第5話 タヌキ
紅い……
一旦瞼を閉じ、深呼吸してからゆっくり瞼を上げる。
やはり紅い。
目覚めて最初に目に飛び込んできた物。
それは真っ赤な天井だった。
体を起こし、ゆっくりと視線を周囲に這わす。
真っ赤な部屋。
全てが赤く染まった閉ざされた世界。
ただ一点を除き。
タヌキだ。
俺の横たわるベッドのすぐ脇に、人間サイズのタヌキが佇んで居た。
タヌキにもかかわらず、そいつは二足で立ち。
何故か黒を基調としたメイド服を身に纏っている。
思わずタヌキを見つめる。
タヌキも此方を黙って見つめ返す。
見つめ合う二人(?)
絡み合う視線。
永遠に続くかと思われたこの二人の逢瀬は、唐突に終わりを迎える。
「お主ら何をやっとる?」
声に驚き振り返ると、そこにはあの
先ほど見まわしたときには確かに居なかったはず。
「聞いてくださいよー、エニルさまー。この人ずーっとあたしの事見つめてくるんですよー」
突然の甘ったるい声に驚き、声のした方を振り返る。
すると先程まで棒立ちだったタヌキが両手で頬を挟み、腰をくねくねさせていた。
「やっぱー、もてる女ってー、罪ですよねー」
タヌキの口元から、先程の甘ったるい声が紡ぎだされる。
まさかとは思ったがやはり声の主はタヌキだった。
「ほほう。勇者はレルが好みのタイプなのかい?」
レル?
タヌキの名だろうか?
「そこな不細工なタヌキの名じゃ」
此方の疑問を感じ取ったのか、少女が俺に答えを与えてくれる。
「不細工だなんて酷いですー。あたしこう見えてー。すっごくモテるんですよー。虫さんにー」
「虫にモテた所で自慢するようなことでは無かろう」
タヌキが酷い酷いと手足をバタつかせる。
その姿は愛らしく見えなくもない。
しかし……
目の前の少女は、森で出会った少女と同一人物なのだろうか?
そんな疑問がわいてくる。
姿形は同じだが、あの時感じた死の恐怖。
上手く言葉にはできないが、本能に響くような圧迫感を今の彼女からは感じられない。
まさか別人?
状況的に流石にそれは無いだろう。
「どうした?しかめっ面をして?」
「あ、いえ。森で会った時とだいぶ雰囲気が違う物で」
慎重に言葉を選ぶ。
同一人物だとしたら怒らせるのは不味い。
「そう緊張するな。森でのことは謝ろう。何せ私の領域に、いきなり化け物がやってきたからピリピリしておったんじゃ。すまなかったな」
化け物。
この化け物じみた少女が口にする化け物とはいったい。
そんな怪物があの森に居たのかと背筋が寒くなる。
「そんなとんでもない奴がいたんですか?そいつは今どうしてるんです?」
恐る恐る聞いてみる。
とてつもない化け物。
そんな奴が近くに潜んでいると言われて、その所在や行動が気にならないわけがない。
すると突如目の前の少女が腹を抱えて笑い出す。
何がおかしいのか、その場で転げ周りながらゲラゲラと笑い声をあげて。
「あ、あの?俺何かおかしな事を言いました?」
「っく、かはははははは。すまんすまん、余りにも間の抜けたことを言うのでついな。お前さんじゃよ」
「は?」
少女はぶっと噴き出し、また笑いだす。
そんな少女を唖然と眺めていると、例のタヌキが言葉を挟む。
「もうエニル様ったら―、失礼ですよー。御免なさいねー」
「あ、いえ」
「エニル様があの調子じゃー、しょうがないので―、私が答えますねー。化け物って言うのはー、貴方の事ですよー」
「へ?」
一瞬タヌキが何を言っているのか理解できずに、間抜けな声を出す。
「だーかーらー、貴方なんですよー。貴方が急に来たからー、エニル様がぴりぴりしてたんですよー」
このタヌキは何を言っているんだ?
俺は彼女の目を見ただけで恐怖で動けなくなってしまったというのに、その俺が化け物?意味が分からない?
ひょっとしてこのタヌキは俺を化かそうとしているのだろうか?
タヌキの真意を探るべく、そのまん丸の眼ををじっと見つめる。
するとタヌキも此方を見つめ返してくる。
「…………」
「…………」
「お主ら本当に見つめ合うのが好きじゃな」
声に振り返ると、少女が呆れたような顔で此方を見ていた。
どうやら笑いは収まったようだ。
「まじめな話。お主は自分の能力を過小評価しすぎじゃな。単純な強さなら、私に匹敵とまでは言わないが、そこそこいい勝負が出来るレベルじゃぞ」
「俺がですか?正直、貴方の目を見た瞬間勝ち目がないと感じ、俺は死を覚悟しました」
あの時の恐怖を思い出すと、今でも背筋が寒くなる。
本当に恐ろしいと泣く事すらできない。
蛇に睨まれた蛙とは正にあの事だ。
「ヘタレじゃのう。もうちっと胆力があれば、逃げ切るくらいはできたじゃろうに。いくらなんでも諦めるのが早すぎじゃ」
ヘタレと言われると返す言葉もない。
「お主魔法を覚える気は無いか?」
「は?え?」
唐突な申し出に、間抜けな言葉を返してしまう。
「お主が気絶している間に、色々と調べさせてもらってのう」
調べた?俺の事を!?
どうやって?
狂気を宿した紅い瞳で、少女が俺の腹を掻っ捌くイメージが脳裏を過る。
まさか何かされた!?
腹に何か埋め込まれたとか?
慌ててシャツを捲り、腹に傷が無いか確認。
特に手術の様な跡は無い。
じゃあ頭か?
そう思い頭部に禿げた跡が無いか今度は頭を撫でまわす。
「あー、心配せんでも体には何もしとらん。魔法でちょこっとばかしお主がどういった人物か調べさせてもらっただけじゃ」
「魔法で、ですか?」
「うむ」
魔法でいったい何を調べたのだろうか?
女神さまによって無敵に近い肉体能力と、強力なスキルの数々を授けられてはいるが、魔法に関する知識や能力は与えられていない。その為、彼女がどんな魔法で俺の何を調べたのかが全く分からなかった。
「あの、調べたっていったい何を?」
「お主の生い立ちや性格。後は各種能力関連じゃな」
「魔法ってそんなことまで分かるんですか?」
「ふふふ、まあ私は天才じゃからな!」
少女が腰に手を当て、すまし顔で無い胸を大きく張る。
その横でタヌキのレルがいつの間に用意したのか、紙吹雪をばら撒いていた。
「で、どうじゃ。私の弟子になって魔法を覚えてみんか?」
少女が左掌でレルの行動を制し、右手で頭に積もった紙切れを払いながら此方に問いかけてくる。
「このままではお主、何も成せんままじゃぞ。だが魔法を習得すればお主の願い、叶うやも知れんぞ?」
願いが叶う!?
それってひょっとして貧血を直せるって事か!?
「それってひょっとして!」
「あ、貧血は直せんから」
直せないのかよ!
あからさまにがっかりして、肩を落とす。
ぬか喜びもいいところだ。
「そうがっかりするでない。貧血は直せんが、出血させずに相手を倒す事なら出来るようにはなるぞ」
「ほんとうですか!」
俺は項垂れていた頭を上げ、興奮気味に大声で聞き返す。
貧血を直すのが理想ではあるが、出血させずに相手を倒せるというなら、状況は劇的に改善されると言える。
「うっ、きったないのう。唾が顔に飛んできおったぞ」
「あ、すいません。つい興奮しちゃって」
少女が嫌そうに顔を顰めると、レルが何処からか取り出したハンカチで、はぁーいキレイキレイしましょうねーと言いながら彼女の顔をガシガシ拭きだす。
レルが手を動かすたびに少女の顔がグリングリンと動き、そのたびに少女の口からフゴフゴと声が漏れた。
その様は、世話というよりもはや嫌がらせにしか見えない。
「もうちょっと丁寧にせぬか!」
「すいませんー。拭き残しがーあると不味いと思ってー」
「こんなガシガシやられるぐらいなら、拭き残された方がましじゃ!」
「はーいー」
タヌキは憤慨する少女を前にしても悪びれた様子は一切なく。
その態度に腹を立てたのか、少女がタヌキの尻を蹴りとばす。
少女のか細い足から繰り出される一撃など効くはずがない。
そんな考えを一蹴するかのようにタヌキが高速で吹っ飛び、真っ赤な壁に体の前半分がめり込む。
そんな漫画みたいな光景に、思わず唖然としてしまう。
「ん?どうした?そんな間抜けな顔をして」
「あ、いや。凄い蹴りだなと思って。後、彼女大丈夫なんですか?」
レルは両手を万歳状態のまま壁にめり込み、ピクリとも動かない。
ひょっとして死んでるんじゃと心配になり、聞いてみる。
「ああ、ありゃ狸寝入りじゃ。気にするな」
本家本元の狸寝入りかよ!
「それで、何の話をしておったかのう?」
「出血させずに魔物を倒す方法です!」
また大声を出してしまい、またもや少し唾が飛んでしまう。
だが少女はそれを仰け反りながら後ろに回転し、見事にかわす。
綺麗に着地した少女は人差し指を立て、どや顔で指を数度横に振る。
まるで同じ攻撃は二度通じないぜと言わんばかりのジェスチャーだ。
あの動きでは顔に付いていなくとも、絶対服とかには付いてるだろうなと思ったが黙っておいた。
「それであの」
「うむ。即死魔法じゃ!!」
俺の質問に、少女は力強く大きな声で答えを返してくれた。
その為か、今度は少女の唾が俺の顔に飛んできたが気にしない。
何故なら俺は興奮しているからだ。
少女の唾にではない!
即死魔法という未来の可能性にだ!
ほんとだよ?
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