第二話 空き巣と朝食

 あれほどの状況の中でも寝ようと思えば寝てしまえるもので、久しぶりに気持ちのいい朝を迎えてしまった。


「いない……」


 昨晩俺に覆いかぶさるようにしていた全裸の空き巣のお姉さんは、いつの間にかベッドからいなくなっていた。さすがに帰ったか……


「はあ……」


 誓ってお姉さんに手出しはしていない。ほんとだからな!


 見慣れた天井をぼんやりとながめながら、俺は胸がざわつくのを自覚していた。

 昨日の出来事は夢だったのだろうか。引きこもり始めて半年が経ち、あまりの寂しさに俺の脳が生み出した幻想だったのではないか。幻想で生み出すのが巨乳で空き巣の美女だというのがいよいよ限界という感じだったが、しかしそれでもそうだな……


 楽しかった。


 もはや絶望しかないように思えた人生に、氷のように冷たい水をバケツでぶっかけられたような気分だ。目が覚めるようなイベントだった。


 でもそれももう終わりか。


「腹減ったな」


 久しぶりに食欲のようなものが湧いてきて、俺はのそりとベッドから起き上がった。


 部屋の扉を開け、


 一階へ続く階段を降りる、

 

 お姉さんが台所で料理していた。



「おはよう少年。いい朝ね」

「……なんでいるんですか」

「ちょっと冷えるわね。このお家は風通しがいいから」

「あんたがガラスぶち破ったからでしょうg――げほっごほっ……!」


 勢いよくツッコみすぎてむせ込んでしまった。


「ほら、無理しないの。お茶入れたから飲みなさい」


 そっと湯気が立つ湯飲みを差し出してくるお姉さん。気が利くじゃないの……

 ずずず……


「って、なんでまだいるんですか!」


 のども潤ったところでツッコみ直す。


「いい声になったわね」


 そしてどことなく満足そうなお姉さんだった。なんでだよ。


「帰れよ!」

「あら、いいの?」


 語気を強める俺に対して、お姉さんはなぜか強気だ。意地の悪い目でこちらを覗き込むようにした。

 その妖艶ともいえるしぐさに俺は少したじろいだ。


「おねえさんと『いいこと』したくない……?」

 

 お姉さんはわざとらしく前かがみになって上目遣いになった。

 緩い服を着てるから、その……谷間が……


「ぐっ……し、したくない……」


 しかし俺だって紳士の端くれだ。そんなわかりやすい誘惑には引っかからない。


「じゃあ……いけないこと、したい?」


 うっ……! 同じ意味に聞こえる……! 巨乳のお姉さんが言うと『いいこと』も『わるいこと』も同じ意味に聞こえる!


「し……したくない!」


 偉い! 俺偉い! よく誘惑に勝てました!


「ふぅん……」


 意味ありげな視線を投げかけたまま、お姉さんは体勢を戻した。


「まあ、一晩中裸でいたのに指一本触れてこない甲斐性なしだもんね、少年は」

「う、うるさいやい!」


 自分でも情けなく思ってるもん! でも俺は紳士だから! 紳士だから! 


「とりあえず、ご飯食べましょ。少年もお腹が空いてるでしょ」

「いやそれカップ麺じゃないですか……」


 さっきからちらちら見えてたけどそれ棚の中に入れてたカップ麺ですよね。朝から?


「おいしいじゃない、カップ麺」

「まあそうですけど……」


  いそいそと容器にお湯を注ぐと、お姉さんは我が家の食卓にカップ麺を運ぶ。なんでそんなに自然体なんだよ。ここ俺の家だよね?


「三分待ちましょう!」

「……」


 わくわくしながらカップ麺の前で手を合わせるお姉さん。もしかしたんあんまり食べたことないのかな。俺もそんなに食べるわけじゃないけどね。


「あの、本当にわからないんですけど、なんでうちなんかに侵入したんですか」

「昨日言ったじゃない、はらぺこだったのよ」

「いや意味不明ですよ」

「そうかしら」


 お姉さんはカップ麺から目を離さずにそう返した。時折タイマーを見てはちょっとがっかりしたような表情になる。


「見たところそんなに貧しそうにも見えませんよ」

「そうかしら」

「それに、食べ物もお金も昨日渡したじゃないですか。置いておいたお金もそのままですし」

「そうかしら」

「聞いてます?」

「そうかしら」


 聞いてなかった。


「だぁーもう! いくら見てたって時間は縮まりませんよ!」


 じれったくなって俺はタイマーをひったくった。


「あんっ!」


 抗議の声(喘ぎ?)を上げるお姉さんを無視して、俺は話を続ける。


「ですから! さっさとこの家から出て行ってほしいんです! 迷惑なんですよ!」

「それはできないわ」


 少ししょぼんとした様子ながらも、お姉さんは頑なな口調でそう言った。


「通報なんてされたら終わりだもの。私は少年の口封じをしなくちゃいけないの」

「通報するつもりなんてありませんよ。するならとっくにしてますって」


 それに……

 俺は補足した。


「その『少年』ていうのやめてくださいよ。そんな歳でもないし」

「あら、いくつなの?」

今二十歳はたちで、今年で二十一です」

「全然見えないわね、高校生ぐらいに見えるわよ」

「お姉さんも二十g――」

「とうっ!!!」

「あぶねっ!?」


 目を潰さんと飛来した箸を間一髪で避けて、俺は言葉をつぐんだ。地雷だったらしい。


「なんて呼んだらいいのかしら?」

「正体の分からない空き巣に自分の個人情報を教えると思います?」

「教えたらいいことしてあげる」

八咫野鏡太やたのきょうたです」


 しまった……! つい口が滑った……!


「よく言えたわね、偉いわ」


 そう言ってお姉さんは立ち上がって俺の頭を撫でてくれた。くっ……悔しい……『いいこと』が期待したものと違っていたのにそれでも現状にかなり満足している自分がいるのが悔しい……! 男ってほんとバカ!

 凄まじく恥ずかしいので誤魔化すように声を発する。


「お、お姉さんは確か秋洲さんでしたよね」

「誰が空き巣よ!」

「いやあんた空き巣で間違いないだろ」

「そうでした」


 すん……と椅子に座り直すお姉さんだった。悪いことして飼い主に怒られる犬みたいだった。


秋洲香波あきすかなみよ。よろしくね鏡太君」

「よ、よろしくおねがいします……?」


 なんで空き巣とちゃんと挨拶してるんだろう……


「そういえば鏡太君は一人で生活しているのかしら? それにしては少し広いお家ね」

「…………」


 俺は思わず黙り込んだ。お姉さんもポンコツながら何か察したらしく、俺の反応を見て少し神妙な表情になった。


 気まずい沈黙。


 ピピピピピピピピピピピピピピピ…………


 静寂を打ち破るタイマーの音がダイニングに響き渡り、俺とお姉さんははじかれたように体を震わせた。


「……とりあえず食べましょうか」

「……そうですね」


 お互い目を合わせることもなく箸を手に取ると、同時にカップ麺を啜り始めた。俺のは醤油味だ。


「~~~~~~~ッ!!」


 対面に座る味噌味の面を幸せそうにすするお姉さんを見て、こわばった気持ちも少し和らいだ。正直そんなに美味しいものではないが、見事な黒髪ロングをポニーテールにまとめてまでカップ麺に夢中になるお姉さんが、場の雰囲気を和ませた。

 暖かい汁も発せないでいる俺の言葉を後押ししてくれた。


「……実は、両親が半年前に事故で死んだんです」

「! そう……それは……」


 いったん麺を手繰る手を止めて、お姉さんは申し訳なさそうにうつむいた。正直この反応は嫌いだ。みな同様にそうするが、本当に俺に同情している人間なんていないだろう。

 お父さんとお母さんが死んだ後に近付いてきた会ったこともない親戚連中は、みな資産家だったお父さんの遺産が目当てだった。幸い俺はもう成人していたから、そいつらを全部拒絶してこうして、両親が残した一人では広すぎる家に住んでいるのだった。

 家を出ても世界のすべてが俺を騙し傷つけるだけな存在に思えて、すっかり人間不信になって俺は引きこもっている。

 我ながらこれでは何も解決しないと思う。しかしそれでも、外界への失望と恐怖が勝るのだった。


「それは……」


 『ご愁傷様』

 きっとそんな言葉がお姉さんの口から出るのだろう。心にもない。そんな言葉が。


「それは口封じする相手が減ってラッキーね……」

「あんた血も涙もねえよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 俺は絶叫した。あまりに激昂しすぎて鼻から麺が出てきた。


「最低! 人でなし! 空き巣! 行き遅rぐぼぁ――!」


 最後の一言を言い切る前に殴られた。グーで。


「聞きなさい鏡太君ッ!」

「は、はひ……」


 床にぶっ倒れながら俺は頷いた。お姉さんは箸でチャーシューをつまんだまま俺にそれを向けてくる。


「君が両親を喪失したことや、そのせいで引きこもっていることなんて私には関係ないわ! 大事なのは私が前科者になるかどうかってだけなの!」

「うわあ素直……」


 呆れるを通り越して憧憬さえ覚えた。


「だから私は全力で君を篭絡して、誘惑して、骨抜きにして、どうしたって通報できないようにしてあげる!」

「それでも俺が通報をあきらめなかったら?」

「……東京湾」

「え?」

「いえなんでもないわ」

「いや今『東京湾』って言ったよね!? 完全に沈めるつもりだよね!?」

「だれもコンクリ詰めにするなんて言ってないじゃない!」

「今言った! 今言ったよあんた! ――ウッ!?」


 急にそれは訪れた。


 ギュルルルルルゥウウルルルルルルル…………


 これはっ!? この腹の激痛は!? まさか!?


 俺は血相を変えてトイレに飛び込んだ!


 あのアマ……まさか!


「ふっふっふ……甘いわね鏡太君……!」

「おのれ……まさか俺のカップ麺に……!」


 ドア越しから聞こえる勝ち誇った声に、俺は腹を抑えたまま怨嗟の声を上げた。


「下剤を仕込んでおいたのよ!」

「てめぇ……!」


 やられた! 完全に気付かなかった!


「これで分かったでしょう? 私に抵抗するなんて無駄だってことを……理解出来たら今すぐ通報をあきらめると私の前で誓いなさ――ウッ!?!?!?」


 なんだかついさっき聞いたようなうめき声をあげて、急に目の前の扉が切羽詰まった様子で叩かれ始めた。ドアをぶち破らんかという勢いだ。


「ま、まさか……」


 俺は戦慄した。まさか……ありえないよね……?


「間違えて自分のにも入れちゃった……!」

「馬鹿だろお前!」

「おのれ八咫野鏡太……! ただものではないようね……!」

「なにもしてねえけど!?」


 俺のツッコミなどいざ知らず、逼迫したようすでドアを叩く勢いは増していく。


「あけて! おねがい! 違うところ開いちゃうから!!」

「女がそんなこと言って恥ずかしくないのかよ!!」


 悪いが俺だってやばいんだ、ここは譲らない!


「いいのかしら!? 私は今君の家を人質に取ってるのよ!」

「もう恥も外聞もないのかよこのポンコツ!」

「おーーねーーがーーいーー!!!!!!!!」



 こうして朝の八咫野家には二人の悲鳴が響き渡ったという……

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