第10話

 王国中をめぐる仕事に就くものにとって、リトホロからアギタリアまでは長いとは言えない旅程だが、これが初めての旅となる三人にとっては、とても長く感じられた。特に、あかがね色の髪に、黄金の瞳という、誰もが見れば王子とわかる容貌に戻ってしまったウィルを隠しているとあっては、その緊張が嫌でも道のりを長く感じさせた。

 肝心の車掌の切符の点検は、シルヴィアの物怖じしない態度かつ、その年の少女にしてはできすぎた敬語の使い方で、うまく乗り切ることができた。

 そして、電車のアナウンスが次はアギタリアだと告げると、シルヴィアの上着の下で眠っていたウィルは、いきなり目をぱちりと開けて起き上がり、大きく伸びをした。

「ああ、よく寝た!」

 レイラは、その様子を見て呆れた顔をし、シルヴィアは、ウィルの腕輪がすっかり緋の色を戻っているのを見ると、ため息をこぼした。

「心配して損した」

「あ、心配してくれたの? それは悪いことをしたね」

「ウィルのお馬鹿さん」

 レイラは、微笑みながら、けれども例のごとく言葉尻は冷たく言い放った。

「私たちの心配は、あなたじゃなくて、旅の計画がご破算になりはしないかってこと」

「ひどいなぁ」

 そんなことを言っているうちに、窓を通じて聞こえてくる列車の魔法の歌は、徐々にゆっくりとしたものになっていき、停車が近いことを告げた。

 シルヴィアは窓を開け放つと、一面の緑と、その色がはこんでくるさわやかな風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 レイラも隣から顔を出した。

「ずいぶん広く見えるわね。建物がないっていう、それだけなのに」

「僕にも見せて!」

 座席から飛び降りたウィルを、レイラとシルヴィアは容赦なく突き戻した。

「元気になったなら、すぐに変身しなさい!」

「素顔で顔なんて出して、誰かに見られたらどうするつもり?」

 きつい言い方ながらも、内容はごもっともなので、「はぁい」と返事をしたウィルは、再びオーウェンの姿になった。それから、意気揚々と窓から顔を出す。

 リトホロから離れたアギタリアは、ふつうの人にとっては、ただただ平原が広がるだけで、とりたてて見るべきところもない田舎でしかないが、リトホロの中でも粋を極めた王城から、ほとんど出ることのない王子にとっては、むしろただただ広がる草々と、たまに見える低木、そしてその上に広がる大空という景色は、むしろ新鮮でわくわくするものだった。

「この平原のどこかに、ユニコーンがいるんだ……!」

 興奮を抑えきれない声のウィルに、レイラは、ふふ、と笑って、荷物から一枚の紙を取り出した。横からシルヴィアも覗き込む。

「父上のところからこっそり写してきた、ユニコーン輸送部隊のスケジュールによると、アギタリア平原の中部の駐屯地にいるようよ」

 レイラが示した位地から、シルヴィアはまっすぐ指を下ろしていく。

「駅から、ちょうど真北の方角ね。それに、ちょっと遠いわね。予定通りには来たけれど、帰りのことも考えると、いそいで行ったほうがよさそうね」

「それなら、大丈夫。いっちばんの近道があるから!」

 平原を眺めていたウィルは、にっこりと振り向いた。「近道?」と声を揃えて、眉をひそめたレイラとシルヴィアに、「それは降りたらわかるよ」と、ウィルは微笑みかけた。

 そう言ったところでちょうど、列車はアギタリアの駅へと滑り込み、最後のひと鳴りを響かせると停車した。

 ウィルは一目散にコンパートメントを出ると、間近なドアからぱっと飛び降りた。

「ちょっと、ウィル! もう少し大人らしい態度をとって!」

 急いで後を追ったシルヴィアが注意すると、左右を見回した後で、レイラは肩をすくめた。

「放っておきましょ、あんな聞かん坊。いちいち気にしていたら疲れちゃうわよ。それに、私たち以外に降りた人はいないようよ」

 シルヴィアは、三人だけをホームに残して走り去る列車を見送り、「たしかに、そうみたい」とつぶやいた。

「アギタリアって、本当に田舎なのねぇ……。牧畜が主な産業で、のどかな場所だと本では読んでいたけれど」

 ホームの出口の方から、「ねぇー!」とウィルの声が響き渡った。

「いつまでもそんなとこにいないで、はやくこっちにおいでよ!」

 レイラとシルヴィアは、目に苦笑を浮かべて顔を合わせると、手を繋いで小走りにウィルの方へと向かった。

 アギタリアの駅はヘルメス駅の何十分の一かというほどの大きさだった。ここには、レストランはおろか、小さな売店すらない。

 ホームを出れば、もうそこが出口だった。屋根の切れ目からは、燦々とした陽光が降り注いで、そのまぶしさにレイラとシルヴィアは思わず目をつむった。

 ウィル、レイラ、シルヴィアの三人は並んで、初めての景色を何も言わずに眺めていた。アギタリアは、リトホロとは何もかも違っていた。

 三人は、初めて建物に遮られることのない空を見た。その空は、今まで見た空、頭の中にあった空よりも遥かに広く、三人の頭上を覆っていた。

 空から視線を下ろせば、そこには緑の色がある。多少の濃淡はあるが、どこまでもさわやかな色が果てしなく続いていく。人の作った建物は、気まぐれにぽつぽつと散見されるだけで、ずっとずっと奥の山の麓の方まで見通すことができる。

 突然ウィルは、言葉にならない雄たけびをあげて、草原に向かって走り出した。走るだけ走ると、いち、に、のさん、で高くジャンプをして、宙がえりをした。普段はまったくしないことなので、慣れずに着地に失敗すると、乾いた土と草の香りに全身がつつまれた。それだけでもう愉快でしかたなくて、ウィルの笑い声が周囲に響き渡っていった。

 笑いが収まると、ウィルは立ち上がると、思いっきり息を吸った。


いつもいつも考える

高く空まで舞い上がる凧になってみたいな

風にのって飛んでみたいな

風の吹くままどこへでも


 たちまち風が吹きおこると、ウィルの身体は軽々と空へと浮かび上がった。

 ウィルを追いかけて見上げたレイラとシルヴィアは、呆れて叫んだ。

「近道って、まさか飛んでいくことじゃないでしょうね、ウィル!」

「あなた、さっき倒れたばかりなのよ! もう知らないわよ!」

「大丈夫だよ! だって、こんなに気持ちいいんだもの! 飛びたくもなるよ!」

 ウィルはまた明るい笑い声をたてながら、二人の頭の上でくるくると飛び回ると、今度こそ宙がえりを成功させてみせた。

「ほら、飛び放題だよ。建物なんて、なぁんにもないんだから! 高く飛んじゃえば、僕たちを見かける人だっていないよ!」

 レイラとシルヴィアは顔を見合わせると、くすくすと笑った。ウィルの言うとおりだった。吹き抜ける風の心地よさが、この平原で飛んでみたらどれだけ気持ちいいのかを教えてくれていた。

 それでレイラとシルヴィアも飛翔の魔法を使うと、三人は念のため人に見かけられても、鳥にしか見えないような高さまで上がっていった。

「あ、あそこ!」

 急にレイラが声をあげて、地上の一点を指さした。

「ユニコーン輸送部隊がいる駐屯地よ!」

 よぉし、とウィルが意気込んだ。

「そこまでひとっ飛びだ!」

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