第46話 スミに置けないタコ?

前回のあらすじ

・ツトム、クリスの社畜化を防ぐ。

・はじめてのチンセン。

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 この船は沈没してからまだ五年なので、船体の腐食、錆びはそれほど目立たない。フジツボや貝類などの付着性生物も、壁などの隅から次第に広がりだしているところだ。


 ただ、ツトムの好みである色鮮やかなウミウシは、もっと浅いところにいるようだ。考えてみれば、陽の光が差し込まないここでは、警戒色も意味がない。

 その代わり、カニやエビのような甲殻類や、タコ、イカなどの頭足類があちこちに隠れていた。特にタコやイカは、ライトの光を浴びるとびっくりして、墨を吐いて逃げていくのが面白い。

 タコの墨は広く広がるが、イカの墨は粘りがあるので自分と同じくらいの塊として漂う。つまり、タコの墨は煙幕で、イカの墨は分身の術と言うわけだ。


 マコは一同を引き連れて、長方形の船倉を左舷側にゆっくりと進んだ。こちらを上に向けて傾いているので、徐々に深度が浅くなっていく。天井があるので、海底洞くつのような感じだ。その天井にも、さかさまになってエビなどがへばりついている。


 やがて、左舷側の壁が見えてきた。ダイコンの表示を見ると十メートルを切っている。


「はい、ここから折り返しね」

 今までのコースを逆にたどる。


 と、崩れた何かの機材の間に、タコが隠れているのを見つけた。ライトが当たっても逃げないところを見ると、眠っているのだろうか?

 シャオウェンを手招きし、一緒に近づく。そのタコに、ツトムは手袋をした手をそっと近づけた。黒い保護ゴムで覆われた指先が近づくと、その部分のタコの表面が黒く変色した。遠ざけると、もとの褐色に戻る。


 振り返ると、シャオウェンが興味津々だ。彼もそっと手を伸ばす。同じように変色する。

 何度かやってると、タコはうんざりしたのか逃げてしまった。


 少し遅れてしまったので、二人は皆に追いつくためにちょっとだけ急いだ。


* * *


 潜水作業室に戻ると、マコがみんなに言った。

「今日は今までよりちょっと深く潜ったから、ここに留まる時間も長めになるわよ」

 みんなを見回して続ける。


「まぁ、ウェットスーツ脱ぐの結構手間かかるから、丁度いいわね」


 実際、みな悪戦苦闘していた。

 一応、うなじから背中の中ほどと、先端から肘と膝までがファスナーで開くのだが、既製品だと色々引っ掛かる。その点、オーダーメイドのマコとツトムは楽だ。ツトムの場合、そもそも引っ掛かるところがないのだが。


 残りの女子が苦労するのは当然だが、シャオウェンがてこずってるのでツトムが手伝った。太ももや二の腕の肉付きが良すぎるせいだ。


「シャオウェン、悪いこと言わないから、ダイエットした方がいいと思う」

「うん……妹にも言われるんだ」

 やはりか。


 まぁ、食生活はシャオミンが取り仕切ってくれるだろうから、彼女に正しい知識が伝わればいいはず。……となると、頼れるのはマコだろう。プロポーションは崩れていないみたいだし。きっといろいろ知ってるはずだ。


 そうこうしている内に、皆ウェットスーツを脱ぎ終わり、一通りシャワーも浴びた。気圧は既に一気圧になっていたので、男子組は体を拭きながらキャビンへ。


 ツトムは食事当番だったので、手早く着替えてキッチンに立った。


「何を作るんだい? 手伝うよ」

 シャオウェンが申し出てくれたが、気持ちだけにしたい気がする。


「えーとね、手軽にサンドイッチにしようかと」

 冷蔵庫からレタスを出す。

「じゃさ、これ、むしってくれる? むしったの、こっちに入れて」

 シャオウェンにボウルを渡す。


 ツトムは卵を取り出して別なボウルに割りいれ、かき混ぜる。スクランブルエッグだ。フライパンで半分固まったら、IHからおろして冷ましておく。その間にスライスした食パンにバターを塗る。


「さすが、ツトムは手際がいいな」

「まぁ、母さんが仕事人間だから、朝食は半分くらい僕が作ってたし」


 バターを塗ったパンでレタスとスクランブルエッグを挟み、耳を切り落として斜めに切るれば出来上がり。


「この切った耳、そこのマグカップに挿してくれる?」

 ツトムの方はマヨネーズとケチャップを取り出し、別なマグカップにそれらを入れて混ぜ合わした。お手軽なディップだ。


「お、昼はサンドイッチか」

 ナガトがキャビンを覗きこんで行った。


「夜はおじいちゃんだね。何を作るの?」

 孫に聞かれて、ナガトはウインクした。

「期待していいぞ」


 航海も三日目、今夜が最後の夜だ。明日は夕方までに帰港しないといけないから、朝と昼の二本しか潜れない。だから、今日の残り二本は貴重だ。


「あ、もうできてるんだ。すごい」

 メイリンが入ってきた。他の女子も続々。


「じゃ、座って食べましょ。食べて一休みしたら二本目行くわよ」

 マコが言うと、みな席について食べだした。

 キャビンだけでは狭苦しいので、男子組は自分の分を持って操縦室に脱出した。


「やっぱり、パンを食べるなら牛乳だよね」

 コンソールの端に、牛乳をなみなみと注いだマグカップを置く。


「さっきのタコ、面白かったな」

 隣の長椅子でシャオウェンが不意に口にした。


「そうだね、あんな風に体の色を変えて溶け込むんだ。色だけじゃなくて、表面も。岩場に隠れる時はトゲトゲにしたり」


 コンソールの画面を切り替えて、撮りためた動画を検索する。ほどなくして、海中を泳ぐタコの動画が再生された。岩場に降り立つと、タコの表皮が同じ色に代わり、ゴツゴツとした突起まで生えてきた。


「凄いな。海のニンジャって感じだ」

「何でも、軟体動物の中ではタコとイカが一番頭が良いらしいよ」


「こんなん、出てきたで」

 椅子の下から”くもすけ”が会話に割り込んで来た。


 コンソールの動画が切り替わり、水槽の中を泳ぐタコの姿が映った。タコは水中に建てられた旗のそばに泳ぎつくと、そこにうずくまった。


「パウルって名前らしいで。ツトムが産まれる前やな。こうやって、サッカーのワールドカップでどこが勝つか占った、ちゅうことや」


 ……すごいな、予言するタコだ。


 実際には、タコが横縞を好むので、それを含むデザインの国旗が選ばれたらしいが。


「予言通り負けてしまった国からは、『殺して食っちまえ』なんてののしられたそうやけど、勝った国では英雄扱いされたんやて」


 ……ヨーロッパでもタコ食べるんだ。


 妙な所にツトムは感心した。


「そのパウル君、今はどうしてるの?」

 と、シャオウェン。

「タコの寿命はせいぜい三年なんやと。今は同じ水族館で何代目かが活躍中や」


「タコも伝統を受け継ぐんだなぁ」

 ツトムは感心した。


 サンドイッチを食べ終えると、食器を持ってキャビンへ。女子組はもう食べ終えていて、食器を洗い始めていた。

 ちなみに、蛇口の取っ手はツトムが昨夜なんとかはめ直した。いつもの工具ポーチが役立った。


「あ、二人の分も洗っとくわ。そこに置いて」

「ありがとう、タリア」


 ツトムは食器を置くと潜水作業室に行った。そこではマコがみんなのウェットスーツを点検していた。


「意外と知らないうちにこすって、汚れがこびりついたりするのよねぇ。そのまま返すと追加料金取られちゃう」


 イカの墨は粘り気があるので、付いてしまうと厄介だ。

 見たところ、幸いにもひどい汚れはなさそうだ。


「二本目は、別の入り口から隣の区画に入るからね」


 船倉は幾つかの隔壁で区切られていて、そこを通りぬけることはできない。横倒しになって海中に没した甲板の積み込み口から入るらしい。

 マコの手伝いをしながら、ツトムは残りの二本を楽しみにしていた。


 ……そこで意外な発見をしてしまうことを、パウル君ならぬツトムには知る由もない。


* * *


 その日の二本目は、マコが言ったように横倒しになって水没した甲板の積み込み口から別な船倉に入った。


 積み込み口の大きなハッチは、中央で割れて左右にスライドするようになっていて、海中に大きく四角い穴を開いていた。

 内部に入ると、やはり魚影が濃い。群れをなす小魚と、その間をゆったり泳ぐ大型の魚。ここでも、底の方にはエビやカニ、タコやイカが沢山いた。


「はい、ちょっとみんな、ライト消して上をみて。面白いのが見れるわよ」


 マコは一同を底に座らせた。各自、次々と水中マスクのバンドに付けたLEDライトを消していく。最後の一つが消えると、周囲はほぼ真っ暗になった。


 と、そこに青白く光る小さな点が現れた。どんどんと数が増えて、頭上の海中をゆらゆらと漂う。暗闇に目が慣れると、触手のある紡錘形の輪郭が見えてきた。体の表面に小さな光点が散らばっているようだ。


「ホタルイカの仲間ね。目の周りに五個の発光器があるから南洋ホタルイカかしら」


 マコがライトで照らすと、光点があったところは黒くて丸い大きな目だった。


 ……ちょっとかわいい。


「本来はもう少し深いところにいるんだけど、ここは暗いのと餌が豊富だからかしらね」

 マコの解説。


 一同はライトを付けて、さらに奥へ進んだ。目の前にそびえ立つ壁は、横倒しになった船底だ。


 自分で光を発するホタルイカとは別に、光を屈折や反射するイカも多い。ツトムたちの方に別な種類の一匹のイカが近寄って来た。体に対して触手が短く、光を反射させて体の表面に複雑な模様が流れている。体の左右の幅の狭いひれが先端から目の近くまであり、これを波打たせて触手の方を前にして泳いでいる。


「コウイカね。イカの中でも知能が高いらしいわ。私たちに興味があるのかしらね」

 コウイカは一同の周囲を何度か回ると、ライトの届かない彼方に消えた。


 ここでしばらくライトをつけたり消したりして光を放つ生物を観察したあと、今までのコースを逆にたどって”のちるうす”に戻ることになった。

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