南の海のフローティア
原幌平晴
第一章 東京都特別区フローティア・ワン
第1話 母さん、今なんて?
「そりゃないよ、母さん」
母親の唐突な宣言に、福島ツトムは面食らった。
いや、普段から色々やらかす人ではあるけど、流石にこれは驚いた。思わず、ずり下がった黒縁のメガネを直す。
「大丈夫。お祖父ちゃんも喜んでるから」
「いや、でもさ、僕にも都合ってのが」
必死に抗議するが、まるで聞いてくれない。
「ほらほらいいから、さっさと荷物をまとめなさい」
今は春休み。
小学校を卒業し、来月からツトムは中学生。初めての「宿題の無い長期の休み」だ。ツトムとしては、色々やりたいことだらけだった。
すでに他界した父親の福島セイジは、高名なAI・ロボット工学者だった。そのため、ツトムは物心ついてからずっと機械やAIに強く惹かれていた。生前の父の熱心な手ほどきもあり、今やいっぱしのメカオタク。
自作の小型ロボットやらドローンなどで、あちこちのイベントに参加し、結構名を広めていたりする。この春も大きなイベントが企画されていて、当然参加するつもりでいたのだ。
そんな予定が、母親の海外転勤で全て潰れてしまった。
ツトムの母、福島マコは、大手の建設会社、いわゆるゼネコンに務める女性エンジニアだ。小柄で童顔だが、ツトムを母乳で育てた両胸は立派。
元々仕事熱心だったが、一人息子のツトムが小学校に上がって手がかからなくなり、五年前に夫のセイジに先立たれると、ワーカホリックに拍車がかかった。
ツトムを子守ロボットに任せて東奔西走の日々で、魔術でも駆使しているかのように仕事をこなしていくため、職場では「魔法のマコちゃん」と呼ばれているらしい。
もっとも、ツトムの方はすぐにその子守ロボットを分解改造して、遊び相手というより、悪戯の共犯者に仕立て上げたので、この親にしてこの子あり、ではあるのだが。
「フローティア、良いところよ。絶対気に入るから」
今朝も、簡単な朝食を用意すると、そう言い残して颯爽と出勤していった。
フローティアとは、マコの勤め先が赤道直下の洋上に建設した、人工島だという。
彼女もそのプロジェクトに関わっていたようだが、この時は本社での設計業務だけで、出張はほとんどなかった。これが四年前に完成し、今度は海外の別な大規模プロジェクトの現地リーダーに抜擢されたと言うわけだ。
その次期プロジェクトの前準備が終わり、いよいよ本格的な建設となるため、海外赴任となる。
「……参ったな。どうしようか、”くもすけ”」
ツトムは、足元にうずくまる子犬ほどのサイズの「それ」に話しかけた。
「そな、ママさんおらなんだら、この家におれへんのやろ? 行くしかないやんけ」
怪しい関西弁のオッサン声で答えるのは、かつての子守ロボットだ。
ツトムが八歳の時に魔改造して、クラウド上のAIとつないだので、”くもすけ”と名付けられた。
――もっとも、ツトムは「雲助」の本来の意味は知らない。興味のないことは知らなくても気にならないたちなのだ。
元は四本脚で歩く犬型ロボットだったが、ツトムが首の部分を拡張して胴体と両腕を追加したので、小さなケンタウロスのようになっている。頭部にはアンテナを兼ねた兎の耳のようなセンサーも付けた。
ちなみに、AIは父のセイジが開発中だったものだ。基本部分は出来上がっていたので、ツトムと対話しつつ一緒に成長した、言わば兄弟みたいな存在なのだが。
――どうしてこうなった?
「やっぱ、追い出されちゃうんだろうなぁ」
ツトムが母と住んでいるのは、母の勤め先の会社の社宅だ。ツトムが一人で住むわけにはいかないから、退去するしかない。
会社の方も、何年もの海外赴任の間、社宅を遊ばせておくわけにもいかないので、次の借り手が決まっているのだ。
そんなわけで、既に母マコの方は荷物を梱包済みだ。残っているのは備え付けの家具や家電、送るより現地で買った方が安い食器などだけ。
ハムエッグとトーストの朝食を牛乳で流し込むと、ツトムは”くもすけ”を連れて自分の部屋に戻った。
ツトムの部屋は、父の形見とも言える機材の山だった。ツトムが受け継いで五年経つが、今でも個人が持てる範囲を越えたものが大半だ。
ツトム自身はこの部屋を「工房」と呼んでいる。
PCにNC工作機械の数々。
特に圧巻なのは、超高速3Dプリンターだ。樹脂だけでなく各種の金属も使え、ミクロン単位の精度で三十センチ立方の物体を数時間で造形できる。”くもすけ”の胴体や両腕なども、これがあってこそ作れたと言える。
さすがに、等身大ロボットのような大物を一気に作るのは難しいが、ツトムが普段作る小型ロボットやドローンの部品なら、充分なサイズだ。
こうしたハイテク機材が、六畳ほどの洋間の大半を埋め尽くしている。そのため、ツトムの寝床はPCデスクの下だった。
一応、工作に使う金属粉などはPCの大敵なので、工作機械とは離して置いてある。
「これ全部運ぶの、大変だなぁ」
ぼやくツトムに”くもすけ”が突っ込む。
「プロに任せるんやな。勉強しまっせ、とかの」
関西で有名な「引越のナントカ」のことらしいが、ツトムは東京都民だ。
どうやらAIのくせに、関西に魂を引かれているらしい。何を食いつぶそうとしているやら。
とはいえ、十二歳の子供の力では、梱包すら無理だ。やはり五年前にこの家に引っ越してきた時のように、業者に頼むしかないだろう。
はっちゃけた性格の母親ではあるが、マコはツトムのためにかなりの引っ越し費用を用意してくれていた。あり難く使わせてもらおう。
ツトムはPCを立ち上げると、まずは参加するはずだったイベントに、出場辞退のメールを送信。こうした礼儀は、亡き父も厳しかった。
次に、祖父当てに荷物の送り先を訊ねるメール。これは、すぐに返事が帰って来た。祖父とは結構頻繁にメールを交わしているし、ツトムの状況は知ってるはずだから、意外ではなかった。
問題は引っ越し業者だ。何しろ、今まで全く縁がない。ツトムも、興味のない物事だから、何も知らない。
仕方ないので、ネット検索AIに「引っ越し業者」だけ指定し、結果結果を表示させてみたところ。
「あー、やっちゃった」
画面いっぱいに、CGの小人たちがワラワラとあふれ出て来た。
これら一体ずつが、引っ越し業者の見積もりAIのアバターだ。それらが一斉に喋り出し、熱心に売り込んでくる。
最近、ネットでも話題になっている、AI営業スクラムという問題だ。ツトムのPCは高性能だからまだいいが、少し劣る機種だと画面がフリーズしたりする。
もっと検索条件を絞り込めばよいのだが、予備知識が無いとこうなってしまう。
「そんなに一度に喋られると、わけわからないよ」
ツトムがぼやくと、”くもすけ”がツッコンで来た。
「音声をオフにしたらええのんちゃう?」
確かに、それで静かにはなった。
それでも、画面上には吹き出しの形で売り文句が流れ、3Dアニメーションを駆使したプレゼンで「当社のメリット」を訴える。判らない用語を指さして解説を表示させながら、ツトムは読み進めた。
そして、条件が合わなそうなアバターにはお帰り頂いた。CGの小人が、しょんぼり肩を落として画面から退場していく。
じきにお昼になったので、最近流行りのドローン宅配ランチを頼んだ。社宅の玄関先まで器用に飛んできて、収納ボックスに入れることろまで自動化されている。
収納ボックスから取り出したサンドイッチをパクつきながら、さらにツトムはAIの画面を見比べ、検討した。
そして、ようやく数時間後。
精密機械を扱った実績が豊富だという業者に決め、ツトムは申し込んだ。
「あー、一日が終わっちゃったよ」
窓から差し込む夕日が赤い。
マコの帰宅は大抵遅くなるので、ツトムは冷蔵庫から出した冷凍食品で簡単な夕食を取った。こんな時は、話し相手の”くもすけ”の存在があり難い。
* * *
翌朝、出勤するマコとほぼ入れ違いに、引っ越し業者の担当者が訪問してきた。
やり手のオバチャンという感じの女性だった。しかし、依頼主が十二歳の少年だということで、相当驚いたようだ。
彼女はツトムの「工房」で機材の寸法や重量を測り、契約を行った。
「送り先は東京都特別区フローティア・ワン第一埠頭五〇四、でよろしいですね?」
「はい。おじいちゃんがそこにしろというので」
荷物の送り先など確認のために送った祖父へのメールの返事に、この住所が指定されていた。おそらく、祖父の仕事場なのだろう。埠頭なので、向こうに着いてからの料金はかからないらしい。
祖父は昔、海自に勤めていた。四年ほど前に退官して、海洋調査などの仕事をしているらしい。
日本にいる時は、インドア派だったツトムを海に連れ出し、ダイビングを教えてくれた。
なので、ツトムは結構、お祖父ちゃん子だった。
「船便になるので、到着まで一週間ほどかかりますが」
女性担当者の言葉に、ツトムはため息をついた。
「……仕方ないですよね」
鉄筋コンクリートのこの社宅でも、床が耐えきれないかもしれないからと、母親が一階にこだわったほどだ。
それもあって、空路では金額がもの凄いことになる。
その日の午後、業者が派遣した運送係によって、ツトムの機材は綺麗に梱包されて搬出されて行った。
作業に当たった担当者は、強化外骨格を装備していた。腕や足腰などを補助する、フレームだけの装備だが、ツトムが興味津々だったのは、言うまでもない。
夕方。
作り付けのベッドを残して、何もかも運び出されてがらんとした部屋に立ち、ツトムはつぶやいた。
「この部屋、こんなに広かったんだな」
ドアから寝床に行くまでで、下手すると痣を作りかねない部屋だった。しかし、機材や机などが運び出されると、なかなか居心地の良さそうな空間が現れた。
ツトムのそれ以外の荷物は、デイバッグひとつに収まった。
「フローティアに行ったら、工作の場所と寝起きの場所、分けた方がいいね」
ツトムのつぶやきに、”くもすけ”が突っ込んだ。
「それやから、おじい殿は住居以外の場所を指定しなはったんやろ」
「まぁ、そうだろうね」
その日、マコママは珍しく早く帰宅し、久しぶりに夕食を共にした。その後は「滅多にない機会でしょ」と、遅くまで親子でビデオ鑑賞を強制された。
そして翌朝、ツトムは夜明け前に叩き起こされた。
「準備は終わったわね。それじゃあ、行くわよ!」
威勢のいいマコママに手を引かれ、五年間過ごした家を後にしたツトムだった。
その背中のデイバッグから顔を出して、”くもすけ”がささやいた。
「あんじょう安心せいや。わてがおるで」
……うん。君、なにもしてないけどね。
あえて声にせず、寝不足のツトムはつぶやいた。
そしてこれが、福島ツトム十二歳の、ちょっとした冒険の旅の始まりだった。
――しかし、やがて「ちょっとした」では済まなくなるのだが、この時の彼にも誰にも、予想できるはずもなかった。
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