最終話 僕たちの時間(後編)

「あ、僕……」


 悪気があった訳じゃない。深い意味だってない。ただ自分で自分に、自信が持ちたかっただけなのに。


 それでも僕の言動で、早河はやかわさんを傷付けたことに変わりはないんだ。


 そんなことしたくないのに。何でだろう。なんか今日は……。


 違う。


 早河さんのことを好きになってから、自分のやること全部が思うようにならない。


「結局、私の気持ち、何にも伝わって無かったんだね」


「違っ……、ごめんっ、早河さん! 僕はっ」


 嫌われたくない。がっかりされたくない。早河さんがずっと好きでい続けた人のように、いつだって余裕の笑顔を見せていたい。



 早河さんに、今度は僕だけをずっと好きでいて欲しいから。



「私が、こんな性格だから。全然可愛くなんてないから。柊二しゅうじに言われたように、素直になりたいって思うのにそんなの全然なれないからっ」


 思いを一つ口にする度、早河さんの瞳が潤んでいく。


 え? あれ?


「私、初めてなの。本当に好きな人に好きって言ってもらえるのも、本当に好きな人と付き合えるのも、柊二が初めてだからどう伝えればいいのか分からない。柊二が何が楽しくて、どうしたら私といて嬉しいって思ってもらえるのか、全然分からない……」


 弱々しく肩を震わせる早河さんの言葉が、ゆっくり僕の中に浸透して来る。それが嬉しさに変換されて、愛しさとして返せるようになるまで、思わず立ち上がっていた僕はしばらくそのままでいるしかなかった。


 周りから「何ー? 姉弟喧嘩?」「可愛い弟くんが美人のお姉さん泣かせてるー」って声が聞こえてやっと我に返った。


 今日のデートが決まってすぐ、マニュアルの他にも調べたことがある。

 この時期は、丁度。


「……早河さん、ちょっと外歩かない?」


「え……っ?」




 ショッピングモールから五分程歩いた場所にある大きな公園は、日曜の午後だけあって家族連れも多くいる。

 その入り口に並んで立った僕たちは一緒に前を見つめてる。整備された歩道の左右に広がるのは、どこまでも真っ直ぐ続く、空まで届きそうな勢いの銀杏並木。一面黄色の世界。


「すごーい、綺麗……」


 僕の左隣で口を開けて見入る早河さんが初めて見せる無邪気な表情に、クスリと笑ってしまった。


「ここ、調べたらね、この時期すごく人気の場所なんだって。だから今日、早河さんと一緒に歩きたいなって、そしたら少しでも喜んでもらえるかなって、実は水曜からずっと思ってたんだ」


 早河さんが「えっ」と小さく驚きながら僕の方を向く。そんなに見られると少し照れるけど、でも、伝えたい。


「僕だって初めて好きになった人との初めてのデートだよ? どうすればいいかなんて全然分からないけど、すっごく楽しみでしょうがなかった。早河さんと何しよう、どうしたら喜んでくれるかなって、調べて、考え過ぎて、お風呂でのぼせちゃったりもしたけど、結局今も答えは分からない。でも僕は、一緒にいられるだけですごく嬉しいって思ってるよ? 本当は早河さんにも同じように思って欲しいのに、逆に悲しい思いをさせちゃってごめんね」


 正直な気持ちを言い終えた後で頭を下げた。早河さんからの答えは、


「ううん、ありがとう。私も、めちゃくちゃ嬉しい」


 少し照れた眩しい笑顔。


「歩いてみようか?」


「うんっ」


 促す僕を待ちわびたように吹く木枯らしに、木々から無数の銀杏が舞い始める。柔らかく差す日差しを浴びて黄金色に輝く道を、大好きな早河さんと一緒に進む。


「わぁ、綺麗だねー」って思わず上を向いて歩いてたら、コツンと手の甲に何かが触れた。ふと横を見るとすぐ隣にいる早河さんと目が合う。


 あれ、こんな近くを歩いてたっけ。


 周りには同じように上を向いて歓喜する手を繋いだ親子、熟年の夫婦、それに、カップルたち。


 一度落とした視線の先に、お互いに空いた手と手があった。


「……いいよ?」


「え?」


 何かを許可し、少し顔を赤らめてる早河さんをじっと見つめる。


 いいよ? いいよって何だろう。

 ぶつかって痛かったけどしょうがないから許してあげる、とか?

 はっ、まさか、銀杏なんて本当は塵程も興味ないけど、しょうがないから今だけ一緒に歩いてやるよ、だったらどうしようっ!


「……手! 繋いでもいいよっ」


「へぇっ!?」


 僕の思考を読んで怒ったような早河さんに、裏返った変な声で返してしまった。


 て、ててて、手ーっ!? ゲホッゴホッ!


 密かにむせた。

 恥ずかしさで真っ赤になってるのが分かる。

 えっ、初デートでこれってありなしを二分するくらいの重大問題だったよねっ? ど、どうしようっ!?

 で、でも、早河さんから言ってくれたってことは、早河さんは繋ぎたいって思ってくれてるってことで、だったら僕が断る理由なんてある筈も無くてっ。


 そっ、そうだ! 例の神アプリも一応復習しておいたから、やっぱり今こそかっこいいところも見せたいっ。

 イケメン度免許皆伝の、究極の手繋ぎ技で!


 えーっと、確か十段が人混みでさり気なくだったけど、免許皆伝の技はさっと手を取って真っ直ぐ目を見つめながら「銀杏も綺麗だけど、今日の君の方がもっと綺麗だよ。愛してる」で、手の甲にキス、だったよね。


 よ、よぉし!










 ……って、そんなのできないよーっっ!

 それどこの国の王子!? 本当にみんなこんなことしてるのっ? 僕にはたぶん一生かかっても無理だー! えーんっ。


「泣く程イヤなら無理しなくていいんだけど」


 ええっ、違うのにー!


「イヤじゃないよ! 僕だって繋ぎたいけど王子様の技はキャパオーバーだからぁ!」


「はあ? ワケ分かんないこと言わないでっ。もういいっ、一人で歩くから!」


「ま、待って!」


 慌てて前を行く早河さんの手を握った。冷たい感触しか分からない。


「こっ、こここ、こっ、ち、こっちの方が温かい、よねっ?」


「……うんっ」


 そんな僕を見て、くすくすと笑う早河さん。ああーっ、僕にかっこいいなんて、それこそ一生縁が無いのかも……。


 地面がふわふわしてる。会話が見つからない。繋いだ左手を動かせない。何より緊張し過ぎて前しか見られない。


 あ、あれは。


 その狭くなった視界に入って来たのは、この場所と一緒に調べてチェックしてた、インスタ映えするって書いてあったホットドリンクを販売するカフェカーだった。


「あっ、早河さん、ちょっと待ってて!」


「えっ? ちょっ、と……っ?」


 前しか見えていなかった僕は、早河さんを置いてカフェカーへと走った。きっと早河さんは喜んでくれる。その一心で。


 お礼を言って受け取ったテイクアウト用の二つのカップを手に振り返ると、大学生位の男の人に声を掛けられてる早河さんがいた。


 強気に嫌がる早河さんと、強引に迫る男の人。僕よりずっと背が高くて、イケメンの。



 初めて知った、誰かを好きになる気持ちと好きな人と一緒にいられる幸せ。


 知らないままでいたかった、一人占めしたい勝手な思いと、誰かを羨み、嫉妬する、自分の中の黒い心。


 それでも、彼女を失いたくない。


 あの日から動き出した僕たちの時間を、大切にしたい。


 想いを、大切に育んでいきたい。



 初デートの思い出は、今日しか作れない!


美乃梨みのり、お待たせっ!」


 気付くと二人の間に手を伸ばして、強引にカップを一つ、美乃梨に手渡してた。息が弾む、鼓動が速くなる。


「あれー? 弟くんかな? ごめんねー、オレ今からお姉さんと……」


「弟でも妹でもなく、彼氏です。失礼しますっ」


 空いた方の手を引いて、美乃梨と二人、早足に歩き出した。


 す、すっごく、緊張したぁぁぁっ。


「……二。柊二っ」


「あっ、ご、ごめんっ。痛かった?」


 はっとした僕は慌てて手を離した。許可もなく勝手に手を繋いでしまったことが、今になってものすごく恥ずかしい。

 でも、美乃梨は笑ってる。


「ううん、大丈夫。それより、せっかくだから、座ってゆっくりこれ飲みたい」


「あっ、そ、そうだね! じゃあ……あ、あそこ空いてるよっ、美乃……っ」


「うんっ、行こう!」


 !


 一度離した手を繋がれた。だから、その微笑みは……。


「はい……」


「あっ、そうだ」


 思い出したように美乃梨が肩越しに振り返る。


「さっきの柊二。ちょっと……かっこ良かった、かな」


 と同時に、きゃーっとはしゃぐ子どもたちの声が駆け抜ける。


「え?」


 今、何て?


「き、聞こえないっ」


「い、一回しか言わないから知らないっ!」


「ええーっ! ズルイよ、美乃梨っ」



 ベンチに座って温かいドリンク片手に「好きな食べ物は何ですか?」から始まる小学生みたいな会話。これが僕の精一杯の話題提供で、お互いを少しずつ知る為の大切な時間。マニュアル実践はまた今度。


 話し足りない内に帰る時刻になっちゃって、


「明日また会えるって分かってるけど、帰らなきゃダメだよね? すごく、寂しいな……」


 そう僕が言って、美乃梨の手をぎゅっと握った。


 今日はバスで帰る美乃梨を見送った後、駅に着くまでの道も、改札を通る時も、ホームで電車を待ってる間も、何度も最後の美乃梨の顔を思い出してた。


 真っ赤になって俯く美乃梨はやっぱりすっごく可愛くて、僕の胸が何度もきゅうんって音を奏でる。


 ——きゅうってホントになるんだぁ。


 なんて思って赤面とニヤケ顔を繰り返す、たぶん相当アヤシイ人。その度に両手で顔を覆う。熱い。



「どうしよう、僕。美乃梨のこと、すごい好きだ……」



 一番線の電車が風を起こす。でも今日は全っ然寒くない。


 行き先は僕の家の最寄り駅だけど。


 このまま知らない街へ『彼女』を連れて行きたくなる!

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