第34話 ミセス・フクシマ?

前回のあらすじ

・メイリン、ほとんど裸エプロンで犯罪すれすれ。

・マコ、酔い潰れて平和。

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 翌日の月曜日は「緑の日」。


 久しぶりにアルコールの入ったマコは、二日酔いで動けなかった。ちなみに、酒量は缶ビール一本。これだけで地上から天国、地獄へと天路歴程が可能。燃費の良さは最新のエコカー並みだ。


 おかげでツトムは、一日中工房にこもって、あれこれ技術的興味を満喫することができた。その一環として、”くもすけ”のボディの分解掃除も行った。やはり、砂浜に出ると関節がヤバイ。


 そんなわけで、マコが起きだしてきたのは、その日の午後遅くであった。


「み……みず」

 寝床からうめくマコに、分解掃除済みで快調の”くもすけ”が答える。

「マコはん。寝起きに食用ミミズとは剛毅やな。よっしゃ、調達したるで」


 本気でやりそうな”くもすけ”の様子に、マコは「ひっ」と悲鳴を上げる。


「まったく、お約束やな。ほれ、冷たいH2Oや」

 水差しから汲んだグラスを手に、”くもすけ”。ちなみに、氷を入れた水差しを用意してくれたのはタリアだ。


 ゴクゴク飲んで「ぷは~」するマコ。室内を見渡して、ツトムがいないことに気づく。


「うちの息子ちゃんは?」

「リビングにおるで」


 ノロノロと起き上がるマコ。その後を”くもすけ”もついていく。バルコニー風の廊下には夕焼けが映え、そこから吹き抜けのリビングを見下ろすと。


 ソファにツトムとタリアが並んで座っているのが見えた。


「あら、仲いいじゃないの」

 階段を下りていく。テレビの音がするので映画デートかと思いきや、壁面の大画面に流れていたのは、サイエンスなんとかという科学情報番組だった。画面には「実用化進む宇宙太陽光発電」というテロップが映ってる。


「あ、母さん起きたんだ。おそよう」

 アイコンで画面を一時停止にして、ツトムがマコに声をかけた。


 ちなみにアイコンとは、PCの画面に並んでるアレではない。テレビの上部にあるカメラに視線を合わせると、顔認識で起動する機能「アイ・コンタクト」だ。認識した人間のジェスチャで動作する。今は、ツトムが腕を横に振るジェスチャで一時停止をしたのだ。


 この機能のおかげで、「使おうとすると見つからないリモコン」という厄介事が一掃されたのだった。ただ、PC画面のアイコンと名前が一緒なので、時々混乱する。


 さて、寝起きでまだぬぼーっとしてるマコだが、ツトムの言葉には反応した。


「なにその『おそよう』って。そりゃ、もう夕方みたいだけど」

 そして画面に目を向ける。


「……にしても、女の子と見るには色気のない番組ねぇ」

「ほっといてよ」

 ツトムはそっけないが、マコは気にせずタリアに声をかける。


「あなたもそう思うでしょう?」

 タリアは微笑むだけだった。モナ・リザ南国風。


 ツトムはアイコンに向かって腕を時計回りに回した。番組の続きが再生される。


 画面ではアニメ風のキャラの”陽光ススム君”が、静止軌道の衛星で鏡を使って集めた太陽光でレーザー光線を作り、それを地上に送って専用の太陽電池で発電する様子を解説していた。


「これ、結構僕らにも関わる話なんだよ」

 再び一時停止して、ツトムはスマホで幾つかの記事を探しだすと、それを大画面に映し出す。


「ああ、なるほどね。Mg精錬プラントへの応用か。もうここまで進んでるんだねー」

 感慨深げなマコ。


 オーストラリア大陸などの乾燥地帯では、豊富な太陽光を使ったMg精錬事業が行われている。ここに宇宙からレーザーを降り注ぐだけで、そのまま生産量が大幅に上がるのだ。

 しかも、夜間も含めて二十四時間連続で運転できる。

 そして、Mg合金の生産量が増えれば、ニューギニア沖で始められている第二フローティアの建設も拍車がかかるだろう。


 そんな画面の解説を指差し、タリアが疑問を挟んだ。

「でもツトム、その衛星って地球と一緒に回ってるんでしょ。一緒に夜にならないの?」

「良い質問だ」

 ツトムは親指を立てた拳をグッと突き出した。


「衛星は地球から遠く離れてるんだ。だから、地球はかなり小さく見える。夜ってのは地球の陰に入ることだけど、その影も衛星の軌道が描く円に比べるとすごく小さいんだよ」

 スマホの上に指を滑らせ、簡単な模式図を描く。それが大画面に映された。


「だから、こんな風に軌道を傾けてやれば、夜の側に入る時に上や下に振れるから、ずっと陰に入らなくて済むわけさ」

 タリアはうなずきながら聞き入っている。


「へぇ、ツトムは良い先生になれそうだねぇ」

 マコが感心して言うと、ツトムは肩をすくめた。


「タリアが上手に聞いてくれるからだよ。さっきネットでコメントしあった人なんて酷かった」

 画面をネットの記事に切り替える。そのコメント欄ではかなり激しい応酬が残っていた。


 マコがその一つを読み上げた。

「宇宙からレーザー攻撃する気か、って何これ?」


 例の福島の原発事故以来増えてきた「危険がゼロでなきゃ認めない」という連中だ。


 ツトムも最初のうちは真面目に答えていたが、最後にはアニメの画像を一枚貼って打ち切っていた。

「お前がそう思うんならそうなんだろう。ではな」

 画像のセリフを読み上げるマコ。


「この画像も長く使われてるわねぇ。あんたが産まれる何年も前からよ」

「へー、そうなんだ」


 一応、ツトムの反論はレーザーの特性を説明したものだ。レーザーはレンズでいくらでも細く絞れるが、レンズを出る時にどうしても僅かに広がってしまう。そのため何万キロも進むうちに直径数百メートルほどになり、兵器のような威力はなくなる。

 宇宙太陽光発電の地上施設には太陽の何倍もの光が降り注ぐが、上空を飛行機で通り過ぎるくらいでは影響はない。軍隊ならなおさらだ。


「だから、もし兵器として使うなら、地球のそばで再度細く絞る必要があるわけ。それにはかなり大きな鏡が必要で、そんなものは簡単に地上から撃ち落とされてしまうから、意味ないよ」

 そう書き込んだ後のコメントは、罵詈雑言ばかりだった。


「まぁ、この手の相手するのは人生のムダね」

 マコも慨嘆に堪えない。


 科学や技術に慣れ親しんでないと、宇宙のようなマクロの世界や、素粒子などのミクロな世界など、日常的な感覚から外れた問題を理解するのは困難だ。ネットの上には未だに、「アポロは月へ行ってない」とか「地震兵器」とかの与太話がはびこってる。


「あたしも昔、散々悩まされたわ」

 マコが遠い目になる。


「フローティアの計画が本格的に始まったのは、ツトムが一歳になった年だけど。その頃ですら『地球温暖化は嘘だ』なんて言い張る連中が居てね。何かと横やりが入ったわ」


 実際、その頃から温暖化対策をしっかりやっておけば、タリアなど沢山の人が生まれ育った土地を失わずに済んだだろう。今、これだけ対策が進んでもなお温暖化が止まらないのは、その頃のツケだ。

 流石に、夏の北極海から氷が消えてしまうようになると、温暖化懐疑論も下火になった。しかし、散々世の中を惑わした者たちは、反省も謝罪もせずに引っ込んだままだ。


 そんな話をしていると、ダイニングの方から声がかかった。


「はいはい、みなさん。お夕食の準備、出来ましたよ」

「ましたよー」

 サリアとナリアだった。相変わらず母親べったりなナリアは、食器の載ったカートを押していた。お手伝いな気分なのだろう。


「うう、いい匂い。すきっ腹に響くわ」

 ふらふらと食卓へ向かうマコ。ツトムもテレビを消して、タリアを連れてそちらに向かう。ちなみに、番組は録画してあるから、食後に見れば良い。


 今夜、ナガトは港湾課との会合で遅くなると言う。もちろん、会合は口実で実際は親睦のための飲み会なのだろう。”のちるうす”の整備や補給には港湾の施設も必要だし、顔なじみの方が色々な連絡が届きやすくなる。ある程度の付き合いは必要だった。


 今夜の献立は、焼き魚と野菜の煮物という和食だった。


「あー、お味噌汁が美味しい」

 マコは随分と気に入ったようだ。


「和食はナガトと結婚してから学んだんですが、最近、ようやく合格点もらえるようになりました」

 自分では出汁も取らないナガト、ダメ出しはするらしい。


 食後、ツトムは再びソファでさっきの番組の続きを再生する。タリアは宿題があると言うので、自分の部屋に戻った。


「同じクラスなんだから、お前も宿題あるんでしょ」

 マコに突っ込まれて、ツトムは「やべっ」となった。


「大丈夫、寝る前にちゃんとやるよ」

「漢字書き取りを”くもすけ”にやらせるのとかダメよ」

 筆跡まで真似ができるので、現行犯でないと摘発できないほどだ。


 しかし、意外な証言が。


「大丈夫や、マコはん。わても無報酬でやるほど安うないねん」

 と、”くもすけ”が胸を張る。

「それって、報酬次第ってことでしょ?」


 マコは納得しないが、今度はツトムが顔をしかめた。

「”くもすけ”が欲しがる報酬ってのが問題だよ」


 そもそもAIの”くもすけ”に物欲はないに等しい。

 たまに人間サイズのボディが欲しいとか言ってみるが、それこそ目玉が飛び出るお値段だ。頑張ればツトムも自作できるだろうが、部品代だけでシェルスーツの何倍もする。


 その”くもすけ”が要求する「対価」となれば、とんでもないことになるのは自明だった。


「ふーん。それじゃあ、素直に自分でやったらどう?」

 マコの言葉に、ツトムはうめくとテレビを消して二階に上がった。


 しかし、”くもすけ”はリビングに残っていた。

「さて、マコはん。折り入って相談があるんやが」


 マコはツトムの代わりにソファに腰を下ろした。

「はいはい。ロボットの相談受けるなんて、あたしもいよいよスーザン・キャルヴィンね」


 アシモフの名作、「われはロボット」の語り部で、ロボット心理学者という肩書のキャラだ。


「まったく。セイジさんは何を思ってあんたのAIを作ったのやら」

 ツトムが作ったのは”くもすけ”のボディの上半身だけで、AIそのものは父のセイジが製作者だ。ツトムはクラウド上で眠っていたものを見つけ出し、初期設定を行ったに過ぎない。


「それ、ツトムにも聞かれんのやけど、わてもようわからん。人間やて、何のために産まれてきたかなんて、答えられんやろ」

 そう言われてみれば、納得してしまいそうだ。


 マコはソファの背もたれに寄りかかり、言った。

「あんたって、やたら哲学的なAIよね。まぁ、それはそれとして。相談って何なの?」

「ほな、これ見ておくれやす」


 壁の大画面テレビが灯り、どこかのサイトが表示された。思わず乗り出すマコ。


「なにこれ。ネットバンクじゃないの。ツトムの?」

「せや。残額見てや」

 マコの目が丸くなった。両眼が外れて床を転がっていきそうだ。


「……あたしのより一桁上じゃない。どうしたのよ、これ」

「ツトムが作ったもので特許になりそうなものを、わてが申請して来たんやが、結構な数になっての。それの使用量をこの口座に積んで管理してきたんやが」

「……セイジさんから受け継いだのとは別に?」

 父親から相続した預金や、相続した特許の使用料が入る口座のことだ。


「あっちの口座は、ほとんど空や。こないだ、シェルスーツ作るのにつこうたんでな。こっちの口座はツトムが興味しめさんので、残額は教えとらん」


 ツトムが無欲だというより、お金の使い方を知らないと言う方が正しいだろう。

 実際、これだけの金額があれば、”くもすけ”が欲しがった等身大ロボットのボディーが購入できてしまう。それも、一見して人間と見分けがつかない、精巧なものが。


「あんたはそのお金、使わないの?」

「わてのやない。ツトムのやさかい」

「……意外と律儀なのね」


 ロボット法三原則には、「汝盗むなかれ」は入っていない。殺すな、言うことを聞け、自分を守れ、この三つだけだ。それならば……。


「ツトムに尽くせ、とでもセイジさんに命令された?」

 しばらく沈黙。


「……命令とはちゃうな。記憶を総ざらいしてもあらへん」

 あの数秒の間に、全世界のクラウド上に分散している記憶バンクをスキャンしたらしい。


「もっと奥深いところや。人間の本能みたいな感じや」

 再び、しばらく沈黙。


「不思議やなぁ。マコはんと話すまで、気がつかんかったわ」

 腕組みをし、何度もうなずく。


「まぁ、それはさておき。この預金、どないしよう?」

「……あたしにくれるとか?」

 やれやれ、という感じで肩をすくめ首を振る”くもすけ”。

 マコが薄い目になる。


「なんかそれ、すごくムカつくんですけど」

「この金はツトムのや。ツトムがいつか必要になるまで、大事にして維持せなあかん」

 ことさらに「運用」を強調する。


「なにそれ。株にでも投資するの?」

「それも考えてん」

 さらりと言われて、またマコは唖然となる。


「せやけど、ネット証券も本人確認が厳しいよってに。ツトムの年齢じゃ受け付けてくれへんし、下手に偽造でもしたら、わてやのうてツトムの手が後ろに回りよる」

 確かにそうだろう。


「で、あたしに名義を貸せってこと?」

「たのんます」

 正座のつもりなのか伏せの姿勢になり、さらに上半身を前に折り曲げる。


「ま、いいわよ。成人するまで子供の口座を親が管理するのは普通だし」

 ちょっといたずらっぽく微笑む。


「それに、ツトムのためならそのお金使えるんでしょ?」

「そらま、そうやけど」

 くすっと笑ってマコは言った。


「本人が望むのなら、高校から留学もアリだしね。そうしたら飛び級でMITとかも良いだろうし。お金があれば、色々してあげられるわ」

 マコの言葉に、”くもすけ”は腕組みして首をかしげた。


「ツトムにとっちゃ、ここで普通の子供の友達らとおるんが、一番ちゃうんかな?」

「今はね。でも、未来はあの子のものよ」


 意外と母親らしいことも言うマコだった。


 翌日。とあるネット証券に「福島マコ」の名義で口座が開かれた。


 実は二十世紀の末、日本の主婦層は手堅い投資家として海外市場で結構話題になっており、「ミセス・ワタナベ」と呼ばれていたが、一連の金融危機でほぼ姿を消していた。


 しかし、この日から新たなる伝説が生まれたのだった。


 後に「ミセス・フクシマ」と呼ばれる事になる。

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