渡る世間は悪ばかり

平中なごん

渡る世間は悪ばかり

「――もう、ほんとに警察の方々のおかげで命拾いいたしました。もし犯人が捕まっていなかったらいったいどうなっていたことか……犯人にはお気の毒でしたが、皆様にはまことに感謝しております」


 今日も朝からワイドショーでは、一躍、時の人となった和装の老婦人が自宅の門前で首から下だけを映し、多くの記者に囲まれながら淑やかにインタビューを受けている。


 取材情報によると、彼女の名前は胴元千代どうもとちよ


 子供はおらず、投資家の旦那に先立たれてからは独り淋しく暮らしているお金持ちの婆さまだ。


 それがつい先日、あわや詐欺師の若い男に財産をそっくり奪われそうになっていたところ、直前で捜査を進めていた警察にその詐欺師が逮捕され、辛くも危機を逃れたという幸運の持ち主である。


 ま、詐欺師にハメられそうになったのだから、幸運というよりは〝不幸中の幸い〟とでも言ったところか?


 なにせ、証券マンに扮した詐欺師の架空の投資話に乗せられたばかりか、親切な若者を演じる彼を気に入って養子縁組まで行い、あろうことか莫大な財産の相続人にしてしまったのだから。


 もしも詐欺師が逮捕されていなかったら、今頃、遺産目的で冷たい土の下……なんてこともあったかもしれない。.


 だが、なんとも人生というやつは皮肉なもので、実際に永遠の眠りについたのは逆に詐欺師の方だった。


 拘留中、ちょっと警官達が目を離した隙に、彼は自分のシャツで首を吊って呆気なく命を絶ってしまったのである。


 容疑者の自殺を許した警察の落ち度とも相まって、センセーショナルなこの事件の幕引きはよりいっそう世間の注目を集める結果となったわけだ。


 まあ、そんな予期せぬ不幸な結末はともかくとして、詐欺師にコロっと騙された老婆も老婆であるが、それほどまでにうまいこと取り入った詐欺師の腕前というのもなかなかのものである。


 『週刊武秋ぶしゅう』というマイナーな週刊誌の記者をやっている俺は、世間で注目を集めている〝危機一髪助かったラッキーガール(婆さんだが…)〟の胴元千代よりも、彼女を丸め込んだ詐欺師――鴫崎真しぎさきまことという男に対して興味を覚えていた。


 今さら他社同様、胴元千代を追っても勝ち目はないし、そうした商売上の理由からも、この視点のベクトルは間違っていないように思う。


 俺は、さっそく鴫崎真の巧妙な手口について取材を始めた。


 とはいえ、直接、警察に行っても門前払いを食らうだけだろうし、まずは胴元千代の豪邸がある高級住宅地に行って、彼女の暮らしぶりについて聞き込みを行うことにする。


 ご近所の人に話を聞けば、鴫崎の取り入った老婆の弱点がわかるかもしれないし、ひょっとしたら二人の出会ったきっかけなんかも知れるかもしれない。


 ところが、いざ現地に行ってみると、なんだか妙な方向へと話は向い始める……。


「――ああ、胴元さんね。ここんとこ、マスコミが毎日来てうるさいし、家の前の道も混雑してほんと迷惑してるのよぉ。テレビじゃあんな悲劇のヒロインみたいなフリしてるけど、今回だってほんとは自分の身かれ出た錆なんじゃないのぉ?」


 いまだマスコミ関係者がちらほらと目に留まる、その普段ならば閑静であろう高級住宅地を俺が訪れたその時、ちょうど庭の手入れをしていた胴元邸の斜め向かいに住む奥さんが、ひどく迷惑そうな顔をしながらも、反面、なんだか妙に協力的に自らいろいろと話してくれた。


 だが、その話によると、どうにも胴元千代の評判がよろしくない。


 ワイドショーや他誌では〝詐欺師に騙された善良で品の良い金持ちの老婦人〟という印象で語られているが、実際にご近所で聞いたイメージはそれと大きくかけ離れている。


 〝詐欺にあったかわいそうな老人〟などではなく、〝詐欺にあっても当然の、因業ババアな金の亡者〟とでも言わんばかりの雰囲気である。


「こっそり金貸しみたいなこともしてたようだけど、ドケチだし、とにかくお金に汚いの。最近、どうも株で大損出したらしくて、それからってものは特によ。詐欺師に騙されたのだって、その穴埋めしようとうまい話に飛びついたに違いないわ」


 なるほど。そういうことか……こいつは、思った以上にいい話が聞けた。


 表で言われているものとはだいぶ違ったが、これは俺の書こうとしているテーマにとって大きな収穫だ。


 つまり、鴫崎の詐欺があと一歩で成功するところだったのは、別に彼の腕前が優れていたわけではなく、目先の金に目の眩んだ胴元千代自身に原因があったというわけだ。


 いや、それどころか、もし本当にそんな経済状態だったならば、財産を狙うなんてとんでもない話であり、たとえ警察に掴まっていなくとも、鴫崎の計画ははなから大失敗に終わっていたことになる。


 有能な詐欺師どころか、とんだ道化者だ。


 そもそもがターゲットを間違えている間抜けな詐欺計画で命まで落としたとあっては、なんとも情けなさすぎて笑い話にもならない。


 哀れな鴫崎に同情の念すら覚えつつも、俺はさらにその界隈で聞き込み取材を続けてみる。


「ああ、うちにもかかってきたよ。時期からして……そうか、あれはあの犯人からだったのか。ま、よくある胡散臭い儲け話だったんで、話し途中ですぐに切ってやったがな」


「ええ。そりゃあもう、仲良さそうにしてたわよ~。傍から見てて、本当に孫か親戚の子かなにかと思ったくらい」


 すると、近隣の住人達にも鴫崎と思しき不審者からの投資を持ちかける電話があったようであるが、胴元千代以外は怪しんで誰も相手にしなかったこと、また、鴫崎よりも、むしろ胴元の方から積極的に彼と親しくしようとしていた節のあることがわかった。


 養子縁組までしたくらいだ。当初は金目当てで騙された振りをしていたものの、何をそんなに気に入ってしまったのか? 頻繁に胴元の家へ呼ばれて来る鴫崎や、親しげに彼を門前で見送る千代の姿が近所の人々によって目撃されている。


 だが、彼女の経済状況について裏をとるため、様々なコネを駆使して銀行などに当たってみた結果、さらに予想外の様相をこの事件は呈し始める。


「ええ。詳しいことは守秘義務で申し上げられませんがぁ……ま、相当お金に困っていたことだけは確かなようですね。あ、でも、その割には最近、高額の生命保険を契約されてますよ。ほら、例の義理の息子・・・・・さんに関してです」


「生命保険? 胴元さんが? 鴫崎が胴元さんにではなく?」


 取材ソースは明かせないが、とある業界関係者のぽつりと口にしたその言葉に、俺は思わず身を乗り出すとっ首を傾げて聞き返してしまう。


 なんと、胴元は鴫崎真に対して多額の生命保険をかけていたのだ。


 いや、鴫崎が胴元にかけるのなら話はわかるが、実際はその逆なのである。


 まあ、養子といえど息子であるし、家族に保険をかけること自体は特に不自然でもないのかもしれないが、普段からドケチな上に株で失敗したという人間が、突然、養子縁組した息子に多額の保険をかけた…となれば、怪しいこと限りない。


 鴫崎は病死や事故死ではなく、基本、支払いが免責される〝自殺〟だったので、今やそのお目当ての保険金も夢と消えてしまったようではあるが……もしや、鴫崎の詐欺話にあえて乗ってみせたのは、じつは初めっからそれが目的で……。


 そんな疑惑を抱いた俺は、直接、胴元千代に会って、それとなくカマをかけてみることにした。


 俺が銀行関係の取材をしている内にも世間の興味は薄れ、彼女の家の周りもだいぶ静かになっている頃であろう。


 昨日はまた新たな国会議員の〝不倫〟騒動があったことだし、きっと皆の注目はそちらに移っているにちがいない。


 ま、世のスキャンダラスなニュースなんてものは、得てしてそんなもんである。


「………………………………」


 案の定、その日の昼下がりに胴元邸を訪れてみると、周囲にマスコミ関係者の姿はまるで見あたらず、いたって静かな高級住宅街の日常を何事もなかったかのように取り戻していた。


 …………と、思った矢先。


「――クソっ! この因業ババアめ! 二度と頼み事なんか聞いてやらねえからなっ!」


「そういう口はきっちり耳揃えて金返してから言うんだね!」


 不意にそんな怒鳴り声が、武家屋敷のような門の内側より聞こえてきたのである。


 見ると、小太りな男が一人、背後を振り返りながら門前にいる俺の方へと庭の中の道を歩いて来る。


 また、彼が暴言を浴びせるその後方では、草色の和服を着た老婆が鬼のような形相を作り、ぴしゃりと乱暴に玄関の引き戸を閉めるところが見える。


 そういえば、まだ本人を直接拝んだことがなかったが、おそらくはその老婆がくだんの胴元千代なのであろう。


 チラっと一瞬しか見ることはできなかったが、やはりテレビに映っていた淑やかなイメージよりも、ご近所で語られている〝因業ババア〟という人物像の方がしっくりくるような気がする。


 一方、ドシドシと地団太踏むように足音を響かせながら、こちらへ向かって来る男は誰なのだろうか?


 ポケットのたくさん付いたアウトドア用のベストを着て、肩からは大きなクーラーボックスを下げている……明らかに釣り帰りと思しき中年男性である。


 いかにも〝特ダネ〟の臭いのするその男に、当然、俺は声をかけた。


「んん? ……ああ、兄ちゃんマスコミの人か。いやあよ。俺は釣りが趣味なんだけどな。あのクソババア、今度、トラフグ釣ってきたら借金の返済待ってくれるっつうから、せっかくこうして持って来てやったってのによう、今日になったら、んなもんいらねえから早く金返せって矢のような催促だ。自分は約束破っといて。それがカワイイ甥っ子に対する態度かってんだ!」


 身分を明かして事情を尋ねると、理不尽な仕打ちに憤っている彼は、ペラペラとこちらを警戒もせずになんでも話してくれた。


 どうやら彼は胴元千代の弟の息子らしいのだが、まだ彼女が株で大損をこく以前に金に困って100万ほど借りたのだそうだ……頼みの保険金がなくなった今、胴元としてはそりゃあ是が非にでも取り立てたいところであろう。


「なんでフグなんか食いたくなったか知らねえが、どうせフグ捌く技術もねえだろうし、運良く毒にでもあたって死んでくれりゃあ、俺の借金もチャラだったってのによう。そんな淡い期待もこれでパアだぜ……おっと、こいつはオフレコで頼むぜ? なあ、あんた雑誌の記者さんなんだろ? あの因業ババアが世間でいわれてるような善良な市民とはかけ離れた、血も涙もねえ金の亡者だってこと書い広めてくれよお」


 何やらそうとう溜まっていたのか? その甥っ子は茹でダコのように真っ赤な顔をして、言わなくてもいいことまで告白した挙句、俺に〝ペンの力〟の行使まで求めてくる。


 消極的とはいえ、フグ毒での殺害をあわよくば狙っていたのか……さすが親戚とでもいおうか、保険金目当ての胴元千代とどっこいどっこいだな。


 ……ん? フグ毒……いや待てよ。それって、ひょっとして……。


 甥っ子の勢いに思わずスルーしそうになってしまったが、その最もポピュラーな〝毒を持つ魚〟の名前に、俺はある可能性についてはたと気づく。


 ただの推測ではあるが……それならば、すべての辻褄が合う。


 要ると言っていたトラフグが要らなくなったのは、その毒を使うはずだった鴫崎が逮捕されたばかりか、もうこの世からもいなくなってしまったからなのではないだろうか?


 トラフグは世間一般によく食べられている高級食材の反面、その毒を取り除いて安全に食べるとなると、専門の免許を持った調理人以外では非常に難しい……そんなフグ毒ならば、調理を誤って口にしてしまったと言い訳することだってできるだろう……。


 そう……俺の推理が正しいならば、胴元千代は確実に保険金をせしめるために、鴫崎の具体的な殺害計画まで立てていたのだ。


 なんという皮肉であろう。まんまと騙されていたのは資産家の老婆ではなく、逆にその老婆に詐欺を働こうとしていた詐欺師の方だったのである!


 その真相に思い至り、俺はこの件を記事にするかどうか迷った。


 俺自身も驚いたくらいだから、ほんとに予想外の展開だ……確かにこれは大スクープであり、センセーショナルな話題になること間違いないだろう。


 …………だが、証拠がない。


 十中八九、そうに違いないとしても、なんの証拠もなしに記事にするのは名誉棄損で訴えられたりと後々面倒だ。大手さんならともかく、うちのような零細出版社では裁判費用すら出せやしない。


 そもそも「保険金目的で詐欺師を毒殺しようと考えていた」だけでは、罪に問われるかどうかさえも怪しい。


 そこで思案した挙句、俺は善良な市民の義務として、まずはこのネタを警察に持って行ってみることにした。


 警察が捜査して証拠を掴み、胴元千代がなんらかの罪に問われるようなことになったら、その時点で記事にしても他社を一歩リードできる。それにこうして恩を売っておけば、この先、いろいろと情報をリークしてもらえるかもしれない。


 我ながら、これは一石二鳥の良い思いつきである。


「――わかりました。それはわざわざありがとうございます……ああ、今入って来たのが担当の園下ですので、すぐにお取次ぎします」


 さっそく警察署を訪れ、窓口で婦警さんに要件を伝えていると、運良くも園下そのしたという事件担当の刑事がちょうど外出から帰って来たところだった。


「あ! 園下さん、海鴨うみかも生命の家地いえじさんという方が見えてますよ」


 しかし、今度は運悪くも俺の相手をしてくれた婦警さんよりも先に、別の警官がそんな伝言を正面玄関の方へ向かって告げる。


 と同時に、待合のベンチからダークスーツを着たメガネの痩せた男が立ち上がり、どうやらその園下らしき、グレイのジャケットを羽織る恰幅のよい刑事の方へと歩み寄って行った。


 先客がいたようである。これは、長いこと待たされることになるかな……。


 ……ん? 海鴨生命? ……って言ったら、鴫崎の……。


 だが、一瞬の後、園下にペコペコと頭を下げる、どこか神経質そうなメガネ男を眺めながら、俺はその社名に目を丸くする。


 そうなのだ。それは偶然にも胴元千代が鴫崎にかけた、あの生命保険の会社なのである。


 ……いや、偶然じゃないな。きっと胴元の計画に警察も気づき、そのことについて話を聞くため、海鴨生命の社員を署に呼んだのであろう。


 どうやら先を越されたらしい……すでにこのネタを警察が掴んでいるとなると、俺の思いついた計画もこれでご破算だ。絶好の機会だったのに恩を売ることもできない。


 でも、他社がまだ気づいていないのならば、早々記事にしてスッパ抜くってのもありか……。


 俺がそんなことを考えながら密かに見つめていると、園下達は連れだって、今帰って来たばかりだというのにまた署から出て行ってしまう。


 外で話をするつもりだろうか? ならば盗み聞きするチャンスもありそうだし、もしかしたら目新しい情報も手に入るかもしれない……。


 そう考えた俺は、こっそり二人の後を追うことにした。


 すると、署を出た二人は数分歩いて、あまり客のいそうにない静かな喫茶店へと入ってゆく。


 そういえば、なぜ署内で話をしないのかと少々疑問にも感じるが、ひょっとして事件とは関係なく、じつは個人的な保険契約の話をするだけだったり……。


 不意にそんな疑念にとらわれたりもしたが、ついてきてしまったので今さら手を引くのもなんだ。ともかくも無関係な客を装い、俺もさりげなく後から入店すると、通路を挟んで彼らのとなりの席に陣取る。


「――今回はどうもお世話になりました。これはほんのお礼です」


 だが、考える間もなくオリジナルブレンド・コーヒーを注文し、ダミーのライバル社週刊誌片手に耳をそばだてていたところ、なんだか妙なことを保険会社の男は言い出す。


 金?


 しかも、紙面に顔を向けつつ目だけを動かして見てみれば、男は園下という刑事の方へ、少々厚みのある茶封筒をそっと差し出しているではないか!


 それが、病気や怪我で下りた保険金を渡しているのでないことは、誰が見ても一目瞭然である。


 渡された茶封筒を園下は周囲を警戒しながら素早く懐にしまい込むが、その行動は明らかに〝人様に知られてはマズイ〟礼金であることを如実に物語っている。いわゆる〝袖の下〟というやつだ。


「いやあ、まさか屋上に逃げて転落死するとは思いませんでしたよ。殺される前に鴫崎を捕まえていただいたところまではよかったんですがねえ」


「シッ! 誰が聞いてるとも限らん。口はわざわいのもとだぜ? 家地さんよ」


 さらに二人は、すぐとなりで俺が聞き耳を立てていることとは露知らず、そんな聞捨てならない会話を声のボリュームを落としながらも続ける。


 確かに園下の言う通り「口は禍のもと」だ。まあ、もう俺が聞いちゃったので時すでに遅しであるが。


「んま、鴫崎を拘留中に逃がしたのはこっちのミスだ。幸い屋上へ逃げたことのに他のやつらは気づかず、ヤツが落ちるとこに出くわしたのは俺だけだったからな。事故死を自殺に変えるくらい、それほど苦労もなかったさ」


「いえいえ、大きな損失を出さずにすんで大変感謝しておりますよ。昨今は保険金の未払いを責められることも多いですし、あの因業なご婦人に訴えられたら、支払いを拒否できなかったかもしれないですからねえ」


「いずれにしろ、間抜けな詐欺師が何も知らずに、同じくおたくんとこで保険金騙しとろうなんざしてくれたことに感謝だな。でなきゃヤツの犯罪にも、ババアの計画にも気づけなかったろうよ」


 そう嘯くと、園下は刑事らしからぬ悪どい笑みを口元に浮かべ、フンと鼻を鳴らしてみせた。


 二人に気づかれぬよう努めてはいるが、その話の内容には思わず演技を忘れて彼らの方をガン見してしまいそうになる。


 今交わされた言葉から察するに、つまりはこういことか?


 報道ではそのことについてまったく触れられていないが、おそらく鴫崎も胴元同様、財産ばかりか彼女の保険金も狙って、同じ海鴨生命に契約を申し入れたのだろう。


 そこで、鴫崎の身辺調査を行った海鴨生命は、彼がプロの詐欺師であることを知り、また、胴元の方でも不審な多額の保険金を彼にかけていることへ注目する結果となった。


 ま、胴元が何かよからぬこと考えているのは明白であるが、それでもすでに契約してしまった後であるし、まだ何もしてない内から黒と決めつけるわけにもいかない。あくまでグレイであれば、胴元のやり方次第で保険金の支払いを拒否できなくなる可能性だってゼロではない。


 だから、より確実に胴元の保険金詐欺計画を阻止すべく、先手を打って警察に情報をリークすると、下手に殺されて支払いを要求されないよう、鴫崎を逮捕という形で保護してもらったというわけだ。


 警察としても詐欺師逮捕の手柄を立てられるし、まさしく〝WinWin〟の関係である。


 ……ところが、逮捕後に一つ誤算が生じた。


 命拾いしたとも知らずに往生際悪くも逃亡を図った鴫崎が、逃げた先の警察署の屋上から誤って転落死してしまったのだ。


 いくら保険金狙いで結んだ契約でも、被保険者が偶然の事故死ならば支払い拒否も難しいだろう。


 で、やむなく懇意にしていた園下に頼み込み、支払いが免責される自殺にすり替えてもらったという寸法だ。


 思うに、この海鴨生命の家地という男もただの社員ではなく、保険の調査員か何かなのではないだろうか?


 まったく、詐欺を働こうとしていた鴫崎と胴元も人でなしだが、事件の隠蔽を図ったこの刑事と調査員、そして、そのバックにいる保険会社も大した悪党である。あわよくば胴元の毒殺を狙っていた甥っ子もだし、この事件に絡んでいる人間に善良な者は一人もいないのか?


「どいつもこいつも、渡る世間は悪ばかりだな……」


 俺が呆れ返っている間にも、要件を済ませた悪党二人は早々に席を立って店を後にしようとしている。


 予想もしていなかった展開に、最早、記事にすることも忘れて呆然と佇んでしまう俺であったが、こちらも急いで代金を支払うと、彼らを追って外へと飛び出す。


 それでもなお怪しまれぬよう距離をとって尾行を続けると、交差点で二人は別れ、園下はいかにも懐が温かそうな様子で再び警察署の方へと帰ってゆく。


「園下さん!」


 それを見て、俺は一気に歩調を速めると、追いついて彼の大きな背中を呼び止めた。


「…!? …………誰だ? あんた?」


「はじめまして。私、週刊武秋の記者をしている者でして……」


 そして、突然、声をかけられ、厚顔に埋もれたちっちゃな目をパチクリとさせている悪徳刑事に、こちらの身分を口早に告げた俺はこんな提案をしてみる。


「さっきの話、全部聞かせてもらいましたよ。あ、なに、別に記事にしようてんじゃありません。その代わりといってはなんですが……俺にも一枚噛ませてもらえませんかねえ? もし胴元千代が何か言ってきたとしても、ぐうの音も出ないようにするいいネタあるんすけどねえ――」


                        (渡る世間は悪ばかり 了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

渡る世間は悪ばかり 平中なごん @HiranakaNagon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ