私は彼の下位互換

朝霧

下位互換

 北中央支部に行ってくれないか、と言われた。

 中央本部は人が足りているが、北はもともとギリギリだった上に、先日1人の戦闘員が魔物との交戦により死亡。

 人員が足りなくなった北中央支部からの救援要請に中央本部は私を差し出したいのだという。

「人員はギリギリではあるが、魔物の強さと出現率は中央ほどではない。というかほとんどの魔物が弱いし、魔物の出現率も低い。だからこそ、人員が足りていないのだ」

「要するに、ど田舎ってことですか?」

「まあそうだ。だが悪い場所ではない。私は若い頃に5年ほどあそこで戦っていたことがあるが……少し寒くて何もないだけで、過ごしやすく落ち着ける場所だよ。あと夏が涼しくてとても良い」

 上官はそう言ってにこりと笑った。

 確かに夏に涼しいのはとても魅力的だ。

 中央は住むには便利だが夏の気温と湿気がとにかく凄まじい。

 クーラーをガンガン回さないと寝付けないような熱帯夜に何度ふぁっきゅーといったことか。

「それは良いですね。とても良い。ですが、何故私にその話を?」

「お前が適任だと思ったのだ。北に蔓延る魔物の多くが雪や氷の魔物。であれば、炎の使い手であるお前が一人加わるだけで、魔物の殲滅は楽になろう」

「……ですね」

 もう一人の炎使いに声はかけたのかとは聞かないことにした。

 だって、答えはわかりきっている。

 もう一人の炎使いは私より強い、私より凄くて熱い。

 だから彼を中央が手放すことはない。

 だけど私は違う。

 同じ炎使いでも、私の炎は彼の炎より弱いし、小さい。

 一言で言ってしまえば下位互換。

 ならば私はここには必要ではないのだろう。

 二つも同じ力を持つものはいらない、なら切り捨てられるのは下位互換だ。

「……念のため言っておくが、別にお前を切り捨てるつもりはない。そしてこの話はまだ提案段階だ。お前が嫌だというのなら、この話は別の者へ」

 上官ならそういうと思った。

 だけど、それは全くの本音ではないのだろう。

 というか上官は多分、今の私を、彼の下位互換であるがゆえに燻っている私の事を憂いているのだろう。

 私が下位互換であるのは彼がいるから。

 私が燻っているのは彼がいるから。

 ならば話は単純だ、私が彼のいない場所に行ってしまえばいい。

 比べるものがなければ、下位も上位もありゃしない。

 ……根本的な解決にはなってないけど。

 それでも、何かが変わるのなら。

「……いいえ。その話、ぜひ受けさせてください」


 インターネットで北の大地を調べていたら、美味しそうなものとか綺麗なものとかいっぱい見つけてしまって、テンションがうなぎのぼりになってしまった。

「……蟹……ダイヤモンドダスト……ラーメン……雪景色……」

 そして何より、チーズの名産地であるというのが素晴らしい。

 憧れのでっかいチーズを皿にして食べるパスタを取り扱ってる店が結構あるらしい、なんだそれは楽園か。

 他にもピザにフォンデュにラクレットに、チーズ料理がたっくさん。

 やだ、太っちゃう。

 しかもついさっき来た資料によると、寮がめちゃくちゃ広い、一人部屋で今の2倍以上。

 そして本当に魔物の出現率が低いらしく、残業はほぼ0。

 いいの? 本当にいいの? こんな楽園に行っても良いの?

 ……そのぶん寒さがだいぶやばいらしいし、冬場は各地の雪の処理がメインになるらしいけど。

 だけど炎使いである私に寒さはあまり関係ない、適当にルーチン組んで自分の周りだけ魔法で温めれば万事解決。

 そして雪の処理は得意だ、綺麗にかつ華麗に溶かしてしんぜよう。

 ……やばい、知れば知るほど適職すぎる、なんで私今中央にいるんだろう?

 適任だと言った上官の言葉は確かにその通りだったんだろう、その言葉は本当に嘘偽りはなかった。

「……楽しみ」

 ふふふふふ、とチーズ料理の画像を見て不気味に笑っているだけで楽しい。

 だけどお腹が減ってきたなあ、なんて思っていたら寮室のドアがドンドン叩かれた。

「はぁーい。どちら様〜」

 上機嫌でドアを開けると、何やら少し怖い顔をした私の上位互換の彼が息を切らした状態で立っていた。

「なんだあなたか。どうかしたの?」

 緊急事態でも起こったのだろうかと身構えていたけど、息を切らした彼が口にしたのは全然別の話題だった。

「……北に行くと聞いた……本当、か?」

「うん、そうだよー。早けりゃ来月にでも」

 チーズの聖地に行ってくるぜ、と敬礼しつつバチコンとウィンク。

 私の回答を聞いた彼は少しの間、狼狽えたような顔を見せた。

 いつも鉄面皮なくせに珍しい。

 こいつもチーズ好きだったっけ? だとしたら羨ましいのかな?

「……ほんとうに、行く気か?」

「うん。なんか人手不足らしくてさー。仕事がないぶん人員が割かれなすぎて困ってるんだって、だから行ってくるよ。待遇は結構いいし、美味しいものもいっぱい食べられそうだしね。向こうに行ったらチーズをたらふく食べるんだ」

 行く気満々である事を嬉々として告げると、彼は焦燥のようなものを見せた、何故。

「あ、なんか欲しいものがあったら言ってね、物によるけど送れそうなものだったら送ったげるから」

「……いい」

 首を横に振られる、遠慮しなくていいのに。

「そっか。んじゃまあ、私、この後資料の読み込みとか向こうの事調べたりするから。あなただって忙しかったんでしょう? 早く帰って休みなよ」

 バイバーイと手を振りつつ、ドアを閉めようとしたらしめかけのドアの間からにゅっと長い腕が伸びてくる。

「おわっ!?」

「話はまだおわってない」

 伸びて来た腕は私の肩を掴む。

 服越しにも伝わってくる熱に目を白黒させてしまった、なんでこいつ感情高ぶらせてるの?

「何事?」

「……北に行くのはお前の望みか?」

「え? うん」

 さっきからなんなんだと思いつつ即答すると彼は顔を引きつらせた。

 その状態でしばらく固まっていたけど、彼はふと私の肩から手を離して無言で去っていった。

「あ、ちょ……なんなのさいったい……」

 わけがわからなかったから少しの間悩んでいたけど、作業を再開したらすぐに忘れてしまった。


「永住も視野に入れてる」

 久しぶりに電話で話すかつての同僚その2に向かってそう言った。

 北中央支部に移ってから数ヶ月。

 年末年始も近づいて、北中央支部は冬の真っ盛りだった。

 思っていたより寒いし雪もすごいけど、それでもなんとかなっている。

 聞いていたように魔物は弱いし出現率も低い、中央本部にいた頃の激務とは大違い。

 一番辛いと聞いていた冬を過ごすまで視野に入れるのはやめておこうと思っていたけれど、このぶんだと永住しても私にはなんの問題もない。

 というか永住できるのならば是非そうしたい、夏は涼しくて過ごしやすかったし食べ物は美味しいし空気も綺麗だし、あとチーズ。

 ちょっと不便な点は物の流通が遅いくらいだろうか、それでもあまり気になるほどではない。

『そんなにそこが気に入ったの? いいなあそんなにいいところならいつか行ってみたーい』

「うん。今度遊びにきなよ。でも君、寒いの苦手だったでしょ? なら冬に来るのは厳しいかな……私は自分の魔法で自分の身体を温められるけど、君はそういうわけにはいかないじゃん?」

『あうー……そうだよねえ……じゃあ、夏になったら遊びに行くよ』

「うん、おいでおいでー、美味しいお店いっぱい紹介したげるー」

 そう誘うと彼女はやったー、とはしゃいでいた。

 そんな会話をした日の夜、元同僚その3から電話がかかってきた。

 通信相手の表示を見て思わず面食らう。

 普段電話をかけてくるような奴じゃないから。

 緊急事態でも起こったのかと戦々恐々としつつ通話ボタンを押す。

「もしもし?」

『久しぶりだな』

 聞こえてきた固い声に思わず顔を強張らせる。

 何かあったとかと聞いてみた、何事もなくちょっとした気まぐれで電話をかけてきたと答えてくれると嬉しいなと思いながら。

『あのバカから聞いた。お前、北に永住するつもりらしいな?』

「うん。できれば是非、って思ってるだけの段階だけど……それがどうかしたの?」

『どうせ考えを変える気はないんだろうが言っておく。帰ってこい』

「え? なんで?」

 中央は確かに忙しいけど、私が抜けた後も普通にやっていけてるらしいし、だからこそ私が北に永住したとしても全く問題はないと思う。

 来年になれば新人だって入ってくるはず、なら私が戻る必要は限りなくゼロだ。

「私がいなくても十分やってけてるんでしょう? 私がそっちに戻る必要は……」

『ある』

 食い気味に言ってきた向こうの声はなんだか焦っていた。

『お前が中央からいなくなってまだ半年だが……お前の相棒がだいぶ荒んでいる」

「はい?」

 相棒――要するに私の上位互換である彼が?

 荒れる要素なんかあったっけ?

「……お前が戻れば多分落ち着くと思う。だから俺もお前が戻るまではこっちでなんとかしようと思ってたんだが……お前がそっちに永住するつもりなら勝手が変わる……お前が中央に戻ってこないなんてあいつが知ってみろ……荒むどころの話じゃない』

「えー……? なんで?」

 いや本当に事情がよく見えない。

 確かに同僚だったし相棒と呼べるほどの付き合いはあった。

 だけどそれは仕事上の仲だった、仕事が終われば特になんの付き合いもない、一緒に遊んだこともないし。

 元々4人しかいなかった同僚のうちの二人が常に一緒にいたから、なんとなく組んでいただけだったし。

 現に私が北に移動する事が決まった後も、行かないでくれと言われた覚えはないのだ。

『ああ……そうか……お前にはわからないか……あいつ、俺よりも不器用で、口下手だから……』

「えーっと?」

 一体私が何をわかっていないんだと首を傾げた。

『あいつは俺と同じだ。強すぎる魔力のせいでただ存在するだけで他者に害をもたらす。普通の人間には触れるだけで傷を負わせる災いのようなもの。俺は他者に触れるだけでその誰かを毒で犯し、あいつは触れたものの身体をその熱で焼いてしまう』

「……それがなんだってのさ」

『そんな俺たちでも、触れ合える人間がいる。同じ系統の魔力や、自分の魔力を打ち消す魔力を持つもの達なら俺らの魔力は彼らを傷つける事がない。俺らみたいな災害級の魔術師が、他者の温もりを得るにはそういう存在に縋るしかない』

「……つまり?」

『俺にとってはその縋る対象があのバカで、あいつにとってはお前だ』

「……うん」

 確かに私なら彼に触れてもあまり彼の影響は受けなかった。

 少し熱いと感じる時があったくらいで、それだけだった。

 だけど、たったそれだけだった。

『だから、お前を失ったあいつはいつも不安定で、不機嫌だ……バランスを欠いていて、いつ何をしてもおかしくない……そうなる気持ちは痛いほどわかる……俺のあのバカがいなくなったらそうなるだろうからな』

「……あの子がいなくなったら君がそうなるだろうってことは、まあ納得できる。でも、彼がそんなことになってるなんて……その、にわかに信じがたいんだけど……」

『お前は実際に見た事がないからそう言えるんだ。お前がいるかいないかだけであいつは雰囲気を変えるからな。お前がいる時でも確かに無愛想ではあるが……いない時はあれよりも機嫌悪いぞ』

「うっそだー……」

 あれよりも機嫌が悪いって、ちょっと想像がつかないんだけど……

 いつも無愛想だし、何考えてるのかよくわからないし、割としょうもないことで怒るし……

『とにかく、そう言うわけだから。できれば永住するなんて考え直してくれ。ストレスで胃に穴があきそうだ』

「うーん……でもさあ……それって、私じゃなきゃダメな理由ある?」

『……何?』

「だってさー。彼には彼のそばにいられる人がいればいい話なんでしょう? なら私以外にもいるんじゃないかな? 炎使いは少なくないし、水属性の人だって、探せばいくらでも……私なんかよりももっと彼に合う人がいると思うんだよね」

 そう言うと電話の向こう側の彼はしばらく黙り込んでしまった。

 何かを考えているのか、それともちょうどいい人にあてでもあったのか。

 何も語らぬ通話相手に控えめに声をかけると、通話相手の彼はなんだか暗い声でこう言った。

『……触れ合えるのであれば、誰であってもいいわけじゃない。俺らみたいな存在にとって、そばに居たくてそばにいる事ができる誰かを見つける事ができたのなら、それはとても幸運なことだ』

 だからと彼は前置きして、重々しくこう言った。

『だから――俺たちみたいな奴は、その誰かに必死に縋りつくしかないんだ』


 元同僚から立て続けに電話があったその翌日の夜、つまりは昨日の晩に中央本部の上官から電話が。

 なんでも彼が突如脅しと言っていいような形で1週間ほどの有休をぶんどって、どこかに消えてしまったらしい。

『もしかしたらそちらに向かうかもしれん。もし会うことがあれば、できるだけ早く戻れ、と』

 そんなことを言われたので、是と答えておいた。

 なんで北中央支部所属の私にこんな連絡が回ってきたのかと言うと、単純に彼の携帯電話に何度かけても応じないかららしい。

 機械音痴だから仕方ないのか、それともあえてシカトしているのか……

 どちらにせよ、ありえそうなことだとは思う。

 そんなことを思い出していたら出動要請が入った。

 珍しいことに魔物が出現したらしい。

 市民からの通報によると、とある森の近くで氷像の竜が出現、まだ被害はないが人里に降りられたら面倒なことになりそうだと言うこと。

 声がかかったのは私ともう一人、今年からこの北中央支部に勤めている新人ちゃん。

 新人ちゃんだけど防御やサポートの魔術の扱いが非常に上手で期待の新星ちゃんなのだ。

「行きましょう、先輩」

「うん。行こうか後輩ちゃん」

 凛とした声に嬉々として答える。

 魔物が原因で出撃するのはギリギリ1週間ぶり、久々? の戦闘になるので、気を抜かないようにしよう。

 

「先輩!!」

 後輩ちゃんの切羽詰まった声に雪の中から大丈夫だと手をひらひらさせる。

「まさか子竜までいるとはねー……ちょっと油断したか」

 現場に向かった私達は討伐対象であった氷像の竜と交戦を始めた。

 氷像の竜は雪像の竜よりは固くて強い。

 それでも私達だけで十分対応は可能、と油断したのがよくなかった。

 討伐対象である氷像の竜に気を取られていた私達の死角から、想定外のそれが私めがけて突進してきたのだ。

 討伐対象であった氷像の竜と同じ姿の小さな影に気付いたその時にとっさに炎を向けていたが、ギリギリ溶かしきれずに吹っ飛ばされた。

 だけど衝撃は雪によってほとんど吸収されたし、飛びかかってきた小さな竜、氷像の子竜はすでに絶命。

 ……だからまあ、よしとしよう。

「大丈夫ですか!? お怪我は!?」

「大丈夫だし怪我もないよー。さーってと……あと4、いや3回で決着をつけようか」

 子供を溶かされ怒りの咆哮をあげる氷像の竜と対峙する。

 氷像の竜は結構硬いので私の火力じゃ一度で溶かしきれない。

 現にもう2回ほど直撃させているけど、右の羽と腕を溶かせただけだ。

 だけど、残り3回で決める。

「まず足を、その次に胴を、最後に頭と首を」

 術式を組み立て、完成した炎を氷像の竜にけしかけようとにたりと笑みを向けたその時。

 氷像の竜が真っ白い炎に包まれ、1秒かからず蒸発した。

「――へ?」

「せ、先輩っ!? この炎はっ!?」

 もちろん私のものじゃない、私の炎は赤い色をしているから。

 後輩ちゃんもそれをわかっているから驚いているんだ。

 私はこの炎を知っていた。

 だけど、何故。

 この炎の使い手がこんなところにいるはずが……

 いや、いてもおかしくはない状況だったんだっけ。

「何者ですか!」

 白炎が飛んできた方向に後輩ちゃんが叫ぶ。

 そこには、半年前まで週に5回ほどは見ていた顔があった。

「……なんであなたがここにいるの?」

 問いかけた言葉を無視して、彼はまっすぐこちらに向かって歩いてくる。

 その足元の雪が、一歩歩くたびに蒸発して消えていく。

「先輩、知ってるんですか!?」

「うん。ちょっと前に話した中央本部の元同僚その1の炎の使い手だよ……なんでこんなとこにいるのかは知らないけど」

 後輩ちゃんの疑問に答えている間に彼が私の目の前に。

 目つきが前よりも悪い、あとすごく機嫌が悪そうだ。

 本当にどうしたのかと聞こうとしたところで、右手を掴まれた。

 熱い手だった、かなり感情を高ぶらせているらしい。

「――帰るぞ」

 そのまま右手を強く引っ張られる。

 つんのめりかけた身体のバランスをなんとか保って、その場に踏みとどまろうと踏ん張りつつ口を開いた。

「ちょっと、いきなりなんなのさあなたは!? いきなり出てきたと思ったらなんのつもり? てゆーか帰るってどこに帰るっていうの?」

「……うるさい黙れ……帰るのは中央だ」

「は!? なんでさ? 私、明日も明後日もその先も仕事なんだけど……移動命令とか緊急招集とかもかかってないし、私がそっちに戻る理由はないよ」

 それでも彼は私を引く手を離さない。

 と、そこで左手も掴まれた。

「中央の方だかなんだかよくわかりませんが、先輩を離してください」

 左手を掴んだのは後輩ちゃんだった、冷たく柔らかな手のひらもまた、私の手をしっかりと掴んでいる。

「誰だお前は。離せ、殺すぞ」

「ちょっと、私の可愛い後輩に殺意向けないでよ!!」

 間違っても人に向けてはいけないレベルの重い殺意を彼が後輩ちゃんに向けるので思わず叫んでいた。

 同僚その3から聞かされていた通り、本当に荒んでいる。

 前はもうちょっと穏やかだった、少なくとも人間にこんな殺意を向けるような奴じゃなかった。

「殺されたくなかったらおとなしくついてこい」

 なんと人質を取られてしまった、このままだといろんな意味でやばい。

 後輩ちゃんが殺されるのも困るが、元同僚その1である彼が人殺しになるのも嫌だ。

「――おい、中央の。少し落ち着け」

 突然聞こえてきた低い女性の声にハッとそちらに顔を向けると、頼もしい黒髪の女性の姿が。

「支部長!」

 助けてくださーい、とヘルプコールをすると、支部長はうむ、と頷いた。

 その直後、彼の頭上に巨大な水の塊が出現。

「――っ!!?」

 彼は身構えるがもう遅い。

 巨大な水の塊は、空中で形を崩してザッバーンと彼に降り注いだ。

 私も若干巻き添えを食らったけど、大したダメージはない。

 私の手を掴む彼に手が緩んだ。

 その隙をついて、彼の手を振り払おうと腕を強く振る。

 後輩ちゃんも私の左腕を引っ張る力を強めた。

 普通だったらスッポンと抜けるように私は彼から距離を取ることができただろう。

「――!」

 だけど彼はそれを許さなかった、力が緩んだのは一瞬で、その直後にはより強く掴まれていた。

 完全に水の塊が地面に落ちる。

 ずぶ濡れになった彼の手は、まだ私の手を掴んだままだった。


 とりあえず話は支部で行おう、という支部長の言葉によって私達は北中央支部に移動した。

 彼は酷く不満げだったけど、相性が悪く実力者である支部長を警戒したらしく文句を二、三言っただけでおとなしくその言葉に従った。

 それでも未だに私の右手は彼に掴まれたままだ、何度か離してくれとは言ったのだけど無視された。

「――それで、君は彼女を中央に連れ戻しにきた、という見解であっているか?」

「……ああ」

 うむ、と支部長は考え込むけど、すぐに首を横に振った。

「……悪いがそれは不可能だ。今の状態で彼女が抜けると私達は困る。戦力的に彼女がいるから今はだいぶ余裕があるが……抜けられるとだいぶ厳しい。魔物の出現もこれから高くなるしな。というわけで君の要求は飲めない」

 彼の手の熱がその言葉でさらに上がる。

 私が普通の人間だったらきっと爛れていただろう、同じ属性でそれなりに強い私だったから熱いだけで済んでるけど。

 でもこれ以上熱くなられると流石にキツい、低温火傷になっちゃう。

 生まれてから20年ちょいだけど、火傷とは無縁の人生を送って来たのに……

 なんとかしてくださいと無言で支部長にヘルプコールを送ると、支部長は表情を変えずに予想外の言葉を放った。

「だが、君がこちらに来たいというのであれば歓迎しよう。……なんだその顔は、そっちは考慮していなかったのか?」

「えええ……? でも彼が中央を抜けるとあっちの戦況的に……」

 思わず口を挟む、いやだって無理でしょう。

「確かにそうだろうな。……だが、あちらもそこの彼のような災害級の魔術師の機嫌を損ねるのは避けたいだろう。ならば妥協案を出すしかない……お前も中央には戻りたくないのだろう?」

「それは……そうですけど」

 北に永住したいと彼女に伝えたのはつい最近の話だった。

 そっか……私のことも考えてくれたのか。

「で? どうする中央の」

「……こいつがいるところなら、どこでもいい」

「そうか……なら中央本部には私の方からも伝えておこう。お前からも希望は出しておけよ? ま、実現は難しいとは思うがな」

 彼女はそういうと、話は終わりだと立ち上がった。

「私はこの後も仕事だ。積もる話もあるだろうからお前はもう上がっていいぞ」

「え。でも……この後、雪溶かしが……」

「いいから上がれ。雪ならまだ大丈夫だろう。お前が昨日しっかり溶かしてくれたからな」

「わ、わかりました……」

 本当にいいのだろうかと思ったけど、支部長がそう言ってくれるならその言葉に甘えてしまおうか。


「10、いや5分待ってて。片付けるから」

 私は寮室の前で彼にそう言った。

 部屋の中が若干散らかってるのだ、散乱してるものを収納スペースに突っ込まねば。

「……」

 それでも彼は私の手を離そうとはしなかった。

 彼の手の熱はだいぶ下がっていた、それでもまだ熱いけど。

 落ち着いてはきているのだろう、それでもまだ冷静ではないらしい。

「手を離してくれないかな? 掃除ができない」

「……わかった」

 そこでやっと手を離してもらえた。

 熱をはらんだ右手を2、3開いて閉じて熱を逃がす。

「それじゃ、ちょいとお待ちを」

 手を軽く振って寮室のドアを閉めた。

 さーってと、お片づけお片づけ。

 きっちり5分で片付けをすませた。

「もういいよー」

 ドアを開くと直陸不動で立っていた彼が部屋の中に入って来た。

 入って来た彼は靴を脱ぐやいなや私に向かって突進して来た。

「うわっ!?」

 悲鳴をあげながら後ずさるも、間に合わずに直後に衝撃が。

「なになになにどうしたっていうのさ!?」

 突進されたと思ったら強く抱きしめられていた。

 痛い、そして熱い。

 彼は何も言わずに私の身体に縋るように。

「ねえ、あなたって私のことそんなに好きだったの?」

 恐る恐る聞いてみると、彼は何も言わずに腕の力を強くした。

 肯定、ととったほうがいいのかな?

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私は彼の下位互換 朝霧 @asagiri

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