インターセクション

仲咲香里

本編

第1話 初恋×失恋

「うざーい」

「うぜー」


 静かな学校の屋上で私たちは重なる声にお互いの顔を見る。

 いつもの無表情。

 もうすぐ四時間目が終わって昼休みになるこの時間、自習になった壮空そらに誘われて私もここへ来た。壮空とはクラスが別だから、私はサボりってことになるけど。


 九月。やっと秋らしさを帯びた乾いた風が、カーディガンを羽織る制服姿に心地良い。今日みたいに晴れた日には、立入禁止の筈のこの場所によく壮空といる。別に二人で何をするって訳でもなく、ボーっとしたり、話したり、うたた寝したり、いつもそんな感じの時間を過ごす。


 初めてここに来た時、壮空が「美乃梨みのり、最高の場所見つけた」って笑顔で教えてくれたのは、もう一年以上前のことだ。そんな壮空の笑顔を見たのは、幼稚園の頃、夏休みに滑り台のてっぺんに勝手に秘密基地を作り上げた時以来かもしれない。

 キラキラの誇らしげな壮空の顔は太陽よりも眩しくて、どんな時も私の前で輝いてた。

 その秘密基地は、すぐに解体されたけど。


 今は私の隣で仰向けに寝て、つまんなそうにスマホを見る壮空に一応聞く。


「彼女からー?」


「そっちこそ彼氏だろ?」


 壮空のスマホが鳴ったのを合図に、私も昨夜から未読のままスルーしてたメッセージを確認しただけで、お互いそれ程興味は無いって声。


 壮空の彼女。

 今は同じクラスの、私とは正反対のゆるふわな綿菓子みたいな子。壮空が付き合うのは、決まっていつもそういう子だ。

 明るい髪色と着崩した制服に、あの頃の天真爛漫さはもうカケラも無い。お互いに。


「早く帰って来てって?」


 私の問い掛けに「あー?」って面倒くさそうに壮空が棒読みでメッセージを明かす。


「何で電話に出てくれないの? 私のことホントに好き?」


「何で返信無いんだよ? まさか男と一緒にいんじゃないだろうな?」


 同じ口調で自分に届いたメッセージを読んだ私をちらりと壮空が見上げて、私たちはふっと笑い合った。


「壮空、そういうの嫌いだもんね。また別れるの?」


「そっちこそ束縛嫌いなのに、何でそんなやつとばっか付き合ってんの? つか、あの先輩のどこに惹かれた?」


「……どこだろ。後ろ姿? 雰囲気?」


「何だそれ」って笑う壮空から、私は曖昧に視線を外す。



 先に始めたのは私の方。



 私、早河はやかわ美乃梨みのり真中まなか壮空そらは、いわゆる幼馴染の関係だ。

 産まれる前から一緒だった。家が隣同士で同じ産院で二日違い。壮空の方が先に産まれたから、二日だけお兄ちゃんなのかと思うとちょっと笑える。

 その壮空に、私は妹みたいについて回って、怒られる時も、泣いちゃう時も、笑い転げる時もいつも一緒だった。



 壮空のことを特別な存在として意識し始めたのは中学に入ってから。



 急に背が伸びて、顔付きや声が変わると壮空は途端にモテ始めた。

 壮空を誰にも盗られたくないって思いは、ただの幼さの延長上にある独占欲じゃなくて、恋なんだって気付くのに三ヶ月程かかったけど。


 毎日隣にいてくれる壮空。部屋にも普通に行き来して、夜、遊び疲れてそのまま朝まで寝ちゃうこともあって。子どもの頃と変わらない壮空の気持ちが見えなくて、探って、試して、かけ引きとか、そういうのを思い付くまま実行して、毎日毎回空回ってた。

 その度にドキドキして、がっかりして、落ち込んで、泣いた日もあったりして、自信を失いかけてた中二の夏、私が告白された。

 相手は同級生の男の子。もう名前も覚えていない。


 私が気持ちを伝えられない間に、壮空が誰か他の子と付き合ったらどうしようって焦りに、私は大きな賭けに出た。壮空が私のこと好きじゃなくても、慌てる素ぶりが、引き留めてくれる一言があればそれで良かったんだ。そうすればまた、期待を持って傍にいられるから。

「彼氏ができるかも」って嘘にそんな望みを託してみた。


 だけどその時、壮空は笑顔で言ったんだ。


「良かったじゃん。これで俺も安心して彼女作れるわ」


 って。


 やっと知れた壮空の本心に、何かが壊れた音にえぐられて、痛くて、痛くて痛くて。「そうだね」って掠れた声は暑い風に灼かれて消えてった。

 ベランダ越しに壮空に聞こえるかもって思ったら、窓もカーテンも閉めて、布団を頭から被って一晩中声を殺して泣くしかできなくて。

 翌日から夏休みだったから、朝起きなくても、少々目が腫れてても、ご飯何食か抜いても家族の目はごまかせたと思う。


 それから一週間後、私はその同級生からの「返事を聞かせて欲しい」って言葉に頷いて、本当に付き合い始めてた。


 本気の恋愛なんて苦しいだけだ。

 疲れて、すり減って、それからバカみたいに傷付くんだ。

 だったらもうしなくていい。

 心なんて、無い方がいい。


 夏休みの終わり頃、毎年恒例の花火大会にお互い彼氏彼女連れでばったり会った時、壮空と何か言葉を交わした気はするけど、私は壮空の隣で笑う幸せそうな彼女の顔しか覚えていない。




「美乃梨? チャイム鳴った。戻ろ」


「あっ、うん」


 いつの間にか起き上がって私を覗き込む壮空の顔に、一瞬ドキリとする。

 高校二年生になった今、何も知らない壮空とは普通に話せるようになったけど、相変わらず私は中身のない玩具おもちゃみたいなレンアイをしている。


「すぐ終わるから、ちょっと待って」


 そのままスマホに向かう私に、膝を立てて座る壮空が小さく呆れてる。先輩とも一ヶ月と続かなかった。


「いいけど、ああいうやつは気を付けろよ」


「分かってる」って答えつつ、とうに送信を終えた私は風になびく髪を耳にかけた。


 ——心配、してくれるんだ。


 壮空はどうするんだろう。

 壮空は大体二、三ヶ月で彼女が変わる。今の彼女とはまだ半月。われたらすぐ付き合うクセに長続きはしない。浮気も束縛もしないけど、不安になった彼女からそれを態度で示されるのは嫌みたい。

 幼馴染ってそういうところも似るんだろうか。

 思っても聞かないけど。私は壮空の恋愛には干渉しないって決めてるから。


 静かに風を受けて待つ壮空の背中を、私はそっと盗み見る。いつの間にか広くなった肩幅は子どもの頃よりずっとずっと頼もしい。もうあの頃みたいに、私が守られることは無いだろうけど。


 ——先輩の背中とは、全然違うな……。



 ******



「……ったーい」


「みのりん、大丈夫ー? ちょっと赤くなってるけど、たぶんすぐ治ると思うよ」


 教諭不在の保健室で、愛海まなみが心配顔で私の頰に保冷剤を当ててくれる。屋上から出てすぐ、先輩に呼ばれた先で打たれた左頬の熱が幾分か和らいでく。突然だったから防御も取れなかった。こういう男って本当にいるんだって、ショックよりも驚きの方が大きい。


「もー、壮空っちと一緒だと思ってたからびっくりしたよー。女に手上げるとか、最っ低! 別れて良かったじゃん」


「あー、うん……」


 この、私の代わりに怒り心頭中なのが貝原かいはら愛海まなみ。同じクラスで、唯一純粋に友だちとして関わってくれる相手。私に話し掛けてくる女子は、ほとんどが壮空目当ての仲良いフリしてる子ばかりだから、愛海はちょっと変わってるかもしれない。


 高校の入学式でいきなり友だちになろって声を掛けてきて「早河さんの顔に惚れたの」って瞳を輝かせて言った愛海。帰る頃には私と壮空に、みのりん、壮空っちって似合わないあだ名まで付けてくれて。とにかく底抜けの明るさに時々救われることもある。


「みのりんの綺麗な顔に傷でも付いたらどうすんだっつの。後で仕返ししなきゃ!」


 愛海はまだぶつぶつ言っている。確かに、自分から付き合えって言った割に二股かけた挙句、逆ギレしたのは先輩の方だ。でも、私も特に好きってわけでもなかったし「飽きた」って一言だけでフったのも悪かった気はする。

 どっちもどっちかもしれない。


「……みのりんはさ、壮空っちじゃダメなの?」


「えっ、何の話?」


 私に保冷剤を託し片付けを始めた愛海の一言に一瞬動揺した。愛海は手を止めずに続ける。


「彼氏だよー。だってみのりんが付き合うのって、どっか壮空っちに似た人ばっかじゃん。壮空っちもみのりんにはちょー優しいし、二人仲良いしさ、学校一の有名幼馴染なのに何で付き合わないんだろってみんな噂してる」


 愛海は意外に鋭い。気付かれる前に、私は密かに顔を伏せた。


 ——壮空に、似た人……。


「美男美女でお似合いなのにー」と楽しげに笑う愛海は、昔、私が壮空を好きだったことを知らない。


 行きは一緒、校舎内では時々絡んで、帰りは別々の道。それが今の私と壮空の関係で、少なくとも高校生のうちは変わらないと思う。


「私は壮空のタイプじゃないし、絶対無いよ」


 右手を胸の真ん中に置いて、今なら笑って言えるようになった。


「えー、彼女より大事にされてるのに? あたし幼馴染とかいないからよく分かんないや。「他に頼れる人がいないの」って言うと彼女そっちのけで思い通り動かせるお兄ちゃんならいるけど。そんな感じかな?」


「そうかも」って言葉を何とか口にした時、私と愛海のスマホが同時に振動した。「何だろ」って確認したのは愛海だけ。


「みのりん! これ壮空っちだよねっ?」

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