第4話
「だからご無理をなさるなと申しあげましたのに」
オーウェンは目を上げると、レイラとシルヴィアに向かって言った。
「事態は急を要します。姫君方、殿下のおそばに」
「なにをするつもり?」
「瞬間移動の魔法を使います」
「あなた以外にも、兵士がここに?」
レイラの問いに、オーウェンは肩をすくめた。
「隠密行動の基本は、少数精鋭です。これくらいの任務は、私一人で十分です」
「それならオーウェン・メイスフィールド、瞬間移動魔法は、一人につき一人だという基本をお忘れなの?」
「お言葉ですが、それはあくまで基本だということですよ、レイラ嬢」
オーウェンが鋭く口笛を吹くと、両手にはカスタネットが現れた。
「私一人で、この場の全員を運ぶことくらい、造作のないことです。まあ、楽器とダンスで魔法の効力を増加はさせますが」
「ウィルには私たちが必要だからって、強がりを言うのはおやめなさい。魔力の枯渇で死んでしまうわよ!」
オーウェンは、レイラに向かって片目をつむり、唇に人差し指を当てた。
「お静かに。せっかく眠らせた兵士たちが目を覚ますと、面倒なことになります。さあ、申し上げた通りに」
疑いながら、レイラとシルヴィアがウィルのそば近くによると、オーウェンは大きく息を吸いこみ、夜のしじまにむかってするどく両手のカスタネットを鳴らした。
そうして、ウィルを中心として、線の鋭い踊りを踊り始めた。
陸橋を渡つて行かう
黒くうづまく下水のやうに
もつれる軌道のの高架をふんで
はるかな落日の部落へ出よう。
かしこを高く
天路を翔けさる鳥のやうに
ひとつの架橋を超えて跳躍しよう。
オーウェンの歌の節々で、カスタネットの鳴りと舞いの踏み足によって、リズムとテンポが補強される。そして、オーウェンの歌は朗々と響き、それだけでも闇に沈んだ草の海と夜空の狭間まで届いていきそうなほどだった。
レイラとシルヴィアは、背筋がぞわりとするとともに、髪の毛がざわめき立つのを感じた。そうして、急に目の前が絵の具の絵に水をかけたように、溶け去っていくのを感じた。
くるくると回りだす視界。レイラとシルヴィアは、遠心力に吹き飛ばされそうになり、お互いの身体を強く抱き合った。
しかし、それは一瞬のことで、気が付くと、見慣れた静寂の中にいた。
そこは、王宮の中でも、後宮の大広間だった。目の前の階段を上れば、すぐにウィルの部屋がある。
いきなり現れたレイラとシルヴィア、そしてウィルに、夜の見張りの兵はちらとも視線を動かさなかった。事情は聞き知っているということだろう。
「……まさか本当に一人で、四人も運んでしまうなんて。単純計算で、人の四倍の魔力よ?」
「馬鹿げてるわ!」
「さあさあ、一刻も早く殿下を寝台にお連れしなければ。今夜は夜通し、歌っていただきますよ、姫君方。あれだけの冒険をなさったのですから、これくらいのことはして頂かないと」
オーウェンは、レイラとシルヴィアの言葉に得意げな様子も見せず、既にぐったりとして動かないウィルを抱き上げると、さっさと階段を上っていってしまった。
オーウェンは、ウィルを寝台へ運ぶと、優雅に一礼をして、さっさと部屋から出て行ってしまった。きっと、国王に報告に行くのだろう。
慣れた場所に戻ってくると、今日一日の疲れがどっと身体に襲い掛かってきた。レイラとシルヴィアは、すぐにでも自分の寝室に戻って、布団をかぶって眠ってしまいたい気分だったが、目の前で青ざめた顔をしているウィルを放っていくわけにはいかなかった。
レイラとシルヴィアはいつものように歌を歌い始めた。外に出てみて初めてわかることだったが、いつもと違う場所にいると、その場の波長に合う音を探るのに時間がかかり、一方でいまの慣れた場所だとずっとたやすく音を見つけられることに気が付いた。
レイラとシルヴィアは目を合わせて、お互いに、歌いやすい、と思っていることを実感した。他の人を起こしてはいけないとは思いつつ声をひそめていたが、これだけやすやすと歌声を伸ばせる空間にいると、つい歌声が大きくなった。
すると、みるみるうちにウィルの顔色がよくなった。それと同時に呼吸も落ち着いた。と思ったら、いきなり飛び起きて、レイラとシルヴィアを驚かせた。
深夜の王宮の一角で、可愛らしい悲鳴が二つあがる。
「なにするのよ、ウィル!」
「驚かせないでよ!」
ウィルは、二人の抗議をばっさりと無視した。
「もう一度歌って!」
「なによ、元気になったのなら、さっさと眠るわよ」
「そうよそうよ、私たちくたくたなんだから」
「いや、お願いだよ……」
言うなり、ウィルは眩暈を起こしたようで、ぱたんと枕に沈み込んでしまった。
レイラとシルヴィアは顔を見合わせた。
「なんで治ってもいないのに、起き上がるのよ? お馬鹿さん」
「無理して長引いたら、歌い続けるのはこっちなんだから」
二人のとげとげした言葉に、ウィルはうっすらと目を開けた。
「だって、似ているんだもの」
「似ているって、何に?」
尋ねたレイラの横で、シルヴィアは、はっと息を飲んで、口元に手を当てた。
「どうしたの、シルヴィア?」
「ウィル、ユニコーンの魔法を前にしても、具合が悪くならなかった……」
あっ、とレイラも声を上げた。
「僕も、いま二人の歌を聴くまで気が付かなかったけど、そうなんだよ」
ウィルは、うっすらと目を開けた。
「エヴァランの魔法は、僕の気分を悪くさせなかったんだ。……それに、二人の歌声は、とても似ているんだ、エヴァランの魔法に」
「ちょっと待って、それはつまり、どういうこと……?」
「もう少し、歌ってくれないかな? 元気になったら、ちょっと試してみたいことがあるんだ」
「試したいこと?」
「もしかしたら、僕にはエヴァランと同じことができるかもしれないってこと」
「まさか……!」
シルヴィアは首を横に振った。
「よく聞いていたでしょう。エヴァランたちユニコーンの歌と、私たち人間の歌は、まったく違うものなのよ。ユニコーンの歌には、決まったメロディも音律もなければ、呪文さえないのよ」
「魔法を発動させるための、条件は三つ。魔力と、呪文と、歌声。人間の使える魔法は、これが基本だということを忘れたの?」
「それが、間違っているとしたら?」
ウィルは、ひたとレイラとシルヴィアを見つめた。
「僕らの常識が常識でないことを、今日一日で僕たちは思い知ったはずだよ。それに、二人が僕に歌ってくれる歌だって、そうだってこと、二人は気付かないの?」
レイラとシルヴィアはウィルが歌えるようになるまで歌うと、部屋を飾る鑑賞用植物から土を取ってきて、洗顔用のお盆の水に混ぜて泥水を作り、ウィルに差し出した。
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