第8話 イカすロデオ天国?
前回のあらすじ
・快適で安全な海中の旅と言ったな。あれはウソだ。
・ツトムの股間は受難続き。
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幸いにして、大きく揺れたのは一度だけだった。マグカップはテーブルの反対側に落ちたので、熱いお茶を被らないで済んだのも助かった。こぼれたお茶は船室の床のスリットから流れ落ちた。
揺れと股間の痛みが治まると、今度は体の上のぬくもりが気になる。
「あの……タリア?」
「ああ、ごめんなさい」
股間を押しつぶしたりしなければ、ぬくもりそのものは嫌じゃないんだけどね。……思春期前だけど。
何とか立ちあがって、操縦室へ向かう。
「おじいちゃん、いったい何があばばばばば」
途中からツトムの日本語が激しく乱れる。その視線は展望窓に釘づけだった。
そこは、無数の吸盤で張り付く触手に全面を覆い尽くされていた。触手はぐねぐねとうごめいている。タリアは見るのも無理そうで、ツトムの背中に顔を伏せてしがみついていた。
「ダイオウイカだ。フローティアの回遊域の一部を縄張りにしている個体で、時々こうして敵対行動を取って来る。どうもこの船のシルエットが、天敵のマッコウクジラに見えるらしい」
ナガトが冷静に解説する。
しかし、ツトムは激しく震えていた。背中に張り付いたタリアの震えが伝わったのもあるが。
「怖がらせてしまってすまんな、二人とも。こいつが現れるのはもう少し東の海域のはずなんだが」
野生生物が予想に反した行動をとるのは、むしろ自然なことかもしれない。人間ですら「気まぐれ」というのはあるのだから。
「……おじいちゃん、それでどうするの? この船、潰されちゃうの?」
ツトムの心配をよそに、ナガトは平静だった。虚勢ではなく。
「この”のちるうす”の安全深度は一万メートルだ。びくともせんよ」
「でも……どうやって引き剥がすの? ……電撃するとか」
本家のジュール・ベルヌでは、確かそうしてた。
「まさか」
苦笑するナガト。
「電気を通す海水中では、意味がないよ」
電線に留まったスズメと一緒だ。イカの体より先に、海中に電流は流れ去ってしまう。
「いつもは、海洋生物が嫌う薬剤をばら撒くだけなんだが……どうも、その噴出口を吸盤で塞がれてしまったらしい」
スクリーンの表示を指で示す。表示の一つが赤くなっていた。
「……どうするの?」
祖父は余裕を見せてるが、ツトムにはシビアな状況としか映らない。
「ちょっとツトムに手伝ってもらった方がいいかな。こっちへ来て」
操縦席を立って、ナガトは後ろの船室へ向かった。
ツトムもそれに続く。おんぶお化けなタリアを引き連れて。
祖父ナガトは、マグカップや菓子が散乱する船室を抜け、シェルスーツのある区画へ入って行った。
「ツトム、そこのコンソールの赤いボタンを押してくれ。①と書かれた方だ」
ツトムがボタンを押す。
すると、向かって右手のシェルスーツが、吊り下げられたまま船室の中央に移動してきた。
ナガトがスーツの腰のパネルを開けてスイッチを操作すると、スーツが腰のあたりで分離し、上半身が引き上げられていった。ナガトはその下半身に両足を突っ込むと、頭上の上半身に向かって両手を伸ばした。
「よし、今度はスーツのパネルの青いボタンを押して、パネルを閉じてくれ」
ツトムがボタンを押すと、上半身が降りて来て、カチリと留め金がかかった。パネルを閉じるのも忘れない。
ナガトはスーツの両腕をぐりぐりと動かし、手首の先の”やっとこ”のような爪を開閉させた。
「OKだ。では、そこの青い容器を渡してくれ」
頭上のスピーカーから、ナガトの声が流れてくる。
言われるまま、ツトムは液体の入った青いポリ容器を渡す。ナガトはスーツの手首にある爪で取っ手を掴んだ。
「準備完了だ。タリアを連れてここから出て、ハッチをしっかり閉めてくれ」
言われたとおりにすると、ハッチの横のスクリーンにとなりの区画の様子が映った。斜め上からの視点だ。
スクリーン横のスピーカーからナガトの声が響いた。
「ツトム、壁際のコンソールがわるか?」
「わかるよ、おじいちゃん」
「そこの”+”のボタンを押してくれ」
ツトムが押すのと同時に、ポンプの音が響き出した。
「今、この区画の気圧を外の水圧と同じまで加圧している。……加圧完了。これで、船底のハッチを開いても水は入って来ない。次は”Open”のボタンを押してくれ」
区画の床にあるハッチが開き、海面下百メートルにある水面が見えた。水圧と気圧が同じなので、海水は入ってこない。
「さて。ちょっと行ってくるぞ」
スーツを吊り下げているクレーンのウィンチがケーブルを繰り出し、スーツを海中へと降ろす。
「おじいちゃん、大丈夫?」
外にはダイオウイカがいる。ツトムは心配になった。
「問題ないよ、ツトム。実際、今、触手に捕まったところだけどね」
「ええっ!?」
大問題あり、というかピンチじゃないの?
「イカは軟体動物で骨が無いから、触手は引き寄せることは出来ても、押しのけることは出来ないんだ。そもそも、スーツを壊すほどの力もない」
スクリーンの表示がスーツのカメラに切り替わった。
ダイオウイカの口が、画面いっぱいに迫って来る!
グネグネうごめく触手の付け根で、黒くて鳥の
グロだ。グロすぎる。しばらく、イカは生でも焼いても食えそうにない。
「はいイカくん、お薬だよ」
そう言うと、ナガトの操るシェルスーツの腕が、薬剤のポリ容器を口へと突っ込んだ。嘴がそれを噛み破り、中の液体が海中にまき散らされた。
瞬間、ガクンと大きく船が揺れる。
ダイオウイカは、瞬時に姿を消していた。
「人間に例えるなら、痴漢撃退の唐辛子スプレーを喰らったようなもんだな」
ナガトはそうつぶやくと、バックパックの腰のあたりの両脇にある推進器を使って、ハッチの下に戻った。ウィンチがケーブルを巻き取り、スーツを引き上げる。
ハッチの開閉など実際の操作の全ては、スーツの中からもできるようになっている。さっきは、ツトムを落ち着かせるために手伝わせたのだろう。
スクリーンの表示は、となりの区画内のカメラに切り替わった。
「怖がらせて済まなかったね。あいつは今までこの海域に現れたことはないんで、油断してたよ」
引き上げられたスーツは壁際に固定され、ポンプが動いて室内の気圧が下がると、スーツが上下に分割されてナガトが出て来た。
「さて、そっちに戻るよ」
すぐにハッチが開き、ナガトが戻ってきた。
「パパ!」
タリアが父親に抱き着く。
「怖かったかい? 本当に済まなかったね」
娘を慰めると、 ナガトはツトムに向き直って行った。
「サポートありがとう、ツトム。さすがに、機械の操作は呑み込みが早いな。一応、船体の点検も必要だから、今日は戻ろう」
「……調査の方は、もういいの?」
意外そうなツトム。
「そっちも大丈夫。急ぎではないし、今回みたいなトラブルは特別手当が出るんでね」
もしも船体や装備などに被害が出れば、きちんと修理費+αが支給される契約なのだそうだ。そうでなければ、毎回赤字になってしまうだろう。
用意周到というか、ナガトはスーツのカメラで船体に絡みつくダイオウイカを撮影していた。再生してもらうと、”のちらうす”の上に馬乗りになったダイオウイカが、スーツからのライトの明かりの中で、ロデオのカウボーイのように揺れ動いている。巨大な目がこっちにガン飛ばしてきた。
帰りは港まで直線コースなのと、フローティア底部から距離を取れるので、ずっと自動航行だった。
ナガトの時間が空いたので、ツトムはシェルスーツを良く見せてもらうことになった。
クレーンに吊るされたシェルスーツを見て、ツトムはたまらずナガトに頼み込んだ。
「おじいちゃん、これ、着てみてもいい?」
「まぁ、船内でならいいだろう」
赤い①のボタンを押すと、シェルスーツが上下に分割された。
ツトムはスーツの前に置かれた脚立でよじ登り、まずスーツの下半身に両足を潜り込ませる。
そこで彼は、現実の苛酷さを知ることになった。
「足が、立たない……」
ツトムの足の裏は、スーツの足の底より十センチは上だった。ツトムも母のマコも、小柄だったという祖母の血を引いているらしい。身体を傾けて、片足を目一杯伸ばして、どうにかつま先がペダルに届くかどうか。もう片方の足から底までは、優に十センチはある。
ちなみにこのペダルは、腰のところに装備された推進器のアクセルだ。
結果として、体重の殆どを股間で受けることになり、何とも辛い体勢になってしまった。
「うーむ。さすがに大人用のサイズでは辛いな。一度出なさい。出来るだけ低身長にアジャストしてみるから」
ナガトの言う通り、スーツから出てしばし待つ。ナガトはスーツの下半身に腕をつっこんで工具を鳴らしていた。
「よし、これで一番短くなったはずだ」
再度挑戦。何とかツトムの両足がペダルに届いた。
「では、上半身をかぶせるぞ」
ツトムは万歳の姿勢になった。降りて来た上半身の内側で、両腕を肩の穴へと差し込み、スーツの手首のあたりにあるレバーを握ろうとするが……やはり、片手がギリギリだった。思いっ切り片側に身体を寄せないとつかめない。両手は無理だ。
それでも、右手の「やっとこ」型の機具を操作してみる。何とか動かせた。しかし。
「おじいちゃん、腕が上がらないよ」
ツトムの筋力では、重い金属製の殻に包まれた腕は持ちあげられなかった。
「水中では浮力で重量は打ち消されるんだがな。さすがにツトムには厳しいか」
ヘルメット内のスピーカーから、ナガトの声が響いた。
「そんなぁ……」
がっくりするツトムだが、その時脳裏に閃いた。
……引っ越し屋のニーチャンが装着していた、強化外骨格。あれを応用すれば。
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