その2
「弁当の中身をじっくり見つめているけど、キザムはお腹が空いていないのか?」
カケルが弁当を凝視し続けるキザムに不審げに訊いてきた。
「えっ、う、う、うん……食べるけどさ……」
キザムとしてもそう答えるしかない。これ以上じっとしているとますますカケルに不安を抱かせてしまうので、ぎこちない手つきで箸を持ち、昼食を食べ始める。
「そういえば野球部の連中、やけに張り切って食堂まで走って行ったな」
何回も聞いたカケルのセリフ。
「野球部は放課後に他校との練習試──」
「今朝の朝練はいつもより厳しかったらしいから、お腹が空いていたんだろうな」
「えっ? それってどういう意味なんだ?」
思わずキザムはカケルの机の方に身を乗り出していた。
「だから、そのままの意味だよ。他校との練習試合が近いから、朝練も厳しいんだってさ」
「だって野球部の練習試合って、今日の放課後にあるはずじゃ……」
「ん? オレが野球部の連中に聞いた話じゃ、練習試合は来週って言ってたけどな。それとも、オレの聞き間違いだったかな?」
カケルが首を捻る。
「そんな……なんで……なんで、そうなっているんだよ……?」
キザムは箸を持った右手を空中で止めたまま呆然と呟いた。文字通り、食事も喉に入らない状態だった。
今まで三度、同じ世界を繰り返してきた。細部に違いはあったが、おおまかな世界の流れに変化はなかった。
それがなぜ、四回目のこの世界では、明らかにそれと分かるほどの大きな変化が起きているのか?
キザムのまだ知らぬ『何か』が起きているのだけは、ひしひしと肌で感じることが出来た。
いったいどうしたらいいんだ……? このまま、この世界の流れに身を任せてもいいのかな……?
キザムは昼食を食べ終えたらあの『大惨事』の発生地点である、二階の女子トイレに向かうつもりでいた。だが、今こうして未知の事態に直面していると、果たして、それが正しい判断なのかどうか心に迷いが生まれてしまった。
「なあ、カケ──」
いっそうのこと自分が経験した不可解な現象について、カケルにすべて話そうかと考えた。キザム一人の胸で抱えるには余りにも問題が複雑怪奇過ぎて、答えにたどり着く道しるべすら見付からない状況だったのだ。カケルならば何か良いアドバイスをくれそうな気がした。
でもその一方で、たった一人の親友をあの『大惨事』に巻き込むわけにはいかないという思いも変わらずにある。
「──なあ、キザム。もしも何か相談事があるんだったら、隠さずにオレに話してくれよな。友達が困っている姿を、黙って見ているのは辛いからな。なんだか今日のキザムはいつもと違うみたいだからさ」
キザムが初めて聞く、カケルの落ち着き払った静かな声。まるでこちらの心中の悩みや迷いをすべて分かっているという風な感じである。
「カケル……」
キザムの心が大きく揺れた。たった一人の親友をあの『大惨事』に巻き込みたくはないが、同時にカケルがいてくれたら、どれほど心強いか計り知れない。二人で力を合わせれば、あの『大惨事』を防げるような気がしてきた。それくらいカケルの言葉には信頼に足る響きがあった。
「ありがとう、カケル。そこまで言ってくれるなら──」
キザムが心を決めて、時間がループしている事について話そうと口を開きかけたとき──。
「キザムくん、薬はもう飲んだの?」
キザムに話し掛けてきた生徒がいた。クラス委員長をしている流玲である。
「──あ、流玲さん……。う、うん……今から飲むところだよ……」
キザムは慌てた手付きで通学カバンから薬を取り出した。流玲とキスをした記憶が頭にしっかりと残っているので、流玲の存在を前にして焦ってしまったのである。流玲の顔を正面から見ることが出来なかった。なんだか話しづらい雰囲気が出来てしまった。場の空気を変える為に、何も言わずに五種類の薬をまとめて飲み込んだ。
「これで薬はちゃんと飲み終わったから……」
キザムは一応確認の意味も込めて流玲に言葉を掛けた。
「──ねえ、キザムくん……」
キザムの声に返事をすることなく、唐突に流玲が意を決したような声を上げた。
「えっ……?」
流玲の声が余りにも思いつめたように聞こえたので、キザムは流玲の顔を見つめた。
「う、う、うん……ちょっと、大事な話があるから……それで、少し話せる時間がないかなって……」
何事にも動じずに常に落ち着き払っている流玲にしては、珍しく顔を俯けて言いづらそうにしている姿が印象的であった。
「おい、キザム。絶好のチャンスだぞ」
キザムの背中を指で突いてきたのは、言うまでもなくカケルである。
「えっ、うん、話しぐらいなら……いいけど……」
キザムも流玲の態度を見て、口ごもってしまった。この世界ではここからキスの展開に移るのかな、とつい頭の隅で不埒なことを考えてしまう。
二人の男女が淡い青春の1ページを刻もうとしていたとき、横から邪魔者が現われた。
「教室に土岐野くんはいるかしら? 話があるんだけど」
教室の前のドアから顔を覗かせて声を上げたのは、養護教諭の沙世理だった。
「は、は、はい! ここにいますけど!」
キザムは慌てて沙世理の方に顔を向けて答えた。
「あっ、そこにいたのね。良かったわ。悪いけど、大至急保健室まで来てくれる? 体調のことで確認したいことがあるの」
「は、はい、分かりました」
自分の身体の話となれば断るわけにはいかない。
「ごめん、流玲さん。先に沙世理先生と話をしてくるよ」
「ううん、いいの……。わたしの話はいつでも出来るから……」
寂しそうに首を振る流玲の姿が、妙にキザムの心に残った。
「それじゃ、話が済んだら、急いで戻ってくるから」
キザムが教室のドアへ向かおうとしたところ、背中に声を掛けられた。
「──キザム、沙世理先生には『気を付けた方がいいぞ』」
早口でそう言ったのは、誰あろう、たった一人の親友であるカケルだった。
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