忘れられない思い出~バレンタインの奇跡~

まとい

間宮さん! 俺と付き合って下さい!!


 同じ学年の男子が私に向かって手を差し伸べてきた。

 私、間宮まみや美花みかは、もう何度目かになる光景に、心の中でため息をもらしながら、一世一代の大勝負に出たのであろう目の前の男子の向けて答えを言い放つ。


「ごめんなさい」


 私の声が、冬の校舎裏に響き渡った。

 伸ばされた男子の手がゆっくりと下がっていく。そして、上げた顔は悲しそうな表情を浮かべていた。

 私はもう一度この男子に心の中で謝った。

 ごめんなさい。


「そ、そうだよね。ご、ごめんね! 急に呼び出して」

「いいよ気にしてないから」


 私は下を向いたまま今度は男子の顔を見ることのないようにする。

 きっと、今この人の顔は笑っているのだろう。

 無理して、私を困らせないように必死で表情をつくりながら。

 でも、私から見える手や足は震えていて、聞こえて来る声も泣き出しそうになるぐらい、震えを抑えきれていない。


「じゃ、じゃあまた明日学校で……」

「うん。また明日」


 そうして私は離れていく男子の背中を、複雑な思いで見つめた。

 男子の勇気を振り絞った一世一代の大勝負は、こうして、私の無情なまでの一言にて敗退という結果で幕を閉じた。


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 告白というのはとても素晴らしいことだ。告白を受けるなんていったら、自分がモテていることであり、悪いことなど一つもない。

 普通の人ならそう思うのだろう。

 しかし、私にはそうは思えなかった。

 嫌味に聞こえるかもしれないが、私は何故かこれまでに何度もああやって、同じ学校の男子に告白されることがあった。そのたびに断ってきた私にとって、告白という行為がどれだけ精神を消耗して、疲れることなのか嫌でも分かってしまった。

 特に告白をされた側の疲労は結構ある。好きな人にされたら嬉しいが、そうでない人の好意を直接言葉でぶつけられるのは相当精神にダメージがくるものなのだ。

 断れば必ず相手を傷つける。それが分かりながら、それでも自分に好意がなければ断らなければならない。

 ため息も出てしまうというものだ。

 きっとあの男子はこの後家で泣くのだろう。そして、時間が経てば私なんか忘れて、他の好きな人をつくるに違いない。

 私は、首に巻いているマフラーに顔をうずめながら、一旦校舎の中へと入る。

 昇降口で靴を脱ぎ、上履きに履き替え、階段を上って二階にある私が所属している教室へと向かう。

 朝、手紙で呼び出されたときからこうなることは予想していた。

 すぐ帰ろうにも、帰り道でもし告白してきた相手と出くわしては面倒だ。そう思い、基本的にこういった場合、私は教室で時間を潰すことにしている。

 いつもの様に教室の横開きドアを開け、ほとんどの生徒が帰ってしまい、昼とは違う寂れた教室に足を踏みいれた。

 窓際の列の真ん中。唯一鞄の置いてある私の席に目をやる。

 するとそこには一人の男子生徒が、我が物顔で座っていた。

 私はそいつの姿を確認すると、呆れたように声をかける。


直輝なおき。また見てたの?」


 私の声に反応して直輝は、窓の外、さっきまで私が告白されたていた校舎裏を見ながら答える。


「別に好きで見てたわけじゃないぞ。ここから校舎裏が見えるのが悪い」


 直輝がいつもの減らず口を叩きながら、窓の外を指さす。

 この男子は飯田いいだ直樹といって、いわゆる私の幼馴染だ。

 幼稚園から高校の今までずっと一緒。家も近かったし、親同士も仲が良かったために物心ついた時から私たちはいつも一緒だった。今まで小中高と学校のクラスまで離れたことが無いのはもはや運命を通り越して、呪われているんじゃないのかとさえ思えるほどだ。

 そんな直輝は、私の机に頬杖をつきながら、私の方を振り返ることもなく、声変わりによって低くなった声で私に聞いてくる。


「断ったのか?」

「当たり前でしょ」

「誰かいないのかよ。付き合ってもいいって思える男子はさ。美花はモテるんだからその気になれば、彼氏の一人や二人簡単にできるだろうに」

「いないわよ」


 私は直輝の言葉にぶっきらぼうに返事をしながら、自分の席の前の椅子に座る。

 直輝も視線を校舎裏から私に移した。


「でもさ、この前告白してきた奴、確かイケメンって有名な三年の先輩だったんだろ」

「そうだけど」

「もったいないよな。向こうから告白してきたんだぜ。イケメンの彼氏ゲットするチャンスだったのに」

「別にいいじゃない。私の勝手でしょ」


 直輝のひょうひょうとした言葉に私は苛立ちを覚えながら強めの口調で反論する。


「なに怒ってんだよ」


 すぐに私の様子に気づいた直輝が、私に対してよく分からないと言う顔で見てくる。

 私はそんな直輝にそっぽを向きながら答えた。


「別に怒ってないし」

「怒ってるだろ」

「怒ってない!」

「その言い方がもう完全に怒ってるってば」

「怒ってないって言ってるじゃん!」

「ほう……だったらこっち向けよ」


 直輝はそう言うと、突然私の顔を片手で掴み、無理やりに正面を向けさせようとしてくる。

 私はなんの抵抗も出来ないまま、直輝の方を向かされた。

 思いのほか近くにあった直輝の顔に、私の心臓がトクンと脈打つ。

 体温が上がり顔が熱くなる。


「やっぱり、眉間にしわが出来てる」


 直輝は私のことなどお構いなしのように、私の眉間を人差し指でぐりぐりと押し続けている。


「美花は相変わらずだな。怒るとすぐここにしわが寄る」


 そう言いながらも私の眉間をひたすらに押しまくってくる。

 さすがの私もいつまでもやられっぱなしというわけにもいかず、


「やめてってば」


 と言って顔を動かし、直輝から離れた。

 熱くなった体が少しずつ冷めていくのが自分でも分かる。


「うん。ちょっとは気は紛れたみたいだな」

「なにがよ」

「どうせいつもみたいに告白された奴のこと思って気分が落ち込んでたんだろ」


 直輝は当たり前ように私の心を見透かしてくる。

 さっきも、わざと私のことを怒らせるために気に障るような言い方をしたみたい。

 ムカつくやつだ。私の気もしならいで。


「気にしたって仕方ないって」

「それはそうだけど……告白されるのも楽じゃないのよ」

「モテる人は言うことが違うねぇ。俺もそんなこと人生で一度は言ってみたいよ」

「…………」


 私はジト目になり、直輝を睨みつける。

 直輝はそんな私の視線に、バツの悪そうな顔をし頬をかいた。

 

「悪い」


 居心地悪そうに謝ってくる。

 私はそれに満足といった表情を浮かべると、ふと聞いてみたいことが出てきたので直輝に聞いてみることにした。


「直輝はさ」

「ん?」

「直輝は告白されたことってないの?」

「…………」


 私の突然の発言に直輝は少し間をあける。

 するとすぐに大きな口を開けて笑い出した。


「あはははは! そんなことあるわけねぇだろ!」

「も、もしかしてって思っただけじゃん! そんなに笑わなくても……」

「だいたいお前のこと羨ましいって言った後だぞ。あったらそんなこと言わねぇって」

「そうだけどさ……」

「ないよ。俺、別にイケメンじゃないし。美花みたいにモテてないし」

「まぁ、確かにね」


 ふふんっと私は直輝に笑顔を向ける。

 直輝はそんな私を見て、机に突っ伏すように項垂れた。


「笑顔で即答かよ……そこは社交辞令でもいいから迷ってくれよ」

「ごめんごめん」


 軽い冗談交じりの会話を挟む。

 それだけで私の心は少しだけ明るくなっていくように思えるから不思議だ。


「でもさ、もし誰かに告白されたら、直輝はどうするの?……オーケーする?」


 私は少しドキドキしながら直輝の顔を伺う。


「うーん……考えたこともないからな」

「考えてみてよ」

「なんで」

「暇つぶし」

「……分かったよ」


 それから直輝は突っ伏した顔をあげると、腕を組みながら少しの間だけ目を閉じて真剣な面持ちで考え始めた。

 

「多分……」


 ポツリと直樹の口から言葉が漏れてきた。

 それをきっかけに直輝が目を開ける。


「断るんじゃないかな」


 直輝が私の目をまっすぐ見て言ってくる。


「な、なんで? 彼女欲しくないの?」

「そりゃあ彼女は欲しい」

「じゃあ、なんで断るのさ」

「別に理由はねぇよ」

「えー嘘だねー。直輝に限って、告白を断るなんて絶対にしない」

「うっさいなー。美花だって大した理由なんてないだろ」

「え…私は…ほら……」


 急に話を振られたことに戸惑う私の態度を見て、直輝の顔がニヤニヤし始めた。

 これは確実にからかわれる。


「美花~、お前まさか好きな人が」

「いないわよ!」


 からかわれるのが分かっていた私は直輝の言葉に食い気味に否定をした。

 しかし、それがあだとなったようで、直輝はさらに顔をニヤけさせる。


「いやいや、その反応は怪しいぞ」

「うるさいわね!」

「ははーん。美花にもついに好きな人が」

「いないって言ってるでしょ! 私、帰るから!」


 私は恥ずかしさと怒りの両方で直輝の傍にいることが耐えられなくなり、机の上の鞄を持つと、足早に教室を出る。


「あ! おい、待ってって! せっかく時間つぶしに付き合ってやってるのに!」


 後ろから直輝が慌てたように追いかけてくる。

 それを私は無視して、一人下駄箱で靴に履き替えると、勢いそのままで校門まで歩いて行く。

 

「ひどいな。幼馴染を置いて行くなんて」


 直輝はすぐに私に追いつくと当たり前のように隣に並び、私のスピードに合わせてついてきた。


「あんたが変なこと言うからでしょ」

「悪かったって。ごめん」


 両手を合わせて直輝は私に軽く謝ってくる。

 私の顔色を窺うように少し前かがみだ。


「………いい分かった。許してあげる」

「よっし!」


 直輝が小さくガッツポーズした。

 なにがそんなに嬉しいのか、私には分からない。でも、そんなちょっと子供っぽい直輝の行動がかわいかったりするから、ついつい許してしまう。甘いとは分かりつつも、昔からのことなのでどうしようもない。

 私自身、別に本気で怒ってないし。


「でも、本当にいないのか? なーんか怪しいんだけど」


 許してもらえて調子に乗ったのか、直輝は性懲りもなくまたしても先ほどの話をぶり返してきた。


「その話まだするつもり」


 私は横目で直輝を睨みつけた。


「失礼しました! なんでもございません!」


 私の眼力に直輝は急に姿勢を正して敬礼のようなポーズをとってくる。

 そんな直輝に怒る気も失せた私は、ため息をこぼしながら少し歩く速度を落とした。直樹に見えないように、自分の胸に手を当てる。


 心臓がバクバクいっている。


 これは疲れているからじゃない。早歩きだけでここまで疲れるほど、私は貧弱じゃない。

 理由は明白だ。


(好きな人なんて、直輝に言えるわけない。直輝には絶対にばれたくなんてないんだから。バカにされるのが目に見えてる)


 私は心の中でそう呟いた。

 直輝の言っていることに間違いはない。

 私には好きな人がいる。ずっと、小さい時から大好きな人が。なのに本人と来たら、いつもへらへらしたように告白されている私をからかってくる。

 こんなにもいつも一緒にいるのに、どうして気づかないのか。不思議でならなかった。

 まぁ、私の方にも問題があるのは確かだけど。

 直輝を前にするとついあいつのペースに乗せられる。

 それでも、幼稚園から一緒の幼馴染の気持ちぐらい、察してほしい。

 告白された私の気持ちを察することが出来るなら尚更。

 

『俺のお嫁さんにしてやるよ。美花のこと俺が一生守ってやるからな』


 私の脳裏に、ある言葉が蘇る。

 いつの頃だったか、小さかったとき、直輝が私に向けて言ってくれた言葉。

 それが私の中にはずっと鮮明に残っていた。高校生になった今でも、その言葉だけははっきりと思い出せる。

 言われたとき嬉しかったし、初めて直輝がかっこよく見えた。それからだった。私にとって直輝がただの幼馴染じゃなくなったのは。

 きっと隣を歩くこのバカはそのことを覚えてない。もし私がこの気持ちを伝えたら、直輝はバカにしてくる。いつのこと言ってるんだよ、とかって言われるに違いない。

 私だって何回もそう思ってきた。あれは小さい時の約束に過ぎない。真剣になる方がおかしいって。

 だけど、だけどさ。好きになっちゃったらどうしようもないでしょ。忘れたくなかった。忘れることなんてできなかった。

 だから、私は告白されるのが嫌い。絶対断らないといけないから。受けることなど出来ないのが自分で分かり切っているから。

 ……はっきり言おう。

 私は飯田直樹が好き。どうしようもなく好きだ。

 なのに幼馴染の枠から抜け出せずに、一歩踏み出す勇気なんかない私は、またこうして直輝への好意をひた隠しにしながら、一緒に下校するのだ。


               ********

 

 いつもの様に、直輝と一緒に並んで歩いていた帰り道、私はふと用事を思い出し、学校から家までの間にある馴染みのスーパーの前で足を止めた。


「寄ってくのか?」


 先に行きそうだった直輝が私に気づいて歩くのをやめる。


「うん。夕飯の買い出しお母さんに頼まれてるから」

「そうか。分かった」


 直輝はそれだけ言うと当然といったように私の隣に並び、スーパーの方へと体を向ける。


「先に帰っててもいいよ」

「別に気にすんな。どうせ同じ方向なんだ、これぐらい付き合うよ」

「……そう」


 私は直輝の言葉に嬉しくなって、歩いていく直樹に小走りで近づきそうになり、はたと我に返る。


「仕方ないわね」


 そして私はいつもの様な態度を取り繕い直輝の隣に並んだ。


「仕方ないってなんだよ」

「なんでもいいでしょ」


 隣り合った私たちは、そのままスーパーの中まで入っていく。

 入り口近くの買い物かごを一つだけ取ると、私は携帯を取り出して、メールを確認した。

 お昼にお母さんから送られてきたメールを見つけると、開いて中を確認する。


「玉ねぎに人参にじゃがいもか……カレーだな」


 すると直樹が横から私の携帯を覗き込んできた。


「人の携帯を勝手に見るな」

「なにをいまさら。ほら、貸せ」


 直輝がいきなり私に向かって手を出してくる。


「いくら幼馴染でも携帯を貸すわけないでしょ」

「違う。携帯じゃなくて、かごだよかご」


 直輝はそう言うと私の手から無理矢理にかごを盗んでいく。


「……ありがと」


 勘違いした私は顔を真っ赤にしてお礼を言った。

 この直輝の優しさが嬉しくもあり、少しムカつく。


「とりあえず野菜コーナーからだな」


 私たちはそうして、まるで若夫婦のように肩を並べて買い物を済ませていく。

 この状況に不覚にも私の心は満たされていた。


             ********


 お母さんにメールで言われた材料は全部かごに入れた。

 その間、直輝は一切私にかごを渡すことなんてなくて、玉ねぎやじゃがいもなどが入った重いかごをなんの文句もなく持ち続けてくれている。

 私が最後にもう一度かごの中身とお母さんからのメールを見比べ、買い忘れがないか確認したところで、レジに向かい歩いて行く。

 そして、お菓子コーナーを抜けようとしたとき、私の足はある一点を見つめたまま止まる。

 直輝も私に気づいたようで、隣で立ち止まると、大きく宣伝のために掲げられていた言葉を読みだした。


「バレンタイン、か」


 今は二月に入ったばかり。

 あと一週間もすれば、直輝の言ったようにバレンタインの日付になる。

 

「美花はチョコ作るのか?」


 特設されたバレンタインコーナーで足を止めた私に向かって直輝が聞いてくる。

 本当は作りたい気持ちでいっぱいだ。だけど、お菓子なんて人生で一度も作ったこともないし、ましてや渡したい本人が隣にいる今、作るなんて恥ずかしくて口にできない。

 私が黙ったままでいると、直輝はなにか納得したような顔を浮かべる。


「まぁ、お菓子作りなんて女の子らしいこと、美花にはできないもんな」

「うるさいな。私だってチョコぐらい作れるわよ」

「へぇー初耳。それで、作るのか?」

「……作らないわよ。別に渡す相手いないしね」


 私は本心を隠して直輝に言う。


「じゃあ、見てても仕方ないだろ。早くレジ行こうぜ」

「あ、ちょっと。待ちなさいよ」


 レジの方へと勝手に歩いて行く直輝を追いかけ、私はバレンタインコーナーを後にした。

 ひとまず今日はバレンタインのことは置いておいて、夕飯の買い物をすませよう。

 第一、直輝がいるのに買うことなど出来るわけもない。

 レジで会計をすませた私たちは、スーパーを出て家へと向かう。

 道中、買い物袋は直輝が持っていた。私に持たせてはくれない。

 二人で歩きながらも私の頭の中はバレンタインのことで頭がいっぱいだった。

 今年はどうしようかな……。

 毎年、勇気が出ずに作らず終わっている。お菓子作りは苦手だというのを言い訳にして。

 そしてそのたびに、私は後悔しているわけである。

 いつも来年こそはって思うけど、こうやっていざ一年が経ちその時が来ると、勇気が出ずに二の足を踏んでしまうのだ。

 私が一人でいろいろと考えていると、隣を歩く直輝が唐突に口を開いた。


「けどさ、本当によかったのか」

「……なにが?」

「バレンタインだよ。足を止めたってことは気になるんだろ」


 そう言って直輝は私を見てくる。

 直輝には私の気持ちなどお見通しのようだった。理由までは分かっていないだろうけど。


「好きな人がいるんだったらやっぱり」

「だーかーら、いないっていってるじゃんか」

「でもな……」

「作らないって。それに人のこと心配してていいの?」

「なにがだ」

「直輝、毎年もらってないでしょ。チョコ」


 私は表情で悟られないようにすぐに直輝をからかうことでごまかす。


「今年はもらえるといいわねぇ」

「う、うるせぇよ。それに、毎年ゼロではないぞ……母ちゃんからだけど」

「それって数には入らないから」

「なんだと! 母ちゃんからとはいえチョコに変わりはないはずだ!」

「はいはい。もうその台詞聞き飽きたから」

「見とけよ! 今年こそは母ちゃん以外から貰うんだからな!」

「そう。期待せず待ってるね」


 私は直輝に適当な相槌をうつ。

 私の態度にムキになる直輝を見ながら私は心の中で謝った。

 ごめんね直輝。あんたがチョコ貰えないの、毎年聞いては悔しそうなあんたと違って、私は安心しちゃってるんだよ。よかったって。誰の物にもなってなくてって。ただの幼馴染のくせにね。

 そんな私と直輝はそのまま、お互いの家が見えるところまで一緒に帰っていった。

 結局直輝は私の家の玄関まで買い物袋を持ってきてくれた。


               2


「間宮先輩、ずっと好きでした。付き合って下さい」


 バレンタインが間近に迫ったこの日も、私は校舎裏で告白を受けていた。

 相手の男子はどうやら一年生のようだ。

 まったく関わりのない子に告白されるといつも驚かされる。

 だけど、私の返しはもう決まっている。

 私は何度目かになるその言葉を口にした。


「ごめんなさい」


 頭を下げ、視線を告白してきた男子の足元で止める。

 顔を見ないために、いつもの様に。


「そ、そうですよね……こ、ここまで来てくれてありがとうございます!」


 その男子はそのまま走り出すと、私の横を通り過ぎて行く。

 顔は見ていないけれど、声の感じからしてきっと目を潤ませていたことだろう。

 私はマフラーに顔をうずめ、下駄箱で靴を上履きに履き替えると、教室へと向かって階段を上る。

 やっぱり慣れない。罪悪感で胸が痛い。

 さっきの子は後輩だから、普通に生活してる分には顔を合わせることなんてないだろうけど、それでもやっぱり心が重たいな。彼を傷つけたことに変わりなんてないんだから。

 私は沈んだ心を教室の前で深呼吸で整えると、扉を開けて待たせている子に声をかける。


「ごめん、仁美ひとみ。お待たせ」

「ううん。全然いいよ。それよりもまた告白されたんだ」

「まぁ、ね」

「相変わらず、美花ちゃんはモテるね」


 そう言って仁美は鞄を持って立ち上がる。

 この子は加藤かとう仁美。私が高校入学して一番最初に出来た友達で、私とは違いとても女の子らしい子だ。お菓子作りも得意だといっていたので、お昼休みのうちに一緒に帰る約束をしていた。

 そのため、今日直輝はいない。先に帰るよう伝えてある。


「これで何回目?」

「分からない。数えたこともないし」

「数え切れないぐらいか……すごいなぁ」

「そんなことないって」

「またまた。美花ちゃんがそう言ったら私含めた他の女子の立場がないよ」


 私はすぐに自分の机から鞄を取ると、仁美と一緒に教室から出ていく。

 今日は時間を潰す必要はない。それよりも、早く行動に移りたかった。


「でも驚いた。まさか美花ちゃんがチョコの作り方教えてって言ってくるなんて」


 教室を出て階段を降りていると、仁美がそう言って私に微笑みかける。


「そ、そうかな?」

「うん。美花ちゃんこういったイベントって興味ないと思ってたから」

「まぁ、その……あはははは……」


 私は恥ずかしくなり頬を染める。

 今日は仁美にチョコの作り方を教えてもらうことになっている。私からお願いした。

 仁美の家は私の家とそれほど離れていないので、いつのもスーパーで材料を買ってから、仁美の家でバレンタインチョコのお勉強だ。

 教室で潰す時間も私はチョコ作りに使いたい。


「あ、そうだ。先に帰った飯田君から伝言があったんだった」


 忘れてたと言って、靴に履き替え下駄箱を後にしようとしていた仁美が唐突に私の方に振り返る。


「直輝が?」


 私は怪訝そうに聞き返す。


「うん。なんか、気にするなって言ってたよ」

「……あのバカは……」

「どういうことなの?」

「別に。なんでもないよ」


 私はそう言うと鞄を肩にかけ直し、仁美と一緒の下駄箱から出る。そして、そのまま一直線に校門を抜け、スーパーへ向かった。

 まったく。相変わらず変なとこで優しいんだから。

 私の重かった心がまるで嘘のように軽くなった。


               ********

 

 店内に入ると、今回はすぐにバレンタインコーナーに足を踏み入れた。

 ココアパウダーや、チョコを流し込む型。小さなチューブなどいろんな種類のものをかごに入れた後、チョコのスペースへと移動する。

 ミルクチョコやビターチョコなどの、棚に並べられている板チョコを眺めていると仁美が私にアドバイスをくれる。


「初めて作るなら、簡単な方がいいよ。変に凝っちゃうと失敗するのがオチだから」

「分かった」

「市販の板チョコを溶かして、型にはめて冷やしたものの上に、ココアパウダーとかまぶしたりするシンプルなものにしようか。簡単で失敗しないからね」

「うん。ありがとうね仁美」

「いいよ。それに、美花には聞きたいこともあったから」

「聞きたいこと?」


 仁美はチョコに向けていた視線を私へと移した。


「飯田君ってどんなチョコ好きかな?」

「直輝?……直輝は甘いのあんまり得意じゃないからブラックかな。でもなんでそんなこと」

「そっか。分かったよ。ありがとう」


 そして仁美は迷いなくブラックと書かれた板チョコを掴み、かごに数枚入れていく。


「仁美……? チョコ作りってこんなに板チョコいるの……?」

「ううん。こんなに使わないよ」

「じゃあなんで……」

「二人分だから」


 仁美は私を真剣な目で見ると、はっきりとそう言う。

 仁美の言っている意味が私には瞬時に理解できなかった。

 二人分っていったい……。


「美花ちゃんがチョコ作る相手って、飯田君だよね?」

「え!? きゅ、急にどうしたの!?」


 仁美の突然の言葉に私が戸惑っていると、


「隠さなくてもいいよ」


 とだけ言って、私を見た。

 その目は真剣そのもので、冗談などまったく感じさせてくれない。

 仁美の目から私は逸らせなくなった。


「私も同じだから」

「え……」


 私は目を見開く。

 仁美ははっきり私に対し、直輝にチョコを渡すと言っている。その表情にもちろん冗談などない。

 仁美はいまだ驚いている私を置いて、ブラックチョコが二人分入ったままのかごを持ちレジへと向かい、会計をすませた。もちろん、材料費の半分は後で渡すことになっている。私は慌ててスーパーを出ていこうとする仁美を追いかけた。

 仁美の家に向かう道中、私はなにを言っていいか分からず、二人を気まずい空気が包み込む。

 すると、仁美がそんな空気を気遣って自分から話してくれる。


「ごめんね美花ちゃん。ずっと黙ってて」

「……ううん。ちょっとびっくりしたけど、大丈夫だから」

「よかった。こんなタイミングで言うつもりなかったけど、やっぱり美花ちゃんには言っておかないといけないと思ったから」

「いつから……?」

「去年ぐらいかな。美花ちゃんと話す飯田君を見てて、気づいたら好きになってた」

「そっか。知らなかった……」

「隠してたからね」

「でもなんで今なの? それに、去年直輝は誰からもチョコ貰ってないって言ってたけど」

「うん。バレンタインチョコは今年が初めて。本当言うと今年も渡すつもりなんてなかったんだよ」

「だけどこれ」


 私は買い物袋を見る。中にはしっかりと二人分のブラックチョコが入っていた。


「美花ちゃんがチョコ作るって言ったから」


 仁美は私の方など見向きもせずに、前を向いたまま答える。


「すぐに、飯田君のためだって分かった。負けられないなって思っちゃったんだよね」

「…………」


 言葉を失った私に仁美は慌てたように前に向けていた顔を動かした。


「ああ、でも、勘違いしないでね! チョコの作り方はしっかり教えるから。意地悪なんてしないよ」

「うん。それは分かってるから……大丈夫」

「そっか。よかった」

 

 静かな空気が私たちを包み込む。結局お互い何も言えないまま、私は仁美の家でチョコの作り方を学んだ。

 仁美はお菓子作り初心者の私に、一から丁寧に教えてくれた。いくら失敗しても、仁美は笑ってアドバイスをくれる。同じ人に渡すなんて考えられないぐらい、私たちは仲良く笑いあいながら、暗くなるまで仁美の家でチョコ作りに励んでいた。


               ********


「はぁ……」


 仁美の家からの帰り道。

 私の口からはため息が漏れていた。

 まさか、仁美が直輝のことを好きだとは思わなかった。今まで全然気づかなかった。私が気づかないのだ。直輝は知る由もないだろう。

 結局、仁美はクッキーにチョコを塗すものにしていた。私はクッキーなんて手が出せなくて、チョコを型にはめて冷やしたただけの簡単なものにした。

 手作りチョコなんておこがましい。


『私、チョコ渡す時に飯田君に告白しようと思うの。いいかな?』


 チョコ作りの最中、仁美の言った言葉が私の頭の中で反響する。

 仁美の顔は真剣そのものだった。きっと、本当に告白するのだろう。

 私にはそんな勇気が出ない。バレンタインのチョコを作っただけでもう十分だと思っていた私には、仁美のように勇気を出すことも、仁美になにか言うこともできなかった。

 うん、と相槌をうつのがやっとだった。

 夜の道を私は一人寂しく帰っていく。寒さがいつも以上に私の体に染み渡る。今日ってこんなに寒かったっけ。

 ひとまず、今年の直輝のバレンタインがゼロということは無くなった。

 そして、私が直輝の報告を聞いて安心することも、もう叶わなくなった。


               3


「私、行ってくるね」


 そしてバレンタイン当日。

 放課後になると仁美は私の席まで来て、私に一言そう言って駆けだした。

 今、教室内には私だけ。

 直輝は当然いない。今頃、仁美に呼び出された場所に向かっているところだろう。

 どんな気持ちで向かっているのだろうか。きっと、直輝のことだ。ニヤニヤしながら向かっているに違いない。

 そんな直輝のことを思うと、私の心には悲しい思いが溢れてくる。

 仁美は鞄を大事そうに持っていた。中にはこの前私と一緒に作った、大事な本命チョコが入っている。仁美の横顔は緊張の色でいっぱいだった。

 私は自分の席から見える窓の外、校舎裏へと視線を送る。

 直輝はいない。しばらくしても誰も姿を現さない。


「当たり前か……」


 ここから校舎裏が見えることなんて、仁美だって知っている。

 呼び出すのに校舎裏を指定するわけがない。

 これから直輝は仁美に告白される。直輝はどうするだろう。

 前に聞いた時、直輝は告白されても断るって言っていた。だけど、実際にどうするかは私には分からない。

 仁美は可愛い。性格もすごくいい。直輝にはもったいないぐらい、仁美はかわいい女の子だ。

 もしかしたら、二人は恋人同士になるかもしれない。

 そうなった時、私は笑えるだろうか……。

 いや、笑わなければならない。それが、友達として、幼馴染としての義務だ。

 私はそうして、鞄の中から直輝のために作ったチョコを出しながら、複雑な思いで覚悟をする。


               ********


 しばらくしてから、私は立ち上がった。誰も帰って来ない。直輝も仁美も、誰も来ない。結果がどうなったのだろうか。気になるけど、鞄に入っている携帯を見ても連絡はなかった。

 きっとうまくいって今頃二人で仲良く帰っているのだろうな。そう思うと胸が締め付けられ息苦しくなる。

 帰ってしまおうか。どうせこんなの直輝にあげられない。仁美がいるんだもん。受け取れるわけないよね。

 そう思い、私がチョコをしまい鞄を持ち立ち上がったとき、唐突に教室の扉が開けられた。

 突然響いた音に私はびっくりして扉の方を見ると、そこには息を切らせた直輝が立っていた。

 私は信じられないものを見るかのように直輝の姿をじっと見つめる。

 

「どこに行くんだよ」


 直輝は力強い足取りで私に迫ってくると、私の腕を掴んでくる。

 直輝の目が私のことを強く見て離さない。


「な、なに。どうしたの直輝。仁美に呼び出されたんじゃ」


 私は戸惑い気味に直輝に声をかける。


「ああ。呼び出されたよ。チョコ貰って、告白された」


 その言葉に私は下を向く。

 分かっててもやっぱりきついな。直輝の口からその言葉を聞くのは。

 私はどうにかして震える唇を抑え言葉を紡ぎ出す。


「よかったじゃん。これで、彼女出来たね」

「断ったよ」

「……え?」

「断ったって言ってるんだよ」

「そっか……断ったんだ」


 私の心が安堵するのが分かった。

 しかし、次に私の口から出た言葉は私の意思とは全く逆の言葉だった。


「……あんたバカじゃないの!? 断るなんて考えられない! 仁美みたいないい子に好かれるなんて今後ないかもしれないのに!」


 顔をあげ直輝の目を見つめ睨み、私の口から、心にもない言葉が立て続けに出る。

 違う。そうじゃない。断ったって言ったとき私は嬉しかった。安心した。直輝はまだ誰の物にもならないんだって気分が跳ね上がったでしょ。

 なのに、なのに、私の口は止まらない。話し続ける。


「今すぐ戻りなさい! そして、仁美に謝るのよ!」


 違う! そうじゃない! 行っちゃ嫌だ。ここにいてほしい。戻ってほしくない。

 だけど、口は私の意思など無視するかのように動く。


「謝って告白受けてそれで」

「―――うるせぇよ」


 すると、直輝の短い言葉が私の声をかき消した。


「……え?」

「俺は戻らないし、告白断ったことに後悔なんてしてない」


 そして直樹は私を見る。

 その目は怒っているようにも思えた。


「加藤が言ってたぞ。お前、バレンタインチョコ作ったんだってな」

「……!」

「作らないって言ってたじゃねぇか! 好きな人いないってよ!」

「直輝、あんたどうし」


 突然の大声に、戸惑う私を無視し、直輝は顔を近づけてくる。

 両腕を掴まれ体が黒板に押し付けられる。


「誰だ」

「え?」

「誰なんだよそいつは! お前のチョコ貰う奴は誰だって聞いてるんだ!」


 直輝の勢いに私がただただ圧倒されるばかりで、何も口にできていない。

 すると唐突に直輝が俯く。私の腕を掴む手からも力が無くなっていた。


「俺じゃ、ないのかよ……」


 声に勢いがなくなる。


「なに言ってるのよ直輝……あんた、一度も私にチョコ欲しいとか言ったことないじゃない」

「……言えるわけねぇよ」


 そして直樹は力ない声でそう言うと、私の目を見てまっすぐに言ってくる。


「お前ってば、成長するたびにどんどん可愛くなってよ。モテモテでさ。それに引き換え俺はどうだ。イケメンでもないし、告白されたのも加藤が初めてだ」

「直輝……」

「だったら、自分の好意なんて隠してさ、美花に好きな人が出来たら、美花のこと純粋に応援しようって思ったんだ。もう美花の傍から離れようって。そう思ってたのにさ、美花がバレンタインチョコ作ったって聞いたら体が勝手に動いちまったんだよ。ダメなの知ってるのに」

「ダメって」

「だって、こんな男、美花ふさわしくない。俺みたいな」


 直輝がそこで言葉を切る。

 大きく息を吸い、初めて見せる真剣な顔で告げる。


「俺みたいな、昔の言葉ずっと覚えてるような女々しい男、美花にふさわしいわけないじゃんかよ……!」


 そう言う直輝の言葉を、しかし、私は最後まで聞き取ることは出来なかった。

 今、直輝はなんて言った? 聞き間違いでなければ『昔の言葉』って言ったはず。

 それって私と同じ……。


「直輝、あんた今、昔の言葉って」

「お前は覚えてないかもしれないけどさ、昔、俺はお前に言ったんだよ。俺のお嫁さんにしてやる。一生守ってやるってな」


 私はそのことで確信した。

 昔の約束を覚えていたのは私だけじゃなかった。直輝も覚えててくれたんだ。

 そう思った時には私の中で不思議と決心がついていた。

 溢れ出る気持ちを抑えきれない。

 私は鞄からチョコを取り出すと、話の流れなど考えることなく直輝に話しかける。


「いるよ。好きな人。チョコも持ってきてるんだ」

「……そっか。だったら行って来いよ。これから行くんだろ。そいつのところ」


 直輝が諦めたような声を出し私の腕を離してくれた。目は涙で濡れてるのに、顔は笑顔だ。

 変な顔。みっともない。

 私はそんな直輝に対して手をのばすと、流れそうになっていた涙をぬぐった。


「ううん。いかないよ。その必要はなくなったから」


 直輝が驚いて目を見開く。

 涙をぬぐった逆の手には、仁美と一緒に作ったバレンタインチョコがしっかりと握られていた。


「だってさ、もうここに来ちゃってるんだもん。私の好きな人」


 直輝は私の言葉に信じられないような視線を向けてくる。


「私もずっと覚えてたよその言葉。忘れたことなんてなかった」


 私は手に持ったチョコを直輝の前まで伸ばす。

 落とさないように、大事に両手で抱えて、手渡しで渡す。


「飯田直輝君。私はあなたのことが好きです。昔からずっと好きです。私と付き合って下さい」


 そう言う私は緊張などしていなかった。不思議と言えたことに安心感さえ感じていた。

 まさか、告白される側だった私が告白する側になるとは思わなかった。

 直輝はしばらく固まっていたが、やがてゆっくりと私の手からチョコを受け取り、


「俺の方こそよろしくお願いします」


 そう言って恥ずかしさで真っ赤になった顔で笑ってくれた。

 きっと私も同じ顔してる。

 窓から差し込む夕日が、まるで私たちを祝福するかのように、教室全体をオレンジ色に染めあげていた。


               ********


「……あんまり期待しないでよ。初めて作ったんだから」


 私は恥ずかしさを紛らわすために、髪を触りながら、チョコを物珍しそうに見る直輝に言う。


「いいよ。初めから期待してない」

「なんだってー!」

「うそうそ。たとえどんなのだって美花からのチョコならなんでも嬉しい」

「……ばか」


 そう言って笑う直輝の顔を見て私はまた恥ずかしくなる。

 恋人になったのをいいことに、恥ずかしげもなくそんな台詞を言われたらたまったものじゃない。

 こうして高校二年生のバレンタインの日、私たちは、はれて幼馴染から恋人へとなった。


「直輝」


 その日の帰り道。人生で初めての恋人と手を繋いで帰る道のりは、いつもと変わらない道のはずなのに特別に思えて仕方がなかった。

 隣を歩く直輝の顔を見て、私は握る手に力を込めると、不意に直輝の頬にキスをした。


「ちょっ」


 直輝は顔を真っ赤にしてキスされた自分の頬を触り、私に驚きの視線を向けてくる。

 私はそんな直輝に悪戯っぽい笑みを浮かべこう言った。


「約束通り、一生私を守ってね。離れるつもりなんてないから」

「……分かってるよ」


               4


「え!知ってたの!?」


 次の日。

 私は直輝のことを仁美に話すために放課後、校舎裏に呼び出していた。

 そうして昨日のいきさつをざっと話すと、仁美は表情を何一つ変えずに、代わりに私に向かって事もなげにある真実を告げてきたのだ。


「うん。美花ちゃんが飯田君のこと好きなのも、飯田君が美花ちゃんのこと好きなのも全部知ってた」

「うそでしょ」

「うそなんてつかないよ」

「え? でも……え?」


 混乱のあまり言葉に詰まる私を置いて、仁美は話し続ける。


「美花ちゃんはもちろんだけどね。私、一度告白されてる美花ちゃんをね、教室で待ってる飯田君を見たことがあって」

「…………」

「美花ちゃんの席に座って、校舎裏を見ている飯田君の顔がね。どこか儚げだった。それを見て、私なんとなく分かっちゃったんだ。飯田君は美花ちゃんの事が好きなんだなって」

「じゃあ告白って」

「うん。完全に諦めるためだったの」

「仁美……」

「気にしないでね美花ちゃん。これは私が決めたこと。後悔はないし、むしろよかったって思ってる」

「よかった?」

「うん。だって、おかげでやっと二人がくっついたんだもん」


 そして仁美は笑う。本当に祝福しているかのように、その笑顔には一切の負の感情など含まれていなかった。でも、私には分かっている。そう言う仁美の目は昨日とは違い、泣いたのが分かるぐらいに腫れていたことを。


「美花ちゃんがチョコ作ったってこと、あれ告白を断られた後、わざと飯田君に言ったんだよ」

「なんで」

「どうせ美花ちゃんのことだもん。変に考えすぎて渡さずに帰っちゃうんじゃないかなって思ってたから」


 仁美の言葉に何の反応も返せない。

 直輝だけじゃなく仁美にも私の心は丸分かりのようだ。


「その時の飯田君の顔すごかったんだから。すぐに走り出そうとするからさ。美花ちゃんは教室だよって教えてあげた。そしたら飯田君、ね…すごい勢いで……校舎に入って…行っちゃったんだ……」

「仁美」


 泣いてしまいそうな仁美を私はたまらず抱きしめた。


「美花ちゃん……絶対に幸せになってよね。私の分までさ」

「うん。ありがとう仁美」


 そして私たちは固く抱き合った。ずっとずっとお互いをたたえる様に。


「……さ、美花ちゃん。早く行かないと飯田君が待ってるよ」


 しばらくして仁美が私の体を離すと、校舎の方を指さす。

 そこには、私を待っている直輝の姿があった。


「うん。じゃあね仁美。また明日」

「また明日」


 そう言って私は仁美に手を振り、直輝に近づいて行く。

 すると直樹は私の後ろ、仁美を見ながら声は出さずに口だけを動かしなにかを言う。

 その口の動きは『ありがとう』と言っているように私の目には映った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 私の出来事はまるでバレンタインが引き起こした奇跡のようなもの。

 あれから直輝ともうまくいってるし、仁美とも今まで通り仲良くしている。

 恋のいざこざによってギクシャクする人たちが多い中、私は直輝と仁美、両方と今までと変わらない付き合いを続けられている。これは奇跡といってもいいんじゃないかなって思う。

 直輝と仁美、どちらも優しくなければ、きっと前のように仲良く出来てはいなかった。どちらも欠けてはならない私の大切な人たちだ。

 直輝という彼氏が出来てからも、私が告白されることは何回もある。でも、前みたいに面倒だと思うことはなくなった。

 告白というのがどれだけの勇気のいる行為なのか、今の私には理解できている。だからこそ、相手の勇気にちゃんと向き合おうと決めた。

 これからは俯かない。告白してきた相手の顔をしっかりと見て、真剣に返事をする。

 ありがとうって。こんな私を好きになってくれてありがとうって感謝をこめて。



 これを通して私は改めて、心からこう思う。

 直輝と出会えてよかったと。仁美が友達でよかったと。

 そして、バレンタインに一歩勇気を踏み出してチョコを作ったことを、私はずっと忘れない。

 いつまでも、何年経っても、大切な思い出として思い出すことが出来る。

 こうして、私の一生忘れられない思い出は、一つから二つに増えたのだった。

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忘れられない思い出~バレンタインの奇跡~ まとい @matoi-sezol

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