擦り切れ蜻蛉

増黒 豊

第1話 ん

 紹介文でも触れた通り、俺は、人気作家だ。ペンネームも本名も、どうでもいいだろ。あんたには、関係ない。


 さて、書いていくぜ。新しい挑戦だ。言葉は、使われすぎた。擦り減っている。言葉を救うため、俺は言葉を使わず、物語を編んでみせる。

 五十音の文字をひとつずつ減らしてゆき、どこまで小説として成り立つものを書けるのか。まずは、「ん」を封印する。タイトルは「蜻蛉とんぼ」で既にアウトだが、所詮そんなものは飾りだ。じゃあ、始めるぜ。




『蜻蛉』


 茜色の空に、それは染まった。いや、もともと、そのままの色であった。彼女が追いかけていたものが、まるきり形になったようなそれを、俺はじっと眺めていた。

 ひらり、風を避け、その場にまた留まる。人の生もまた然りかと、つい、もの寂しくなる。

 望まずして俺の側から離れたお前の軌跡にそっくりな線を空に描くそれは、儚く、そして美しかった。

 そういえば、俺は、それらが、夜の間どうしているのか、全く知らぬ。昼や夕はあれほど威勢良く舞っているのに、夜になってすぐにその姿を消すというのは、どういうわけか。





 よし、いけるな。

 明日は、「わ」だ。

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