第7話

「陸!」

修國館大学の南門を入ったところで、陸は後ろから両肩をがっしりとつかまれた。

首だけで振り返ると今日は顔の隠れていない菊人が見えた。


見覚えのあるDIESELの黒のハーフコートを着ている。

DIESELは菊人と知り合って初めて知った服のブランドで、陸は一回生の頃に何も知らずに直営店におもむいたことがあった。

そしてまずは値段に目を剥き、店員に言われるがまま試着してみた服はどれも袖が長すぎたり身幅が細すぎたりで、服の方から「お前には着られたくない」と言われているようで、そそくさと逃げ帰った苦い記憶があった。


やっぱり菊人は似合うなーと思った途端、先週の合コンを思い出して陸の胸は一瞬チリッと痛んだ。


「久しぶり風邪治った?」

「あ、うん大丈夫や。ごめんな、こないだ、なんも言わんと急に帰ってもて」

あの朝、陸が突然帰ってしまったことについては、バイトか何かだろうと菊人も隆斗も特に気にはしていなかった。

だが、休み明けもその次の日も講義に出てこない陸を心配して二人からは何度もラインが届いていた。

陸としては自分でも思いがけず傷付き逃げ帰ってしまったなど、キャラ的に言いたくなかったのもあったが、ラインが送られて来た頃は、もう実際それどころではなかったので取り敢えず風邪をひいたと返信してあったのだ。


「隆斗は、えっと今日のこの時間は」

土日を含めて四日間も大学に来ないと曜日の感覚が狂っていた。

「ゼミ、後でラウンジに来るって」

「そやった、ほんなら俺らも行こか」

「見てないのか?二限刑法休講」

「えっそうなん?うわーやられたー!それやったらもっと寝れたのにーくそーっ」と悪態をついてから、陸は菊人をちらっと見上げた。


百八十センチを超える菊人とは十センチ以上の身長差がある。

「ほんならなんで菊人来てるん?」

「まぁちょっとヤボ用あって、そのままさっき来た」

そう返事をした菊人の表情がほんの一瞬険しくなったのに陸は気づいたが、菊人の朝の機嫌の悪さは今に始まった事ではないので、そこはスルーしておくことにした。


「そうなんや、ほんじゃ隆斗来るまでラウンジ行っとく?」

「そうだな」

ひどい低血圧のためか血糖値が低いのか、よくは知らないが朝が極端に苦手で何がなんでも1限を入れようとしない菊人の朝のヤボ用とは何だろうと陸はいぶかしんだ。

しかし今朝の菊人の感じでは聞いたところで、はぐらかされそうだったので取り敢えずそれは脇に置いておくことにした。


私立大学の象徴のようなラウンジは贅沢な広い空間で、テーブルや椅子やソファなどがゆったりした間隔で配置され学生が好きなように時間を過ごせるようになっていた。

食堂ではないが基本食べ物の持ち込みは自由で、ラウンジの一画にはスタンドコーヒーのショップが入っている。


図書室や自習ルームはまた別にあるので静かに勉強したい者はそちらに行けばよく、ラウンジでは大騒ぎさえしなければ歓談も自由だ。

陸たちも講義以外の時間は、もっぱらこのオールマイティな空間で過ごすことが多かった。


「おー!陸ちゃん復活したー」

隆斗は正午を二十分ほど回った頃に大袈裟に手を振りながらやって来ると、陸の横に大ぶりのショルダーバッグを置き、後ろに回って肩を揉み始めた。


「陸ちゃん‥あの萌ちゃんだけどさ、まぁぶっちゃけそれほどだしさー、まぁどーでもいいじゃんなー」

いきなり核心を突かれて陸は咄嗟に言葉に詰まった。

「え…」


隆斗は今度は前に回って菊人の横に座ると、テーブルに両腕を投げ出したような格好で前かがみになった。

陸の表情をうかがいながら、ここは笑うところか慎重にいくべきか決めかねている様子だ。

先に陸の方が吹き出した。


「なんやーもう知ってるんかー、まぁいつものパターンでやられてもうたわ」

向かいに座る菊人は笑いもせずに手元のボールペンを分解していて、陸は昼を過ぎてもまだ機嫌の悪そうな菊人を首を傾げて眺めた。


隆斗は菊人の様子に気付いたふうもなかったが、こちらもどこかいつもと違う感じを陸は受けていた。

「俺の方もさー、彩香ちゃんそんなタイプって訳じゃないし、こっちもぶっちゃけると日曜に会ってみたんだけど微妙なんだよな」

「早っ、さすが隆斗やな。ほんまフットワーク軽いなー」

「どーも」

おどけたように敬礼をしてみせる隆斗の横で、菊人は分解したボールペンを今度は組み立てている。

「菊人の方のミコちゃんはどうなったん?」

「無い」一言だ。

「え、無いって?会うのもやめたってこと?」

「まぁ」

「そうなんや、菊人が断られるとか有り得へんから菊人からゴメンてことかー」

「ま、そこんとこは色々ありってことでいいだろ。飯行こうぜ」


今日の菊人は低血圧だけでなく背中に巨大な低気圧の渦をしょっている。

こんな時はいくら攻めても絶対に口を割らない。

ちょっと気にはなったが、陸は合コンネタでまた道化を演じずに済むことにホッとしていた。


それはもう傷つく云々うんぬんという話ではなく、頭の中も現実の生活もそれどころではなかったし、この数日の出来事を二人にいつどのように話すかで頭の回線はパンク寸前だったからだ。

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