第2話

板で出来た浮き桟橋は、数本の柱を通して固定され潮の満ち干に上下するようになっている。小型ヨットが区切りの中に停泊している。中には、そこで寝泊りをしているのではないかと言う輩もいて、自分のヨットの前でのんびりとコーヒーを飲んでいる姿が見えた。

「ちょっと、聞いてみましょうよ」と、森山は二人の刑事に言った。彼達は、男のほうに行くと、アメリカ人らしく相手の方から声をかけてきた。森山がそれに答え、木村美雪の写真を見せて「見ませんでしたか?」とたずねてみた。男は、手を出し写真を手にすると顔の方に近付けてしばらく見ていたが「あんたたちはバウンティハンター(Bounty hunter)か?」と聞いてきた。

「なんだいそれは?」

「FUGITIVE RECOVERY AGENT(逃亡者逮捕連行捜査官)?」と男は言い直して、コヒーカップを口にした。カモメが鳴いていた。桟橋の板が少しグラグラ揺れている。

「我々を賞金稼ぎと思っているみたいですね。身分を明かして、いいですか?」森山は日本語で二人の刑事に聞いた。

「別に構わんよ」と住田警部が言った。

「我々は、日本の警察です。この女性の行方を追っているのですが・・・彼女はこの近くに住んでいましたので、この辺りにも来たと思っています」

「日本人か・・・この女性、行方不明になったのか」と男は、少し考えていたが「ああ、見たよ。大した問題じゃないね。又、偶然でもないね。俺はこのボートに住んでいるので、このヨットハーバーの事で知らないことは無い」と続けた。

「えっ?みました?」三人は顔を見合わせた。

「ほーら、その三番目のヨット、売りに出ているだろう?アレは日本人の船だ。よく来てたな」彼の指差した方に、クルーザー型の船が繋がれていて「For Sale(売物)」とサインが出ていた。

「最後に見たのはいつですか?」

「最後?」男は再び少し考えて「最後は男だけだったが一年前か・・・女性は、それより半年も前に来なくなった・・・あんた達が探していると言うことは事件かい?」

「あ、いえ。単なる行方不明の捜査です」

「見つかる事を祈るよ」

江川警部補が英語で「すみません。カタリ―ナの方では、この女性見ませんでした?」と聞いた。

「もちろん見たさ。此処でヨットやクルーザーを持っている連中はカタリ―ナを中心に航海している様なものだよ」

「此処からどのくらいの時間がかかりますか?」

「そうさな・・・風向きで違うが俺のヨットでは二時間はかかるな。ロングビーチからアバロン(カタリーナ島の南のはずれにある町)までフェリーが出てるがそれに乗れば一時間ってとこか、な」

「なるほど・・・有難うございました」江川警部は丁寧にお礼を言った。

そして、彼達は海に突き出した桟橋の方に言ってみる事にした。浅い海中に何本も丸い柱を打ち込み、上に板を打ち付けてあるものだ。沖に数百メートル伸びている。ピアの上に立ち、刑事と森田は木村美雪の行動範囲を話し合った。もしかすると、彼女は殺されている可能性が強い。

未だ時間があったので、彼達は木村美雪が働いていたと言うNDL・フーズにも行って見る事にした。コーポレイト・オフィスにアポイントの電話を入れると、四時に来てくれと言う。レドンビーチからサンタタ・フェ・スプリングと言うところにあるNDL・フーズまではルート(91)で東に約一時間だ。


NDL・フーズ [NNB Meat Packers] は、コーポレイト・オフィスの建物と工場が並んでいた。森山達三人は入口近くの応接室に通された。室内には、商品のサンプルである餃子の箱など、会社のロゴの入った箱が飾られている。日本本社の会長の写真と社命の入った額もあった。週刊誌などをにぎわした『食肉偽装事件』の時に報じられた「NNBハム、知られざる大山族の素顔」の人物である。食肉事業で立ち上がった人物らしい姿の写真だ。

やがて、二人の日本人が入ってきて挨拶をした。日本の警察庁と言う名前の為か、出てきたのは会社の責任者のようで、名詞には副社長、営業部長と肩書きがある。

「ご用件は?」と一人の男が聞いた。

「率直ですが此処で働いていた方が行方不明で、捜査を依頼されています」と、住田警部が言うと相手の男二人はチラリとお互いに顔を見合わせたが「二人ともですか?」と、聞いてきた。

「二人?」

「はい。元経理課長だった加瀬と、営業の木村ですが・・・」

流石に住田と江川は捜査の聞き込みに慣れていた。加瀬のことは知らなかった振りをして聞き込みを始めた。

相手の言う事ではサン・ディゴを担当していた木村美雪は、ある時、週末から出社して来なくなった。経理の加瀬については、相手は話しださなかったので「米小会社の経理担当役員が、一億ドルもの会社のカネを横領、着服した事件が起こった・・・と昔ニュースに有りましたが彼と関係が有るのですか?」と、江川警部補が聞いた。

「・・・・・」少しの沈黙の後、一人が口を開いた。「本人です・・・」この男はこの会社の副社長のようだ。

「それはいつごろですか?」

「十年前でした」

「当時の支店長はどなたでしたか?」

「現在私が支店長をしてますが当時は萩岡が担当してました」

「そうですか。いつ交代されたのですか?」

「二年前です」

「萩岡さんは、今どこに?」

「責任を取らされて日本の子会社に出向させられたと聞いていますが・・・詳しい事は知りません」と相手は慎重に答え返した。

「なるほど・・・ところで加瀬はまだ服役中では?」

「数年前に仮釈放されたと聞きました・・・その後は知りません・・・」相手は、加瀬に関わりたくなさそうだった。

「なるほど。加瀬はこの会社とはもう関係が無いわけですね?」

「はい・・・」

「同じ会社で、二人の社員が失踪した。何か、こころあたりはありますか?」

「・・・・」

「木村美雪と加瀬の関係は?」

「単なる社員同士ということです・・・」

「では、彼達は個人的に関係があったとか」

「知りません・・・」と相手は言った。もちろん相手は、うかつな事はしゃべらないようにと、前もって打ち合わせしているはずだ。

「木村美雪と加瀬は何か関係が合ったとおもわれるのですが如何ですか?」住田警部がもう一度質問した。

「知りません」と相手は言った。嘘をついていると刑事の感で分かった。加瀬と木村美雪が関係の合った事を裏付けるものだ。

「加瀬の家族は未だアメリカにすんでいるのですか?」

「知りません」

「知らない?NNBハムは加瀬を告訴したので色々細かい情報をお持ちなのでは?」

「奥さんは、事件が発覚するまでクラッシック・カーの販売店をしていたらしいですが・・・その後、潰れたと聞きました。加瀬の家族がアメリカにいるか日本に帰ったかは知りません」

「なるほど。ところで、あなたの肩書きは副社長ですが、社長はどなたなのですか?」

「この会社はNNBハムのアメリカ支社ですので、社長は日本にいます」

「日本に?普通、日本の会社がアメリカに支社を構えた場合は、アメリカの社長を置きますよね」

「はあ・・・」これも、相手は言い憎そうだった。

「日本のどなたが社長ですか?」

「専務です・・・東谷専務が兼任しています・・・」副社長である男が両手の平を合わせ揉み合わせるような仕草をしながら言った。多分、東谷専務の小飼いなのであろう。日本から操りやすいように直属の部下を自分の系列会社に配置するのは、野望のある男のすることである。

「社長は良くアメリカに来られるのですか?」

「そうですね・・・一年に一回か二回、そんなところですが・・・」

「では、あなたを全面的に信頼して経営を任せているわけだ」

「いや、重要な事は指示を仰ぎますので」

「ところで、加瀬の横領の責任はNNBハムのどなたがお取りになったのですか?」

「・・・・・」

「答えにくい質問でしょうね。ま、いいでしょう」

住田警部や江川警部補の質問の終わった後、森山は例の人肉入りのIBPの箱について質問してみた。

「あの・・・突拍子な質問なのですが、神奈川の海で見つかった人肉の入ったIBPの箱事件をご存知ですか?」

「さあ?君、知っているか?」と、隣の営業部長の肩書きを持つ男に聞いた。

「はい。聞いたことがあります。肉関係ですので、煩わしい事件として聞いていました」

「お宅はもちろん、IBPは取り扱っておられるわけでしょう」

「もちろんです。IBPやナショナル・ビーフは我々のメインの取り扱い会社です。ローカルのアンガス・ビーフも扱いますが・・・」

「コンテナで送るわけですか?」

「大半はそうです。しかし、牛自体も送る事があります」

「牛、豚、それに馬は如何ですか?」

相手はハンカチを取り出して汗を拭いた。室内は温度調整がいきわたっているようだったので、矢張り質問に緊張している様子である。

「馬も、時々は」と、副社長の方が口を添えた。

「インターネットの投稿サイトで、競馬で有名な引退後の馬が日本に食肉用に売られたと言う記事がありましたが・・・」

「われわれは、商売に馬の経歴など調べませんから、わかりません」

「なるほど。そうでしょうね。最後の質問ですが工場に横付けされている冷凍コンテナは、輸出用の肉ですか?」

「きみ・・・」と副社長の男は営業部長に顎で指示した。

「あれは、餃子用の冷凍肉です」

「輸出用の冷凍コンテナは此処から出ないのですか?」

「ほとんど、食肉加工会社から直接送るのですが・・・時々は、此処の分を送る事があります」

「冷凍コンテナで?」

「はい・・・」営業部長は小さく答えた。


NDL・フーズを出ると、アメリカは夏時間なので未だかなり明るい。近くにある工場のシッピング・ドックには、この会社のロゴをつけた配達用のトラックが停車している。メキシカンの男達が働いているのが見えた。白い作業着を着た数人の男達が立ち話をしている。

「餃子を製造していると言ってましたね」

「餃子か・・・結構、怪しい会社だ。カネはあるがずさんな管理体制になっているな。ありゃ、日本本社の責任だろうな」と、住田警部が言った。

「調べによると、東谷専務がアメリカに来た時に接待していたのが加瀬。加瀬は東谷専務の弱みを握っていたから、会社のカネに手を出す事が出来た。つまり、接待費で使う金を上手く自分の銀行口座に横流ししていたと言う事だ、な」

「加瀬の奥さんがクラッシック・カーの販売店をやっていたのはNNBのカネですか」

「それは分からんがクラッシック・カーは、結構いい値段がするからネエ・・・ま、そんなとこかも知れない」

「ところで、太郎ちゃん。人肉入りのIBPの箱は、どこで調べたの?」車の助手席の住田警部が聞いた。

「えっ?いや、チョッと新聞で見たものですから」

「ああ、それで、推理小説を書こうとでも?」

「単なる趣味ですよ」

「あのね、太郎ちゃん。ビックリするだろうがあの肉片は多分加瀬のだよ」

「えっ!」森山太郎は声を上げていた。

「我々は、そのために来たのさ。なあ」と住田警部は言って後部座席の江川警部補を振り返った。

「さようでござる」江川警部補は侍風に答えた。

「では、知らなかったのは僕だけですか?」

「推理は出来ていただろう?何となくそう感じたぜ」

「ええ、まあ」

「どう思う?」

「そうですね。加瀬はアメリカで牛を屠殺するように殺されて枝肉にされ、その一部が日本の海の海岸に流れ着いた。この業界に詳しい人物の犯行でしょう。殺された理由は口封じか恨み」

「その通り。しかし、食肉業界のドンが絡んでいる可能性がある・・・ヤバイ事件と言うこと」

「食肉業界のドン?」

「一般に食肉業界の会社は金を持っている・・・ま、それは日本人が食肉に対するタブーを持っていて、独占企業的な会社経営が出来るからだろうね。それで、残念ながら社会の裏組織的な動きになってしまった。一部はB同盟などと称して表面をつくり、社会にインパクトを与えて動いているが暴力団と関係していることもある。残酷な殺しかたは、暴力団と関係する」

後部座席の江川警部補が森山の方に身を乗り出して「NNB・ハムの会長はDM食肉事業のボスと関係があったのですよ」

「太郎ちゃん。なぜ、加瀬が安々と多額の金を使い込むことが出来たと思う?」

「不正の金を溜め込んでいたからかもしれませんね」

「そう言う事。裏金と呼称される金は、食肉事業団体には多い。悪い事をする連中がいるので、タブー視は解けないと言う事だ。BSE問題が発生した2001年に政府は国産牛肉を買い取ることにした。この事業を悪用したのが食肉業界の裏のボスでね。DM食肉連合会やOSK食肉事業協同組合連合会を通じ、かき集めた輸入牛肉などを国産牛肉と偽って売り、補助金を荒稼ぎしたと言う事だ。400トン程の肉だぜ。助成金は五十億になったらしいよ」

「しかし、国は検査をしなかったのですか?」

「この男、政界とつながりがあって肉は焼却されると聞いていた。焼却されると証拠は残らない。証拠のある書類は偽装した。もちろん、この男と関係のあるNNBハムも同じ手口を使ったわけだ。悪知恵をいただいた、と言うことさ。十四トン、実際にはそれ以上と言われているが流石にドンと比べてドジで一トンほど焼却した時に、農水省は抜き取り検査から全量検査に切り替えた。それでボロが出たと言うわけだ」

「そうですか・・・少し、推理がまとまって来ました」

「後ろ、追ってますよ」江川警部補の言葉に、森山はサイドミラーに眼をやった。黒い車が後ろにいた。

「この車をですか」

「もちろん」江川警部補は落ち着いて言葉を返した。

「どうしてですかね?」

「調べているから、だよ」住田警部が言った。

「・・・・・」森山は、頭の中で今までの情報をフルに整理し始めた。怪しいと思ったのは横浜の「人体の不思議展」で見た男と、横浜のビーフ・ボール店で感じた「見られてる」と言う意識だけだ。

「さて、相手はプロだろう・・・撒くわけにも行かないので、そのままでいいよ。撃っては来ないだろう」と言うのが住田警部の見解だった。

しかし、後部座席の江川警部補は懐から拳銃(S&W Magnum)を取り出し手に握っていた。

「だいじょうぶなのですか?日本の警察官と言ったってアメリカで銃を使うのは・・・」

「僕たちはLAPDのお墨付きです。それに、米国バウンティハンター捜査官(US Fugitive Recovery Agent)のライセンスも、持っています」

「でも、レドンド・ビーチで男が聞いたときは知らないそぶりをしたではないですか」

森山は脳裏に男が使った言葉を思い出していた、彼は「あんたたちはバウンティハンター(Bounty hunter)か?」と聞いた。そして、住田警部は「なんだいそれは?」と、日本語で言った。

「FUGITIVE RECOVERY AGENT(逃亡者逮捕連行捜査官)?」と男は言い直したが二人の刑事は肯定も否定もしていない。

「たまには、嘘もつかないとね。アメリカで銃を使うには、このライセンスが一番役に立つからね。それに“賞金稼ぎ”の言葉も、気に入っている」と住田警部が笑った。江川警部補が拳銃に何かをつけている。バックミラーの中で目が合うと、彼は「最新の消音機です。車を一番右車線に移し、少しスピードを落としてくれますか?」と言った。

森山は彼の言う通りにした。

黒い車も車線を変えた。車には数人の男が乗っているようだ。

江川警部補は、自動の後部座席のドアを一杯に開けた。ロス・アンゼルスの温かい風がロングビーチの工場の排出する煙のにおいを含んで入り込んでくる。

江川は車の少なくなった辺りで、サッと身体を捻り拳銃の小銃をあわせると、直後「シュ!」と音がした。 後方で急ブレーキを掛ける音がした。黒い車がスピンして止まった。サイドミラーに映っていた車は直ぐに遠のいた。

「ごくろうさま」住田警部が言った。

「食肉業界のドンも、彼の時代は終わっていることを知るべきですよ」

「BF同盟の支部長は暴力団員より金儲けがしやすく、絶対な権力が手に入ると豪語した男もいるそうな。時代錯誤も甚だしい」

「タブーを打ち破るには時間がかかりますよ。しかし、税金をむさぼる構造は良くない・・・日本政府が我々警察に、その仕事をする組織を作成したのは正解でしたね」江川警部補が言った。

「それで、狙われているのですか?」森山の質問に、住田警部はニヤリと笑い「おもしろいだろう?太郎ちゃん」と言った。森山は無性に喉の渇きを覚え、美味しい桃を食べたいと思った。車はガーデナの近くのフリーウエイを走っている。宿泊先のニユー・ガーデナ・ホテルは近かった。



翌日の朝、三人はホテルから道を挟んで真向かいにあるカローズ・レストランで朝食を食べた。「ストロベリー・ブレックファースト」とメニューにあった朝食をオーダーした。プレートの上にパン・ケーキ、スライスしてあるイチゴとイチゴジャム、ダイス状のポテトのフライ、ソーセージ、べーコン、サニーサイド・エッグが置かれている。

「てんこ盛りですね」と言う森山に、ミニ・ソーセージをフォークにさして口に入れた江川が「今回の事件のようなものです」と言った。

「色々な事が関係していることですね」

「太郎ちゃん。昨夜かなり長い間メイル交換していたが何か新情報を得たのかな?」と、住田警部が飲んでいたコーヒー・カップを置いて、森山に聞いた。

「実は、横浜で出会った女の子とチャットで話したのですがMDMA(エクスタシー)の運び屋が捕まったらしいですよ」


◆MDMA=覚せい剤と似た化学構造を持つ結晶性の粉末合成麻薬。錠剤やカプセルの形で密売され、「エクスタシー」とも呼ばれている。


「なるほど。ようやく動いたか」

「知ってたのですか?」

「もちろんだよ。江川警部補が言ったように、てんこ盛りの事件だからね。それで、サン・ディゴまで行く必要がある」

「サン・ディゴ?」

「メキシコ経由の薬物が米軍を通して日本に流れているし、肉屋も関係していてね」

「肉屋?」

「肉の販売。今回BSE検査で、箱の中に冷凍肉に混ざったMDMAのビンが多量に見つかっています」と江川警部補が言った。

「米軍、食肉牛卸会社、加工会社、暴力団組織・・・これにドラッグと殺人が絡み合って、つまり、てんこ盛りさ」

森山の思考は、刑事たちの情報と川崎駅近くの「ルフロン」で開催された「人体の不思議展」で見た像を交錯していた。あそこにあった人体の全身像の一つは、本当に木村美雪なのだろうかと言う疑問が起きていた。彼女の身体がプラスティネーションされ、体液のすべてを樹脂に置き換えられ剥き出しの乾いた状態で展示されている標本。森山は未だ刑事達に彼の推測を話していなかった。

昨夜、ホテルのインターネット接続を使い、ウエブで再び起きたNNBハムの社員の横領事件を見た。出向先の子会社である物流会社二社で、経理を担当していたNNBハムの社員が不正伝票操作をして一億千二百万円程を騙し取った。アメリカの子会社NDL・フーズで起こったことと同じような不正事件だった。昨日、NDL・フーズを出た後、住田警部が指摘したように、食肉業界のタブーがこういった不正を起こさす要因になっているようにも思える。しかし、その後、彼達は不審な車につけられた。これは一体どういったことなのであろうか。企業の弱みを暴露するような捜査ではないはずだし、誰も損害をこうむるような捜査でもないはずだった。行方不明者の捜索願を受け、捜査を進めているに過ぎない。

叔母の奈緒子が言ったように、背後に巨大な組織が絡んでいる事件と言う事なのか。食肉業界のドンとNNBハムの関係で、暴力団を使い証拠を隠滅さえるというテレビの推理小説のようなストーリーが展開し始めていた。



カタリーナ島


コンプトンはハブ・シティ(広域的な地域の表玄関や拠点となる都市を意味する)と呼ばれ、ロス・アンゼルスカウンティのほぼ中心にある小さな市である。1867年にGriffith Dickenson Compton(グリフス・ディケンソン・コンプトンカ家)がサクラメント市の少し南にあるストックトンから移住したと言われている。現在はヒスパニック系が六割、黒人系が三割と住んでいてマイノリティー(社会的小数者集団)の居住区になっている。

ニユー・ガーデナ・ホテルからはさほど距離は無く、ルート(110)を挟んで丁度向こう側になるあたりだ。森山は、此処にある飛行機学校でパイロットのライセンスを取っていた。

飛行場は民家に隣接してあり、二本の滑走路が並んでいる。相変わらず変化の少ない飛行場だ。

パイロットライセンスを取った日系の飛行学校は未だ営業していて、彼は操縦に慣れているセスナ172を借りる事にした。

タワーが無いので、ランウエイの端でトラフィックを確認し離陸するのである。通常は右が着陸で左が離陸になっていた。

森山は耳を澄まし、ラジオから流れてくるパイロット達の飛行に関する色々なやり取りに集中する。タワーが無いので自分たちで安全を確認しなければならない。

「さて、参りましょうか!」と森山は刑事達に言い、踏んでいた両ラダーをゆるめると、機体をラン・ウエイに向けた。

離陸ラインに入り、スロットルを徐々に押し込んでいく。エンジンが高鳴りセスナはランウエイを滑るように走り始めた。65ノットで操縦桿を軽く引き上げるとフワリと飛行機は風に乗った。計器と飛行周辺を確認しながら上昇を続け、機首を海の方に向けて三千フィート (約909メーター)で平行にした。下方には家々が広がっている。左下方にグリーンの空地があり「グッド・イヤー社」の所有する飛行船が地上に見えた。

「なかなか、いい景色だなあ」と後部座席の住田警部が声を上げた。

「あそこ、前方に見える島が目的地です」エンジン音に負けない声で森山は住田警部と江川警部補に言った。

二人の刑事は、地上の風景を見るのに気を取られていて、返事を返してこなかった。右向こうはロング・ビーチだ。

「ボートだな・・・」住田警部が言った。下方の青い海には、あちこちでに小型船舶が行き来しているのが見える。航跡が白く尾を引いて見えた。

「もう少し低くしてボートを見せてくれないか」と住田警部が言った。

「了解。機体がぐっと滑り落ちますので気をつけてください」 

森山は右ラダーを押し込み操縦輪桿を左に傾けた、機体がググッと滑り落ちて行った。千五百フィート(約400メーター)で水平飛行にした。

「ああいったボートで死体を運ぶ・・・か」

「木村美雪ですか?」

「そう・・・しかし、死体ではなく生身、そして、船の上で又は、島のどこかで・・・」

「なるほど・・・」森山は、人体展の像を思い出していた。死体が硬直する前にポーズを作らなければならない・・・死後硬直の始まる二時間前と言うことは、作る現場で殺すのが一番だと言う事だ。しかし、両刑事は木村美雪がプラスティネーションの技術で人体の見本になったいるとは未だ知らないだろう。出所不明の遺体がプラスティネーション加工され「人体の不思議展」に出展されている。

カタリーナ島の緑の島影が前方に見えてきた。「天空の飛行場(Airport-In-The-Sky)」と呼称されるカタリーナ島の飛行場は山の上に在り、1602フィート(488m)上である。森山は、スロットルを押し込んでパワーを上げ上昇に移った。

やがて、霞のかかったような島影が次第にはっきりと見え始めた。計器を見ながら飛行機をカタリーナ飛行場の進入経路に乗せる。飛行場には山の断崖から侵入するので、まるで航空母艦に着陸するような感じだ。そして、海からの風が断崖に沿って吹き上がって来る時は用心しなければならない。飛行場には管制塔が無い。ラジオで他の飛行機に進入の注意を促した。

下方では島に打ち寄せる波が白く泡打っている。カブリロ湾だ。島の断崖がだんだん迫ってきた。森山はカタリーナ空港に向け進入を開始した。海岸を過ぎると、肌の粗い山肌が海岸から滑走路のある山に沿って走っている。トリム・タブでセスナ172の機体を安定させながら、滑走路に向かって進入して行く。切り立った断崖の端から滑走路が延びている。海から断崖の沿って吹き上げてくる上昇気流が飛行機の機体を押し上げて来る。滑走路の長さは3、250-フート(990m)なので、セスナ172には十二分な着陸距離だ。スピードを殺さずに低く進入した。

岸壁が目の前に迫り、滑走路がセスナの下になった頃スピードを落とした。再びトリムで機体を安定させると、機体が自然に着地するまで待ち、適当な高さで操縦輪桿を軽く引いて期待を滑走路上に着地させた。

「やれやれ、着きました」森山の言葉に二人の刑事も「やれやれ」と、同時につぶやいた。

飛行機をハンガー近くに停めた。着陸代金25ドルを支払うと、彼達は定期的に海岸の町から山の上の飛行場を往来しているシャトルバスを待った。

シャトルバスは、山肌に作られている海岸沿いの道をアバロンと言う町に向かう。

彼達はアバロンの街中でバスから降りた。クロセント通りを少し歩くとアバロン・ピアのある海岸で、パーム・ツリーの向こうには白いビーチの砂浜が見えている。左手向こうの岬に、円柱状に見えているのはカジノだ。住田警部と江川警部補はロス市警から聞いてきたのか、ポケットからメモを取り出して場所を確認した。

彼達はピア(桟橋)の方に歩き始めた。

向かった先はピアの近くにある小さなショップだった。看板には「YOSHIYA」と書いてある。たぶん日系人の店なのであろう。

店に入ると、レジのところでアロハシャツを着た男と、巨漢の男が座って話しをしていた。

「佐古田さんですか?」江川が聞いた。

男達はこちらを見、少し様子を伺ったようだったが「はい、そうです」と、巨漢の男から日本語が返って来た。

「村上警部から、此処に行けと言われたものですから・・・」

「ああ、あなた達ですか」佐古田と云う男性は人のよさそうな笑顔をつくった。日系人だと思われた。

森山は「佐古田」と言う名前に、元ロス郡検察首席捜査官だったジミー・佐古田を思い出していた。

男はゆっくりと立ち上がった。頑丈そうな体躯である。手を伸ばして握手をした。

「突然とすみません」と住田警部がいうと「だいじょうぶです。ジミーからも電話がありました」と彼は言った。

「太郎ちゃん。この方は元ロス郡検察首席捜査官だったジミー・佐古田さんの甥なんだよ」と住田警部が森山に紹介した。

「ジミー・佐古田氏は現在ロング・ビーチで探偵会社を経営されていると聞いていますが?」と森山は聞いてみた。

「はい。そうです」

「この店は?」

「ああ、ともだちの店です」と佐古田氏が言った。

「彼は元プロ・レスラーだからね」

「では、あのWWEのライアン・サコダですか?」

男はにこりと笑い「そうです」と答えた。

彼達はライアン・佐古田と一緒に店の外に出た。

「あの海岸のペンチにでも座りましょう」とライアンが言った。

転々と並んでいるパーム・ツリーの下に、レンガで出来たベンチがあちこちに置いてある。乾いた砂と海水で湿った砂浜が帯状に海に面して続いていた。

「例の、プラスティネーションの工場のことですが怪しいところを突き止めてあります」

ライアンはベンチに座らず、ベンチの上に写真を数枚並べた。

「プラスティネーション?」森山は思わず口に出していた。二人の刑事には、例の「人体の不思議展」の人体像のことは話していない。

「太郎ちゃん。織田警視長の命令だよ」住田警部が言った。

「えっ?叔母のですか?」

「そうだよ。それで織田警視長がジミー・佐古田氏と懇意のある元寺尾警視庁捜査第一課管理官に連絡を取り、ジミー・佐古田氏の探偵事務所に頼んだと言うわけさ」

「人体展の像の事もですか?」

「織田警視長は、太郎ちゃんからの情報だと言っていたぜ」

「ああ・・・なるほど・・・分かりました。叔母に情報をE-メイルしろと言われて『推理だけど』と念を押したのですが・・・」

「叔父のジミーなどは超能力者まで捜査に使いますよ」とライアンが言った

ライアン探偵の調査によると、加瀬は木村美雪とたびたびヨットでカタリーナまで来ていた。カジノで遊ぶのが目的である。

「あのカジノの近くです」ライアンが指差した。

「丘がありますね。上の方に、ブルーの屋根、ありますね」彼の太い指の示す方向を見ると、かなり大きい建物が緑の木立の中に三分の一ほど見えていた。

「あそこに、たくさんメタナール (methanal)が運ばれた情報があります」

ライアンの言ったメタナールはホルマリンの事で、有機化合物のホルムアルデヒドだ。毒性が強く、毒物及び劇物取締法により医薬用外劇物に指定されていて、一般には簡単に取り扱う事が出来ないものである。

しかし、価格はさほど高くなくウエブ・サイトで調べるとアラバマ州の会社はドラム缶一本で$175(約13,000円)、バケツ一個で$39.95(約2、900円)と安価だ。一方アセトンは、ネイル・ショップなどで洗浄液として使われておりバケツ一個(5ガロン)が$56.33(約4,200円)、高いところでは$74.99(約5、500円)もする。ドラム缶一本では$559.00(約42、000円)ほどである。これらはMSDS (material safety data sheet/化学物質等安全データシート) を用意しており、安全に配達してくれる。

「なるほで・・・で、今もプラスティネーションの加工をしているのですか?」

「わかりません。中に入れません」

彼達は、ライアンと一緒にその疑わしい家に向かった。二十分ほど歩くと坂道になった。舗装された小さな道が少し右にカーブして上っている。海からの風がほほを打つ。バケーションに来ているのであれば、きっと楽しいだろうと森山は思った。

巨漢のライアンが立ち止まった。

「此処から、少し横にそれましょう」

正面向こうに目的の白い家が見えている。

ライアンと森山達は、山道の方に足を踏み入れた。人が踏みしめて出来た小道だ。丈の低い雑草が左右の地表を覆っている。雑木の茂みは海からの風に揺れていた。

森山は小道を登りながら今回の殺人事件を考えていた。

誰が木村美雪を殺害したのだろうか。なぜ彼女の身体をプラスティネーション加工しなければならなかったのか。そして、加瀬を殺したのは誰なのか。彼の肉体を枝肉処理してIBPの箱にいれ日本に送ったのは、どうしてだろうか。NDL・フーズを出た後、見知らぬ男達に追われたことは、NNBハムの誰かが少なからず事件に関係しているのではないか。

インターネットで調べると、食肉会のドンと呼称されるB同盟の元役員の男がNNBハムの創業者と親交があり、NNBハム小会社の専務になっていた。彼は,やくざ組織とも関係があったと記されている。

しかし、こういった裏社会の大物が簡単に殺人などに手を出すのだろうか。森山は、頭の中で箇条書きのようになっている文字化けの黒い点を追った。

「ここです。気をつけて」と、大男のライアンが腰を低くしながら前方の建物に注視している。

彼達のすぐ近くにある白い家は、他の家々から離れた丘の斜面の影にひっそりとしていた。用心しながら家に近づいてみた。家の中に人の気配は無い。江川警部補が一つの窓により家の中を覗き込んだ。彼は「だれもいない」と言うように首を振った。

住田警部が建物に付けられている電気のパワーメータを確認した。

「ふぅむ・・・」と彼はしばらくパワーメータを眺めて「かなりたくさんの電力が使われているな・・・たくさん電気を使う機具が動いているということだ・・・」とあごをさすりながら言った。

「プラスティネーション」の加工に必要な機材は真空ポンプと、冷凍機だ。これが稼動していると音がしているはずである。彼達は家の裏のほうに回った。傾斜に建てられている家の一方の端から、半地下のほうに階段がある。江川警部補と森山は階段を降りて行った。コンクリートの壁に頑丈そうなドアが設けられている。その壁に窓は無かった。金属で出来たドアに耳を当てると鈍い機械音が聞こえた。冷蔵庫の作動している音のように聞こえる。

「この中が怪しいね、太郎ちゃん」江川警部補が言った。

森山は外壁の壁に隠れている外側の壁を見るため、壁の下にある小さな段差を利用して外に動いた。壁の角に手を掛けて外側を調べると、コンクリートの壁は斜面に突き刺さるように伸びている。下はかなり急勾配だ。真ん中辺りに窓らしきものがある。彼は、建物の壁に沿って小さな足場を慎重に歩き小窓まで歩いて行った。

そして、小窓から窓を望み込むと仰天した。透明なビニールの袋が風船のようにふくらみ、その中に人間の姿がある。あの丸い金魚蜂のように、袋が凸面の役割をして中の死体が大きく見える。

壁の向こうでこちらを見ている江川警部補に、こちらに来るよう手で合図を送った。ぎこちなく壁を伝わってきた彼に、小窓から中を見るように指示した。江川警部補は中を覗き込んで、森山を振り返った。

「驚き、です」江川警部補は懐からiPhoneを取り出していくつか写真を撮った。

「よし、これで証拠がつかめました。帰りましょう」と彼は森山に言い、元のドアの方に動き始めた。その時、下の方から小さなバイクが三台、丘を上って来るのが見えた。外来者は、この島では小型のモーターバイク(オートバイ)しか使えない。

「誰か、この家に来ているのかもしれない。急ぎましょう」

江川警部補と森山は急いで戻ると階段を上がり、住田警部とライアンに[誰かが上って来ている]と告げた。彼達は丘の斜め上にある雑木林の影に隠れ、バイクに乗った男達が現れるのを待った。

「これ見てください」江川警部補は住田警部とライアンにiPhoneの写真を見せた。

「やはり、死体か」

「そうです。間違いなくここで『プラスティネーション』の加工が行われています」

「よし、とにかくロス警察のジョン・村上警部に転送してくれ」

しばらくして、予想したように三台の小さなバイクは、丘を上がりきった。そして、曲がっているアスファルトの狭い道路を過ぎると、白い建物の中に入って行った。アジア人だ。しかも、やくざの風体をした男達は日本人のようだ。森山は、NDL・フーズから出た後、三人組の男につけられていたことを思い出した。

食肉業界のドンと言われる男とNNBハム、それに日本のやくざ組織、こう云った組織が「人体の不思議展に飾られた青木美雪の像」「IBPの箱に詰められた人間の肉」「麻薬組織」などと絡み合っている。

警視長である叔母が言った「あまり無茶しないようにね。背後に巨大な組織がいるかもしれないので」と言う言葉が理解できた。

しかし、森山には未だ分からない事がたくさんあった。どうして、日本のやくざ組織がプラスティネーションの加工と関係が有るのか又、IBPの箱に詰められた人肉は本当に加瀬なのか。そして、最も犯罪の多い麻薬組織も絡んでおり、ロス警察の村上警部の勧めで住田警部と江川警部補はピストルを携帯した。

男達は、自分のボートかレンタルのボートでカタリーナ島に来たみたいである。フエリーの到着する時間はとっくに過ぎていた。

男達の滞在期間は短く、一人の男が白い建物の中から手提げバックを持ち出すと、彼達は再び海に向かって下りていった。

「あの包みの中身は何でしょうね?」森山の問いに、ライアンは「麻薬ですよ」と答えた。

「麻薬?」

「はい。ヘロインですね」

「麻薬だったら、海の上で取引した方が良いでしょう?」

「此処の海峡はロング・ビーチのコースト・ガード(沿岸警備隊)が厳しく、監視してます。つい最近も、真夜中の十一時頃、この近くの海で二隻の不振な黒塗りのボートを捕まえ、一トンのマリファナを押収しました」

その時、森山のiPhoneがEメイル着信を知らせた。見ると村上警部からで「家宅捜査令状」を裁判所に申請したと書いてあった。

「村上警部が家宅捜査令状を裁判所に申請したそうです」

「よし、此処は彼に任せて、俺たちはサン・ディゴに向かおう」と住田警部が言った。

カジノの船着場からモーターボートが高速で進み始めた。多分、日本のやくざのボートに違いない。彼達は一体、どのようにしてヘロインを日本に運ぶのだろうか?森山はIBPの箱を思い出していた。

森山達三人は、探偵のライアンと別れて発車する寸前だったシャトルに乗ると山の上に在るカタリーナ・エアーポートに戻った。

森山はセスナ172を手早く点検し、飛行場の事務所から電話で航空管制に飛行計画書を提出した。

「もしかしたら、先ほどのやくざのボートに間に合うかもしれませんね」と森山が言うと、江川警部補が「ぜひ、そう願いますよ」と後部座席で言った。

二人の刑事を載せ、森山はスロットルを押し込むとセスナのエンジンがうなり滑走を始めた。空の上の飛行場である。飛び上がると直ぐに高度2,000フィート(約600m)である。森山は、そのままの高度を維持し、ボートの向かった先に方向を向けた。セスナは最高のスピードに近い200km/hでしばらく進んだ。

「あれかな?」住田警部が下方の海面を指差した。

下前方に、それらしきモーターボートが一筋の白い泡の航跡を作っているのが見えている。航空管制には高度3、000フィート(910メートル)で飛行すると報告していたが森山は近づいて見ることにした。

「高度を落としますので、掴まっていて下さい」と彼は言い、少しスロットルを絞るとスピードを落とし、右ラダーを踏み込むと操縦輪桿を左に回した。セスナの機体がググッと滑り始めた、高度計の針が見る見る落ちてゆく。約1、000フィート(304m)で水平に戻した。ボートには三人の男が乗っており、彼達が飛行機を見上げて不審がっていることが分かった。

「離れた方が良いですね」

「そうだな、あれはロス警察に任しておけばよいだろう」

「エンジンでも撃って、ボートを停めてやりますか?」江川警部補が提案した。

「いや、そのまま泳がせておこう。ロング・ビーチでロス警察が待っているはずだ。太郎ちゃん、離れよう」

住田警部の言葉に、森山は少し右に機首を傾けスロットルを押し込み操縦輪桿を引っぱった。セスナのエンジンはフル回転し、セスナは見る見るうちに高度3,00フィートに到達した。

森山はコンプトン飛行場に向かうコースにセスナを乗せた。 



その夜、森山は宿泊しているニュー・ガーデナ・ホテルでPCをインターネットに接続し、Eメイルをチェックした。横浜のビーフボール店でアルバイトをしている、片桐祐子に頼んでいたEメイルが入っていた。

「アメリカに行った工場の人の名前は、高田健二と言う人で、森山さんのおっしゃるように、肉を切る作業中に指を切断し、一本の指先が無いそうです。現在、アメリカの工場におられるそうです」と書いてあった。矢張り、横浜の「人体の不思議展」で見た男は木村美雪とアメリカで同棲した男だったのである。

高田健二は、一本の手の指先が無いというがアメリカの入国管理官の検査が厳しかったに違いない。アメリカ入国管理事務所は日本のやくざにの入国に対し、最近厳しく検査している。つい最近もハワイに来た男の小指が無い事を気付いた入国管理官に取り調べられ“やくざ”と判明した後、強制送還されたケースがある。

翌朝早く、彼達はサン・ディゴに向けて出発した。

森山はロスアンゼルスに住んでいた頃、友達と数度ほどサン・ディゴに行った事があった。

滞在しているニュー・ガーデナ・ホテルのあるガーデナからサン・ディゴに行くには、ルート(110)からルート(405)に乗り換えて南に走る。そして、古い町並みのあるミッションビエホでルート(5)に乗り換えると、2時間から3時間でサン・ディエゴ市内に着ける。平日なので市内のフリーウエイは渋滞していた。サン・ディゴまでの約120マイル(190km)のフリーウエイは4車線でドライブは快適だ。ダナ・ポイントと言う町を過ぎると海が見え始めた。

「おお、海だな!」と住田警部が顔を崩した。

「もう、時差ボケは無いのですか?」森山が聞いた。

「まだ、頭がはっきりしないね。歳かな。江川君はどうかね?」彼は、後部座席の江川警部補を振り返った。自分の年齢を確認する為かもしれない。

「頭は、めちゃ“シャン”です」

「ほら、ね。矢張り歳だね。しかし、今は眠く無いよ。太郎ちゃんの運転をしっかり見ておかないと、危ないからね」

「大丈夫ですよ。まだ、運転は自信があります。良かったら座席を倒して寝ていてください」

「ありがとう。眠くなったら、そうさせていただくよ・・・」

フリーウエイは海岸を走っているが、海の景観は海側に沿っている丘の影になりあまり見えない。それでも、時々車のフロントグラスの向こうにチラリと太平洋が見えたりした。

周囲はサン・クレメンテと言う美しい小さな町である。ここは豪華な住宅街で有名だ。海岸近くのラ・カサ・パシフィカという町にはニクソン元大統領の別宅があり「ウエスターン・ホワイト・ハウス(西のホワイトハウス)」と呼称された。各国のVIP(要人)が賓客として招かれ、日本の佐藤元総理大臣も来た事がある。

しかし、フリーウエイからは豪華な住宅地帯などは微塵も感じられない。普通の海岸の景観だ。

しばらく走行すると検問所が見えてきた。上り線側に検問所がある。検問所は農作物の検疫、車両の重量管理、そして時々密入国者の検問をする。

検問所を通り過ぎると、次第にフリーウエイと海の間の距離が狭くなり、海が良く見え始めた。

左手前方に海兵隊のペンドルトン基地が見えて来た。二列隊列の隊員達が各隊旗を持ち走っているのが見える。

ペンドルトン基地を過ぎるとオーシャンサイドと言うところだ。オーシャンサイドには日系人の農園がたくさんある。

森山はかって、コンプトン・エアポートからオーシャンサイドにあるエアポートまで何度もセスナで飛んだことがあった。飛行場の近くには日本食レストランもある。

両刑事は寝ていた。二人ともまだ時差が完全に抜けていないらしい。

やがてルート(5)は再び海岸より少し内側に向いて行き、海も見えなくなった。

「江川警部補、すみません。起きて下さい」目的地を聞くために後部座席の若い江川警部補に声をかけたが、二人とも眠りが浅かったのか同時に起きてしまった。住田警部が森山に「どうした、太郎ちゃん?」と言った。

「起こしてすみません。あの、どこへ行きますか?もう直ぐ走るとサン・ディゴ市内に入りますが・・・」

「そうだな、サンディゴのポリス・デパートメント(SDPD)に行かなければならないので、そのまま走ってくれるかな・・・」

「了解いたしました。場所を知らないので住所を教えてください」森山は教えられて住所をカーナビに打ち込み、それに従い右の斜線に車を移した。

メキシコの国境に近いサン・ディゴは、カリフォルニアで一番歴史の古い町である。此処からカリフォルニアの歴史が始まった。市内は高層のビルディングが並んでいるが一部に過ぎない。町並みはいたるところにメキシコ文化の名残を残していて、エキゾチックな雰囲気で満ち溢れている。

ラホヤの海岸線は非常に美しく、海岸線に立ち並ぶメキシコ風の家々とのコントラストが魅惑的だ。

LAPD(ロスアンゼルス警察)から連絡をしてもらっていたので、ここでも日系人のフランク・ゴンザレス・青木と言う刑事が出迎えた。顔がメキシコ人のようなのでメキシカンと日系人のハーフなのであろう。

彼もLAPDの村上警部と同じように、流暢な日本語を話した。相手は、私の父親がメキシカンで母親は日系人ですと言った。美男子である。

「では、ごせつめい、します」とフランクは言い、コンピュターをパチパチと操作した。事務所の壁に取り付けてある白いボードに写真が映し出された。

「これが、麻薬密売人たちのトンネルです。ティファナからチュラビスタまで繋がっていました」

白いボードには地下坑道の入口が映っていた。壁はコンクリート・ブロックで作られている。坑道には線路があり、手前には電機で動くと思われる牽引機が止まっていた。周りは油紙で包まれた四角い包みが壁を背景に無雑作にうづ高くつまれている。これがマリファナらしい。

「トンネルは長いのですか?」

「長いですね。1キロメーターはあります」

「それでMDMAは、どこから?」と住田警部が聞いた。

「そのドラッグも、このターナル(トンネル)を通して運ばれました」

「すごいもんだな・・・」日本人達が感心をしていると「では、行って見ましょう」フランク・ゴンザレス・青木刑事が言った。

彼は、ショルダーホルスターに拳銃を装備した。当たり前の動作のようだが見慣れていない森山には、映画のシーンの一場面のように思えた。



三人は青木刑事の運転するSDPDのポリスカーでフリーウエイ(5)に乗り、チユラ・ヴィスタと言うメキシコとの国境に接する町に向かった。

「日本人が多く住んでいますよ。とくに、軍人と結婚している日本人の女性がおおいですね。日本食レストランもたくさん有ります。二十分ほどでボーダーの近くに着きます。このルート5(Route 5)を下るとメキシコのティファナ市です。ティファナの飛行場近くからトンネルが掘られてます」

「良く掘ったもんだと」住田警部が感心していると「粘土質の土壌で、一番トンネルが掘りやすいと言われてます」と青木刑事が説明した。

フリーウエイ(5)でチュラヴィスタと言う町を過ぎると、荒地が多くなってきた。

「あの丘の上に、壁が見えるでしょう?」青木刑事が言った。彼達三人の目には、青木刑事から言われる前にメキシコとの国境に設けてある灰色のコンクリートの壁と、その上に螺旋状になって広がる鉄条網がありキラキラ光って見えていた。

「あの向こうがメキシコです・・・」

日本は、このような陸の上で隣接した国境を持たない。彼達にとっては、不思議な光景に見えた。

青木刑事は、やがて車を東の方に向けた。「ルート(805)」と言う標識が見えたなと思うと「(905)」と言う標識があり、フリーウエイは次第に幅が細くなって行き、普通の道に繋がった。何と言う道か分からなかったが青木刑事は慣れていて、車は一定の方角に向けて走っている。左手の方に軍の基地が見えた。右手の方には「パシフィック・ゲートウエイ公園」と書いたサイン(看板)が立っている。

そして車は、単に道としか形容の出来ない道路に入り南に向かった。十分ほど走った後、青木刑事は倉庫のような建物の駐車場に車を乗り入れて止めた。

「さあ、ここです」と彼は言った。

建物の前には、武装した警察官や国境警備隊の兵士が立っているのが見える。

「未だ中にマリファナなどが残ってますので、ギャングが取り返しに来るかもしれません。銃、持ってますか?」

江川警部が上着をめくってショルダーホルスターに入れているコルトを見せた。青木刑事が「グーッド!(良いですね)」と言った。

彼は警備している警察官にバッチを見せると、三人を伴って建物の中に入った。普通の建物で倉庫だった。奥のほうに歩くと、一つの部屋に入った。そこにも武装した警官が数人立っていた。部屋の角のほうに穴がぽかりと見えた。青木刑事はスタスタと穴のある場所に歩き、三人の日本人に穴の中を手で示した。

「これです」

穴からは地下室が見えた。いろいろなものが置かれている。誰かが寝泊りしていたようだ。片側にマリア像が置いてあり、蝋の垂れた小さな真鍮のキャンドルがある。悪い事をしながらマリア像を祈る理由は何なのであろうかと、森山には少しこっけいに感じられた。棚には、向日葵の種の袋が半分の残った状態で置いてあった。そして、もう一つの穴がある。木の階段が見えていた。彼達は別の方にある階段からその場所に下りた。突然甘たるい匂いが鼻腔をくすぐった。その部屋はブロックで囲まれており、壁の前には四角に包まれた包みが置いてあった。

「アレはマリファナです」と青木刑事が指差すと同時に「パンパン」と、地上から音が聞こえた。三人は一斉に上を見上げた。

青木刑事は銃を手にした。

「此処から出ましょう」

彼達は、急いで地下から地上に駆け上がった。警官が窓で銃を構えているのが見える。

「どうした!」青木刑事が英語で声をかけた。

「ギャングだ」と警官の一人が返答した。

「また、グッドなタイミングですね」江川警部補が言った。彼も例のコルトを手にしている。

窓に近づいて外を除き見ると、大きな黒いトラックとバン(箱型の貨物車)が停まっているのが見えた。車の陰から男が発砲した。パンパンパンと連続音がした。もう一方のバンには黒っぽい服の三人の男が見える。

「ありゃあ、例のヤクザじゃないですか?」

「奴らはロング・ビーチに行かなかったのか・・・」住田警部が虚空を見上げながらつぶやいた。

一体どういうことなのであろうか「あの三人のヤクザはボートでロング・ビーチに帰らず・・・か」

「住田警部、アレは加瀬のボートだったのですよ。飛行機から見た時、どこかで見たボートだと思ってました」森山が言った。

「すると、奴らはそのままサン・ディゴまで来たのか・・・なるほど・・・」

又、パンパンと乾いた音が辺りに響いた。目の前で銃を構えていた警官も発砲した。パンパン、パンパンと、なぜか森山には二拍子に音が聞こえる。

もちろん、森山と住田警部は床に伏せるような格好をしていたが、江川警部は一つの窓から外の様子を伺っていた。

突然車のエンジン音がして車が急発進した音がしたと思うと、パンパンと再び二拍子の音が江川警部補の拳銃から上がった。バンは、すごい音を立てて横転した。

警官たちが走り出て銃を構えながらバンに近づくと、倒れたバンの中から男達が一人二人と出て来て手を上げた。

「すごいですね」青木刑事が江川警部補の射撃の腕をほめた。

「刑事、来てください」一人の警官が青木刑事を呼んだ。彼とバンの方に行くと、ギャングの男達が頭の上に手を置いて警察官に銃を突きつけられている。ヤクザたちも同じような格好をしていた。

「人間のミイラです」と警察官が一つの箱を手で示して言った。

森山は箱から転がり出た人間の像がプラスティネーションされた人体だと直ぐに分かった。

「なんだ、これは?」

「例の『Body Worlds』の・・・」

「ああ、あれか。しかし、なんでこいつらが・・・」

「人体の中に空洞があるかもしれない?」と森山が言った。

「空洞?」

「はい。内臓をとった後に、プラスチックの箱とか・・・青木刑事、調べさせていただけないですか」森山は青木刑事から許可を取った。

彼は薄いゴム手袋をし、箱から転がり出たプラスティネーションされた人体に近寄ると、少し筋肉の部分に触っていたが一部を開けた。丸い穴があり、中に透明なプラスティクの容器が見えた。そして、その中に袋に詰められたドラッグらしきものが見えた。

「矢張り、隠してありました」森山は三人に中の袋を取り出して見せた。

青木刑事が受け取ると「ヘロインだ」と言った。

日本人のヤクザを即効で取り調べたが彼達は船をどこに停泊させているか口を割らなかった。

しかし、青木刑事は、見つけるのはそう難しくはありませんと言った。

「此処に、来ていると言う事は多分チュラビスタのマリーナ(ヨットだまり)ですよ。今から行って見ましょう」

ギャング達は応援に来た警察官に任せて、彼達はふたたび青木刑事の運転する車で海のほうに向かった。フリーウエイ(5)を十五分ほど走ると、例の日本人の多く住んでいると言うチュラビスタと言う町で、車は海に向かって方向を変えた。

直ぐに、海が見えた。道の横は整頓された豊かなグリーンだ。いかにも贅沢なアメリカの一部分を感じらされる。車はマリーナの大きな駐車場に停まった。

「ここです。間違いありません。船の形とか、分かればいいのですが・・・」

「船体には『KASE』と書いてあります。中型のモータヨットです」森山が答えた。

「では、手分けして、探しましょう」

彼達は、浮き桟橋に歩いていくと各自が一つ一つの桟橋に行き、桟橋の両側に停泊しているボートを探し始めた。そして、直ぐに「おおい、見つけましたよ!」と言う江川警部補の呼び声が聞こえた。

皆は、江川警部補のいる桟橋に向かった。

「ほら、これですよ」彼の指差す方向に、見たことのあるポーターボートが停泊していた。船体に「KASE」と書いてある。

「間違いないな・・・いやに、簡単に見つかったものだ」と住田警部が言い、船に乗り込んだ。

彼達がキャビンのドアを開けたとき、大きなダンボール箱が目に入った。江川警部補が箱を開いて「なんですか、これは」と少し驚いた声を上げた。箱の中を覗くと透明なビニール袋に入れられた例の人体像が現れた。

「とにかく、引き出してみよう」

像は軽かった。直ぐに持ち上げられてキッャビンの床に置かれた。胴から上の半身像だ。死体に慣れているとは言っても、皮をはがれて筋肉だけの像は不気味に見えた。像は腕組をして直視しているポーズの男性像だった。

森山は、もしやと思い、像の組んでいる腕の手先に目をやった。指は腕に隠れていたが彼の推測は当たった。指が一つ第一間接から欠けている。

そして像の内臓を抜かれた空間にはヘロインの袋がつまっていた。

「彼たちのアジトはロスではなく、この辺りかもしれません」と、森山は三人に話した。

「どうしてだね、太郎ちゃん」住田警部の言葉に、森山は自分の推測を話した。「此処はナベル・ベース(海軍基地)があります。だから、日本人のヤクザは、ドラッグをしている軍人と関係していて、日本にドラッグを送っているのではないかと思います」

「なるほど・・・」

「ですから、アジトは海軍の基地に近い方がよいでしょう?」

「その通りだ」

「あの、ドラッグ・トンネルもありますし、それにメキシコにはプラスティネーションの技術もある。多分、ティファナには隠れたプラスティネーションの工場があるはずです。そして、ドラッグを人体の中に隠して外国に送っている・・・これは、あくまでも推測ですが・・・」

その時、青木刑事が請求書などの入った箱を見つけた。PG&E(ガス電気供給会社)のインヴォイス(請求書)にはメイリング・アドレス(郵送住所)が載っている。

彼達は、PG&Eの請求書にあった住所に向かった。


建物は静まり返っていた。何となく不気味に思えた。家は、住宅地から離れた場所にあり、家の両側と後ろには木々が茂っている。

青木刑事が呼び鈴を押した。室内の奥から玄関のドアを通してチャイムの音が聞こえる。しばらく間を置いたが誰も応答して来なかった。あのヤクザ達を除いては誰も住んでいないのだろうか。 青木刑事がスマートホーン(Smartphone)でSDPDと話している。

江川警部補がカタリーナの家と同じように電気のメーターを確認した。

「普通ですね。まあ、普通の冷蔵庫とかテレビとか・・・その程度の電気量を示してます」

「奴らは、此処では生活していないのかも知れんな。すると、此処は倉庫かな?」と住田警部がつぶやくように言った。

森山は裏のほうに回ってみた。もう一軒、倉庫のような建物がある。建物はコンクリートで出来ていた。普通の建物のようではない。彼はプラスティネーションの作業場ではないかと思った。

「みなさん、裏庭の方に変な建物があります」玄関に戻ると皆に言った。

「変な建物?」住田警部が聞いた。

「はい。コンクリートで出来ています」

四人は森山の後に従って裏庭の方に回った。なるほど、民家の裏庭に有る建物にしては不釣合な作りである。

入口を鉄のドアがふさいでいる。ドアに耳を当てると、中から冷蔵庫が動いているような音が聞こえた。カタリーナ島で聞いた音と同じような音である。あの時は、家の中に液体合成樹脂に浸された人間の死体があった。

ここも、同じような事をしているように思われた。

「窓はないか・・・」彼達は建物の周囲を確認した。その時、青木刑事のスマートホーン(Smartphone)が鳴った。

彼は、しばらくSDPDと話してスマートホーン(Smartphone)を服のポケットの戻しながら「この家の持主が分かりましたよ」と言い、森山達を見た。

「日本人です」

「日本人。やはり、ヤクザか」と言った住田警部の言葉を、青木刑事は片手を振って否定し「違います。春美・スミスとピーター・スミスと言う名前です。春美は日本人です。彼達は昨年まで東京『東京焼き鳥』と言うレストラン・チェーンを経営してました。しかし、昨年軍人の麻薬汚染が発覚し、この二人も関係していたのです。航空母艦カール・ビンソンやサンフランシスコの攻撃用潜水艦などで、合計49人の乗組員が逮捕されました」

「それで、彼達は今、どこですか?」

「分かりません。まだ、逮捕できてません」

「逃げたかな?」

「我々が捜査をする前に、この二人は消えました」

「彼達がドラッグに関係しているなら、SDPDでこの家も捜査されたのではないですか?」

「この家は、まだです。彼達が住んでいたのはサン・ディゴ市内です」

「どうして、彼達がこの家の持主になっているのでしょうね?」

「すみません。日本語を間違えました。管理者が彼達です」青木刑事がスマートホーン(Smartphone)で辞典をオープンし、調べて言った。

「管理してたのですか・・・」

「たぶん、日本のヤクザ組織がカネを出し、彼達に管理を頼んだと、言う訳かな」と住田警部が言った。

「これで、解決ですかね」江川警部補の言葉に住田警部は「まあ、こんなところでいいかもしれんな・・・」と言った。

「でも、この建物の中を調べると、もう少し真実が分かるかもしれませんよ」森山は、どうしてもこの中を見たかった。

「ボクは、この中はプラスティネーションの工場だと思いますね」

「そうか・・・ボートの中には、半身の日本の理科の教室にあるような像がありましたよね」江川警部補が関心を示した。

「はい。ドラッグ・トンネルで運ばれたドラックを、此処でプラスティネーションされた人体の体内に隠して、日本に運んでいたのではないでしょうか」

「鍵を開けて、中を確認しましょう」青木刑事は、SDPDに電話を入れた。そして、しばらく待つとSDPDから特殊工作員が到着し、鉄のドアを開いた。ドアを開けると、ホルマリンのにおいが鼻を突いた。

「こりゃ、ひどいな・・・」彼達は、ハンカチなどでSDPDの用意した手袋とマスクをし、中に入って行った。

マスクをしていても、薬品の入り混じった匂いが感じられる。部屋には窓がない。隣の部屋のドアを開けるとタンクやドラム缶等、そして色々な機材が並んでいた。

「何だコリャ!」住田警部が声を上げた。

彼は合成樹脂で出来たタンクの蓋を開けて中を覗いていた。

そこに近寄って中を見ると、女が浮かんでいる。

「日本人だな・・・」

青木刑事がSDPDに電話を入れた。

ホルマリン液の中の女は春美・スミスだった。写真と比べてみると丸い鼻やホクロが合致した。指紋もとられた。まる裸の春美は、肉付のよい身体を検視医の前に横たえている。二重の目は見開かれ虚空を見ている。日本女性らしく足は短かった。下部には贅肉が盛り出ていた。

では、亭主のピーター・スミスはどこにいるのだろうか?春美を殺害したのはピーターなのだろうか?新たな疑問が浮き上がった。

SDPDで逮捕された三人のヤクザに聞くと、家の裏にある建物については知らないと言い張った。しかし、春美やピーターとは知り合いだった。英語と日本語の分かる日本人とアメリカ人と言うことで仕事を手伝わせていたようだ。

ピーターと関係していたスティヴと言う男の存在が明らかになった。スティヴがドラッグ販売を仕切っていた。彼は退役した潜水艦の元調理人で日本のヤクザとも関係があった。

横須賀の米軍薬物汚染事件も彼と関係があった。

読売新聞は横須賀の事件を次のように書いている。


「米軍薬物汚染、巡洋艦2隻の乗員に接点…密売で協力か」


「米海軍横須賀基地所属のミサイル巡洋艦「ビンセンス」乗員の薬物使用問題が発覚したのに続き、新たに、同「チャンセラーズビル」の乗員も薬物にむしばまれていたことが28日、明らかになった。 基地の外でも薬物を密売していたとされるチャンセラーズビルの下士官(25)は、国際郵便で薬物を密輸していた疑いが持たれているビンセンス元乗員の元米兵(23)と知り合いだったという。2隻の軍艦で広がった“薬物汚染”の接点を手がかりに、日米の捜査当局が全容解明を進めている」


しかし、彼達がドラッグを得る方法は米軍の航空郵便を利用するだけではなかった。

森山は、軍船やNDL・フーズなどの使用している肉のコンテナーにも疑いを持っていた。木村美雪は、カタリーナ島でプラスティネーション加工され日本に送られた。この人体像を日本に送ったのはフレイトフォワーダーで働いている元NDL・フーズの社員である。彼はツイッターで一つの像が木村美雪であると断言していた。

しかし、警察はまだ木村美雪と「人体の不思議展」に展示されてある像に疑いを持っていない。それに、美雪の部屋からはルミノール反応は無かった。要するに彼女の部屋で殺傷は無かった事である。

春美・スミスの検視結果は、首を絞められた結果による窒息死であった。春美が殺されたのは、航空母艦カール・ビンソンや、サンフランシスコを基地としている攻撃用潜水艦の乗組員を含めて49名の薬物汚染が発覚した後である。彼女と米国人の夫、ピーター・スミスは秘密裏にドラッグ販売を行なっていた。これは、ドラッグにかかわった人間の通る一般的な事件だ。

そして、カリフォルニアのロス・アンゼルスとサン・ディゴと言う外国の都市で起きた二人の日本人女性の死は、微妙なところで関係していた。疑問なのは、加瀬のボートの中で見つけられた「プラスティネーションされた男の半身像」である。腕組をしている半身像の手の指を見たが一つ欠けていた。横浜の「人体の不思議展」の会場で木村美雪の像を見ていた指のない男は、片桐祐子からのEメイルにあったように、アメリカで牛丼店を展開している会社の工場長で、かって作業中に指をなくした高田健二なのだろうか。若し、像が高田健二であれば、どうして殺されたのか疑問が残った。彼は、ドラッグの取引には関係していなかったはずである。

プラスティネーションの加工は約二ヶ月ほどかかるので、高田健二が殺害されて加工されたなら、春美の死体と同じように、しばらくはホルマリン漬けされたはずだ。

森山は手帳を出して事件の経過と推測を書いてみた。


・サンデェイゴのヨット・ハーバー。

・新たなポーズの人体像(男)状態半身 手の指が欠損、美雪の元彼?

・やくざのアジト

・女の死体 レストラン「東京焼き鳥」の女のオーナー

・水兵とヨットとドラッグ航空母艦、潜水艦、横須賀


・・・どうしても、NDL・フーズが気になる。木村美雪、加瀬、ツイッターに書き込んだ男はNDL・フーズの元社員だ。

木村美雪は春美とピーターにドラッグの運び屋にさせられていた。加瀬は、NDL・フーズの金の使い込みがばれて刑務所に収監されていた。そして、加瀬は釈放された後、行方不明になった。住田警部によると、神奈川の海岸で見つかったIBPの箱に入った人肉は加瀬のものだと言う。現在DNA鑑定が行なわれているらしいが未だ結果は出ていない。又、新聞では「人肉入りの箱」と書いてあり、人肉が身体のどこの部位であるかは記述していなかった。

森山は、ロスアンゼルスに帰るフリーウエイ(5)で、車を運転しながら横のシートで珍しそうに外に広がる景色を見ている江川警部補に『人肉入りの箱』のことを聞いてみた。住田警部は後ろの座席で寝ていた。

「・・・ああ、あれですか。たしか、腿の辺りだと聞いています」

「腿?」

「はい。まあ、アレは牛肉などのパックと違い、そうですね・・・片足を輪切りにして一部を切り取りパックにした、と言う感じですか」

「素人の作業ですか?」

「いえ、かなり肉の扱いに慣れた人物の仕業ではないかと警察は推測してますよ」

「なるほど・・・腿肉ですか・・・」

「横浜には、結構他にもバラバラ死体の遺棄事件がありましたよね。あの事件などは麻薬中毒者の反抗で、単に殺害して事件が発覚しないように、死体をバラバラに切って横浜の海に放棄したものです。しかし、IBPの箱に入った人肉は腿の肉だけで、後は何も入っていなかったのです。だから、海の上を流れて金沢八景教会の近くの海岸に打ち上げられたのでしょうね」と江川警部補は説明した。

一体誰が何の為に加瀬を殺し、その身体の一部をアメリカから日本まで持って行ったのだろうか。

セスナで金沢八景上空を飛び日本キリスト教団金沢八景教会の真上で旋回した時、セスナの鼻先にチラリと米軍の軍艦が見えた。普通の小さな肉片一パックを入れたIBPの箱約50x50x30cmが軍艦から投棄されたとしたら、間違いなく海岸まで沈まないで到着するはずである。特にIBPの「箱」は頑丈に作られている。

「腹が減りましたね」江川警部補が海を見ていた顔を戻すと森山に言った。彼達は、朝食を取った後、何も食べていなかった。

「そうですね、もう少し走るとアナハイムですので、その辺りで日本食でも食べましょうか?」

アナハイム市には、デズニーランドがある。それで数度来ていたが、少し離れたスタントンと言う小さな町にある「三喜(みつよし)」と言う日本食レストランを知っていた。北にはブエナパークと言う町があり、有名な「ナッッ・ベリーファーム」がある。

日頃は混雑しているレストランだが午後の二時過ぎなので、彼達は『三喜』で一番離れた静かな席をもらった。

森山と江川警部補はトンカツ定食を、住田警部は牡蠣フライ定食を注文した。二つとも$14.00で味噌汁と白菜漬けが付いて来た。

「NDL・フーズは、此処から遠くないですが何となく怪しいですね」森山の言葉に白菜を箸で持ち上げていた住田警部は、ポイと口に放り込むとコリコリと噛み「結構、うまい」と言いながら「太郎ちゃんの言う通りさ」と短く言った。

「NNB・ハムは、日本国内初のBSE感染牛の対策事業の一環として行なわれた、国産牛肉買取事業で不正を行っていたようですが・・・」

「ああ、あれ。国が買い取って焼却する一・三トンの肉の返却を受けたNNBハムは、国に無断で焼却してしまったという話、ね」

「そうです。どうして、慌てて焼却する必要があったのでしょうね?」

「なるほど・・・」住田警部は牡蠣フライを取り上げソースにつけると食べ始めた。そして、ご飯を食べ味噌汁をすすってから、再び「なるほど・・・な」とつぶやくように言った。

「太郎さんは、面白いところに目をつけましたね、警部」と、江川警部補が言った。

「アレを、指示したのは確かNNBハムの専務と副社長だったな。たしか、副社長の方は東谷といって、NDL・フーズの社長か・・・」

「ですから、肉の中に隠したいモノがあったのではないかと推理してみたのですが・・・たとえば人肉だったり・・・あっ、すみません食事中に」森山は食べる箸を止めて言った。

「いやいや、大した推測だ。奴(やっこ)さんはそれに、食肉業界の裏側と関係が有る」

「例のドンとの関係ですね」

「そうだ。それに『金を返せば問題が無いと思った』と隠蔽を主導した副社長の東谷が言っているが、副社長の地位にある人間があのような軽はずみな指示をするはずがないね」

「もう一度、NDL・フーズをたたきますか?」江川警部補が言った。

「必要だな」

「ボクは、例のIBPの箱に入った肉は加瀬ではないような気がするのですが・・・」森山の言葉に、二人の警察官は森山の顔を見た。

「どうしてだい?太郎ちゃん」

「LAPDのDNA鑑定で、加瀬は木村美雪と関係が有りましたよね」森山はLAPDからもらった情報のメモを書いた手帳を彼達に見せた。


*時々来ていた男は日本人、複数。

*年齢は四十歳前後から。

*良く来ていた男は痩せ型で眼鏡を掛けていた。

*シルヴァー色のスポーツタイプのベンツに乗っていた。

*少し猫背、ビジネスマンタイプ。


「この、複数の日本人男性が気になります」

「と、いうと、どういうことだろうね?」

「実は、木村美雪は加瀬と懇意になる前に元彼がいたらしいですよ」

「ま、よくあることだろうが・・・喧嘩別れしたのかな、その、美雪は元彼と」

「それよりも、加瀬に利用されたと思います」

「利用された?」

「そうです。加瀬は東谷に女を与える事でNDL・フーズの金をごまかせたのです。東谷がコールガールには飽きて、加瀬は木村美雪を与えた」

「じゃ、木村美雪の元彼が?」江川警部補が聞いた。

「元彼の嫉妬か・・・」

「いや、実は未だ完全な確証はありませんが僕はツイッターで、偶然、ある男が木村美雪は殺されてプラスティネーションされ、日本に送られたと書いていたのを見つけたのです」

「ほんとうかね?」

「はい。それで彼女の特徴の有る身体の部位を指摘され、僕は横浜で催された『人体の不思議展』に行きました。そこで、確かに一つの体操のポーズをした像がツイッターに書かれていたように足指に特徴がありました。木村美雪は元国体に出たほどの体操選手で、足の指の一部を痛めていたそうです」

「では、木村美雪はあのレドンドビーチの自分のコンドで殺されて、カタリーナ島のプラスティネーション工場に運ばれて加工された・・・」

「実は、まだ話の続きがあるのですが、その展示場で変な男を見ました。木村美雪と思われる像の前にたたづみ、こぶしを握り閉めていた男がいたのです。この男の指の一部が欠けていることを、彼が動き始めた時に見つけました。小指ではありませんので、ヤクザではないと思います」

「ふむ・・・」

「そしてもう一人の知り合いと展示会場で偶然に会いました。彼女は横浜で知り合った女子大生です。これが小説のように偶然なのですが、彼女と知り合ったのは、彼女が牛丼店でウエイトレスのアルバイトをしていて僕が食事している時で、彼女とアメリカのことを話したのがきっかけでした。その彼女が、アメリカの牛丼チェーンの工場長を展示会場で見たと言ったのです。それで、昨日Eメイルで彼女に男の手の事を聞いてみたのですが男の手には、指が一本無いそうです。ところで皆さんは、木村美雪がかって横浜の牛丼店でアルバイトをしていた事を知っていましたか?」

「いや、初耳だよ」

「そうですか・・・この情報も、実はツイッターで得られたのです」

森山は二人にツイッターで得たとおりの情報を話して聞かせた。


{人体展に展示されている床体操のスタイルをしているMKと言う女性は、学生時代横浜の牛丼店で働いており、そこで肉処理担当の妻子ある男性と関係をもった。Y牛丼店がアメリカで牛丼店をチエーン展開する時、男性はロス・アンゼルスに単身赴任した。その後を追ってMKと言う女性もアメリカに渡った}


「それともう一ツ・・・チュラビストアのマリーナに停泊していた加瀬のボートで見たプラスティネーションされた半新身像、腕組をしていましたが手の指が欠けてました」

「ほんとうかね?すごいな、太郎くん」住田警部はうなるように言うと、湯呑に手を伸ばしお茶をごくりと飲んだ。「忙しくなりそうだ、な。一週間ほど滞在がのびるかもしれない。とにかく、今夜、織田(奈緒子)警視長に報告せんと。大手柄だよ、太郎ちゃん」

森山は片桐祐子からのEメイルも二人に話して聞かせた。


「アメリカに行った工場の人の名前は、高田健二と言う人で、森山さんのおっしゃるように、肉を切る作業中に指を切断し、一本の指先が無いそうです。現在、アメリカの工場におられるそうです」


住田警部と江川警部補はそれらのことを自分の手帳に記入した。


宿泊先のニユー・ガーデナ・ホテルにたどり着いたのは、丁度夕方七時頃だったが夏時間のアメリカである。日没までにはあと一時間ほどもあった。日本は午前十一時だ。

住田は警察庁に電話を入れた。

そして、電話の終わりの方で「・・・課長、太郎くんに代わります」と言って、近くにいた森山を呼んだ。

住田警部から渡された受話器を口に当てると「こんにちは、叔母さん」と、いつもの呼びかけをしていた。

「太郎くん、元気?あなた、やったじゃないの。『グッド・ジョブ』よ」叔母の嬉しそうな声が聞こえた。

「まぐれですよ。そして、まだ、これからです」

「実は、昨日、李博士から連絡があって、例の肉片は加瀬のものではないと分かったのよ」

「ほんとうですか?」

「そうなの、何か進展があったらしらせてね。あ、そうそう、姉さんに電話を入れて、あなたが元気で活躍していると伝えとくわね、警部と警部補によろしくね。じゃ」と言い、警視長の叔母は忙しそうに電話を切った。

「織田警視長は電話を切りましたよ。よかったのですか?」と森山は住田警部に聞いた。

「話は、終わっているよ。滞在を一週間ほど延期してもらった」

「明日は、何からはじめますか?」江川警部補が聞いた。

「そうだな・・・まず、高田健二のことを調べよう。NDL・フーズは逃げはしない」

彼達は、少し早めに就寝する事にした。


翌日『YAMAYA AMERICA・INC』と言う、高田健二が勤めている会社に出かけた。この会社はトーレンスと言う隣の都市にある。カーナビに従って数十分も走ると、直ぐにその会社の近くに来ていた。

平屋の建物が一角にまとまって建っている所に「山家」と日本語と英語で書いた看板が見える。

「あれでしょうね」森山はカーナビの指示通りに運転をしていた。

「あれか・・・」住田警部は、さて仕事と言うように両肩を上げ下げして、首をカクカクと動かした。

「高田は、一年前に退職しました」と、支店長は言った。

「また、どうしてですか?」と言う住田警部の質問に、相手は迷惑そうな顔をしながら「それまで、ちょくちょく欠勤を繰り返して、迷惑していましたが一度日本に帰り戻って来るや否や退職願を出したのですよ」

「引き止めなかったのですか?」

「止める必要も無かったですね」と相手は無愛想に言った。

「高田さんは、どこに住まわれていたのですか?」

彼は、少々お持ち下さいと言い、隣の部屋の方に入って行った。そして、若い作業着を着た男を連れてくると「彼が知っているそうです」と又、無愛想に言った。

若い男は、森山達に会釈をすると「高田さんは、ウイルシャーに有るアパートに住んでました」

「ウイルシャーですか?此処からかなり遠いですね」かってロスアンゼルスに住んでいた事の有る森山が言った。

「はい。しかし、私どもの一号店がウイルシャーに近い7番街にあったものですから。しかし、あの店は残念ながら環境の悪化から現在は閉店しました・・・高田さんは『山家』のアメリカ進出を手がけられておりましたので、ウイルシャーから少しに西に行った辺りに住んでおられたと聞いています」

「そうですか。ところで、彼は女性と住んでいたと誰かが言ってましたがご存知ですか?」

若い男は罰が悪そうに支店長をチラリと見た。

「そんな事を、聞いたことはありますが私どもは社員の個人的なことは、あまり存じません」と、支店長の横にいた工場長が若い男を助けた。

「そうですか。最後の質問ですが高田さんのおやめになった日を教えていただけますか?」と住田警部が聞いた。

山家の支店長は、ソファから立ち上がりオフィスの中に声をかけた。

「弥生くん。高田くんはいつ辞めたかな?」

「昨年の五月・・・あれは、節句の一日前でしたので五月四日です」と言う、声が聞こえた。

「昨年の、五月四日です」と、支店長は繰り返した。

彼達は、高田健二の住んでいた住所をもらうと、山家を出た。森山は住田警部から高田の住所を受け取ると『カーナビ』に入力した。



ウイルシャー大通りはロス・アンゼルスを東西に走る道路である。市内から西に伸び、次第に南に向けてカーブするとサンタモニカに繋がっている。高田の住んでいたというアパートは、LAの市内から西に行ったコレアン・タウンの近くだった。

アパートは既に他の住人が住んでいたが相手は日本人だったので、高田について聞いてみた。住人が言うには、高田と言う人は突然と姿を消したと言う事だった。

「突然と・・・か」と後部座席で住田警部がつぶやいた。彼達は、高田健二の住んでいたアパートから出た後、ウイルシャー通りから山家の一号店があったというロス・アンゼルス市内の7番街(7th Street)へと車を走らせていた。カーナビには「426 W 7th St」とある。あの辺りはパブリックの駐車場が少ないのでフリー・ウエイ(110)を越えた後、近くにあったパブリックの駐車場に車を駐車して歩く事にした。

「少し歩きますけど、よろしいですか」二人の刑事に聞くと、ロスの市内を歩いてみたかったし、少し運動不足だから丁度いいよと住田警部が言った。

流石にビジネスマンの姿が多く目に付いた。スーツを着こなした男女が足早に歩いている。

ウイルシャー通りは南グランド・アヴェニューで終わっていた。彼達は、そこから一区画南に歩き7番街に出た。そして、東に一区画歩くと南オリーブ通りを渡った。直ぐに「山家」のあった場所が見つかった。ビルの一階にある店舗の一つが内装工事中だったので、それが元「山家」であろうと近寄ってみると、一部に「山家」と書いた文字があった。

「これですね」森山の言葉に、住田警部と江川警部補は、ガラス越に中の様子を見た。「店をたたむ理由はなんだったのでしょうね」と江川警部補が言った。

「ま、家賃の高騰だろう。山家のような商売は、こんなと場所では採算が合わないかもしれないね。とにかく、此処に高田は出入りしていたと言うわけか・・・そして、殺された・・・一体誰が彼を殺して半身をプラスティネーションにしたか。下半身はどうなったか、だ」

「僕は思うのですが下半身は何か他に使う為に切られたような気がします」と、森山が言った。

「何のために?太郎ちゃん」

「たとえば、その一部を送りつけるところがあったとか・・・もしかすると、IBPの箱に入っていたのは高田健二の肉かもしれませんよ」

「なるほど・・・」

「警察が最初に検定した時は、加瀬の肉体の一部と言うことだったのでしょう?でも、李博士の検定では別人のものだと分かった。すると、高田健二のモノかも知れないと推測出来ます。しかし、誰が何のためにと考えると未だ見当が付きませんけど」

「よし、日本に報告して高田のDNA鑑定をしてもらい、例のIBPの箱に入っていた肉と比べてもらおう」

彼達は次にLAPDに向かった。

LAPD(ロス市警) アジア系特別軌道捜査隊のジョン・村上警部に、カタリーナ島のプラスティネーション工場とヤクザ組織の関係を聞く必要があった。

「日本のヤクザがマフィアと組んで、麻薬取引をやってました」と言うのが村上警部の説明だった。要するにメキシコ、サンディゴ、ロスアンゼルス、横浜と麻薬を動かす上でカタリーナ島を中継点にしていたと言う事だ。なぜ、プラスティネーションの工場が必要だったかは、殺人の犯行を隠す為と言うことらしい。未だ捜査中だと村上警部は言ったが、かなりの人体が「Body Worlds(人体の不思議展)」用の像として送られていた。

従来「Body Worlds(人体の不思議展)」用の像はドイツのグンター・フォン・ハーゲンス(Gunther von Hagens)博士が開発したもので、ハイデルベルク大学などの解剖学教授によるプラスティネーション技術を使用した完ぺきな像が多かった。しかし、最近は中国製が出回っていた。川崎ルフロン4階で開催された展示会では、中国で製造された像が多く、人体像はプラスティネーションと呼称されずプラストミック処理(樹脂を浸透)と説明してある。人体標本の表面に樹脂がはみだしたり、解剖技術の未熟さからか、標本の神経血管など途中で切れていたりしていた。これに、メキシコやカタリーナで製造された像が混ざっていた可能性もある。ギャング組織と日本のヤクザ組織は、プラストミック処理した人体像を麻薬の輸送に使うと同時に、殺人を隠蔽する手段にも使っていたようである。

「人体の不思議展」における死体の出所不明疑惑は読売新聞が次のように書いていた。

「2008年の横浜展以降は『人体の不思議展』とは関わりはないようだが、ここ数年は欧米でも中国から来た死体の出所が不明であると,中国系人体展が社会問題になり、フランスやハワイでは人体展が全面禁止となった。日本でも最近の展示では医師会や看護協会や教育委員会等が、後援団体を引き 受けなくなるほど社会的な批判の声が強くなっていると言う」


「木村美雪の体操のポーズを取った像も、その一つだったのですね」森山が確認するように言うとLAPDの村上警部は、机の上のコンピューター・スクリーンを彼達に見せて「ここに、カタリーナで見つかった写真があります」と言いながら、写真を動かし始めた。何枚かの後、確かに日本人女性の姿が合った。「これは、木村美雪です」村上警部は机の上の書類を何枚かめくり、木村美雪の顔写真の載った書類を三人に見せた。。

「事件がとてつもなく大きくなったなあ・・・」と、住田警部がうなるように言った。確かに事件は糸が絡み合ったように複雑になっている。

最初はICPO(国際刑事警察機構)の捜索依頼から始まった。しかし、現在はLAPDやSDPD、麻薬捜査官、法科学鑑定班が協力して操作していた。

「確かにそうですね。太郎さんの言った「人体の不思議展」の像、木村美雪、高田健二、彼のプラスティネーションされた半身の像、加瀬、カタリーナ島、春美・スミス、米軍、メキシコとアメリカの麻薬トンネル、それにNNBハム、NDL・フーズ、食肉会のドン、B同盟、DM食肉連合会やOSK食肉事業協同組合連合会と呼ばれている組織、ヤクザの組織・・・あの東谷にもアリバイを証明させるべきですね」と江川警部補がまとめた。

「もう一ツ、ありますよ。東谷の現地子会社NDL・フーズの元支店長の萩岡です。彼は、加瀬の使い込みの後、日本のNNBハムの子会社に出向になったと言う事ですが・・・僕は、彼が麻薬の入った冷凍肉を食肉会のドンの系列会社に送っていたと考えています。現に、彼がNDL・フーズを辞めてから、コンテナーの種類が違ってます。もし・・・もしですよ。加瀬が殺され、冷凍され食肉専用のコンテナーに入れられて日本に送られた。その時は丁度、日本はBSE(狂牛病)が問題になった時で、政府はこの時期の牛肉を買い入れて焼却廃棄していた。しかし、東谷は敢えて違法を犯し、何故か一部の肉を自分の判断で直接焼却した。これは、この中に特別な箱が混ざっていたからではないでしょうか。たとえば加瀬の死体とか」

「なるほど・・・他の冷凍肉と一緒に焼却されたら、人間の死体も分からなくなる・・・税関も、全ての肉を開けて検査しないからな」

「本当ですか?」

「農林水産省と厚生労働省が査察して合格したアメリカの牛肉輸出会社の牛肉は、輸入時に全箱開封検査が免除されるのですよ」江川警部補が言った。

「航空貨物として運び込まれる牛肉は、成田の税関で約5%ほどしか検査されないと言う事だったが最近は10%ぐらいにしたとか言っていた」

「皆さん、テレビのコロンボ刑事のようですね」と、LAPDの村上警部は机上の書類を整理しながら言い、彼達を見回した。

「刑事コロンボの働いていたLAPDにいるからです」と住田警部が答えた。

「ところで、SDPDの青木刑事から例のプラスティネーションされた、半身像の事で電話がありました。どこを探しても、下半身は見つからなかったそうです。DNA鑑定に回したそうです」

「有難うございます。今、森山君が言ったように、日本で見つかったIBPの箱に入った人肉が、その下半身の一部ではないかと言うことですよ」

「なるほど、むごい事件ですね。アメリカではマフィア組織が行なう事件に近い・・・日本のヤクザ組織も同じですか?」

「ヤクザは、元来は任侠を重んじたのですよ・・・任侠と言うのはね、弱い者を助け強い者をくじき、儀の為なら命も惜しまないと言う事です。だから、あまり残酷な事はしない」

「それよりマフィアのように掟を作る組織の方が残忍なことをしますね。自分たちの組織の崩壊に繋がるから」

「しかし、加瀬を殺害したのは、誰か・・ですね」と、村上警部が話を戻した。

「彼は、NDL・フーズの金を横領して1億ドルほどをを使い込んだということですが、NNBハムの子会社があの程度の金で殺害などしませんよ。矢張り、恨みからだと思います」と森山は説明した。

加瀬の使い込みは新聞で「経理担当役員が、実に1億ドルもの会社のカネを横領、着服した事件」と書かれている。

「恨み・・・か。彼を恨んだ者は誰か?加瀬は麻薬取引と関係はないでしょう?」江川警部補の質問に、村上警部は「加瀬は、単なるユーザー(使用者)です」と答えた。



2002年頃のNDL・フーズと加瀬の横領


NDL・フーズは順調にアメリカの好景気に支えられて業績を伸ばし、新社屋をサンタ・フェ・スプリングに移した。ここでは二台の自動餃子ラインが稼動して、多量の冷凍餃子をアメリカの食品業界に販売していた。又、肉や冷凍の海老やハマチなど、シーフーズを主体とした日本食レストランや日系のスーパーマーケットに対する営業も、日本食ブームで順調に伸びた。しかし、多額の金を稼げるのは肉類の輸出だった。牛肉や豚、チキンを冷凍コンテナーで日本に輸出すると、内外の金利差から余分な利益が応じた。これを加瀬は上手くコントロールし、東谷に取り入る事で経理の担当役員の位置を確保する事が出来た。支店長の萩岡は東谷の子飼いである。東谷は現在本社の副社長になっていた。誰も副社長と関係のある加瀬に口だすような事はしなかった。

ある時、加瀬は多量に用いたMDMAで、胃痛と吐き気をもよおし医者に行かなければならなくなった。丁度その時、NDL・フーズは棚卸の時期で上田芳子はバランスシートの作成に追われていた。普段なら、加瀬自ら輸出した商品のコスト計算をするのだが・・・芳子は、加瀬のコンピューターしか計算できないようになっているコスト表のために仕事がはかどらない事に苛立っていた。支店長の萩岡からは、明日の朝までにはバランスシートを作成しろと言われていた。

「どうだ、できそうか?」萩岡が上田芳子に声をかけて来た。

「加瀬さんが休んだので、輸出品のコスト計算が出来ません」

「なに?加瀬は未だ終わっていないのか?」

「はい・・・」萩岡の怒りを秘めた声に、上田芳子は小さくこたえ返した。

「まいったな。社長(東谷副社長)が明日までに出せと言ってきた・・・何とかならんのか」

「加瀬さんに電話してみます」

「うん。そうしてくれ」

上田芳子は受話器を取り上げて加瀬の携帯に電話をしたが留守電になっている。

しばらく時間を置いて、再び電話を入れてみたが加瀬は取らなかった。

上田芳子は、加瀬の今日の予定を書いたメモがあるかもしれないと加瀬のデスクに歩いた。しかし、メモらしいものは無い。ただ、彼女は加瀬のコンピューターがオンになっていることに気づいた。「あら?」と彼女は言葉を漏らし、マウスに手を伸ばして動かした。スクリーンに文字が浮かび上がった。加瀬は昨日、コンピユーターを消さずに帰ったようだ。上田芳子は「コスト」と書いたページを開けた。

コスト計算表が浮かび上がった。(終わっているようね・・・)と上田芳子は、そのページをプリントにかけた。ウイーンと言う音とともに近くにレーザープリンターに三枚のコピーがプリントされた。彼女はコストをバランスシートに打ち込むため自分のデスクに戻った。本来ならバランスシートは加瀬が作成する。上田芳子は、損益決算書の作成に追われているはずだった。

「あら?」再び上田芳子が小さく驚きの声を上げた。計算が合っていなかった。(おかしいわね・・・加瀬さん、体調不良で打ち込みを間違えたのかしら?)と彼女は考えた。しかし、どう計算しても合わなかった。他の計算書類ともつじつまが合わない。しかも、多額の用途不明金額が現れた。

上田芳子は、このことを支店長の萩岡に説明した。萩岡は半信半疑で上田芳子の報告を受け止めた。しかし、若しこの事が真実なら自分の立場が危ないと彼は直感した。

萩岡と上田芳子は、加瀬のコンピューターを使い、前期までの用途不明金を割り出すと,彼達の血の気がうせる額だった。約1億ドルもの金が紛失していた。

萩岡は上田芳子に口止めを要求した。

「いいか。このことは誰にも話さないでくれ。いずれ、大変な事になるに違いないがそれまでに何か解決策を・・・」と、萩岡は考えたが金額が大きすぎた。自分達のコントロール範囲外のように思われた。

(糞!)と、萩原は内心でつぶやいた。加瀬の野郎、副社長に取り入ったのはこの金を隠す為だったのか・・・と悔やんだが遅かった。萩岡自信も加瀬に弱みを握られていた。それは、麻薬の詰まった枝肉を日本に送っていた事だ。見返りは多かった。しかし、加瀬が萩岡の銀行口座に振り込まれる多額の金を偶然に見つけたのだ。

加瀬は、薄ら笑いを浮かべてそのことを軽く萩岡に示唆しただけだった。加瀬は女を与える事で日本本社の専務である東谷を牛耳っていた。萩岡は、加瀬の行動に口出しすことを封印されていた。

加瀬は幾らでも、会社の金をコントロールできるようになった。毎月、多額の金が加瀬個人の口座に流れて行った。

しかし今日、萩岡は1億ドルと言う莫大な金が加瀬によって使い込まれたことに、絶望的な危機感を覚えていた。逃げ切れない、と思った。金額が大きすぎた。上田芳子の口を閉ざさしても、いずれは、ばれる犯罪だ。本社にも過大に影響を及ぼすであろう事は推測できた。

命すら危なかった。兎に角、と考え東谷に連絡する事にした。自分が助かるには彼の保護がいる。東谷副社長も、自分が口を割ると危ないのだ。萩岡は、今まで自分が関係した麻薬輸出の証拠隠滅に取り掛かった。もともと、そういった事を無視すると言う条件だけで多額の金をもらっていたのだ。直接手にかけたことは無かった。二三箱の冷凍された肉を輸出用のコンテナーに入れることを指示するだけでよかった。中身は知らなかったのだ。日本の顧客が必要な肉を自分達のコンテナーに混ぜて輸出するだけでよかった。実際に、モノを見たことも無い。俺の知らないところで行なわれた事だ、と萩岡は心中で繰り返した。

加瀬の横領が暴露される前に出来るだけ自分の身の安全を確保する事である。

夕刻、萩岡は社員が帰った後、日本時間に合わせて東谷副社長に電話を入れようとして受話器を取ったが手が震えて何度も落とした。そして、報告を何度もやめようとしたが食肉業界の裏組織との繋がりを考えると、自分の生命の危険さを覚えた。

萩岡は脂汗を額に浮かべながら震える手で東谷に電話を入れた。秘書が出た。乾いた声で東谷副社長をお願いします・・・と言うと、秘書も感ずるところが合ったのか東谷が出た。

「どうした?」と、彼は言った。

「副社長・・」萩岡は声を詰まらせた。

「なんだ?」と、相手は不快そうに聞いた。

「申し訳ございません・・・」萩岡は、額を机に着くほど頭は下げ再び声を詰まらせていた。

「・・・」流石に東谷も事の重大さに気づいたようだ。

「萩岡くん。肝心な事を言ってくれないか。申し訳ございませんでは、わからないだろうが、ん?」

東谷はすこし声を和らげて萩岡に聞いた。

「実は、加瀬が使い込みをやりました」

「使い込み?加瀬が・・・か?」東谷は加瀬に弱みを握られている。彼は直感的に、数十万ドルくらいか・・・と考えた。

「はい・・・」

「帳簿でつじつまを合わせられんのか?」

「それが・・・」萩岡は喉がからからに渇いていた。舌を出し唇を何度も舐めたが直ぐに乾いた。

「それが・・・」と萩岡は繰り返した後、意を決したのか「一億ドルほどにもなります」

「なにッ!」東谷の大声に、秘書室の秘書が慌てて部屋をノックした。

東谷は声を落とし「萩岡君、そのまま待ってくれ」と言い、立ち上がるとドアを開けて不審顔の秘書に、重大な問題があるので誰もいれないようにと指示すると、再び電話に戻った。

「萩岡くん。君は、本当のことを言っているのか?」と聞き直した。

「副社長・・・本当です。何度計算しても一億ドルがはじき出されます」

「よし。今、誰と誰がそのことを知っているんだ」

「会計の上田芳子と私だけです・・・」

「そうか・・・」と東谷は少し間を置いて「私が明日。そちらに行く。兎に角、誰にも感ずかれないようにしろ」東谷はビジネスの判断がよいことと決断が早い事で、食肉業界に名が知られていた。裏社会にも強く、もちろん、B同盟、DM食肉連合会やOSK食肉事業協同組合連合会の食肉会社とも関係を持っていた。

「わかりました・・・」

東谷は電話を切った。立ち上がって副社長室から窓ガラスを通して都心のオフィス街を眺めた。NNBハムは、この辺りではトップの企業だ。そして東谷は副社長である。自分のこの地位を守るには・・・加瀬を消すかとチラリと思った。

加瀬には木村美雪との秘密の関係を握られている。奴がしゃべれば東谷にとって不利なことばかりになる。しかし、迂闊に動けない。



加瀬は、東谷と萩岡に呼ばれた。NDL・フーズの事務所ではなかった。ロス・アンゼルス市内の「シェラトン・ロサンゼルス・ダウンタウン・ホテル」のスイート・ルームだった。

加瀬は「ま、すわれ」と言う東谷の言葉に、一つのソファに腰を落とすと手を組み、下を向いて一言もしゃべらなかった。加瀬の身体は震えていた。罪の大きさを理解している事は間違いないと思われた。

その頭越しに萩原の声が聞こえた。

「加瀬、副社長に説明してくれ・・・」萩岡の切実な声だった。彼は、自分の責任の重さを少しでも軽くしたかったのである。

「1億ドル、と言うことだがこの額はほんとうか?」と東谷は聞いた。

「・・・・・・」加瀬は答えなかった。

「加瀬、何とか答えんか」と萩岡が叱った。

「しゃべりますよ・・・」と加瀬は顔を伏せたまま、つぶやくように言った。声は震えていた。腺病質のような体躯に黒ぶちの眼鏡を掛けた風采の上がらない男が精一杯の抵抗をしているように思えた。

「何?」萩岡が驚いて声を上げた。

「しゃべりますよ。お二人のこと・・・」加瀬は、狂ったように少し甲高く言った。

萩岡と東谷は顔を見合わせた。彼達は加瀬が開き直っていると感じた。

「お前は、自分が言っている事が分かっているのだろうな」不安そうな萩原の言葉が響いた。

「・・・・・・」加瀬は再び黙った。

しかし、東谷と萩岡は加瀬が脅しに来る事をよんでいた。(きたか・・・)と東谷は思った。(これで俺も終わりだろうな・・・)と萩岡は思った。

「加瀬君。君の罪は免れない。しかし、アメリカの横領罪は刑が軽い・・・全てを受け入れて、刑務所に入り五六年で出てくると言う方法を取ったらどうだ」東谷は、前もってNDL・フーズの顧問弁護士と話していた。

加瀬が伏せていた顔を上げた。蒼白な顔に、何故か唇だけが真紅だった。

「会社は、刑事訴訟をする。これは私でも止めることはできない。しかし、君と私とで取引は出来る・・・どうだ?」

「・・・・・・」加瀬は眼鏡をはずして、ワイシャツの腕で眼鏡のレンズを拭いた。

「一言もしゃべらないで、刑務所に入ってくれたら、それなりの事はする・・・しかし、それも君次第だ」

「加瀬、副社長のおっしゃるとおりにするのが一番と思わんか」と萩岡が口を添えた。

「はい・・・」加瀬が小さく答えた。

「そうか・・・」東谷は立ち上がると彼の癖なのか窓側に歩いていってガラス越に外の風景に眼をやった。しばらく、加瀬と萩原の席に背をみせた立っていたがゆっくりと帰ってきて再びソファに腰を落とした。

「良いかね、加瀬君。横領はギャンブルとかヨットとかの遊行に使いましたとだけ答えるんだ。あまり、他の事は答えないように・・・わかるな?」東谷が念を押した。

「はい」と加瀬は部下だったことの意識が戻ったのか素直に返答した。

「私も、萩岡も・・・今回は本社の会長も巻き添えになるだろうが・・・仕方が無い。しかし、全ては君次第だよ、加瀬君・・・」東谷は、場合によっては殺害も意識していた。加瀬を殺害して自殺と見せかけると言う推理小説のようなテクニックもある・・・この方法が一番だと思われたが加瀬がどのような手を残しているか分からない。加瀬は、ここに来るまでに最悪の方法を考えて準備していた可能性が強かった。だから東谷は、加瀬に妥協案を出したのだった。最悪の場合は、最悪の手を・・・と考えながら、食肉業界のゴット・ファザーの顔を思い出していた。小太りのいかつい顔に、薄い唇の口が少しゆがんで「殺せ」「焼け」と言うはずだ。ごみ焼却場も彼達の組織によって運営されている。ボスの気持ちを察して彼の部下が行動する。部下は、ヤクザ組織に手を回して事を行なうはずだ。

「例の“特別な肉”(麻薬)の事は、私も萩岡君も知らなかった・・・もちろん、加瀬君、君もだ・・・分かるね。お互い命は大切だ」東谷は萩岡と目を合わせた。

「加瀬、副社長のおっしゃったことは分かったな」と、萩岡は言って加瀬の肩をたたいた。彼の肩は汗ばんでいた。

加瀬が猫背の背をより丸めてシェラトン・ロサンゼルス・ダウンタウン・ホテルからスポーツタイプのベンツで帰って行った後、東谷は萩岡と話し合った。それを見ながら萩岡は(あのベンツも会社の金で買ったのか・・・)と、悔しく感じた。そして彼は東谷から今後の指示を受けた。「君は多分、子会社に出向になるが・・・後は私に任せろ・・・悪いようにはしない。私も、副社長の椅子には残れないが・・・あの若造の社長では勤まらない。直ぐ戻れる。そうしたら、君もきちんとした地位に戻してやる。それまでの辛抱だ。わかったね」

「副社長の言われるままに致します」萩岡は深々と頭を下げた。



横須賀の米潜水艦



森山はツイッターを調べてみた。すると、丁度、IBPの箱が横浜の港に着いた日に次のようなツイット(つぶやき)があった。

「いまNHKラジオニュースで今日横須賀にはじめてヴァージニア級原潜ハワイが入港したって言ってたけど、こないだの日曜日に軍港めぐり乗ったらアメリカの原潜が泊まってますってアナウンスしてた 。

あれはなんだったんだろう?????? 」

30:名無し:2010/09/04(土) 07:11:01 ID:???


新聞には次のような短い記事があった。

「米原子力潜水艦「USSハワイ」横須賀の米海軍基地に入港。大型の攻撃型原子力潜水艦USSハワイ(SSN776)が七月三日に横須賀に入港した。このクラスの潜水艦の入港は、米国第七艦隊としては始めてである」


推理すると次のように考えられる。

人肉の入ったIBPの箱が神奈川の海で発見されたのは、確か月曜日で九月六日だったはずだ。すると、この原潜が運んできて、誰かが海に投げ捨てた・・・いや、沈まないように接着剤と強い粘着性の包装用テープで箱は閉ざされていた。明らかに意図的に、人肉が入った箱が日本の海岸に打ち上げられ、それが事件になるように仕組まれていた。



サンフランシスコ


元NDL社員で現在フォワーダー(流通)で働いている今西は、元同僚であった青木美雪のプラスティネーションされた全身像を見て以来、時々夢で美雪を見た。

「ジョージ、テッドだ」

今西は潜水艦の乗り組み員で潜水艦のキッチンでシェフをしているジョージに電話を入れた。

「ヘーイ、ユー、ハウヤドゥイン(how you are doing)」ジョージの低い声が携帯を通して聞こえてきた。

「例の件、大丈夫だろうな?」と彼は相手に念を押した。

「カモーン、メン。信じろよ」と相手は言った。

「信じてるさ。しかし、ヤバイことだぞ」

「ピーターのワイフだろう?日本人の女だ。その肉を日本に返す・・・泣かせるね。大丈夫、海の中に法律はない」

「間違って料理しないようにしろよ」冗談のつもりだった。

「どんな味だろうな?」とジョージが言った。低い声の持主なので今西の耳には気色悪く響いた。

一週間後、今西はゴールデン・ゲイトの展望台にいた。サンフランシスコ側からゴールデンゲート・ブリッジを渡ると直ぐ近くに展望台がある。そこからはサンフランシスコ湾とサンフランシスコのオフィスビル街が一望できた。今西は三十分ほど待った後、黒い船影が見え始め、次第にそれが潜水艦である事が分かってきた。潜水艦は威厳の有る黒い船体を波上に現して、幽かな白い波とともに真っ直ぐゴールデンゲート・ブリッジに向かっていた。

(あれか・・・)と今西は心でつぶやいた。あのIBPに入った肉片が日本の海岸で発見される時、青木美雪は生き返る。ジョージは、IBPに入っているのはサン・ディゴで「東京焼鳥」と言うレストラン・チェーンをを経営していたピーター・スミスの妻、春美だと思っている。




潜水艦浮上



某年某日、元NDL・フーズ社員で、現在はサンフランシスコに有るフォワーダーの会社で働いている今西がゴールデンゲートブリッジで見送った潜水艦は、数ヵ月後日本の領海に入っていた。

「潜水艦は、他国の領海を通行する時には浮上し、国旗を掲揚しなければならない」と言う国際法がある。三省堂の大辞林には「むがいつうこうけん【無害通航権】」として「沿岸国の平和・安全・秩序を害さない限度において,船舶が他国の領海を航行できる権利。潜水艦の場合は浮上して航行しなければならない。」 通過通航権と、記されている。


艦長は浮上を命じた。深海から黒い巨体は静かに浮上して行く。艦長は六十フィート(約18メートル)で「潜望鏡上げ」を命じ、浮上のための安全確認をした。

潜水艦のキッチンでシェフをしているジョージは、約140名の乗組員の食事をまかなう四人のキッチン・シェフの一人だった。原子力潜水艦は一度潜水をすると約二ヶ月ほど海中にいる。新鮮な野菜などは数週間でなくなり、後は缶に入った素材を料理に使う。食事は潜水艦の乗組員にとって、非常に大切な役割を担っている。閉じ込められた空間にいる人間は、自然と食事に期待するようになる。その期待にこたえて、限られた素材の中で乗組員が満足できる食事を作り上げなければならない。US海軍は軍艦に配置するシェフには特別な教育をし、乗組員の健康を保てるようなメニューを作り上げていた。そして乗組員は、潜水艦の中でもサーキット・ジム(フィットレス)で汗を流し、健康の維持に努めることが要求されていた。

潜水艦が浮上に移る前、ジョージは冷蔵庫のドアを開けて在庫を確認した。サンフランシスコの基地を出発する時、この冷蔵庫には約70日分の食料が貯えられていた。彼は、狭い通路をゆっくり歩き一番奥の下段の隅に押し込んでいたIBPの箱を確認した。(人間の肉か・・・)と、彼は内心思った。(間違って料理したら皆食べるかもしれない。味はともかくとしてスパイシーな調味料で・・・)と一瞬彼は思った。しかし、知人のピーターが妻の一部だと言い、金もくれた。ジョージは十字を胸で小さく切ると、後ずさりするようにして冷蔵庫から出た。



日本の神奈川県


森山と二人の刑事、住田警部、江川警部補はロスとサン・ディエゴの捜査を終了し、日本に戻った。ロス市警の調査によると、木村美雪は加瀬の勧めで次第にMDMA(エクスタシー)に溺れていったとようだった。MDMAを多用すると、心臓発作などが応じる恐れがある。

森山太郎は久し振りに自分の書斎にいた。机の横にはミルク・グラスの果物入れに美味しそうな桃が数個積まれている。もちろん森山は、書斎のソファーに座り桃を齧っていた。そろそろ夏も終わりだ・・・と、森山は思いながら窓から見える空に、カリフォルニアの青い空を連想した。

のんびりと構えていた森山の携帯が振動して着信を知らせた。片桐祐子からだった。

「森田先生」と祐子は言った。彼女は最近、森山の事を先生と敬称をつけて呼んでいる。三十二歳の森山は二十一歳の片桐祐子から若々しい声をかけられると、何となく嬉しく感じてしまう。

「やあ、祐子ちゃん。どうしたの?」決まりきった言葉で迎えた。

「わかりましたよ」と祐子は言った。

「なんだろう?」

「先生、覚えていないんですか?アメリカからEメイルで・・・」祐子は呆れたような声を出した。

「あ、ああ、あれだ。思い出した。海流の動き」

「そうですよ。わたし、大學の図書館で見つけるのに苦労したのですよ。でも、見つけられなかったので気象庁まで行って、海流表と例の潜水艦が横須賀に着いた時の海流、そして風向きなどいただいてきました」話の終わりを、きっぱりとした口調で切った。

「ありがとう。感謝、感謝。それで、どう?あの、例の教会に辺りの海岸に流れ着くだろうか?」

「もちろん、それは気象庁の予報官に聞きました。可能性は90パーセントだそうです」

「さすがに・・・祐子ちゃん、お疲れ!今度、美味しい食事おごります」

片桐祐子は嬉しそうに「ほんとうですか!」と言い、電話の奥で若々しい声を上げた。片桐祐子の郷里は静岡だ。森山は「ちびまるこ」のまるこちゃんを思い出した。作者が静岡だと聞いていたからだった。

森山は、片桐祐子と話した後、ソワァーに深く座りなおした。さて・・・と彼は考えた。海流を未然に知っていた人間・・・の・・・仕業、もしくは指示・・・か。もちろん米海軍の軍人であれば、横須賀沖の海流の情報は持っているはずだ。しかし、犯罪をわざわざ日本に持ってきて知らせるような馬鹿なことはしないはずだ。人肉の入ったIBPの箱を日本の海岸に漂着させるように投棄するには、確かな意図があってのことだ。誰かに頼まれた・・・彼は、ソファーから立ち上がると机の上のPC(コンピユーター)に向った。英文でキーをたたき、グーグルで検索すると次のような記事が現れた。


「YOKOSUKA, Japan (NNS) -- Virginia-class fast attack submarine USS Hawaii (SSN 776) arrived at Yokosuka Naval Station in Yokosuka, Japan, Sept. 3, marking the very first time in U.S. 7th Fleet's history that a Virginia-class submarine visited the region」

(米原子力潜水艦「USSハワイ」横須賀の米海軍基地に入港。大型の攻撃型原子力潜水艦USSハワイ(SSN776)が七月三日に横須賀に入港した。このクラスの潜水艦の入港は、米国第七艦隊としては始めてである)


この記事は『ツイッターに載せられた記事』と同じだった。森山は再びパチパチとキーを叩いた。

「米海軍ヒックス調査官によると、米海軍犯罪捜査局がサンフランシスコ海軍基地の三人の水兵とアルコ潜水艦基地の三人の水兵がコカインやスパイスを使用していたことを摘発した後に、船舶治安部隊が九月に行なった別の調査では、もっと多くの水兵たちがスパイスを使用していたことが判明した」(A separate investigation began in September after the Naval Criminal Investigative Service discovered that three San Francisco and three Arco sailors were using cocaine and spice, and informed the command. The ships’ security forces took over the investigation and discovered more sailors were using spice, Hicks said)


森山はサンフランシスコの米海軍基地での、潜水艦の寄航記録を調べてみた。USSハワイが日本に行く前に寄航している。しかも、水兵の薬物汚染が摘発されていた。

すると、サンフランシスコに住んでいる誰かがUSSハワイの乗組員に頼んだ・・・と、森山は考えると、深く息を吐き出した。フレイト・ホワーダー(物流会社)で働いている男が、青木美雪の像、体液をすべて樹脂に置き換えるという新しい技術(プラスティネーション)で作られ標本になり「人体の不思議展」に飾られた像が殺人と関係していることをツイットした、サンホセ市に住んでいる日本人・・・何か、今回の事件とつながりがあるように思えた。



その頃、住田警部と江川警部補は警視庁の「組織犯罪対策部」と協力して、食肉事業を展開する会社組織と暴力団、来日外国人犯罪組織が行なっている麻薬や銃器の密売犯罪組織を調査していた。特に食肉業者が冷凍の輸入肉に隠蔽して運び入れるロスアンゼルスとサンディゴからの薬物や銃器の密輸は、暴力団組織に流れており凶悪犯罪の要因となっていた。


森山は桃を齧りながら、再び人肉入りのIBPの箱に関係している事件を整理していた。この事件に関係していそうな人物が四人殺害されている。一人は青木美雪、二人目はNDL・フーズの会計だった加瀬昭三、美雪の元彼だった高田健二、東京焼き鳥のオーナーである春美・スミスだ。

事件の舞台裏に隠れているのがNNBハムの本社副社長である東谷剛朗、ロスアンゼルスの子会社NDL・フーズ支店長の萩岡・・・そして、食肉業界のドンと呼ばれB同盟、DM食肉連合会やOSK食肉事業協同組合連合会などと関係が有る男でる。彼はヤクザ組織とも関係が合った。NNBハムの東谷も当然彼達と関係が合ったはずである。

加瀬は、自分の愛人にしていた青木美雪を東谷に与えた。東谷は酒乱癖があった。木村美雪はMDMA (エクスタシー)中毒になっていた・・・しかし、木村美雪が過度のMDMA服用により、突然死したとは考えにくかった。木村美雪の死体は、死後硬直が始まる前にカタリーナ島にあった秘密のプラスティネーション工場に運び込まれていた。彼女が死んだ時、そこには誰かがいたはずである。加瀬か東谷・・・森山は、彼女のコンドを思い描いてみた。一人住まいにしては大きすぎる間取りだった。三ベッド・ルームに二バスだ。部屋のどこにも血液に対するルミノール反応は無かったとLAPDの村上警部は言った。整頓されすぎた部屋・・・LAPDが調べる前に清掃をさせた様な気がする。

体操選手だった青木美雪は多分、柔軟な身体の持主だった。好色な男であれば、柔軟な身体が見せる特殊なポーズを見たいだろう。裸体でする体操のポーズ・・・を、無理やりとらせようとしたが木村美雪は拒否した。酒乱の東谷が殺害し、加瀬が処理した・・・低俗な推理だと森山は思い桃を齧った。桃を齧りながら、木村美雪の部屋の冷蔵庫に入っていた沢山の肉を思い出した。アレは、木村美雪がNDL・フーズで働いていたから安く買っておいていたものだろうか。それとも・・・森山が推理にいきづまって桃を齧り種だけになった時、彼の携帯が着信音をつげた。片桐祐子からだった。

「度々すみません」と彼女は言った。

「いやいや、祐子ちゃんであればいつでも歓迎だよ」と森山が言うと、相手はクスッと電話の向こうで笑った。

「毎時間でもOK」と言うと祐子は「有難うございます先生。ところで、先生がはなしていらっしゃった萩岡と言う人、店に来るそうですよ」

「萩岡が?あの、ロスにいたNDL・フーズの元支店長のことだろうか?」

「はい、そうです。私、店長に聞いて確認したのですがロスアンゼルスにいた人とだと言う事ですから、間違いないと思います。NNBフーズの横浜支店長だと言ってました」

「なるほど、間違いないね。で、いつ来るの?」

「明後日の、三時だそうです」


森山は住田警部に連絡を取った。

そして、コンピューターのワード上にパチパチと推測してみた事を書いてみた。

NDL・フーズ 冷凍コンテナー BBSの問題、肉を焼却

裏社会の男 ヤクザ組織NNBハム 東山専務


東谷専務、美雪、美雪の部屋、専務の酒乱、美雪殺害

加瀬の使い込み

専務をゆする加瀬、専務、裏社会のボス、ヤクザ

ヤクザ加瀬を殺害? 実は美雪の元彼、枝肉にしてIBPの箱に入れNDLフーズの東山宛に送る。

東谷、警察沙汰にすることを嫌う。

NDL・フーズの支店長、冷凍コンテナの肉に混ぜ日本に送りBBSの肉として焼却


枝肉の下半身 美雪の元彼 潜水艦調理場 フリーザー 横須賀 廃棄


森山は自分の推理がどこか抜けているように思えた。ロスから戻って以来、同じ推理をを繰り返しているように思われて仕方なかった。たとえば上記のようにメモを取ると苛立ちを覚えてしまう。この苛立ちを覚えた時には、推理は外れた。兎に角、この推理を立証するには萩岡を洗う事である。しかし、推理作家としての身分では、萩岡に尋問する事は出来ない。住田警部や江川警部補などの助けが必要となる。

待ち合わせの場所に住田警部と江川警部が現れた。

「太郎ちゃんが私に直接連絡をくれるとは珍しいな」と住田警部は言った。

「NDL・フーズの元支店長の萩岡が知り合いの勤めている店に来るそうです。尋問してみたらどうかと思いまして・・・」

「なるほどね・・・でも、残念ながら無理だよ。今のところは」

「どうしてですか?」

「織田警視長から何も聞かなかったの?」

「?」

「萩岡は泳がせて置くようにとの命令だぜ」

「しかし・・・」森山が絶句したように言葉を止めると、住田警部は「奴はヤクザ組織と関係している。直ぐにボロを出すだろうよ」と彼を慰めた。

しかし、どうして今日住田警部と江川警部補は、森山が電話で元NDL・フーズの萩岡が来る事を知らせたら来たのだろうか。泳がせておくのなら、わざわざ東京から横須賀に来る事も無いと思われる。



兎に角、森山は萩岡が来るという時間に、二人の警部と例の牛丼店に行った。江川警部補は店の近くにある駐車場近くの路上で車を停め、車の中で待機した。森山と住田警部は牛丼店に入り牛丼を注文して店のカウンター席に座った。牛丼を半ば食べた頃、萩岡は一人の部下と一緒に牛丼店に現れた。色の黒い精悍そうな男である。牛丼店の店長となにやら言葉を交わすと直ぐに店を出た。

そして、萩岡達の車は冷凍車で予想外の行動を取った。他の店には行かず、首都高速神奈川1号横羽線で北に向かい、生麦JCTで5号大黒線に乗り換えると、食肉市場前で降りた。江川の持ち歩いているiPadのマップはGPSとWi-Fiホットスポットとデジタルコンパスを使っており、近くに横浜食肉商業センターの文字が見えていた。

「萩岡は、ここに向うのかな・・・」と住田警部は言った。

「現在再び副社長に戻った東谷の命令に従っているのでしょう」

「東谷もBSE(狂牛病)で不正を隠す為に一・三トンの肉を焼却したと言われてますが何を焼却したか、それが問題ですよ」と森山が言うと、助手席にいた住田警部がチラリとバックミラーで森山を見た。

「太郎ちゃん、何か知っているの?」

「農水省がですね。抜き取り検査では不正を見逃すからと全量検査に切り替えた時に、NNBハム・ソーセージ工業共同組合は変な行動を取ったのですよ。彼達は、自主点検で対象外の肉を見つけたと言う理由で国の補助金を返し、不正をして申請していた一・三トンの肉は品質所持期限切れと言って、国が止めるにもかかわらず、さっさと焼却したらしいです『国が、止めた』にもかかわらずです。一・三トン程度の肉ではなかったはずですけどね」

「まっ、そうだろうな・・・」

「しかし、変に思いませんか?」

「どうしてだい?」

「なんか博打ぽいです。仮にも東谷はNNBハムの副社長ですよ。農水省が確認したいといっている不正の肉を、強制的に焼却した・・・おかしいですね。どうしても焼却しなければならない肉があったと思いませんか」

「なるほど・・・何だろうな?」

「サンディゴで加瀬のボートの中にあったプラスティネーションの半身像、あの下半身はどうしたのでしょう?」

「ああ、あれか・・・未だ見つかっていない」

「僕は思うのですが、東谷が焼却したかったのは例の高田健二の下半身か加瀬の死体ではないでしょうか?」

「そりゃ又、すごい推理だな・・・」住田警部は腕を組んでうなずいた。

「未だ、加瀬の行方は分かっていないのでしょう?」

「それなんだ。生きているのか殺されているのかさえつかめていない」

「加瀬が刑務所を出た後、東谷をゆすっていたとすると・・・ヤクザ組織と関係のある東谷は、当然ヤクザを使って加瀬を殺害するかもしれません」

「だろうね」

「加瀬の死体は牛肉のように解体処理された後、箱に詰めれら冷凍された。そして日本に送られた・・・しかし、ヤクザが加瀬を殺害したのであれば、死体はNDL・フーズの萩岡の元に送られなかったでしょうから、誰が加瀬を殺害したかです」

「それだよ、それ」

「僕は、高田が加瀬を殺害してNDL・フーズに送ったと推測してます」

「高田が加瀬を・・・か。動機は、木村美雪か・・・なるほど」

その時、江川警部補が車を停めた。前方を走っていた萩岡達の車がある建物の中に入って行った。冷凍倉庫だ。

住田警部が携帯を取り出して電話をした。

前もって計画されていたのか二台の車が現れた。

一台の車から二人の刑事が降りてきて近づいてくると「神奈川県警の須田です」と、彼達に挨拶をした。

「ご苦労様です。あの冷凍車です。この後、間違いなく金沢のゴミ焼却場に行くと思います」

「了解です。覆面パトカーを、あの近くに配置させて置きます」

「ホシの行動がまだ分かりませんので、よろしく」

「了解いたしました」

刑事たちは彼達の車に戻って車を発進させた。遠くから監視を始めるようだ。

やがて、予想した通り萩岡達の冷凍車は再び建物から出ると今度は5号大黒線を南に向った。大黒大橋を渡り357号線を走り金沢区で高速より下りた。

「予定通りですね」江川警部補が言った。

「奴の事務所はどこだい?」

「横浜の都筑です。神奈川県横浜市都筑…」

「警部、やつらは例のゴミ焼却場に向っているようです」GPSを確認した江川警部補が言った。

「よし、焼却場の駐車場で奴らを止めよう」

しかし、萩岡達の冷凍車は予想に反して流通団地前の対面にある「コストコ」に入っていった。コストコホールセールはアメリカから日本に来た会社で大型会員制の倉庫店だ。

「少し様子見だ・・・」

萩岡の部下と思える男が車から降りて辺りを見回している。5分ほど経った時、黒っぽいバンが萩岡達の車に近づいて来た。

「二台・・・どちらを、尾行しますか?」

「我々は黒いバンを追うとしょうか。萩岡達の車は神奈川県警に任せよう」住田警部の言葉に江川警部補がうなずいた。



黒いバンは国道357号線に乗った。シーサイドラインに沿って北上して行く。

「一体何を受け取って、どこに行くかだ」

「大阪府の府共同食と言う食肉業者は1000トンの偽装疑惑の肉を処分したと聞いていますが、これも矢張り一般のゴミ焼却場でしたのでしょうか?」森山の問いに「もちろん」と江川警部補が答えた。「肉をですよ」

「ええ、厚生労働省、農林水産省、環境省などが関係していますが製品として売れ残った肉や骨などは事業系一般廃棄物として処理することになっています。許可を取れば案外と簡単に焼却処理できるようですよ。たとえばハムなどを作る工程で排出される骨などは産業廃棄物として取り扱われます。そして、焼却して出来る灰はカルシュウムを含んでいますので、最近はセメントに混ぜてるそうです」

「焼却前に箱の中身は確認されるのですか?」

「そうですね。ゴミ焼却場では展開検査と言う工程があり、そこで適正でないゴミが含まれているかどうか検査を行なっているようです。たとえばブロックとか石が混ざっているとかですが、大まかな事のようです」

「人間の肉が枝肉になっていると気づかれないでしょうね」

「そうですね。気づかれないでしょう」

「枝肉と言うのは、あの細長くなった部位だろう?」住田が聞いた。

「正確に言うと食肉の部分処理です。枝肉とは『もも、ヒレ、ロース、ばら、肩等の部分に分割又は細切する』ことらしいです」

「君、良く知っているネエ」

「警部、この事件のために勉強しただけですよ」

「さすがキャリアは違うね」

黒いバンは国道357号線から16号に乗り換え北上している。やがて車は吉野町から伊勢崎町の方に向かい、阪東橋を左に曲がった。

「黄金町か・・・」

「何のためですか?」

「黄金町は・・・黒澤の映画『天国と地獄』で描かれた青線地帯の娼婦やヤクザ、そしてドラッグだ。多分、奴らが運んでいるのはドラッグだろう」

ひと昔、黄金町は国際色豊かな「裏風俗エリア」として知られていた。台湾、韓国、中国、タイなどのアジア諸国、そして南米やロシアなどからやって来た売春婦が集まっていた。「黄金町」とは三つの町、日ノ出、初音町、そして黄金町を合わせて呼称される。昔、この地域は大岡川と言う河川を利用した問屋街として栄えたらしい。

第二次世界大戦の終戦後、ガード下にバラック小屋の住居や飲食店が出来、そんな店の中から女性が三畳ほどの狭い部屋で客を取る店「ちょんの間」が現れた。それは次第に「青線地帯」として知られるようになった。

しかし、2005年から2009年の「横浜開港150週記念」に向け、横浜のイメージを良くするために青線地帯に対する「バイバイ作戦」と呼称する警察の摘発が始まった。そして、横浜の暗黒街と呼ばれた地域も崩れ去った。現在は、市民や横浜市が積極的に街づくりを行なっており、かって売春が行なわれていたカフェ等は、通常の飲食店や色々な店に変わりつつある。


「柳美里の『ゴールドラッシュ』を読んだ事があります」街の景色を眺めていた森山が感動したように言った。

「私も読みました」と、江川警部補がうなずきながら言った。

「『ゴールドラッシュ』って、金でも掘り当てた話かい?」助手席にいる住田警部が身をよじって後部座席の森山を振り返り、聞いた。

「いえ、この街のこをを書いた小説ですが私小説に近いですね。パチンコ屋で儲け財を成した人物の事が書いてあります」

「黄金町とパチンコ店、在日朝鮮人、B同盟関係者・・・ヤクザ・・・ドラック、物語が出来るだろうね」

「作者はこの町で生まれ育った女性ですけど」

「思い切ったもんだ」

「告白のようなものです」


その時黒い車が『初音町内会』のゲートをくぐった。狭い裏路地のような通りである。ゲートの空間から遠方には高層マンションの建物が見えていた。

自転車が一台すれちがった。横面の壁は、下段が雨水で黒くくすんでいる部分が多くあるコンクリートで、上はブルーの色が少しさめている波打ったトタンだ。

周辺には、あまり人の気配が無い。黒いバンは、しばらく走って砂利で出来た駐車場にのような場所に入って止まった。あちこちには雑草が生えており、バラバラと古い車が止まっていた。五〇台ほど駐車できそうな広さだ。

橋の方にヒョロヒョロと松ノ木が立って生きていた。古そうな木々だが非弱に見える。コンクリートの壁を背景にしているからだろうか。壁が覆うのは古い建物だ。食肉卸しセンターのビルで『YYハム』を製造している。

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