第2話
窓から内部へと飛び込んだウィルは、饐えた臭いに息を詰まらせた。そこは、厩舎だった。兵士たちが乗る屈強な馬が牧草を食んでいる。特に人影は見当たらない。ほっとしたウィルが、木枠に止まると、深く静かな声がした。
「何か、知恵を持つものが入ってきたようだ」
ぎょっとしてあたりを見回したが、やはり誰もいない。ただ、気のせいにしてはあまりにもはっきり聞こえたので、もう一度よくよくあたりを見てみると、厩舎の並びの一角に、きらきらと輝くものがあった。
馬の毛並みにしては、あまりに白く光っている。そして、その額には角があった。
ユニコーンなのだった。
しかし、シルヴィアが本の挿絵を見て、感嘆していたそれとは、あまりにかけ離れていた。ユニコーンの群れは、十数匹で、そのどれもがくたびれはて、身体中が汚れていた。
ウィルが信じられない思いで飛んで近付くと、その中でも最もみすぼらしく、奥の方でうずくまっていた一頭が頭をもたげた。
「やはり、知恵を持つものだ」
その声は、ユニコーンの喉から響いている。
ユニコーンがしゃべった……!
驚きのあまり、ウィルは身動きもせずに柵の上にとまったまま、ユニコーンを眺めた。
「長老。お気を確かに」
「ここは、強烈な結界がはられているのです。あの邪悪な兵士以外に立ち入れるものなどいるはずがありません」
「そうです。そこにとまっているのは、迷い込んだただの鳥です」
奥のユニコーンだけではなかった。そのユニコーンを取り囲むようにならんだ他のユニコーンたちも口々にしゃべっている。まるで、人間のように。
ウィルは、さっと変身を解いた。
「きみたちは、しゃべることができるの?」
今度は、ユニコーンたちが驚く番だった。あるものはいななき、あるものは警戒して立ち上がる。
「お願い、静かにして! ぼく、見つかっちゃいけないんだよ」
ウィルがあわてて言うと、深く項垂れていたユニコーンが、きっと顔をあげた。
「静かにしろですって? 私たちをこんなところに閉じ込めて、全てを奪っておいて、まだ強いるというの、人間は?」
その目が涙で濁り、憎しみに満ちているのを見て、ウィルは驚いた。
「そんな呆けた顔を見せないで、人間! 後ろを見てごらん!」
言われるがままにウィルが背後を振り返ると、そこには何頭ものユニコーンが横たわっていた。明らかに様子がおかしい。ぐったりとして、動く様子がない。ウィルは、一番手前で倒れている、おそらくは子供の小さなユニコーンに近付いた。
「その子に触らないで!」
さっきのユニコーンが叫んだが、ウィルは触れずにはいられなかった。仔ユニコーンの身体は冷たかった。
ウィルは、旅立つ前のレイラの言葉を思い出していた。
先週、ユニコーンが一頭死んだらしいの。
いま、ウィルが見ているのは、ユニコーンの屍の山なのだった。その数は、生きているユニコーンと同じくらいだ。そして、まるでごみのように厩舎の中に積まれている。
「それは、私の子。賢くて、とてもかわいかった、自慢の息子。あなたにも親がいるのでしょうね」
ユニコーンはゆらりと立ち上がると、勢い込んで走り出した。しかし、柵に阻まれて、それ以上進むことができず、その角はウィルに突き刺さる寸前で止まった。
「忌々しい!」
そのユニコーンは涙を流しながら、絶叫した。
「人間の子供! お前の母親にも、私と同じ思いを味わわせてやりたい!」
嘆くユニコーンに、ウィルはかける言葉が見当たらなかった。
ウィルが想像していたユニコーンは、あくまで馬の一種だった。美しい毛並みを持ち、螺旋の角を持つ動物。そう、動物だと思っていた。
それがどうだ。目の前のユニコーンたちは言葉を話し、子供を失った悲しみに打ちひしがれている。
それに、ユニコーンの肢体を見れば、野を駆けているのが本来の姿であるはずなのに、こんな窮屈で薄暗い厩舎に閉じ込められているのが、それだけでもう哀れだった。ウィルは、ユニコーンがリトホロまでやってくると聞いたとき、まさかこんな扱いをされているとは、思いもしなかった。
「鎮まりなさい、リーリエ」
最初、ウィルのことを見破った声が響いた。長老、と呼ばれていたユニコーンだった。
「神が作りたもうた魔法を操る七つの種族。そのうち、六つが人間を見限って久しい。我々は断絶し、互いを知る由もない」
そのユニコーンは、他のユニコーンに比べて色つやが衰え、ずいぶん老いているのだと、初めてユニコーンを見るウィルでもわかった。毛は身体に沿って生えるほどの力がなく、多くが下を向いており、特に目の上の毛は、その目が見えないほどに垂れ下がっていた。
「人間を見限った?」
思わず言葉を繰り返したウィルを、長老ユニコーンはじっと見つめた。
「あかがね色の髪。そして、金色の瞳。……あなたの名前は、ウィリアムか」
「ウィリアム?」「ウィリアム!」「人間の王!」とユニコーンが、騒ぎ出す。
ウィリアム。それは、最初の王の名。彼を讃えて、代々の王はウィリアムの名を継ぐことになっている。そして、その王子は、初代の王の愛称だった、ウィルの名を授けられるのだ。
そのことをユニコーンが知っていることに驚きながら、ウィルはゆっくりと首を振った。
「僕はまだ、ウィリアムじゃない。それは、父上の名前。いまの名前は、ウィルだよ」
「では、王子ということだね」
長老の言葉に、ウィルは頷く。すると、長老は長く嘆息した。
「ああ、それであなたが結界をすり抜けられた理由がわかった。あれは王家の者には害をなさないようにできているから。しかし、まさかいまこの時に、あの偉大な王の末裔に会うことになるとは……」
「偉大な王って、初代の王のこと?」
「そうだよ、人間の王子。王の中の王、真の王だ。あの方ほど歌に優れた方はおらず、また我々を含めたすべての種族が慕った方はいなかった。我々みんなの王だったのだ」
「それがどうして、人間を見限るなんてしたの?」
長老ユニコーンは、悲しそうな瞳でウィルを見つめた。
「あの偉大な王の血をひくものが、まさかそんなことを言う日が来ようとは……」
そうして静かに、長老は涙した。ウィルは、その涙の理由はわからなかったけれども、自分の言葉がひどくこの老いたユニコーンをひどく失望させたことだけは理解できた。
群れを率いる長たるものが、涙を見せることなどごくまれのはずだ。長老の涙に、ユニコーンたちの心が揺れるのが、手に取るようにわかった。そんな事態を引き起こしたウィルを、人間というだけで敵視していたユニコーンたちが、さらに恨みを込めて見つめてくる。
ウィルはよろよろと二、三歩後ずさると、混乱が極まって頭を抱えた。
こんなはずじゃなかった、と心の中で呟いた。僕が見たかったのは、こんな悲しいユニコーンじゃない。気高く、美しく、どこまでも自由に駆け回るユニコーンだった。
だが、ユニコーンをこうも汚し、さらには死に至らしめるというひどい仕打ちをしているのは、人間なのだ。そう、人間。それは、王国の民だ。将来、ウィルが国王となり治めることとなる人々。いまでも、王子という地位にいるだけで、自分に頭を垂れる人々だ。
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