第6話 休み明け

 怠惰な春休みも明け、5セメスターが始まった。といっても、法学部の専門科目は基本的に全て選択必修であり、しかもほとんどの講義で出席をとらないのだから、その気になれば春休みを延長させることもできる。が、一回目の講義では成績の評価方法や授業のスケジュール、教科書や参考書(教授が良し悪しを論評してくれて割とタメになる)、さらには役に立つシンクタンクや官公庁のHPなどを教えてくれるため、初回に参加するのとしないのとでは、気合の入り方が違ってくる。

 以上のような観点から、俺は初回受講を欠かさず行っている。逆に言えば、それ以降は行ったり行かなかったりしている。

 ちなみに、この大学では一年度を二つに分け、一年生の前半は1セメスター、後半は2セメスター、二年生の前半は3セメスターと呼称する。どうでもいい。一個下の代からはクオーター制も導入されたらしいが、これもどうでもいい。

 俺は月曜の2限の講義が早く終わったのをこれ幸いと、早めの昼食を摂りに学食に来ていた。

 まだ人はまばらである。普段の昼休みだとものすごい喧騒なのだが、やはり静かなところで食べるのが一番だ。

 俺は贅沢に四人掛けの席を占領し、まったりとラーメンを啜っていた。背油醤油ラーメン大盛り492円。学生的には地味に高い。おまけに胡椒をこれでもかとばかりにかけたが、そもそもが辛くないのか、ピリッとしたあの刺激はいつまで待っても舌を襲わない。

 物足りない……。

 そんなことをブツブツ言っていると、横合いから声をかけられる。


「あ、尾崎」

「……丹波たんばか」


 顔を向けた先にいたのは、法学部三年生の丹波愛たんばあい。長い茶髪を後ろで一本に縛り、相変わらず暴力的なまでに豊かな胸が、薄手のシャツの下から自己主張している。不埒な胸だ。


「久しぶり」

「元気してた?」

「まあな。おかげさまで」

「春休みどっか行ったの?」

「別に……バイトして帰省して、それだけかな」

「うわ、尾崎っぽーい」

「はっ倒すぞ。そう言うお前はどうなんだ」

「私はねー……京都に行ってきました!」


 と言いながらスマホを操作し、俺に画面を見せた。そこに映っていたのは、これでもかとばかりに撮影された写真群。金閣きんかく銀閣ぎんかく伏見稲荷ふしみいなりの千本鳥居や龍安寺りょうあんじの庭園などを背景に、いかにも楽しげに笑う男女が映っている。


「ゼミの人?」

「そ。行動力ある人が企画してくれたんだ」


 法学部では、ゼミに入る義務はないが、やろうと思えば二年生から入れるものも存在する。丹波はそこに所属していた、というわけだ。そしてこうして旅行に行っている。なんとも大学生活を満喫しているのである。


「相変わらず楽しそうだな」

「そりゃそうじゃん。大学生活は4年しかないんだし、楽しまなきゃ損損っ」

「お前の中ではそうなんだろうな」

「何よ、自分がエンジョイできてないからって」

「馬鹿言え、俺はしっかり満喫している。このモラトリアムを生かして、小説読んだりアニメを観たりしている」

「それって楽しんでるの……?」

「あなたにはわからないでしょうね」


 と、どこかの議員めいたセリフを吐く。


「じゃあさ、今度二人でどっか行こうよ」

「お前が全部企画してくれるならいいよ」

「丸投げって……まあいいや。日帰りでいい?」

「お気に召すまま」

「そこは『お気になさらず』じゃないの?」

「知らん」


 本当に知らん。多分どっちも違う。


「そっか。日帰りなら山形か岩手かなー」


 早くも楽しそうに、丹波は計画を立てている。本当にアウトドアな人間だ。俺とは正反対。岩手なら遠野に行ってみたいなー、河童釣りたいし、とも思うが、口には出さない。一任すると言った以上、彼女の提案に口をはさむべきではないだろう。

 そんな雑談をしながらラーメンを啜っていると、俺のスマホがブブッと振動する。暗い画面が一転して、LINEのメッセージの通知を伝える画面になる。そこには「松川彩音」という名前とともに、


『突然すみません、授業のことで相談したいことがあるのですが、今お時間ありますか?』


 という文言が浮かんでいた。俺は左手でパパっと操作して、


『いいよ。今南キャンパスの学食にいる。場所分かる?』


 南キャンパスとは川内南かわうちみなみキャンパスのことだ。文学部、教育学部、経済学部、法学部の学部と研究科が入っている。北キャンパスはいわゆる一般教養科目の講義が行われる場所で、全学部の一年生は大抵ここで授業を受ける。多分松川もいるはずだ。


『はい、わかります。今からお伺いします』


「やけに丁寧な文体だな……」


 几帳面な性格が滲み出ている。


「どしたの?」

「いや、なんでもない。後輩からのお悩み相談」

「へー、尾崎にも後輩っているんだ」

「馬鹿にするなよ」


 どうしてこう、どいつもこいつも俺を軽んじるんだ。




「お疲れ様です……そちらの方は?」


 松川は時を置かずに来た。黒のズボンに水色のワイシャツという装いで、この前見たスーツ姿とはまた違った趣がある。美人だから何を着ても映えるのだろう。


「こちらは丹波愛。同じ法学部の三年生だ。お前の先輩ってことになるな」

「はじめまして、えっと――」

「あ、松川彩音まつかわあやねと申します。よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそよろしく」


 丁寧に頭を下げる松川を、興味深そうに見下ろすと、「へえ」と笑って、


「なんだ、あんたの後輩っていうから変な子かと思ってたけど、すごく礼儀正しい子じゃんね」

「だからなんで俺をいちいち小ばかにするんだ?」

「日頃の行いよ」


 何かした覚えはない。あるいは、何もしていないからかもしれない。


「で、時間割がどうしたんだって?」

「ああ、そのことなんですけど――」


 そう言うと、トートバッグから学部のシラバス、全学教育科目の時間割を取り出して、テーブルの上に並べた。食堂ではマナー違反かもしれないが、他の学生も遠慮なくやっていることである。


「教養も専門もなにを履修すればいいのか分からなくて……」

「ああ……」


 一年生は必ず、学部の専門科目と一般教養科目を受けなければならない。しかも時間割はそれぞれ独自に決められているから、同じコマに受けたい講義が重なることもある。それに、授業の種類が豊富な分教授も多く、当たり外れもあるので、先輩に頼る学生もいる。新入生向けの時間割決め講座を開いて勧誘をするサークルもあるくらいだ。まあ、松川はそういうイベントには及び腰なのだろう。俺もそうだった。


「まず、専門は履修できるものは全部登録した方がいいな。1セメスターでは何が開講されるんだ?」

「憲法1と民事法入門、刑事法入門、司法制度論です」

「全部これからの講義にも役立つから受けた方がいい」

「分かりました」


 几帳面にメモを取っている。


「教養は――」


 と、俺が受講した中でも簡単だった――いわゆる楽単の講義を教えていく。


「……とまあこんくらいだな。丹波はどうだった?」

「私? まあだいたい尾崎と同じ講義とってたから、あんまりおすすめできるのはないかな。けど哲学とか人文系は評価緩めのが多かった気がするから、そこを狙うのもいいけど」

「なるほど……って、先輩方はそんなに最初からのつきあいなんですか?」

「ああ、まあな」

「お二人って正反対だと思うんですけど、どうやってお知り合いになったんですか?」


 暗に馬鹿にされている気もするが、被害妄想としておく。


「まあ、別に大したことではないんだが。……入学式が終わって、俺は可愛い女の子を探してウロウロしていた」

「ちょっと引きます……」

「だよねー」

「静かに。で、そしたらいきなり後ろから声をかけられたんだ。『何をしてるんですか?』って。で、『可愛い女の子を探してるんです』って言いながら振り返ったら、そこに立ってたのがこいつだったってわけだ」

「そっ。そういうこと。なんのドラマもないよね」

「はあ……」


 本当に大した話ではなかった。『可愛い女の子を探してるんです』と言ったのはギャグのつもりだったが、彼女にはドン引きされた。


「それで、お二人は付き合ってるんですか?」

「え? いやまさか。私とこいつが付き合ってるわけないじゃん」

「そうだぞ」

「そうなのですか……」


 松川は心なしか失望したような顔を浮かべた。色恋には興味なさそうだったのに、ちょっと意外だった。


「だってこいつ、女子に全然興味ないんだよ?」

「え、そうなんですか?」

「誤解を招く言い方をするな。めちゃくちゃ興味はあるんだよ」

「ああ、はい」


 まあ、興味はあるだけで行動に移せないヘタレなだけだが。


「で、時間割は決まったか?」

「はい、お二方のアドバイスを参考にしました」


 そう言って時間割を見せられる。


「おー、いいんじゃない? もっと取ってもいいと思うけど」

「それはお前がそうだったからだろう」


 横からツッコミを入れる。半年で30単位はとりすぎだと思う。しかしもっと恐ろしいのは、そんな時間割にする一年生がそこそこいるという事実だった。


「尾崎先輩はこれくらいでしたか?」

「ん? いや、俺はもっと少なかったな。20単位くらい」

「え、それでよく学生生活送ってきたわね……」

「いいだろ。実際ここまで順調なんだし」


 俺は卒業要件まで残すところあと30単位。極めて順風満帆である。単位も落としていない。真面目な学生なので。


「まあ、25単位なら順当だろう」

「そうね」

「そうですか――ありがとうございます、これでとりあえず今週は受けてみます」

「頑張れよ」

「ありがとうございます」


 新入生の役に立てたということで、俺の中にも達成感や嬉しさが生まれた。


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