おかえり、メンバーズ

真・帰宅部顧問の芹沢

ワン・サイド・コミュニケーション


放課後、伊瀬谷いせや翠海みみは教室で頭を抱えていた。彼女は先程から五秒に一度というハイペースでため息を吐いており、あまりの落ち込みようにクラスメイトもおいそれと声をかけられないでいた。翠海は心配そうに自分を見るクラスメイトたちの視線には気付かず、手元の答案用紙を死んだ魚のような目で見つめる。


(……やばいなぁ。ほんとにやばいなぁ)


なにゆえ彼女がこんなにも落ち込んでいるのか。理由は単純明快、成績の恐ろしい低空飛行である。今日帰ってきたテストは全て四十点台、何よりも苦手な数学に至っては赤点を取ってしまっていた。低空飛行どころか墜落している。


「ほぉ……こりゃひどいな」


「ちょっ、凪咲なぎさちゃん見ないでよっ」


いつの間にか、親友の凪咲が後ろから覗き込んでいた。翠海は慌てて答案用紙を覆い隠し、小さく睨んでみせる。が、凪咲は柔らかな笑み。頑なとして余裕の態度を崩さない。


「たまたま視界に入っただけよー」


「それを見てるって言うんでしょ……」


「にしても、ホントにやばいね。塾とか行った方がいいんじゃない?」


「うっ……やっぱりそう思う?」


「思う」


凪咲はきっぱりと断言した。確かに正論である。今回翠海はテスト勉強をサボったわけではなく、真面目に勉強してきてこの有様なのだ。一人で勉強して高得点を叩き出すのは、翠海の頭にはちょっと荷が重い。本来なら塾に行って然るべきだ。


「……なに?なんかダメなことでもあるの?」


「んっとね……その、時間が無いと言いますか」


「ミミたんいっつも放課後暇そうにしてるじゃん。部活も入ってないでしょ?バイトもやってないよね、そもそもウチの学校バイト禁止だし」


「ううっ、ダメなのは、ダメなのはね……」


ダメな理由を言ってしまえば、家が貧乏なため塾に行かせてもらえないのである。いや、声に出して頼み込めばきっと親は行かせてくれるだろう。けれどそれは間違いなく家計の負担になる。それがわかっていながら『塾に行かせてくれ』だなんて、翠海にはとても言える気がしなかった。


そして、この事情を凪咲に言う気にもなれない。家庭の事情なんて人様に話すものじゃないし、言ったら言ったで凪咲は凄く困ってしまうだろう。だから必死に誤魔化そうとしているのだ、親友相手に。翠海は罪悪感からか、胃のあたりがキュッと引き締まるのを感じた。


口をつぐんでいる翠海を見て凪咲は呆れたように笑うと、優しくその頭を撫でた。


「ホント、ミミたんは嘘つくの下手だねぇ」


「……ごめんね凪咲ちゃん。でも」


「あー大丈夫大丈夫。友達だからって、言えないことがあることを悪く思わなくてもいいんだよ。隠し事なんてあって当然っしょ」


「な、凪咲ちゃん……」


親友の暖かい言葉に、なにか熱いものがこみ上げてきた。あぁ、凪咲ちゃんが親友で良かった。翠海は心からそう思った。


「それはともかく、この成績は本当にやばいよ。早くなんとかしないと手遅れになる」


「て、手遅れ……」


『留年』という言葉が頭をよぎり、翠海は小さく身震いした。


「…なっ、凪咲ちゃん勉強教えて!」


「えっ、私?んー、でも私もそんなに頭良くないよ?ミミたんよりは勉強出来るってだけで」


「それでもいいから!留年なんかしちゃったら親に顔向けできないよ……」


「ぷ、プレッシャーだなぁ……あんま自信ないんだけど……ほら、勉強は自分のことで精一杯だから。ミミたんを支えきれるかわかんないんだ」


「……どうしても、だめ?」


「いやいや、庇護欲くすぐるような顔してもダメだから。もしミミたんが留年しちゃった時責任取れないもん」


「そ、そんなぁ………」


「まぁまぁ、そう泣きそうな顔しなさんな。この件については私より適任がいるのよ」


「…………?」


凪咲の指差す先に視線を向けると、1人の男子生徒が机に向かって本を読んでいる。ただ読書しているだけなのにその姿はなかなか様になっており、彼の優れた容姿を無言で伝えていた。


「えーと……千見せんみくん、だっけ?どうして彼が適任なの?」


名前が出てくるのに数秒を要したのは、翠海にとって彼の印象が薄かったためである。下の名前に至っては覚えていない。同じクラスなのだから毎日顔は見ているものの、どんな人間なのかはまるで知らなかった。強いて言うなら無口で物静かということぐらいか。このクラスになって二ヶ月近いが、翠海はまだ一度も彼の声を聞いたことがなかった。


「今回、ミミたんは中間試験学年何位だった?」


「……………………………二○五位です」


なぜいきなりそんなことを聞いてくるのか。翠海は恨めしげに凪咲を見つめるが、彼女は意に介さずドヤ顔で言い放った。


「学年一位が彼だよ」


「は、はぁああああ…………すごい」


この学校の二年生は全部で二百四十名、その中のトップ。なんというか、自分とはレベルが違いすぎて言葉にならない。それにしても、クラスで存在感のない少年が実は学年一位の秀才だったとは。わからないものだなと翠海は小さく唸った。


「それも、全教科満点だったらしいよ」


秀才だと思っていたら天才だった。全教科満点?そんなことが果たして可能なのだろうか。凄いとか素晴らしいとかを通り越してもはやちょっと気持ち悪い。『千見』という少年に軽く引いてしまった翠海であった。


「ね、すごくない?よく見たらなかなかのイケメンだしさ」


なおもドヤ顔の凪咲だが、凄いのは凪咲ではなく千見である。


「……ひょっとして、好きだったり?」


凪咲が彼のことをやけに褒め称えるので、翠海はもしやと思って小声で聞いてみた。


「へっ?いやいや、凄いなって思うだけよ。彼氏にするにはちょっとねー」


頬を掻きながら笑う凪咲。どうやら照れ隠しでもなんでもなく、本気でそう思っているらしかった。前にテレビで見た、『友達としてはアリだけど彼氏としてはナシ』みたいなものなのだろうと翠海は納得した。


「ごめん、続けて」


「はいよー。んっと、やっぱ勉強は頭良い人に教えて貰った方が効率いいじゃん?だから彼、いいんじゃないかなって」


「なるほどー………確かにそうかも」


全教科満点で学年一位の怪物ならば、きっと自分には想像もつかない勉強法や、効率のいい問題の解き方をたくさん知っているに違いない。そんな彼に教えてもらえるなんて、大幅な学力向上が約束されているようなものである。翠海は少年に大きな期待を寄せた。


「…あ、でも。私なんかに勉強教えてくれるかなぁ………?」


「だいじょーぶだいじょーぶ!ミミたんめっちゃ可愛いんだし、ちゃんとお願いすれば喜んで教えてくれるよー」


「もー、根拠もないのにまたそんなこと言って。それに私、そんなに可愛く」


「ほらほら、思い立ったが吉日!さっさとお願いしてこーい」


「ええっ、ちょっと、今から!?こ、心の準備が」


「んなもんなくても平気平気!」


ぐいぐいと背中を押してくる凪咲に抗議の声を上げる翠海だが、押しに弱い翠海が親友相手に本気で抵抗出来るはずもなく。気が付けば、千見のすぐ隣まで来てしまっていた。


「…………………?」


不審そうに翠海を見つめる千見。凪咲はいつの間に離れたのか、教室の隅でひらひらと手を振ったりなんかしている。翠海は凪咲に一瞬冷たい視線を向けると、小さく深呼吸した。ここまでお膳立てされてはもうやるしかない。彼に『勉強を教えてください』とお願いするしかない。


とはいえ、いきなり本題に入るのは悪手。自分と彼は、これまで一度も話したことがないのだから。翠海は先手を打った。


「えっと……なんの本読んでるの?」


まずは少しでも親交を深めようと無難な質問をする。表紙を見ればわかるだろとか言ってはいけない。こうやって聞くことこそが大切なのだ。それこそがコミュニケーションなのだ。


「………………………」


「えっ」


だが千見、無言のまま表紙を見せてくるという暴挙に出る。完全にコミュニケーションを放棄しているとしか考えられない。読書中の相手には最善手の話の振り方だったというのに、まさか不発とは。翠海はめげそうになる自分に喝を入れ、笑顔で会話(一方的)を続行した。


「へぇー、それ面白いんだ?」


こくりと頷く千見。


「わ、私も今度読んでみようかな」


再び頷く千見。


「え、えっと………」


なんなんだ千見くんとやら、意地でも声を出さないつもりか。ひどく調子が狂う。翠海はこのタイプの男子と長く話すのは初めてだったので、経験値の少なさがモロに出てしまった。


「……それはそうと、お願いがあるんだ」


これ以上の下手な会話は身を滅ぼすことになる。そう判断した翠海は、さっさと本題に入ることにした。


「その、千見くんって頭いいんだよね?」


「……………………………………………」


千見はいくらか悩んだ素振りを見せた後、小さく頷く。どこに迷う要素があったのだろう。それとも、『君は頭がいい』と言われてすぐに頷くのが自信過剰みたいで嫌だったとか?意外と謙虚というか、人間臭いところもあるんだなと翠海は思った。優れた容姿に卓越した頭脳、そしてこの無口な性格からどこか浮世離れした人だと思っていたため、いっそう強くそれが感じられた。


「えっと、恥ずかしながら私はあんまり賢くないんだ……」


本当に恥ずかしく思いながら言うと、千見は微妙な顔をしていた。顔に『そ、そうか』と書いてあった。そりゃそうなるよねと翠海は思った。


「だ、だからね?勉強を、教えてくれないかな………私に」


なぜに倒置法。だが伝えるべきことは伝えた、後は彼の審判を待つのみ。翠海はすがる思いで千見の目をじっと見つめた。


「………………………」


「………………………」


数秒後、千見が照れたように視線を逸らし、開いていた本を閉じた。翠海は栞を挟まなくていいのだろうかと、場違いなことを考えていた。


千見は音も立てずに立ち上がると、鞄を肩にかけて椅子を引く。ふいに翠海の方を向くと、右手でちょいちょいと手招きした。


「えーっと……」


意図がわからないので、秘技・愛想笑い。翠海は助けを求めるように後ろを振り向くと、凪咲はイイ笑顔でサムズアップしていた。ダメだ、あの親友はもう使いものにならない。


視線を前に戻すと、なおも千見は小さく手招きしている。なんだかお店のカウンターに置いてある、太陽光発電で動く招き猫みたいでちょっと和んだ。


「…………あ!ひょっとして、ついてこいってこと?」


千見は大きく頷くと、さっさと教室を出ていってしまう。翠海は慌てて凪咲に向けて手を振った。笑顔で振り返された。釈然としないものを感じながらも彼の後を追う。

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