ありえない葬式

nobuotto

第1話

 白地に黒字で佐藤家式場と書かれた看板が佐藤の目に入った。

 ありふれた姓だからといつもは通り過ぎるが、今日はなぜか同姓の葬式に出ようと思った。

 コンビニで黒ネクタイを買って参列した。見ず知らずの人の遺影に焼香をあげる。天寿を全うした高齢者だった。

 次の日もまた偶然に佐藤の葬式に出会った。佐藤はカバンに入れておいた黒ネクタイを締めて参列した。五十代くらいの男性。奥さんとまだ学生の息子さんが悲しみに沈んでいた。佐藤も胸を締め付けられるようだった。

 そして、また次の日も佐藤の葬式に出会った。偶然だろうが参列するしかないと思った。今度は少年の佐藤だった。沢山の同級生が参列していた。この子達の多くは死というものを初めて身近に感じているに違いない。

 葬儀場から出た時に「佐藤」と声をかけられた。高校の同級生で坊主の岩佐だった。岩佐の檀家の葬式だと言う。佐藤はここ数日のことを話した。

「彼岸だかなら」

 岩佐は一言で済ませた。

 物理学者である佐藤にしてみれば、そんなオカルトのような話しは信じられない。

「お前最近悩んでいないか」

 確かに悩んでいる。研究なら自分で解決できるが大学の派閥争いの板挟みという自分だけではどうしようもない問題で心身疲れきっていた。友人から紹介されている私立高校の教員になろうかと考えていた。研究もいいが、物理の楽しさを教えるのもいいと思い始めていたのだった。

 頭を空っぽにしたくて佐藤は夕暮れの土手を、カップ酒を飲み飲みアパートへ歩いて帰った。

「お兄さん、一緒にいいかい」

と白髪のおじいさんが横にやってきた。彼もカップ酒を持っている。

「若いのに黄昏れてるねえ」

 おじいさんは、佐藤に構わず話し始めた。大学の研究室に長くいた後、企業の研究所に入り、自分なりの研究人生を送れたと言う。

「僕もそんな人生にしたかったんですが」

「まだまだこれからじゃないか。じゃあ、私はここで」

 こちらを振り返ったおじいさんを見て最初の葬式の佐藤さんに似ているなと思ったが、まさかそんなはずはない。

 急に誰かがぶつかってきた。カップ酒が飛んでいった。

「済まない。済まない。急いでいたもんで」

キャリーケースをガラガラ転がしている恰幅のいいおじさんだった。

「悪いな君。酒代、弁償するよ」

千円札を佐藤に渡そうとする。

「結構です」と言っても許さない。

「土手周りで行くほうが早いと思ったが逆だった。物理屋のくせして、どうもこういう計算は弱い。飛行機乗り遅れちゃうよ」

 彼はガラガラと派手な音とともに走り去って行った。

 帰る途中のコンビニで酒を買い足した。

 コンビニ入り口の喫煙所で夕焼けを眺めて飲んでいると、横に誰かがやってきた。同じように酒を飲み飲みタバコを吸い始めた。同じくらいの年齢のようだ。

「どうして、世の中自分の力ではどうしようもできないことばかりなんでしょうね」

 佐藤を見るでもなく独り言のように話す。

「そうですねえ」

「けど、これから、これから。ですよね」

 自分と同じ世代が自分と同じように悩んでいる。それだけで少し心が軽くなった気がした。話しかけようとすると彼は立ち去ってしまった。

 帰り道のいつもの曲がり角の公園からボールが飛んできた。手打ち野球のゴムボールだった。

 少年が走ってくる。

「おじさん、ありがとう」

 少年にボールを渡す。

「夕焼けはどうして赤いか分かる?」

 急に少年が話し始めた。

「教えてくれなくってもいいよ。これから勉強するんだ。あっ、月が出てる。僕ね、絶対に月に行くんだ。だから研究者になるんだ」

 少年は、あの葬式の子供に似ていた。

 岩佐に電話をかけた。

 岩佐は「彼岸だからな。で、お前まだ悩んでいるのか」とまた彼岸の一言で片付けようとする。

「いや、もう大丈夫だ」

 それから「そんな非科学的な」と言おうとしたが、「そうだな彼岸だからな」という言葉が思わず出た。

 彼岸は過ぎた。それから佐藤は同姓の葬式に出会うことはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ありえない葬式 nobuotto @nobuotto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る