第五十六話 引きこもりと記憶喪失

「記憶がない……」

 

 俺はベッドの上でそう呟いた。


「俺は誰だ……?」


 朝目覚めたとき、自分の中身が空になっているような感覚に襲われて俺は呆然としていた。

 記憶がないのだ。具体的に言うと三か月分くらいの記憶がない。

 

 なぜ三か月分なのかそれは分からなかった。俺は一体三か月間何をしていたんだ……?


 とりあえず、ここは俺の家らしかった。

 随分大きな家だ。俺の家はお金持ちなのだろうか。うーん……思い出せない……


 お腹が空いている。朝ごはんの時間だ。

 俺はベッドから起き上がると部屋を出た。



「えっ……?」

「えっ……?」


 階段を下りた先には謎の女性がいた。

 長い黒髪の綺麗なお姉さんだ。なんというかその……スタイルがものすごくいい人だった。


「えっ……誰?」


 でも誰だ? 思い出せない……

 俺がそう聞くと、どうやら向こうも俺のことを知らないようで首をかしげていた。


「キミこそ誰……?」

「え、ここ俺の家じゃないんですか?」

「ここ私の家じゃないの?」


 もう訳が分からなかった。え、この人も記憶喪失? どういうこと?


「もしかしてお姉さんも記憶喪失なんですか?」

「え、ええそうよ……もしかしてキミも?」

「あ、はい……」


 大変なことになった。同じ屋根の下に記憶喪失の人間が二人もいるなんて……

 というか本当に誰なんだろうこの人。すっごい美人だ。


「俺たち、家族なんですかね?」

「うーん……」


 俺の言葉に、お姉さんは首を傾げた。


「キミと家族だったらなぜかすごくうれしい気がするけど……なんとなく違う気がするわ……」


 このお姉さんと家族じゃない? じゃあなんで同じ家に住んでるんだ? どういう関係?


「ちょっと、あんたたち誰⁉」


 二人で首をかしげていると急にそんな声がして、俺たちは声の方を振り返った。


「「……誰?」」


 そこにいたのは髪の短い健康に肌の焼けた少女だった。彼女は驚いたように俺とお姉さんを見ている。


「この家の人⁉ あたし、なぜだか記憶がなくて……あたしのこと、なにか知りませんか?」

「「……」」


 俺とお姉さんは顔を見合わせた。



「ちょっと状況を整理しましょう」


 俺たちはテーブルを囲って座っていた。机の上には紙とペンが置かれている。


「私たちは今、全員記憶喪失のようね」


 凄まじく美しい字でメモを取りながら、お姉さんがそう言った。


「それで、同じ家で目が覚めた」

「そうだね」


 俺と謎の活発な少女もそれぞれそう答えた。

 なぜか活発な女の子にものすごい親しみを感じる。家族同然の気配がする。


「まずは俺たちの関係性を確かめたいですね」


 見た感じ俺が一番若そうだったので、俺は敬語でそう提案した。


「そうね」

「そうだね、あたしも賛成」


 二人が頷くのを見て、俺たちは改めてお互いの顔を見回した。


「俺たちって……家族なんですかね?」

「そこなんだけど……あたしたち、あんまり似てないよね……」

「髪色も違うのよね」

「でも俺、特にあなたとはなんか親しみを感じるんですよ」

「あ、それあたしも……なんか君とは親しい関係だった気がする……」


 俺と同い年ぐらいの女の子はお互いに見つめ合って、そして照れくさくてすぐに顔を逸らした。やけに気恥ずかしかった。


「な、なんか照れるね……」

「そうですね……これは家族の照れ方じゃないかもしれないですね……」


 え、じゃあ俺とこの女の子って一体どういう関係なんだろう……もしかして『そういう』関係ってこと?


 俺、こんな可愛い子といい感じなの? マジで?


「ちょっとまって、それなら私も……」


 俺と活発系女子が微妙な雰囲気になっていると、黒髪ロングのお姉さんも顎に手を当てて何かを思い出したようなそぶりを見せた。


「私も少年を見るとムラムラする……」

「いやそれ違う感情!」


 思わずそうツッコんだ瞬間、俺の脳内になにか電流のようなものが流れた。

 この感覚……この感覚はどこかで……

 

 掴みかけた記憶の断片は、しかし明確な形を成す前に崩れ落ちていった。


「設定……三か月……エターナル……うっ……頭が……!」


 何かを思い出そうとして、俺は激しい頭痛に襲われた。


「それに私……すごい美人で金持ちで名家の出身だった気がする……」


 その間にもお姉さんはそんなことを言っていた。

 それを聞いていた活発少女がイラついた表情に変わっていく。


「あたし、自分が誰かとかはまだ思い出せてないけど、なんとなくあなたのことは嫌いな気がする」

「それは私もよ」

「……」

「……」


 テーブルをはさんで、記憶喪失同士美女がにらみ合っていた。


「ちょ、ちょっと二人とも……」

「今何か思い出しそうだから少年は黙ってて」「今君は黙ってて」

「はい……」


 そのやり取りをした瞬間、またなにか電流のようなものが俺の脳内を駆け巡った。

 それはどうやら俺以外の二人も同じだったようで、二人も辛そうに頭を押さえていた。


「やっぱり……家族がじゃない気がするわ」


 お姉さんが呻くようにそう言って、日焼け少女の方を見た。


「家族なら、私たち二人とも巨乳のはずよ」

「誰が貧乳じゃいッ!」


 素晴らしい速度でツッコむと共に、少女のビンタがお姉さんに炸裂してお姉さんがぶっ飛んだ。

 そのままお姉さんはリビングを横切り、庭に続く大きな窓ガラスに突っ込んだ。


 ガッシャーーーンッ!!


 轟音と共に窓ガラスが砕け散り、頭部から流血したお姉さんが庭で痙攣を始めた。


「はっ……!」


 ビクンビクンと体を跳ねさせながら、お姉さんがなにか決定的なことを思い出したように目を見開いた。


「思い……出した!」


 血達磨のまま立ち上がると、お姉さんは猛烈な勢いで部屋に突入してきた。いやこわいこわいこわい!


「鏡太くん! 私よ私! 秋洲香波!」


 俺の肩をがっちりと掴んで揺さぶりながら、お姉さんはそう叫んだ。

 鏡太? 秋洲香波? その名前どこかで……


「覚えてないの? 鏡太くんのフィアンセよ!」

「いや違うだろ! ……はっ⁉」


 俺はツッコミと共にすべてを思い出した。


「そうだ……俺は八咫野鏡太! お姉さんはお姉さんだ!」


 なぜ忘れてたんだろう……というか忘れられてたんだろう……誰のせいだ?


「じゃあ……」


 俺とお姉さんはリビングに立ったままの少女に目を向けた。


「夏南!」


 そうだ、彼女は四季山夏南! 俺の幼馴染だ! 親しみを感じるのも無理はない!


「……きょーくん?」


 ぼんやりとした表情で、夏南はそう呟く。


「それに秋洲香波……はっ⁉」


 どうやらすべてを思い出したようだ。


「そうだ、あたし四季山夏南だ!」


 彼女がそう叫んだと共に、俺たちはぐったりとその場にへたりこんだ。



「いやあ、大変なことだったなあ」


 俺は自室に戻りながら、思わずそう呟いた。

 思い出せたからよかったものの、一時はどうなることかと思った。これでいつもの日常に戻れる。


 とりあえず着替えようと思って、俺はクローゼットの扉を開いた。


「……」

「……」


 冷華さんが中で体育座りをしていた。


「……わたくしは、一体誰なのでしょうか……あなたの愛の奴隷だということ以外はなにも思い出せません……」

「もうええわ!」


 そんな声が俺の部屋に響き渡った。


 とりあえず、俺の日常に変わりはないようだった。

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