、連れて行ってもらえませんか?」


 自分も同じ場所に向かうところだったということを話すと、俺と白髪の彼女は一緒に目的地まで向かうことになった。

 あの夢でも確か、こうだったような気がする。

 出会った彼女とたまたま目的地が同じで、連れ立って大学に向かう。その道中で打ち解けて連絡先を交換して、しばらくこっちで宿を取っているということだったから、デートに誘うのだ。

 すでに並んで歩いている時点でこの未来視は一部実現してしまっている。

 これは偶然なのだろうか?

 ちらりと彼女の端正な横顔を覗き見た。もしかしたら彼女がなにかを仕組んでいるとか……? いや、そんなことをする理由がないし、そもそもどうやって夢を操作するっていうんだ。

 思考が行き詰ってしまって、無意味な考えがぐるぐるとし始めた頃、彼女は無邪気に話しかけてきた。

「研究室に行くってことは、あなたはそこの研究員なの?」

 いつの間にか口調も砕けたようになっている。容姿からなんとなく近づきがたいような感じがしていたけれど、案外人懐こいタイプなのかもしれない。

「いや、俺は高校生だ。一応付属校だけど大学とは関係ない」

「高校生? じゃあどうして研究室に?」

「……えっと、友人がそこで手伝いを」

 ややこしい状況なので説明に窮した俺は適当に誤魔化す。どっちにしろ、行けばわかることだ。

 彼女は「優秀なお友達なのね」と納得していた。それも間違っているわけじゃない。彼は間違いなく(お勉強に関しても)優秀だった。

「あ……!」

 そこで一つ思いつく。

 俺が聞いたところによると、今日は「お客が来る」ということだった。今までの経験からすると、この場合のお客というのは十中八九〝自称〟超能力者のことだ。

 そして、彼女はそこへ招かれて、迷っているのだという。

 ということは、彼女が――〝自称〟超能力者……?

「ちょ、ちょっと待って。一つ聞いていい?」

「ええ、どうぞ」

「その……もし間違いでも気を悪くしないで欲しいんだが……もしかして君が、今日の超能力者なのか?」

 突然の質問に、彼女は悪戯がばれた童女のようにはにかむ。

 型作られた表情は一目見た時の超然とした印象とまったく食い違っていて、たった一瞬の間に俺の鼓動を鳴らすのには十分な衝撃だった。

 それから、彼女は耳障りのいいトーンで質問に答えた。

「そんな仰々しい言い方で言われるとちょっと恥ずかしいんだけれど、一応、今日はそういう肩書であなたのところに呼ばれているのは確かね」

 まさか彼女がその能力で俺を……?

 待て、そもそも超能力なんてあるわけがない。この世の物理法則がそんな素人の手編みセーターみたいに穴だらけなんだとしたら俺はこんなにのだから。

 得体のしれない緊張に鼓動を速めた胸を抑える。

「君のは……どういう力なんだ?」

 俺がさらに詳細を尋ねると、片田舎で道案内を探していた白髪の妖精はにっこりと笑って答えた。

「〝未来視〟」

「……え?」

「だから、本当はこうしてあなたに出会うことは知っていたの。遠野慎くん」

 俺はまだ名前を名乗ってなんかいない。

 それにも関わらず、彼女は俺の名前を呼んだ。

 本当に超能力者なのか? しかも〝未来視〟なんて偶然の一致はなんだ? 俺は一体なにに巻き込まれている?

 もしもこれがすべて偶然の一致だとするなら、それは運命というべきだ。

「ごめんなさい。私だけ名前を知ってるのは失礼かもしれないわね。私の名前は――シビュラっていうの」

 彼女が名乗ったのは、古代地中海世界に伝わる預言者の名前だった。

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