第五十一話 ツンデレハーフと失われたスコア ①

「スコアを探してほしいんです」

「はあ……」


 わたしは突然の申し出に困惑した。


 二月も近づこうかというある冬の日、『Hell』の部室にやって来たのはギターを背負った女子生徒だった。


「スコアって……楽譜ってこと?」

「そうです、そんな感じです」


 まだ寒い。わたしたちは古いヒーターの前で(エアコンは古すぎて使いものにならない)顔を突き合わせていた。


「……というか、本当に悩みを解決してくれるんですか?」


 荒れ果てた部屋を見渡しながら彼女が疑わしげにそう言った。まあ無理もないだろう……

 

 今日は沙汰島先輩も与太島先輩もいないからまだいい。


「もちろんですよ。実績は確かなの」


 半ば自分に言い聞かせるように声に出してから、わたしは改めて目の前の女子に向き直った。長い前髪からちらちらと目が覗いている。カラーコンタクト。


「……まあいいや、なんでも」


 ピアスや派手なアイラインで飾っている割にはあどけなさが残る顔の女生徒は、言葉の奥に焦燥をにじませた。


「それ、ギターですよね。あなたはバンドサークルに所属してるのかしら?」

「あ、これベースです」

「……そう」


 隣においた黒いケースをポンポンと叩きながら彼女は真顔で返答した。


「それで、スコアを探してほしいってどういうこと?」

「あ、えと、それはですね……」


 ギター……じゃなくてベースを叩く手を引っ込めると、彼女はやや神妙に話を始めた。



「て、うぉぉぉぉおおおおい!!」

「いいぞ! いい声だ八咫野! 声が大きいことはいいことだ!」

「う、浮いてる! ほんとに浮いてる!!」

「当然だろう! 浮力計算は完璧だからな!」


 冷風吹きすさぶ川の上で、俺は発泡スチロール製のイカダに乗せられていた。

 前に乗った大柄な男が


「面舵いっぱいだ!」

「舵なんてないですよ部長」

「ぬ? そういえばそうだったな」

「もうやだ陸に戻りたい……」


 なぜこんなことに……

 不安定な筏の上で肝を冷やしながら、俺は現実逃避をするように事の経緯を思い出していた。



「そろそろ四年生は卒業の時期じゃないですかあ」

「そうね」

「それでうちのサークルはこの時期になると、卒業する先輩が最後のライブをするんですよ」

「なるほど」


 妙にゆったりしたテンポで、目の前の彼女は話している。


「それでウチは斉山さいやま先輩のバンドに誘ってもらっててぇ」

「ええと……」


 わたしは彼女の話を遮った。いまいち要領を得ない。


「あなたは……」

「あ、宇津木うつぎです」

「じゃなくて、宇津木さんは四年生じゃないんですか?」

「え、そんなわけないじゃないですか」

「……」


 知らないわよ。


 めんどくさくなってきたわ……適当に八咫野アイツに投げちゃおうかしら。

 と、そういうわけにはいかない。彼は今確かイカダで川を下っているんだった。

 はあ……やるしかないわね……

 

「で、斉山さんって人は四年生なのね?」

「はい、だから次のライブが最後なんです」


 ようやく話がまとまって来た。


「それで、来月の本番に向けて練習を始めようとしたんですけど――」


 宇津木さんはそこで、ぼんやりとした表情を多少引き締めた。


「斉山先輩がスコアを失くしてしまったんです!」

「……はあ」

「……なんですかその反応。すっごい大変なんですよ」

「と言われましても……」


 いまいち話の全容が知れないので驚嘆のしようもない。


「ラストライブのための新譜を失くしてしまったんです……」

「でも、一度書いたんでしたら曲は覚えているでしょう?」

「だめですよう! 斉山先輩は完璧主義なんです! 『メロディーは一期一会。手放したら二度と出会えないのさ』ってよく言ってますし……」

「……」


 わたしの中の斉山像が出来上がりつつあるが、しかし好きになれそうかと問われればそんなことはないかもしれなかった。


「だからすっかりやる気をなくしちゃって……このままじゃラストライブを欠席して卒業ってことに……」


 言いながらその事実の恐ろしさを実感し始めているのか、宇津木さんは青ざめた。


「だからお願いします! スコアを探してください!」

「そうは言われても……どの辺に落としたとか知らないと探しようもないわよ?」

「? それがみなさんの仕事じゃないんですか?」

「……………………」

「じゃ、そういうわけで! 前金を渡しておきますね! なんか気にあることとかあったらウチに」


 依頼を受けるかどうかもまだ決めていないのに、宇津木さんは封筒をテーブルに置いて部室を飛び出して行ってしまった。


「…………はぁ」


 何度目かの溜息だ。これ、わたし一人でやらなきゃいけないのかしら。


 静寂の部室で、わたしは一人ぼんやりとストーブを眺めていた。



「ほ、ほんとに俺でよかったんですか? イカダなんて人生で初めてですよ!?」


 流れに逆らえずさながら遊園地のティーカップのごとく水面でぐるぐるまわるイカダの上で、俺は前に座って竿をさしている大柄な男性に問いかけた。

 この人は『探検部』部長の牛飲うの先輩だ。背中が広すぎて壁みたいだ。


「? おかしなことを言う奴だな。俺も舞鯛まいだいも初めてだぞ?」

「はい? イカダ川下りの大会に出るとかって聞いたんですけど……?」

「そうだが?」

「はじめてやるから意味があるんすよ、八咫野くん」


 言葉を失う俺に、今度は後ろに座った舞鯛まいだいくんが気だるげに返答した。同期なはずなのにものすごく達観している気がする……


「いやあ、しかし助かった! 三人一組が出場要件なんだが、一人が洞窟調査中にクマに遭遇して怪我をしてなあ……他の部員も活動でいないもんだから、舞鯛が助っ人を見付けて来た時には安心したぞ」


 豪快な笑うと、牛飲先輩はぐっと竿をさした。筏はそれだけで方針を取り戻す。


「む……慣れてきたな」

「この調子っすね、部長」

「なんで平然としてんの……?」


 ついていけない。というかなんだ『探検部』って……

 話を聞く限りかなりアグレッシブな活動をしているようだけど……


「というか、クマと遭遇して怪我で済んでる人の代役が俺なんですか……?」

「しかたないっすよ八咫野くん。君が『Help』じゃ唯一の男なんすから」

「まあ……そうだけど……」

「あんたの男らしさにほれ込んでの依頼っす」


 男、らしい……?


「見る限り、かなりの男気の持ち主っすよね? そう思いませんか、部長?」

「ヨー! ソロー!」

「ほら、部長も認めてますっすよ?」

「そうかそうか……まあ、そういうことならぁ……なるほど俺が、男らしいかあ……しょうがないなあ……」

「……御しやすいっすねぇ。ほんとは見た感じあの『Help』じゃ一番弱そうだから依頼できたんすけど」

「? なんか言った?」

「いや、なんでもないっすよ」

「おう、悪いが二人とも、このままいくと岩にぶつかって川に落ちる」

「え!?」

「おいーっす」


 三秒後、俺たちは豪快な水しぶきを上げながら冬の川に墜落した。


 (こんな調子でで大会になんて出られるのか……!?)



 流れに体を取られないように必死で泳ぎながら、俺は不安と冬の川の冷たさに震えた。

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