第2章 セカンド・オブ・ザ・デッド

その1

「…………ム…………キザ…………ザム…………」


 遠くの方で自分を呼ぶ声が聞こえる。


「…………キザ…………ザム…………キザム…………」


 不意に体が前後に揺れ出した。瞬間的に目がぱっちりと開いた。


「──おい、大丈夫か、キザム?」


 目の前に心配げな表情を浮かべたカケルの顔があった。両手はキザムの肩に置かれている。どうやら肩を揺すられて、それで目を覚ましたみたいだ。


「えっ? う、う、うん……。だ、だ、大丈夫……だけど……」


 キザムは焦ったようにきょろきょろと周囲に目をやった。


 廊下に向かう男子生徒たち。机の上に弁当箱を広げて、おしゃべりタイムに入っている女子生徒たち。スマホに夢中になっている生徒の姿もある。


 いつもと何も変わらないお昼休みの教室の風景である。


「ここは……教室、だよね……? 天国じゃないよね……?」


 それでもまだキザムは困惑の中にいた。


「ああ、教室だよ。どこからどう見ても教室に間違いないぞ。ここが天国に見えたら、急いで眼科に行って、目を診てもらったほうがいいな」


「──そう、だよね……。でも、ぼくはさっき……」


 そこから先の言葉が続かなかった。なぜならば──。


「だって……ぼく、死んだはずじゃ……」


 そう言ったとたん、カケルが物凄い勢いでキザムの肩を揺すってきた。


「おい、キザム──本当に大丈夫なんだろうな? まさか体調が悪くて……」


 カケルが怒ったような声で言ってきた。本気でキザムのことを心配をしているのが声から分かった。


「う、う、うん、大丈夫だから……。夢の続きを見ていると思って……ちょっと、勘違いしただけだから……。本当に、それだけだから……」


 キザムは慌てて頭を振って、否定の意思を示した。


「そうだ、カケル。ぼくの首筋を見てくれるかな? 何か変な傷跡とかない?」


 カケルの方に首筋を向けた。


「首筋がどうかしたのか? ひょっとしてキスの痕でも見せ付ける気なのか?」


「ち、ち、違うよ……。そんなんじゃないから!」


「分かっているよ。キザムが誰かとキスするなんて考えられないからな」


 それはそれで悲しいが、今は首筋をチェックしてもらうことが大事なので、あえてツッコまないことにした。


「うーん、別に気になるような傷はないけどな……」


「うん、ならいいんだ……」


 首筋に傷がないのならば、沙世理に噛み付かれたというのも、やはり夢の中の出来事だったのだろう。



 もしかしたら、悪い夢でも見ていたのかもしれないな……。



 釈然としない思いもあったが、これ以上考えても答えは出そうにないし、何よりもカケルを心配させたくなかったので、この話題について考えるのはもう止めにした。


「そうか? 大丈夫ならばいいんだけどさ……」


 カケルはそれでもまだ半信半疑の表情を浮かべている。その顔が廊下の方に向けられた。


「今日は野球部の連中、やけに張り切って走って行ったな」


「野球部は放課後に他校との練習試合があるみたいだから、エネルギー補給が欠かせないんだと思うよ」


 キザムもカケルの視線につられるようにして廊下の方に目を向けた。だが、すぐその後で、同じような言葉を前にもつぶやいたことがあるのを思い出した。



 あれ? この感覚は何なんだろう? これって正夢なのかな……?



 ざわざわと胸が波打つ感覚が走った。夢の話題は忘れようとしたのに、なぜか頭の隅に張り付いて、いっかな消えてくれそうにない。


「それじゃ、おれたちも午後の授業に向けて、エネルギー補給をしないとな。さあ、ご飯を食べる準備をしようぜ」


 カケルが手に持っていたコンビニのビニール袋を机の上に置く。


「ああ、そうだね。ぼくもお腹が空いたよ」


 カケルの話に合わせるように、キザムも通学カバンから弁当箱を取り出した。机の上に弁当を広げる。母親お手製の弁当である。


「おっ、相変わらず、キザムママの作る弁当は美味しそうだよな」


 カケルはキザムの隣の席に座り込むと、キザムの弁当箱を覗き込むようにした。


 キザムの弁当はただの弁当ではなかった。キザムの身体のことを考えて、母親が栄養に細心の注意を払って作った特別な弁当なのだ。今日はキザムの大好物である卵焼きが入っていた。


 しかし、カケルの言葉にキザムはすぐには反応出来なかった。弁当箱の中に入っている卵焼きに視線が釘付け状態だったのだ。



 あれ、この卵焼き……前にも見た覚えがあるけど……。でも卵焼きはよくお弁当のおかずに入っているから、ぼくの勘違いなのかな……? 



 キザムは弁当箱の中に入っていた卵焼きから、なぜか目が離せなくなっていた。


「どうしたんだ? また考え事か?」


 カケルの声に気遣うような響きがこもった。


「あっ、違う違う。大好きな卵焼きが入っていたから、それでちょっと気が取られただけだよ」


 キザムは急いで卵焼きから目を逸らした。


「──それよりも、キザムの今日のお弁当はもしかして唐揚げ弁当? しかも大盛りサイズのやつ?」


 場の空気を埋めるように、なんとなく質問していた。


「おっ、よく分かったな。大正解だよ! これがオレの口には一番合うからな。キザム、おまえ、ひょっとして予知能力でも開花したのか?」


 カケルがビニール袋から取り出したのは、たしかに大盛りサイズの唐揚げ弁当だった。もっとも、カケルは一週間のうち三度は同じ弁当を持ってくるので、予知能力がなくてもかなりの高確率で当てることは出来る。


「それじゃ、オレたちもさっそくランチタイムに入るとするか」


「そ、そ、そうだね……」


 キザムとカケルは学校生活の中で一番の至福の時間に突入した。しかし、キザムは胸に生まれた違和感のことが気になってしまい、昼食にまったく集中出来なかった。



 何だろう、この感覚は……? 何かがおかしい気がする……。何かがズレているような気がする……。



 パズルのピースの形はたしかにちゃんと合っているのに、大きさが少し違って、無理やり台紙に嵌め込んでいるような感じがした。


「そうか、野球部は放課後に試合があるんだ。オレたちはどうする? 野球部の──」


 唐揚げ弁当をきれいに平らげたカケルが話し掛けてきたが、最後まで言い終える前に、キザムは横から口を挟んでいた。


「試合を冷やかしでもいく?」


 自分が発したというよりも、記憶にある言葉が口を突いて出てしまったという感じだった。


「おっ、なんだよ、キザム。オレの心が読めるのか? 予知能力だけじゃなく、テレパシーの力まで開花したのか?」


 カケルがうれしそうな笑顔を浮かべる。見る人すべてを明るくさせてくれる、そんな気持ちの良い笑顔だった。



 この笑顔……夢の中で見た笑顔と同じだ……。



 途端に、胸のざわめきが大きくなった。



 待てよ。ていうことは、この後の展開は──。



 キザムは焦ったようにある一点に向けて視線を飛ばした。果たして、視界に姿を見せたのは──。



 やっぱりそうだ。ぼくが想像した通りの展開だ。いや、違う。ぼくが想像したんじゃなくて、ぼくが夢で見た展開と同じなんだ!



「あっ、キザムくん……。あの、薬はもう飲んだの?」


 突然自分に向けられた視線に驚いたのか、少し言葉が詰まった様子を見せたのは、クラス委員長をしている今宮流玲であった。


「う、う、うん……今から、飲むところだよ……」


 キザムは通学カバンの中から急いで薬を取り出した。薬は全部で五種類ある。いつもは順々に飲むのだが、五種類の薬をまとめて口に入れると、水筒に入れてきたミネラルウォーターで一気にお腹へと流し込んだ。


「これで薬はちゃんと飲み終わったから」


 キザムは流玲に声を掛けると、イスから立ち上がった。


「それじゃ、ぼくは保健室で休んでくるよ」


 まるでその場から逃げるようにして、教室のドアへと早歩きで向かった。頭が混乱し過ぎて、これ以上正常に話すことは精神的に無理そうだと自分で判断したのである。



 とにかく、少し保健室で休もう。きっと頭が疲れているだけなんだ。少し休めば元に戻るはずさ。



「あっ、キザムくん……」


 不意に背後から流玲に声を掛けられた。


「えっ、なに? 午後の授業には遅れないようにするから」


 慌てて後方を振り返ると、そこにはなぜか顔を俯けている流玲と、イスに座ったまま意味深な笑みを浮かべるカケルの姿があった。


「あっ、えっ、う、ううん……なんでもないの……。そうだね、午後の授業に遅れるようだったら……わたしから先生に話しておくから……それだけ言いたいと思って……」


 委員長らしくないどこか途切れがちな口調だった。


「うん、流玲さん、いつも本当にありがとう。ぼくは大丈夫だから」


 委員長の態度も気になったが、結局そのことには触れずに保健室に向かうことにした。


「……から……室に……ちゃえば……だよ……。ちゃん……自分……持ちを……えない……」


 後方からカケルが流玲に話している声が聞こえてきたが、声量が小さすぎて内容までは聞き取れなかった。

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