第14話 精霊魔術師と言わないほうがいい
翌日、起床して布団から這い出した。
レイのために裁縫をして小さな枕を作って私の横にこっそり置いておいた。彼は夜中に見つけたのか、枕に顔を埋めてすぴすぴと寝息を立てている。長いまつ毛と小さな手足。精霊さん、可愛い。癒やしだ。
カーテンを開けて帝都郊外の景色を眺める。
朝日が差し込んで、私の身体を温めるようにして包んでくれた。
昨日のことは夢などでなく、私は私になっている。十数年味わっていた虚無感はまったくない。自分の身体が希望で満ちているような、そんな温かい気分だ。
『おはよー』
レイが起きて、私の前まで飛んできた。
寝癖がついているので指で直してあげる。
デュラスの手伝いをするためにすぐ階下へ降りることにした。以前までの私は夜中まで勉強していたのでぎりぎりまで寝ているという、デュラスに甘えた生活をしていた。少しは彼の負担を減らしてあげたい。
歯を磨き、顔を洗って髪を整え、リビングに入った。ひとまずレイには静かにしてもらうことにした。
「おはよう」
朝ごはんの準備をしているデュラスの後ろ姿に声をかける。彼はフライパンを置いて振り返り、きっちりと一礼した。
「おはようございます、ジュリアお嬢様。本日も下腹部のお通じがよろしいようで」
「朝からお下品はいらないわよ」
「おすわりになってお待ちください」
デュラスはそう言ってキッチンに向き直り、手早くフライパンを動かし始めた。
「私も何か手伝うわ」
「それはいけません。帝都一貧乏で格式も底辺の準々男爵家ですが、あなたはご令嬢なのです」
「……その皮肉、自分で言ってて寂しくならないの」
「ええ、事実ですから」
デュラスはくつくつと笑って、調味料をフライパンに落とす。昨日使った根菜の残りを炒めているようだ。
「あなたには迷惑をかけてばかりよ。何か手伝わせてちょうだい。お仕事をもらうまで動きませんからね」
「おや、おやおや。強情なところもメイリス奥様に似てきましたね」
「そうかしら?」
「それはもうお優しくて気の強いお方でした。そこが魅力的で、皆あの方を眩しく感じたのですよ。レオン様と駆け落ちしたのも半分以上奥様の仕業ですからね」
「その話、今度詳しく教えてほしいわ。お父様に聞いても全然教えてくれないのよ」
「恥ずかしいんでしょう。レオン様はああ見えて女性関係はチキンバード並の根性ですからね。私がどれだけ苦労して奥様に告白するように説得したか……。話せば長くなりますが――」
そこまで言うと、大きな咳払いが背後から聞こえた。
振り返ると、お父様が古いドアにもたれかかっていた。昨日の朝よりはずいぶん顔色がいい。
私は駆け寄って身体を支える。お父様の身体は筋肉質で、少し熱かった。寝起きで熱いだけで、体調が悪いわけではない。ほっとする。
「もう、また一人で起きてくるなんて」
ついお小言が漏れてしまう。
お父様は私の補助を素直に受け、椅子に腰を下ろした。
「不穏な話題が聞こえたからな」
「これは失礼をいたしました」デュラスはフライパンから木皿に根菜炒めを移し、声のトーンを落とした。「お嬢様。次は聞こえないようにお話しいたします」
デュラスの言い方が面白かったので、私も口に右手を当てて小さな声で、
「そうしてちょうだい」
と言った。
「聞こえてるんだよなあ」
お父様が苦笑して赤髪をぽりぽりとかき、私を見た。
「ジュリア、おはよう」
「おはようございます、お父様」
「今日も元気そうだ」
「お父様も」
少しやつれているけれど、お父様が快活な笑顔を向けてくれる。
それだけで自分が生きているんだ、という気持ちになるから不思議だ。できることなら、日本のお父さんにお父様を紹介したかった。
「デュラス、ジュリアが微笑んでいるぞ。俺は泣きそうだっ」
「そんな大声で言わなくてもわかっておりますよ。昨日、ジュリアお嬢様が七位だったと言って部屋で号泣していたじゃないですか」
「おい、それは言わない約束だろう?」
二人の会話を聞きながら、デュラスが入れたコンソメスープをテーブルに運ぶ。彼は言っても聞かないと思っているのか、呆れた顔に笑みを浮かべ、手伝う私を見ていた。
根菜炒め、コンソメスープ、残りのパンという朝食だ。
お父様の号令で食べ始め、食事が終わったのでレイを紹介することにした。レイには私以外にも姿を見せてね、と言ってある。二人がどれくらい驚くか楽しみだ。
「お父様、デュラス、お話しがあるんだけどいいかな?」
「どうした? 約束を守れば魔鉱専に行くことには反対しないぞ」
お父様が咳を我慢して喉を鳴らした。
「それに、ジュリアの約束は守るつもりだ」
「約束を守るのはもちろんだけど、少し違うの。紹介したい人がいるんだよね」
「……!」
がたん、とお父様が椅子を鳴らし、デュラスが紅茶を淹れる手を止めた。あ、こぼれそう。こぼれそうだよ。
デュラスがあわててポッドを水平にし、お父様が咳き込んだので背中をさする。
お父様は呼吸が落ち着くと、眉間にしわを寄せた。
「まさか、男じゃないだろうな? ジュリアが美人なのはわかるが、なぜ昨日の今日で男ができる?」
「お父様落ち着いて。そんなわけないじゃない。それに全然美人じゃないし」
「ジュリアは美人だ。そこは譲らん」
腕を組んでよくわからない箇所で威厳を見せるお父様。
デュラスが首を振って「親馬鹿は放っておきましょう」とつぶやいた。子どもみたいなお父様が可愛く見えるのは置いておいて、デュラスの言葉にうなずいた。
「実はね、私、精霊さんと出逢ったの」
「な……!?」
「精霊……」
お父様が口を大きく開け、さすがのデュラスもびっくりしたのか真剣な表情を作る。
「それで、契約をしました」
大切な部分なので敬語になってしまった。
「精霊と契約?」お父様が身を乗り出した。「本当なのか? もし本当ならジュリアは魔術師ではなく精霊魔術師ということになるが……」
「レイ、出番だよ」
ポケットに呼びかける。
するとレイが美しい二枚羽を羽ばたして跳び上がり、お父様の目線の高さまできて宙に浮いた。
『ジュリアと契約した水晶の精霊、レイだよ』
レイはピシッと右手を挙げてポーズを取った。窓から差し込む光がレイの二枚羽を照らして虹色に変える。いつ見ても綺麗だ。
「……レオン様、これは……」
「ああ、間違いない。このオパール色の瞳――水晶精霊の子どもだ」
お父様とデュラスは顔を見合わせてすぐにレイへ視線を戻し、最後に私を見つめた。
二人とも何か言いたげな顔だったけれど、どう説明するべきか悩んでいるのか口を開かない。
「レイのこと知っているの?」
『ボクのこと知ってる?』
私とレイが聞くと、お父様がうなずいた。
「まずは挨拶をするべきか。はじめまして、レイ。私はジュリアの父親、レオン・シーザーだ」
『知ってるよー。そこのエロ執事がデュラスでしょう?』
「お見知りおきくださり光栄です。わたくし準々男爵家のエロ執事、デュラスと申します。レイ様、よろしくお願い申し上げます」
右手を胸に当て、真顔で変な自己紹介をするデュラス。そこ、否定しないとレイがそれで憶えちゃうからやめてほしい。
レイは楽しそうにくるくる回転しながらお父様とデュラスの前を飛び、私の手にちょこんと腰掛けた。レイが飛んだあとに残る光の残滓が朝日と一緒に輝いた。
「まずはジュリア、精霊との契約おめでとう。自分のことのように誇らしいよ」
「ありがとうございます」
褒められて頬が熱くなる。
「端的に話すと、俺とデュラスは水晶精霊を知っている。なぜならメイリスが精霊魔術師だったからだ」
「え? お母様が精霊魔術師?」
「そうだ。メイリスは水晶精霊と契約をしていたんだよ」
「お母様はすごいお方だったのね……」
「ジュリアは憶えていないかもしれないけどな、メイリスの魔術は飛び抜けていた。そのせいで色々と苦労もした。俺と駆け落ちした理由の半分が精霊と契約していたことなんだよ」
「駆け落ちの理由が精霊魔術師だったからですか?」
お母様が精霊魔術師だったことも驚きだけど、お父様と駆け落ちした原因になっているなんて。
精霊魔術師は国から敬われる存在のはずだ。それがどうして駆け落ちになるんだろうか。
「メイリス……おまえの母さんは隣国、ガイツ王国の令嬢だった。母さんの家は立場が弱くてな、母さんが戦争に徴兵されることになったんだよ」
「精霊魔術師を戦争に……?」
なんて罰当たりな国だろうか。精霊魔術師を戦争に利用して、過去何度か国が滅ぶ大厄災が起こっている。この世界では精霊の戦争利用は最大の禁忌とされい
るのだ。それを、ひどい……。
「ジュリア、父さんは母さんを救い出したんだよ。戦争から逃げてきたんだ」
お父様はレイが乗っていない私の手を握り、まっすぐに私を見つめた。
「ラピス帝国でそんなことは起こり得ない、と信じたい。しかし、精霊魔術師であることは、信用できる人間にだけ告げるんだ。今後のことはジュリアが卒業してからゆっくり考えよう。デュラスもそのつもりでな」
「かしこまりました」
いつになく真面目にデュラスが一礼し、レイが『ボクって秘密なんだ』とのんきに笑っている。
事の深刻さを受けて、お父様の目を見つめたままうなずいた。
「喜ばしいところを重い話にしてしまって申し訳ないな。嬉しい気持ちは父さんもデュラスもあるんだよ。正直、大声で商店街に宣伝したいぐらいだ。娘が精霊魔術師なんですッ。あの、世界に数名しかいない精霊魔術師なんですッ、ってな」
茶目っ気たっぷりにウインクするお父様に、思わず吹き出してしまった。
デュラスもうんうんとうなずいている。レイも下唇を出して首を縦に振っている。きっと意味はわかっていない。
お父様は私の手を離して、居住まいを正した。
「精霊との契約、おめでとうジュリア。レイ、これからジュリアのことを守ってあげてほしい。できるかい?」
『うん! 水晶女王に言われてるからね〜』
「水晶女王に。そいつはたまげたな」
『えへん』
可愛らしく胸を張るレイに、お父様が「こいつ、可愛いな」と指をさして笑う。
「そういえば一つ聞き捨てならない言葉があったのですが、よろしいですか?」
和やかな空気になったところで、デュラスが早口に喋り始めた。
「先ほど、レオン様が“父さんは母さんを救い出した”と申し上げておりましたが、少々語弊のある表現かと存じます。レオン様は何度も告白しようとして尻込みをし、メイリス様が徴兵されることになって切羽詰まったところ、メイリス様に言いたいことがあるなら言ってほしいとせっつかれてようやく愛を告白。そして私を連れて逃げてほしいと懇願され、メイリス様を連れ去ったのです」
「まあ、そうだったの?」
やれやれと肩をすくめてみせるデュラスに、お父様は顔を真っ赤にして焦った顔でテーブルをビシビシ叩いた。
「ジュリア。こいつの話を鵜呑みにするな」お父様が私とデュラスを交互に見た。「俺は告白のチャンスをうかがっていただけだ!」
「泊りがけデート、魔鉱石探しの道中、ダンスパーティーで二人っきり……チャンスをうかがっていた? はぁ? これだから棒ばかり振っている剣士は困るんですよね」
デュラスがふうとわざとらしくため息をつき、皿を下げ始めた。
「お、ま、え、なぁー」
「お父様、デュラスお得意のおちょくりよ。冷静にね? 咳が出てしまうわ。私はお父様が勇敢だって知っているよ」
立ち上がってお父様の背中をさすってあげると、すぐに機嫌を直した。チョロい。チョロ父だ。
お父様の大きな背中には朝日がこぼれている。デュラスが口の端を吊り上げながらせっせと片付けをしている。レイは二人と話せて嬉しそうに笑う。
昨日から、家の雰囲気が和やかで幸せな気分だ。
私が魔鉱石ハンターになると言う前はデュラスも思いつめている様子だったし、お父様もあまり元気がなかった。それに、私自身も……。
シーザー家はいい方向へ向かっているのだろう。
この幸せなぬくもりを守りたい。
「ジュリア……」
「お嬢様……」
二人が呆けた顔で私のことを見つめている。え? 何かおかしいことでも言ったかな?
『今のジュリアの顔、水晶女王みたいだよ』
レイがにこにこと私の眼の前を飛んで言う。
自分の顔をさわってみても、どんな顔をしているのかわからない。なんだか気恥ずかしくなってきて、ごちそうさまと言って自室に戻った。
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