その3

 教科ごとの学習教室が並ぶ棟。キザムたちが進む二階には、理科実験室、調理実習室、視聴覚室が設置されていた。


 昼休みが終わる前に『大惨事』が起きたので、生徒たちはこちらの教室に移動することなく校庭に逃げたのだろう。廊下をはもちろんのこと、それぞれの教室にも生徒の姿は皆無だった。


「このまま廊下を突っ切って、反対側の階段まで向かうぞ。そこから一階に降りれば、保健室は目と鼻の先だからな」


 カケルが状況を素早く判断して、次に進むべき選択を下していく。


「このまま何事もなく保健室まで行ければいいけど……」


 キザムは廊下の窓から、ふと外に目をやった。ちょうど校庭が一面に見渡せる。校内から逃げた生徒たちの姿が見える。行事などが行われる際は、いつもは各学年ごとにきれいに整列して並ぶのだが、今は大きな集団の塊が校庭の中央に出来ているだけである。せわしげに行き交う人の姿が何人か見られた。おそらく教師たちが緊急時の対策の為に奔走しているのだろう。


「学校の外にはまだゾンビは現われていないみたいだよ」


 少しだけキザムはホッとした。ゾンビが校内を出ない限りは、外に逃げさえすれば助かることが分かったのだ。


 キザムが通う高校は、全校生徒が数百人の規模である。校庭の集団の数を見ると、七割から八割がたの生徒は無事に校庭に逃げられたらしい。つまり、残りの生徒はまだ校内で逃げ惑っているか、あるいは、すでにゾンビの餌食になってしまっているかの、どちらかであろう。


「ゾンビに噛まれなければ、ゾンビにならないんだよね?」


 先を歩くカケルの背中に訊いてみた。カケルならば知っていると思ったのだ。


「ああ、今回の『ゾンビカタストロフィー』の感染経路は、ゾンビに噛まれることによるものと限られているからな」


 背中越しにカケルが答えた。


「『ゾンビカタストロフィー』……?」


 おうむ返しに訊き返した。


「オレたちの時代では、今回の『大惨事』はそう呼ばれているんだ」


 カケルはもう自分の出自を隠すことはなかった。


「もっとも、感染経路は限られているけど、感染の力が異常に強くて、結局、世界中にゾンビが溢れることになるんだ」


「えっ、それじゃ、もう今からどんなに頑張っても、世界を救うことは無理ということなの?」


 カケルの言い方では絶望的な未来しか見えてこない。


「いや、まだそうと決まったわけじゃない。今出来る最善のことをして、これ以上感染が拡大することを防げれば、最悪な事態だけは避けられるかもしれない。ただし──」


 カケルはそこで思わせぶりに言葉を止めた。


「ただし、なんだっていうんだ?」


「ああ……ただし、オレの正体がキザムにバレちまったからな……」


「そんなの関係ないだろう?」


 キザムは当たり前のようにそう考えた。


「いや、そんな単純なことじゃないんだ。オレは本来この時代にはいない人間だ。それがこうして存在して、なおかつ正体までバレちまった。そのことによって、この世界に現在進行形で何らかの『変化』を起こしてしまう可能性があるんだ。その『変化』が果たしてどういう作用をもたらすのか、オレも正直なところは分からない。良い結果を生めばいいけど、もしかしたら、反対に『ゾンビカタストロフィー』を加速させる結果にもなるかもしれない……」


「それって、もしかして沙世理先生が言っていた『バタフライエフェクト』のことじゃ……」


「キザム! どうして『バタフライエフェクト』を知っているんだ? まさか、もう『変化』が起きているんじゃないだろうな?」


 カケルが驚いたように振り返った。予期せぬ事態を知ったためか、顔が強張っている。


「うん、実はそうなんだ……」


「そんな……どうして……」


「ぼくも上手くは説明出来ないけど……」


 そう前置きをしたうえで、キザムは沙世理にタイムループのことを話したことにより、沙世理もまたキザムと同じタイムループ現象に巻き込まれてしまったことを説明した。その結果、世界に目に見える形の『変化』が起きていることを伝えた。言葉足らずの箇所もあったが、カケルはしっかりと理解出来たみたいだった。


「そうか……もう『バタフライエフェクト』が起きてしまっているのか……。だとしたら、オレの持っている情報がどこまで通用するのかも分からなくなってきたな……」


 カケルは足を止めて、何やら深く考え込んでしまっている。


「カケル、もしかして、ぼくが沙世理先生に話したのが悪かったんじゃ……」


「いや、それは仕方ないことさ。あれだけの騒ぎが起きれば、誰だって人を頼りたくなるからな。ただ、相手が沙世理先生というのが……」


「──あら、それって私じゃ力不足という意味かしら?」


 廊下の先から、心外だわと言わんばかりの声とともに姿を現わしたのは、他ならぬ沙世理その人だった。

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