第18話 自覚がないからこそ「暴走」



 突然、眠っていたはずの少年ドールが跳ね起きた。


 流石は高級(らしい)CM型、起動の早さも素晴らしい、などと感心している場合ではない。ドールは押し込められていた倉庫の扉を蹴破り、あっという間に視界から消え失せる。その唐突で俊敏な動きについていけず、突き飛ばされたらしい女技術者が尻餅をついた。その背後にいた山寺も、かわすのが精一杯といった様子で脇に避ける。


 倉庫の最奥、真正面からその様子を見ていた禾熾も咄嗟に止められず、伸ばした手がむなしく空を切った。


「なっ……!」


 山寺が驚きに喘ぐ。何が起きたのかわからない。そう顔に書いてあった。


「ふん……」


 目の前の女――アサキが、尻餅をついたまま不遜に笑った。


「お前――何しやがった」


 口では尋ねながら、禾熾は臨戦態勢に入る。この女はやらかしたのだ。


 山寺の命令が履行不可能で解除されたあの一瞬、即座に起動コマンドを入れ、ドールを逃がした。


「大した奴だな、テメェ……けど、自分も逃げれるとは思ってねーだろ?」


 この女、一般人とは言い難い。荒事慣れしていなければ、催眠支配の切れた直後に素早く動く事は不可能だ。いや、闇刺の中でもここまで鮮やかに動ける者は多くないだろう。


 構えをとり、禾熾はじりじりとアサキへ近づく。アサキの背後では、素早く立ち直った山寺が蹴破られた扉の前に立ち、アサキの退路を塞いでいた。精神を集中させ、肉体を男性型に切り替えると、狐面に阻まれて視界が狭まる。しっくりと手に馴染む、愛刀の柄の感覚を確かめた。


「お前らも、私を殺すつもりはないだろう?」


 警戒に眼を光らせ、ゆっくりと立ち上がりながらアサキが更に口の端を吊り上げた。肝の据わった、獰猛な笑みだ。禾熾の口元もつられて緩む。もっとも、狐面に隠された禾熾の表情を、相手が読み取る事は出来ないはずだが。


「……タダ者じゃねー、って感じだな。面白ぇ」


 ぺろり、と舌なめずりをする。ここで喰う事が出来ないのはつくづく残念だった。こういう「強い」奴は美味いのだ。


 おい、と山寺がアサキに声をかけた。アサキがちらりと背後に視線を流す。


「あのドールのマスターはお前じゃないんだな? 一体誰があれのマスターだ」


「さあな、知らん」


 面白くもなさそうに小さく鼻を鳴らし、軽く肩を竦めてアサキが答えた。闇刺二人に挟まれて、全くいい度胸である。


「しらばっくれるのは止めといた方が身の為だぜ? 無駄な上に俺たちの心証が悪くなる」


 本格的に自白させる手段ならば幾らでもある。それこそ、民間人の若い女性相手に口にするのは憚られるようなものまで、幾らでも。それを、身をもって知りたくなければ素直になることだ、と暗に禾熾は忠告した。


「そこまで頭が悪くなった覚えはないな。だが、知らんものは知らん。私があれを拾った時点で、既にマスターロックがかかった状態だった。だが――」


 そんな事は分かりきっている、といった表情でアサキが首を振る。続いて、両手を軽く顔の両脇に挙げ、「降参」のポーズで盛大に溜息をついて見せた。


「あのポンコツは私が自分のマスターだと思い込んでいる。自覚がないのさ――自分が暴走している、というな」


 ――まあ、自覚が無いからこその「暴走」とも言えるが。


 眉間にしわを寄せ、面倒くさそう――いや、いっそ忌々しそうに呟くその表情は、演技には見えなかった。だが油断するわけには行かない。あのCMドールを逃がし、単身残った以上、何か策を用意しているはずだ。何も考えなしに突っ込んでくるようなタイプとは思えない。


「つまり、テメーを確保しときゃ、そのうちあのドールが戻ってくるって言いたいワケか」


 そう、時間が経てば先ほど飛び出していったCMドールが、体勢を立て直して飛び込んでくる可能性は高い。それまで何とか五体満足無事なまま、時間を稼ぎたいという辺りが本音だろう。そう踏んだ禾熾は、これ以上の問答を切り上げてアサキを捕縛すべく両足に力を込めた。対するアサキは傲然と胸を反らせ、ふん、と一つ鼻で哂う。


「さあな。さっきから言っているが、私は奴のマスターではない。命令違反も独断行動もお手の物のようだしな。……それよりも、気になるんじゃないのか? 私が何者なのかが」


 婉然とアサキが眼を細めた。こちらの考えなど全てお見通しとでも言わんばかりの、己の優位を確信している者の笑みだ。


「プロ舐めんじゃねーぞ、一般人」


 どこまでも動じない。それどころか、全力でこちらに揺さぶりをかけてくる謎の女技術者。このアサキ・E・キールという女は、禾熾が今まで会った中でも五指に入るような面白い――そして面倒な相手である事は間違いないだろう。だが、いつまでも遊んでやっているわけには行かない。


 ギリギリの緊張感が張り詰めた、ふざけ合いのような会話。


 ふてぶてしく笑う女の正体。


 おしゃべりを打ち切るのが惜しい要素は色々あるが、捕らえた後でまた楽しめばいい。


 そう禾熾は判断し、床を蹴る。


 しかし、その判断が、ほんの一歩足を進める分だけ遅かった事に、次の瞬間禾熾は気付く事になる。




***




 耳を貫き、頭の中を蹂躙したその衝撃が「音」だと気付いた時には、禾熾は平衡感覚を失い、身体の重心を制御できなくなっていた。


 禾熾の真正面、アサキの胸元から発せられる大音量の高周波音。鋭く乱高下するそれは可聴域が高音側に広く、通常の人間の数倍聴覚の良い禾熾にとって、正しく耳をつんざく凶器だった。


 バランスを崩す身体を何とか立て直し、手にした愛刀の切っ先で音源のコサージュを弾き飛ばす。人間の可聴域を超えた高周波音だったため、山寺には何も聞こえなかったはずだ。


「ヤマさん……!」


 無事なはずの部下にアサキの捕縛を任せようと叫ぶのとほぼ同時、今度はターミナルビル全体に火災報知器の警報が鳴り響き始めた。ほんの刹那、山寺の注意もアサキから逸れる。


 一方、胸元を刀で掠められたアサキは一切それに動じず、迷い無く次の行動に移っていた。


 踵を返す。左手を右脇に突っ込み、手の平大のボールを取り出す。右手は後頭部へと伸び、束ねた髪の付け根から何かを抜き出した。


 ちらり、と禾熾の方を流し見たアサキが、酷く意地の悪い笑みを口許に残して背を向けた。長い黒髪が翻る。その向こうで、ぱぁん、と何かが弾けた音がした。アサキが駆け出す。


「捕らえろ!」と号令をかけるため、鋭く吸った吸気に、何かが混じっていた。


「――――っ、くしゅんっ! くっ……! なっ……!!」


 顔面の奥を溶かされたようなむず痒い刺激と、後を追ってくる粘膜を焼く激痛。催涙弾のようなものが破裂したのだ。


(っていうか、コレ胡椒と唐辛子だろっ……!!)


 催涙ガスに晒される訓練ならば受けた事がある。任務中に催涙ガス系の攻撃を受ける事は、当然想定される範囲内だからだ。よって、目の痛みと咳を耐えて判断と行動をする事はある程度可能だが、パウダーをぶっかけられたのは、六年とちょっとやってきた闇刺人生の中でも初めてである。


 催涙弾の破裂を真正面で喰らったらしい山寺も体勢を崩している。破裂させた本人も無事では済まない筈だが、アサキはCMドールに蹴破られた扉から、勢い良く外へ飛び出すところだった。


 咄嗟に投擲用ナイフを投げる。万全の姿勢から打ったものではなかったが、それでもアサキの脚を掠めた。アサキが一歩分よろける。だが、そのまま血の吹き出す足で躊躇い無く床を蹴り、同じくサクに破られたらしい従業員専用通路の入り口を抜け、アサキは階段室へ消えた。


「っく、追うぞっ!」


 言いながら禾熾も飛び出す。聴覚と平衡覚はほぼ戻ってきていた。刺激性化学物質に鼻の粘膜を引っ掻き回される苦痛をこらえ、山寺を引っ張って階段室へ飛び込む。面のおかげで自分の被害は軽度だが、直接正面から浴びれば、粒子が目に入ってゴロゴロする分、催涙ガスよりも始末が悪いだろう。


「ヤマさんは中から追って、三番側出入り口に追い込んでくれ。俺は外でお迎えしてやるっ」


 アサキは階段を駆け下りたのではなく、手すりの上を滑ったらしい。擦れた血痕が手すりの上を汚している。


「了、解っ」


 苦しげに頷いた山寺が、その手すりを飛び越え一気に一階分を飛び降りた。それを確認した禾熾は、階段室の採光窓から外へ出る。ターミナルビルは正五角形をしており、その一階部分と二階以上の部分は、大きな五角形の内側に、一回り小さな五角形を逆さに嵌め込んだ様な形に食い違っている。三階と二階を繋ぐ階段室の窓から飛び降りれば、ちょうど一階部分、三番ゲート最寄りの出入り口の屋根に着地できるのだ。


 約二階分の高さを一気に飛び降りた禾熾は、出入り口の真上に立って下を眺めた。ビル内ではまだ、避難指示の館内放送とサイレンが鳴り響いている。真下の出入り口からは、慌てた客が幾人か外へ飛び出し始めているところだった。おそらくこの警報もアサキが仕掛けたものだろう。でなければ、あのタイミングで鳴るなどという都合の良い事が起こるはずが無い。また、禾熾の嗅覚と聴覚でも火災の気配は捉えられない事からも、この警報は何らかの小細工によって鳴らされた誤報であると予測できる。


「ったく、っくしゅんっ! ふはっ……っく……んがーっ! あの女マジで何者だよっ!! あり得ねぇだろっ!!」


 ビルから飛び出す人間を、その頭上からくまなくチェックしてアサキが出てくるのを待ちつつ、面を外した禾熾は地団駄を踏んだ。所詮一般人、と舐めてかかった部分は確かにある。そこは隊長である禾熾自身が反省するしかない所だ。


 今回はたった二人での作戦、例えフルメンバー揃っていたとしても四人。それでもこれまで、智謀に長けた敵の裏をかき、並居る強敵の群を蹴散らしてきた実績があるのだ。油断や判断ミスが重ならなければこんな醜態には至らなかったはずである。しかし、あの瞬発力と判断力、胆の据わりようは尋常ではない。あれを普通、一般人とは呼ばない。これだけ短時間に色々と小細工を用意し、大胆な行動を躊躇い無く滑らかに実行できる一般人がどこの星に居るのか。


 あの突然鳴り始めた超高周波ブザーは、間違いなく禾熾を狙ったものだ。恐らく一定時間持ち主の操作がなければブザーを鳴らすよう携帯端末を設定し、その小型スピーカーをコサージュの花芯に仕込んでいたのだ。一般に流布している自分の噂から、体質や特性を予測したのだろう。普段用意している専用の耳栓を、男性型の方で外したままでいたのは油断以外の何物でもないが、しかしまあ良く効く周波数を用意してくれたものである。


 更には例の催涙爆弾だ。非常に細かいパウダー状の胡椒と唐辛子を、水ヨーヨーにするような小さなゴム風船に詰めておき、それを髪に挿しておいた針で割ったようである。全てアシハラ市内の百貨店で手に入るものだが、効果は上々だった。即効性の抗炎症剤外用薬(つまり点眼・点鼻薬である)を携帯しているため、恐らく今頃山寺も立ち直っている頃だろうが、一瞬でも完全にこちらの足を止めたのだから見事なものである。


(多分アレ、本人は息止めて目ぇ閉じたまんま突っ走ったんだよな。それであの逃げっぷりはホント、お見事としか言い様がねえぜ……)


 頭の良い人間ならば、ある程度の作戦を捻り出す事は出来る。下準備も根性次第だ。しかし、いくら準備し、作戦を立てても普通、一般の人間は非常事態というものに慣れていない。状況把握から的確な判断までの思考の瞬発力。想定していた動作を、把握した状況にあわせてスムーズに行う運動神経。そして、どんな不測の事態や恐怖、苦痛も跳ね除けて予定通りの行動を押し通す強靭な精神。これらは刹那の判断を迫られる世界の中で生き、経験を積まなければ身に付かないものだ。どんな人生を歩んできた女なのかは知らないが、ただ屋内に篭って電子部品を弄り回してきただけ、ということはあり得ないだろう。


「しっかし、あのツラ……! ムカつく笑い方しやがってっ……!!」


 実際、笑いもの級の失態な事も相まって、去り際のアサキの笑いは非常に禾熾の神経を逆撫でしていた。


 絶対泣かせてやる。そう一人でキーキーと悔しがっている禾熾の足元に、長い黒髪を頭頂部で括った人影が飛び出すまで、そう時間はかからなかった。

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