第48話 自噴井( 1 )


 板葺いたぶきの屋根が、石で造られた井桁いげたを覆っている。日差しがさえぎられて、ひんやりと涼しい。

 石段の先には方形の囲いがあり、そこからこんこんと水が湧き出ていた。それは、遣水へ続く水路の入り口だった。流れる清水はいかにも冷たそうで、この空間に冷気をはなっている。


自噴井じふんせいです。見るのは初めてですか」


 桜子の後ろで、そう伊織が言った。


「この辺りは山からくる水脈に接していて、水が豊かなのです。少し掘削くっさくするだけで、我々は清涼な水を得ることができる」


 この場に満ちる空気に触れたせいか、スッと体温が下がるような気がした。水の音が、ふいに遠ざかる。


「いったい私に何をさせたいの」


「どうすればいいかは、おのずと分かります。あなたは『水神の剣』の守り手なのだから」


 答える伊織の声は静かだった。


「もともとあの剣は、荒ぶる大蛇を鎮めるものでした。しかしその封印は、強固なものではなかった。その力は目覚め、今はあなたの体の内にある」


 伊織は、まっすぐ桜子を見据えていた。


「日照りの時、あなたの母は扇を手に舞うことで雨を呼んだ。それと同じことが、剣の守り手であるあなたにもできるのですよ。その身で確かめてみたいと思いませんか?

 本当にそれが可能となった時、人々はあきつ神のようなあなたにひれ伏するでしょう。主上はあなたを側に離さなくなります。そうすれば、またとない栄誉を手にすることもできる」


 言葉は徐々に熱を帯びてきた。

 伊織の言うことが、まったくの絵空事だと桜子も断じることはできなかった。その可能性は、確かに桜子の内に秘められているのだろう。と同時に、薄氷をむような危うさも身に感じた。その力を振るうことで、犠牲になるものが何もないわけではないのだ。

 押し黙った桜子に対し、伊織は少し口調をやわらげた。


なばりの技を、今ここで私に見せてくれませんか? ここでなら、水脈を通じて剣の力を感じとれるはずです」


 急な申し出に、桜子はためらった。技を試したいと思ったことを、見透かされたような気がしたのだ。

 ここで長く過ごしたこともあり、桜子は濃き袴と表袴うえのはかまの上に薄青と紫苑しおんひとえを重ねた汗衫かざみ姿だった。

 伊織は桜子の装束を見て言った。


「その格好では不都合もあるでしょう。私の袴でよければ、お持ちします」

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