第89話 北地の寒い夜

「……凄いなこりゃ……今日一日で何度驚かされたことか……」


 夜。


 この地に住む者でも寒く感じる時間帯に差し掛かり、暖炉の準備が出来たことをレインス達に伝えに来たシガーは彼らに割り当てられた部屋に入るなり感嘆の声を漏らしていた。

 そんな彼をリティールが迎え入れる。


「何か用? 後、寒いからそこ閉めて」

「いや、暖炉の準備が出来たと伝えに来たんだが。この様子だとそれも必要なさそうだな……」

「そうね。こっちはこっちで上手くやるわ」

「あぁ。まぁ、ゆっくりしていてくれ……」


 何らかの術式の結果、快適な温度と湿度に保たれた室内で美少女二人に甲斐甲斐しく世話を焼かれているレインスのことをチラ見してシガーはこの部屋から出た。


(……やっぱり、目立ちまくるよなぁ……)


 それを受けてのレインスの感想だ。最初は色々と世話を焼かれることに遠慮していたのだが、ヨーク姉妹がどうしても遠慮するレインスを前に勝手にやり始めたのでレインスもその誘惑に屈してしまったのだ。そんな快適な環境にいるレインスはシガーの気配が遠ざかるのを待ってから錬氣を行い始める。


「レインスはまた修行? 毎日毎日頑張るわねぇ……」

「まぁ、習慣になってるし……」


 ゆっくりしているように言われたのにもかかわらず訓練を行い始めたレインスを見てリティールは呆れたような声を漏らす。その隣でシャリアも格好だけは同じ状態を真似て錬氣を行おうと頑張り始めた。因みに彼女は未だ仙氣というものを掴めていない状態だ。つまり、形だけの訓練となる。

 ただし、瞑想し、体内のエネルギーを循環することで以前よりも魔術行使能力が向上している気がするというのが彼女の話だが。


「……暇ね。すぃーもいないから遊ぶものがないわ」


 そんな二人を前にしてリティールは手持無沙汰になってしまった。しばらく放置しておけば何かし始めるだろうと思って放置するレインスだが、彼女は本当に何もする気にならないらしく、レインス達を眺めている。目を上げれば傾城の美少女と見つめ合い。そんな状況での訓練に何となく耐えられなくなったレインスは錬氣をしながら立ち上がった。


「何か面白いものでもないかシガーさんに聞いてみるよ」

「あ、それいいわね。私も行くわ」

「……それなら私も行くのです」


 レインスとリティールが何かしに行こうとするのを見てシャリアも立ち上がる。結局、今来たばかりのシガーを追いかけることになった三人は暖炉のある部屋まで寒い中移動し始めた。

 シガーはロッキングチェアに浅く腰掛け、暖炉に当たりながら何か考え事をしているようだった。しかし、三人が近付いて来たのに気付くとすぐにレインス達の方を振り向く。


「どうかしたか?」

「ちょっと暇になって来たから何か部屋の中で楽しめるものがないのか聞きに来たわ」

「……と、言われてもな……お前さんらが楽しめそうなものは……リバーシとトランプくらいはあったと思うが」

「何かこの地ならでは。みたいなのはないの?」


 リティールの要望に困り顔になるシガー。この地ならでは、と言われてもシガーはこの辺りから出たことがない。代わりにどんな遊びをして来たかを考えるとどうしても避けられない思い出を蘇らせ、少々苦い顔になってしまった。それを思考中であるという態で誤魔化してシガーはリティールに告げる。


「すまないが……ないな」

「ふーん……じゃあ仕方ないわ。トランプでもしましょ。どこにあるの?」

「少し待ってくれ。借りて来る……」


 ロッキングチェアから立ち上がり、家主の下へ向かうシガー。残された三人は顔を見合わせる。口を開いたのはシャリアだった。


「……シガーさん、何だか辛そうなのです」

「そうね。でも、私たちじゃどうしようもないわ」

「なのです……」


 リティールは自身のの力によって彼が行方不明になった巫女の話や過去の話になると悲しさを覚えているのに気付いていた。また、シガーの家からして、二人暮らしの様相を呈していた。そこから導き出せるのは巫女が彼の過去、そして現在に深く関わっているという事実。


(……恐らく、家族に近しい……恋仲のような間柄だったんでしょうね)


 深い失意に包まれているシガーの様子からそう結論を下すリティール。彼女にも同じような状態に陥ったことがある。彼女の場合はファミユミリアとゴーレムたちの戦いによって彼女を亡くした思ってからしばらくは殆ど何も手に着かなかった。

 だが、彼女には最愛の妹がいた。シャリアがいるから彼女は自らを奮い立たせて頑張らざるを得なかったのだ。

 しかし、シガーの家には彼以外に誰もいない。彼が立ち直るには長い時間が必要になるだろう。


(……でも、世の中なんてそういうものよ。一々気にしてられないわ)


 悲しいが仕方ないと割り切るリティール。この結論はシガーの家の中を見聞して彼の話ぶりから凡その彼の状況を察したレインスとほぼ同じものだった。


「おい、トランプ持って来たぞ」


 リティールがそんなことを考えているとシガーがトランプ片手に戻って来た。彼からトランプを受け取ったリティールは一言お礼を告げると少し気まずそうにしていたシャリアを連れて足早にその場を後にする。少し出遅れた形になるレインス。そんな彼にシガーが呟く。


「……お前は、随分とあの子たちに大事にされてるんだな」

「そうですね」


 素直にそう応じるレインス。それが予想外だったのかシガーは少し目を丸くしてから言った。


「……素直だな。なら、大丈夫か……お前からもあの二人を大事にしてやるんだぞ」


 レインスからの答えは期待していないとばかりにロッキングチェアの方に歩いていくシガー。その態度を見てレインスも特に何か言う事はなく自分たちに割り当てられた部屋に向かう。部屋に戻る途中でリティールたちがレインスのことを待ってくれていた。彼女は少し遅れたレインスに軽く尋ねる。


「レインス、何か言われたのかしら?」

「別に。大したことじゃないよ」

「ふーん……なら、いいけど」


 レインスのことを待ってくれていたリティールの簡単な問いに軽く答えて彼らは温かい部屋に戻ってトランプを始めるのだった。



 レインス達がいる温かな部屋とは対照的な寒空の下。尋常ではない速度で走っていた美女が脚を止めた。彼女の目前には醜悪な形をした駝鳥のような生物の死骸が転がっている。


「あぁ……酷い……」


 それは行く当てもなく森を彷徨っていた彼女に優しく接してくれていた鳥の成れの果てだ。毎日、彼女が飢えることがないように何かの肉を持ち帰って来てくれていた優しい鳥。首から上がなくともその巨体と、普通の鳥にはないはずの巨腕からそれが見て取れる。

 彼女はしゃがんで鳥の死骸の検分を行う。鋭く切断された首の傷。この地に住む蒼鳥の爪の部族の最上位の戦士でもこう上手くは斬れないだろう。蒼鳥の爪にいる最上位の戦士は彼女がよく知っている人物だ。実力は誰よりも知っている。

 そして何より、巨鳥の焼け焦げた羽がこの地に住まう者たちがこれを狩ったのではないということを示していた。この巨鳥はそこにいるだけで吹雪を呼ぶ。そんな環境でこの鳥の耐魔能力を容易く超える炎の魔術を使える者などこの地にはいないはずだった。


「……誰か、何も知らない外の人がやったのね……」


 怒りに燃える美女。彼女は優しい鳥を殺した犯人に仕返しをすることを心に決めて再び疾走を始めるのだった。



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