第45話 ブラックなダイブ?
前回のあらすじ
・ラッキースケベで漏らしかけた件。
・シャオウェン、生物学に開眼。
----------------------------------------------------
その夜。”のちるうす”はトマレ環礁を後にした。サーチライトで岩礁を照らしつつ、ナガトは慎重に操船していく。
隣の寝椅子にはシャオウェンが軽いいびきをかき、その向こうの副操縦席ではツトムが熟睡していた。
その座席の足元では、”くもすけ”が充電器の上にうずくまり、カメラアイで漆黒の海中を眺めている。
「このシャオウェンが生物学とはねぇ。まー同じ財産でも、知識や経験は誰も奪い取れんからのう」
個人の財産を認めず、場合によっては命まで奪おうとする祖国。前回はナガトとツトムの活躍で逃げおおせた。しかし、永久にこのままとは思えない。
なら、狙われるようなものは持たなければ良いのだ。
学者としての実績や名声は、剽窃で盗むことはできても、権力や暴力で奪い取ることはできない。莫大な予算が必要な巨大科学なら政治力も必要だろうが、そうではない分野もある。
むしろそんなところにこそ、研究すべき課題が残っているかもしれない。
今日、シャオウェンが出会ったウミウシのように。
「ナガトはん。将来、有望な研究所員になるかもしれんで、あのにーちゃん」
操縦席のナガトは、微笑むと答えた。
「うむ、長い目で見守ろう」
明けない夜が無いように。深海の闇が
パンドラの箱に最後に残ったものがそれであるように。
希望はいつでも、そこにあるのだ。
* * *
翌朝、一同が目にしたものは、展望窓一杯に広がるチンセンだった。
……なお、漢字表記は「沈船」だ。違うものを連想したなら、あとで職員室に来るように。
「これはチリ船籍の貨物船”ボナンザ”。ちょうど五年前、木材チップを積んで上海に向けて出航したところに、巨大ハリケーンが襲って沈没したの」
操縦室からのマコの解説付きで、女子組はキャビンのスクリーンから見る。全員が操縦室に来ると、船のバランスが取れないからだ。
「場所はこのあたりだ」
マコの説明に加え、ナガトが操縦席のコンソールに海図を表示した。
南米から赤道を超えて太平洋を北西に進んだところだ。
「直接の沈没原因は、ハリケーンの波に押されて暗礁に乗り上げたためなんだけど、温暖化で目視できるはずの岩礁が沈んでしまっていたのもありそうね」
マコが解説すると、シャオミンが手を上げた。
「あの……今回はここに潜るんですか?」
「モチのロンよ」
操縦席のナガトが眉をひそめた。時々、娘の生年月日が怪しくなる。平成産まれのはずなのに。
その娘マコは解説を続けた。
「沈没船てのは、魚などの絶好の隠れ家になるので、いろんな生き物が棲みつくの。世界中でもダイビングスポットの上位を占めているわ」
積み荷が水より軽い木材チップだったのですぐには沈まず、この船の乗組員は嵐が収まった時に全員救助された。
それでも干潮の時に船体が二つに折れ、次の満潮時に海底に没したという。船首側はそのまま海底深くに沈み、ここにあるのは途中で引っ掛かった船尾側だ。右舷を下に横倒しになり、反対側は海面から僅かに出ているらしい。
「こんな風に死傷者がいないと、ホラー要素もなくて初心者向きなわけ」
確かに、海底でガイコツとご対面は嫌だ。女子組がコクコクとうなずく。
「んで、積み荷は木材チップだったから、周囲の汚染もなくってね。普通に見られる生物が、特濃で見られるわけ」
……てことは、タイやヒラメが舞い踊るんだな。
心の中で、「玉手箱だけはもらわないぞ」と誓うツトムだった。
「では、朝食後にダイビング準備開始よ!」
マコの号令で、朝食の準備が始まった。
今朝の担当はシャオミンだった。中華形式の朝粥はなかなか好評で、メイリンがスカウトしたほどだった。
「高雄亭のモーニングサービスにぜひ!」
「私の務めは、まず第一に兄の食事を賄うことなので」
シャオミン、にべもない。
ちなみに、ニベというのは魚の名前で、それから作られる接着剤に転じたと言う。さらにそこから密着しない、無愛想という意味が生じた。
――と言うことを、ツトムはメガネの検索で今知った。
「姉御、シャオミンさま! そこのところをなんとか!」
メイリンが食い下がり、なんとかレシピの提供と調理指導まで取りつけた。
「でもそれ、誰にやらせるの?」
ツトムの疑問に、メイリンは端的に答えた。
「クリスよ」
ツトムの疑問はさらに深まる。
「朝錬とかあるのに?」
「前日に仕込んでおけば無問題」
ツトムは「疑わしい」の薄い目で言った。
「未成年者の深夜業務とか、パクられないよね?」
途端に、メイリンの目が力強いストロークで泳ぎだす。
「ほ、本人が申請しなければ、大丈夫なのよきっと」
いや、それってダメでしょ。
ツトムはナガトの方を見た。祖父は苦笑しながらうなずいた。
高雄亭も、上得意のナガトの意見は無視できないだろう。とりあえず、クリスが過労死することは避けられそうだ。
メイリンは、調理人に早朝出るよう交渉する方法を、ウンウンとうなりながら考え始めた。
* * *
四本目となると、それなりにみんな準備も手慣れてくる。軒並み、見回るツトムが注意するのは、分かっているようで分かっていない点だ。
「ジュヒ、マスクをそんなにゴシゴシ洗ったら、曇り止めの薬も落ちちゃうよ」
「え、でも洗い落とすにはやっぱり……」
「……何のために塗ったんだっけ?」
「水蒸気でマスクが曇らないため……?」
「全部洗い落としたら?」
「曇っちゃいますね、ハイ」
まぁ、これなどは単純ケースだ。
「……というわけで、ツトムと俺は最初から、一本のタンクを共有すれば効率的だ!」
「あのさ、シャオウェン。それだと機材のトラブルがあったら、僕ら一緒に死ぬよ?」
「大丈夫だ。死ぬ時は一緒だ」
……殴っていい? つか、殴っても黙らせるべき?
と一瞬思ったが、一応、平和主義者なので、肉体言語じゃなく言葉で語ろう。
「まず死なない事を目指そうよ。タンクは別々にね」
二人のやり取りにくすくす笑ってたマコだが、真顔になってコメントする。
「『効率』と『安全』てのは相反する事が多いの。保険なんて、病気や事故さえなければムダなお金でしょ?」
効率を追求しすぎると、結果的に人が死ぬことになる。
ツトムが産まれる前の福島県の原発事故も、効率優先で安全対策が不十分だったから起きたという。事故そのもので死者は出なかったと言うが、避難活動や事故対策で間接的に何人も亡くなったそうだ。
「ダイビングでは、水中という本来人間が生きていけない場所に行くんだから、安全はいくら重視しても足りないくらいなのよ」
マコは噛んでふくめるように言った。シャオウェンも納得したみたいだ。
やがて準備は完了し、一同は円盤スノコに乗って”のちるうす”の船底ハッチから出た。
今回は沈んだ船の底の方から潜るので、十八メートルと深いところからのスタートだ。外洋なので波が荒く、この深度でも結構揺れがある。周囲は、今までよりずっと濃い青い世界だ。
水温も下がるので、みんな今までとは違って水着の上からウェットスーツを着ている。
ちなみに、十八メートルは一応、特別な講習なしで潜れる限界とされている。
「はい、中に入るまでは一列ね。前の人のタンクにつかまって」
マコの指示に従い、一列になって沈船の大きく割れた断面から船内に入った。中に入ると、波の影響はなくなり、揺れは静かになった。
断面から差し込む光で船内は真っ暗ではないが、かなり暗い。そのため今回は全員、水中マスクのバンドに小型のLEDライトをつけている。
点灯すると、目の前に銀色の壁が現れた。向こうの壁が見えないほどの魚群だった。
小型の魚が群れているらしい。タイやヒラメではないようだが、まさしく舞い踊りだ。
見回すとかなり広いので、船倉らしい。ほぼ横倒しになってるため、天井も非常に高い。積み荷の木材チップは、船体が折れた時に流れ出してしまったのだろう。
岩礁を滑り落ちる時に、かなりの岩石が転がり込んでいて、それがまた魚たちの隠れ家になっているようだ。
岩の隙間から、ライトに輝く目がいくつか見える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます